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『女帝? そんな肩書きに何の意味があるの?』

『そりゃ嫌なものから逃げてれば嫌なものに負ける事も無いもんね』

『序列一位ってどれだけ強いの? 大事なものを守れるの?』

『生徒会長なら──』

『女帝なら──』

『真鍋 和なら──』

 多くの声が和の脳内で木霊する。
和自身の心に巣くう闇をひっくり返してぶち撒けたようなこの空間で……。

和「壊すわ」

 達観している面はあれど精神は一介の女子高生。
そんな和が正気を保っていられる筈がなかった。

和「悪い冗談もこのぐらいにしてよね。この趣味の悪いセットも纏めて壊してあげる」

 取り押さえられたままの姿勢で掌を黒い足場に添える。
刹那、目も眩むような極光が全てを包み込んだ。

『やっぱり逃げるんだ』

『死を以て勝ち逃げってか? そんなの週間少年ジャンプの中だけにしてくれよ』

『臆病者。薄情者。小心者──』

和「五月蠅い」

 頭の中を舐め回す陰湿な声は止んだ。
地震を思わせる大きな揺れは和の精神を終わらせる部屋を終わらせようとしていた。

和「じゃあ私、生徒会行くから」

 向かい合う澪と目が合った。
自身の黄色の闘気の奔流に身を任せる中で、和は彼女だけは受け入れる事なくはっきりと拒絶した。

 このまま壊されるくらいならば、と彼女は自壊する事を選んだ。
散りゆく極光はやがて大地を揺るがす力となり、全ての幻想を虚無へと帰す。術者自身と共に。

和「ほんと、嫌なもの見せてくれるわよね……」

 和が持つ全ての闘気を吐き出した際に起こる奥義『天崩し』。
地の底から大地を突き上げる強大な力は天をも穿つ。
それそのものは技などという人為的で陳腐なものではない。
地震、竜巻、津波。森羅万象と同列の力を持つ一つの現象なのだ。 抑え込まれた唯諸共泥人形達が黒い大地に穿たれる。

 やがて闘気は和が御せる範囲を越え、暴走を始める。
地表を喰い破る針の筵が彼女自身をも貫いた。

和「かはっ……!」

 幻想では有り得ないリアルな痛みが全身に走る。
口から零れた血の生温かさ。馬乗りになる澪の身体から漏れた得体の知れない液体の冷たさ。
全てが本物の感覚だった。
 前後左右、天と地、善悪。あらゆる絶対的な概念が崩壊してゆく。
崩れてゆく視界の中で和は首吊り死体が笑うのを見た。
切断された奴隷の足が羽根を生やして羽ばたく。
 積み上げられたドル紙幣の城が巨人の糞尿に呑まれたところで和の意識は途切れた。

「六道が一つ、地獄道」

 凜とした声が和の耳に鳴り響く。
汗で濡れて額に張り付いた前髪を拭い、彼女は重い瞼を開いた。

紬「私の眼を見た人にとって最も辛い地獄を見せる力よ」

 視界に広がった光景は仄かに赤みがかった空だった。
まさに地獄のようなあの場所とは似ても似つかない、至極普通で自然な場所だ。

和「幻覚……だったの?」

 和は疲弊した身体を労るようにゆっくりと上体を起こした。
その際に向かい合うように座り込んだ紬と目が合ったが、彼女は薄く笑みを貼り付けて首を横に振る。

紬「幻覚とはちょっと違うの。対象の五感を全部遮断して心の中に有る負の感情と強制的に向き合わせる。それがこの力の正体よ」

和「…………」

 和は紬の説明を理解するのに時間を要した。
目が合うだけで五感を遮断する力。どう考えてもその理屈は理解し得ない。

紬「邪眼、とでも言おうかしら。私自身にも理屈は分からないの、ただこの眼はそうあるべきっていう感覚みたいなものかしら? 何故だが分からないけど解っちゃうの」

 紬が言いたい事はやんわりとだが理解出来ていた。
はっきりとした感覚はあるのだがそれを表現する為の語彙力が無い。
それは和自身もよく経験する事があったからだ。

 たとえば闘気の使い方を口語で説明する事は可能か。少なくとも和には無理だ。
自転車の乗り方、手足の動かし方。
それをするのは簡単だが出来ない人間にそれを説明する時、人はどうしても口ごもってしまう。

