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憂ちゃんの作ってくれた美味しい朝ごはんを食べて、私は洗い物をしていた。
憂ちゃんにはいつも朝ごはんを作ってもらってるんだもん。
洗い物くらい私がやらなくちゃ、物臭にも程があるってものだよね。
それに私の着替えはもう終わってるんだから。
憂ちゃんが外着に着替えてる間、時間は有効活用しなくちゃ。
もう憂ちゃんの手伝いを出来る機会も、残り少ないんだし……。


「残り少ない……んだよね……」


スクランブルエッグが載っていたお皿を洗いながら、私は気付けば呟いてしまっていた。
憂ちゃんと出会ってもうすぐ一週間。
『チャンスシステム』の期限も多分一週間。
一週間を過ぎるとどうなるか分かってないけど、試した人はあんまり居ないらしい。
期限が過ぎたらどうなるのかを試すために、折角のチャンスをわざわざ棒に振る人は少ないだろうしね。
私だって試そうとは思わない。
『チャンスシステム』の期限は続くかもしれないけど、
何となく憂ちゃんの『ナビゲーター』の仕事は終わってしまうんだ、って心の何処かで分かってるんだよね。
ひょっとしたら神様の警告か、親切心からのお言葉が心の何処かに直接届けられてるのかもしれない。
だったら、自分で直接『チャンスシステム』を運用すればいいのになあ……。
適当でいい加減で変なシステムを作った神様みたいな何処かの誰かさん……。

でも、ちょっとよく考えてみたら……。
私の考え過ぎかもしれないけれど、つい考えてしまう。
意外と色々と考えてる神様だったのかもしれない、って。
例えば一番最初、私はお試しお願いで『平沢さんの事をもっとよく知りたい』って願った。
その結果、神様の勘違いで『石ころ帽子』を被らされた、って思ってたんだけど……。
それはもしかしたら違ってたのかもしれない。
結果的にだけど、私はこの状態になって、憂ちゃんの事をよく知れたと思う。
自分自身で言葉を交わして、自分自身で触れ合って、自分自身の心を曝け出して……。
直接頭の中に憂ちゃんの知識を流し込まれるより、
ずっとずっと憂ちゃんの事をよく知る事が出来た気がするんだ。
神様はそこまで考えて私に『石ころ帽子』を被らせたのかな……?
まあ、本当に私のお願いの内容を捉え間違った可能性もあるけどね……。

だけど、ありがとう、適当でいい加減な神様。
貴方のおかげで私は一つ目の願い事が叶いました。
どんな形にしろ貴方が願い事を叶えてくれたおかげで、
憂ちゃんの見ていたもの、憂ちゃんの望んだものが私にも少しずつ分かってきた気がします。
私の一生に一度の願い事ももうほとんど心の中で決まりそうです。
残り少ない期限ですが、それまでには貴方にお願いを届けられそうです。
私の身に合わないお願いだったら、却下してくれても構いませんし、それを恨んだりしません。
ただ私の『一生に一度のお願い』が何だったのか、という事だけはしっかり受け止めてくれると嬉しいです。
本当は、もっと叶えて欲しいお願いもありますけど、それは心の中にしまっておきますから。
だから……。


「一番叶えて欲しいお願いはルール違反だろうしね……」


洗い物を終えてから、私は小さく苦笑した。
それがルール違反だっていう事は分かってる。
そのお願いがまかり通ってしまったら、チャンスシステムの意味自体が失われてしまう。
絶対に叶えるわけにはいかないお願いなんだよね。
私はそのお願いを必死で胸の中の心の箱に片付けて、鍵を掛ける。
憂ちゃんもきっと私と同じお願いを我慢して、私の『ナビゲーター』をしてくれてるんだろうから。
だからこそ、私ももう少しの間、笑顔で居よう。
笑顔で『一生に一度のお願い』を神様に届けられるように頑張ろう。


