【第十一話】
‐音楽準備室‐
あずにゃんのギターが見つかってから、
いくらかの時間が経ちました。
部室には軽音部のメンバーだけを残し、
他の皆は退室しました。
あずにゃんを挟んで私と反対側にいる三人が、
あずにゃんを心配そうに見ています。
ギターを大事そうに抱えて屈むあずにゃんは、
決して悲しそうな顔をしていませんでした。
一見それは、回復したかのようにも見えます。
しかし心の奥底で、ライブに勤しむ私たちの
邪魔をしたくないと思い、一人苦しんでいる
のかもしれません。
唯「ねえ、あずにゃん……」
梓「大丈夫です。大丈夫ですから」
そんな心底にある気持ちを
聞き出そうとする前に、
あずにゃんは私を突き放しました。
あずにゃんはギターを抱えながら
立ち上がり、
梓「皆さん、ご迷惑をおかけしました。
さあ練習しましょう。遅れを取り戻します」
笑顔を作り、他の皆がいる方に
身体を向けました。
心配そうな視線を向けていた三人は、
安堵から息が漏れました。
しかし、私の方からは見えていました。
身体の後ろに隠された手が、
悔しそうに握られていたところを。
【Mi-side】
ムギの紅茶で心を落ち着かせた後、
私たちは練習を始めた。
唸れ、私のベース。適度に。
うん、良い感じ。
それでも残念なことに、
私たちは演奏が極めて上手い、
というわけではない。
さわ子先生たちの代と比べてしまえば、
私も含め、技術はまだまだだ。
一曲を通し終えると、
律が座ったまま腕を高く伸ばした。
律「よっし、これで本番に十分臨めるな」
澪「目立とうとして調和を崩すなよ、律?」
律「わ、わかってるって」
どうだか。私は肩をすくめてみせた。
本番中、律が目立とうとするもんなら、
和に頼んで、スポットライトをデコにでも
当ててもらおうか。
澪「ぷっ」
紬「どうしたの澪ちゃん?」
想像して吹き出してしまった。
梓「なにか律先輩の顔に、
面白い部分でもありました?」
梓は律の顔を舐めるように観察しだした。
そこにあるのは、輝くオデコのみだぞ梓。
律「……よし、梓の身に
面白いことを起こしてやろうか」
と言って、律は梓の背後に立った。
流石に怒ったらしい。
次の瞬間、梓の脇の下に律の手が
すうっと入り込み、その手が動いた。
くすぐりだ。
梓は笑うのを堪えているのか、
頬を膨らませ、口に手を当てている。
無駄だ。諦めろ、梓。
梓「ぶあ、あはははは!」
律「おりゃおりゃおりゃあ!」
梓「や、やめてくだ、あはははは!」
梓、陥落。梓の甲高い笑い声が
部室中に響き渡った。
律のくすぐり技術は極めて高く、
下手すればドラムの技術を凌駕する。
体験者の私が言うのだ、間違いない。
だからこそ、私から言わなくては
いけない気がした。
澪「そろそろ止めとけって。
ほら、他のみんなも練習出来なくて迷惑してるぞ」
唯「へっ?」
おい、誰も迷惑してないじゃないか。
どういうことだ。
唯はまるで子供のような顔で、
自分も加わりたいと主張するように
指を細かく動かしている。お前もか。
ムギは特に干渉しようとすることなく、
笑顔を崩さないで二人をじっと見ていた。
実に清々しい笑顔だ。その笑顔、ライブに期待しているよ。
澪「……」
なんだこれ。私一人で止めろってことか。
私にしか止められないってことか。
ていうか、二人ともこの状況楽しみすぎだろ。
私だけがおいてけぼりを食らった気分だ。
誰か、私をその境地まで連れてって。
澪「……律」
律「ん?」
とはいえ。
まあこれが、私のポジションかな。
澪「いい加減にしろ!」
私の拳が律の頭上に落とされて、
部室にはまた違った笑いが訪れた。
【Az-side】
軽音部の先輩方は優しい。
それが十分に伝わりました。
律先輩が私の軽口を切り口に、
綺麗に私の不安を吹っ飛ばしてくれました。
