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優しい微笑みを浮かべて、憂ちゃんが自分の優しさを否定する言葉をまた口にする。
それを認めたくなくて私が首を横に振ろうとすると、急に全身に温かさを感じた。
柔らかさと温かさが私を包む。
憂ちゃんに抱き締められたんだって気付いたのは、五秒くらい経ってからだった。


「憂……ちゃん……?」


突然の事にちょっと驚きながら、私は憂ちゃんに訊ねてみる。
私を抱き締めた理由は答えずに、憂ちゃんは私の耳元で囁くように話を続けた。


「私ね、怖かったんだよ、梓ちゃん。
お姉ちゃんがどんどん幸せになっちゃうのが。
私が何もしなくても、すっごく幸せになっていくのがね……。
とってもね……、怖かったんだよ……。

ううん、お姉ちゃんが幸せなのは凄く嬉しいんだ。
私が居ない所でもお姉ちゃんが元気で笑ってるって思える事自体は安心出来るの。
いつまでも元気で幸せなお姉ちゃんで居てくれるなんて、とっても嬉しい。
それが『お願い』の効力でも何でも、お姉ちゃんが幸せなら私は嬉しいんだよ?

でもね、私、気付いちゃったんだ。
『一生に一度のお願い』を叶えて貰った後は、何もかも忘れちゃう決まり事だよね?
叶えて貰った『お願い』の事も含めて、あった事の全部を忘れちゃう……。
そう思ったらね、怖くなっちゃったの。
『お願い』を叶え終わって何もかも全部忘れちゃった後、
『お願い』の効力で幸せそうなお姉ちゃんを見て、私はどう思うんだろうって。

幸せそうなお姉ちゃんの姿が見られるのは、勿論嬉しいよ。
だけど、思ったんだ。
私が何もしなくても幸せそうにしてるお姉ちゃんを見て、
お姉ちゃんのためにそれ以上の何かしようと思えるのかな、って。

だって、私が何もしなくても、お姉ちゃんは幸せな笑顔を見せてくれるんだよ?
大好きな笑顔を見せてくれるんだよ?
私、きっとそれだけで満足しちゃうと思うんだ。
きっとお姉ちゃんのために何かしようと思わなくなっちゃう。
お姉ちゃんの事をどんどん考えなくなっちゃう。
お姉ちゃんが私の中から居なくなっちゃう……。
そう思うとね……、胸の中が不安でいっぱいになっちゃって、
『一生に一度のお願い』をお姉ちゃんのために使えなくなっちゃったんだ……」


話している間、憂ちゃんの身体は震えていた。
その考えは憂ちゃんを本気で不安にさせていたんだろう。
普段、優しい笑顔を浮かべている憂ちゃんの身体を、こんなに震わせてしまうくらいに。


『お姉ちゃんが私の中から居なくなっちゃう』


憂ちゃんはそう言った。
勿論、現実に唯さんが憂ちゃんの心の中から居なくなるわけじゃない。
唯さんをあんな大事に思ってる憂ちゃんに、そんな事があるわけがない。
でも、憂ちゃんの言おうとしてる事は私にもよく分かった。
憂ちゃんはきっとこういう意味で言おうとしたんだと思う。


『お姉ちゃんを大切にしたい気持ちが無くなっちゃう』って。


その憂ちゃんの考えはこんな私にもよく分かった。
ううん、こんな私だからこそ、痛いくらいに分かっちゃったんだ。
手を伸ばしても届かない物を欲しいと思っていた私だからこそ……。

やっぱり。
私は、憂ちゃんを優しくないとは思わない。
我儘だとも思わない。
憂ちゃんは唯さんの事を心の底から大切にしてる。
単純にお願い出来ないくらい、唯さんの事を大事にしようとしてる。
それは間違いなく憂ちゃんの優しさで、そんな選択が出来る憂ちゃんと知り合えた事を誇りに思えた。
まだ数日の付き合いだけど、そんな考え方が出来る子が居たんだ……。
だったら、私は……、私も……。


