【第十五話】
‐???‐
「……もう、一緒にいれませんね」
「そんなことないよ!」
「本当に優しいんですね。
ですがその優しさは、どこからくるんでしょう。
同情ですか。慈悲ですか。義務感ですか」
「そんなこと……」
「ありますね。だって、私、知ってますもん。
あの日、私が不幸の黒猫だと伝えていれば、きっと……」
「違う!」
「今ではそう言えるでしょうね。
でも、私はこう思います。あの頃の唯先輩は、“傲慢”だったと」
‐平沢家‐
‐唯の部屋‐
唯「あずにゃん!」
朝。私はベッドの布団を跳ね除け、
飛び起きました。
きょろきょろ部屋中を見回すと、
誰の姿もありませんでした。
昨日は一緒に寝ていたはずの、あずにゃんも。
梓「あれ、唯先輩起きたんですか?」
と思ったら、あずにゃんが部屋に入ってきました。
梓「……なんだか、凄い汗ですね。
なにかまた悪い夢でも見たんですか?」
私は苦笑いを浮かべながら、頷きました。
梓「そうですか……。それは大変でしたね」
唯「あっ、でもそこまで深刻なものじゃないんだよ!
うん、全然平気!」
嘘。
梓「それなら安心です!あと、朝ご飯はもう出来てますよ。
学校に遅刻しないよう、早めに下に来てくださいね」
言うべきことを言ったあずにゃんは、
小走りで部屋を出ていきました。
お腹空いてるのかな。
唯「……」
嫌な夢を見ました。これで何度目でしょう。
毎日見てるわけではありませんが、始まりは文化祭最終日でした。
今が十一月ですから、相当長い期間続いていることになります。
その夢の内容はいつも決まっています。
私が立つ位置の周りは暗闇で、なにも見えません。
そこに私とあずにゃんが向かい合っています。
二人きりです。必ず。
あずにゃんは悲しい顔をしています。
何故か私たちは口論をしています。
そして、最後に私はこう言われてしまうのです。
唯「……傲慢」
【Az-side】
‐桜が丘高校‐
‐一年二組教室‐
梓「飼っていた猫がいなくなった?」
純「そうなんだよ……」
朝、自分の教室に入ると、
うら悲しそうな表情をした純がいたので、
早速その理由を聞きました。
実際悲しんでいました。
なんと飼い猫が行方不明になったということなのです。
猫というと、私も他人事には感じられません。
憂「行ってそうな場所とか、ないの?」
純「いつも散歩は一人で行ってるからなあ……。
もしかしたらその途中、事件に巻き込まれたのかも……!」
話を進めるにつれて、純は青ざめていきました。
嫌な方へ嫌な方へと、思考が進んでいるのでしょう。
梓「純」
それならば。
梓「私も協力する。一緒に探してあげるよ」
天使として、助けるまでです。
いえ、これは友人として、でしょうか。
純は少し複雑そうな顔になりましたが、
すぐに頷きました。
純「梓ー……あんたと友達で良かったよー!」
そう言われると、少し照れます。恥ずかしいです。
憂「私も手伝うよ!」
純「……くー、二人とも大好きだー!」
純は両手を思い切り上げました。ばんざい。
クラス中の視線がこちらに集まり、
何故か私の方が恥ずかしくなってきました。
純に羞恥心は無いのでしょうか。
【Yi-side】
‐二年二組教室‐
律「どうしたんだ、唯?」
唯「ほえ?」
律「ほえ、じゃなくて。なーんか、元気ないぞ?」
あの悪夢のことを考えていたからでしょうか。
私の嫌な気持ちが、顔に表れていたのでしょうか。
唯「うーん、気のせいじゃないかな」
律「ならいいんだけどよ。
ライブ終わったからって、気を抜きすぎんなよ~?」
唯「いつでも抜けてるよ~」
律「そうだなあ……ってこら」
りっちゃんから軽く手刀で突っ込み。
こつん。頭上でそんな音が鳴った気がしました。
律「まあ、無理に聞き出すことでもないだろうし。
お前が無理だと思ったら、誰かに話すだろうしな」
唯「でへへ、そういうことで~」
律「なに照れてるんだ」
りっちゃんから軽く手刀で突っ込み、再び。
こつん。
* * *
