【Mi-side】
‐秋山宅‐
‐澪の部屋‐
帰宅した私は、床に腰を下ろした。
鞄から携帯を取り出して、あるページを開いた。
最近唯から教えてもらった、SNSの一つ“MIXY”だ。
このようなものには関心が無かったが、唯がやっているというので、
一応登録だけはしてみた。
それでも結局、自分から能動的に使用する頻度は少なめ。
友達の呟きや日記にコメントして、そこから会話をする程度だ。
早速日記の更新の知らせが目に入る。唯のものだ。
唯の書く日記は、端的に言ってしまえばつまらな……いや、素朴だ。
濃い内容ではない。
それでも他の友達からコメントがたくさんあるのは、
唯の成せる技か、持ち合わせた魅力のおかげなのだろう。
澪「……あれ、友達申請きてる」
友達申請とは、そのままの意味。
このようなサイトでは、まずこの作業をすることで、
自分の交友範囲を広げていく。
因みに、私は自分からそれをしたのは、軽音部の皆へしかない。
澪「またファンクラブの人かな……」
だというのに、友達は増える一方だ。
随分前から始めていたという唯や律より、数が多くなりそうな勢いだ。
尤も、その殆どの人がファンクラブの人で、
私とはあまり面識のない人だ。
ところが今回は珍しいことに、面識のある人物だった。
澪「姫子?」
姫子もやってたのか。申請許可にカーソルを動かし、許可。
久しぶりに友達リストが増えた実感がした。
申請を許可した直後、メールが来た。姫子からだった。
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From:姫子
Sub:無題
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許可ありがとう!澪もMIXYやってたんだね!
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そういえば、姫子はどこから私を見つけたのだろう。
私は唯や律、ムギのページには直接個人のページにアクセスできる、
“キーワード”を教えてもらった。
これを専用の検索欄に打ち込めば、一瞬だ。
ただ姫子にはそれを教えていない。さらに考えれば、ファンクラブの人たちも同様だ。
私は不安を覚え、どうやって自分のページを見つけたのかを、
メールで聞いた。返事はすぐ帰ってきた。
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From:姫子
Sub:無題
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澪って初心者?
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ああ、そうだとも。
どうせロクに使い方もわかってないよ!
そのように送ったら、姫子から返事がきた。
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From:姫子
Sub:無題
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怒らないでよー(笑)
澪さ、登録するときに自分の学校も登録したでしょ?
このサイトには、同じ学校の人が表示されるページがあるんだ。
そこから澪のページを見つけたんだよ。
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学校を登録?
そういえば、したような気がする。
姫子から教えてもらったページを開いてみる。
すると確かに、自分と同じ学校の人たちがずらっと並んでいた。
ページを隈なく見てみると、自分と同学年の生徒に絞って検索することも可能らしい。
姫子やファンクラブの人はこれを利用したのだろう。
澪「……まだ知らないことが一杯だな……」
こういうものに慣れるためには、やはり時間が一番必要なのだろうか。
【Az-side】
‐鈴木宅‐
‐純の部屋‐
純「梓、ご飯だよ」
純の部屋の座卓に伏せていると、声が聞こえました。
どうやらご飯が出来たようです。
今日は、純の両親がいません。兄もいないようです。
また、私は料理が出来ません。
そのため純が手料理を振舞うことになりました。
