【Yi-side】
先にりっちゃんとムギちゃんには帰ってもらい、
私は澪ちゃんと二人で帰途についていました。
真上に広がる空はいまにも雨が降りそうで、
しかし雨粒は一つも落ちてきません。
そんな空を見上げながら歩いていると、
不意に腕を引っ張られました。
澪「唯、しっかり前見ろって。電柱にぶつかるぞ」
顔を前に向けると、正面に電柱が立っていました。
その距離、手を伸ばせば触れられるぐらい。
後もう少しで衝突するところでした。
唯「あはは、ごめんね。ありがとう澪ちゃん」
澪「まあこれぐらいはな、普通だよ」
唯「ふーん。じゃあ、これからはさ、
普通じゃないこともしてくれるんだよね?」
澪ちゃんは思い切り吹き出しました。
その顔はみるみるうちに赤く染まり、
ついにそっぽを向いてしまいました。
照れ隠しなんだろうけど。
全く隠せてないよ。
可愛いなあ。
澪「そういうことは、その、もう少し経ってから!」
澪ちゃん、そういうことなんて言ったら、
ソウイウコトを想像したって、自分から言ってるようなもんだよ。
唯「……みーおちゃん!」
澪「うわっ」
私は澪ちゃんに思い切り抱き付きました。
そしてそのまま、自分の頬をすりすり擦り付けました。
澪「ちょっと待った!こんなとこで、恥ずかしいだろ!」
唯「友達同士のじゃれ合いにしか見えないよ~。
誰も、私たちが付き合ってるなんて、思いもしないよ~」
澪「それでも私が恥ずかしいんだー!」
澪ちゃんは私の顔を両手でがっしり挟み、
そのまま私を押し返してしまいました。
そして、私の顔を挟んでいた手を離し、
次に私の手を掴みました。
澪「……今はまだ、手を繋ぐぐらい」
……萌え、萌え、きゅん。
‐音楽準備室‐
澪ちゃんと付き合い始めてから三日後。
今週末にデートを予定しているという大ニュースを差し置いて、
私たちの間ではある問題が起きていました。
あずにゃんです。
そう、あずにゃんは一昨昨日、一昨日、昨日に引き続き、
今日もまた部活を早めに切り上げました。
切り上げる際、少しりっちゃんが不機嫌そうでしたが、
確かに練習をあまりしていないのは自分たちなので、
渋々あずにゃんを送っていました。
いつもの紅茶が並べられた席に、
四人で座っていると、りっちゃんが突然喋りはじめました。
律「なんていうかさ」
唯「どうしたの?」
律「……いや。なんでも」
りっちゃんの顔に、影が差しました。
その様子を、幼馴染の澪ちゃんが
見逃すわけありませんでした。
澪「言ってみろよ、律。隠してないで」
律「いいんだ」
紬「梓ちゃんのこと?」
りっちゃんの眉がぴくりと反応しました。図星みたいです。
澪ちゃんとムギちゃんから鋭い視線が、
りっちゃんに向けられました。
その視線に耐えかね、ついに観念したりっちゃんは、
参ったと言って、椅子の背もたれに身体を預けました。
深い溜め息をつき、悩みを打ち明けてくれました。
律「まあ、そうだ。梓のことだな」
澪「部活をさっさと抜け出すことか?」
りっちゃんはこくりと頷きました。
律「だっておかしいだろ。いくら友達を手伝うからって。
きっとその友達だって、部活の休みの日を利用して、
なにか用事を済ませようとしてるんだろ?
なんで軽音部の活動を休んでまで、梓はそっちに……」
紬「でも、その理由はわかってるのよね?」
律「……まあ、梓がはっきり言ってくれた、この現状だろうなあ」
りっちゃんは両手を広げてみせました。
律「私は、これでいいと思ってるんだけどな。
このスペースとこのペースが、私たちの部活なんだって。
でも私たちは、普通の部活に比べれば、
努力を重ねられていないことだってわかってる」
唯「一応、真剣ではあるんだけどね」
律「そりゃそうだ。演奏するときは誰だって真剣だ。
だけど梓の言うように、部活の時間には活動していない。
だからそれに時間を縛られるよりは、
他の有意義なことに時間を使った方が良い。
そういう意見も分からないわけじゃ、ないんだけどなあ……」
なんとなく、りっちゃんの悩みは感じ取れました。
そしてそれは、私たちも共通して持っていた悩みでもありました。
そして恐ろしいことに、
それはこういうことなのかもしれません。
唯「あずにゃん、部活やめちゃうのかな……」
空気が張り詰めました。
律「そんな、梓が!?」
紬「で、でも、現状では梓ちゃん、
部活に出る必要がないって感じてるのよね?
