姫子「うーん……。やっぱり肉弾戦は不向きみたいだね」

 潰れたボーリング場もとい『星の観測者』の拠点にて、梓とエリが組み手を取っている。
部屋の隅では姫子が座っており、二人の動作に変化があると逐一メモ帳に何かを書き込んでいた。
その様子を三花とアカネが興味深そうに覗き込んでいる。

エリ「ほいっほいっ」

梓「くっ……」

 梓は懸命に突きや蹴りを放つがそれは傍から見ても素人に毛が生えた程度の拙い技である事が分かる。
銃器を取り上げられれば序列四十九位のエリにさえも劣ってしまう。これではこれから先の戦いについてこれないだろう。

姫子「弱ったなぁ……。まるっきりセンスが無いわけじゃないんだけど」

 しかし近接戦闘におけるノウハウを完璧に叩き込むにはあまりにも時間が少な過ぎる。
或いは曽我部 恵ならばこの状況を打破出来るのかもしれないが、姫子が彼女と接点を持っている筈も無く、それは叶わぬ理想となる。

三花「大丈夫? 何だか顔色悪いよ」

 難しい顔をしている姫子を見て心配に思ったのか、三花は姫子の顔を覗き込んだ。

姫子「うん、私は大丈夫だよ」

 気丈に振る舞ってはいるものの、滲み出た疲労の色はそう容易く隠せるものではない。
姫子の強がりはかえって三花とアカネを心配にさせただけだった。

 いちごの掌中で良いように弄ばれていたとはいえ唯を手にかけてしまった事。
その贖罪の為に友を危険に晒す道を選んでしまった事。
それらは確実に姫子の心を蝕み、疲労させていた。
 しずかの単独潜入を可決したのは昨日の事にも関わらず、その苦悩を隠して梓の指導もこなせるのは偏にその強靱な精神の賜だろう。

姫子「止めて良いよ、二人とも」

 姫子の一声で梓とエリはぴたりと動きを止めた。
そして梓は崩れるように床に寝転んだ。

エリ「ふいーちかれたぁ。休憩休憩」

 エリはじんわりと汗はかいているもののまだ余裕はあるようで、跳ねるように部屋の隅に置いてあった鞄を取りに行くとそのまま中身を漁り始めた。

姫子「どうしたもんかなぁ……」

 姫子はぼんやりと溜め息をつき、目の前にいる三花の髪の毛をそっと撫でた。
照れたようにはにかむ三花の表情は果てしなく無垢だった。

姫子「ねぇ、梓ちゃんの闘気の色は分かる?」

三花「んー?」

 三花は首だけ梓の方に向け、目を細めてじっと見据えた。

三花「分かりづらいなぁこれ。青……、いや緑かなぁ」

 瞼を忙しなくぱちぱちと動かしては時折首を傾げる。

三花「うーん、暫定緑だね」

姫子「そっか、ありがとね」

 御安い御用だよ、と三花は得意げに鼻を鳴らした。

 若干気怠そうに姫子は立ち上がった。
そして寝転ぶ梓の元に寄り、身を屈める。

梓「え?」

 喋るよりも速く掌で口を塞がれる。
そしてもう片方の手は胸に添えられた。
姫子の髪の毛は垂れ下がり、梓の額をくすぐる。

姫子「ごめんね、ちょっと苦しいかも」

梓「っ!?」

 言い終えると同時に梓の身体を悍ましい何かが包み込んだ。
一瞬にして呼吸は乱れ、心臓は跳ね上がり、全身の毛穴から汗が吹き出る。

梓「~~っ! ~~っ!?」

 迫り来る恐怖から逃れる為に身体を捩らせるが胸を抑えられているので意味が無い。
叫び声を上げる事も出来やしない。

 梓は姫子の腕を掴み、振りほどこうとする。
細い腕に爪が食い込み血が滲むが、姫子はそれをものともしない。

エリ「あわわ……。何やってんのあの人」

アカネ「やだ……。何か虫が這ってるみたい……」

 露骨に嫌悪感を示す二人。
三花を盾にする形で身を丸めているのだが、当の三花は吹き付ける風を直視してうっとりと溜め息をついていた。

三花「わぁっ、すっごく綺麗だね!」

 三花の目には深緑の花が咲き乱れる光景が映っていた。
大気、風を操る姫子の緑色の闘気。
だがそれは力無き者にとっては毒でしかない。
アカネ、エリ。そして梓とて例外ではないのだ。

