【第六話】
-音楽準備室-
光陰矢のごとし、とはいいますが、実体験として言わせてもらいますと、
それは忙しかったり、楽しかったり、時間の密度が高い時だけだと思います。
そして、私たち軽音部は特に忙しいことなどあまりありませんが、
楽しいという点においては密度が高いために、時間はあっという間に過ぎていきます。
まさしく光陰矢のごとし。……ただ、こういった雨の日は別の問題です。
唯「雨、止まないねえ」
澪「そうだな……」
六月に入り、雨の日の頻度は先月とは比べ物にならないほどに。
そんな時期だというのに、私は傘を忘れてしまいました。
こんな季節に忘れるなんて馬鹿だな、とりっちゃんにからかわれてしまいました。
……が、なんと澪ちゃんも傘を忘れていたのです。
りっちゃんが頭を殴られたのは、言うまでもありません。
因みにあずにゃんと憂は、先に授業が終わり、雨が降る前に帰っていきました。
キミたちには、ラッキーガールの称号を与えましょう。
唯「……」
澪「……」
世の中には、“傘忘れちゃったから入れさせて?”……という甘い台詞もあります。
実際にそんなシーンを見たことはありませんが、まあこの広い世の中、誰かがしていることでしょう。
ただ、私たちにそのシーンを再現する選択肢はありませんでした。何故なら。
唯「……凄く、なんていうか」
唯「豪雨だよね」
澪「豪雨だな」
豪雨だからです。
* * *
豪雨が訪れたのは、およそ二十分ほど前。
それまでは雲一つない、とまではいきませんが、雨の降る様子は殆どありませんでした。
そう、つまりこいつは、ゲリラ豪雨というやつなのです。
唯「ゲリラ豪雨なら、すぐに過ぎるし、大丈夫だよね~」
澪「ああ、そうだな。もう少し雨宿りしていよう」
ゲリラ豪雨。この豪雨の中で、仲良く相合傘なんてやってられません。
どうせなら止むのを待っていた方が楽です。
ということで、止むのを待っているのですが。
唯「……なかなか、止んでくれないけどね」
澪「ああ、そうなんだよな……」
時間の経過が、とても遅いのです。
澪ちゃんと会話が弾まないとか、そういうわけではありません。
ただ、豪雨が窓にばちばちと吹き付けている中、
二人ぼっちでは広すぎるこの空間に閉じ込められているという事態が、
時間の流れをじれったく感じさせているのです。
“光陰矢のごとし”じゃなくて、“豪雨は亀のごとし”といったところでしょうか。
澪「練習するか……っていっても、唯はお茶やお菓子無しじゃ辛いだろうしなあ」
面目ない……。
澪「……あっ、そうだ。これは聞いた?」
何を?
澪「例の園芸部の事件で、生徒会が動いたんだ。
特別支援として、園芸部の部費が足されたらしい」
唯「ってことは、皆で払った代金は元に戻ったってこと?」
澪「だろうな」
……複雑な気持ちです。
澪「どうした、唯。元気ないな」
あの事件のトラウマは克服しました。
かといって、その内容までを人に話す気はしません。
唯「何でもないよ~」
……でも、そっか。
多分、私たちが和ちゃんに色々と頼んだから、それで。
和ちゃんは凄いよね、本当。
頼りになるし、カッコいいし、立派。それで何でも出来て。
澪「……ふふっ。唯って、本当に和のこと好きだよな」
唯「え?」
澪「隠してるつもりなら、残念。顔に出てるよ」
と、微笑みながら言われました。一体、私はどんな顔をしてたんでしょう。
唯「……えへへ~、わかっちゃう~?」
澪「ああ、わかるよ。これでも一年以上の付き合いだからな」
唯「うんうん、そうだよね!」
……澪ちゃんとも、りっちゃんともムギちゃんとも、もう一年以上の付き合いなんだよね。
本当、皆がお互いのこと、良くわかってると思います。
澪「そうか、やっと一年以上になるのか……」
澪「……まあ、そうだよな」
そう言うと、澪ちゃんは立ちあがり、
澪「ちょっとお手洗いに行ってくる」
唯「ん、行ってらっしゃーい」
特に急ぐ様子も無く、部室をあとにしました。余裕をもって行ったのかな?
唯「ふう~」
いつもなら、このテーブルの上にはお菓子やお茶が広がっています。
しかし今日はそれが無いので、テーブルの上は広くスペースが空いていました。
唯(……今なら、両手を大きく開いたまま机に突っ伏しても寝れるのかな?)