「憂ちゃんは……」


憂ちゃんの胸の中で、私は小さく声を出した。
憂ちゃんは望んでないかもしれないけど、この気持ちだけは伝えなきゃいけない気がした。
どうしても、想いを伝えたかったんだ。


「憂ちゃんは優しいよ」


私がそう伝えると、憂ちゃんは自分の胸の中から私を解放した。
私の両肩に手を置いて、複雑そうな表情を浮かべて私と視線を合わせる。
それから、私は……。
……。

深呼吸。
私はまだ残っている涙の跡を拭ってから、憂ちゃんの瞳をまっすぐに見つめる。
それから、私は……、私は、笑ったんだ。
上手く笑えてる自信なんて無い。
自分の笑顔に説得力がある気もしない。
でも、笑顔を見せなきゃいけないって思った。
逃げていた私。
泣いていた私。
そんな私じゃ憂ちゃんの優しさを証明出来ないから。
私は笑顔を憂ちゃんに向けるんだ。
あんまり上手く出来てない笑顔だと自分だと思うけど、それでも……。


「梓ちゃん……」


憂ちゃんが少しだけ戸惑った表情を見せる。
私の笑顔の意味が掴めてないんだろうか。
それとも、やっぱり私の笑顔がちぐはぐだったのかも。
私の想いを上手く伝えられなかったのかな……?

そうして私の胸に不安が生まれ始めた頃、
憂ちゃんはまた勢いよく私の頭を自分の胸の中に抱き締めた。
憂ちゃんが私の笑顔をどう捉えたのかは分からない。
単に私をまた抱き締めたくなっただけかもしれない。
でも、確かに私は見たんだ。
私を抱き締める一瞬前の憂ちゃんの表情が、今まで見た中で一番輝いた笑顔だったのを。


「ありがとう、梓ちゃん……」


憂ちゃんが私の耳元でそう優しく囁いてくれた。




私は憂ちゃんの胸の中に抱き締められて、
しばらくそのままの体勢でお互いの体温を感じていた。
私を抱き締めている間、憂ちゃんは私に何も訊ねなかった。
私が急に涙を流した理由も、大声で叫んだ理由も訊ねずに私の頭を撫でてくれた。
同い年の女の子に頭を撫でられるのなんて恥ずかしい。
そんな気持ちは勿論あったけど、憂ちゃんに撫でられていると不思議と心が落ち着いた。
もしかしたら、私は自分が思ってる以上に子供なのかもしれない。

ううん、私は結局、何も分かってなかった子供だったんだよね……。
ぶつけ合うって程じゃないけど、憂ちゃんと話せて、
少しでも本音を交わせて、やっと少しだけ分かりかけてきた気がする。
私が本当に欲しかったものは、ひょっとしたら……。


「ねえ、憂ちゃん……」


憂ちゃんに頭を撫でられながら、私は小さく、
でも、精一杯の決意を込めて、口を開いてみる。
まだ完璧には固まっていない想い。
自分自身でもはっきりしていない気持ち。
それをもっと確かにするためにも、声に出して想いを言葉にしようと思った。
自分自身の気持ちを、自分の耳と憂ちゃんの耳に届けたかった。


「うん、何?」


憂ちゃんが手の動きを止め、私の頭の上で頷いたのを感じる。
私は深呼吸をしてから、気持ちを声に乗せていく。


「私ね、将来、音楽が関係する職業に就きたかったんだ。
ギターを弾くのは周りじゃ結構上手な方だったし、上手に演奏出来ると嬉しかったから。
だから、ずっと音楽を続けたくて、そんな夢を持ってたの。
思い返してみると、何だか単純でちょっと恥ずかしいけどね」


「ううん、素敵な夢だと思うよ、梓ちゃん」


「ありがとう、憂ちゃん。
でもね、最近、本当にその夢でいいのかな、って思うようになってたんだ。
私は本当に音楽を続けたいのかなって」


「……どうして?」


「私ね、一緒に演奏する友達が居たんだよね。
あんまり器用な子じゃなかったんだけど、セッションは楽しかったし、
たまに驚かされるくらい上手な演奏を聴かせてくれる事もあったんだ。
本当に楽しかったなあ……。
酷い演奏になる事も多かったけど、とっても楽しかった……。
ずっと二人で音楽を続けられたらいいな、って思ってたんだ……。

