【第十六話】


 【Mi-side】


 ‐外‐


 寒さも厳しくなる。羽織る衣服は秋用から冬用へ。
 ついに十二月がやってきた。


唯「寒いねえ、澪ちゃん」


 隣で歩く私の恋人、唯もその例に漏れず、
 コートを着込んで、桃色のマフラーに口元まで顔を埋めている。
 その仕草に、私は小動物を連想した。


唯「……澪ちゃん、なに笑ってるの?」


 おや。思わず笑みが零れていたようだ。


澪「ちょっと今から楽しみになっちゃって」

唯「あ~、なるほど~。楽しみだよね、クリスマスパーティー!」


 唯の顔がぱあっと輝く。

 例え、雪がどれだけ降っていても、
 この唯の輝きを見失うことはないだろう。
 私は微笑を浮かべて、唯に応えた。


澪「……」


 尤も、この輝きだって時には失われることもある。
 その輝きにトドメを刺した事件が起きたのは、ちょうど先月のことだった。
 梓が、軽音部を退部した。


 * * *


 近所のアーケード街にやってきた。
 多種多様な店舗が道の両脇で賑わっている。
 その一つ一つも、クリスマス仕様なのか、
 雪や電飾等の装飾が施されている。
 夜になれば映えることだろう。


唯「まずはあそこに入ろう、澪ちゃん!」


 言い終わるや否や、唯はその店に走っていってしまった。
 そんな急がなくても、店は閉じないのに。
 勿論唯がそんなことを心配しているわけもなく、
 ただはしゃいでいるだけなのは、十も承知だ。


澪「……良かった」


 店の中に入る前に、呟く。
 唯が店の中から手を振っているので、
 私も小走りで店の中へ入る。

 唯がこの状態になるまで、半月はゆうにかかった。



 ‐雑貨店‐


 所狭しと、様々な品物が並んだ雑貨店だ。
 店内の雰囲気は統一されておらず、雑多な印象を覚える。
 クリーム色の壁は、どんな品物にもマッチするように選択されたのだと思う。

 唯は奇妙なぬいぐるみを両手で持ち上げた。
 そしてそれを、私の前に突きつけてきた。


唯「ねえ、これ可愛くないかな?」


 唯、それはやめておきなさい。

 そして私が率直な感想を言うと、唯はえー、と落胆した声を発した。
 こんな具合で、唯の部屋のぬいぐるみは選別されてきたのだと、
 なんとなく理解できた。

 唯が渋々ぬいぐるみを棚に戻すと、
 その隣に可愛いクマのぬいぐるみがあった。
 私はそれを手に取った。


澪「こっちなんてどうかな?」

唯「おお、こっちも可愛い!でも、澪ちゃんが選んでも意味無いんじゃない?」

澪「まあ確かに」


 それもそうだ。これはプレゼント交換のために持ち寄る、
 プレゼントを選ぶ買い物のはずだった。
 この場では、唯のセンスに任せるべきだったかもしれない。
 エキセントリックが過ぎるプレゼントも、困りものではあるけど。

 例えば、海苔とか。

 私は手にしたぬいぐるみを棚に戻そうとしたところで、
 ふと思い止まった。


澪「そうだ、これは唯へのプレゼントにするよ」

唯「えっ?」

澪「恋人同士なんだし、別にプレゼントを用意しても、
 おかしなことじゃないだろ?」


 唯はきょとんとしてしまった。
 なにか、おかしかっただろうか。
 思い返しても、特にそんな部分は思い当たらない。

 突然、唯が小さく吹き出した。


澪「えっ、えっ?なにかおかしかったか?」


 戸惑う私を包み込むように、唯は笑みを浮かべた。


唯「……澪ちゃん、最近恥ずかしがらずに“恋人”って言えるようになったよね。
 こんな店の中、誰が聞いているのかわからないのに」


 再び、思い返してみる。ああ、確かに言っていた。
 思いだすと、何故だろう、とても恥ずかしい気がしてくる。
 私の顔が火を吹いた。


唯「あちゃー、オーバーヒートしちゃったよ」


 唯はたまに痛い部分を、一瞬で突いてくる。
 違うんだよ、唯。ここはお店でも、お客さんがいないから言えただけで。
 いたとしても、他人に聞こえない程度の声で喋ってるつもりなんだよ。
 そんな言い訳も、段々苦しいものに聞こえてきた。

