‐二年一組教室‐


 予感は的中していました。
 教室の入り口付近で澪ちゃんが
 売り子をやっていたのです。

 文恵ちゃんは違う生徒から
 ホットドッグを買っていますが、
 それにも関わらず澪ちゃんは
 私たちの方をチラチラと見てきていました。

 ……澪ちゃん、あなたが恋する乙女なのはわかるよ。
 うん、別に私はその気持ちを否定しない。
 でもね。


唯(文恵ちゃんが羨ましいんだろうなあ……)


 感情がだだ漏れっていうのも、
 どうかと思うよ。


文恵「唯、お金」

唯「あっ、うん。はい」

文恵「はい、受け取りました。
 じゃあ、これでホットドッグ二つお願いね」


 澪ちゃんは告白してからというもの、
 私へのアプローチが積極的になってきています。
 仲良くすること自体は嬉しいことなのですが。

 試しに澪ちゃんの方を見てみると、目が合いました。
 澪ちゃんは咄嗟に目を伏せ、顔を赤く染めました。
 どれだけ純粋な少女なんですか。


文恵「唯って、ホットドッグには何をかける?
 マスタード?」


 おっと。選べるようです。
 私はマスタードがそこまで好きではありません。


唯「私はケチャップオンリーかなあ」

文恵「なるほど、そういう選択肢もあるんだ。
 じゃあ二つともマスタードでお願いします」


 はて、今の質問に意味はあったのでしょうか?



 【Mi-side】


 正直あの子が羨ましい。
 でも、午後からは私だって頑張るぞ!

 こっそり拳を握り締め、私は決意した。

 ……でも、やっぱり羨ましい。



 【Yi-side】


 ‐廊下‐ 


文恵「あれ、唯。まだホットドッグ食べ終えてないの?
 いくら食べ応えあるって謳ってても、そこまでじゃないよね?」


 誰のせいですか、誰の。
 マスタードが私のペースを確実に削いできます。
 黄色い悪魔です。


文恵「じゃあ次はどこに宣伝に行こうか?」

唯「お化け屋敷はどうかな。
 一年生で二つのクラスがやってるし、
 どっちも行ってみようよ!」

文恵「いいね。そうしよっか」


 お化け屋敷に入るのに、ホットドッグは邪魔です。
 私は思い切って残りを一口でたいらげました。


唯「……ちょっとお手洗い行ってくる」

文恵「どうしたの?」


 お口の中が恐怖体験でした。



 【Az-side】


 ‐一年二組教室‐


 今日の私のスケジュールは忙しいです。
 ライブを終えた後、すぐに劇の準備に取り掛かる必要があります。
 なんと講堂の次の演目が一年二組の劇なのです。

 『憧れ少女は天使に出会う』。
 私たちの演じる劇です。主人公の憧れ少女はなんと純ワン。
 タイトルにある天使は、私が演じることになっています。


純「ねえ梓、あんた直前の練習とかしなくて大丈夫なの?」

梓「先輩達が仕事を抜けてから、
 全員で合わせて練習する予定。
 だからしばらくは、文化祭を満喫して大丈夫だよ」

純「ふーん、それなら良かった。
 対する私はジャズ研が忙しいわけだけどね」

梓「練習?」

純「なんでも去年の軽音部の人気に対抗心を燃やしたとかで、
 部長のやる気スイッチがオンになったんだよ」


 それはそれは。とても大変そうです。


純「ま、演奏が終わったら自由だし、
 予定通り色々なところを回っていこうと思うけど」

梓「いつ演奏するの?」

純「私たちの劇のあと。
 ある意味、梓とは逆の立場かもね」


 劇の前に部活の出し物がある、私。
 劇の後に部活の出し物がある、純ワン。

 なるほど確かに逆の立場かもしれません。


梓「まあ純ワンだからね」

純「どういう意味だ」



 ‐廊下‐


 純ワンを見送ると、憂が教室に戻ってきたので、
 一緒に文化祭を見て回ることになりました。
 憂は唯先輩の演奏をとにかく楽しみにしていて、
 今から興奮が収まらないようです。


