【第十八話】
【Mi-side】
‐秋山宅‐
‐澪の部屋‐
澪「……はあ」
一人、部屋で溜め息を吐く。
私は今まで、鈴木さんの猫をさらった人物を追い求めてきた。
そしてついに、その人物を突き止めるに至った。
九十九パーセント、間違いないと思う。
しかし私が予てから憂いていた悪い予感が
現実味を帯びているどころか、現実のものとなってしまった。
ここに、私が溜め息を吐いた原因がある。
澪(いや、それだけじゃないな)
この話は一人だけに留めておいてはならない。
そう思った私は、律に私の考えを打ち明けた。
私の話を全て聞き終わった律は、しばらく無表情だった。
だが、ふとした瞬間に、自分の目を手で覆った。
唇は若干震えていた。
その光景があまりに残酷で、私は次を続けることが出来ないでいた。
そしてそのまま私たちは解散したのだった。
澪「……」
一度再考の必要があると考えた私は、
今日まで調べてきたことを思い返していくことにした。
それは二月の下旬から、三月上旬にかけてのことだった。
‐桜が丘高校‐
‐二年一組教室‐
本日最後の授業。学校は平穏な静けさを保っている。
国公立大学の前期二次試験を終え、
受験という人生の一大イベントを支え終えた学校からは、
いくらかエネルギーが抜けているようにも見えた。
私は黒板の内容をノートに書き写しながら、
その内容とは違うことを考えていた。
二月から始まった鈴木さんの猫攫い犯の追及は、
一つ一つ確実に歩を進めていた。
むしろその頃必要だったのは、時間だけ。
そうとさえ、思っていた。
授業終了の鐘が鳴る。
私はノートの内容を家で見直すことを決めてから、
一度教室を出て行った。
‐廊下‐
階段を上り、二階へ。
二年一組の教室は北側にあるため、階段を上るとちょうど理科室にあたる。
犯人とニアミスを起こすという、苦い思い出が脳裏に蘇る。
私は二階廊下を北側から南側へ、順に歩いていった。
主に、正門が見える窓の反対側に教室はある。
北から順に理科室、二年二組、二年三組、二年四組、二年五組。
一組以外の二年生教室は全て二階だ。ずるい。
次に三年一組、三年二組、家庭科室、三年三組、三年四組、三年五組。
三年生の教室は全て二階にある。
私も三年生になれば、最低限二階に行けるらしい。良かった。
三年五組を過ぎると、オカルト研究会などの部室が並ぶエリア。
どの教室も、その部活に入っていないと縁遠い教室だ。
そしてそのまま進み、突き当たったところ。ここは資料室。
ここを右に曲がると下へ下りる階段がある。
澪「……なるほどな」
私は何事もなかったかのように、その階段から下りていった。
疑惑が確信へ、一歩近づいたような感覚だった。
‐二年一組教室‐
教室に戻ると、唯とムギが和の机の周りにいた。
見ると、和の机には一枚の紙が置かれていた。
どうやら新しい謎々のようだ。
澪「新しい謎々か?」
唯「うん、そうなんだよ。澪ちゃんも考えてくれる?」
唯の頼みなら断る理由はない。
机上の紙に目を向ける。その紙にはこのように書かれていた。
“黒い鼠のかつての住処へ”
澪「……黒い、鼠?」
紬「今までで一番難しいの……」
澪「これが置かれていた場所は?」
紬「唯ちゃんの下駄箱。これ以上のヒントは出さないみたい」
それは困った。
恐らく“黒い鼠”が、なにかを意味する表現なのだろう。
私はそんな表現は知らないけれど。
和に視線を送った。だが、和も肩を竦めるばかり。
和にもわからないらしい。
和「なんだったら、これ使う?」
和は電子辞書を取り出した。
ありがたい。礼を言って、それを受け取る。
まず“くろいねずみ”と検索欄に入力する。
ヒット件数はゼロ。どうやら、ストレートな表現ではないようだ。
唯「“くろねずみ”なんてどうかな?」
なるほど。早速そのように検索欄に入力。
すると広辞苑、及び国語辞典でヒットした。
ただの黒い鼠という意味もあるが、他にも意味があるようだ。
私はその中で一つ、気になる意味を見つけた。
澪「“主家の物を掠め取る雇人”……か」
唯「主家ってなに?」
和「雇われてる人に対して、主の家ってことよ。
私が唯を雇って働かせたら、私の家が主家ね」
唯「なるほどなるほど。でも、その意味でいいのかな?
