【第五話】
‐平沢家・朝‐
‐リビング‐
ある休日。平沢家には、ちょっとした危機が訪れていました。
唯「……どうしよう」
憂「どうしよっか……」
この場にいるのは、私と憂の二人だけ。
そして、ちょっとした危機の原因はここにいない人たち。
憂「……お母さんたち、今日の十一時には帰ってくるんだよ。あと一時間だね」
唯「出掛けるのが、明日の六時だっけ?」
憂「そうだね。それまでの間」
唯・憂「梓ちゃんをどこかに隠さなくちゃ!」
私たちは手を取り合い、協力することを約束しました。
【Az-side】
‐外‐
梓「はあ……」
一体、何がどうして、こんな目にあってるというのです。
ポケットに入れられた数枚のお札を触りながら、愚痴ってしまいます。
事の発端は、今日の朝、平沢家に入った一本の電話でした。
その電話を受けている時の、二人の顔には満面の笑みが広がっていました。
梓(それなのに)
電話を切り、私を見た瞬間、その表情が凍りついたではありませんか。
何がどうしてこうなったのでしょう。
梓(で、何故か家を追い出された……)
凍りついた表情をした二人は、私にいくらかのお金を預け、家から私を閉め出しました。
梓(行く当てもないし、困ったよ……)
平沢家に住んで、一ヶ月は過ぎました。
それでも私は、この町に関しては詳しいとは言えません。むしろ疎いと言ってもいいくらいです。
よって、これだけのお金を渡されても、私にはどうしようもないのです。……おや。
梓「あれ、律先輩?」
あのデコ、間違いありません。輝いています。律先輩もこちらに気付きました。
私は小走りで律先輩のもとへ寄って行きました。
律「……梓か。よっ」
梓「どうもです。何してるんですか?」
律「ちょっと暇だったからさ、適当に出掛けようと。梓は何してたんだ?」
梓「暇でも無かったのに追い出されました」
律「あの姉妹から追い出されるって、何やらかしたんだよ」
……その反応は失礼です!撤回するべきです!
まるで私が何かやってしまったせいで、追い出されたように聞こえます!
こっちは理由もなく追い出されたというのに……。
梓(……あれ?)
そういえば、家を追い出される前に何か言われたような。
追い出された理由があったような、無かったような。
梓(まあ、いいや)
天使は寛大なので、これしき問題ありません。
梓「そんなことよりも暇です。一緒に遊びましょう」
律「丁度私も暇だしな、いいよ。早速だけど、梓はゲーセン行ったことあるか?」
ゲーセン?……“源泉(ゲンセン)”と何か、深い関わりがあるのでしょうか。
律「その様子じゃ、知らなそうだな。連れてってやるよ」
梓「はい!」
……ああ、しまった。タオルを持って来ていません。
源泉と深い関わりがありそうなのは確かなので、これは一大事です。
でも、律先輩も特にそういう類いの物は持ってきていなさそうです。タオル等は貸出されるのでしょうか?
【Yi-side】
‐リビング‐
唯「まず梓ちゃんには、しばらく外に行ってもらうように言ったよね?」
憂「うん。ちゃんと理由も説明したよ」
問題は、それをしっかりと梓ちゃんが聞いているかどうかでした。
話を聞いていても、意味を理解しない可能性があるのが怖い。
唯(まあ、大丈夫だよね……)
そうであることを願いたいです。
唯「……でもやっぱり、お母さんたちが帰ってくる度に梓ちゃんを外へ出すのは、
少し可哀想な気がするよ。どうにかして家にずっといられないのかな?」
憂「うーん、それが出来たら一番いいんだけど……。
“梓ちゃんは天使で、家で一緒に暮らすことになりました”なんて、通用しないよ」
唯「だよねえ……」
私たちを悩ませている危機、それは他でもありません。梓ちゃんでした。
発端は一本の電話。その電話はお母さんからでした。
両親が、久しぶりに今日、家に帰ってくるそうなのです。
私たちは喜びました。……梓ちゃんの顔を見るまでは。
唯「放浪中の少女を救った、とか?」
憂「だ、ダメだと思うよ、流石に……」
唯「困ったねえ……」
梓ちゃんはここに住んでいる。それは私たちの間で認知され、許可された事実でした。
しかしこの状況を、両親は何と思うでしょう?……不審でしかありません。
だから私たちはどうにかして、梓ちゃんの身を両親から守らなくてはならないのです。
憂「今は外へ行ってもらってるけど、帰ってきたときが問題だよ。
帰ってくるまでの間に、対処法を考えよ?」
唯「そうだね!」
果たして、良いアイディアを思いつけるでしょうか……?