 そう。私は既に恋人という言葉で、いちいち照れなくなっている。
 意識して言うと、まだまだだけど、無意識下ならば可能だ。
 いつからこうなったかといえば、やはりきっかけはあの事件だったと思う。

 壊れてしまいそうな、繊細なガラス細工にも似た、
 美しくも脆い女子高生一人の精神を、私は支えると決めた。
 この言葉一つで、私にはその義務があると思っている。

 だからこそ、照れるわけにはいかない。
 ……まだ、ちょっと至らない部分があるけれど。



 【Yi-side】


 ‐外‐


 最近、澪ちゃんが頑張っている気がします。

 私たちはアーケード街をあとにし、小さな道路を歩いていました。
 両側にはしばらく先まで住宅が並んでいました。

 澪ちゃんは兼ねてより努力家ではありますが、
 最近の澪ちゃんの頑張り様は少し、それが過ぎているような気もします。

 原因ははっきりしていました。私です。


澪「唯、どうした?」


 澪ちゃんはこちらへ顔を向け、私に心配そうに尋ねました。
 そう、まさに、こんな感じ。


唯「ううん、何でもないよ!」


 明るく振舞って、誤魔化しました。
 澪ちゃんはそうか、と言って正面に向き直りました。

 あずにゃんが部活を退部してから一ヶ月近く。
 初めこそ、軽音部は重く湿った空気がのしかかっていましたが、
 今となってはそこそこ回復出来ています。
 勿論、あずにゃんを部活に戻そうとする努力も、惜しんでいません。

 しかしあずにゃんの決心は固く、
 再び部活に戻る必要は無いとまで言い切りました。
 “必要ない”とまで言われ、軽音部は茫然としてしまいました。

 ただし、私以外の人が。私はその言葉の意味を、知っていました。

 あずにゃんは今年度で此処を去ってしまうのです。


 * * *


 “一年間だけ人間世界での生活をすることになったんです。”

 あの時のあずにゃんの言葉が、今になって現実味を帯びてきました。
 そして、きっとあずにゃんは今戻っても、すぐに自分はいなくなるのだから、
 戻る必要は無いと言ったのでしょう。


唯「ねえ、澪ちゃん」

澪「どうした?」

唯「もし私があと数ヵ月の命だとして、なにに対しても無気力になるのは、
 間違ってることなのかな」


 澪ちゃんは突然、私の両肩を掴んできました。


澪「やめてくれ」

唯「もしもの話だよ~」

澪「唯」


 澪ちゃんは私の目を、睨んできました。
 瞬間、私の身体が震え上がりました。


唯「……ごめんね。じゃあ、違う例え話にしよっか。
 私が数ヵ月後、どこか遠い国に旅立つとして」

澪「それまでの間、私は唯と楽しむ。全力で、その期間を」


 質問するまでもありませんでした。


澪「唯が望む限り、一緒にいる。唯が望まなくても、一緒にいたい」

唯「……それってちょっとストーカーっぽいね」

澪「え……、えっ!?」


 澪ちゃんがみるみる顔を赤く染めているのを見て、
 私はけたけたと笑いました。


唯「冗談だよ?」

澪「そ、そうだよな、冗談、だよな」

唯「うん、大丈夫。澪ちゃんは良い子だから、ちゃんとしてるから」


 私は小走りで澪ちゃんの前に行き、振り返りました。
 澪ちゃんは正面の私の顔を、ぽかんと眺めていました。


唯「澪ちゃん、私決めたよ」

澪「なにを?」

唯「やっぱりクリスマスパーティーには、あずにゃんも呼ぼう!」



 【Az-side】


 ‐鈴木宅‐

 ‐純の部屋‐


 散らかり放題で、まるで無秩序な床。
 お気に入りのベースの周りだけは、綺麗に保ってあります。
 そんな部屋の、白に塗られた天井。


純「梓」


 寝転がりながらそれを眺めていると、純の声が聞こえました。


梓「なに?」

純「澪先輩から私の携帯に、あんた宛てのメールが来たよ」


 私は起き上がり、純の方へ顔を向けました。


梓「……見ないとダメ?」

純「ダメに決まってるでしょう、が!」


 純は言葉を言い切る瞬間、私に自分の携帯を投げてきました。
 私は慌てて、それをキャッチしました。ナイスキャッチ。


純「いい加減、居候生活も止めろってメールかもね」

梓「それはあんたの言いたいことでしょ」

純「こら、私は受け入れた側の人間なんだけど?」



 純は溜め息を吐きました。

 ……私は軽音部を止めたあの日に、平沢家を出ました。
 部活を辞めておいて、どうしてそこにいることが出来るでしょうか。

 とはいえ、寄る辺ない身であった私。
 当然、屋根のある生活など期待していませんでした。
 猫の姿に戻って、猫として最後まで生きていようかとも思って、
 路頭を彷徨っていました。