和「危ういわね……」

 何が危ういのか、つまり感覚的にそれを行使出来てしまうという事は表面的に見れば不都合などは無い。
だが人が無意識に手足を動かしたりするようにこの力が発動してしまえば……。
 実際の時間にすれば十分にも満たないであろう、だが確かにその間に地獄を見た和は気が気ではなかった。

和「澪もムギも……。唯も、皆私なんかじゃ届かないところまで行っちゃいそうね」

 無意識に震えていた掌を握り、自嘲染みた笑みを零す。
和にはそれが切なく思えたが、どこか嬉しくも思えた。
今まで女帝として桜高の頂点に君臨し続けていたが、強い個性を持つ集団を一人でどうこう出来ると思うなどおこがましいにも程がある。
頂点の座が揺るぎなかった頃には無かったそんな感情が和の内に芽生え始めていた。

紬「そんな事無いわ」

 紬の一声が緩やかな静寂を打ち消す。

紬「力だけじゃないわ。今まで和ちゃんがしてきた事は私達には真似出来ないもの」

 立ち上がり、スカートに付いた砂埃を払うと紬は優しい笑みを和に向けた。

紬「私には私にしか出来ない事があるし和ちゃんには和ちゃんにしか出来ない事がある。それで良いと思うわ」

 自分にしか出来ない事。
和はそれを考えて少しの間黙り込んだ。
そして空を見上げて鼻で笑い、刀を杖にしてよろよろと立ち上がる。

和「……体裁も考えなきゃいけないってのが生徒会長の辛いところよね」

 距離を置いて固唾を飲むギャラリー達を一瞥し、和は紬に背を向けた。

紬「私、強くなったかな?」

和「ええ、とても」

 和の返事を聞いて紬の表情が綻ぶ。
一時は手が届かないのではと思っていた和に認められた。
それを思うと感きわまり、紬は深々と頭を下げた。

和「私も色々学ばせてもらったわ。私にしか出来ない事、私なりにやり遂げてみせようと思う」

 桜花を鞘に納め、足を踏み出す。
靴の底から感じる大地の脈動が、何故か和には温かく感じた。

紬「…………」

 去りゆく和の背を見つめていた紬。
闘いの場特有の張り詰めた空気の残滓すらも消え失せかけたその時、それは起きた。

紬「──っ!?」

 紬の視界が瞬きの間に遮られる。
身を捩る間も無い速さで大地を喰い破って現れるのは岩の槍。
それが突き出ると認識する頃には紬は四方を岩で囲まれていた。

 和は紬に背を向けたままギャラリーを一瞥し、爪先で軽く地面を蹴った。
次の瞬間常人では立っていられない程の強烈な揺れが辺りを襲う。

和「私の全力が軽音部全員に破られる日も近いかもね」

 大きな揺れの中で和だけが悠然と歩いている。
紬を閉じ込めた岩の槍が揺れと共鳴して自壊し始め、やがて盛大な音を立てて崩れた。

紬「やっぱり、レベルが違うわね……」

 呆然と立ち尽くす紬に怪我は無い。
だがその表情は引きつっていた。
小さくなってゆく和を見据えて紬は呟く。
その場に居た全員が和を生徒会長たらしめるものを再認識した瞬間だった。





 曽我部 恵は苛立っていた。
大学の課題のレポート、幾らやっても追い付かなかった予習もようやく要領を掴んできた今日の頃。
久方振りの息抜きにと同じ学部の友人と出掛ける予定だったのだが。

恵「えっ、中止?」

 運悪く恵以外の全員がその予定をキャンセル。
 仕方無しにこのまま休みをだらだら消化するのもどうかと思い、洗車したばかりの車を出してあても無くうろついていた。
するとどうだろう。天気予報では地方一帯を太陽マークがオレンジに彩っていたのに雲行きは怪しくなり、遂には恵が最も望んでいなかった状況になった。

恵「何でよりにもよって今日降るのよ……」

 喫茶店の一角にて恵は窓の向こうの曇天を眺めながら悪態をついた。
 昼下がりのこの時間はいつもなら隠居暮らしの爺や旦那の稼ぎで私腹を肥やす裕福層の主婦達の寛ぎの間となっているのだが、滝のように雨が降り注ぐ今日のような日にはそんな暇を持て余した者もまるで見受けられなかった。