「お待たせ、梓ちゃん」


台所の扉が開いて、明るくて優しい声が響く。
勿論、憂ちゃんだった。
私は出来る限りの笑顔を向けて、憂ちゃんの言葉に応じる。


「ううん、別に待ってないよ、憂ちゃん。
準備は終わった?」


「うん、終わったよ、梓ちゃん。
居候してる身なのに、洗い物を任せちゃってごめんね」


「そんなの気にしないで。
これはいつも美味しい朝ごはんを作ってくれる憂ちゃんへのお礼だよ。
たまには私にも手伝わせてよ」


「えへへ、ありがとう、梓ちゃん」


「ねえ、それよりも、憂ちゃん……」


「何?」


「本当に準備は万端なの?」


「そのつもりだけど……」


「髪は結ばないの?」


「えっ……、あっ!」


私に指摘されて自分の髪を触ってから、憂ちゃんが驚いた表情を見せた。
普段みたいに髪を結んでない事に、私が指摘するまで気付いてなかったみたい。
憂ちゃんらしくないミスだ。
憂ちゃんも緊張してるのかな?
それはそうだよね。緊張してないわけが無いよね。
だって、今日は憂ちゃんの大好きな唯さんの学園祭ライブの当日なんだから。
初めてのライブなんだから。

私だって緊張してる。
緊張してない様子の軽音楽部の皆さんの姿を見て、逆に私が緊張してしまってる。
ライブをするのは私じゃないのに、すっごくドキドキしてる。
気を抜くと心臓が喉から出ちゃいそうなくらいに……。
私ですらそうなんだから、憂ちゃんが感じてる緊張は私なんか比較にならないと思う。


「居間のソファーに座ってちょっと待ってて、憂ちゃん」


洗い物が終わった手をタオルで拭いてから、私は台所から出て自分の部屋に飛び込んだ。
結構前に私が使ってたリボンをタンスの中から出して戻り、居間のソファーに座る憂ちゃんの後ろに回る。


「お古のリボンでちょっと悪いんだけどね……」


言いながら、私は憂ちゃんの髪を結んでいく。
憂ちゃんの事だし遠慮するかも、って思っていたけど、憂ちゃんは何も言わずに静かに頷いてくれた。
憂ちゃんも私の気持ちに気付いてくれてるのかもしれない。
残り少ない時間、憂ちゃんが私にしてくれたみたいに、
私も憂ちゃんに何かをしてあげたいんだって気持ちを……。
でも……。


「あ……、あれっ……?」


憂ちゃんのポニーテールを結び終わった瞬間、私はつい呻くみたいに言ってしまっていた。
何かが……、違ってる気がする……。
いや、勿論、ポニーテールの位置と形なんだけどね……。
毎日見ていた憂ちゃんのポニーテールを再現したつもりだったのに、よく見なくてもかなりずれていた。
おかしいなあ……、何をやってるのよ、私……。
でも、何となく納得もしていた。
自分の髪はともかく、私は誰かの髪を結んだ事があんまり無い。
あの子はいつも髪が短めだったから、逆に私の髪で遊ばれるのが日常だったんだよね。
考えてみたら、誰かの髪を結ぶのなんて、お母さんの髪を結ばせてもらった時以来じゃないかな?

……って、そんな言い訳はどうでもよかった。
流石にこんな失敗してしまった髪型じゃ、憂ちゃんに申し訳ないにも程がある。
「ごめん、憂ちゃん。結び直すね」って言って、
私がリボンに手を掛けると、憂ちゃんは大きく首を振って笑顔を私に向けてくれた。


「ううん、これでいいよ、梓ちゃん」


「え、でも、こんなんじゃ……」


「梓ちゃんが私の事を思って結んでくれたんだもん。
勿体無くて解けないよ。
だからね、これでいいの。
ううん、私はこれがいいなあ……」


その憂ちゃんの笑顔にはお世辞も何も含まれてないように見えた。
本気で私の失敗してしまったこの髪形を、いいと思ってくれてるんだろう。
勿論、とても申し訳ない気分はなったけど、でも、同時に嬉しくもあった。
憂ちゃんの笑顔には、人の気持ちを優しくさせてくれる力があるんだよね……。
きっとお姉さんの唯さん譲りの不思議な笑顔……。
今回は仕方ないけど、次こそは憂ちゃんの髪型をちゃんと結んであげたいな。
いくら失敗したって、今度こそは……。
私は「ありがと」とだけ言ってから、少しだけ話を変える事にした。


「ねえ、憂ちゃん?」


「どうしたの?」


「憂ちゃんも緊張……してるんだね……」


「勿論だよ、梓ちゃん。
お姉ちゃんの初めてのライブだし、律さん達にも頑張ってほしいもん。
最高のライブにして、最高の思い出を作ってもらいたいもん。
だからね、私……、すっごくドキドキしてるんだ」