斬新な発想です。こんな寝方、まず誰もしようとはしないでしょう。
しかし私は、人目がないことをいいことに、それを行いました。
* * *
―――あのー。失礼しますー。
―――寝てる、のかな。
―――ちょっと困っちゃいますよー。起きてー。
唯「ん……」
いつの間にか、本当に寝ていたようです。
例の体勢が出来るか否かを確認したかっただけなのに。
唯「……ん?」
そしていつの間にか、部室にもう一人の人がいました。
普通ならそれは澪ちゃんなのでしょう。ですが、違いました。見知らぬ人でした。
?「あのー」
唯「……う、うわっ!?」
突然の来訪者に驚く私と、驚いた声に驚かされた来訪者。
唯「誰!?もしかして、不審者!?」
それは失礼か。見知らぬ来訪者を不審者扱いするのは、あの時と同じ悪い癖です。
?「い、いえ。私は園芸部ですー」
唯「園芸部さん?」
何だか、また厄介ごとを持ち込まれる予感がしました。
あの時勝手に首を突っ込んだのは、こちら側なんですが。
園芸部員B「あのー、この度はどうもありがとうございましたー」
園芸部員B「実は私ですねー。塵取りで遊んでいた、もう一人の方ですー」
塵取りテニス。確かに、その遊びは二人以上の人数が必要でしょう。
では、この人がもう一人の……?
きりきりと、胃が痛み始めました。
唯「それで、この度はどんなご用件で?」
出来るだけ他人行儀に、私は言いました。
園芸部員B「はい、実はですねー。もう一人の部員と一緒に、謝罪とお礼の印として、あれを買いましたー」
指差された方向を見てみると、部屋の角に置かれた棚の上に、花瓶がありました。
中には同じ種類と思われる花が五輪。
唯「あれを私たちに?」
園芸部員B「えー、そうですねー」
なんだ、そういうことか。
それがわかった途端、私の胃の痛みは少しずつ無くなっていきました。
そうして痛みが完全に消えた頃、お手洗いに行っていた澪ちゃんが部室に戻ってきました。
澪「唯、そろそろ雨が止みそ……って、誰?」
園芸部員B「あー、私ですかー?園芸部員ですー」
その間延びした喋り方が、澪ちゃんは気に入らないのでしょうか。
澪ちゃんは顔を強張らせ、元々ツリ目がちの目も、普段より鋭さを増していました。
……怒っている?
澪「……何か、用ですか?」
唯「あ、あのね!謝罪とお礼を兼ねて、お花をくれたんだよ!」
棚上に置かれた花瓶を指差しながら、私は言いました。
どこから澪ちゃんの怒りが湧いているのか。
それがわからない以上、まずは原因探しより宥める方が先でしょう。
澪「……そうか」
澪「ありがとうね、“園芸部員”さん」
園芸部員、という言葉を強調していたような気がしました。
……どうしてその部分を?
園芸部員B「いえいえー。ではではー」
そんなこと気にせず、園芸部員さんは自分のペースを保ったまま部室を出て行きました。
澪ちゃんはその姿を見届けると、いつもの表情……よりも優しい、柔らかい表情になっていました。
さっきまでの表情は、一体なんだったのでしょう。
澪「ふう……わざわざ、そんなことしなくたっていいのにな」
唯「そうだね、悪いことしちゃったねえ」
澪ちゃんは目を逸らし、花の方を見ました。
……そういえば、何という名前の花なんだろう。
唯「澪ちゃん、あれってなんていう花?」
澪「何だ知らないのか。マーガレットって知らないか?」
あっ、聞き覚えがあります。
確か何かに使うので有名だったような気が……なんでしょう。
唯「そっか~、これがマーガレットっていうんだ~」
澪「有名な花だよ。……そんなことより」
澪ちゃんは窓の外を指差し、
澪「もうすっかり晴れた。帰ろうか」
唯「うん!」
さっきまでの雨が嘘のような天気が窓の外には広がっていました。信じられません。
私は嬉しくなって、澪ちゃんの腕を引き、急いで外へ行こうとしました。
その時の澪ちゃんの顔が面白いものでした。
驚いた顔の次に、顔を赤くしたとしたと思ったら、照れ隠しにも見える笑顔を見せて、
次々と表情を変えていったのです。
唯「澪ちゃん、面白い!」
澪「お、面白い!?」
次は、焦る澪ちゃん。オモロイです。
私はスッと心が軽くなって、一緒に軽くなった足で走りだしました。
さっきまでの苦しみが嘘みたいでした。
私は、ただ前を向いて走っていればいい……そんな気さえもしました。
澪「……」
だから、あまり気にも留められなったのでしょうか。
……澪ちゃんが、視線だけを後ろの花瓶に向けていたことに。
-外-
帰り道。澪ちゃんと談笑しながら歩いていると、もう家の前でした。
唯「ここまで来てくれて、ありがとうね」
澪ちゃんの家は、ここから決して近いわけではありません。
悪いことをした気がします。
澪「いや、いいんだ。話してて楽しかったし」
唯「ホント?そう言ってくれると、嬉しいな~」
澪「本当だよ、唯。……唯と話してると、楽しい」
唯「でへへ、照れちゃいますねえ」
そこまで言われると、流石の私でも照れちゃいます。
澪「そういえば、梓もこの家にいるんだっけ?」
唯「うん!」
あずにゃんは、私の遠い親戚ということで部内では通しています。
まだ天使であることはバレていません。危ない発言は多いですが。
澪「そっか。さぞかし楽しいだろうな」
唯「そうなんだよ、楽しいんだよ~」
澪「ふふっ、羨ましい限りだよ。それじゃ、また明日な」
唯「うん、バイバーイ!」
私は、澪ちゃんが見えなくなるまで手を振りつづけました。大きな声も出しました。
澪ちゃんは恥ずかしがって、速足になっていました。手を振られるのって、恥ずかしいかなあ?