 姫子は自分が放出している闘気に反発しているものを感じ取っていた。

姫子「…………」

 それは煮え滾るマグマの中に垂らした一滴の水のように些細なものだが、確かにそこにある。
今までは垂れ流すだけだった梓の闘気が、梓の苦痛に呼応して一瞬だけ意志を持ったのだ。

姫子「……良い風だね」

 渦を巻くように流れていた風が一瞬だけ舞い上がった。
 姫子はそれに負けじと更に闘気を流し込む。

梓「ぁ……っ! んっ!」

 僅かに漏れた声は苦痛を越えてどこか艶めいていた。
 『絶対の彼方』
 固く閉ざされた力の門の鍵には亀裂が走る。


梓「いやっ……! はなし……」

 梓の中に宿った闘気は反発を続ける。
その度に梓の小さな体躯はびくりと跳ね上がっていた。

エリ「なんか……。見てて恥ずかしくなってきたよ」

アカネ「私もう無理……」

 アカネは口元を抑えてそのまま外へ去ろうとする。
闘気が奔流する過酷な状況で、更に梓の喘ぎ声にも似た苦悶の呻きはアカネの思い出したくない過去を刺激していた。
紬との闘いの爪痕は根深く残っていたのだ。
 アカネが扉に手をかけようとしたその時、ドアノブが捻られて勢い良く扉が開く。

しずか「ちょっ、姫子!?」

 しずかの叫びが姫子を我に返らせた。
それに少し遅れて、しずかに着いて来ていたキミ子とよしみが姫子に飛び掛かってゆく。

キミ子「しっかりしてよリーダー」

よしみ「それ以上はダメ、絶対」

 金属同士が触れ合う冷たい音色が聞こえた。
目にも止まらぬ速度で鎖は姫子の身体を拘束しようとする。

姫子「っ!」

 だが姫子は鎖を乱暴に引っ張り、そのまま床に叩き付けた。
鎖の持ち主であるキミ子とよしみの身体が大きくふらつく。

姫子「ふぅ……」

 じんわりと額に滲んだ汗を拭い、姫子は大きく深呼吸をした。

姫子「ごめんね。ちょっと意識が飛んでたよ」

しずか「謝るなら梓ちゃんに謝らなきゃ。ほらほら」

 姫子の言葉を聞く前にしずかは仰向けの梓の元へ駆け寄っていた。
ブレザーのポケットからハンカチを取り出して梓の汗を拭う。

梓「うぅ……」

しずか「起きれる? ほら掴まって」

 梓の腕を自分の首の後ろに回し、そのまま身体を引き上げる。
その拍子に噎せた梓は血混じりの唾を吐き出した。

しずか「見てないで手伝って!」

姫子「う、うん……」

 姫子は促されるままに梓の背中を擦る。
しずかは続けて鞄の中からペットボトルの紅茶を取り出し、梓に手渡した。

しずか「自分で飲める?」

梓「大丈夫……です。どうも……」

 顔色はあまりよくはないものの、不自由無く意思疎通が出来るところまでには回復していた。
それを確認するとしずかは安堵の息をつく。

姫子「……ごめんね梓ちゃん」

 姫子が頭を撫でようと伸ばした手に反応し、梓の身体がびくりと跳ねる。
姫子はそれ以上何もせず、伸ばした手をしまった。

エリ「うーん、何かレベルが違い過ぎて何がヤバいのかお姉さん分かんなーい、って感じなんだけど……」

 のんびり歩み寄ってきたエリは梓の掌を握り締めた。

エリ「ちょっと休んだら? 姫子がしっかりしてくれないと私達は二束三文のガラクタなんだからさ」

姫子「うん……」

 物憂げに目を伏せ、姫子はよろめきながら立ち上がった。
梓はその様子をぼんやりとしたまなざしで追っている。
それに気付くと姫子はもう一度ごめんね、と呟いた。
引き摺るような足跡が、扉が閉まると同時に消え失せる。