でもね、夏休み前くらいにね、その子に言われたの。
『今年は受験だし、一学期で音楽の練習は中断だね』って。
勿論、受験は大事だと思ってるよ。
でも、勉強の合間に少しくらい二人で演奏出来るはずだって思ってた。
そのくらいの時間の余裕くらい、あるはずでしょ?
だから、ショックだったんだよね。
私達の夢は受験なんかに邪魔されるくらい小さなものだったの?
って、その子に問い詰めたい気持ちでいっぱいになっちゃうくらいに。

だけど、問い詰められなかったんだ。
怖かったんだ、その子から本当の事を聞くのが。
『高校生になってからも演奏する暇は無いと思う』、
なんて言われたらどうしようって……。
その子、最近、他の夢を見つけたみたいだったから余計にね……。

でも、そんなもやもやを抱えたままなのも辛くて、
耐えられなくなって来て、それで今日、その子の家に確かめに行ってみたの。
その子の気持ちを……」


言葉を止め、私はあの子の家で見つけた手紙の事を思い出す。


『わたしじゃ、あずさの足をひっぱっちゃう』

『ホントにごめん』


それは私達の、ううん、私の夢の終わりを告げる言葉。
思い出すだけで息が苦しくなって、胸が激しく痛む。
また大声で泣き出しそうになってしまう。
でも、駄目。
もう泣いたら駄目だよ、私。
これ以上、何も出来ないなんて駄目なんだから……!

そう思うのに、想いを言葉に出来ない。
口を開くとまた大声で泣き出しそうになっちゃってる。
何も、出来なくなる。
もう……、何やってるのよ、私は……。
でも、もう私はまた涙を……。

瞬間、私の頭に置かれた温かさがまた動くのを感じた。
優しく包み込まれるように頭を撫でられる。
憂ちゃんが私の頭を撫でてくれる。


「いい子、いい子……」


赤ちゃんをあやすみたいに憂ちゃんが私の頭を撫で続ける。
憂ちゃんの温かさと優しさが、私の頭から全身に広がっていく。
それだけで私の涙は何処かに飛んで行ってしまった。
やっぱり私はまだまだ子供なんだろう。
こんな事で涙が出ちゃうくらい嬉しくなっちゃうなんて……。
って、折角涙が引っ込んだのに、別の理由で泣いてちゃ意味が無いよね。
私は一息吐いてから、何とか言葉を出したけど、
それは私が言おうとしてた事とは全然違った言葉だった。


「もう……、そんなに子供扱いしないでよ、憂ちゃん……」


ああ……、私ったら何を余計な憎まれ口を叩いちゃってるのよ……。
憂ちゃんは私のためを思ってやってくれてる事なのに……。
でも、照れ臭いのは確かだし、ああ、もう……!
そうして、私は憂ちゃんの胸の中で自分の顔が熱くなるのを感じていたけど、
憂ちゃんは気を悪くした風でもなく、私の頭を撫でる手を止めてから言ってくれた。


「ごめんね、梓ちゃん。
つい自分がされると落ち着く事を梓ちゃんにしちゃったみたい。
私が悲しい時や寂しい時にね、お姉ちゃん、私にいい子いい子してくれるんだよ」


「唯さんが憂ちゃんに……?」


「うん、そうなんだよ。
私って結構泣き虫だから、お姉ちゃんによく慰めてもらってたの。
そのせいなのかな?
今でもお姉ちゃんにいい子いい子されるとすっごく落ち着くんだ。
梓ちゃんは落ち着かない?」


「落ち着かないわけじゃ……ないけど……」


「よかった」


そう言うと、憂ちゃんはまた私の頭を撫で始めてくれた。
照れ臭さはまだあるけど、心が落ち着くのも確かなんだよね……。
私は開き直って、憂ちゃんの手のひらの温かさに心を落ち着かせてもらう事にした。
まずは私の気持ちを憂ちゃんに伝える方が先決なわけだし……。