梓「……律先輩、ありがとうございます」
小声でお礼をすると
照れたように鼻頭を掻いて、
律「たまには先輩っぽく、な」
と、これまた小さな声で返事をしました。
全然誇ってもいいことなのに。
勿体無い人です。
さて、私のギターは無事に帰ってきました。
幸いにも傷一つありません。
しかし私はどうしても悔しく、
また、知りたいという思いに駆られていました。
私のギターを盗み出したのが、
一体どのような人物なのか。
それに対し私は深い深い興味を覚えました。
……ライブが終わったあとの、
お楽しみでしょうか。
【Yi-side】
唯「……そろそろ時間だね」
部室の時計を見て、そう呟きました。
私の言葉を聞いた瞬間、
皆の顔が引き締まった気がしました。
さわ子「そうね、時間ね」
……。
唯「さわちゃんいつの間に!?」
さわ子「失礼ね。
私はお茶のある所、どこへだって出てくるわよ!」
妖怪ですか。
さわ子「色々あって来れなかったけど、完成したわ。
文化祭用の特別衣装がね!」
律「久々に現れても、ろくでもないことしか
出来ないのか、この人は……」
さわ子「あら、りっちゃん用の衣装だけ、
改造を施してあげてもいいのよ?」
律「最初から着ないから!」
改造された衣装も気になったのは、
私だけでしょうか。
そんな二人がぎゃあぎゃあと
騒いでいる中、扉が開けられ、
もう一人の来客が登場しました。
和「全員揃ってるかしら?」
和ちゃんでした。
和ちゃんはあずにゃんを見て、
和「……あら、もう全然大丈夫そうね」
安心したようで、微笑を浮かべました。
でも別の問題が大丈夫じゃないよ、和ちゃん。
主に目の前の二人が。
和「もう機材を運んでもらっていいかしら?」
しかし和ちゃんはそんな二人を見事にスルー。
澪「ああ、わかった。わざわざありがとうな、和」
和「いいの。これも生徒会の仕事よ。
じゃあ私は講堂に戻らないといけないから」
じゃ、と言って手を振り、
和ちゃんは部室をあとにしました。
本当に最後までスルーされた二人が
やっと落ち着き、和ちゃんのいなくなった
扉の方を見つめました。
律「……どっかの誰かさんに
学んでもらいたいクールさだな」
さわ子「えっ、私?」
律「それ以外に誰がいるんだよ!」
【Mi-side】
‐講堂‐
機材は運び終え、前の団体の発表も終わった。
幕が下がり、舞台の明りが落ちる。
代わりの照明が、先程のものより劣る光量で
舞台上を照らした。
私たちはそれぞれの機材を
自分の手で所定の位置に運び始める。
ドラムが大変そうだったため、
自分の分を運び終わった後、
私は律を手伝った。
律「悪いな」
澪「ドラムは運ぶものが多いからな」
ふと、律がこのドラムを
買った日のことを思い出した。
しばらくして準備が完了し、
私たちは円陣を組んだ。
律「……今年も、盛り上げていくぞー!」
「おおー!」
律の鼓舞に全員で反応し、
私たちは気合十分に所定の位置についた。
唯はふんす、と言った。
唯が舞台袖にいる和に目で合図を送った。
和はそれを確認すると、
すぐ近くにあるスイッチを押した。
澪(……始まる……)
幕がゆっくりと上がり、
講堂の席に座る観客の姿が見えてくる。
段々と見えてくる席は見える限り満員だった。
立ち見する観客もいる。
澪「……すごい」
私たちの演奏を聴きに来てくれた人が、
こんなにもいるんだ。
律「……ワン、ツー、スリー!」
律の合図で、演奏が始まる。
一曲目は“ふでペン ~ボールぺン~”。
メインボーカルは、私。
私の歌声がマイクを通して、
観客に届けられる。
緊張するのは後だ。
今は目の前にだけ集中していよう。
唸れ、私のベース。やっぱり程々に。
実に良い。とても良い。
すごく集中出来ている。
さあ、このまま最後まで!