「うん、そうだよね。
私も軽音楽部の皆さんには頑張ってほしいもん。
中々練習を始めない困った部の人達だけどね、
お茶ばっかりしてる不思議な部の人達だけどね……、
でも、軽音楽部の皆さんには、このライブを絶対成功させてほしいんだ。
あの人達の笑顔が……、見たい……んだよね……」


それが私の気持ち。
ずっとあの軽音楽部を見てきて、辿り着けた単純な気持ち。
私は結局、あの人達に憧れてたんだと思う。
音楽の腕前とかじゃなくて、お茶ばかり飲んでるからでもなくて、
あの仲の良い仲間同士の皆さんの姿が眩しかった。すっごく憧れたんだ。
だから、皆さんには最高のライブを成功させてほしい。
失敗なんてしてほしくない。
でも、憂ちゃんは笑顔で首を振った。


「成功してほしい気持ちも勿論あるんだけどね……、
私はね、別に失敗しても構わない、って思ってるんだ。
成功出来なくても、失敗しちゃっても……、
それがお姉ちゃん達の辿り着いた結果だし、大切な思い出になると思うの。
大切なお友達の皆と辿り着けた結果だもん。
だから……、どんな形でもやり遂げてほしいな、って思ってるんだよね」


憂ちゃんが前から言っていた『失敗してもいい』って言葉。
私は最初、それがどういう事なのか分からなかった。
失敗なんてしない方がいい。
したくないし、しないに越した事は無い。
ずっとそう思ってた。
でも、今なら憂ちゃんの言っている事が何となく分かる気もする。
まだ、何となく……だけどね。


「そう言いながら、私もドキドキしてるんだけどね」


憂ちゃんが苦笑しながら言って、何だかそれが面白くて私も笑った。
何はともあれ、最後まで見届けよう。
私の憧れた仲間達の辿り着く最初のライブの顛末を。
その顛末がどんな形であっても、憂ちゃんとなら受け止められる気がする。

不意に。
憂ちゃんが私の手を引いて、ソファーに座らせた。
何をするつもりなんだろう、と思っていたら、また憂ちゃんが優しい笑顔で微笑んだ。


「梓ちゃんの髪は私が結んであげるね」


言われてやっと気が付いた。
私も憂ちゃんと同じように、自分の髪を結ぶのを忘れてた事に。
自信満々で憂ちゃんに指摘しておいて何をやってるのよ、私は……。
もう……、恥ずかしいなあ……。
でも、私と憂ちゃんの二人ともがすっごく緊張してる事が分かって、何だか嬉しくもなった。
この緊張感……、うん、二人でなら悪くないよね。
二人でなら楽しめるよね。
だから、二人で見届けよう。
素直な気持ちで見届けなきゃ。
もうすぐ、待ちに待っていた唯さん達の学園祭のライブが始まるんだから……。




「はい、いらっしゃいいらっしゃい!
安いよ安いよー!」


「この声……!」


まだ治らない嗄れた声が響き、澪さんがとても不安そうな声で呟く。
誰も居ない軽音楽部の部室から飛び出した澪さんの後を追って数分。
私と憂ちゃんは何度か立ち寄った事のある唯さんの教室に辿り着いていた。
勿論、偶然辿り着いたわけじゃなくて、
澪さんは最初からこの場所を目指してたんだろう。

不意に視線を向けて見た澪さんの表情はとても焦っていた。
それはそうだよね……。
さっきまで私と憂ちゃんは、軽音楽部の部室で皆さんが来るのを待っていた。
学園祭の出し物があるとは聞いていたけど、朝練くらいはするんじゃないかなって思ってたから。
だけど、待てども待てども、軽音楽部の皆さんは部室に顔を出さなかった。
ひょっとして練習やらないのかな……。
私が憂ちゃんとそんな話をし始めた頃、
やっとの事で澪さんが姿を現したんだけど、その時の澪さんの面食らった表情は凄く印象に残った。
不安と緊張と焦りが綯い交ぜになった表情。
澪さんと同じ立場だったら、私も同じ表情をしてしまってたんじゃないかなって思う。
ううん、きっとしてたはずだよね……。
だから、澪さんが他の部員の皆さんを求めて、部室から飛び出した気持ちは私にもよく分かる。
でも……。


「あっ、澪ちゃーん、焼きそば?
ちょっと待ってねー」


「何でそうなる……」


呻くように呟きながら、澪さんがテーブルに手を置いて崩れ落ちた。
それもそのはず。澪さんが教室に飛び込んでやっと見つけた一人目の部員……、
唯さんがお客さんに焼き立ての焼きそばを渡した後、澪さんに無邪気に微笑み掛けていたからだ。
こんなの私だって崩れ落ちてると思うよ……。
と言うか、唯さんのクラスの出し物って焼きそば屋さんなんだ……。