エリ「姫子も困ったもんだ。ねぇしずか」

 エリは呆れつつしずかの方へと目を移した。

エリ「あれ?」

 そこに居た筈のしずかは影も残さず消え去っていた。
エリはキミ子とよしみに目配せをしたが、二人も首を傾げるだけだった。

 桜高から少し離れたところにある河川敷。
姫子はそこの堤でごろりと横たわっていた。
川の水面は夕日に照らされて星屑をちりばめたように瞬いており、柔らかい風は幻想のような世界を優しく撫でる。

姫子「…………」

 姫子は風が吹く方を遠く見据えた。
川の流れは視界の更に奥の方まで果てしなく続く。
風に乗ってあの流れの向こうへ旅立ってみようか、そこまで思い付いたところで姫子は考えるのを止めた。

姫子「柄にもないよね」

しずか「ほんとにね」

 不意に聞こえたしずかの声に驚き、姫子は尾を踏まれた猫のように飛び起きた。

しずか「声に出てたよ。姫子ってもっとリアリストなのかなぁって思ってたのに、なんか意外」

 普段は幼く見えていたしずかが妙に大人びていて、逆に姫子はしどろもどろになる。

姫子「私だってまだ高校生だもん。たまには乙女チックな事考えたりするよ」

しずか「甘えたり、我儘言ったりもする?」

姫子「そりゃするよ」

 しずかはふぅんと溜め息混じりにぼやき、鞄の中からチョコレートを取り出した。

しずか「あーん」

姫子「ん……」

 一口大のチョコレートを噛み締めると中からいちごのシロップが溢れてきた。
甘酸っぱい香りが姫子の鼻腔を突き抜ける。

姫子「何か恥ずかしいね、こういうの」

しずか「姫子は自分を取り繕いすぎなんだよ」

 照れたようにはにかんでいた姫子だが、不意に上目遣いで見つめられてぎょっとする。

しずか「そりゃ姫子だって私達と同い年だもん。まだ大人じゃないし、子供なとこだってあるよね」

 そこで言葉を区切ったしずかは表情に憂いを灯した。

しずか「でも私達は姫子のそんな一面なんて全く知らないよ?」

 姫子は何も返す事が出来なかった。
それもその筈だろう。
決して自分を良く見せようとしていたわけではない。
だが自分でも気付かないうちに、姫子は周りを支える為に大人であり続けていたのだ。

しずか「もっとよく周りを見てみなよ。私達ってそんなに頼りない?」

姫子「そんなこと……」

 無いとは言えない。
平沢姉妹を取り巻く事件に介入する為の勢力、『星の観測者』は悪く言えば個々の力も強くはない所謂烏合の衆である。
 不安定な勢力を束ねる精神的負担は姫子を着実に蝕んでいた。

姫子「あ……」

 姫子の目に溜まっていたものが表面張力の限界を迎え、零れ落ちた。

しずか「ごめんね、今まで気付いてあげられなくて」

 核心を突くしずかの言葉は姫子の双肩に積み重なった荷を解いてゆく。

姫子「私の方こそ、ごめん。しずかが、っそんなに強くなってたなんて……全然知らなかったよ……っ」

 嗚咽混じりに言葉を紡ぐ姫子の姿は、年相応の少女のものだった。

しずか「もう、いつまでも泣き虫じゃないんだからね」

 姫子の頭をそっと撫でるしずか。
少なくとも今の彼女はかつてその存在を否定されていた弱い彼女ではないのだろう。
小さな体躯に宿した強靱な意志は、姫子の胸を強く叩いた。

