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訊かれるまでもなかった。
私は軽く頷いてから、隣に座る平沢さんの表情を窺ってみる。
平沢さんはやっぱり少し寂しそうに微笑んでいた。
寂しく感じるのも当然だと私は思った。


『公園に居るのは、あのベンチに座ってるツインテールの子くらいだろ?』


さっき律さんは平沢さんに視線を向けもせずに澪さんにそう言った。
耳に息を吹き掛けたのも澪さんじゃないかと疑っていた。
勿論、平沢さんを無視したわけじゃない。
深く知っているわけじゃないけど、あの人達はそんな事をする人達じゃないと思う。
例え心の底から誰かを嫌ったって、完全に無視なんてする人達じゃないはずだ。
大体、そんな事、やろうと思ったって出来るわけないじゃない。
つまり、平沢さんが見えていないんだ、あの人達には。
私は一息吐いて、平沢さんに向けて小さく応じた。


「うん、よく分かったよ、平沢さん。
これも『チャンスシステム』……なんでしょ?
『ナビゲーター』の人は、今回チャンスが来た人以外、
誰からも見えなくなる……、って事でいいのかな?」


「うん……。
仕方が無い事だけど、ちょっと寂しいシステムだよね……。
勿論、『ナビゲーター』が終わったら、
元に戻るらしいからそこは安心なんだけど……」


「そっか……。
あ、平沢さんに一つだけ確認があるんだけど……」


「何、梓ちゃん?」


「平沢さん……、幽霊ってわけじゃないよね……?」


私が言うと、平沢さんは優しく微笑んだ。
何だか凄く儚い、愛しくなるくらいの笑顔だったけれど、
とても綺麗な笑顔で、そのまま私の手を軽く握って言ってくれた。


「大丈夫。
私、ちゃんとここに居るよ、梓ちゃん」


柔らかくて温かい手のひらだった。
そもそも律さんだって平沢さんの息は感じていたんだから、
単に平沢さんの姿が見えなくなってるだけって可能性の方が遥かに高いよね。
私はちょっとだけ微笑んで、「うん」と大きく頷いた。


ここに居る。
平沢さんは確かにここに居る。
奇妙な現象ではあるけど、奇妙な縁ではあるけど、
平沢さんは柔らかい笑顔を浮かべて、ここに居てくれてるんだ。
私のお願いを叶えてくれるために。

気が付けば、私は平沢さんの言葉の全てを信じていた。
ううん、むしろ『チャンスシステム』の存在が嘘でも構わなかった。
不思議と私の心を惹き付ける。
平沢さんにはそんな魅力があるんだと思う。


「それにしても……」


私は微笑みながら言葉にしていた。
微笑みながら誰かと話すなんてどれくらいぶりだろう。
学校でクラスメイトと話す事はあるけど、あの日以来、笑う事は少なくなってた気がする。
でも、今、私は笑えてる。とりあえず、笑えてる。


「どうしたの、梓ちゃん?」


私の顔を覗き込みながら、平沢さんが首を傾げる。
その視線は真剣そのものだった。
私が『チャンスシステム』の事を完全に理解するまで、
丁寧に確実に真摯に私と向き合ってくれる……、そんな視線だった。
でも、私はもう平沢さんの言葉を信じてたし、
平沢さんに訊ねようと思っていたのはもっとどうでもいい事だ。


「うん、『チャンスシステム』って変なシステムだなー、って思って。
『ナビゲーター』の人がリレー方式で『一生に一度のチャンス』の事を次の人に伝える。
まだちょっと胡散臭い気はするけど、システムとしては理に適ってるって思うよ?
でもね、そのために『ナビゲーター』の人の姿が次の人以外の人間から見えなくなる、
って現象の意味が分からないんだよね」


「あ、詳しく言うとちょっと違うみたいだよ、梓ちゃん。
『対象者』以外の人の目に写ってはいるけど、
その誰からも気にされないくらい存在感が薄くなってる状態らしいの。
梓ちゃんは『ドラえもん』の『石ころ帽子』ってひみつ道具知ってる?
それを被ると石ころみたいに誰にも気にされなくなるって、ひみつ道具。
そんな感じになってるみたいなんだ」


「そうなんだ。
でも、どっちにしても、変なシステムだよね。
お願いを叶えてあげるなら、『ナビゲーター』をそんな状態にする必要無いでしょ?
……無理矢理理由を考えれば、
『チャンスシステム』をどうしても信じられない人のために、
『ナビゲーター』を非現実的な存在にして、無理矢理信じさせるため……とか?」