【Az-side】
‐ゲームセンター‐
騙されました。何が源泉と深い関わりがあるですか。
この空間にあるのは癒しでも、何でもありません。むしろ対極にあるものです。
律「どうした梓?不機嫌そうな顔してるなー」
ええ、自分でもわかるぐらいには。
律「……ああ、初めてだからか。この騒音には慣れてないんだもんな」
梓「こんな煩いだけの場所に、何があるんですか?」
少々不快な気持ちを乗せた声を、律先輩にぶつけてしまいました。
よく考えれば、律先輩は悪くないですね。反省。
しかし律先輩は、そんな私を咎めるわけでもなく、
律「まあまあ、こっち来いって!」
梓「ちょ、ちょっと待ってください!」
おどけた声で、私の手を引くのでした。
……ちょっと恥ずかしいです。いや、そんな羞恥心も多少はありましたが、それよりも、
梓「痛い!痛いですってば!」
ちょっと強く引きすぎです、律先輩!
【Yi-side】
‐玄関‐
唯「お帰り、お母さん!お父さん!」
憂「お帰りなさい!」
唯母・唯父「ただいま!」
ついに帰ってきました。もう慣れたとはいえ、親が家に居ないより居る方がいいのは当たり前。
心の奥底から、幸せな気持ちが一杯溢れ出てきます。
唯(……やっぱり、安心だなあ~)
……ちょっと前にあった、ちょっとした事件。
その事件の結末に、人間の黒い部分が見えてしまって。
私はそれに気付いた、自分の勘の良さを呪いました。
しかし両親の帰宅は、そんなことで疲弊してしまった私の心を癒してくれました。
心に残っていた傷が、徐々に溶けだして、消えてしまうようでした。
唯(でも……)
梓ちゃんは、どうなのでしょう。もし同じように傷ついていたら。
私は梓ちゃんの傷を癒すことが出来るのでしょうか。
唯父「唯?」
唯「えっ、何?」
唯父「どうしたの、暗い顔してるよ。何かあった?」
唯「ううん。何でもないよ!」
……今はそれより、私のこの傷を癒して。
梓ちゃんをどうやってこの家に住まわせるかを考える方が、先決ですよね?
【Az-side】
‐ゲームセンター‐
律「ぬおおおお!!」
梓「甘いですね、律先輩!」
ゲームセンター、面白いです。誰ですか、さっき騙されたとか言ってた人は。
私は天使ですから、例外です。
梓「ふふ、このアイテムボックスの中身で、差をつけてあげますよ!」
律「かかったな?」
梓「な、何がですか!?」
……ああ!アイテムボックスの影にバナナが置いてありました!
私のカートがくるくるくるくる……。次々と後続車に抜かされてしまいました。
律「ゴール、ゴール、ゴール!」
梓「ぬう……なかなかやってくれますね、律先輩」
律「いやいや、梓もなかなかだよ。五回目でそれぐらい出来るなら上出来だって」
ふむ、五回もプレイしてしまいましたか。
さすがに律先輩に勝つことはできませんでしたが、良いレースだったのではないでしょうか。
律「……よし。次はあれだ!」
梓「何ですか、あの小さいコートみたいなのは?」
律「お前ホッケーもやったことないのか?本当に初めてなんだな、こういうとこに来るの」
ホッケー……。お魚のホッケなら知っていますが、多分、違うものでしょう。
私も源泉とゲーセンで、学習しました。
梓「いいですね、やりましょうホッケ!」
律「それは魚じゃね?」
しまった。
【Yi-side】
唯「……」
どうすれば、梓ちゃんを隠すことが出来るか。
また梓ちゃんに空中浮遊してもらい、天井をぶち抜いてもらえばいいのでしょうか。
唯母「唯、一緒にお昼ご飯、食べに行かない?」
唯「うん、行く~」
いやいやいや、そんなことしたらまた怒られます。ダメです。
因みに、もう天井は修復されています。梓ちゃんの天使の力で、一瞬でした。
唯(もう正直に言うしか、方法が見当たらないよー……)
憂「お姉ちゃん?」
唯「ん、どうしたの憂?」
憂「お姉ちゃんこそ。眉間にしわ寄せて」
唯「あー。考え事を、ちょっとね」
眉間にしわを寄せていた私に反して、憂は考えながらも、その様子を外に出すことはありません。
私には残念ながら、そういったことを隠すことは出来ないみたいでした。
唯(梓ちゃんの、天使パワーで何とか出来ないものかな……)
