【Mi-side】
隣の唯が突然口を抑えた。
笑いを堪えているように見える。
“天使”の梓が“天使”を
演じていることに笑っているのだろうか?
唯「そ、それ……本名じゃん……!
ぷくくく……!」
……本名?
それはともかくとして、
梓の衣装は実に天使らしかった。
来ているのは薄い生地で出来た、
長袖の白いワンピース。
梓が動くたびにひらひらと揺れ、
舞台上の照明に照らされることで
光り輝いているように見える。
また、背中には白い羽がつけられている。
よく見ると足には何も履いていない。裸足だ。
……総合して、寒そうな恰好だ。
因みに頭上の光輪は無かった。
鈴木さんが梓の方を向き、
手振りを激しくして言う。
「天使なんて、信じられませんよ!」
そんな鈴木さんの恰好はグレーのスウェット。
見るからに適当そうな恰好だけれど、
寝る前なのだから問題ないのか。
驚いた表情の鈴木さんと、
平然とした梓が向き合う。
「信じられなくても、無理はありません」
梓は人差指を立てた。
「しかし考えてください。
こんな夜に、天使の姿をした少女が
突然部屋の中に現れるのです」
「現れましたね」
「これを人間の仕業と思うほうが、
よほど非現実的ではありませんか?」
「それは確かに」
「ですので、私は天使なのです」
「暴論だ!」
隣の唯が爆笑した。
* * *
劇は順調に進んでいった。
開始数分で、この劇は非日常的な
要素を盛り込んだ
コメディだと悟った。
「あなたの憧れはなんですか?」
天使が少女に尋ねる。
この劇は白いワンピースの天使が、
憧れ少女の鈴木さんに“憧れ”を
尋ねることで始まる。
もし少女が、憧れを手に入れたい、
真似てみたいという旨を天使に行った場合、
その憧れを天使の不思議な力で
実現させて物語が進行するのだ。
しかし、梓の実現させた“憧れ”は
どれも絶対ずれていて、
それが毎回様々なトラブルを生み出していく。
“目立っている人に憧れる”と言った日には、
全校集会で校長先生に叱られる始末だ。
唯「あははは!」
そんな笑いの要素が多い劇ではあるが、
主人公の早着替えには驚かされる。
“歌って踊れる人に憧れる”と
言って着せられた、
バブルの時代を感じさせるような
真っ赤な衣装から、
唯「おお!」
“言葉巧みな人に憧れる”
と言って着せられた、
いかにも胡散臭い空気を醸し出す
占い師風紫色の衣装に
着替えた時は驚いた。
唯「ほえ~」
その占い師風衣装は無駄に
オカルト的な装飾が多く、
すぐに付けることも
簡単ではなさそうなのだ。
しかし、その作業は一瞬の間に行われた。
どうやってあの速さで着替えているのか。
あの衣装には、どのような工夫が
施されているのだろうか。
唯「あっ、憂だ!おーい!」
澪「……」
隣の子の表情も、
驚くべき速さで切り替わっていく。
あの顔には、どのような工夫が
施されて……も無いか。
唯「憂がこっち向いて笑ってくれたよ、澪ちゃん!
……澪ちゃん?」
唯の心と顔の神経は、
実は直結しているんじゃないのか?
そんな気がしてきた。
多分そう。いや、絶対そう。
だからこそ見ていて飽きない。
唯「み、澪ちゃん!」
澪「ん、どうした?」
唯「あの、私もあんまり見つめられると、
照れちゃうんだけど……」
唯は顔を赤らめて、
ぷいと顔を舞台の方へ向けた。
……可愛すぎる。
本当に見ていて飽きない。
唯「……もう!
