* * *


 あっという間でした。一回。
 僅か一回で、その巨大な亀のぬいぐるみは、穴に吸い込まれていきました。


?「ほら、これ」


 巨大な亀のぬいぐるみが、私に投げられました。
 ふかふかで抱き締めていると、気持ちよくて眠りそうになります。


?「寝ちゃダメだよー?」

梓「はっ!」


 危ない。


梓「えっと、どうもありがとうございました!」

?「どういたしまして。それじゃ、私は行くね。……えーと、名前は?」

梓「アズサエ……いえ。梓です」


 私が名乗ると、その人は腕を組み、何かを考えだしました。
 いえ、あれは思い出しているのでしょうか。……何を?


梓「あの……」


 考えていたのも、ほんの少しの間だけ。
 すぐにその人の顔はぱっと明るくなり、私と目を合わせてきました。


?「そっか」


 その人は、くすっと笑い……、とびきりの笑顔を見せてきました。


?「ついでに私の名前も教えておこうかな」


 そう言って、その人は、コホン、とわざとらしい咳払いをしました。


純「私は鈴木純。名乗るときはフルネームが基本だよ、中野梓ちゃん」


 そう言い残し……、その鈴木純と名乗った少女は、ゲームセンターから出て行きました。
 その際、背中を向けたままに手を振ってきたので、一応こちらも振り返しておきました。……あれ?


梓(……私、フルネーム名乗ってないよね?)


 偽名ではありますが。


梓(あの人、何だったんだろう……)


 鈴木純。気になる人物が、登場してしまいました。
 とはいえ、この亀を取ってくれたことには感謝しなくてはなりません。


梓「ありがとう、鈴木」

梓(……早速、律先輩に報告しなくちゃ)


 私は外で電話する律先輩のもとへ走りだしました。



 【Yi-side】


 ‐ショッピングモール‐


唯「うん、そうなんだよ~」

律『全く、仕方ないな……』


 私は憂とジェスチャーで会話しながら、電話中にも作戦を考えていました。
 そして、その作戦が今実行されようとしています。……名付けて、偽装喧嘩作戦!

 梓ちゃんと喧嘩したことに見せかけて、りっちゃんの家に梓ちゃんを泊めてもらう。
 非常に迷惑な作戦ではありますが、梓ちゃんを守るためには手段を選びません。


律『今日一日だけだぞ?』


 そして、それはついに成功をおさめようとしています。私の演技力の成果です。
 もし、私のクラスが桜高祭で演劇をやることになったら、私主役に抜擢されちゃいますね。


憂「お姉ちゃん、良い調子!」


 横で憂も、小さな声ではありますが、ハッキリと応援してくれています。頑張るよ、私!


唯「ゴメンね~、本当に~」

律『いいって。それより、こっちの問題を解決してくれないか?』


 あっ、そういえば。確か無理難題を押し付けられたとか、何とか。


律『絶対あんなの取れな……おっ、梓が来た』


 梓ちゃんが来たようです。チャンスです。
 梓ちゃんに電話を代わるように伝え、そこで口裏を合わせれば……


律『……なんだって……』


 おや?


律『梓、どうやって取ったんだ!?』

律『なに~?頭にボンボンを二つ付けたやつが、取ってくれた~?』

律『そいつ、かなりの実力者だぞ!良かったな!』


 私も含めて。と、りっちゃんが小さな声で言っていたのは、黙っておきましょう。
 実は、お財布が侘しかったのかもしれませんね。


律『そのぬいぐるみ、どうするんだ?寝るときにでも抱くのか?』

律『えっ、唯にあげる?』


 えっ。


律『普段の感謝の気持ち……って、ちょっと待ってろ』

律『どういうことだ、唯?』


 しまった。タイミングが悪いです、梓ちゃん。
 憂に助けを求めるジェスチャーを送りますが、打つ手なしのジェスチャーを返されました。
 もはや、これまででした。


唯「あ、あー……。きっと梓ちゃん、私と仲直りしたいんだよねー。
 というわけで、今日りっちゃんの家に泊めるっていうお話は無しで!」

律『なるほど、そういうことか。まっ、仲の良いことは良いこった。じゃあな』

唯「うん、ばいばい~」


 ピッ。


唯「……」

憂「……お姉ちゃん。次の作戦、考えよう?」


 ……どうすりゃいいのでしょう!



