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 各所で繰り広げられていた激戦が終わりを迎えた時、彼女等は敵の牙城の最奥部まで辿り着いていた。

和「大丈夫?」

梓「はい、なんとか……」

 強がってはいるものの梓の顔色は悪い。
 後藤を屠った一撃はあくまで和の闘気を自身の身体に無理矢理接続して放っただけであり、それは彼女のキャパシティの限界を遥かに上回っていたのだ。
 過ぎた力は身を滅ぼす。それはこの状況とて例外ではない。


和「…………」

 この先の戦いに梓を連れてゆくべきか否か、和はここで苦渋の選択を強いられていた。
 本人の意志を尊重するならばこのまま進めば良い。
だがそれが正しい選択とは思えなかったのだ。

梓「今更待ってろなんて言わないで下さいね?」

 和の意図に気付いた梓は呆れたように言い放った。

梓「ここで退いたら私は一生自分を許せなくなると思います。だから……私にも唯先輩を救わせて下さい」

和「…………」

 和は何も答えなかった。
その代わり静かに微笑む。そして改めて認識したのだった。
此所に集まった者全員の唯を想う気持ちを。

和「ホント……幸せ者よね、あの子は」

 緩んだ頬を引き締めて目の前に映る扉を見据える。
何を模索するでもなく二人には分かっていた。
この先に唯が、そして自分達を阻む者が居る事を。

梓「いきます……っ!」

 腰の部分に忍ばせた耐火パッドから球状の爆弾を取り出す。
そしてピンを引き抜き、扉に投げつけた。

和「何があっても敵の殲滅を優先する事、良いわね?」

 和が言い終えると眩い光と共に轟音が鳴り響いた。
 瓦礫片、鉄屑が飛散し、粉塵が巻き起こる。
濁った視界を駆け抜けた先には大木があった。

いちご「三十秒遅かったね。此所に来るのにためらうような事でもあった?」

 やる気の無さげな冷たい声が響いた。
 大木の元の部分には蔦や根が絡み合って出来た玉座。
そこに腰掛けているのは全ての元凶、若王子 いちごだった。

和「…………っ」

 考える事など一つも無い。
先ずは目の前の敵を力で叩き潰すだけだ。
 不安定に溢れ出る闘気を瞬時に凝縮、錬磨する。
鞘から抜いた刀の切っ先から光線状の刃が発現した。

いちご「…………」

 対するいちごは特に変わったリアクションは見せていない。
蔦で出来た肘掛けに肘を置いて頬杖をつき、遊び飽きた玩具を見るような目で和の闘気を見つめていた。

いちご「何て言うか……芸が無いよね」

 そっと溜め息を吐き、右手を目の前に翳す。
迎え撃つわけでもなく、彼女は振り下ろされた闘気の刃をまるで差し出された棒きれを掴むように受け止めた。

梓「唯先輩……っ!?」

 和の背後で怯えたような声が響いた。
短く舌打ちすると和は即座に追撃を打ち切り、梓のフォローに回ろうとする。
その一瞬、いちごは薄く微笑んだ。

和「ぐっ──!?」

梓「い"っ……!?」

 二人は纏めて見えない何かに横殴りに吹き飛ばされた。
巨人に槌で殴られたような鈍い痛みに襲われながら二人の身体は広い部屋の宙を舞う。

和「──っ!」

 目まぐるしく動く視界の中で和はいちごの姿を捉えた。
彼女は未だ玉座に腰掛けたまま、人差し指を伸ばして右手首をくるくると回している。

いちご「墜ちて」

 抵抗する時間など無い。
二人の身体は紡がれた言葉のまま床に叩き付けられる。
床の冷たさ、痛みを感じるよりも速く右に上に下に左に、見えない何かはその手の中で二人を弄んだ。