私じゃなくて劇を見てよ!」
* * *
劇はクライマックス。
ある時期を境に、主人公の身辺から
天使がいなくなった。
天使がいなくなったことで、
“憧れ”を実現できなくなった主人公。
しかし様々な“憧れ”を
実現してきた彼女にとって、
平穏な日常は退屈だった。
そんな中、主人公は決意する。
自分の力で、ある“憧れ”を
実現させてやろうと。
だが、なんということか。
今回の“憧れ”の対象は、
ある作り話、小説の中にいる
大怪盗だったのだ。
私は件の怪盗、レインボーを思い出した。
ただし今回の憧れ対象の怪盗は、
国家的に指名手配されている
レベルの大泥棒だ。文化祭とは規模が違う。
本来、通常の価値観や想像力では
そんなものに憧れるわけがなかった。
唯「な、なんかシリアスになってきたね……!」
しかし、自分の憧れを
次々と実現させていった
主人公の価値観や想像力は、
既に常軌を逸している。
言い換えれば、麻痺しているのだ。
だからこそ、憧れてしまった。
その夜、主人公が忍び込んだのは、
某所にある高級ホテル。
狙っているのはホテル側が
預かっている、宿泊者の貴重品だ。
澪「最初のコメディな展開から、がらりと変えてきたな」
だが思い出して欲しい。
主人公は何かに憧れている
“ただの女子高生”だったはずだ。
女子高生が、高級ホテルから
物を簡単に盗めるものだろうか。
答えは決まっている。
失敗したのだ。
自身の憧れに陶酔していた
主人公が目を覚ます。
そして主人公の血の気が一気に引く。
憧れる少女は一転、
警察から追われる少女になった。
建物の隙間という隙間を縫い、
街路を走り抜け、
ひたすら追手から逃げる主人公。
いずれその足は、
夜の海岸にまで運ばれた。
海は穏やかに波を立て、
疲弊した心を癒す。
主人公は砂浜に膝を折る。
「ああ、私はなんて愚かだったのだろう……」
両手を天高く仰ぎ、
主人公は自分の愚かさを嘆いた。
傲慢さを嘆いた。
憧れという感情を嘆いた。
目から大粒の涙を流し、
自らの行動を悔いている。
そんな主人公の背後に、
人影が現れる。
白いワンピースの天使。
天使は主人公の側で屈み、
その耳元で囁いた。
「ご安心ください」
天使は続けた。
「あなたの憧れはなんですか?」
天使の問いに、
少女は嘆くように答えた。
「……私は、“普通”に憧れる!」
その言葉を聞いた天使は微笑を浮かべた。
舞台が暗転していく。
* * *
ぱっと舞台の照明がつけられた。
そこにあったセットは、
劇の冒頭にあったものと同じだった。
ただの女子高生の部屋。
主人公は布団の上に寝転がっていた。
主人公は勢いよく起き上がり、
部屋中を見回した。
「夢だったのかな……」
部屋に天使の姿はなかった。
しかし、いつかの平穏さはあった。
主人公は起き上がり、
さらに部屋を見渡す。
そして壁に掛かるカレンダーに
目をつけた。
カレンダーを凝視した主人公は
天を仰ぎ、
「……なるほどね。ははっ!」
笑い声を上げた。
主人公は両手を天高く仰ぎ、
清々しいほどの笑顔を浮かべた。
やがて主人公は口を動かした。
その声は、小さく、とても聞き取りづらい
ものとなっていた。
しかし口の動きを見ていた私は、
こう言ったのだと思った。
「夢を夢で終えてくれて、ありがとう」
* * *
幕が下ろされ、劇が終了する。
なんとも言えない重苦しい空気が、
講堂内を支配していた。
ここで唯が一言。
唯「……これ、女子高生がやるような劇じゃないよ!」
まったくだと思った。
【Yi-side】
完全に虚をつかれました。
想定外の展開とエンディングに、
頭の中が混乱してしています。
純ちゃんが憧れで天使で普通になって。
なんでしたっけ。
頭の中を整理するのも面倒になり、
講堂の出入り口を見てみると、
この劇のパンフレットが配布されていました。
最後に主人公が言った台詞とは?
一体天使とは何者なのか?
そういったことが書かれているようですが、
私はそこに触れるのはタブーな気がして、
受け取るのは止めておくことにしました。
律「おーい、二人ともー!」
紬「唯ちゃーん、澪ちゃーん!」
二人が自分たちのいた席から
手を振りながら、私たちを呼んでいました。
ムギちゃんは何かを持ちながら、
ぶんぶん大きく手を振っていました。
劇のパンフレットでした。
……やっぱり後で見せてもらおうかな。
* * *
律「正直最後には驚いたな。
梓がどこか悪魔のようにも見えたよ」
唯「えー、あずにゃんは天使だよ!」
律「いや別に梓自身も天使じゃないだろ」
いえいえ。天使です。
紬「私、最後までハラハラしちゃった!