それって部活を辞めるも同然じゃ……」
律「それだけはダメだ!」
りっちゃんは机に両手を荒々しく叩きつけました。
他の三人ともが、身体を一瞬縮こまらせました。
律「そんなこと許すもんか。
今更虫が良すぎるけど、
梓には部活を辞めてもらって欲しくないんだよ!」
紬「あの、あくまで仮定の話だから……。
その……、変なこと言って、ごめんなさい」
唯「私もごめん……」
律「あっ……私こそ、ごめんな」
重い空気に、沈黙が下りました。
みんなが口を固く結んでしまいました。
しばらくその状態が続きました。
みんなの顔は曇りきっていて、
とても会話が出来そうな状態ではありませんでした。
ふと、私の目の前にある紅茶入りのカップに、
目が留まりました。折角のムギちゃんの紅茶、冷ましてはいけません。
持ち上げて一口。
すると三人の視線が、私の持つカップに注がれました。
そしてまた一様に、三人ともが紅茶を啜りました。
かちゃりとカップが置かれた音が、
四つとも同時のタイミングで鳴りました。
ふっと、息を吐く音が聞こえました。
律「つまり梓を引き止める努力をすりゃ、いいんだろ」
りっちゃんは思い切りよく立ち上がりました。
律「よっしゃあ!」
その際、机に太股ををぶつけてしまいました。
りっちゃんは痛みに顔を引きつらせながら、再び着席しました。
律「いったあああ……」
澪「馬鹿か……」
澪ちゃんが呆れ、りっちゃんが太股を擦っていました。
私はその様子を見て、次にムギちゃんを見ました。
ムギちゃんも同時に、私の方を見てきました。
目が合って、可笑しくなって、二人とも声を上げて笑ってしまいました。
笑ってる私たちを見て、
りっちゃんと澪ちゃんも笑い声を上げました。
四人の笑い声が、部屋に響きました。
それは部屋に立ち込めた空気を入れ替えるのには、
全く十分なものでした。
* * *
律「さて、第一回梓引止め作戦会議を開こうと思う」
やいのやいの。
律「具体的な案のある人は挙手を!」
澪ちゃんが手をあげました。
律「では、澪さんどうぞ」
澪「まあ目的や目標の設定だろうな。
例えば、どこかのイベントに出るとか」
律「うん、そうだな、それが一番手っ取り早い。
じゃあその、どこかのイベントを知っている人!」
誰の手も上がりませんでした。
律「ま、まあそれは想定済みだ。
こういう情報はさわちゃんを当たれば、なにか知ってそうだけどなあ」
ムギちゃんがゆっくり手を上げました。
紬「あのー」
律「どうした、ムギ?」
紬「無かったなら無かったでも、なんとかなると思うの」
律「本当か!?」
紬「ええ」
ムギちゃんには音楽関連のイベントの、
アテがあるのでしょうか。……本当に?
なんとなく、察してしまいました。
そう。無いのなら、作ればいい、と……。
澪「ムギ。無理にイベントを作らなくて、いいんだぞ?」
紬「……あっ、ばれちゃった~」
ムギちゃんは両手の拳を握り締めて、
興奮しながら、
紬「でもね、やってみたいと思ってもいるのよ、本気で!」
やってみたいと思ったら、それが出来ちゃう世界。
まるで生きてる世界が違います。
つまりムギちゃんは、仮にイベントが無ければ、
自分たちで作って、そこに参加すればいいと言っているのです。
無茶な方法です。
でも確かに、ムギちゃんの家は私たちお馴染みの楽器店を
経営していますし、音楽関連のイベントを主催しても、
それは不思議なことではないかもしれません。
唯「二つぐらいイベントがあっても楽しそうだよね~」
澪「つまり音楽関連のイベントを見つけても、
ムギの家主催のイベントは別でやるってことか?
難しくないか、今の私たちじゃ」
律「いーや、梓を引き止めるにはそれぐらいがいいな。
ムギ、お願いできるか?」
紬「ええ!出来る限りのことはやってみるわ!」
ムギちゃんの闘志に満ちた顔を見てると、
不意に直感が働きました。
ムギちゃんの家はお金持ちです。
そんなムギちゃんの家が主催するイベントとは、
果たして私たちが出ても大丈夫なのでしょうか?