「あははっ、それもあるかもしれないね。
梓ちゃんって想像力が豊かなんだね。
でも、『ナビゲータ』の存在感が薄くなるのは、それが一番の理由じゃないみたい。
それはね、きっと……」


そこで平沢さんが口ごもった。
まだ出会って間もない平沢さんだけど、珍しいな、って私は思った。
平沢さんは素直でまっすぐで真剣な子だって、私は勝手に思ってる。
ちょっと話しただけだけど、それは凄く感じるんだ。
だからこそ、口ごもった平沢さんの様子を私は見逃せなかった。

平沢さんはもう少しだけ言葉を止めてから、
少しだけ悲しみがこもったような笑顔を私に向けた。


「あ、それより、梓ちゃん。
今日、どうしてこの公園に来たか憶えてる?
この公園に来た理由……、憶えてる?」


「理由……?
えっと、それは……」


平沢さんに続いて口ごもるのは私の番だった。
それは平沢さんと出会う前から疑問に思っていた事だ。
思い出せない。
と言うか、この公園に来た理由に心当たりが無いんだよね。
お金も持ってないし、アウトドア派というわけでもないし……。
本当にどうして私はこの公園に来たんだろう……?

私が少し声を上げて唸り始めると、
平沢さんがとても簡単な答えを私に伝えてくれた。


「それもね、『チャンスシステム』のルールなんだ。
『一生に一度のチャンス』に選ばれた『対象者』の人は、
特に何の理由も無く『ナビゲーター』の居る場所に引き寄せられるらしいの。
私もね、前の『ナビゲーター』の人と会った時はそうだったんだよ。
何故か急にプールに行きたくなっちゃって、
一人で近所の市民プールに行っちゃってたんだ。
一人でプールに行く事なんて、今まで一度も無かったのにね……。

それでね、そのプールに前の『ナビゲーター』の人が居たんだよ。
『ナビゲーター』の人に引き寄せられるって話を聞いた後、
私が「どうしてプールで私を待ってたんですか?」って訊ねたら、
前の『ナビゲーター』の人は嬉しそうに言ってたなあ……。
「『対象者』が可愛い子だったら、
その子の可愛い水着姿が見れるかもしれないじゃない!」って……」


なるほどなあ……。
分かってしまえば単純な理由だ。
私が公園に来た理由は、真の意味で平沢さんと巡り合うためだったんだ。
何だか自分の心を操られてるみたいでちょっと怖いけど、
それは今平沢さんの姿を確認出来ない律さんと澪さんも同じ状況だった。

『チャンスシステム』がどんなシステムなのか完全に分かったわけじゃない。
でも、私には何となく分かっていた。
お願いを一つだけ叶えられる……、その許容範囲はかなり広そうだって。
人の心を軽くでも操作出来るくらいに……。
少しだけ……、それが怖いって思わなくもない。

ただ、怖いのは『チャンスシステム』の事もだったけど、
私はそれ以上に得体の知れない何かへの怖さを感じてもいた。
ちょっとだけ深呼吸をしてから、私は平沢さんにそれを訊ねてみる。


「前の『ナビゲーター』の人ってどんな人だったの……?
話を聞く限り、かなり変質者に近いよ、その人……。
耳に息を吹き掛けたり、水着の女の子を待ってたりとか……。
平沢さん、大丈夫だった?」


「あ……、あはは」


平沢さんが困ったように苦笑する。
平沢さんもその前の『ナビゲーター』の人について思う所も多少あったらしい。
私だったら、そんな人に『チャンスシステム』の説明をされても、信用出来ないなあ……。
でも、平沢さんは真剣な表情になって、私の瞳を覗き込みながら続けた。


「大丈夫、安心して、梓ちゃん。
確かに変わった人だったけど……、でも、素敵なお姉さんだったんだ。
大人の女の人で、ふざける事も多かったけど、決める時はしっかり決めて……。
一生に一度のお願いが決まらなかった私の相談にも乗ってくれて……。
本当に素敵なお姉さんだったなあ……。
また……、会えるかなあ……」


平沢さんがそう言うんなら、きっと本当に素敵なお姉さんだったのだろう。
私も一度見てみたい気はする。
会話はあんまりしたくないけどね……。
とにかく、平沢さんがその人に変な事をされたわけじゃないのは何よりだった。
安心した私はその言葉を軽い感じに言ってしまっていた。