不安が一杯ですが、なんでも、
純「食べた人は誰でも笑顔になる、
鈴木純特製タマゴ炒飯だよ!」
だそうです。笑い茸でも入ってるのでしょうか。
純は両手に持った炒飯入りのお皿を、座卓の上に並べました。
出来たてほやほやなのがわかるぐらい、湯気が立っていました。
黄色い、パラパラのご飯。見た目では美味しそうです。
蓮華が目の前に置かれました。
純「ささ、熱いうちに召し上がれ」
梓「ありがと。いただきまーす」
さっそく一口。うん、まあ美味しい。
幸い、笑い茸は入っていないようです。
純「どうよ?」
梓「まあまあだね」
純「えー、素直に美味しいって言いなよー」
しかしやっぱり、どうしてなのか、まあまあと感じてしまうのです。
この炒飯は確かに美味しいです。
ですが、私はこれ以上美味しい炒飯を知っています。
こう思ってしまって、それらを比較するのは失礼なのだと、
重々承知ではありますが、どうしてもそう思ってしまうのです。
純「まあさ、憂の料理に比べたら、まだまだだけど」
純が口を尖らせて文句を垂れると、私ははっとしました。
私の中に生きていた味、それは私が天使だった頃に食べた料理でもなく、
どこかのコンビニのおにぎりでもなく、憂の料理でした。
気付けば、私は目から一筋の雫を垂らしていました。
純「わわっ、どうした!感動するほど美味しかったの!?」
純の検討違いな心配りに、
私は涙しながら、小さな笑いを吹き出してしまいました。
クリスマスパーティーはあと間近。
それはきっと、考えて末、ついに出した結論を伝えるには、
一番良い機会なんじゃないでしょうか。
もうすぐ、クリスマスです。
【Yi-side】
‐平沢宅‐
‐リビング‐
憂「お姉ちゃん、そっちの飾り付けお願いね」
唯「了解だよー!」
クリスマス当日。私と憂は飾り付けをしていました。
色とりどりの折り紙で作られた輪を繋いだものを、
壁という壁に貼り付けていきます。
窓の外を見ると、日は既に少し傾いていました。
憂は座卓にお皿を並べていました。
既にキッチンではいくつかの料理が完成しています。
ケーキはムギちゃんが持ってきてくれると聞いていたので、
今ここにはありません。
毎年の定位置に置かれたクリスマスツリーは、
電飾を主に、プレゼントの箱や球で彩られ、
雪を模した綿を積もらせていました。
てっぺんにある星は黄金に輝いています。
まだ飾り付けが終わらないうちに、家のチャイムが鳴らされました。
憂「お姉ちゃん、お願い」
唯「わかったよー」
玄関に行き、扉を開けると意外なお客さんがいました。
一番来て欲しい人でしたが、一番乗りだとは想定外だったのです。
唯「おかえり、あずにゃん」
梓「……いえ」
* * *
私が座卓の側に腰を下ろすと、
あずにゃんも同じように、向かい側に腰を下ろしました。
憂「別に手伝わなくても、いいんだよ?」
純「いいのいいの」
一緒に来ていた純ちゃんは今、憂のお手伝いをしています。
純「あっ」
憂「純ちゃん……」
多分、お手伝いをしています。
あずにゃんは俯いていました。
私は両手で頬杖をついて、そんなあずにゃんを凝視していました。
私の強い視線に気づいたあずにゃんは、
ぷいとそっぽを向いてしまいました。
丁度あずにゃんの視線の先がクリスマスツリーでした。
唯「あずにゃん、今日はクリスマスだね」
梓「見ればわかります」
唯「怒ってる?」
梓「怒ってません」
あずにゃんは静かな声で言いました。
梓「むしろ唯先輩が怒ってるんじゃないですか?」
唯「私に怒る理由なんてないよ」
梓「家出しました」
唯「そうさせたのは、私だもん。だからごめんなさい、あずにゃん」
あずにゃんははっとした様子で、こちらを向きました。
今日初めて、あずにゃんと目が合いました。
あずにゃんの目は不安で濁っているように見えました。
唯「あずにゃんの隠してきたこと、デリケートなことに、
無闇に無遠慮に触れちゃって、ごめんね」
梓「……不安でした。心配でした」
あずにゃんの目から、濁りが洗い流されるように、
梓「本当のことを知っていて、なんで一緒にいたのかって。
私の周りからは誰もが離れたのに。私の周りには、誰もいなかったのに」
唯「うん」
梓「本当は心の底で、私のこと蔑んでるんじゃないかって。
私の大好きな笑顔の裏で、なにか思っているんじゃないかって!」