梓「なに……これ……」

 梓は身体中の骨が熱を放っているような気がしていた。
この分だとあちらこちらの骨が砕けているのだろう。運が悪ければ内蔵も傷付いているかもしれない。

梓「唯……せんぱ……い」

 いちごの頭上で大木に穿たれた唯を見て、梓は自分の力の無さを強く憎んだ。
 死装束のような真っ白い衣を纏った彼女は安らかな顔をしている。

梓「何で……そんな顔するんですか……」

「何へこたれてんだよ、なーかのっ」

 聞き馴染んだ声が頭上から聞こえて、梓は顔を上げた。

梓「律先輩……」

 純に背負われた律が見ていて眩しくなるような笑顔を浮かべていた。
此所に来る途中で負傷した足には長めの銃が添え木代わりにくくり付けられており、見るからに痛々しい。

律「あんなになってても唯は唯だ。一緒にあいつを助けるんだろ? だったら諦めんなよ」

純「人におぶさっといて何言ってんですか。これじゃかっこよさも半分ですよ」

律「んなろーっ! 降ろしやがれっ!!」

 律は純の髪の毛をぐいぐいと引っ張った。
反動で二人共倒れたのは言うまでもない。

いちご「…………」

 敵を目の前にして小競り合いを始めた純と律にいちごは苛立ちを覚えた。

いちご「……もう良い?」

 ぼそりと話し掛けるも当の二人は大声で喚き散らしているのでいちごの声は届かない。
せめて真っ当に戦わせてやろうと思っていたいちごだが、その僅かな情けを苛立ちが飲み込んでいった。
 梓と和にしたように手を翳す。
そして不可視の槌を叩き付けようとしたその時、いちごの手首を白い手が掴んだ。

いちご「あの人達どうにかならない?」

紬「ふふっ、私ピンチをチャンスに変えるのが夢だったの~」

 朗らかな笑顔を浮かべたまま紬は拳を握った。

 どんな強固な鎧をも打ち抜く拳をいちごの顔面目掛けて振り抜く。

いちご「──っ!」

 呻き声すら漏れなかった。
鼻の骨は砕け、広がる衝撃は頭蓋骨を粉々にするまでに至る。
眼球が飛び出し、骨の欠片は皮膚を突き破り、内部でペースト状になった脳が弾け飛んだ。

紬「私だって、怒る時は怒るもん!」

 肉塊となったいちごの顔から拳を引き抜く。
様々な体液が混じった汁が糸を引いた。

律「あ?」

純「え?」

 律と純が胴だけになったいちごを視界に映した時だった。
身体を動かす司令塔である脳が無いにもかかわらず、いちごの腕が動いたのだ。

紬「え──」

 いちごの腕は紬の胴を切るように払われた。
大砲でも打ち込まれたかのような衝撃と共に紬は吹き飛ぶ。

いちご「……痛い」

 いつからそうなっていたのかは誰にも解らない。
潰れた頭が元に戻っており、紬の拳の痕は辺りに飛び散った肉片しか無かった。

 現状を目の当たりにした律と純はお互いの肩を掴む形で見つめ合う。

純「律先輩、『けいおん!』て漫画知ってますか?」

律「ああ、あの軽音部の女子高生がキャッキャウフフするほのぼの漫画だろ? 良いよなぁ、ああいう世界に住んでみたいよ」

純「はは、奇遇ですね。私もそう思います。じゃあ逆に聞きますけど絶対に行きたくない漫画やゲームの世界ってありますか?」

律「そうだな、デッドラとかバイオみたいなパニックホラーは好きだけどあんな世界には行きたくないな。あれはやっぱり画面の中だからこそ楽しめるもんだと思うよ」

純「ですよねー。私も零シリーズとかやりますけどあんなのが現実に居たら卒倒しちゃいますよ」

律「…………」

純「…………」

 二人の間に沈黙が流れた。

律「ゾンビだああああああああっ!!」

純「お化けだああああああああっ!!」

 二人はいちごに背を向け、脱兎のような勢いで駆け出した。
純はともかく、律は足が折れているにもかかわらずとんでもないスピードで逃げている。
人体の限界を越えた人間が一人誕生した瞬間だった。