恵「こんな日はヤな事続きそうよね……」

 誰に言うでもなく恵は呟く。
車から店内に入るまでの短い距離でびしょ濡れになった彼女の姿は物憂げに空を仰ぐ表情と相俟って扇情的なものを感じさせた。

 暫くはする事もなく、値段のわりには薄味で香りも良くないコーヒーをちびちびと飲んでいた。
 アルバイトであろう若い従業員が時折嫌らしい目付きで恵の方を眺めていたが、その度に恵は小さく咳払いをする。
 今日はもう家に帰って大人しくしていようか、そう考えた矢先に恵の首筋に電流が走った。

恵「……?」

 懐かしい感覚だった。
昨年まで自分もその渦中に居た群雄割拠の無法地帯。
突如辺りに満ちたぴりぴりとした空気はまるで恵をその中に舞い戻ったかのような錯覚に陥らせた。

 飲みかけのコーヒーを飲み干し、足早に会計を済ませて店を出る。
雨粒が再び恵の髪を濡らし、薄手の服に染み込んでいった。

恵「さて、と……」

 ツイてない、恵は胸の内でそう呟くと状況を脳内で整理し始めた。
 先程から際立った殺気を放つ正体不明の人物、恵はそれを暫定的にXと命名する。

恵「色は無し、尾行の経験は無し……」

 次に恵は仄かに感じられるXの気配から闘気の質を探り、その力量を見定めんとする。
更に気配の移行から身のこなし方を予測し、Xが単独犯であるか否か、その他諸々の情報を読み取った。

恵「出てきなさい」

 恵は静かな水面に一石を投じる。
だが返事はおろか僅かな空気の乱れすらも感じられなかった。

恵「…………」

 当初の予測通り恵はXを桜高の生徒であると断定する。
 桜高を離れたこの地でわざわざ自分の元に桜高の生徒が来る事も無いだろう、一瞬そう考えもしたがXの尾行に慣れていない身のこなしから桜高以外の組織の者である可能性は無いと断定したのだ。
 この広い世の中でここまでの殺気を放てる者を数えればそれこそきりが無い、だがそんな者達は往々にして何かしらの特殊な組織に属している。
Xが単独犯にして動きは素人、だが力量は備わっているという矛盾。
それが恵の考えの裏付けだ。

 桜高に所属していた頃はこの程度の諍いなど日常茶飯事だった。
だからその際には作業の如く敵を迎え撃っていたし、簡単なその作業で自分が傷を負うなど考えた事も無い。

恵「……苛々させないでよ」

 強がったような呟きは恵が不安を塗り潰すように漏らした虚栄だった。
 本格的な闘いはいつぶりかを遡れば桜高を卒業するよりも前になる。
 今の桜高のトップスリーとその他の生徒のが越えたくても越えられない、越える事すら馬鹿らしくなるような力の壁、『絶対の彼方』と呼ばれるように。
曽我部 恵は『絶対領域』という壁を生徒達に見せつけて桜高のトップクラスに君臨していたのだ。

 当然大義名分を持たない狂犬のような生徒でも恵の『絶対領域』の前では萎縮し。
力ある者とはあくまで和解の道を選ぶ。
 そうして恵は高校生活の後半を穏やかに過ごしてきた。
桜高を卒業してからは闘いとは縁遠い普通の大学生活。
 突然のXの襲撃が恵の不安を煽るのは至極当然の事だった。

恵「──っ!」

 刹那、恵の髪を嫌な風が舐めた。
半ば無意識に身を翻し、喫茶店の屋根に着地する。
恵がそうして身を退いてからコンマ一秒と遅れずに、アスファルトの地面が爆ぜた。

 恵が立っていた場所は幾千もの衝撃を与えられたような抉れ方をしている。
にも拘らず粉微塵のアスファルトを作り上げた張本人はそこにはいない。

恵「なかなかのタチワルさんね……。そこまで恨まれるような事したつもりは無いんだけ……どっ!」

 今度は身を屈め、半ば転げ落ちるように屋根から降りた。
舌打ち混じりに車を止めてある駐車場の方に目をやり、一目散に駆けてゆく。
だが追跡者がそれを見逃す筈は無い。
雨粒の幕に身を潜めるXは自分に背を向けて駆けてゆく恵に詰め寄ってゆく。