……あっ、唯の声だ。
* * *
くそう。早速集中が途切れてしまった。
原因は唯の声だ。唯が悪い。
違う違う。今は目の前に集中。
唯の愉快なMCを横で聞きながら、
私は観客席を見渡した。
生徒が大多数だが、大人や子供もちらほら。
わざわざカメラを持って、
熱心にこちらへレンズを向ける生徒もいた。
あの顔は見覚えがある。二年生のようだ。
つまり去年もいたということだ。
……まさかと思った。
去年のアレを撮ったのは彼女ではないのだろうか。
だとすれば、今年も彼女はアレを狙って……。
いや、集中しよう。
唯「続いて、ベースの澪ちゃんです!」
澪「ふへっ!?」
* * *
やられた。不意打ちは卑怯だ。
どうせ不意打ちするなら、
“好きだ”って言葉にしてくれ。
唐突に話を振られた私は
しどろもどろになり、
まともな自己紹介も出来ず、
微妙な笑いをとってしまった。
ふと気になった私は、
例のカメラの女子生徒を探した。
彼女は恍惚とした表情をしていた。
おーい、帰ってこーい。
唯「さて、次の曲です!ふわふわ時間!」
唯の掛け声で、
律がスティックを高く持ち上げた。
いつものように律がスタートの合図を鳴らし、
曲が始まった。
二曲目は“ふわふわ時間”。
メインボーカルは、唯。
時々、私も頑張る。
* * *
唯「もう一回!」
といって始まったアンコールも終え、
私たちは全ての演奏を終えた。
唯や律はまだやり足りないようだが、
時間も押している。
私たちの演奏を聴きに来てくれた人たちの
大歓声に包まれながら、
ゆっくり舞台の幕が下ろされていった。
……今年のライブは、これで終わりだ。
【Az-side】
大変です。熱いです。
熱かもしれません。病気でしょうか。
いえ、違います。
これが憂の言っていたことなのでしょう。
つまり今の私は、とても……興奮しています!
律「おっつかれー!」
唯「大成功だね!」
紬「大成功よ!」
舞台袖に機材を運んだ私たちは、
もみくちゃになりながら抱き合っていました。
澪「やった、やったんだよな!」
梓「ええ、やりました!
演奏しながら私、感動しました!」
ああ、とても心地良い。
この余韻にいつまでも浸っていたい。
そう思えるほど、私は充足感に満ち溢れていました。
が。
純「梓。ほら、準備するよ」
実に短い余韻でした。
いえ、別に劇だって楽しみですよ?