しかも、学園祭とは言え、唯さんはとても妙な恰好をしていた。
何て言ったらいいのかな……?
服自体は一緒に焼きそばを焼いてるクラスメイトの人と一緒なんだけど、
何故か唯さんだけ黄色いマフラーを巻いて、紫色のアフロのかつら(かな?)を被ってるんだよね。
例えるなら関西のおばちゃん……みたいな感じになるのかも。
そう例えたら、関西のおばちゃんの人に怒られるかもしれないけど……。

と。
私は不意に思い立って、隣の憂ちゃんに視線を投げ掛けてみた。
お姉さんの事が大好きな憂ちゃん的にこの唯さんの恰好はどうなのかな、って思ったんだよね。
憂ちゃんは私の視線に気付いた様子も無く、とても嬉しそうに唯さんを見つめていた。
あ、憂ちゃん的にはこういう恰好の唯さんもありなんだね……。
と言うより、学園祭当日に緊張する事も無い、無邪気な唯さんの姿を嬉しく思ってるのかも。
憂ちゃんはそれくらい唯さんの事をいつも大切に思ってる子だもん。

でも、私の心中はまだそこまで穏やかではいられない。
唯さん達の事は信じてるけど、息が止まりそうになるくらいの緊張はまだ時たま感じてる。
もうすぐ唯さん達の学園祭のライブが始まる。
出来る事なら唯さん達の失敗のライブは見たくない。
失敗してほしくない……。
それが偽らざる私の本心。

どちらかと言えば私に近い感性を持ってるんだろう。
澪さんが机に手を置きながら、唯さんに向けて上目遣いの視線を投げ掛けた。


「そうじゃなくて……、今日、本番だろ?
目一杯練習しておこうよ……!」


「ごめんねー……。
私も練習したいんだけど、朝イチはクラスの当番になっちゃって……」


澪さんの言葉に申し訳なさそうに唯さんが頭を掻いた。
でも、その表情にはやっぱり緊張が見られなかった。
声だけは相変わらず嗄れているけど、それは三日前からだしね……。
本当に肝が据わってる人なんだなあ、唯さんは……。
いや……、ひょっとしたら肝が据わってるとは、またちょっと違うのかもしれない。
不思議と唯さんの姿を見てるとそう思えてくるんだよね。

何て言ったらいいかよく分からないんだけど、
唯さんはこの学園祭を楽しもうとしてる気がするんだ。
それも、ただ普通に楽しむんじゃなくて、全身全霊で心の底から。
でないと、クラスの出し物の当番なんて引き受けずに、
澪さんの言う通りに朝から部員の皆さんと練習していたはずだもん。
ライブに専念していたはずだもん。
でも、唯さんはそうしなかった。
そうしなかった事に唯さんのしたい事とその意味がある……、今はそんな気がしてる。
やっぱり唯さんは私の思う以上に凄い人なのかもしれない。

不意に。
教室の中の電気が突然消えた。
何が起こったのか私はちょっと驚いたけど、周囲の人達は誰も驚いてないみたいだった。


「あっ、ブレーカーが落ちたー」


「えっ、また?」


「生焼けになっちゃうー」


「今日、何回目よ、もー……!」


教室内が呆れた声で少しだけ包まれる。
なるほど、ブレーカーが落ちたんだ。
焼きそばを焼いている人達の口振りからすると、もう何度も落ちてるみたい。
だから、誰も驚かなかったんだ。
あ、生徒会の人なのかな?
「ちょっと! ホットプレートは三台までよ! ちゃんと守ってる?」なんて叱ってる。
学園祭の出し物は出し物で大変なんだなあ……。
とりあえず、いつか私が学園祭で出し物をする時は、色々と覚悟しておく事にしよう。
この一週間の事はきっと憶えてはいられないだろうけど……。

少し寂しい気持ちになって、私は自分の隣に視線を向けた。
今だけでも憂ちゃんの表情を私の心に焼き付けておきたかったから。
でも、それは叶わなかった。
何故かと言うと憂ちゃんが私の隣には居なかったからだった。
当然だけど、急に姿を消したってわけじゃない。
探してみると、いつの間にか憂ちゃんは唯さんの隣に立っているみたいだった。
単に私が澪さんに気を取られている間に、唯さんの近くに移動したんだろうな。
唯さんの作る焼きそばに興味があったんだと思う。