唯「そんなことないよ。私はあずにゃんのこと、大好きだもん」
梓「……ゆい、せんぱい……!」
涙が、零れ落ちました。
私は泣き崩れるあずにゃんに近づき、
そっと、その身体を抱き締めました。
* * *
その後は大変でした。
憂と純ちゃんはリビングへやってきた途端、
泣いたあずにゃんを見て、目を丸くしていました。
二人も咄嗟にあずにゃんに近寄り、慰めようとしていましたが、
そこで空気の読めないチャイムが鳴り響きました。
仕方なく私が玄関の扉を開けると、
軽音部のみんなと和ちゃんが全員集合していて、
ぞろぞろと家の中へ入ってしまいました。
するとまず目につくのがやはり泣いたあずにゃんで、
そこから騒ぎは広がるばかり。
律「総括すると、梓を泣かしたのは唯だな」
梓「……はい」
唯「えっ」
* * *
我が家がやっと落ち着きを取り戻した頃、
私があずにゃんの泣いていた理由を説明して、
事態は終息しました。
あずにゃんが天使だということは、伏せておきました。
騒ぎが収まり、それぞれが座卓の周りに座りました。
律「そうだったのか……唯と喧嘩なあ」
紬「それが理由で、軽音部も辞めちゃったの?」
梓「もうちょっと複雑な理由があるんですけどね」
澪「じゃあ、まだ軽音部に戻れないのか」
梓「……多分、ずっと戻れません」
そうだろうと、私は思っていました。
どうしてだよと、りっちゃんやムギちゃんは抗議の声を上げていました。
あずにゃんは、私に目を向けました。
じっと、私の目を見つめてきました。
これは了解を取っているのだと、そう直感しました。
でも、なんの了解を取ろうとしているのでしょう。
梓「……」
あずにゃんは声を発さず、口を動かしました。
唯「えっ」
口の動きから言葉を読み取った私は、言葉を失ってしまいました。
あずにゃんの口は雄弁に、こう語っていました。
て、ん、し。
確かにそれを語れば、
誰でもあずにゃんが部活に戻らない理由をわかってあげられます。
しかし、そんな簡単に話して良いことなんでしょうか。
私はここで、はっとしました。
逆に、どうして私が決めて良いのでしょう。
これはあずにゃんが決めることです。
思えばあずにゃんは、今までも、事あるごとに私に確認を取ってきました。
“あいつはきっと、自分を変えようとしたんでしょう。
人に笑顔を振り撒き、幸福にしてくれる先輩の近くに行って、
不幸を引き寄せる自分を。”
文化祭最終日の純ちゃんの言葉が脳裏に蘇りました。
唯(……そっか。やっとわかったよ)
何故、あずにゃんは今まで私に確認を取ってきたのか。
それは、
“自分が他人を幸せに出来るよう、私に指示してほしかったから。”
逆に言えば、あずにゃんは、
“自分の判断では、人を不幸にしてしまうと思っている。”
他人を幸福にする人の指示を仰いで、自分を変えようとする。
不幸に溢れた自分を変えようと、まるで違う環境に自分の身を置く。
実はあずにゃんは、とんでもない努力家の天使だったのかもしれません。
そして今、あずにゃんは自分を明かそうとしています。
さらにこの家を出て、軽音部も辞めています。
それならもう、終えるべき。
そう結論付けた私は、あずにゃんに満面の笑みを向けました。
あずにゃんは少し驚いていましたが、
すぐに私の真意を悟ってくれました。
唯(これが私の答えだよ、あずにゃん)
あずにゃんは大きく頷き、そして私に笑顔を返してくれました。
その笑顔を久々に見た私は、ちょっとだけ悲しくなってしまいました。
* * *
あずにゃんが自分のことを話し始めました。
初めは冗談かなにかだと、
特にりっちゃんは相手にしていませんでしたが、
雄弁な語り口と、例の空中浮遊を見せつけられると、
表情からお茶らけたものが消えました。
和ちゃんはなにが起きているのかわからないといった様子で、
ぽかんとしていましたが、空中浮遊を見た途端、
覚醒したように目を見開いていました。
ムギちゃんは初めから真摯に、
あずにゃんの言葉を聞いていました。
時に頷き、時に涙を流しそうになっていました。
澪ちゃんはあずにゃんが天使であることを知っていましたが、
実はあずにゃんが不幸を引き寄せる天使であること、
今年度でここを去っていくこと等の新事実を知り、
驚きを隠し切れていませんでした。
全てを知っていた私と憂と純ちゃんは、落ち着いていました。
それでも憂は、目に涙を溜めていました。