それにしても、憂ちゃんが唯さんを慕う理由がちょっと分かった気がする。
まだそんなによく知ってるわけじゃないけど、
唯さんは憂ちゃんにとって本当にいいお姉さんなんだろう。
今まで軽音部を見学させてもらった限りだと、唯さんは少し変わった人にしか見えなかった。
練習のし過ぎでライブ前に声嗄れちゃうなんて、天然って言葉じゃ片付けられない。
でも、きっとそれだけの人じゃないんだよね。
そうじゃなきゃ、憂ちゃんがこんなに唯さんの幸せを願うわけないもん。

憂ちゃんは唯さんに頭を撫でられると落ち着くから、私の頭を撫でてくれてる。
という事は、間接的に唯さんが私の心を落ち着けてくれてるって事でもあるのかな?
優しくて思いやりのある憂ちゃんを形成してるのは唯さんでもあるんだよね。
何だかまた唯さんに興味が湧いてきた。
ううん、唯さんだけじゃなくて、キャサリンさんを含めた軽音楽部の皆さん全員に。
きっとあの軽音楽部には、私の知りたい何かがあると思うから。
また見学に行きたいな……。

でも、今はそれより先に、憂ちゃんに私の想いを伝える時だった。
憂ちゃんの手のひらに勇気を貰いながら、私はまた言葉に想いを乗せる。


「それでね……。
私と音楽を一緒にやってたその子なんだけどね……。
その子の部屋でなんだけどね……。
見つけたんだ、手紙を。
便箋に私の名前が書かれた手紙を……。
悪いと思ったんだけど、中身を確認せずにはいられなかったんだ。
その子の本音が知りたかったから、今の自分の状態をいい事に隠れ見ちゃったの。
最低だよね、私……。

それで手紙にはね……。
『ごめん』って書いてあったんだよ。
『ごめん』って……。
終わっちゃったんだ、って思ったなあ……。
私達の夢……、私の夢……、ずっと叶えたかった夢が終わっちゃったんだって。

辛かったし、悔しかったんだけど、でも、本当は心の何処かで思ってたんだ、私。
ずっとずっと前から思ってたんだ。
私の実力が足りなかったから、私の演奏が未熟だから、
その子は音楽をやめようとしてるんじゃないかのかな、って。
私にもっと実力があれば、その子に夢を信じさせてあげられたはずじゃないかって。
私が天才なら、私と一緒に音楽を続ける自信をその子に待たせてあげられたはずじゃないかって。
そんな事ばかずっと考えてて……。
だからね、私は音楽の才能が欲しかったんだ。
才能があれば、またその子と楽しく音楽が出来るはずだって思ってたんだ。
『一生に一度のお願い』もそれにしようかって考えちゃうくらいに……」


その言葉は情けなかった私の感情の吐露。
私自身が見たくなかった自分。
憂ちゃんに見せたくなかった自分。
今度こそ私はその自分と向き合わなきゃいけなかった。
自分が本当に求めていた物は何だったのかを考えるために。
私の本当の気持ちを憂ちゃんに知ってもらうために。
だから、考えていた思いを言葉に乗せ、自分の耳に届ける事で再確認していく。
私の本当の気持ちを。

今までより少しだけ強く。
憂ちゃんの胸の中に包み込まれた。
私の頭をゆっくりと撫でながら、憂ちゃんが優しく訊ねてくれる。


「ねえ、梓ちゃん……?」


「何、憂ちゃん?」


「才能って……、欲しいよね。
私にも分かるよ、梓ちゃん。
私もね、お姉ちゃんを見てていつも羨ましくなるんだ。
お姉ちゃんはいつも私を喜ばせてくれるの。
私には思いも付かなかった素敵な方法で、周りの人達を幸せにしてくれるの。
そんな……、すっごいお姉ちゃんなんだよ。
皆を笑顔にしてあげられる才能を持った素敵なお姉ちゃんなの。