自分の家に人を雇って働かせてるなんて、そんな滅多な話じゃ……」
和「唯。灯台下暗しって知ってる?」
唯「えっ?」
唯は素っ頓狂な声を出した。
一体誰が主家たる人物なのか、きょろきょろ辺りを見回す。
その答えはすぐに見つかった。
紬「あっ、私のこと?」
唯「そうかムギちゃんか!」
ムギの家は、行ったことはないが、恐らく大豪邸。
使用人の一人や二人、いてもおかしくはない。
和「でもムギの家の使用人で、そんな人がいたの?」
紬「うん、先月辞めさせたけど、いたわ。
私が“犯人はあなたです!”を決めたの~」
ムギは嬉々として語る。
多分、本人はその言葉を言うことが目的だったのではないだろうか。
紬「でも待って。私の家が答えってことは、この謎々……」
澪「帰宅するだけで正解になるな」
紬「どうしてそんな謎々にしたのかしら?」
澪「その家がまさかムギの家だとは、思っていなかったんじゃないか?」
紬「あっ、なるほど~」
表札が出ていたとしても、まさか自分の学校に、
あれほどの豪邸を持つ生徒がいるなんて思えなくても無理はない。
勿論、私はムギの家を見たことがないけど。
ここで私ははっとした。
ひょっとすると、という淡い期待を持った。
澪「なあムギ。家の前に監視カメラがついてたりしないか?」
紬「ごめんなさい、無いの。敷地内なら至る所にあるんだけど……」
ムギのこの謙遜が、私たちの度肝を抜いたのは言うまでも無い。
至る所って、そんなに広いのか。
しかし残念なことに、淡い期待はそのまま空へ消えていった。
そこまで都合の良い話は無いということか。
‐外‐
私と唯とムギは、律を迎えて電車に乗っていた。
この電車はムギの家のある町に向かっている。
そして同時に、そこは梓たちが猫を探している現場でもあった。
私たち四人がなんの連絡もなしに町に現れたら、
梓は不安がるだろうか。
そんな懸念ばかりが、私を悩ませる。
唯「澪ちゃん、そっちはどう?」
澪「まあまあ順調だ」
唯「そっか、良かった。絶対とっ捕まえて、猫を返してもらってね!」
唯は期待を目に浮かべていたが、
その目に疲れも浮かんでいることに気付く。
澪「わかってるよ。唯も、あんまり無理するなよ?」
唯「無理なんてしてないよ~」
澪「嘘つけ。目の下、隈が出来てるぞ。寝れてないんじゃないか?」
唯「……えへへ、ばれちゃったかあ」
梓のことで頭が一杯で、夜眠れないのだろうか。
唯の調子は決して良いものではなかった。
唯「最近、憂にも心配されちゃってるし、ダメだなあ、私」
澪「そうだな、自己管理はしっかりしないと」
唯「手厳しいねえ」
澪「でも、それだけ人を心配できるっていうことは、自分の力だよ。
唯の優しさは底を知らないな」
唯は照れ笑いをしながら、頭の横を掻いた。
こういう仕草がいちいち可愛いから困る。
唯はそのまま、しばらく視線を下に向けていた。
なにかを考えているようにも見えた。
けれどなにを考えているか、私には想像もつかなかった。
* * *
終着駅に到達する。ここがムギの家のある場所だ。
今更になって、ムギの家を見ることに緊張している自分に気付いた。
唯や律も、同じように張り詰めた面持ちだった。
一人、ムギだけが自分のペースを保っていた。
ムギにリードされ、私たちはついにムギの家に到着した。
到着するや否や、私たちは驚愕することとなった。
目の前に君臨する門は気品が溢れ、
豪邸の規模が私たちの想像を絶するものだと検討できる。
その左右には、非常に高い塀が伸びている。
塀の高さを確認しようと首を上げると、首が痛くなるほどだ。
門も塀も白で統一されており、等間隔に円柱も設置されている。
ここは日本だが、西洋の大豪邸のイメージだ。
遠くから建物は辛うじて見えていたものの、
近くからは殆ど中が見えないのが非常にじれったい。
頭の中で、綺麗に刈り取られた草木、
整列する花々のイメージを膨らませる。
紬「あったわ!」
ムギの声で意識を取り戻す。
少し分かり難いところに隠してあった、
犯人の残した紙を見つけたらしい。
ムギは特に家の中を見せてくれる様子は無かった。
本当に見るだけでいいから、中を見せて欲しい。
しかし、現状、そんな欲に構っている暇はない。
ムギの見つけた紙を注視する。
“おめでとうございます。またいつか”
相変わらず、猫を返す気がないようだ。
律「なんなんだ、こいつ。目的がさっぱりわからん」
澪「私たちを弄んで、それで楽しんでるんじゃないか?」
律「……性格、悪!」
全くその通りだ。性格も趣味も、酷く悪い。
ここで一つの疑問が浮かぶ。
澪「ところでムギ。この“黒鼠”が現れたって事件、
ニュースになってたりしたのか?」
紬「地元紙で少しだけ扱われてたけど、その程度ね」
澪「そうか……」
なにかに気付いた唯が、空高く手を上げた。
澪「どうした、唯?」
唯「犯人はこの町に住んでる可能性があるね!」
澪「なるほど。その可能性は、確かに格段に上がったな」
唯「ふふん」
唯は得意げな顔をしてみせた。