この複雑な気持ち、
誰かに届いてほしいものです。
梓「君に届け!」
純「私の声が届いてないようだね」
【Yi-side】
私たち四人は部室から持ってきた機材を
とりあえず邪魔にならないような位置に置き、
舞台袖から観客席の方へと移動しました。
移動する最中、軽音部だなんだと騒がれ、
握手や記念撮影などを求められてしまい、
ちょっと顔がにやけてしまいました。
唯(ああ、私もついに有名人の仲間入りだね……)
と思っていると、強い視線が。
見なくてもわかります、恋する乙女さん。
もとい澪ちゃん。
しかし思った以上に人が集まり、
少し困ったことになりました。
澪「ちょ、ちょっと人いすぎ……」
紬「一旦、離れてくださーい!」
そんな私たちが身動きとれない中、
助け船が出されました。
まるで声の届かない群衆の中、
さわちゃんが私たちの前に立ちはだかったのです。
さわ子「ほらほら、次の発表の邪魔になるわよ」
さわちゃんはそう言いながら、
私たちの周りに集まっていた
生徒たちを散らせました。
律「……今更だけど、さわちゃんは先生だったんだなあ」
さわ子「何よその言い方!?」
わかるよ、りっちゃん。
* * *
四つ並んで空いた席はありませんでしたが、
二つ並んで空いた席が二箇所あったので、
そこに二人ずつ座ることになりました。
私と澪ちゃんは講堂の入り口から見て
右側の前方に位置する席に座りました。
舞台がそれなりに近く、かといって近すぎない、
残っていた割には良い席でした。
右隣に座る澪ちゃんが、携帯を開きました。
時間を確認しているようでした。
ちょっと見させてもらうと、時刻は十二時三十九分。
一年二組の劇は十二時四十分に開始なので、
予定通りの進行であることが窺えます。
唯「ねえ澪ちゃん、この劇のあとはどうする?」
澪「唯の行きたいところでいいよ」
ほう。
唯「じゃあ、お化け屋敷!」
澪「よし、あとで相談しようか」
切替早いなあ。
【Mi-side】
危なかった。鼻差だったと思う。
どうやら、私自身のためにも、
計画はきっちり立てたほうが良さそうだ。
唯「お化け屋敷はね、一年五組が凄いんだよ~」
一度行ったんじゃないか!
私は絶対行かないことに決めた。
誰が自ら怖い場所に行くもんか。
唯「……ダメ?」
唯は上目遣いで、私の目を見た。
一瞬怯んでしまったが、
私はすぐに首を振って答えた。
澪「だーめ」
唯「けちぃ」
ちょっと心が揺らぎそうになったけど。
話しているうちに劇の開始時間に
なっていたようだ。
講堂内にマイクを通した声が響く。
「これより一年二組の劇、
“憧れ少女は天使に出会う”を開演します」
この声は和ではない。
恐らく、また違う生徒会役員が
担当しているのだろう。
ブザーが鳴り響いた。
講堂内の照明が暗転していく。
* * *
幕は下ろされたまま。
声だけが聞こえてきた。
【西暦2008年。ドラえもんの登場を
期待するには早すぎるこの時代に、
ある夢見る少女がいた】
「ああ、どうして私は“普通”に
生まれてしまったんだろう?」
幕がゆっくりと上げられる。
舞台上の道具は女子高生の部屋を
再現されたものだった。
窓を模した道具の裏、
そこに描かれた背景の空は暗い。
恐らく、夜の設定なのだろう。
「私も何か特別な才能をもちたい!
私は、才能ある人に憧れる!」
舞台上に一人の少女が
歩いて上手袖から現れる。
恐らく主人公だろう。
よく見ると、見たことのある生徒だ。
確か名前は鈴木さん。
なかなか演技が上手いのが意外だった。
舞台の中心で立ち止まった
鈴木さんは、身体を観客席の方へ
向け、両手を仰いだ。
「そう、私は憧れる!
例えば、さっきまで此処で演奏をしていた、
あの美しいベーシストのような人に!」
私は両手で顔を覆った。
【Yi-side】
あははは。
多分、あれは純ちゃんのアドリブでしょう。
小さな笑いが辺りから聞こえてきました。
どうやらお客さんの心を掴むことには
成功したようでした。
澪「……」
この子の心は握り潰してますけど。
澪ちゃんは両手で顔を覆いながら、
俯いていました。
……まあ、しばらくすれば回復するでしょう。
今は劇に集中することにします。
「私に才能を授けてくれる者は、
いないのだろうか……!」
純ちゃんは床に手をつき、跪きました。
絶望した少女の様でした。
「ご安心ください」
と、ここで純ちゃんとは違う声が
聞こえてきました。
何度も聞き覚えのある声でした。
そして丁度純ちゃんの奥にある
窓を模した大道具が左右に開かれ、
その中から人が出てきました。
あずにゃんでした。
「あ、あなたは?」
「私は天使。その名をアズサエル」
あずにゃん、それは不意打ちだよ。
最終更新:2013年03月16日 21:31