だからね、私もお姉ちゃんがすっごく羨ましいんだ。
私もお姉ちゃんみたいに周りの人達を笑顔にしてあげたい。
私もお姉ちゃんが私にしてくれたみたいに、お姉ちゃんを笑顔にしてあげたいもん。
才能を持ってる人は羨ましくなっちゃうよね……」


それはとても意外な言葉だった。
口振りからしても、私の事を慰めてるわけじゃなくて、本気でそう考えてるみたい。
私からは才能に満ち溢れてるように見える憂ちゃんでも、そう考える事があるんだ……。
ううん、ひょっとしたら私の考え方がおかしかっただけなのかもしれない。
憂ちゃんには音楽の才能がある。色んな才能がある。
人よりちょっと上手にギターを弾けるレベルの私よりも、ずっとずっと才能がある。
それは間違いないと思う。
でも……。

私はまとまりかけたその想いを言葉にしようと口を開く。
だけど、私が言葉を口に出すより早く、憂ちゃんが言葉を続けていた。
偶然なのか、必然なのか、その言葉は私が考えていた事とよく似た言葉だった。


「音楽の才能が欲しい梓ちゃんの気持ち、私にもよく分かるよ。
すっごくよく分かるよ……。
だけど、私、梓ちゃんに一つだけ聞かせてほしいんだ。
物凄い音楽の才能があれば、梓ちゃんのお友達も音楽を続けてくれるかもしれないよね?
将来、音楽が関係する職業に就けて、ずっとずっと音楽を続けられるかもしれないよね?
そうなったら梓ちゃんも嬉しいよね?

でもね、私、思うの。
それって本当に梓ちゃんが叶えたい夢だったのかなって。
梓ちゃんが本当に欲しかったものだったのかなって……」


その言葉は憂ちゃんが憂ちゃん自身に浴びせ掛けてるみたいにも聞こえた。
ううん、きっと憂ちゃんは実際にも自分自身に問い掛けてるんだと思う。
求めた才能を手に入れて、それで本当に幸せなのかって。
求めていたものは本当にそれだったのかって。
私が、憂ちゃんが、二人が叶えたい夢は本当にそれなのかって。

私が黙り込んでいたせいか、憂ちゃんの腕から少しだけ力が抜けた。
不安そうな声色混じりに憂ちゃんが続ける。


「ごめんね、梓ちゃん……。
知り合ってまだそんなに経ってない私が偉そうに言っちゃった……。
でも、これが私の考えなんだって事だけは、梓ちゃんに知ってほしかったんだ。
私の気持ち、知っておいてほしかったんだ。
本当はもっと落ち着いた時に話すべきだったよね?
梓ちゃん、今日、とっても悲しい事があったのに……。
でもね、私達に残された時間はもう……」


瞬間、私は腕を憂ちゃんの腰に回した。
強く強く、腕に力を込める。
私達に残された時間を手離さないために。
やっと本音で語る事が出来た想いを、もう嘘で誤魔化さないために。
軽く深呼吸してから、私は憂ちゃんから身体を離す。
今はお互いの体温を感じるよりも、視線を交わしていたかったから。
視線と言葉と心で話し合いたかったから。


「ありがとう、憂ちゃん」


言葉に込める。精一杯の想いを。
見つめ合う。出来る限りの笑顔を浮かべて。
繋げる。二人の心を。

憂ちゃんは……。
まだもう少しだけ不安そうな表情をして、
目尻に悲しみの雫を浮かべながらも、でも……。
憂ちゃんは、すぐに優しく笑ってくれた。
いつも私に向けてくれていた素敵な笑顔を私に向けてくれた。

だから、
私も憂ちゃんに、
自分の想いをまた伝えられるんだ。
無理して浮かべたわけじゃない、
とても自然な笑顔を見せて。


「憂ちゃんの言ってくれてる事……、私にも分かるよ。
私が本当に欲しかったもの……。
それはね、きっと才能より手に入れるのが難しいものだったんだと思う。
憂ちゃんが話をしてくれて、私、やっと分かってきた気がする……。
だから、ありがとう、憂ちゃん。
私ね、後少しで『一生に一度のお願い』が見つけられるかもしれないんだ」


