【第八話】
‐平沢宅‐
‐唯の部屋‐
私が思うに、この世界のモノはあらゆる分け方が出来ます。
例えば食べられるものと、食べられないものとか。
実際に見ることが出来るものと、見えないものとか。
自分である程度思い通りになるものと、
そうはいかないものとか。
唯「どうしちゃったんだろう、憂……」
梓「合宿に行っていた三日の間に、何かあったんでしょうね」
こと他人の気持ちとなれば、それはもう。
間違いなく思った通りにはいかないものなのです。
* * *
合宿から帰った夕方のことでした。
桜が丘に着いてもある問題を解消することは出来ませんでしたが、
それを心の奥に押し込むことで、合宿自体は最後まで楽しめたと思います。
この日は他の皆と別れてから、真っすぐに自宅へ向かっていました。
夕焼けが綺麗だったような気がします。
唯「久しぶりの憂のご飯が楽しみだね~」
梓「そうですね」
帰路の途中にある、スーパーの前の通りにさしかかった時のこと。
あずにゃんが何かに気付き、前方をじっと見つめだしました。
梓「あそこに見えるのは、その憂じゃないですか?」
あずにゃんが指差した方向に目を向けると、確かに見慣れた人が。
買い物をしたのでしょうビニール袋を片手に持っています。
間違いありません、憂です。
しかし、ちょっと様子がおかしいようでした。
憂は視線を下に向けています。ため息をついたようにも見えました。
ちょっと落ち込んでいるのでしょうか。
梓「唯先輩がしばらくいなかったからじゃないですか?」
なるほど。
いや、なるほどじゃないよ。
その程度のことで買い物帰りに落ち込んでいるわけないよ。
梓「唯先輩のいない家に帰るのが辛いとか」
それは……、どうでしょう。
唯「んー……。まあ憂が行って、ちょっとしたら帰ろう。
その時の反応で決めようよ」
私たちは憂が見えなくなってから、その場を離れました。
* * *
梓「しかし唯先輩が帰っても元気は戻らずでしたね」
唯「笑ってはいたけど、やっぱりどこかおかしかったよねえ」
私たちを迎えた憂は、決して元気を取り戻してはいませんでした。
あずにゃんの説は否定されたことになります。
ならば何故か。何故、憂は落ち込んでいるのか。
私は考えました。しかし。
唯「……ダメだ、いくら考えても答えが見つからないよ」
梓「そうですか……」
唯「というか、何だか眠たくなってきた……」
梓「合宿で疲れたんじゃないですか?」
疲れた……?
確か去年の合宿では、ここまで疲れていませんでした。
今年も肉体的には同等だと思います。
やはりこの疲労感の、最大の原因は。
……私には解決するべき問題が二つもあるようです。
唯「ゴメン、今日は寝るね。疲れてて晩御飯も食べられそうにないや」
梓「憂が悲しみますよ」
唯「うん……、ゴメンって言っておいて。おやすみ」
梓「……おやすみなさい」
あずにゃんの言葉を聞いた私は、
のそのそとベッドに向かいました。
そんな、ベッドに向かっていた私の背中に、
突き刺さるような視線が向けられている。
そう感じられました。
私はその視線に目を向けるのが嫌で、
あずにゃんに背中を向けたままベッドに寝転がりました。
梓「……言ったはずです」
あずにゃんはそう言って、この部屋を後にしました。
* * *
翌朝。夕焼けの次の日は、晴れ。
空は無責任に晴れ渡っていました。
唯「……って」
午前十一時……。
唯「流石に寝すぎた!」
ダラダラするのも、お昼寝するのも私は好きです。
しかしそのどちらも一度起きないと出来ません。
つまり起きないで半日以上過ごすことは、私にとってあまり好ましくありません。
でも、待ってください。
唯「憂は何で起こしてくれなかったんだろう……?」
憂は毎朝、特別な用事が無い限りは、
朝食を一緒に食べるために私を起こしてくれます。
それが今日は何故か、起こしてくれませんでした。
‐リビング‐
リビングに下りてみましたが、誰もいませんでした。
それと、今気づいたのですが、あずにゃんも見当たりません。
唯「二人でお出かけでもしたのかな……」
ご飯でも置いてないかとテーブルの上を見てみると、
千円札が一枚と置き手紙が置いてありました。
手紙には、こう書いてありました。
“お姉ちゃんへ。
私は梓ちゃんとお出かけしてくるね。
だからお昼は何か自分で用意してくれる?