いちご「……っ!」

 鉄仮面を張り付けたようないちごの冷たい表情が険しくなった。

いちご「……どれだけ人の神経を逆撫でれば気が済むの?」

 樹木の玉座から立ち上がり、普段は丁寧にケアしている艶やかな髪の毛を掻き毟る。

いちご「こっちに来なさい」

 怒気を含んだ唸るような声で呟いた。

純「あ?」

律「はい?」

 走る二人の身体が硬直、そして瞬間移動と錯覚してしまうような速度でいちごの元へと引き寄せられる。

いちご「……っ」

 律達を見下ろすいちごは肩を震わせていた。
二人の場違いな前置きは完璧にいちごの逆鱗に触れてしまっていたのだ。

 今度こそ前座は終わりだ。
此所にいる全員を殲滅するにはたった一言、死ねと告げるだけで良い。
エデンシステムから取り込んだエネルギーは宿主の意志をその膨大な力が及ぶ範囲ならば口にするだけで実現してしまう。

いちご「死ん──」

 滅びの鍵語を呟こうとしたその時、いちごは首に異物感を覚えた。

しずか「身の周りには気を配らないとね。まぁ、そうしたところで私は絶対に見つからないんだけど」

 しずかはいちごの首に突き立てたナイフを引き抜いた。
そしてまた突き立て、引き抜き、突き立て、引き抜き──。

 動きとしてはドアをノックする時の動きと似ているだろうか。
 血が撒き散ろうがいちごが悶えようがお構いなしにしずかはナイフを同じ箇所に刺し続ける。

いちご「あっ……やっ…だ……っ、いっ……つっ……」

しずか「どうせ死ねないんでしょ? だったら壊れるまで壊し続けるだけだよ」

 しずかは既にいちごを人として見ていなかった。
彼女は紬がいちごの頭を砕いた辺りから息を潜めて見ていたのだ。
 蘇りをあっさりと実現したいちごを人間と見られる筈も無かった。
鈍色の刃は『肉塊をほぐし、解体してゆく』。