 そこで、純に出会いました。

 純の計らいで、私は単なる一匹の猫として、
 鈴木家に迎え入れられました。
 そればかりでなく、純は私が学校にも行けるようにもしてくれました。
 教科書は全て学校に移しました。
 制服は朝、純が鞄に入れて持っていきます。
 そして家の外のどこか着替えられる場所まで私を連れていき、
 そこで着替えさせるようにしてくれました。

 なにも問題なく、学校に通うことは出来るようになりました。


梓「受け入れたといっても、私の正体を知ってるんでしょ」

純「不幸を呼ぶ黒猫のこと?」


 純は鼻で笑いました。むかつく。


純「あとたった数ヵ月ぐらいの不幸なら、私が引き受けても良いよ」

梓「そう……」

純「それは唯先輩も同じだったと思うけどね。当然、憂だって」


 私は言葉に詰まってしまいました。
 純は、私の手元へ指を差しました。握られた携帯がありました。


純「そのメール読んで、しばらく考えな。
 ちょっと私は出掛けてくる用事があるから」


 そう言うと純は背中越しに手を振りながら、
 部屋をあとにしていきました。

 私は握られた携帯の画面に、目を向けました。
 そのメールの文面を凝視しました。
 澪先輩と、唯先輩からのパーティーへのお誘いでした。


梓「……まだ、私を見てくれているんですね、先輩……」


 眼から溢れた雫が、一筋に頬を伝いました。



 【Yi-side】


 ‐外‐


 澪ちゃんと別れ、私は一人、近所の公園のベンチに座り込んでいました。
 小さな公園で、小さな砂場と小さな滑り台しかありません。
 周りの植えられた木々は、既に枝だけとなっていて、疎らでした。

 ここは昔、私や憂や和ちゃんの遊び場でした。
 今となってはもう、利用することは殆ど無くなってしまいました。

 ベンチに座りながら、足をばたばた動かしながら待っていると、
 公園に入ってくる人影がありました。
 私はその人の名前を呼んで、こちらへ来るよう手招きをしました。
 その人は言う通りにこちらへ近づき、私の隣に座りました。