「だったら、また会いに行けばいいんだよ、平沢さん。
あ、今は『石ころ帽子』状態だから無理か……。
じゃあ、平沢さんの『ナビゲーター』の役割が終わった時にでも……」


瞬間、平沢さんが軽く首を横に振った。
「どうして?」と私が訊ねるより先に、平沢さんは口を開いていた。


「残念だけど無理なんだよ、梓ちゃん……。
さっき『ナビゲーター』の存在感が薄くなる本当の理由について話してたよね?
はっきりしてるわけじゃないけど、その本当の理由はね……、
『チャンスシステム』が終わった後の事後処理を簡単にするためだって思うの」


「事後処理……?」


「実はね、梓ちゃん……。
『チャンスシステム』が終わったらね……、
システムの事、お願いが叶った事、何もかも全部忘れちゃうんだよ……」


「えっ……?」


嘘でしょ?
とは続けられなかった。
平沢さんの表情を見るだけで、その言葉が真実だって事はよく分かったから。
同時に『チャンスシステム』は本当によく出来たシステムなんだって感じさせられた。
私は多分複雑な表情を浮かべて、平沢さんに訊ねていた。


「そのための『石ころ帽子』……?」


「うん……、そうだと思うよ……。
『チャンスシステム』に関わった皆の思い出を消すのは大変でしょ?
だから、システムを『ナビゲーター』と『対象者』だけの秘密みたいな形にするの。
そうすれば、お願いが叶った後、手広く関係者全員の思い出を消す必要も無くなるから。
そういう……システムなんだろうね……」


「じゃあ、前の『ナビゲーター』の人も……?」


「うん……、お願いが叶う前にね、
『私の事を憶えてたらプールで会いましょう』、
って約束したんだけど……、その人はね……、来てくれなかったんだ……。
仕方が無い事だけど、ちょっと……寂しいよね……」


残念だな、って私は思った。
本当に……、凄く残念だ。
平沢さんが前の『ナビゲーター』の人と再会出来なかったって事だけじゃない。
私の中の平沢さんの思い出が残らないという事が、残念で仕方が無い。
平沢さんとはもっと仲良くなれる気がしてた。
こんな変な形の出会いだったけど、ひょっとしたら大切な友達になれていたかもしれない。
それくらい、私は平沢さんに惹かれていた。
だから……、とても……、残念だなあ……。

それともう一つ、困る事が出来て来る。
お願いが叶ったという事すらも忘れてしまうって、平沢さんはそう言っていた。
これは大きな問題だよね……。
お願いは叶った事を憶えているからこそ、それを生かす事が出来るって私は思う。
例えば『チャンスシステム』お願いで大金を求めたとして、
その大金を得た理由の記憶を失くしてしまっていたら、本当に大切なお金の使い方は出来ないはずだ。
その大金を得たかった理由すら忘れてしまったら、そのお願いには何の意味も無い。
だとしたら、叶ったという事を忘れてしまっても構わないお願いにするべきだろう。
そんなお願いがあるのかどうかは私にも分からないけど……。


「あ、ごめんね、梓ちゃん。
何か湿っぽい事言っちゃったみたいで……。
だけど、お願いが叶ったら全部忘れちゃう……、
ってシステムもよく考えたら結構難しいよね。
そのシステムを聞いてから、私もずっと悩んじゃってたし。

だからね、梓ちゃん。
私、梓ちゃんにもよく考えてお願いを決めてほしいの。
全部忘れちゃうのに変だけど、後悔しないように……」


まだ前の『ナビゲーター』の人との別れで胸を痛めてるはずなのに、
それでも、平沢さんは優しく微笑んで私に言ってくれた。
その表情は私の事を心の底から考えてくれてるみたいに見えた。
それはとても嬉しい事だったけど、同時にちょっとだけ複雑な気分が湧き上がった。

平沢さんは人の事を心から思いやれる子なんだ……。
こんな初対面の私相手にも、真正面から向き合って考えてくれてる。
凄い事だと思う。
自分の事を冷たい人間だと思ってるわけじゃない。
でも、私が次の『ナビゲーター』になった時に、
平沢さんみたいに次の相手に丁寧に安心させる説明が出来るとも思えない。
いい所、さっき平沢さんが律さんの耳に息を吹いたのを真似て、
次の相手の知り合いの人の耳にでも息を吹いて、
『石ころ帽子』を『チャンスシステム』の証拠として使うくらいしか出来なさそう。