「──っ!?」

 後もう一歩で恵の背中に手が届く。
その瞬間Xは悶絶した。
鳩尾を抉り込む衝撃に身体の内側から異物感が込み上げる。
恵が馬蹴りの要領でその一撃を放ったのだと気付いたのは、その異物感を堪えた後だった。
 短めのスカートの中から覗く淡色の下着などに視線を回す余裕は無い。

恵「あらごめんね? 足が滑っちゃった」

 すらりと伸びた足を引き、恵はいたずらな笑みを浮かべて舌を出す。
 激しく動けば裂けてしまいそうな短いスカートに重心を固定するには向いていないピンヒール。
そんな格好でも思った以上に動いてくれる自分の身体に恵は未だに錆び付かない自信を取り戻した。

 恵が視覚したXは小柄な少女で、雨避けの黒の外套に身を包んでいた。
頭まですっぽりと覆ったその身ぐるみを剥してやろうとも思ったが、恵は直ぐに目を切って自分の車へと駆ける。

「つっ……!」

 外套の少女は腹部を抑え、ぎりぎりと奥歯を噛み締めるとよろよろと立ち上がった。
彼女の視界に映るのは白の軽自動車の後部座席で何かを探している恵の姿だった。
 恵が何をしようとしているのか、それを彼女が知る術は無い。
だがだからといってこのまま恵の企みを野晒しにしておくつもりは彼女には毛頭無かった。

 恵の一撃によって崩されかけた自身の身体に叱咤し、十メートル以上はあろうかという恵との隔りを一瞬で詰める。
 その瞬間だった。彼女が絶対領域の真の恐怖を感じたのは。

恵「見っけ」

 恵は短く呟いた。車内から手繰り寄せたのは一本の模造刀。
ただそれだけ。だがそれだけあれば恵にとってこの状況は取るに足らないものになるのだ。

「つっ──!?」

 外套の少女は咄嗟に両手を眼前で交差させ、襲い来る衝撃を受け止める。
だがその衝撃の規模は咄嗟のガードで殺しきれるようなものではなく、アスファルトを滑るように退く羽目となった。

恵「断言するわ」

 まだ鞘から抜いていない刀を器用に指で回しつつ、恵は薄く微笑んだ。

恵「ここから先貴女は私に指一本触れる事も出来ない」

 鈴を鳴らしたような小気味の良い音と共に鈍色の刃が鞘から抜かれる。
恵という鞘から大気を動かす闘気が放たれたのはそれとほぼ同時だった。

「っ……」

 外套の少女は息をする事すら忘れ、襲い来る闘気の奔流から逃れたい気持ちを堪えた。
 桜高の生徒である彼女は恵を絶対領域と言わしめた所以を今まさに自身の肌で感じている。

 滝のように降り注ぐ雨が恵を取り巻く大気に弾かれ、視覚可能なドーム状の領域を作り上げている。
それこそが恵の絶対領域。
踏み込む事すら許されない神聖なる剣聖の境地だ。

恵「なまじ半端な力を持ってる貴女なら分かるでしょう? 私の領域に踏み込む事がどれだけ愚かしい事か」

 外套の少女は何も答えない。
代わりにその小さな肩を震わせ、恵の問いに対する肯定を示す。

恵「……敵を作るのは私としても本意じゃないの。今なら形だけの謝罪もいらない、今日の事は忘れて血みどろな日常に戻れば良いわ」

 血みどろな日常。そう揶揄したのは本心だ。
だが本気でそう思える環境が今はどこか懐かしく、愛しくも思える。
三つ子の魂百までとはよく言ったものだと恵は心中で自虐的に呟いた。

「…………」

 見つめ合う二人の間に一瞬とも、永劫とも思える時間が流れた。
力の責めぎ合いと共に交錯するのは互いの想い。
外套の少女は恵の意志を読み取る事が出来なかったのか、或いは出来ないふりをしたのか。特に反応を示さなかった。

恵「……?」

 だが恵は違った。
積み重ねてきた戦歴から培った経験則から少女の意志を読み取るに、些か不審な点があったからだ。

 桜高の生徒特有のぎらついた闘争本能。
闘いを一種の娯楽として捉えるその気概は本人が意識せずとも仕種や態度に現れる。
だが桜高に所属している筈の外套の少女からはこの闘いを楽しもうとする気概が全く感じられない。