ゴメンね、お姉ちゃん。
憂”
……なんですって。これは危機です。
何故ならば、
唯「一回のお昼で千円は十分すぎるけど……」
唯「帰ってきてから一度も、憂の料理を口にしてないよ!」
憂の料理が食べたい!
唯「憂、カムバーック!」
しかし私の叫び声は家の中で響くだけ。
特に何も起こりませんでした。
* * *
憂の携帯に電話をかけてみると、
すぐ近くで何かが鳴る音が聞こえました。
どうやら憂は、家に携帯を置いたまま出掛けたようです。
よって、この家に残されたのは。
私。一枚の千円札。置き手紙。多分忘れられた憂の携帯。
昨日疲れたからといって、憂の晩御飯を抜かした祟りでしょうか。
やはり食べるべきだったのです。
一体何を食べたのでしょう、朝食に使ったお皿は綺麗に洗われています。
唯(あれ、この手紙……)
ふと私は気付きました。
この手紙にはおかしな点があると。
この手紙には今現在、
憂とあずにゃんがこの家にいない理由が
確かに書いてあります。
しかし。
“私を起こさなかった理由が書いてありません。”
唯(よほどの事情がない限り、憂は私を起こしてくれる。
だからそれなりに理由があったはずだよ)
唯(……自分で起きれればいいんだけどねえ……)
それが出来たら苦労はしません。
私に知識はありません。洞察力も、無いと思っています。
しかし勘の良さに関しては自信があります。
だとすれば、私はどうするか?
今この瞬間に勘を働かせないで、いつ働かせますか。
唯(働け、私の勘!)
さあ働いて、私の頭!
* * *
結論。私の頭はニート予備軍でした。
働いてください。
しかしこうも考えられます。
まだ、“勘様”を働かせるには材料が足りないのです。
神様・仏様・勘様。
ほら、勘様が言っています。
もっと判断材料をよこせ。さすれば働いてやってもいいぞ、と。
……うわ、私の勘、性格悪すぎ。
唯(うう……澪ちゃんのことも考えないといけないのに……)
そういえば和ちゃんから、こんな話を聞いたことがあります。
自分のやるべきことがいくつもあったら、
その全てを箇条書きにする。
次に箇条書きした内容に、優先順位をつけていく。
後はその順番で片づけていく。
成る程、確かに有用で頭の良い解決法です。
しかし私の中で判断するに、今回の二つの事項は
どちらにも天秤が傾いてくれません。
唯「……こういうときは、和ちゃんしかいない!」
私はとっさに携帯電話を手に取りました。
ワンコール。ツーコール。出た!
* * *
唯「ということなんだけど~」
和『……そうなんだ、じゃあ私』
和ちゃんと電話中。
一通りの説明を終えて、和ちゃんが気になる言葉を呟きました。
このあとに続く言葉はわかってます。
ああ、どうせスルーされるのです。
悲しきかな。私の親友は非常にクールでカッコいい。
ですが、その副作用としてとても冷た。
和『あんたの家に行こうと思うけど、大丈夫?』
訂正。私の親友はクールでカッコよくて、とても優しい。
* * *
少しすると和ちゃんが来ました。
私の部屋に通し、適当な位置に座らせました。
和「綺麗に片付いてるわね」
唯「当たり前だよ~憂が掃除してくれたんだもん!」
和「ああ、帰って来てから一日しか経ってないものね……」
さすが和ちゃん、察しがいい。
あと一週間もすれば見るも無残な姿になることでしょう。
和「まあ一日しか経ってないのに、
私に助けを求められるなんて思わなかったけど」
唯「それは、まあねえ……」
和「色々事情があったのは電話で聞いたわ。
だからどうすればいいのか、考えましょう」
私は憂のことも、澪ちゃんのことも全て話していました。
どうやら私は思っている以上にわかりやすい性格のようで、
園芸部事件の落ち込みをあずにゃんに見抜かれるほどでした。
よって、隠すのは無駄だと判断したのです。
和「まずは憂のこと。
わかってることと、何か手掛かりになるものを出してみて」
といって和ちゃんは部屋の真ん中にあるテーブルの上に、
ルーズリーフ一枚とシャープペンシルを置きました。
私はその隣に、憂の置き手紙を置き、
代わりにシャープペンシルとルーズリーフを手に取り、
近くに寄せました。
唯「えーとね……」
私はわかることだけを箇条書きにしていきました。
・昨日から元気がなかった
・今日はあずにゃんと朝からお出掛け
・今日、朝は起こしてくれなかった
・朝食は置いていない
・昼食用に千円を置いていってくれた
……こんなもんでしょうか。
和「終わり?それじゃあ、一つ一つ検証していきましょう」
検証。なんだかカッコいい言葉です。
和「まず一つ目。昨日から元気がなかったっていうのは、
あんたたちが家に帰った時からのこと?」
唯「ううん。昨日帰る途中に、スーパーの前で憂を見かけてて、
その時から落ち込んでるみたいだった」
和「買い物帰りかしら?」
唯「レジ袋を下げてたから、多分そう」
和「ふーん……。落ち込んでいること、それは確実?」
私は和ちゃんの言葉に戸惑いました。
確かに他人だったら思い違いってことはあるかもしれません。
ですが、ましてや私たち姉妹です。
昨晩の憂は確かに落ち込んでいた……。
その程度のこと、わからないわけないじゃないですか!