 【Az-side】


律「えっ、喧嘩なんか元々してない?」

梓「はい」


 急に律先輩がよくわからないことを言い始めました。
 私と唯先輩が喧嘩を?……どうして?


梓「まあ、何かの間違いかもしれませんし、私が間違えてるかもしれません」

律「よくわかんねえな~……。まあ、いいか。これからどこ行くよ?」

梓「お昼ご飯食べてませんよね、私たち」

律「そういえばそうだな。よし、じゃあハンバーガーでも食って、ぱぱっと終わらせるか!」

梓「はい、そうですね!」


 あっ。お金、もう殆ど残ってない。……足りるのでしょうか。



 ‐MAXバーガー‐


 足りませんでした。ごめんなさい、律先輩。


律「いいって、これぐらい。後で返してもらえれば」


 私もピンチだからな、と律先輩は笑って付け足しました。


梓「律先輩って、優しい先輩ですよね」

律「な、何だよ、いきなり!?」


 あっ、赤くなった。律先輩はリアクションが大きくて、面白い。


梓「いえ、軽音部の先輩方は皆さん優しいですね」

梓「ですから律先輩は……面白い人?」

律「それ褒めてんのか?」


 ふむ。どうやら失礼な意味に聞こえたみたいです。
 最近、察しが良くなってきた気がします、天使の中野梓です。


梓「はい。律先輩は面白いですよ」

梓「今日だって、私の知らない場所に一杯連れて行ってくれましたし。
 おかげでとても楽しい時間を過ごせました」

律「いや、別に狙ってやったことでもないしさ……」

梓「いえ。律先輩は常にそういう人でした」


 おっと、私が観察していたことは伏せておかなくては。
 それが唯先輩との約束ですから。


律「常にって、お前、それどういう」

梓「気にしないでください」

律「いや、だって」

梓「気にしないでください」


 前に座る律先輩に、顔を近づけて。
 こうすれば迫力が出て、相手も引いてくれると、唯先輩で実証済みです。


律「……わかった、わかった。気にしない」


 助かりました。



梓「それでですね、律先輩」

律「ん?」


 律先輩を言い当てるような言葉を、私は必死に探しました。
 この人がどういう人なのか。観察してきて、大体、わかっていますから。
 えーと、つまりは。ですから……。

 ……私、知っている言葉が少なすぎます!


梓(あっ)


 何とか、見つけました。


梓「……律先輩は、“開拓者”です!」

律「えっ?」


 律先輩は、その言葉の意味がよくわかっていないようでした。


梓「つまりですね、律先輩。あなたという人は、常に新しい領域を切り開く人間なんです」


 私は、それを口火に次々と話を展開させていきました。
 例えば、今日。律先輩は私の知らない、楽しい世界を切り開いてくれました。
 律先輩が切り開かなければ、私はその楽しみに、二度と出会えなかったでしょう。

 きっと、あの澪先輩に一緒に音楽をするきっかけを与えたのも、律先輩ではないですか。
 ムギ先輩も唯先輩も、恐らく律先輩がいなくては、今の軽音部にいません。
 律先輩は知らぬうちに、人や、それの集まりの新しい道を開拓してるんです。

 軽音部外部との人間関係だって、そうなんじゃないですか?
 例えば、あの和先輩と軽音部の繋がりは、唯先輩だけが原因ではないような気がします。

 とはいえ、それは自分自身が満足する環境を作るためであることが多いですね。
 提案や行動を積極的にし、自分に合った環境を開拓する人といえば、わかりやすいでしょうか。
 ……このように言ってしまうと、律先輩は自己中心的な人間だと言っているように聞こえてしまいますね。
 が、それだけではないことも私は知っています。

 律先輩が作り出した環境は、最後には全員納得の答えが得られる環境なのですから。
 私は知っています。そこにいる人が、皆が笑顔であることを。


梓「私も含めて、ですよ?」


 あっ、当然、失敗もあると思います。

 確かに律先輩は澪先輩やムギ先輩に比べて、頭が良いわけでもありません。
 ですから、そこはバランスでしょう。律先輩が次に向かう世界を切り開く。
 そこで頭の良い二人が調和をとる。唯先輩は、多分、突飛なアイディアを出しています。