最終的には、それに頼らざるを得ないでしょう。
天井も直せたことですし、今回も天使パワーで上手くやり過ごせればいいのですけど。
【Az-side】
律「かつて、この速さを見破れた者はいなーい!」
梓「ぐっ、やりますね!しかし、見えた!」
律「な、なにぃ!?」
梓「お返しに右カウンターです!」
律「ふ、自分から向きを言うとは、愚かなやつめ!」
梓「それも嘘だとしたら?」
律「フェイント、だと……!」
梓「食らえええ!!」
律「……騙されたことも、嘘だとしたらどうだ?」
梓「フェイントのフェイントだというんですか……!?」
律「最初から左方向は読んでいた!うおおおーーー!」
梓「そ、それは残像です!」
律「んな訳、あるかあああ!」
梓「流石に、これでは騙されませんか!やりますね律先輩!」
律「いや、私にここまで対抗出来たやつはいないよ。梓、お前の強さは称賛に値する」
梓「律先輩……!」
両者の手が、今、固く結ばれました。ホッケーで。
【Yi-side】
‐ファミリーレストラン‐
私たちはあるショッピングモールの中で展開されている、ファミレスに入りました。
ここでお昼ご飯を食べた後、親子水入らずでショッピングを楽しむ予定です。
唯「私、オムライス!」
憂「私は……どうしよう」
唯母「遠慮しないで、どんどん頼んじゃっていいのよ?」
憂「……じゃあ、これとこれとこれ!」
あの憂が、自分の欲にここまで忠実です。こんな憂は久しぶりに見ます。
唯「私も負けてられないよ!というわけで、私もこれとこれ、追加ね!」
唯父「ははは……お手柔らかに、お願いするよ……」
唯母「私も同じぐらい頼もうかしらね」
お母さんの言葉を聞いたお父さんは、どこか侘しそうでした。
というか、お父さんの財布の未来が侘しそうでした。
唯「あと、ドリンクバーも忘れずにね!」
……私はそんなお父さん(の財布)を見ないフリをすることにしました。
【Az-side】
‐ゲームセンター‐
律「最後は、これで対決だ」
梓「太鼓ですか……」
このゲームは、太鼓をリズムよく叩くゲームだそうです。
って、これでは普段から太鼓を叩いてる律先輩が有利じゃないですか!
律「太鼓じゃねえ」
失礼しました。
律「それに、実際やってみると違うんだよな~」
ふむ。ゲームと実際にやるのとでは、大きな違いがあるそうです。
それならば、私にも勝ち目があるのではないでしょうか。
梓「わかりました。やりましょう!」
律「おっ、乗ってきたな?じゃあ、曲はこれだ!」
目の前に表示された曲。その曲名の横に、難易度が書かれていました。
成る程、これを見て自分の実力にピッタリな……えっ。
梓「……律先輩。これ、難しすぎません?」
律「そうだな」
梓「まさか、律先輩、これ極めてたりします?」
律「……どうだろうなー」
怪しい。怪しすぎます。
律「まあ、やってみなくちゃわかんないじゃん?」
うわこれ、絶対騙されたー!
* * *
梓「……」
律「アイム、ウィナ~!」
無理でした。開始三秒で白旗を用意してもいいぐらいに、無理でした。二秒だったかもしれません。
梓「むう~」
律「ごめんごめん、悪かったって。お詫びにアレ取ってやるよ」
そう言って律先輩が指差した先にあるのは……、何でしょうアレは。
機械が下に降りて、物を掴んでいます。あっ、落としました。プレイ中だと思われる人が、悔しがってます。
律「UFOキャッチャー、実は得意なんだよね」
と言って、律先輩は得意げな顔をしました。
そうか、あれはUFOキャッチャーというのですね。多分下に降りる機械が“UFO”で、
そのUFOが“キャッチ”するから、その名前がついたのでしょう。成る程、単純明快です。
梓「得意なんですか……。それなら、あれは取れますか?」
得意と言ったからには、取ってもらいたいものがありました。
それは持ち運びも面倒になりそうなぐらいに大きい、亀のぬいぐるみでした。
律「……あ、あれねー。ようし、任せろー」
律先輩、顔色が優れません。どうしたのでしょう。
【Yi-side】
‐ショッピングモール‐
唯「ふふふ~ん」
ご機嫌です。何故か?