一時間目は現代文でした。
小論文より、小説の方が私は好きです。
そして今の時間は小論文を扱っています。
だから私は眠くなっています。
今のとっても論理的です。
もしかしたら小論文の一つでも書けるかもしれません。
私の身体が船を漕ぎ始めました。
段々、視野が狭くなって、視界がぐらぐら揺れて、
そして……。
悪夢。
唯「だめ」
声を押し殺し、周りに聞こえない声でぽつり。
今、寝てはいけません。
今のこの状態で寝てしまえば、
また、あの悪夢を見てしまうかもしれません。
だからもう少し心が落ち着いたら、寝ましょう。
文恵「あれ、起きた」
隣の席で、文恵ちゃんがくすくす笑いました。
文恵「起きないと思ってたよ」
唯「ずっと?」
文恵「唯なら、もしかしたら」
唯「酷い!」
文恵ちゃんは私の声の大きさに驚き、
私は咄嗟に両手で口を押さえました。
二人しておろおろとしていました。
恐る恐る、黒板の前に立つ現代文の先生へ目をやりました。
先生は、特に何も言ってきませんでした。
文恵ちゃんはふうっと深い息を吐きました。
文恵「授業は真面目に受けよっか」
唯「そうだねえ」
それには賛成です。
【Mi-side】
‐二年一組教室‐
一時間目が終わり、休み時間。
大方の生徒は友達と言葉を交わしている。
あちこちから笑い声が聞こえた。
私は自席の椅子に座りながら、窓に寄り掛かり、
背中越しに外の景色をどことなく眺めていた。
別に話す相手がいない、というわけではない。
ただ一人で考えたいことがあっただけだ。
澪「はあ……」
溜め息が漏れる。
十一月。文化祭が終わってから一月は経っている。
そうだというのに、なにも起きない。
いや、私が起こさない。
私の脳裏に焼き付いて、ずっと剥がれない声。
なにか考えていないと、必ずその声が再生されてしまう。
そして私は決まって、悶えてしまうのだ。
この状況を打開するためにはやはり、
私からアクションを起こさないとダメなのだろうか?
和「澪、なにやってるの?」
卒然と、和が話しかけてくる。
私は窓に寄り掛かっていた身体を戻して、
顔を正面に向けた。
澪「雲行きを見てる、って言えばいいのかな」
和「雨でも降りそうなの?」
さて、どうかな。
有り得ないとまでは言い切れないけど。
【Az-side】
‐一年二組教室‐
純「でも梓さ、部活あるじゃん。
ジャズ研の休みの日に猫探しはする予定だけど、
軽音部の休みと重なるの?」
梓「あっ、そっか……」
昼休み、私はいつものメンバーで昼食をとっていました。
純の猫探しを話題にして、話していましたが、
確かに私が猫探しに協力することは難しいかもしれません。
梓「でも」
やっぱり、力を貸したい。出来るだけは。
それが私の出来ることなら。
憂「文化祭終わったら、もう来年に向けての練習なの?」
梓「いや、どうだろうね、あれは……」
私の見る限り、先輩たちはいつも通りでした。
つまりお菓子に紅茶でのんびりまったり。
とはいえ、来年に向けた練習をされても、
私は困ってしまうのですが。
梓「まあ、抜けても良さそうな練習だったら、抜けてくるよ」
純「そっか。まあ、猫探しには猫同伴の方が……」
咄嗟に、純が自分の口を押さえました。
その動作を見て、私は不審に思い、
さっきの純の言葉を思い出していました。
……ちょっと、嫌な予感がしました。
私の正体を知っているのではないかという、懸念。
でも、なんで。なんで、知っているのでしょう?
私の心配をよそに、純はこほんと咳を一つしました。
純「……猫探しには、猫がいた方が良いしね」
ここぞとばかりに、間を開けて、
純「ねえ、あ・ず・にゃ・ん?」
梓「じゅ、純!?」
純「えー、どうしたのかなー、あ・ず・にゃ・ん?」
教室中に、どよめきが起こりました。
え、あずにゃん?なんのこと?
梓ちゃんのあだ名なんだってー。可愛い~。
そんな声が聞こえてきます。だめです。
このあだ名で呼んでいいのは、唯先輩だけです!