大きな会場、各界の重鎮を担っていらっしゃるであろう、
教養溢れる方々の前で、カチコチに固まりながら歌う私。
想像するだけで、足元から震え上がってしまいました。
唯「……ムギちゃん、程々に頑張ってね!」
紬「全力で頑張るわ!」
程々でお願いします。
【Az-side】
‐外‐
純の猫を探して、四日目です。
私たちは一日目と同様に、純の猫の散歩コースを辿っていました。
この四日間、全て違う道を辿っています。
ペットは飼い主に似ると聞きますが、
ここまで自由気ままなものとなると、
元の性格に上乗せされた形なのでしょう。
私も、似れればいいのですが。
憂「梓ちゃん、いいの?部活出なくて」
梓「うん、今日も大丈夫そうだったから」
実際、部活では部活動らしい活動をしていません。
お茶飲んで、お菓子食べて、談笑。たまに演奏。
楽しいことに間違いはありませんし、
余程のことが無い限り、部活に出ていたいことは確かです。
しかし、これは私にとって余程のこと。
人の不幸を確かに救えるのかどうか、
その瀬戸際に私は立たされているのです。
自分を隠して、こうして自分の利益のために行動しているのは、
先輩たちを騙しているようで、罪悪感は少しありました。
特に唯先輩に対しては……。
純「なんか悪いね」
前を歩く純が、背中越しに声をかけました。
別に、と適当な返事を返しておきました。
そう、別になんともないのです。表面上は。
罪悪感はあっても、それを表に出すことは許されません。
だから表の私は、ただ自身が証明したい、
ただそれだけを思っているということにしているのです。
私が人を幸せに出来たと、心から思えたことは一度。
文化祭での演奏でした。
あれは確実に、軽音部の先輩方の力もありますが、
聞いていた人たちを幸せに出来た瞬間だと思います。
だから、もし演奏できるのなら軽音部で。
出来ないのなら、猫探しで。
私は自分が人を幸せにする力も持っていると、証明するのです。
私たちは純を先頭に、その後ろに続いて私と憂が並んで歩いていました。
歩いているうちに、町の商店街につきました。
純の家からは歩いてすぐ行ける距離とはいえ、
猫が散歩でここまで来るとは驚きです。
憂「ふふっ」
憂が不意に笑い出しました。
純「どうしたの、憂?」
憂「純ちゃんの猫がそうだとは思わないんだけどね。
なんか、あれ見ちゃうと連想しちゃって」
そう言って、憂は一軒の商店を指差しました。
そこはお魚屋でした。なるほど。
純「流石に私の猫でも、お魚くわえて帰ってこなかったなあ」
梓「ふむ」
純「ん、なにか学ぶことでもあったの?」
純は怪訝そうに聞きました。
私は出来るだけ自信たっぷりに答えました。
梓「純の猫でも意地汚くはないってね」
純「それどういう意味だ!」
* * *
商店街を抜け、右折したところ。
そこからちょっと歩いたところにある本屋の前で、
私と憂は待たされていました。
純が買いたい漫画本があると言って、
本屋の中へ入っていったのです。
私たちはついに、商店街で目撃談を聞くことが出来ました。
その人の話すところによると、
「うちの店の裏の、塀の上を歩いてたよ」
とのことでした。その日付も一致します。
あの日、純の猫はこの商店街を通るような
散歩コースを選んだということで、間違いはないでしょう。
憂「純ちゃんの猫ちゃん、どこにいるんだろうね?」
梓「猫がそんなに遠くに行けるとは、思わないんだけどなあ」
しかし、それ以降の道では情報がぱたり。
目撃者の方も言っていましたが、猫のことです、
簡単に建物の裏や塀の上などを通っていくでしょうし、
誰もがその猫を見ることが出来はしなかったでしょう。
憂が突然、はっとしました。
憂「純ちゃんの猫の名前聞いてないね」
えっ、そこ?
梓「適当でいいんじゃない。適当で」
憂「もう、人の猫の名前が適当じゃダメでしょ!」
怒られてしまいました。
仕方ないので、純の猫の名前を、
真剣に考えることにしました。
何故私が考えているのか、わかりませんが。
梓「……あずにゃん二号」
憂「えっ」
憂はぽかんとしてしまいました。
我ながら、ユーモアに溢れた良い名前だと思うのですが。
梓「どうかな?」
憂「え、えーっと……」
憂が返答を渋っていると、片手にビニール袋を提げた純が、
本屋から出てきました。
純は私と憂を順々に見て、首をかしげました。
純「どしたの?」
梓「純の猫の名前はあずにゃん二号って話をしてたの」
純「えっ」
異論は無いようです。無事に決まりました。
最終更新:2013年03月16日 21:42