しずか「姫子!」

 いちごの首と胴が分かれた瞬間、しずかは仲間の名を呼んだ。

姫子「おっけ」

 短い返事と共に一陣の風が流れる。
颯爽と風を哭かせながら現れた姫子はいちごの胴を乱暴に掴む。

姫子「こんな事になったのは悲しい事だけど……。仕方ないんだよね?」

 答えないいちごの身体に問い掛け、虚無が返ってきたのを確認すると姫子は両手に闘気を集めた。

姫子「どれだけ辛くても目を逸らしたりはしないよ。それが星の観測者の在り方だから……」

 鋭利な風は物質を越えた究極の刃となり、いちごの身を刻んでゆく。

 肉塊は挽き肉となり、塵となる。
いちごの胴体はこの世から抹消された。
そして残されたいちごの頭は……。

「言われなくても目を逸らさせたりなんかしないよ。貴女達には最期まで絶望してもらうから」

 ぐちゃり──。
 生々しい音がだだっ広い部屋に鳴り響いた。

姫子「そんな……。原形すら残してなかったのに……」

 転がった古い頭を踏み潰し、いちごは姫子の肩に手をかける。

いちご「終わらない、終わらせないよ。こんなのじゃ」

 いちごの手を介して姫子の身体にとてつもない衝撃が流れ込んだ。
姫子は前にも一度この感覚を味わった事があった。

姫子「唯──っ!?」

 痺れを伴う鋭い痛み、それは身体に流れ込む紫電がもたらすものだ。
かつて姫子と唯が対峙した時の悪夢が蘇る。

姫子「あ──がっ──」

 いちごの手から逃れようにもがっちりと掴まれていてそれは適わない。
だが成す術なく悶える姫子を、仲間が見過ごす筈もなかった。

三花「離して──っ!」

 部屋に集まった人間の間を縫うように三花が躍り出た。
無事な方の腕を引き、肉を切り裂く爪を生やす。

いちご「どうして苦しい死に方を選ぼうとするの……?」

 だが前方から迫ってくる三花、後方で密かに狙いを定めるしずか。二人の動きはいちごには筒抜けだった。

 姫子を三花に放り投げ、たった一言命じる。

いちご「平伏しなさい」

 斎藤が純にそうしたように、絶対尊守の言葉を投げ掛けた。
 刹那、部屋に存在する全ての人間に襲い来るのは神の重圧。
不可視のエネルギーがしずか達を平等に押し潰す。

「────」

 誰も口を開けなかった。
 理由など無い。ただいちごの力は存在そのものが森羅万象を従わせる強大なものだったから。

いちご「これが私の力、偉大なる名前『ラスト・ネーム』だよ」

 強大なる力に偉大なる名を。いちごは静かにほくそ笑んだ。
 その後ろで穿たれた唯の手が少し、ほんの少しだけ動いた事は誰にも分からなかった。







『よう、お前はいつまで寝てるつもりなんだ?』

 何処から聞こえたのかは分からない。もしかしたらその声は初めから鳴ってすらないかもしれない。
でもその声は確かに、私の胸の上の方を掴んで離さなかった。

「私も分かんない。何も見えない、真っ暗なの。どうしたら良いのかな」

 有りのまま、私が感じたものを伝えた。
するとその子は笑った。笑ったような気がした。

『暗いのは怖いか? 何も見えないのは苦しいか?』

「うん、とっても」

 口に出すとその気持ちは更に大きくなったような気がする。
自然と身体が震えてきて、私は暴れ回って、はいない。
 あれ──?
 身体ってどうやって動かすのかな。

「怖いんだ。こうしてる間に一つずつ何かを無くしてるような気がするの」

 私の大切なもの、それは──。

「澪ちゃん、りっちゃん、ムギちゃん、あずにゃん。それに和ちゃんに憂、他にもいっぱいいるの」

『お前は幸せだな』

「うん、とっても幸せだよ」

 幸せ、幸せなんだと思う。
でも幸せだった事が何故か今はとても辛くて、此所じゃない何処かに逃げたくなる。

『じゃあ何でお前は幸福から目を逸らそうとしてるんだ?』

「それは……」

 答えられなかった。答えが分からなかったんじゃなくて、それを口に出すのは私の我儘だと思ったから。

『不幸になるのが怖いから』

 その子は言った。
隠したかった想いが見透かされたのが怖かった。
だけどそんな気持ちを包んでくれるように誰かが私を抱き締めた。

『見えない世界は怖かっただろ? 何も無い世界は恐かっただろ? だったら開いちまえよ、お前の臆病な目ん玉をさ』

「…………」

 何も答えずに私は目を開こうとした。
でも私の身体はやけに強情で、仲良しな私の瞼は離れたくはないみたい。

『大丈夫。安心しろ、期待しろ。世界は目を逸らすほど汚いもんじゃねーからよ』

 胸の中を何かが透り抜けていった。

『どうしてもどうしようもない現実にぶつかったんなら、そん時は私が何とかしてやる』

「……うん」

 身体が軽い。
 頭もすっきり。
 大丈夫。今ならやれる。私にも出来る。

「ありがと、何処かの誰かさん」

 あれだけ重たかった瞼が今は嘘みたい。
私の目にちくちく刺さってくる光のせいで少しぼんやりしてるけど、世界はとっても明るくて、優しくて、愛しくて……。

「──っ!?」

 とっても、辛かった。
 何で、何でどうして、どうして──。
 りっちゃんも、ムギちゃんも、あずにゃんも、和ちゃんも純ちゃんも姫子ちゃんもしずかちゃんも三花ちゃんも──。
 ────。
 ──。

唯「何で──っ!?」

 悲痛の叫びは広い部屋の中で木霊した。
楔に身を縛られた自分と地に伏せた仲間達、その間にある隔たりは唯の心を狂わせようとする。

いちご「……?」

 返り血を浴びたいちごは訝しげな表情で声がした方へ振り返った。

いちご「……何で生きてるの?」

 疑問だった。
 不死の力を人間に与えるエデン・システム、その原理は唯の肉体に宿った龍の力を搾取する事にある。
 その為には唯の精神を乱し、感情の高ぶりから漏れ出たエネルギーを随時抽出する必要があった。

いちご「…………」

 だがそれは初期段階の話。
エデン・システム完成を目前としていちごはエネルギー不足に頭を悩ませた。
精神の歪みから抽出出来るエネルギーは脆弱なもので、精々タナトスを起動させるのが関の山だったのだ。
 博打に出たいちごは唯をエデン・システムに一番近いところで殺した。
そして死んだ肉体を強制的に蘇生させ、仮死状態に止めたのだ。
 そうする事で精神から乖離された肉体には龍の力だけが残る。そしていちごは龍の力を自在に抽出する事に成功した。