梓「……以上です」
あずにゃんが全てを話し終えると、
部屋からは一切の音が消え失せました。
初めに静寂を破ったのは、りっちゃんでした。
律「あー、整理しきれん」
梓「そうでしょうね……」
律「梓が天使で、実は不幸を招き寄せていて、
今年度でもとの場所に帰っていく。要約すると、こんなもんであってるよな?」
梓「はい」
律「わからん。やっぱりわからん」
梓「なにがですか?」
律「軽音部に戻れない理由だよ。
いくらいなくなるからって、軽音部に戻れないってことはないだろ」
視界の端で、澪ちゃんがなにかに気付いた表情をしました。
澪「そうだぞ、梓。それまでの期間を全力で楽しむことは、決して無駄じゃない」
紬「一緒にお話しするだけで、私たちは幸せよ?」
しかしあずにゃんはかぶりを振りました。
梓「私が戻らない理由は、二つあるんです」
律「二つ?」
梓「一つに、私は既に軽音部で十分に色々なものを貰っているため。
他人を幸せに出来る皆さんの力を借りるのは、ここまでと決めたんです」
律「私たちから卒業したってことか?」
梓「言い換えれば」
先輩を残して、後輩が卒業する。
奇妙な光景ですね、と隣に座る純ちゃんが耳打ちしてきました。
梓「二つ目ですが、それは力試しです」
澪「力試し?」
梓「はい。私が人を笑顔に出来るかどうかの、力試しです」
力試し。おぼろげに、そんな言葉を聞いたことがあると、
覚えていました。
あずにゃんは顔を引き締め、声高に、宣言しました。
梓「私は、あずにゃん二号を見つけ出します!」
部屋中から、ぽかん。そんな音が鳴った気がしました。
【Mi-side】
あずにゃん二号というのは、鈴木さんの猫の仮の名らしい。
さっきまでの張り詰めた空気をぶち壊す、
インパクトの大きな名前ではあると思う。
一通りの話が終わり、戸惑いもあったが、
無事に梓の言葉は受け入れられた。
クリスマスパーティーに必要なものはこれで全て揃った。
憂ちゃんが料理を卓上に運ぶ。
色彩豊かな料理が目の前に並ぶと、歓声が上がった。
憂ちゃんは頭の後ろを掻いて、照れている。
私の自慢の憂だからねと、唯はご満悦だ。
全員にジュース入りのグラスが配られる。
律が代表して、グラスを持って立ち上がった。
律「よし!色々あった一年だったけど、お疲れ!かんぱーい!」
乾杯。各々のグラスがぶつかり、カランと澄んだ音を鳴らした。
唯は私のグラスと乾杯する際に、ウィンクをしてきた。私は照れた。
目の前に広げられた料理に、手をつける。
美味しい。ここにいた誰もが唸る出来だ。
ふと、あれだけの話をした梓が気になった。
梓は、唯の隣に座って談笑している。
心配する必要はなさそうだ。
それは、唯も含めて。
最近、私は必要以上の義務感に囚われていた。
今、それから自分が解放されていく心地に、ふと気付いた。
和「今年のクリスマスは凄いわね」
私の隣に座る和が、話しかけてくる。
澪「ああ、そうだな。私も知らないことがいくつかあったけど」
和「あの子がいわゆる、天使ってことは知ってたんだ?」
澪「まあな」
和は関心を示しながら、眼鏡の位置を直した。
和「じゃあ折角出来た後輩も、もういなくなってしまうのね」
澪「……そういうことになるな」
唯はそれをずっと前から承知の上で、梓と接してきている。
それを思うと、居た堪れない気持ちになってきた。
唯は今も、隣に座る梓と笑い合っている。
澪「それでも私は」
和「そうでしょうね」
和は言うまでもないというように、私の言葉に被せてきた。
私は黙って頷いた。
律「あれ、澪の料理全然減ってないじゃーん」
不意に、律が話しかけてきた。
フォークを私の皿に向けている。
待て、律。
お前のしようとすることはわかる。
だから待て。
紬「油断大敵よ、澪ちゃん!」
後ろから声がすると思ったら、ムギだった。
何故かフォークを持っている。お前もか。
唯「そうだよ澪ちゃん、敵はどこにいるかわからないんだよ!」
和「はあ、この子たちは変わらないわね……」
そう言って、和はさりげなくフォークを私の皿に向けた。
なんだこれ。どういう状況だ。
和までも敵に回ったら、誰がこいつらを止めてくれるんだ。
憂「お姉ちゃんの料理はまだあるでしょ。めっ!」
唯「ううっ、お許しを~」
憂ちゃんだった。鶴の一声ならぬ、憂ちゃんの一声。
最終更新:2013年03月16日 21:43