 そうやって一つの運動体として、軽音部が機能している。
 それはとても素晴らしいことだと思います。
 その中でも律先輩は次のステップを提示しているという点で、大変大きな役割を担っていると思うんです。
 きっとこれからも、開拓者としての役割を担っていくことでしょう。


梓「ただ、それなりに重要な立ち居地にいながら、
 律先輩は好奇心とか探究心を暴走させているだけなんですよね」

梓「だから面白いんですよ、律先輩は」


 もう一つ加えると、律先輩は部員を鼓舞する部長としての役割も担っていますね。
 先程は開拓者と言いましたが、もう一つ違う言い方をするなら、律先輩は軽音部の“エンジン”でしょうか。
 ……エンジントラブルとかも多そうですけどね。


梓「どうでしょう?」

律「……」



 私が話を終えると、律先輩はテーブルに突っ伏してしまいました。


梓「律先輩、どうしました?」

律「……梓」


 律先輩は突っ伏したままです。


律「お前、まるで一年の私たちを見て来たような言い方だったな……」


 はっ!?
 ……やってしまいました。


梓「き、気のせいですよ!」

律「ま、それはいいんだけどよー」

律「……あーあ、何か恥ずかしいわー」


 恥ずかしい?何故でしょう。


律「そんな後輩から思われてたことも恥ずかしいし」

律「……変な勘違いしてた自分も恥ずかしい」

梓「変な勘違い?」

律「んー、まあなー」


 律先輩は相変わらず顔をテーブルに伏せたまま、話しました。


律「この前の、園芸部の事件あっただろ?」

梓「はい」

律「あの時、私ってだらしないなーって思ったんだ」


 えっ……?


律「だって、あの唯でさえ違和感に気付いたんだぜ?
 それなのに、私ときたら……、何も気づけない、何も活躍できない」

律「後輩の気にする事件を解決に導く役割、一つも担っちゃいない」


 その語調は、いつもの律先輩とかけ離れ、弱々しいものでした。
 本当に、心の底から悩んでいたようです。


律「だから一番に登校者リストを見たのにさ」


 あの日、登校者リストを前にした律先輩は、確かにテンションが必要以上に高かった気がします。
 自分が活躍しなくてはいけない、という心情の表れなのでしょう。

 ですが、


律「あれじゃ誰が見ても一目瞭然」


 そのリストにあった団体名は三つ。あからさまといえば、あからさまでした。
 そういえば、最後まで生徒会を容疑者から外すのを渋っていたのは律先輩だったと、思い出しました。


律「私、部長だなんだって、後輩に一番威張ってたような気がするのに、
 先輩らしい活躍を何も出来てないんだよ……」

律「それでさ。これじゃ、後輩になんて思われてんだろうなって、不安でな」


 私は気付きました。律先輩が、今日一日、どうして私の面倒を見ていたのか。
 きっと先輩らしさを見せたかったのです。……そんな必要、無いというのに。


梓「律先輩は、立派な先輩です」

律「……本当?」

梓「はい。私を校門で軽音部に誘ったのも、律先輩ですよ?」

律「そうか?……そうだったかもなー」


 相変わらず、律先輩は顔を上げてはくれませんでした。


律「……うん、やっぱり悔しかったんだ。皆があれだけ活躍してるのに、って思うと」

梓「嫉妬ですか」

律「嫉妬か……」


 自ら嫉妬という感情を持っていた、など人に話すのは渋るのは当然です。
 律先輩は、その弱々しい声すら消してしまいました。

 しかし、しばらく私が何も言わずに待っていると、やっと律先輩は話を再開してくれました。


律「……自分に無いものを相手が持っていて、それを羨むっていうのが、嫉妬なら」


 素直に認めたくない、そんな意志が見えました。当然でしょう。
 私はそれに誠意を持って、答えました。


梓「そうですね、それは嫉妬かもしれません」


 律先輩はゆっくりと、顔を上げました。
 その顔は普段のおどけた表情とは違う、真剣さが漂っていました。

 ……次に律先輩が投げかけた質問は、私の体中を走りました。


律「梓。嫉妬は、いけないことか?」


 …………。


梓(答えは決まっている。けれど……)