梓「純」
純「どうしたのかな、あーずにゃん」
梓「純ワン復活させるよ?」
純の顔が凍りつきました。
純「……悪かったよ、梓」
梓「それでいい」
ふと、さっきの懸念が消えていたことに気付きました。
私が猫だということが、あずにゃんという名前からきたと、
わかったからでしょう。
私の本来の姿を知っているのは、今のところ唯先輩と憂だけです。
そして、私の本質を知っているのは、私だけなのです。
こんな自分の性質なんて、誰にも言えるわけないのですから。
‐音楽準備室‐
机に並べられているのは、甘いケーキ。温かい紅茶。
どちらもムギ先輩が持ってきたものです。
やはり、そうでした。
今日の部活もいつもと変わりません。
演奏も少しはしますが、専ら休憩でした。
澪「はあ、こんなんで大丈夫なのか……?」
澪先輩は溜め息を漏らしました。
そうは言いながらも、ケーキを一口。
すぐに顔を綻ばせました。
澪「確かにライブは終わったけど、
それで私たちの活動の場が全部終わったわけじゃないんだぞ」
律「紅茶片手に言っても、説得力は無いぞ」
それは確かに。
私は澪先輩の話が終わったのを見計らい、
律先輩に話しかけました。
梓「あの、すみません。
今日特にやることが無いのなら、抜けていいですか?」
律「ん、なにか用事か?」
梓「友達が困ってるんですよ。そのお手伝いに」
律「うーん。是非行かせてやりたいところでは、
あるけどなあ……」
律先輩は腕を組んで、唸りました。
まあ、その反応が当然でしょう。
いくら部活らしいことしていないとしても、部活は部活。
これを簡単に抜けだされては困るというものです。
紬「じゃあ今日のところは、最後に一曲通して解散にしちゃう?」
そう言ったムギ先輩は、視線を窓の外に向けていました。
私たち全員がその視線につられ、窓の外を見ると、
なるほど怪しい雲行きでした。雨が降りそうです。
律「あー、まずい。傘持ってきてねえわ」
紬「私もなの」
澪「私も同じく」
唯「私も~」
満場一致で、ムギ先輩の案が採用されました。
【Mi-side】
一曲、通し終える。複数の音が、ぴたりと同時に止む。
この感覚が私は好きだ。
私たちはあまり部活で演奏していないというのに、
演奏技術が殆ど落ちていないことに気付いた。
各々が自宅でなにか努力をしている証だ。
梓はギターをケースに入れ、鞄を持った。
私たちに一礼しながら、それでは失礼しますと言い、
部室を去っていった。
確か、困ってる友達の手伝いと言っていたか。
梓も天使として、そういう人は放っておけないのだろう。
じゃあ私たちも、と律が鞄を引っ提げ、肩に掛ける。
他の二人も同じように帰宅の準備を始めたので、
私は慌てつつ、声を潜めて唯に耳打ちをする。
澪「唯、ちょっと残っててくれないか?」
私の言葉をどう受け取ったのか。
唯はきょとんとして、目を瞬かせた後、
何かに気付いたように目を見開いた。
すぐに微笑んで、唯は頷いた。
なんとなく、唯にはわかってるんだと。
そう私は確信した。
* * *
他の二人には先に行ってもらい、
部室には唯と私が二人きりでいた。
最近、この部室は唯と二人きりが多いと思うのは、
やはり印象的な場面が唯と一緒にいる場面だからかなあと、
そんなことを考えていると、唯が先に口を開いた。
唯「それで、なんの用なのかな、澪ちゃん?」
首を傾げながら、唯は聞いてくる。語調は軽かった。
それでいて、顔つきは非常に堂々としていて、
とても余裕がないようには見えない。
けれど、それすら照れ隠しのように見えるのは、
私の思い上がりだろうか。緊張して、唾を飲み込む。
澪「唯、あのさ。夏休みのこと、覚えてるかな」
唯「夏休みの、どのこと?」
あくまで私に言わせるのか!