唯「ごめんねえ、純ちゃん」

純「良いですよ、時間も有り余ってましたし」

唯「そっか」


 純ちゃんは羽織っていた茶色のコートのポケットから、
 缶コーヒーを取り出し、蓋を開けました。


純「寒い季節には、これですよ」


 純ちゃんがそのコーヒーを呷りました。
 それを見て、悪戯心が働かないわけがありません。

 私は純ちゃんの横っ腹をつつきました。
 すると純ちゃんは、見事にコーヒーを吹き出してしまいました。
 私はそれを見て、けたけたと笑いました。


唯「純ちゃんもったいないよー」

純「唯先輩が言います!?」


 * * *


 せめてものお詫びにと思い、
 近くの自販機でホットコーヒーを二人分買ってから、
 再びベンチに二人で座りました。

 缶を両手で包み、暖をとりながら、私は話を切り出しました。


唯「あずにゃんの様子、どうかな」

純「憂からある程度は聞いてないんですか?」

唯「クラスじゃ変わりない、とは聞いたよ」

純「そうですね。まあ不幸を呼ぶ力も、その程度だということです。
 学校で同じクラスにいようと、簡単に大きな不幸が訪れたりしません」

唯「それは」


 部活でも、同じことだよね。
 そう聞こうとした私は、咄嗟に口を閉ざしました。
 それを聞いて、一体なにになるのでしょうか。

 私も純ちゃんも顔を正面に向けたままでした。
 横目に純ちゃんの横顔を見ると、純ちゃんは遠くを見ているようでした。


純「……家でも、普通です。家族の間での扱いは猫ですが」

唯「うん、かくまってくれてありがとう。
 純ちゃんの素早い判断と行動のおかげで、あずにゃんは学校に通えてるんだよね」


 私は自分の言ったことに、かぶりを振りました。


唯「……ううん、それとも」


 私はベンチに座りながら、地面を蹴りました。
 土が抉れる音が聞こえました。


唯「こうなった時の準備ならとっくにしてた、って言った方がいいのかな?」

純「……」

唯「意地悪だよね。ごめんね」


 横目で見た純ちゃんの表情が、曇りました。

 純ちゃんは文化祭で怪盗レインボーとして、暴れ回っていました。
 その正体を知る者は限られていますが、
 さらにその最大の目的を知っているのは、私一人になります。

 いわば、虹を越えた色を盗むという最終目標。
 “あずにゃんを私から引き離す。”

 怪盗の最後の目標である“黒色”はあずにゃんでした。
 私にあずにゃんが不幸を呼ぶ天使であることを伝えた上で、
 そのリスクを回避するために、あずにゃんと私を引き離そうとしていたのです。

 ただ、それは私が必要ないと言って、断りました。
 あずにゃんが不幸を呼ぶといっても、
 あずにゃんはそれ以上の幸福を連れて来てくれたのですから。
 だから、問題なかったのです。


純「こんな場合は想定していません。勘違いしないでください」


 純ちゃんの声は、震えていました。


唯「……」


 そう、問題は別の形で起きてしまいました。
 私は自分の中でしか、その問題を解決できていなかったのです。
 あずにゃんの中にも、それは堆積していたにも関わらず。

 自分を隠してまで、今まで過ごしてきた理由は?
 もしその秘密を、私が既に知っていたと知れば、どうなる?

 ちょっと考えれば思いつくような疑問点を、私は見ていませんでした。 
 私はあずにゃんの気持ちをわかっている気でいました。
 でも、全然わかっていませんでした。全然。

 そして、その結果として、


唯「……そうだね。想定とはまるで“逆”のことが起きたんだから」


 私があずにゃんから離れるのではなく、
 あずにゃんが私から離れてしまったのです。


 * * *


唯「ねえ、純ちゃん」

純「すみません、ちょっと待ってください。
 今からこの空き缶をあのゴミ籠にシュートするんで」


 そう言って、純ちゃんは空っぽの缶を右手で持ち、構えました。
 片目を瞑り、狙いを定めて……シュート。
 勢いよくなげられた空き缶はほぼまっすぐの軌道を描きながら、
 緑色の鉄製ゴミ籠の縁にあたって、そして、地面に落ちました。


純「惜しい!」

唯「……よーし、次は私の番だよ!」


 残りのコーヒーを一気飲みして、さっきの純ちゃんのように構えました。
 私も片目を瞑って、狙いを定めて。
 シュート、というところで純ちゃんが突然脇の下をつついてきました。

 くすぐったくなって、私の身体がぶるっと震えると、
 その拍子に手から空き缶が離れてしまいました。


唯「あー!」

純「お返しですよ」

唯「ひ、酷いよ純ちゃん!」


 かこーん。缶が、鉄製の何かにあたった音が響きました。
 見ると、ゴミ籠の中に私の投げた缶が入っていました。
 私は目を丸くしました。わーお。


唯「……ふふーん」


 私はドヤ顔を浮かべながら、純ちゃんの方へ顔を向けました。
 どうだい純ちゃん。これが私の実力ってもんだよ。
 そんなことを思っていると、純ちゃんは前に自分で買ったコーヒーの空き缶を構えて、
 シュート……放物線を描き、そして籠にイン。わーお。


純「あれ、唯先輩。どうしてそんな得意気な顔してるんですか?
 なにか嬉しいことでもありましたか?」


 純ちゃん、キミは意外とサディスティックだね。


純「……そうですね。唯先輩はその顔が一番です」

唯「えっ?」

純「大方、ここへ私を呼び出したのは、梓の近況報告に加えて、
 梓をなにがなんでもパーティーに連れてくるよう協力を頼みたかったんでしょう?」


 見透かされていました。


純「頼まれなくても、そうするつもりでしたよ。
 ですから唯先輩。あなたはその顔で、梓を迎えてあげてください」


 ……純ちゃん。


純「はい?」

唯「純ちゃんは、意外と気がきくんだね」


 意外ってなんですかー。
 口調は怒ったような純ちゃんの顔は、とても和やかでした。


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最終更新:2013年03月16日 21:42