姫子「そうだよね。しずかならきっと、大丈夫だよね」

 自分の選択は間違ってなどいなかった。
姫子は初めてそう思えた。

 今のしずかならばきっと南極の単独調査をこなして、無事に帰って来てくれるだろう。

姫子「木下 しずか一世一代の大仕事だよ。聞いてくれる?」

しずか「もちろん!」
 弾けたようなしずかの笑みは、今の姫子にとって世界で一番愛しいものだった。
 姫子が紬の家に行き、軽音部勢に単独調査を提案した時の事。
 自分の頭の中にある潜入プラン、日程、方針。
 そして結果としてしずかを投げ出す形になってしまった自分の苦悩。
 それらをつらつらと語る姫子の隣で、しずかはその弾けたような笑顔を絶やさずにいた。





エリ「お、起きた?」

 梓が目を覚ますと視界には天井ではなく、エリの顔が映っていた。

梓「私……寝てたんですか?」

 そこで梓は自分の視界の異変に気付く。 
エリの身体を覆うように、黄色の蒸気のようなものが浮かんでいた。

梓「え……?」

エリ「どったのあずにゃん?」

 エリは唯が梓を呼ぶ渾名を使い、軽くおどけてみせた。
だがそれはあっさり無視され、妙な羞恥心を駆り立てられる羽目になる。

梓「…………」

 慌てて辺りを一瞥する。
よしみ、キミ子、三花。そして部屋の隅でうなだれるアカネ。
各々が違った色の何かを纏っているではないか。

 意識を手放す前まではあれだけ辛かったのに、何故か今は身体が風のように軽い。
猜疑心が恐れに変わるのには時間はかからなかった。

梓「私、どうなったんですか……?」

三花「闘気の発現、だね」

 梓が振り返ると三花が這うように擦り寄ってきていた。

梓「闘気……」

 闘気を観測し、自在に操れる者を『絶対の彼方』を越えた者とする。
和が語っていた強者の定義、梓はまさか自分がこうもあっさりその枠に当て嵌まってしまうとは思っていなかった。

三花「でもまだ駄目だね。全然綺麗じゃないもん」

 三花は眉を八の字にして残念そうに言った。

梓「……あなたにもこれが見えるんですか?」

三花「見えるよー。色は緑、でも黒っぽいのが煤けてるね」

 言われてよく見ると、確かに自分の肌にも闘気が纏わりついているのが見えた。
不純物を混ぜたような澱んだ緑だった。

梓「…………」

 闘気の奔流を目の当たりにした事が無いわけではない。
和や純が何かしらの技を以て攻めに転じる時、確かに似たような何かを感じていた。
だからこそ分かる。
今の自分はあの二人と比べてどれほど未熟なのかを。

三花「でも大丈夫だよ。私がその力、引き上げてあげるから」

梓「っ!?」

 その瞬間、梓の身体が宙を舞った。
梓自身それが三花に蹴り上げられたからだと気付いたのは自分の身体が床に転がってからだった。

梓「っ! 何なんですかいきなり!」

 梓は即座にホルスターから銃を抜き取り、銃口を三花に定めた。
だが弾が射出されるよりも速く、三花は銃口に指を突っ込む。

三花「撃ってごらん? 自分の腕を犠牲にする覚悟があるのならね」

梓「…………」

 野獣の如く鍛えられた三花の身体を貫ける自信など梓には無かった。
引き金を引けば行き場を失った銃弾は暴発し、両者ともただでは済まないだろう。

三花「なーんてね、嘘だよ。流石にこんな意地悪はしないよ」

 三花は銃口から手を離し、けたけたと笑った。

三花「でも手は抜いてあげるから、全力でかかっておいでよ」

 言葉はそれだけで充分だった。
三花はあくまで闘いではなく指南、梓のポテンシャルの引き上げを望んでいる。
それはつまり、『獣王』が『射手』に狩られる事など断じて無いという驕りの現れ。
ならばと梓が思う事は一つだけだった。