憂「あ、なんか興奮しすぎて熱が出てきたかも……」


 憂が一大事です。
 楽しみが暴走して熱を出すなんて、
 私には理解できない病気のように聞こえました。


梓「だ、大丈夫?治そうか?」

憂「ううん、いいよ。
 ライブでお姉ちゃんの名前呼んで、興奮を発散するから!」

梓「それならいいけど……」


 私はぐっと堪えました。

 逸る気持ちはきっと、成功しません。
 今の衝動に従っても、憂は治せないのです。
 本当にお節介をかくのは多分もっと良く知ってからのほうが、
 いいのでしょう。




 【Yi-side】


 ‐廊下‐


唯「うーん、一年三組のお化け屋敷は微妙だね」

文恵「宣伝出来ただけだったね」


 私たちは看板を持ちながら、
 二つのお化け屋敷に進み入りました。
 お化けへの宣伝も忘れませんでした。


文恵「一年五組はなかなか良かったよー」


 一年五組の“血の館”はストレートなネーミングと、
 それに見合った教室内の装飾が見事でした。

 血の斑点をあしらったカーテンは
 静かに揺らされ、不気味な雰囲気を演出。
 登場するお化けも血を流したようなものが多いのですが、
 なんと出血箇所までリアルに再現していました。
 これがとても怖い。


唯「三組がダメってこと?」

文恵「まあ言い換えれば……。そうかもね」


 対する一年三組の“呪中八苦”ですが、
 ネーミングは恐らく“十中八九”を捩ったのでしょう。
 パンフレットにも“殆どの人”が恐怖に陥ると書いてあります。
 しかし、これが期待ハズレでした。