唯は悪戯っぽい笑みを浮かべつつ、
私の目を凝視してくる。唯はちょっと小悪魔だ。
この様子、どうやら私の言わんとすることがわかっているようだ。
ならば恥ずかしがる必要は無い。
澪「……私が唯に、告白を」
やっぱり恥ずかしかった。顔を俯かせる。
目だけを唯の方へ向かせる。
唯は頬を赤く染めた私を見て、さも満足げに言った。
唯「澪ちゃん、可愛い」
澪「そ、そういうことじゃなくて……!」
唯「大丈夫。覚えてるよ。忘れるわけないよ」
唯はふっと、表情を変えた。
悪戯っぽい笑みを止めた。
代わりに、見たこともないような真顔を作った。
唯「澪ちゃん。私、もう答えは出てるよ。
だから教えて。今の澪ちゃんの気持ち」
……ああ、やっぱり私に言わせるのか。
いや、もとよりそういう約束だった。
約束は果たさないといけない。
ここで放棄すれば、もう二度とこんな機会は訪れない。
決心して、唯と顔を向き合わせる。
唇を噛む。昨日散々言葉は練ってきた。
だけど、どれも私がリードしていることが前提だった。
唯がリードする場合なんて、考えてもいなかった。
だからこれから私が言う言葉は、即興。
今、考えなくてはいけない。
……どれほど考えただろう。
一分ぐらいだろうか。五分経ってしまっただろうか。
時計を確認することも、今の私には許されない。
ただ目の前の唯から、視線を逸らしてはいけないから。
ついに、言葉がまとまった。
澪「唯」
唯「なに、澪ちゃん?」
澪「好きだ。あの時から、ずっと。
文化祭中も、ずっとドキドキしていた。楽しかった。
だから……、私と付き合ってください!」
最後まで言い切ると、私は目を閉じてしまった。
恥ずかしくなったから。
そして、唯の顔を見れなくなったから。
早く答えを聞きたい。早く。
そう思えば思うほど、時間の感覚が狂う。
もしかしたら三十秒ほどしか経っていないかもしれない時間を、
私は数分以上に感じていた。
やがて、私の身体に温かさが伝わる。
私は抱き締められているのだと、すぐに気付いた。
目を開く。唯が、正面から私を抱き締めていた。
唯「……嬉しいな……」
もう、それ以上の言葉は必要なかった。
私は包み込むように、唯に抱き返した。
さっきまで暗雲立ち込めていた空は、
その切れ間から、清々しい陽光が差し込んでいた。
【Az-side】
‐外‐
空を見上げると、確かに部室から
見たとおりの雲が広がっています。
しかし、どういうわけなのか、
雨なんて一つも降ってきませんでした。
純「いやあ、これも私の普段の行いが良いからだね」
少なくとも、そういうわけではないと思います。
梓「それで、純が落とした猫ってどんな猫なの?」
憂「梓ちゃん、猫は落とさないよ」
純「お腹から目の下ぐらいまで白くて、あとは黒いね」
梓「ふむ」
特徴ある模様ではないようです。
しかし探す範囲を、この町だけに限ったとしても、
相当な手間。これだけで探すというのは、少し無謀です。
梓「他に、探す手掛かりになるものは?」
純「……梓、いいねー。乗り気じゃん」
人が、じゃなかった、
天使が手を貸しているというのに、
純というやつは……。
純「そう、そこで提案があるんだよ。
でもその前に、まず猫がどのタイミングでいなくなったのか、
それを話したほうがいいのかな?」
憂「それを話さないと、始まらないんじゃない?」
純「むう、確かにそうだ。ではでは、ご清聴ください。
えー、時は先週の日曜日。
鈴木家に帰宅した私こと、
鈴木純は……」
純の口調がまるで演説でもしているかのようなものだったので、
私は思わず、
梓「手身近にお願い」
と、口を挟んでしまいました。
純はむっとした顔をしましたが、こほんと咳すると、
すぐにいつもの口調に戻って、説明してくれました。
純「ま、先週の日曜日なんだけどね。
私が買い物に出発しようと扉開けると、
その猫も一緒に外に飛び出したんだ。
猫が一匹で散歩することなんて、珍しくないでしょ?
だから私も、ただ散歩に行ってらっしゃいって、送り出したの。
私が行こうとした道とは、反対側の方向に行ってたね。
で、買い物から帰ってきて、
適当に漫画読んだりゲームしたりして、時間潰して。
それで晩御飯の時になっても、猫が帰ってこないんだよ。
あれ、おかしいなって、その時初めて思ったね。
そして次の日になっても、猫は姿を現しませんでしたとさ」
最後におしまい、と言って純は言葉を切りました。
ふむ。
憂「猫ちゃんがいなくなったのは、散歩中で間違いなさそうだね」
純「そうだね。ということで、
これから猫の散歩コースを辿ろうと思うよ」
憂「わかるの?」
純「全部は知らないけど、いくつかならね。
私の猫は気紛れだけど、複数の特定のコースから
一つを選んでたみたい」
憂「そういえば私の家の前にも、
一週間に一回ぐらい、同じ猫が通ってるの見たことあるよ!」
梓「猫は決まったコースを行く習性があるのかな」
純「その日が、特別気紛れを発揮したい日でなければね」
誰かさんに似て、と私なら追加します。
純「……梓、今私のこと馬鹿にしなかった?」
梓「どうしてわかったの?」
あっ。
純「梓?」
私もまだまだです。
最終更新:2013年03月16日 21:41