 ……律先輩は強く、そして優しく問いました。
 その姿を見て、私は何か新しい視点を持つ必要を感じざるをえませんでした。

 だから私は……この機会を、正しく活かそうとするだけでした。


梓「まさか。無いことの方が、罪です」


 嫉妬は、きっと未熟さを自覚する意味もあるのです。
 それは向上する材料になります。……これが、私の新しい視点。正しい答え。


梓「……」


 人間は想像以上に曖昧。だから全ての物事に関しては、二面性を疑う必要がある。
 ……そう、私はここに来てから学びました。

 ですから、嫉妬にも二面性はあるのだと、私は考えます。


律「……ハッキリ言ってくれるじゃん。ありがとな、梓」

梓「いえ……」


 天使が、“嫉妬は罪ではない”と言うなんて。
 ……本当に私も、遠い所まで来てしまったようですね。



 ‐外‐


 あの後、色々と雑談を楽しんでいたら、思った以上に時間が過ぎていました。
 そこで私が帰ることを提案したら、


律「よし、送ってってやる」


 ということでしたので、お言葉に甘えさせていただくことにしました。


梓「律先輩」

律「何だ?」

梓「今日は、ありがとうございました」

律「そりゃこっちの台詞だ」


 私は、助けになったのでしょうか。
 そうだとすれば、天使として、立派なことをしたものです。


 * * *


梓「あの、ここまでで結構です」

律「そうか?……じゃ、また部活でな」

梓「はい!では、さようならです!」

律「ちゃんと休み中も練習しろよー!」


 律先輩に言われたくありません!と言いたかったのですが、やめました。
 ……今はあの先輩に、敬礼です。


梓「……。よし、帰ろう」


 今日は楽しかった。さあ、唯先輩にこの話を報告しなくては!



 【Yi-side】


 ‐外‐


 今日一日、私たちは両親と。梓ちゃんはりっちゃんと。
 それぞれが楽しめた、とても良い日だったのではないでしょうか。

 そんなお出掛けも終わり、私たちは帰路についていました。


唯母「今日は楽しかった?」

唯・憂「うん!」


 当然です!


憂「今日は楽しかったね、お姉ちゃん」

唯「うん、そうだね~」


 さて。何か、忘れているような気がするのですが。


唯「あっ」


 ……梓ちゃんを隠す方法を、何も考えていないではありませんか!
 憂もそのことに気付いたようで、笑顔が引きつってきました。


憂「ど、どうしよっか~……」

唯「う、うーん……そうだねえ……」


 あー、しまった。すっかり忘れてた。
 家につくまで、そう時間はかかりません。どうしましょう。


唯「そうだ!私が先に帰って、何とかするよ!」

憂「何とかって、どうするの?」

唯「何とかはなんとかだよ!」

憂「うーん……。じゃあ、お姉ちゃん、お願い!」


 特に何も考えてませんが、姉として頼りない姿を妹に見せるわけにはいきません。
 私は全力で、自宅へ駆け出しました。



 ‐平沢家‐

 ‐玄関‐


 玄関をチェックします。梓ちゃんの靴を確認。梓ちゃんは家にいるようです。
 私はその靴を持ち、自分の部屋に向かいました。梓ちゃんは大体、そこにいます。


唯「梓ちゃん、帰ってるんだよね……」


 また外に出すのは忍びないのですが、最悪そうなるかもしれません。


 ‐唯の部屋‐


唯「梓ちゃん!」


 思い切り扉を開け、そこにいるはずの人……、
 いえ、天使の名前を呼びました。

 しかし。


 「にゃあ」


 ……にゃあ?


猫「にゃあ」

唯「ね、猫!?」


 猫です。猫が何故か、家に忍びこんでいます。
 梓ちゃんが誤って入れたのでしょうか。


唯「とりあえず、梓ちゃんを探さなくちゃ……」


 しかし今は猫に気を遣っている暇はありません。
 早く梓ちゃんを見つけて、何とか対処しなくては。


猫「唯先輩、私です」


 ……えっ?


猫「どうも。中野梓です」


 えええーーー!?


唯「あ、あ、梓ちゃん?」

猫「はい」


 どうしてそんな姿に……。いや、これはかえって好都合!


唯「梓ちゃん!お願いがあるんだけど、今日一日はその姿でいてくれないかな!」

猫「どうしてですか?」


 どうしても!