いい加減見えなくなったところで、手を下ろし、自分の家に入ることにしました。
……あっ。
傘だけじゃなくて鍵も忘れてる。
-翌日・二年二組-
律「今年も合宿をしたいと思う!」
昼休み、弁当を食べていると、りっちゃんが唐突にそう言いました。
紬「場所は任せて!」
つまり今年も海で遊べ……いえ、中身の濃い練習が出来るということです。
楽しみになってきました。ということで、
律「水着を買いに行こう!」
唯「賛成!」
紬「賛成!」
満場一致で可決。もう私たちを拒むものなんて、ありません。
紬「唯ちゃん、梓ちゃんにも伝えておいてくれる?」
唯「りょーかい」
携帯を取り出して、あずにゃんの番号を……って。
唯「あずにゃん、携帯持ってないじゃん!」
これは大失態です。天使だからと甘く見ていました。
紬「憂ちゃんに電話して、そこから伝言してもらえればいいんじゃないかしら?」
唯「なるほど!」
ナイスアイディアです。善は急げ、すぐに私は憂に電話をかけました。
唯「……あ、憂?ちょっと伝言頼んでいいかな?」
唯「うん……そう、あずにゃん、携帯持ってないからね」
唯「じゃあ伝言いくよ?まずはね……」
* * *
唯「うん、うん。オッケーだよ、ありがとう。じゃあねー!」
電話を切り、一息つきました。
二人の方を見てみると、りっちゃんもまた誰かに電話しているようでした。
多分、澪ちゃんでしょう。
律「ん……大丈夫か。わかった、じゃあ昇降口でな」
りっちゃんも電話を終えました。見た感じ、特に問題は無かったようです。
律「お、そっちも伝え終わったか?」
唯「うん。そっちは澪ちゃん?」
律「ん、そうだ。こっちも問題なし」
紬「良かったわ~」
さて、今年はどんな合宿になるのでしょうか。
去年のムギちゃんの台詞から想像すると、あれより大きな別荘を貸出される気がします。
……私の家が、何軒立つのでしょう。
まあそれは、それとして。
律「……あーもう、楽しみになってきたー!」
唯「そうだねりっちゃん!」
唯・律「楽しみだね、海!」
満場一致です。
紬「楽しみ~」
【Az-side】
‐一年二組教室‐
憂「梓ちゃん、お姉ちゃんから伝言」
梓「伝言?」
憂「うん。今年の夏休みに行く合宿に備えて、水着を買いに行こうだって」
梓「ふむ……。つまり遊びの準備に、買い物行こうってことだね」
憂「え、えーっと……そういうことに、なっちゃうのかな?」
そういうことになるんです。去年の合宿を観察していたからわかります。
純「二人とも、何の話?」
梓「軽音部で夏休み、どっか遊びに行こうって話」
憂がちょっと苦笑いを浮かべていました。
間違ってはいませんよね?
ところで。私はいつの間にか、友達を増やしていました。それがこの人。
梓「鈴木は何の予定もないの?」
純「ねえ、いい加減“純”って呼んでよ……」
……この
鈴木純と仲良くなったのは、あの休日の翌日がきっかけでした。
最終更新:2013年03月16日 21:24