まさか和ちゃんから、そんな言葉が出るとは。
と思ったら、すぐに言葉が付け足されました。
和「あっ、別に疑ってるわけじゃないのよ。
私が確認したいのはスーパーの前の憂は、
確かに落ち込んでいたのかってこと」
和「本人に確認したわけでも、
近くから見てたわけでもないんでしょう?」
なるほど。
唯「見た印象だけだからね~」
和「それじゃ困るのよ……。ただ俯いてたってだけじゃ、
レジ袋の中身を見ていただけかもしれないじゃない」
唯「困るかなあ?」
和「もしそうなら、落ち込んだ理由はそこから
あんたたちが家に帰るまでの短い時間の仲にあるって絞れるでしょ?」
唯「あっ」
そうです。これを上手く利用すれば、
早く解決出来るかもしれません。
しかし、残念ながらそれは適いませんでした。
私の記憶は、それを決定するためには
少々頼りのないものだったのです。
* * *
結局、昨日外で見た憂のことは保留されました。
あの時近づいていればよかったと、
全く、本当に悔や。
和「それじゃあ、二つ目の検証に入るわよ」
悔やむ隙も与えません、和ちゃん。
和「あずにゃんっていうのは、一緒に暮らしてる梓ちゃんよね?」
唯「うん」
和「このお出掛けは、きっと今日突然計画されたものね」
唯「えっ?」
ちょ、ちょっと待って。どうしてそうなるの?
和「まず合宿の翌日に朝早くから出掛ける用事を立てるなんて、
ちょっとアクティブすぎる気がする」
……それは和ちゃんが合宿の内容を知らないからです。
実際は余裕で遊びにいけます。
和「それに電話口であんたの話を聞いた限り、
梓ちゃんは憂が落ち込んでいる理由を知らない」
和「きっと梓ちゃんは唯と同じく、
どうにかして憂の落ち込む理由を聞き出したかったんでしょうね」
そりゃあもう。
あずにゃんも憂は好きです。当然一緒に心配していました。
和「……だというのに梓ちゃんは、
このお出掛けのことを唯に伝えていない」
和「絶好の機会なのによ」
その絶好の機会という言葉が、
憂の落ち込んだ理由を聞き出す機会だと理解するのに、
そう時間はかかりませんでした。
唯「憂に理由を聞く絶好の機会を、
私に話していないのが不自然ってこと?」
和「話の流れで、それを話してもおかしくないでしょ?」
和「“おお、忘れていました。
実は明日、憂と一緒に遊ぶ約束があるんです。
この問題を解くために、これを利用しない手があるでしょうか?”
……とかね」
確かに、それが自然な流れです。
……あずにゃんの真似としては不自然な言い回しですけど。
出てきてもおかしくない話題が、出てきていない。
いくらあずにゃんがどこか抜けている天使であっても、
これを忘れることがあるでしょうか?