いちご「あなたの精神はとっくに死んでる筈……。何で?」

 いちごの問いは虚しく宙を舞った。
今の唯に会話をする余裕などある筈もなかったのだ。

唯「こんなの……やだよぅ……っ!」

 目の前で倒れている仲間の元に駆け付ける事も出来ない。
胸に穿たれた楔が恨めしい。
 涙目で楔を見つめると意を決したのか、唯は遂にそれに手をかけた。

唯「ひっ……ぐっ……!」

 楔は少しずつ唯の胸から抜けようとする。
何のリスクも無い筈が無かった。
死んだ方がマシと思えるような激痛が唯の胸に走る。

いちご「…………」

 いちごは歯痒さから爪を噛んだ。
このままいけば楔が取れる前に唯が力尽きるか、楔を抜いた際の出血で死に至るか、二つに一つだ。
 だがいちごはその二つとも善しとはしていない。

 龍の力は未だ解明されていない部分が多々ある。
その解析が終わるまでは唯を死なせるわけにはいかない。

いちご「……止めて」

唯「止めない……もんっ……!」

 どうすれば良い?
 偉大なる名前を使えば唯を無傷で解放する事など児戯に等しい。
楔の消失、肉体の復元、意識の抹消、これらを口にするだけで仕事は終わりだ。

いちご「…………っ!」

 だが唯の身体に残る力の残滓が龍の力を受けて何らかの影響を及ぼしてしまったら、そう考えると無闇に力は使えない。
 最悪のパターンを踏まえた上で敢えて効率を重視するのがいちごの芯なのだが、龍の力が絡めば例外だ。

 考えろ、思考を止めるな、使える知恵は全て駆使しろ。
そんな自己暗示は虚しく、唯の楔は着々と緩んでゆく。鮮血を垂れ流しながら。

唯「────っ」

 唯は言葉にならない言葉を上げた。
それは断末魔のように悍ましく、いちごにはそれが世界の終わりを告げる警鐘のように思えた。

いちご「……っ、空間を凍結!」

 いちごの力が行使されたのは楔が唯の身体から抜けたのと同時だった。
いちごが指定した空間はまるでそこだけ切り取られたように動きを止める。
唯の身体は空中で停止、吹き出る筈の血は唯の胸元で止まっており、大気の流れすらそこには無かった。

 唯の動きが停止したのを確認するといちごは安堵の溜め息を吐き、一瞬だけ唯から目を逸した。彼女の口元が何故か緩んでいる事にも気付けずに。

「ありゃま、こいつぁひでぇや」

いちご「──っ!?」

 聞こえる筈のない声が聞こえた。
全ての理すら封じ込めて凍結した筈なのに、何故彼女は理不尽に存在しているのか。

唯「両足ポッキリ、つぅか粉々か。内蔵も何個かいっちゃってるなぁ」

 血に濡れた白装束を纏う彼女は先程いちごが叩き潰した律の身体をぺたぺた触っている。

唯「ふぅん、見た感じじゃ皆同じような壊れ方だな」

 床に流れる血を掬い取り、掌を広げてそれを舐め取る。

いちご「あなた……一体……」

唯「誰なんですか、何て言わせねーぜ? お前が私を欲しがったように、私もお前に会いたかったんだからな」

 彼女は素足のまま血溜まりを通り、律達が倒れている箇所の丁度中心部分に立ち尽くした。

唯「……取り敢えずは傷の手当て、霊魂の定着、闘気の回復ってとこか、頼むぜ」

 一人ごちて彼女は血に染まった床を強く叩いた。
それに反応して床に淡い光を放つ幾何学模様の陣が広がる。

いちご「──っ!」

 目の前の彼女が何であるのかは分からない。
ただ一つわかる事は唯ではない者が何かをしようとしている。
それをいちごが見逃す筈も無かった。

いちご「彼女の周囲に一億の槍を展開、軌道は追尾、対象の命尽きるまで追いなさい!」

 言霊と共に現れる未元物質の槍、その数は一億。
鉄が彼女の視界を覆った。

唯「囀るな」

 彼女は槍の向こうにいるいちごを睨み付ける。
それと同時に闘気ではなく、それに似た遥か高位と思しき何かが空間を駆け巡った。

いちご「ひっ──!?」

 いちごは未だかつてない戦慄を覚えた。
無音で鳴り響く破滅の旋律は幻想の槍を打ち砕き、空虚に帰す。
再びいちごの視界に映った陣は一際大きな光を放ち、跡形もなく消えた。