恵「私が……憎いの?」

 訝しく眉を顰める。
外套の少女の未発達の闘気から感じられる意志を一文字で表すとするならば「哀」。
 どうにもならない現実に打ちのめされ、達観する事も出来ずに彷徨い続けた者が織り成す色だった。

 刹那、生まれたのは存在すら疑わしい程の僅かな隙。
大気の澱みからしか認知出来ないその空白の間に外套の少女は動いた。

恵「──っ!」

 速いという言葉で表すのも憚られる程に彼女は速かった。
恵の絶対領域の内部で唯一安全であろう場所、恵の背後に外套の少女は回り込んだ。
振りかぶる拳は固く握られ、一撃必殺の鉄槌となる。
直撃すれば背骨諸共臓器を壊される可能性が高いだろう。
だがその拳が恵に届く事は無かった。

「がっ──!?」

 外套の少女は首筋に走った衝撃に耐えかね、地に膝をついた。
込み上げる吐き気、止まらない手足の震え、そして頭上で冷たい視線を注ぐ恵の瞳。
少女の心をへし折るには充分過ぎる要素がこの場には揃っていた。

恵「死角なんてあると思った? 私が油断したとでも思った?」

 降り注ぐ凌辱の雨に打たれた恵の髪は艶めき、透けた衣服の内側から覗く肢体には他者の心を犯す何かがあった。

恵「甘いわよ」

 刃が振り下ろされる。
不快な鈍痛と脳内に響く殴打の音。
それが外套の少女が意識を手放す前に感じたものだった。





唯「はやく退院したいよ〜」

澪「今ので八回目」

 昼下がりの病室に間延びした声とそれを窘める声が響いた。
ベッドに腰掛ける澪と寝転ぶ唯。かれこれ一時間以上このままの体勢が続いている。

唯「澪ちゃんは学校行かなくていいの?」

澪「良いよ、今日はそんな気分じゃない」

 澪は気怠そうに微笑み、唯はそれを受け止めるように僅かにはにかんだ。

唯「じゃあどんな気分なの?」

 四つん這いに身を乗り出し、上目遣いで澪の目を見つめる。
すると澪も気怠そうな笑みではなく、照れ隠しのようにはにかんだ。

澪「そうだな……。今は何も考えずにずっとこうしてたい。そんな気分かな」

 手櫛で唯の髪をそっと梳くと、唯は人懐っこい子犬のように目を細めた。

唯「えへへ……。みーおちゃん」

 唐突に澪の太股を枕替りにして、腰に手を回す。
腹部に埋めていた顔を上げて何かをねだるようなまなざしを澪に送ると、澪はそっと唯の唇を指でなぞった。

唯「私なんだか、眠たくなってきちゃった……」

澪「寝てていいよ」

唯「何処にも行かない?」

 触れてしまえば壊れてしまいそうなか細い声はふわりと澪の耳に入り込んでゆく。

澪「うん。行かないよ、何処にも」

 たまに髪を触ってみたり、頬を撫でてみたり、唇に触れてみたり。
澪は崇高な美術品を愛でるように唯に触れた。
 自分の膝の上で安らかな寝息を立てる唯の側にいつまでも居たい。
いつまでも愛しく想い続けたい。
そんな思いの裏に見え隠れする感情に澪は眉を顰めた。

澪「人間のふりか……。確かに言い得て妙だな」

 人外と揶揄された自分と人外をその身に宿す唯。
それだけが自分と世界の絆に思えて、そしてそんな自分が情けなく思えて、澪は大きく溜め息を吐いた。





 軽自動車が雨に打たれながら走っている。
ハンドルを握る恵は忙しなく髪を弄ったり、数秒おきにメーターを確認したりと妙に落ち着きが無い様子だった。
 狭い車内の後部座席には先程見えた外套の少女が横たわっており、頭を覆うフード部分は捲られている。

恵「シートびしょ濡れじゃない。渇いた後の匂いが大変なんだからね」

 少女の長い前髪が車の揺れと共に僅かに動くが、返事は無かった。

恵「どうしてこんな事したの? 事と場合によってはオシオキも必要ね」

 恵は妖艶な笑みを浮かべ、流し目で少女を見る。

恵「りっちゃん」

 律は何も答えない。
代わりに二人分の吐息の音だけが車内に篭った。


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最終更新:2013年03月04日 20:31