結論。これは不自然なことです。
ですから、この不自然さは解消しなければなりません。
その方法はとても簡単でした。
唯「つまり、このお出掛けは今日突発的に起こったイベント。
それでいいんだね?」
和「そういうこと」
私は紙に情報を書き足しました。
“お出掛けは今日予定された可能性が高い”
* * *
和「じゃあ次の検証ね」
和ちゃんはテーブルの上に置いてある紙の、
上から三番目の項目に指を置きました。
唯「朝から起こしてくれなかった理由だね」
でも、これには思い当たる理由があります。
それはさっき思いつきました。
唯「それなら簡単だよ!
突発的に起こったお出掛けだったなら、
私を起こす暇が無かったのも納得だからね~」
和「あんた、それ誇れること?」
どこかで墓穴を掘っていたようです。どこだろう。
……普通は自分で起きるでしょ、とかそんなとこでしょうか。
それに今思えば、起こすという作業も時間のかからないことです。
なのに、それをあたかも時間のかかる作業のように
言っていたことに、和ちゃんは引っ掛かっていたのでしょう。
唯「大丈夫!明日から一人で起きるよ!」
和「三日坊主にもなれないんじゃないかしら……」
出来ても二日坊主ということですか。
唯「それで、私の案はどうかな?」
和「却下」
唯「えー」
和「いくら憂でも、声ぐらいはかけるでしょう。
だからこの情報が指し示すことが、根本から間違ってるのよ」
というと、和ちゃんはシャープペンシルを持ちました。
そして上から三つ目の項目を横線二つで消し、
すぐ下にこう書きました。
“今日の朝、唯は爆睡していた”
の、和ちゃん……。
* * *
私の必死の抗議をすり抜け、
和ちゃんは話を進めました。
和「次はこれ。朝食を置いてない」
その文字を見たとき、私に異常が起こりました。
普段では考えられません。
ぐううううう……。
想像を絶する凄い音で、お腹が鳴りました。
和「……」
し、失礼しました……。
和「まあ、お昼も食べてないみたいだし。
ちょっと外で何か食べましょうか?」
賛成!和ちゃん、最高!
‐MAXバーガー‐
品物を受け取った私たちは窓際の席につきました。
私と和ちゃん、どちらも同じくチーズバーガーとポテトを注文。
飲み物は私がオレンジジュース、和ちゃんがコーヒーを頼みました。
まずはポテトを一口。おや?
唯「このポテト、ちょっと塩加減違う!」
和「そう?」
唯「うん。こりゃ新人のバイトが入ったね……!」
和「まあ、あれだけ高いお菓子と美味しい憂の料理を
食べていれば、舌も肥えているでしょうね」
席を立って厨房の中を覗こうとしますが、
特に何も見えませんでした。
まあ夏休み。新しいバイトの人が入っても、おかしくありません。
和「さて、検証を再開するわよ」
唯「うん!」
和「……といっても、憂についての話題は残りわずかね。
それに、残った項目もすぐに片がつきそうよ」
和ちゃんは私が書いた内容と、
今までの検証結果を簡単にまとめた紙を
テーブルの上に出しました。
・憂は昨日から元気がなかった → 落ち込んでいたかは保留
・朝から梓ちゃんとお出掛け → 今日突発的に起こったイベントの可能性高
・憂が朝起こしてくれなかった → 唯が爆睡してただけ
・朝食は置いていない
・昼食用に千円を置いていった → 解決
和「残ったのは一つ。何故朝食を置いていないか。
これの理由はいくつか想像できるけど……」
テーブルの上に置かれた紙を眺めて、
私ははっとしました。まさか、これは。
唯「和ちゃん。私、思いついちゃったことがあるんだけど」
和「何?」
唯「この三つ目の項目と四つ目の項目だけど、繋がらないかな」
和「……あんたが爆睡してたことを認めたくないだけじゃなくて?」
断じて違います。私は本気です。
その本気を感じ取ってくれたのか、
和ちゃんはため息を一つ吐くと、次を促してきました。
唯「つまりね、憂は何らかの理由で朝起こしてくれなかった。
それは言い換えると“私が起きない方が都合がよかった”ということだよね」
和「そうね。憂が毎日の日課でぐうたら唯を
起こしていたんだから、今更嫌がったというわけでもないでしょうね」
結構酷いこと言われてる気がします。
唯「そこでこの四つ目の項目だよ。
朝食は何故、私に振舞われなかったのか」
私は息をゆっくり吸い、そして吐きました。
唯「私が寝させられていたからだよね?」
最終更新:2013年03月16日 21:27