「ううん、そうじゃないよ、梓ちゃん。
『お願い』が見つけられるのは、梓ちゃんがちゃんと自分の事を考えたからだよ。
悲しい事があっても、辛い事があっても、ちゃんとずっと考えてたから。
簡単に『お願い』を決めたりしないで、自分と向き合ってたからだって思うな。
だから、私は別にお礼を言われる事なんて……」


「違うって、憂ちゃん。
私が自分と向き合えたのは、憂ちゃんが居てくれたおかげ。
唯さんの軽音楽部の見学にも嫌な顔せずに付き合ってくれたし、
私が悩んだ時には一緒に悩んでくれたし、
こんな急に泣き出したりする自分でも面倒だと思う私に付き合ってくれて……、
そのおかげで私はやっと自分の『お願い』と『夢』を見つけられる気がするんだ。
私がどうにか全部を投げ出さずにいられたのは、憂ちゃんのおかげだよ」


「でも、それは梓ちゃんが頑張ったからで……」


「ううん、憂ちゃんが私を助けてくれたからだよ……。
って、これじゃ切りがないね……」


「うん、そうかもね……。
だったら、梓ちゃん、こういうのはどう?
梓ちゃんが『お願い』を見つけられそうなのは、私と梓ちゃんの二人が頑張ったから。
二人で一生懸命頑張ったから。
そういう事にするのはどうかな?」


「二人で?」


「うん、二人で」


二人で……、かあ。
私としては憂ちゃんに支えてもらった感覚しかないけど、
二人で頑張ったという考え方はとても素敵な考えだと私は思った。
私は頷いて、憂ちゃんに笑顔を向ける。


「うん、じゃあ、そういう事にしちゃおうか、憂ちゃん」


「そういう事にしちゃおうよ、梓ちゃん」


二人で笑い合う。
多分、知り合って初めて、お互いに心の底からの笑顔を向け合えた。
やっと辿り着けた私達の笑顔の時間。
もうすぐ私達が一緒に居られる時間は終わってしまう。
『チャンスシステム』が終わるまでの時間はとても残り少ない。
でも、残り少ないからこそ、私は憂ちゃんと一生懸命に『一生に一度のお願い』を探したい。
今度こそ、心の底からの笑顔で。

……本当は。
もうほとんど見つかってるんだけどね、私の『お願い』。
その『お願い』で確定だと自分でも思う。
でも、それで決めちゃうのも勿体無いよね。
残された時間は少ないけど、まだ時間は残されてるんだから。
考えるための時間は残されてるんだから。
時間いっぱいまで憂ちゃんと一緒に居て、憂ちゃんとの時間を過ごして、
それから、完全な自信を持って、その『お願い』を叶えて貰いたいな、って私は思うんだ。




二人で笑顔を向け合った後、私はふと思い付いて、
憂ちゃんに私のギターを軽く弾いてもらう事にした。
憂ちゃんは少し恥ずかしがっていたけど、私が強く頼むと折れてくれた。
私が夢を見つける手伝いが出来るなら……、と恥ずかしそうな笑顔を浮かべて。
我ながら我儘な事を言っちゃったなあ、とは思うんだけど、
憂ちゃんの演奏はどうしても聴いておきたかったんだよね。

無理を言って聴かせてもらった憂ちゃんの演奏はやっぱり上手かった。
劇的に上手いというほどじゃないけど、少なくとも素人の演奏には思えない。
私がギターを弾き始めた頃はもっともっと下手だったしね。
憂ちゃんが本気で音楽に取り組むようになったら、
私なんか簡単に抜かれてしまって、すぐに手の届かない存在になっちゃう気がする。
でも、多分、憂ちゃんが音楽で大成する事は無いんどゃないかな、と思う。
憂ちゃんが叶えたい夢は、音楽の道とは別の場所にあるから。
もっと大切な物が憂ちゃんの胸の中にはあるから。
そして、多分、私も……。

それにしても。
憂ちゃんは本当に優しい子なんだ、って思った。
自分自身で自分を優しい子だと思いたいために、
自分の優しさを主張してくる子はたまに見かけるけど、憂ちゃんはそうじゃない。