 室内はただ暗いだけ。
 ひたすら光を遮ったせいで、お客さんは先に進むために
 懐中電灯を渡されます。

 この渡された懐中電灯も明るすぎるのです。
 暗いだけの室内が、余計に意味のないものに成り果てます。
 せめて懐中電灯の光を暗くするべきでした。


文恵「三組は特に、最後の二つが肩透かし食らったよね」

唯「最後から二つ目の青いお面?
 黒に近い青のおかげで、全然目立ってなかったよね」

文恵「これが七つ目の恐怖ポイントなの!?みたいなね」

唯「そうそう~」

唯「あ、それと最後だけど、
 どう脅かしてくるかバレバレだったかなあ……」

文恵「だってあれ、最後に出てくる場所、
 掃除用具入れ以外なかったもんね」


 文恵ちゃん、首を傾げて苦笑い。
 火を見るより明らかとは、まさにこのことです。


 * * *


唯「……あれ、もうこんな時間だ」


 廊下からちらっと見えた教室の時計で、
 私は現在の時間を知りました。


文恵「軽音部?」

唯「うーん、それはそうなんだけどね。
 本当はもう少しだけ時間あるの。
 けど、私は早めに練習したいし……」


 一年に一度でしょう。
 私が、“早めに練習したい”というのは。

 そんな私の覚悟を察してくれたのか、
 文恵ちゃんは優しく微笑んでくれました。


文恵「いいよ。絶対成功させてほしいから」

唯「本当?」

文恵「うん」


 ありがとう。
 そう言って、私は音楽準備室を目指し、
 走り出しました。 


文恵「あれ、ギターは?」


 私は教室に走り出しました。



 ‐二年二組教室‐


 結局教室まで文恵ちゃんは付いてきてくれました。
 本人は宣伝の効果を知りたいから、
 と言っていましたけれど。


律「あれ、唯はもう練習するのか?」

唯「うん!」

律「じゃあ、私も……って無理かな」

文恵「いいよ、行ってきなよ。ムギちゃんも」

紬「本当に?」

文恵「うん。このクラスの子はみんな、
 あなたたちの味方だよ?」


 私は教室でぐるりと視線を一周させました。
 クラスメイトが全員こちらに視線を送っていました。

 ある人は笑い、またある人は親指を立て。
 ある人は拳を高く上げ、またある人はいいよと、
 直接言ってくれました。


唯「みんな……ありがとう!」

律「……よし。この期待に応えるために、行こうぜ!」

紬「えいえいおー!」




 ‐音楽準備室‐


 りっちゃんが澪ちゃんを、
 ムギちゃんがあずにゃんを呼びに行き、
 私は一人ギターをかき鳴らしていました。


唯「……よし」


 恐らく個人単位での心配はありません。
 あとは皆で合わせるだけです。

 この部屋には今、私一人。
 りっちゃんのドラムも、
 ムギちゃんのキーボードもあるのに、私一人。
 少し不思議な居心地がします。

 そんな心地に浸っている最中、
 扉が勢いよく開け放たれました。


律「たのもー!」


 まるで道場破りのような声を上げ、
 りっちゃんが入ってきました。
 受けて立ちましょう。


唯「来たねりっちゃん!」

律「おうよ。今日という今日は、目にもの見せてやる!」

唯「りっちゃんにそれが出来るかな?」

律「悔やんでも遅いぜ。これから一味違う私を思い知りな!」

澪「何をやっているんだ、お前らは……」


 寸劇です。


紬「ちゃんちゃらおかしいわね」

澪「ムギも何を言っているんだ」


 ちゃんちゃらおかしいことです。


 私たち五人が揃ったら、必ずやることとはなんでしょう。
 それは、紛れも無く……ティータイムです。

 しかし今日の私は違います。
 私だけじゃありません。


律「早く練習しようぜー!」


 りっちゃんは、練習をしたくてウズウズしています。


澪「時間は本当に限られてる、集中してやろう!」


 澪ちゃんはいつも以上に、顔が引き締まっています。


紬「成功させましょうね!」


 ムギちゃんは、戸棚のティーセットに目もくれません。
 そして、


梓「無い!どこにも、無い!?」


 あずにゃんは叫びました。
 異常に思えるその叫びに、
 私たちは怯んでしまいました。


唯「ど、どうしたの、あずにゃん?」

梓「無いんです……無くなってるんです!」


 無くなっている?一体、何が?

 私ははっとしました。
 私たち五人は、これから練習するために
 此処に来たのです。

 しかし、あずにゃんは何も持っていませんでした。


梓「私のギターが、ギー太二号が無いんです!!」


 そう叫ぶあずにゃんの青ざめた顔に、
 私は一瞬狼狽えました。
 今にも壊れてしまいそうな身体を守るように、
 あずにゃんは身を縮こめていました。


梓「怪盗です……大怪盗レインボーが現れたんです……!
 ギターが……、私のギターがああ……!」

唯「落ち着いて、落ち着いてよあずにゃん……。あずにゃん!」



 【Mi-side】


 梓の言葉を聞いた私は
 頭が真っ白になり、身体の芯が冷えた。
 バランス感覚を失い、今にも倒れそうになる。

 だが、ここで私が倒れてはいけない。
 私は先輩だ。


澪「……とりあえず、探してみよう」

唯「和ちゃんとか、憂も呼ぼうか?」

澪「出来るなら呼びたいけど、事態は一刻を争う。
 呼ぶよりも、その二人も別行動で探してもらった方が
 効率がいいんじゃないか」

唯「わかった、探してもらうだけにするね」


 隣で頭を抱えて屈む梓の頭を
 そっと撫でながら、唯は電話をかけた。

 見ると律もムギの額にも
 汗が滲み出ていた。
 律は、犯人への怒りから、
 隠し切れていない剣幕を浮かべている。
 ムギは後輩の痛々しい様子を見ていられず、
 視線を足下に向けている。