猫「ふむ」

猫「わかりました。きっと深刻な問題なのでしょう」

唯「ありがとー……」


 一安心しました。これで、危機は去ったのですから。


 * * *


 夜。両親との楽しい時間も終わり、皆が寝静まる時間。
 憂も自分の部屋で寝ているでしょうが、私は梓ちゃんと一緒に起きていました。


唯「ありがと。もう元の姿に戻っていいよ」

猫「いえ」


 梓ちゃんはそっと歩き出し、ベッドに座っている私の膝の上にぴょんっと跳んで、乗ってきました。
 そこから私の顔を見上げて、


猫「これが私の元の姿です」


 ……とんでもないことを言い出しました。


唯「えっ?」

猫「あっ、少し足りませんでしたね。これに羽がつきます」


 つまり私が初めから見ていた梓ちゃんは、実は造られた姿ということ。

 どうして人間の姿をしていた現れたのか、何となく理由はわかります。
 梓ちゃんは、人間を勉強するために、人間界に来ました。
 だから、人間の姿をした。そういう単純な話でしょう。


唯「成る程、だからあずにゃんか……」


 最初、この子は自分のことを“あずにゃん”と呼んでもいいと言っていました。
 一体なにが“にゃん”なのか、あの時は分からなかったものでしたが。


猫「どうです?今からでも、あずにゃんと呼んでみます?」

唯「うーん、どうしよっかな~」


 あずにゃん、というのもなかなか可愛い呼び名です。
 今のこの子に、ピッタリな名前ともいえるのではないでしょうか。


唯「……あーずにゃん」

猫「何ですか?」


 適応早いね。


猫「天使ですので」


 何それ。……ふふっ。


唯「ふふ、あはは!」

猫「ふふふっ!」


 何ででしょう。笑いが込み上げてきて、それを抑えることが出来ません。



猫「唯先輩!」

唯「なーに、あずにゃん」

猫「安心しました」

唯「えっ?」

猫「もう絶対、自分を貶めようとしないでくださいね?」


 きっと、あの事件以降の私を言っているのでしょう。
 あの事件の結末は、私に想像以上のダメージを与えました。

 そのせいで、しばらく調子が悪かったのは事実です。
 ですが、周りに迷惑をかけるわけにもいかないので、それは上手く隠していた……つもりでした。


猫「自分の勘を呪うなんて、ダメです。唯先輩言ったじゃないですか。
 “人の立場を必要以上に揺るがすべきではない”って」

猫「その“人”というのは、他の人から見た“自分”でもあることを忘れてはいけません!」


 まさか梓ちゃん……いや、あずにゃんに叱られる日が来るとは。
 そしてその言葉に、納得させられるとは……。思いもしませんでした。


猫「それに勘というのも、役に立つものですよ。ただ悪者にするには、勿体無い気がします」

梓「今だって、唯先輩の抱え込んだ自責の念に気づくことが出来たんですから!」

唯「……ふふ、そうだね」


 私は微笑みながら、あずにゃんの頭をそっと撫でました。


唯「ところで、今日はりっちゃんと何やってたの?」

猫「はい!今日は色々話したいことがあります!」


 私が聞くと、梓ちゃんは今日あった出来事を嬉々と話し始めました。
 その様子を見ているだけで、私は幸せな気持ちにゆっくりと浸っていくのでした……。


唯(梓ちゃん。……ありがとう)


 ―――私は、考えました。

 他人が悪いことをしたら注意することは、正しくて。
 自分が悪いことをしたら反省することも、正しくて。 

 もう一つ、考えました。

 他人が反省していたら、もういいよ、って言えて。
 自分が反省していたら、もういいよ、って言えるのでしょうか?

 十分に、悲しんでいても、困っていても、自分には言い難い言葉。
 それは甘えでも、なんでもない。なら、何故言えないのでしょう。
 こんな言葉を自分に言うこと自体、間違っているから?

 いいえ。

 間違っているはずが、ありません。
 だから私たちは、二度とそれを忘れぬよう、再認識しなくてはいけません。



唯「これが、見知らぬ誰かさんが取ってくれた、亀のぬいぐるみ?」

梓「はい!」



 ……“自分”は、他の人から見た一人の“人”でもあると。自分の視点を、一つに絞ってはいけないのだと。



第五話「鏡映し、見える自分」‐完‐


―――第六話に続く


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最終更新:2013年03月16日 21:23