尤も、その可能性は以前から明らかに存在していた。
何故なら猫を攫った町というのが、この町だからだ。
猫を攫って、遠くに連れていくのは非常に手間だ。
憂さ晴らしをするにしても、もう少し楽な方法はあるだろう。
つまり、猫を移動する手間があまりない、
この町に犯人が住んでいる可能性は元々非常に高かった。
私はそのことを盛り込みつつ、様々なことを調べていた。
そのために私は例のSNS“MIXY”の使い方をマスターしたのだ。
私がMIXYを使って犯人の絞り込みを行う上でのフィルターは、大きく三つあった。
一つ、桜が丘高等学校の生徒であること。
二つ、映画専門雑誌“映画宝庫”を読んでいること。
三つ、この町に在住していること。
一つ目は姫子から教えてもらった、
“同じ学校の人が表示されるページ”に行けば、簡単にわかる。
二つ目はコミュニティの参加者欄を見れば明らか。
三つ目は一見難題に見えるが、実は簡単だ。
それを示すのは、それぞれの自己紹介欄。
実は、自分の住所を友達以外に明かしていない場合でも、
自分の出身校を記載している人がいる。
公立の小学校、及び中学校は、学区によって生徒が決まる。
つまり、“概ね住所が特定出来てしまうのだ。”
引っ越しをしている場合は話が別だけど、
その場合は出身校を二つ書いていたり、
小学校と中学校の学区があまりに離れていたりすることから判断できる。
高校生になってから引っ越した場合は難しいが、
今回調査の対象になった生徒に、引っ越したらしき人物はいなかった。
よって、一番の問題は一つ目のフィルターだった。
ちまちま全校生徒を参照していては、時間がかかって仕方ない。
そこで私は和に協力を仰いだのだ。
もうこれは間違いない。確信だ。確信でしかない。
澪「……」
しかし、どう話せばいいのだろうか。
私が予てから抱いていた嫌な予感が、ついに形を持とうとしている。
初めはなんとなくでしかなかった感覚が、
じわりじわりと現実に顔を出している。
私はその怪物の脳天へ、拳を振り下ろしたい気分でいた。
それも無理な話だとわかっているのが、
非常に悔しいところだった。
* * *
電車で自分たちの町に帰ってきた私は、
律と二人で住宅街の中を歩いていた。
唯とは既に別れ、ここにいるのは二人だけだった。
私は、どうすればいいのだろう。
一人で考えるだけで、本当に良いのだろうか。
そう考えるにつれて、話せ、話せと、
もう一人の自分が心に語ってくる。
確かに、誰かにこのことを話す上で、
今の状況以上に適した状況が存在するだろうか。
澪「律」
私の呼び止める声に、先を行く律は振り向いた。
律「どうした」
澪「……ちょっと話を聞いてくれないか。
もしかしたら、犯人がわかったかもしれない」
律「本当か!聞かせてくれよ!」
律は興味津々といった体で、前のめりになっていた。
一方で私は、苦々しい表情を浮かべていた。
* * *
澪「私がMIXYを利用して犯人を突き止めようとしてたこと、
それは言ったはずだよな」
律「ああ、コミュニティとか、同じ学校のやつとか、
そういうのを駆使するとか言ってたな」
律は眉をひそめた。
律「お前、まさか日夜それらを照らし合わせてたのか……!?」
澪「そんな訳ないだろ!」
流石に私でも、それは骨が折れるどころではなく、
魂もどこかに行ってしまうほどのことだ。
平静ではいられないだろう。
澪「和に、このリストを頼んだんだ」
律「……なんだこれ?」
澪「ある部活の生徒のリストだ。
横にはMIXY内で使用している、ハンドルネームを私が書き加えた。
これを見ながら二つを照らし合わせたんだ」
律「ある部活って、どこだよ」
この部活を当てたのは、初めは何となくだった。
ところが後から出てくる情報が、この勘を裏付けてくれていた。
澪「“映画研究会”だ」
律は驚いた声を上げた。
律「えっ、映画研究会……?」
澪「意外か?」
律「貼られてた文字の紙が映画専門雑誌のものだからって、
短絡的過ぎるだろ……」
澪「そうだな。私も馬鹿馬鹿しいと思った。
でも一応、理由はあったんだ」
それは雑誌の切り取られた部分が映画批評家のページで、
この犯人は多分なんらかのこだわりを、
映画に対して持っているんだろうな……という程度のものだ。
尤も、今はそれを説明する必要はない。
澪「ところが次の事件で、私は確信を持った。
理科室の前に置かれた紙を思い出してくれないか?」
律「……床に落ちてたな」
澪「そうだ。あれは最悪、誰かに拾われて、捨てられてもおかしくない。
そうなってしまえば、図書館にいる犯人は永遠に私たちを待つことになるし、
どう考えても無駄が多い。ならば、どうしただろう?」
律「理科室の前の紙を、誰かが見張っていたとか」
澪「そうだ。それが最も効率的で確実だ」
律「待てよ。てことは、澪は犯人が“複数”だと考えているのか?」
澪「違うよ、律。犯人は“映画研究会そのものだ。”」
最終更新:2013年03月16日 21:44