お腹一杯満足に食べただけでなく、久しぶりに両親との会話を楽しめたからに決まってます。
これは、何にも代え難い幸せなのではないでしょうか。
憂「お姉ちゃん、はしゃぎ過ぎだよ~」
おっと、思わずスキップしていました。
唯母「それだけ楽しんでいるなら、私たちも幸せよ」
唯父「そうだね。あんまり長居出来ないから、これぐらいのことしか出来ないけど……」
唯「ううん!私ね、お母さんにもお父さんにも感謝してるよ!」
憂「わ、私もだよ!」
申し訳なく思う必要なんて、どこにあるのでしょう。全くありませんよね。
唯「……あれ?」
携帯が鳴っています。メールではなく、電話です。
唯「ちょっとゴメンね」
ピッ。
唯「はい、もしもし~」
律『唯、今大丈夫かー?』
唯「うん、どうしたの?」
律『お前んとこの、梓のことなんだけど』
ああ、梓ちゃん自身のこと、すっかり忘れてました。
そういえば、どこに行ったのでしょう。
律『ちょっと困ったリクエストを貰ってな……。今、苦戦中なんだ』
唯「困ったリクエスト?」
律『取れそうもない商品を取らせようとしている』
恐らくUFOキャッチャーか、何かの話でしょう。……というか。
唯「一緒にいるの!?」
律『わっ!いきなり大きな声出すな!』
唯「ごめんごめん。それで、梓ちゃんはいつから一緒にいるの?」
律『正確な時間はわかんねえけど、十二時前ぐらいじゃないかなあ』
私たちが梓ちゃんを追い出してすぐ、りっちゃんと合流したということでしょう。
梓ちゃんもそれなりに楽しんでいるようで、安心しました。
唯「そっかー。ゴメンね、梓ちゃんが迷惑かけてるみたいで」
律『いやいや、こっちも暇だったし、丁度よかったよ』
唯「それなら良かった。じゃあね~」
律『おう、じゃあな~』
ピッ。
携帯を切ると、憂が“梓ちゃん”という言葉に反応してか、何を話したのか聞いてきました。
一応、私がわかる範囲で全てを教えたら、憂が何かを閃いた顔をしました。
憂「律さんの家に泊めてもらうとか、どうかな?」
唯「おお!それなら自然に梓ちゃんのことを隠せるね!」
憂「えへへ……。でも、律さんに迷惑かけちゃうよね、やっぱり」
唯「うーん、聞いてみるよ」
私が電話帳でりっちゃんの番号を探していると、
唯「あれ、りっちゃん?」
なんと向こうから電話がかかってきました。以心伝心です。
唯「もしもしりっちゃん?」
律『お前、私の用件聞いてたか?』
唯「えっ?」
【Az-side】
‐ゲームセンター‐
律先輩が、少し用事があると外へ出て行ってしまいました。
電話をするみたいです。確かに、これだけの騒音の中では、電話は出来ないでしょう。
梓「暇だなあ」
私のポケットには、憂から貰ったお金の残りが。それも、僅か三百円。
目の前には、私が欲しいぬいぐるみ。それを取るためのUFO。
梓「……やるしか、無いですよね」
でも、どうやれば取れるのでしょう?操作方法などは見てたので、わかります。
(律先輩はかれこれ七回ぐらいやってました。全部落としましたが、全て準備運動だと言ってました)
梓「うーん……」
?「あのー」
梓「はいっ!?」
急に話しかけられたせいか、声が裏返ってしまいました。
自分の声に驚きそうです。
?「これが取りたいの?」
梓「あっ、はい。この亀のぬいぐるみを」
?「ふーん……。こいつ亀のくせに、なかなか取りにくそうだね」
そう言って、機械の前で唸る少女。
どこかで見た気がしますが、一体どこだったでしょうか。
梓「あの……」
?「二百円」
はい?
?「二百円、ちょうだい。それで取ったげる」
まさかこれが噂に聞く、“詐欺”ではないでしょうか。
少なくとも“オレオレ詐欺”という手口では無いようですが、怪しいです……。
?「信用してないのー?ほら、大丈夫だって。腕には自信があるし」
……そこまで言うのなら、信用してみましょう。天使たるもの、人間の言うことを信じなくては。
因みに、このUFOキャッチャーは一回のプレイに二百円が必要なので、チャンスは一度きりです。
つまり。
梓「準備運動の代金まではありませんよ」
?「……何言ってんの?」
最終更新:2013年03月16日 21:23