でも最後になんて言ってたのか、
聞こえなかったの」
澪「だからパンフレット貰ったんだな。
私は何となく、口の動きでわかったよ」
紬「じゃあ、これで答え合わせする?」
と言って、ムギちゃんは
パンフレットを上げてみせました。
しかし澪ちゃんは顔をしかめて、
それを断りました。
私にはなんと言ったのか、
わかりませんでした。
ですが澪ちゃんの様子を見る限り、
見ても良さそうな内容ではないのでしょう。
律「……よし!さっさと楽器片付けて、
文化祭を満喫するぞ!」
澪「あっ、あのさ……」
紬「りっちゃん、澪ちゃんは
唯ちゃんと二人きりで回るのよ」
澪ちゃんが何かを言おうとした時、
それにムギちゃんが言葉を被せました。
りっちゃんは少し考えた後、
合点いった表情を浮かばせました。
律「ん、そういやそうだったな。
そういえば四人じゃダメなのか?」
紬「四人もいるんじゃ、
行きたいところ全部に回りきれないんじゃないかしら?」
律「それもそう……なのか?
まあいいか。じゃあムギ、一緒に回ろうぜ」
紬「ええ!」
ムギちゃんが嬉しそうに返事している中、
澪ちゃんは助かった、と溜め息を吐きました。
* * *
私たちが舞台袖の端へ置いておいた
楽器や機材を運び出し、
部室へと移しているうちに
ジャズ研のライブが始まっていました。
観客席にはあずにゃんと憂もいます。
二人はきっと純ちゃんと一緒に回るのでしょう。
何往復もし、ついに自分のギターを
持ち出すだけになった時、
ムギちゃんが澪ちゃんに何かを囁きました。
すると澪ちゃんは目を見開き、
慌てふためきました。
ムギちゃんはくすくすと笑って、
小走りで自分のキーボードを持って
講堂から出て行きました。
唯「ムギちゃんに、なんて言われたの?」
澪「いや……」
【Mi-side】
ムギは小さな声で、
はっきりとこう言った。
紬「頑張って」
と。
【Yi-side】
澪ちゃんに何を聞いても、
答えは返ってきませんでした。
あとでムギちゃんに聞くことにします。
ジャズ研の演奏は続いていました。
聴いていて心が穏やかになるような演奏で、
思わず席について聴きたくなります。
澪「……ん、唯。
電話鳴ってないか?」
唯「えっ?」
澪ちゃんに指摘され、
ポケットに入れた携帯を取り出すと、
確かに震えていました。
電話です。相手はりっちゃんでした。
講堂の出入り口まで一旦出て、電話をとりました。
唯「もしもしりっちゃん?」
律『……お前ら、気をつけろ』
唯「えっ?」
律『私たちですらこれなんだ……。
ボーカル二人組は、さらに大変なことになる』
唯「どゆこと?」
律『詳しいことは講堂を出ればわかる。
検討を祈るぞ、唯。そして澪は特に』
そう言うと、りっちゃんの方から電話を切りました。
しかし一体、何に気をつけろというのでしょう?