だから、私は平沢さんの事がもっと知りたくなった。
一生に一度のお願いについては考えてる事が無いわけじゃない。
でも、今はそれよりも先に、平沢さんの事をもっと深く知りたい。
平沢さんがどうしてこんなにも他人に優しく振る舞えるのか。
どんな生活をして、どんな経験をして、その性格を持つ事になったのか。
そして、それが分かれば、私はもっと友達に対して優しくなれるのかな?
って、私はそういう事ばかり気になって、お願いの事を気に出来なかった。


「やっぱり難しいよね、梓ちゃん。
後で全部忘れちゃっても大丈夫そうなお願いをいきなり見つけるなんて……」


私が難しい顔で唸っていたのを別の意味で捉えたのか、
平沢さんがちょっとだけ苦笑を浮かべてそう言ってくれた。
本当は平沢さんの事を考えてたんだよ、……なんて流石に言えない。
私は自分の頬が熱くなるのを感じながら、
平沢さんからちょっとだけ目を逸らして口を開いてみた。


「うん、そうだね……。
夢や叶えたい事が無いわけじゃないけど、
それが一生に一度のお願いでいいのかって言われると正直悩んじゃうし……。
あ、そうだ、一つ気になる事があるんだけど、訊いていいかな?」


「何? 私に答えられる事なら何でも訊いて」


「一生に一度のお願いって、どれくらいの事なら叶えてくれるの?
何でも叶えてくれる……って言っても、流石に無茶過ぎるお願いは駄目なんじゃない?
例えばだけど、世界征服って願えば叶えてくれるものなの?」


「世界を征服したいの、梓ちゃん?」


「いやいや、単なる例えだってば」


「あははっ、そうだよね。
うーん……、どうなんだろう……。
詳しくはお願いしてみないと分からないんだけど、多分無理なんじゃないかな?
今まで一度くらいそういうお願いをした人も居るかもしれないけど、
世界を征服するのってそんなに簡単な事じゃないって思うんだ。
ただ世界のトップに立つってだけじゃなくて、
世界の色んな人にトップとして認めてもらえないと世界征服って言えないと思うし……。
そのためには世界中の人の心を操らないといけなくなるよね?
でも、そういう人の心を操るようなお願いは、叶えてもらいにくいみたい。
前の『ナビゲーター』の人が言ってたんだけど、
そういう自分身の丈に合わない、他人に迷惑を掛けちゃうお願いはスルーされるらしいんだ」


「スルー……?
それはまた随分と適当なシステムだね……」


「うん、でもね、
「それでいいんじゃない?」って前の『ナビゲーター』の人は言ってたんだ。
「そういう無茶なお願いをする人は、
最初から一生に一度のお願いをする資格がなかったって事でしょ?」って。
大人の人の意見だよね。
うん……、本当に素敵な人だったなあ……」


なるほど、そういう考え方もあるのかもしれない。
身の丈に合わないお願いはスルーされる……。
そう聞いて私は逆にちょっと安心出来ていた。
そもそもそんな大き過ぎるお願いが私に出来るとは思わないし、
私じゃない誰かがそんな大きなお願いを叶えてもらってるって考えるのもちょっと怖いもんね。
身の丈に合ったお願いでいいんだよね……。
うん、それなら何とか考えられそう。
勿論、まだもう少し悩んでからだけど。

私は一人で小さく頷いて、平沢さんの瞳に視線を向けた。
まだ悩んでたいし、平沢さんともう少し話してたかったけど、
気が付けば夕陽がかなり傾いて、夏の終わりの宵闇が迫りつつあった。
門限もあるし、これ以上悩んでるわけにもいかないよね。
ちょっと申し訳ない気分で、平沢さんに訊ねてみる。


「ごめんね、平沢さん。
一生に一度のお願いなんだけど、何にするかもうちょっと悩んでみてもいいかな?
今日初めて聞いた話だし、いきなり一番いいお願いなんて決められそうにないんだよね……」


「うん、気にしないで、梓ちゃん。
私だって前の『ナビゲーター』の人と長い間悩んじゃったんだもん。
悩む気持ちはすっごくよく分かるんだ……。
それにね、梓ちゃんにとって一番いいお願いを見つけてくれた方が、私も嬉しいよ」