梓「……やってやろうじゃないですか!」

 瞬時にマガジンを入れ替える。
金属同士が噛み合う小気味の良い音と共に、二つの鉛玉が射出された。

三花「ふふん」

 三花は鼻歌混じりで片手を薙いだ。
二つの銃弾はまるで刀で切られたかのように真っ二つになる。

梓「これは……」

 反撃の手に備え、大きく後退しながらも梓は観測する。
三花の指の爪が鋭利な刃物のように長く伸びているのを。

三花「ぼーっとしてると串刺しにしちゃうよ!」

 三花は梓が作った隔たりを一瞬で詰めた。
その動きはまるでしなやかなバネの力を開放させたかのように素早い。

梓「っ!」

 梓は爪の槍を咄嗟に身を屈めて避ける。
そしてがら空きになった二の腕に向けて一発。
コンマの差でそれを追うようにもう一つの弾丸を射出した。

 左右の腕の伸び具合、角度、弾の速度。
それらを計算し尽くして放たれた弾丸はぶつかり合い、Yの字に軌道を逸す。

三花「うおっとと……」

 三花は二の腕と顔面に向かって飛んでくる銃弾を身を大きく反る事によって回避する。
そして左脚を軸にして回転しながら上体を起こし、回転の力を殺さぬまま蹴りを放った。

梓「はや──っ!?」

 二つの銃のグリップを足に向け、盾代わりにする。
だが蹴りの勢いはそんなチープな壁では殺せない。
梓は襲い来る手の痺れに銃を手放してしまった。

三花「えいっ!!」

 三花は軸にしていた左脚を浮かせ、その足で宙に浮く形で蹴りを放った。

梓「きゃっ!?」

 不安定な体勢にも関わらずその蹴りは速く、そして鋭い。
梓は銃を捨てて咄嗟に後退して、鼻先を掠めながらも何とかそれを躱す。

梓「──っ!」

 それ以上の追撃は無かった。
動作のキレ、破壊力共に申し分ないがその動き自体は酷く単調なものだった。
 まるで獣を相手にしているようだ。梓は直感でそう感じた。
 ならばと、梓は策を練る。
獣を相手にするなら自分のような射撃手がやるべき事は一つ。

エリ「やばっ!?」

 梓の目論みに一番最初に気付いたのは遠目に見ていたエリだった。
エリは即座にキミ子とよしみの手を引き、扉を蹴破った。

 なだれ込むように部屋の外へ飛び出したエリ達。
丁度それと同時に眩い光と爆音がエリ達の背後を包む。

エリ「やだーっ! まだ死にたくないよー!!」

キミ子「ちょっ、もう離してよ!」

よしみ「……くるしい」

アカネ「何やってんのアンタ達……」

 部屋の外で壁にもたれていたアカネが呆れたような表情でエリ達を見た。
目は垂れ下がっており、顔色はあまり良いとは言えない。

エリ「ありゃ?」

 エリは爆風に身を焼かれてしまうと思い込んでいた。
それもその筈だ。あの闘いの最中でエリは見たのだ。
梓の制服の袖口から金属製の球体、爆弾らしきものが零れるのを。

エリ「じゃああれは……?」

梓「スタングレネード」

三花「うっ……うぅ……」

 二丁の銃を構える梓と膝を折って目を塞ぐ三花。
二人の間には狙撃手が絶対的に有利になるだけの隔たりがあった。

梓「流石にこれは視覚と聴覚を鍛えてどうこうなるものじゃないでしょう? まぁ音に関しては近接戦闘を想定して作ったものだから大した威力は無いでしょうけど……」

 スタングレネード。それは強烈な音と光で対象の平衡感覚を狂わせる兵器だ。
それ自体に殺傷能力は殆ど無いものの、並の人間が不意打ちで使われるとその衝撃は計り知れないものとなる。