唯「こういうの何て言うんだっけな……。ちょい昔のドラマであったな」

 彼女は血に塗れた手で頭を掻く。
そして何か思い出したように両手を合わせるとあはっ、と笑ってみせた。

唯「うんたんパワー注入! なーんつって」

 左手を腰にあて、右手でVサインを作ると彼女は邪気を含んだ笑い声を上げる。

いちご「…………」

 目の前の茶番をいちごは黙って見ているしかなかった。
ようやく気付いた自分は触れてはならない禁忌に触れてしまったのだと。
 いちごの気を知ってか知らずか笑い転げる彼女の足元で、屍体同然だった律達がのそりと動き出す。

律「唯……?」

唯「んあ?」

 彼女は笑うのを止めて足元を見下ろすと、再び口角を上げた。

唯「おーおー目が覚めたかい? 初めましてだねぇりっちゃん」

 腰を下ろし、律の顎を持ち上げると彼女はずいっ、と顔を寄せた。

律「唯? 唯なのか……?」

唯「なに死にそうな声出してんだよ、折角私が治してやったのに。そんなにしんどいならちゅーでもしてやろうか?」

律「っ! 馬鹿やめろっ!」

 急いで身を退いた律は自分が身を退けた事に驚いた。
意識が戻る前の最期の記憶、それは見えない何かに身体を押し潰される苦痛だった。
確かに壊れてゆくのを感じた身体が何故か少しは痛むものの、言う事は聞いてくれる。

紬「つっ……」

 遅れて紬、そして他の者も顔を上げた。
皆状況の理解に苦しんでいるのか、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

唯「皆してノロノロ動きやがって、これじゃあ私の治癒が下手くそみてーじゃんかよ。そりゃ熾天使格の連中には負けるけどよ」

 普段の唯とは似ても似つかない乱暴で男勝りな口調、気怠そうな動作。
皆が困惑する中で姫子と紬は胸を締め付けられるような不安感に駆られていた。

姫子「…………」

 恐れていた事が現実になってしまった。
姫子は震える手で肩を抑えて押し黙る。
かつて見た恐怖の片鱗、その全てが具現化してしまった。
それは姫子の心を叩き折るには充分な出来事だった。

紬「何処かの誰かさん……?」

 彼女は近い内にまた会うだろうと言っていたが、紬はまさかこんなに早く見える事になるとは思わなかった。
かつてあの全てを混ぜ合わせたような空間で斎藤の心を折った者が此所に居る。
考えなくとも紬は本能で察知した。
これは不味い、必ず悪い事が起こる。救いなど一つもない、凄惨なる清算が。

唯「……どーも歓迎されてないみたいね。折角どうしようもない現実をどうこうしてやろうってのに」

 彼女は頬を膨らませて鼻を鳴らした。
そして赤く染められた白装束の帯を締め直し、唯のトレードマークとも言える青のヘアピンを放り投げる。

唯「だったら勝手にやらせて貰うぜ。他の誰が望んでなくても、唯は望んでるんだからな」

 唯の身体を纏うように紫電が現れた。
赤、青、黄、緑、その四色の闘気のどれにも属さない殺意の波動が空間を駆け巡る。

いちご「──っ!?」

 相対していちごの身体はぴくりとも動かなくなった。
喉が焼けるように熱い、目の奥が渇き、呼吸の方法さえも忘れてしまう。

唯「んじゃ、やろっか」

 あはっ、と笑うと彼女は悠然と一歩ずついちごに詰め寄ってゆく。
血塗れの素足が床に触れる度にぴちゃ、と嫌な音が鳴る。
完全なる破壊へのカウントダウン、一秒刻みで聞こえる嫌な音はいちごの精神を征服しようとした。


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最終更新:2013年03月04日 20:17