 少しして、唯の電話が終わった。


唯「……二人とも協力してくれるって。
 憂と一緒に回ってた純ちゃんも。
 和ちゃんはクラスメイトにも協力を頼んでいるみたい」


 三人の協力のおかげで、
 人数は確保できた。
 恐らく梓のギターを見つけるには十分な人数だ。

 ……犯人が盗品を外部に持ち出して
 いなければの話だが。


律「梓のギターを……ゆるせねえ。
 絶対見つけ出して、ぶん殴ってやる」

澪「落ち着け。暴力沙汰を起こせば、ライブが中止になる」

紬「そうよりっちゃん。犯人より、ギターよ。
 梓ちゃんを逸早く安心させることが、
 私たちのやるべきことよ」

律「ぐっ……まあ、それもそうだな……。
 わかったよ」


 激情をなんとか抑えた律は、
 ゆらゆらと壁に近づき、
 そこを悔しそうに拳で殴りつけた。


律「でも、簡単には許せそうにねえな」

澪「……それは同感だ」



 ‐廊下‐


 泣いているのか脅えているのか。
 屈んだ梓の表情は見えなかった。
 唯は背中から梓を抱き締め、
 小さな子供をあやすように頭を撫でている。

 唯に梓を任せ、
 私たちは梓のギターの捜索に向かった。
 律とムギに音楽準備室周辺の捜索を任せ、
 私は階下に下りる。

 二階に下りたところで、
 私は憂ちゃんと鈴木さんに鉢合わせした。


澪「あっ、二人とも」

憂「梓ちゃんは大丈夫なんですか!?」

澪「お、落ち着いて。
 今は唯が頑張ってくれているから」

純「そんなに梓は、大変な状態なんですか?」

澪「……そうだね。
 見てて居た堪れないほど、梓は弱っていたよ」


 私の言葉を聞いた鈴木さんの顔が青ざめた。
 隣の憂ちゃんは今にも泣き出しそうだ。


純「あの、梓の様子を見に行っても……」

澪「……あまり見ても、良い気分はしないぞ。
 それでもいいなら」

純「わかりました。
 ……私は行くよ、憂。憂はどうする?」

憂「行くよ」


 目に溜めていた涙を拭い取り、
 憂ちゃんは階上に強い視線を送った。


憂「私たちは梓ちゃんを助けてきます」


 その強い視線を、そのまま私に向けた。
 私と目が合った憂ちゃんの目は、
 不思議と心強かった。


澪「わかった。梓のために、出来ることは全部やってくれ。
 ギターを探すことも勿論な」


 二人は頷き、私の横を抜けて、
 階段を駆け上がっていった。
 ……梓は、本当に良い友人を持った。


 * * *


 廊下でギターの捜索中、和と出会う。
 和は同じクラスの人全員と、生徒会が運営する
 文化祭本部の人間にその旨を伝え、
 赤いギターを見つけたら私に連絡するように
 言ってあるようだ。

 流石和だ、仕事が速い。


和「でも、まさかギターを紛失するなんて……」

澪「梓は例の怪盗のせいだって、脅えていたよ」

和「レインボー?」


 和の言葉を聞いた途端、私ははっとした。
 和も何かに気付いたようで、
 口に手を当てていた。


澪「なあ、レインボーって……“虹”だよな」

和「……そうね。そして虹の最初の色は、“赤”」


 立ち眩みが襲う。まさか。そんな。


澪「そんなくだらない法則性で、
 梓を悲しませているのか……!」


 律と同じように、私も犯人に
 拳をお見舞いしてやりたくなった。


和「澪、そうとは限らないわ。
 それに暴力はダメよ」


 握り締めていた拳を見た和は、
 私を嗜めるように言った。
 ゆっくりと怒りを静め、私は拳を解いた。


澪「……ごめん。ありがとう」

和「いいのよ。それよりも……」


 和が言葉の先を続けるより前に、
 携帯電話が鳴った。
 私は慌てて電話をとった。

 ……梓のギターが見つかった。



 【Yi-side】


 ‐音楽準備室‐


 あずにゃんのギターが見つかりました。
 今、あずにゃんはギターを一生離すことのないよう、
 強く強く抱き締めています。

 発見場所は屋上。
 部室と同じ階にある扉から出て、
 右方の死角に隠されていたようです。

 ケースのみだったら困るので、
 部室で中身を確認しました。
 ケースの中身を見た私たちは安心し、
 次に顔を曇らせました。


澪「見つかったって、本当なのか!?」


 澪ちゃんが息を上げながら、
 部室に入ってきました。
 後ろに続いて和ちゃんも入ってきました。


唯「うん……」

澪「なにか、あったのか……?」


 澪ちゃんは私たちの表情を
 不審に思っていました。
 私は口を開く代わりに、一枚の紙を渡しました。


澪「これは……?」

紬「……怖いわよね」


 と、ムギちゃん。


律「まあギターは無事だったんだ。
 一旦心を落ち着かせて、練習しよう」


 と、りっちゃん。

 私が渡した紙はわら半紙。
 片面は白紙で何も書かれていません。
 もう一面には、マジックで
 大きく文字が書かれていました。

 “【Over the rainbow ~私は虹を越える~】
  過去を大切にする私は固執する。
  大怪盗レインボーが、ギターの赤を手にした!”

 と。


澪「まさか、これ……!」

紬「ええ。これと同じね」


 そう言ってムギちゃんはポケットから
 紙を一枚取り出しました。
 それは同じようにマジックで片面だけに
 文字が書かれているわら半紙。

 今朝、全校生徒の下駄箱に挟まっていた紙でした。


澪「まさか、本当に怪盗レインボーの仕業なのか……?」

和「こんなことになるなんて……」



 ―――文化祭。天使。
 これ以上無い、面白くなりそうな文化祭。
 私はどれほどこの時間を待ち望んだのでしょう。

 それは勿論、天使も同じでしょう。
 天使は人間として生活しに、此処へ来ました。
 此処へ来た天使は、人間と共に喜びに溢れるべきでした。
 学生として羽ばたくべきでした。

 しかし天使は羽を奪われ。
 大地に落ち、喜びに溢れた他人を見上げるだけ。
 それだけしか出来ませんでした。

 そう、羽を失った天使はもはや、



梓「……今は何を言っても仕方ありません。
 練習しましょう、皆さん」

律「あ、ああ」



 ……無力な人間、そのものだったのです。



第十話「天使が泣いた日」‐完‐


―――第十一話に続く


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最終更新:2013年09月07日 02:59