「ありがとう、平沢さん。
それで一生に一度のお願いなんだけど、お願いの期限とかあるのかな?
流石に何ヶ月も待ってくれるってわけじゃないよね?
私としてはその方が助かるんだけど、平沢さんの方はそうもいかないでしょ?」


「それは私も困るかも……。
期限は別に詳しく決まってるわけじゃないんだけど、
多分、大体一週間くらいじゃないかって前の『ナビゲーター』の人が言ってたよ。
期限を過ぎても大丈夫かって試す人も居なかったみたいだから、
期限については詳しい事は分からないみたいなんだ。
私もね、『ナビゲーター』の人と会ってから六日目にお願いを決めたんだよ」


一週間……。
妥当な期限だろうと思う。
自分のお願いについて考えるには丁度いい時間だし、
逆に一週間過ぎても決められなかったら、どれだけ経ってもお願いなんて決められない気がする。
そんなに長く考えてお願いを決められないなんて、
それこそ『一生に一度のお願いを叶える資格が無かった人』だと思う。

私はまた頷いてから、平沢さんの手を取って口を開いた。


「うん、ありがとう、平沢さん。
これから一週間ずっと……ってわけじゃないけど、
私の一生に一度のお願いについて真剣に考えてみる。
あのね、それで……」


「うん、どうしても難しいみたいだったら私が相談に乗るよ、梓ちゃん。
私も前の『ナビゲーター』の人にお願いを探す手伝いをしてもらったんだ。
だからね……、私じゃあんまり役に立たないかもしれないけど、
梓ちゃんのお願いを見つけるお手伝いをさせてくれたら嬉しいな」


「そんな事ないよ、ありがとう、平沢さん。
じゃあ、平沢さんの連絡先を教えてもらっていい?
何かあったら連絡を……」


「あっ!」


「ど……、どうしたの、平沢さん?」


「ごめんね、梓ちゃん。
私、一つ大切な事を伝えるの忘れてたみたい。
梓ちゃんが私の話す事を信じてくれたから、もう一つシステムがある事を忘れちゃってた」


「もう一つのシステム……?」


「うん、『チャンスシステム』をどうしても信じられない人のためのシステムがあるの。
それはね、『お試しお願い』……。
何でもってわけじゃないんだけど、
一生に一度のお願い以外に、もう一つだけお試しでお願いを叶えてもらえるんだよ」


『お試しお願い』。
確かに『チャンスシステム』を信じられない人を信じさせるためには、一番の方法だろう。
口で言っても分からない人には、直接体験させてあげるのが一番だ。
とても合理的なシステムだ。
……なんだけど、これはまた妙に世知辛システムと言うか何と言うか……。
神様なのかどうか知らないけど、お願いを叶えてくれる誰かも色々苦労してるんだなあ……。

でも、実際の所、私には特に必要無いシステムだった。
平沢さんの人柄のおかげか、私はもうチャンスシステムの事を信じてるもんね。
今更、平沢さんの今までの言葉を試すような事はあんまりしたくない。
そう思って私が首を横に振ろうとした瞬間、平沢さんが微笑んで私の手を取った。
穏やかな口振りで続けてくれる。


「私を信じてくれるのは嬉しいけど、『お試しお願い』を使った方がいいよ、梓ちゃん。
『お試しお願い』を使っても何の損も無いし、折角だから……ね?
あ、心配しなくても大丈夫だよ?
何をお願いしたのかは、『ナビゲーター』の私にも分からないようになってるんだ。
一週間くらいで効力も切れるらしいから、軽い気持ちでお願いしてみて。
それが『一生に一度のお願い』を決めるきっかけになるかもしれないし……」


そこまで言われて、断る理由も無かった。
何の損も無いみたいだし、軽い気持ちでお試ししてみるのもいいかもしれない。
すぐには思い付かないけど、そうだなあ……、
好物の鯛焼きを沢山お願いしてみるって言うのも素敵かもしれない。
……って、流石にそれはお試しとは言え、勿体無いかな?