唯「澪ちゃん、今の電話だけど……」
澪ちゃんは出入り口から
講堂と本校舎を繋ぐ廊下を眺めました。
澪「唯。覚悟を決めろ」
唯「えっ?」
‐廊下‐
本校舎と講堂を繋ぐ廊下。
ここは外に面しているため、
他の廊下よりも多くの人がいても
問題ありません。
「澪先輩ー!ファンクラブ入りますー!」
「唯先輩可愛い~!」
「唯ちゃーん!」
「こらこらー!澪先輩ファンクラブの先輩は私だー!」
……ここまで人が多い場合は、
流石に想定していないと思いますが。
廊下は人、人、人で埋め尽くされていました。
唯「澪ちゃん、一体これは……?」
澪「放課後ティータイムのファン、
といえばいいのかな……」
わーお。
ここまで多いと嬉しいを通り越して、
どうすればいいのかわかりませんね。
澪「唯、どうしよう」
どうしようもありませんね。
* * *
「ありがとうございましたー!」
今ので最後の一人。結局私たち二人は、
最後の一人まで相手をしました。
(因みに七割は澪ちゃんのファンでした)
私たち二人のファンでごった返していた
廊下は、やっと静けさを取り戻しました。
そこに廊下の影に身を潜めていた
人がとたとたとこちらにやってきました。
唯「あっ、文恵ちゃん!」
文恵「お疲れ、唯。それと秋山さん」
澪「あ、ありがとう」
澪ちゃんと文恵ちゃんは
同じクラスになったことがないので、
まだぎこちなさそうです。
文恵ちゃんは人が少なくなった
廊下を見回し、溜め息を吐きました。
文恵「あそこまで人がいると、
嬉しいを通り越して迷惑になりそうだね。
そんな二人に、労いのお土産」
唯「お土産?」
そういって文恵ちゃんが渡したのは、
新聞部が発行している“文化祭新聞”の
十一時号でした。
携帯で時間を確認すると、十三時五十分。
記憶では文化祭新聞は二時間毎に発行されるので、
一つ前の新聞です。
唯「これ最新号じゃないんだね」
文恵「そうだね。まあ、まだ十三時号が
発行されてないだけだけどねー」
唯「えっ、もう十三時は一時間ぐらい過ぎてるよ?」
文恵「不思議でしょ?」
文恵ちゃんは事件の香りがするね、
と冗談ぽく言って笑顔を浮かべました。
文恵「そんなことより、お土産の感想聞きたいな」
そう言われたので、
私はお土産に視線を映しました。
お土産、つまり十一時号の新聞には
赤丸が書きこまれていました。
見てみると、軽音部関連の記事が
載せられている部分でした。
文恵「気付いた?軽音部関連の記事は、
こっちでピックアップしておいたからね」
突然文恵ちゃんは、あっ、と声をあげました。
そして申し訳なさそうな顔をして、
文恵「これも関連してたから一応赤丸しといたけど、
余計なお世話だったかな……?」
文恵ちゃんが指差した記事は、
軽音部が講堂でライブをするという旨が
書かれた欄のちょうど下に書かれていました。
例の怪盗レインボーの記事でした。
“【怪盗レインボー現る!】
さて、生徒の皆さんはあの怪盗をご存じだろうか。
その名も“レインボー”。虹を名乗る怪盗が今朝、
私たちへ仕掛けた挑戦的な行為については述べるまでもないだろう。
そのレインボーが本当に事件を起こしてしまった。
被害者は軽音部部員。盗難物はギター。
発見はされたものの、ライブ直前の出来事であったため
その当事者たちは顔面蒼白の事だったと聞く。
さて、興味深いことを皆さんにお知らせしよう。
この怪盗、なんと犯行現場に皆さんが手にしたであろうものと
同じようなメッセージカードが残す習性があるようなのだ。
私たち新聞部は、その内容を独自入手することに成功した。
“【Over the rainbow ~私は虹を越える~】
過去を大切にする私は固執する。
大怪盗レインボーが、ギターの赤を手にした!”
この文面を見る限り、同一犯の犯行とみて
間違いないだろう。また、新聞部はこの“レインボー”という名と、
盗まれたギターの“赤色”に着目し、ある仮説を立てている。
もし次の盗難物が“橙色”ないしそれに近い色であれば、
私たちの仮説は立証されるだろう。
しかし私たちは立証を望んでいない。
事件の早期解決を望む。故に、それを達成するまでの間、
出展物に橙色ないしそれに近い色がある参加団体は
警戒していただきたい。特にあらゆる色を揃えているであろう
美術部(絵具)、園芸部(花)、文芸部(筆記具)は十分な対策を
加えてお願いしたい。
重ねて言うが、新聞部は事件の早期解決を望んでいる。
この文化祭が平穏な時間になることを、切に願う。”
文恵「大変だったんだね……」
唯「そうだね……、特にあずにゃんは」
文恵「……あずにゃん?」
あっ。
最終更新:2013年03月16日 21:31