例えば、そう……。
憂ちゃんが初めて私のギターを手に取った時、こう言っていた気がする。
『ギターをチューニングするものだなんて知らなかった』って。
勿論、チューニングという行為自体は知ってたんだろうけど、
日常的に行うものだとは知らなかった、って意味の言葉なんだと思う。
それくらい憂ちゃんはチューニングを知らなかったんだよね。

でも、今日、憂ちゃんはこう言っていた。


『梓ちゃんのギターのチューニングをしてみたんだ。
お姉ちゃんのギターでした事があるだけだから、ちょっと自信は無いんだけど……』


矛盾した言葉。
憂ちゃんらしくない嘘の言葉だった。
ギターのチューニングをよく知らなかったという言葉と、
唯さんのギターのチューニングをした事があるという言葉。
私は後者の方が嘘なんだと思ってる。
憂ちゃんはきっと私にギターを弾いてもらいたくて、一人でチューニングをしたんだ。
唯さんのギターのチューニングをした事があるって嘘を吐いてまで。
多分、私の部屋に置いてあるギターの本を読んで、四苦八苦しながら……。
それでも、憂ちゃんはそれを私に報告しなかった。
私に気を遣わせないようにしたかったんだろうな、って思う。
あくまで自然に私にギターを弾いてもらいたくて……。

もう……。
憂ちゃんってば、どうしてこんなに優しいのかなあ……。
勿論、その理由は私にも分かりかけてる。
大好きなお姉さんの唯さんに近付くためなんだ。
憂ちゃんの優しさは、きっと唯さんとの生活の中で培われたものなんだよね。
だから、私は明日、今まで掛けていた沢山の色眼鏡を外して、
心の底から素直に唯さん達の軽音楽部の見学に行きたいと思う。
そして、出来る事なら、学園祭のライブまで見届けて……。

そこまで考えた瞬間、私は一つ大変な事に気付いてしまった。
他でもない唯さん達の学園祭のライブの成否の事だ。
唯さんが声を嗄らしてしまって、代理のボーカルの澪さんも何だか頼りない。
なのに、律さんと紬さんには焦ってる様子も無くて、このままだとライブの失敗は目に見えてる。
うう……、あの軽音楽部の皆さんのライブの失敗は見たくないなあ……。

それでも、今日まで心の何処かで少し安心もしていた。
憂ちゃんが『一生に一度のお願い』で唯さんの幸せを願ったはず、って今日まで思ってたから。
それなら神様の何かの計らいで、ライブ当日に唯さんの嗄れた声が都合よく治ったりするんじゃ……。
なんて、我ながら都合のいい期待をしてたんだよね。

だけど、憂ちゃんの言葉が本当なら、
憂ちゃんは唯さんの幸せを『お願い』にしていないらしい。
こうなると私のしていた期待は完全にお門違いになってしまう。
そもそも『お願い』自体をしてないんだから、期待するだけ全くの無駄になっちゃうわけだし。
だとしたら、ライブが失敗する可能性の方がずっと大きいじゃない……!

湧き上がる不安に耐え切れず、
私がそれを口にすると憂ちゃんは笑顔で応じてくれた。


「お姉ちゃん達を信じてあげて、梓ちゃん。
お姉ちゃん、ライブの成功のために頑張ってるんだから、きっと大丈夫だよ。
それにね、もしもライブが失敗しちゃっても、お姉ちゃん達はそれでいいんだと思うな」


失敗しても構わない……?
あの軽音楽部の人達の失敗なんて、私は見たくないよ……。
今の私にはまだ憂ちゃんのその言葉の意味は分かりそうにないな……。
でも、唯さん達を信じ切ってる、その憂ちゃんの笑顔だけは私の胸に強く残った。
これは何としても軽音楽部の皆さんのライブを見届けなきゃいけないよね。
もしかしたら、そこにこそ私の『お願い』の最後のきっかけがあるかもしれないから……。


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最終更新:2013年03月23日 21:39