瞬間、私は平沢さんの瞳を見つめながら、一つの事を思った。
そうだよね……。
鯛焼きもいいけど、折角ならこういう事でしか叶えられないお願いの方がいいよね。
例えば、そう……。
私は決心して、平沢さんに静かに頷き掛けた。


「うん……、分かった。
じゃあ、一つ試してほしいお願いがあるんだ。
叶えてもらっていいかな、平沢さん?
……って、どうやったら叶えてもらえるのかはよく分からないんだけどね」


「あ、それは簡単だよ、梓ちゃん。
お願いを強く心に思い描いててくれる?
それで私が梓ちゃんと私のおでこを合わせるとお願いが叶うようになってるんだよ」


「また変わったお願いの叶え方だね……。
でも、分かったよ、平沢さん。
ちょっと待っててね」


そう言った後、私は前髪を右手で掻き上げた。
それから、平沢さんと軽く見つめ合う。
……何だかキスする直前みたい。
私はちょっと恥ずかしくなったけど、
平沢さんは何も気にしてないみたいにゆっくりと目を瞑った。


「じゃあ……、行くね?」


私が上擦った声で呟くと、平沢さんは目を瞑ったまま頷いてくれた。
緊張する自分に気付きながらも、
私は一つのお願いを強く胸に抱いて、平沢さんと軽くおでこを合わせた。
私は知りたいんだって強く願いながら……。

どれくらい経ったんだろう。
多分、おでこを合わせて十秒くらい経ってから、平沢さんが急に目を開いた。
私からおでこを離してから、静かに微笑んでくれた。


「うん、これで『お試しお願い』が叶ったはずだよ、梓ちゃん。
どんなお願いなのかは私には分からないから、
叶ったかどうか梓ちゃん自身に確かめてもらっていい?」


「う、うん……」


平沢さんの言葉に頷いてみたけど、別に何かが変わったようには思えなかった。
知りたかった事に対する私の知識が急激に増えたって事も無さそうだった。
家に帰ったら私の知りたかったをまとめた本でも置いてあるのかな……?
それもそれで間抜けな光景だなあ……。
まあ、どんな方法でもお願いが叶ったのなら助かるんだけど……。
それを確かめるためにも家に戻った方がいいのかな?

そう考えた瞬間、私はそれに気付いた。
耳に聞こえて来ていた音に異変が起きてるって事に。
私はその音の方向に視線を向ける。
私の視線の先では澪さんが律さんに見守られて、エアベースを弾いている。
ううん、エアベースだけならさっきまでも恥ずかしそうに弾いていたんだけど、
今は急に歌まで歌い始めていて、明らかに伸び伸びとエアベースを演じるようになっていた。


「お、急にエアベースのノリがよくなったなー、澪。
やっぱり観客が居ないと真の実力が出せるってやつか?
ミュージシャンとしてはそれもどうかと思うけどさ」


律さんがからかうみたいに言うと、澪さんが少し恥ずかしそうに苦笑した。
ついさっきまでには見た事が無い、緊張から解放された苦笑だった。


「それを言わないでくれよ、律……。
エアベースとかすっごく恥ずかしいんだぞ?
あのツインテールの子の前でも、どうにか弾けてた事は褒めてくれよ……。
勿論、学祭までにはもうちょっと緊張しないように頑張るけどさ」


「わーってるって。
おまえにしては頑張ったじゃん、澪。
知らない人の前でエアベースが弾けただけで十分な進歩だよ。
頑張ったじゃんかよ。
あのツインテールの子はいつの間にか居なくなっちゃってたみたいで残念だけどな。
澪の練習のためにももうちょっと見ててほしかったんだけどなー」


律さんが笑い、澪さんもそれに釣られて笑った。
二人きりだからこそ見せる信頼し合った笑顔……。
そんな風に見えた。
本当に羨ましく思える二人の関係だ。

でも、私の頭の中はそれどころじゃなかった。
『ツインテールの子がいつの間にか居なくなっちゃってた?』。
私はここに居るのに?
変わらず公園のベンチに座って、二人の姿を見つめているのに?
当然だけど、律さんと澪さんが私を見ない振りをしてるわけでもない。
こんな事有り得るはずない……。
有り得るはずないのに、私は何故こんな事になったのか心当たりがあった。
勿論、私のお願いのせいだ。
他にこうなる理由なんて存在するわけがない。

でも、どうしてこうなるの……?
私はこんな事をお願いしたりなんかしてないのに……。
自分の姿を『石ころ帽子』で消す事なんて願ってないのに……。
私がお願いしたのは……、そう……。


『平沢さんの事をもっとよく知りたい』ってお願いだったのに……。


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最終更新:2013年03月23日 21:35