三花「眼がっ! 眼があああっ!!」

 獣に近い身体能力を誇る三花。
視覚と聴覚も同じように発達している三花にはその効果が顕著に現れた。
 網膜を焼き尽くされてゆくような錯覚。三半規管を掻き乱される感覚。
それらは三花の世界を大きく揺らがせる。

梓「チェックメイトです」

 後は念には念を入れ、跳弾を利用した変則射撃で急所以外の箇所に弾丸を浴びせる。
それで勝敗は決する、筈だったのだが。

三花「なーんちゃって」

 梓には両手で表情を隠した三花が舌を出すのが見えた。
だが時既に遅し。三花の肩を狙って放った弾丸は身体を伏せた三花の頭上を通り過ぎ、コンクリートの壁を砕いただけだった。

梓「な……。なんで……?」

 背後から首筋に鋭利な何かを突き付けられる。
梓の身体は目に見えこそしないものの、確かに震えていた。

三花「視覚と聴覚は確かにぐちゃぐちゃだよ。ぶっちゃけこうして立ってるのも辛いかな」

 ならどうして、と尋ねる前に三花は言葉を続けた。

三花「でも感覚は視覚と聴覚だけじゃないよね。普通の人間ならそれを潰せば暫くは動けないだろうけど、多分梓ちゃんは私と闘ってる時に思った筈だよ?」

 まるで獣のようだと。

梓「まさか──」

 梓の脳内でほんの数分前に思った言葉が過ぎった。

三花「そう、嗅覚だね」

 この狭い空間で目と耳を塞いで梓を認識する事など、三花にとっては児戯に等しかった。

梓「そんな……っ! 火薬の匂い、それにさっきまでいたエリ先輩達の匂いも紛れてる中で私の匂いだけ嗅ぎ分けたっていうんですか!?」

 犬でもそんな芸当真似出来るだろうか。
梓にはその事実が俄かには信じられなかった。

三花「だって私『獣王』だもん」

 梓は首に爪を突き付けられた感覚が消え、身体が引き寄せられるのを感じた。

梓「や……ぁっ……」

 梓の小振りな乳房が制服の上から揉みしだかれる。

三花「質量、材質を一瞬で判断出来る触覚」

 首筋を今度は鋭利な爪ではなく、湿った舌がなぞる。
征服感が三花の本能を駆り立て、恐怖感が梓の理性を狂わせてゆく。

三花「脳内分泌物を大量に撒き散らす強欲な味覚」

 舌の動きは上へと向かい、三花は梓の耳朶を甘噛みした。

梓「んっ……。やだよぅ……」

 背筋はこれ以上無いほどに伸び、爪先に力が込められた。
本能的な力の動きすら許さないように、三花は梓の耳元に息を吹き掛ける。

三花「梓ちゃんは、どんな味がするのかなぁ?」

梓「ひっ──!?」

 じわりと下着が濡れるのを感じたが梓に下腹部を確認する余裕など無かった。

 染み出す愛液が自分の中に眠る僅かな被虐の性を露にするが、それを情けないと思う事すらままならなかった。

三花「本日三度目のなーんちゃって!」

 弾けたような声と共に三花は梓の背中を押した。
梓はそのまま前のめりに倒れ伏す。

三花「折角闘気に触れたんだからもう少し有効に使ってあげないとね。次からはそこんとこもビシビシいくから!」

梓「…………」

 梓は呆れて物も言えなかった。
ただ力無く振り返った視界に映る三花の得意げな顔がどことなく唯に似ているような気がして、梓は一瞬頬を弛める。

梓「……よろしくお願いします、三花先輩」

三花「うむ、任せられたよあずにゃん」

 あずにゃんは止めて下さい。
梓のそんな呟きの後に、部屋の外からは数人の笑い声が零れた。


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最終更新:2013年03月04日 20:02