それはそれで憂ちゃんらしくて微笑ましい事なんだけど、
何故か憂ちゃんは青ざめた顔色で目の端を少し潤ませていた。
完全に泣いてないとは言っても、憂ちゃんのそんな悲しそうな表情を見るのは初めてだった。
な、何があったんだろう……。
動揺した私は憂ちゃんの隣にまで移動して、軽くその肩に手を置いた。


「ど……、どうしたの、憂ちゃん?」


「あ、梓ちゃん……。
私……、私……!
と、とんでもない事を……、しちゃって……」


「お、落ち着いて、憂ちゃん。
何をしちゃったのかちゃんと聞くから、落ち着いて話して……!」


「えっと……、えっとね……」


「うん」


「お姉ちゃんのホットプレートのね……」


「うん……って、ホットプレート……?」


「温度が低かったから……、
生焼けになっちゃうと思って、それで私……!」


「あー……」


最後まで聞かなくても、憂ちゃんの言おうとしている事が分かった。
つまり、憂ちゃんは唯さんのホットプレートの温度を上げたんだ。
唯さんの焼く焼きそばが生焼けにならないように……。
それは純粋な憂ちゃんの思いやりだったんだけど、
そのせいで限界寸前の電力で保っていたブレーカーが落ちてしまったんだろう。
勿論、ブレーカーが落ちたのが、憂ちゃんのせいかどうなのかは分からない。
さっきこの教室の誰かが言っていたけど、五組の誰かが電力を使い過ぎたからなのかもしれない。
でも、流石にタイミングが良過ぎるよね。
例え直接の原因じゃなかったとしても、憂ちゃんが自分の責任だと感じてしまうのも仕方無い。


「お姉ちゃんの邪魔しちゃった……」


独り言みたいに憂ちゃんが呟く。
何だか凄く落ち込んじゃってるみたい。
クラスの人達も誰もそんなに困ってないみたいだし、そんなに大きな失敗じゃないのに……。
でも、それだけ憂ちゃんが唯さんの事を大切にしてる、って意味なんだよね。
考えてみれば、私には憂ちゃんの今の様子を大袈裟だって言う事は出来ない。
私だって同じだから。
夢の事で一人で勝手に悩んで、勝手に泣いて、憂ちゃんに八つ当たりして……。
そうなんだよね。
人には個人個人で色んな悩み事がある。
それは本人にしか分からない事で、他人の物差しじゃ計れない事ばかりなんだ……。

でも、不謹慎な気もするけど、私はそれが嬉しかった。
憂ちゃんだって悩んでるんだよね。
叶えたいお願いだって持ってるし、失敗に落ち込んじゃう事もあるんだよね。
そんな当たり前の事が私には分かってなかった。
優しい憂ちゃんに頼り切りで情けなくて、辛かった。
だけど、そういう事じゃなかったんだ。
憂ちゃんはきっと人にはそれぞれの悩みがある事が分かっていたから、
分かってくれていたから、私なんかのために一生懸命になってくれたんだ。
だから、私は今こそ憂ちゃんに笑顔を向けてあげなきゃいけないんだ。
お姉さんの事が大切で仕方が無い憂ちゃんを私も大切にしたいから。


「大丈夫だよ、憂ちゃん」


憂ちゃんの顔を覗き込んで、自分に出来る精一杯の笑顔を見せた。
憂ちゃんが落ち込んだままの顔を私に向ける。
私は笑顔を崩さず、私達の存在に気付かずに微笑んでいる唯さんを指し示した。


「ほら見て、憂ちゃん。
唯さん、笑ってるよ。
ブレーカーが落ちた事なんて気にしてないみたいでしょ?
それどころか何だか楽しそうにも見えるし……。
だからね、憂ちゃんも気にしなくていいんだよ」


「で、でも……、
私がお姉ちゃんに迷惑掛けちゃったのは確かだし……」


「ねえ、憂ちゃん?」


「な……、何?」


「唯さんって憂ちゃんが失敗した時、怒っちゃう人じゃないよね?
話した事も無いけど、見てたら私にも分かるよ。
唯さんは憂ちゃんが何かを失敗した時にも、許してくれる人だって事くらい。
ううん、唯さんは憂ちゃんの失敗を笑顔で受け容れてくれる人だと思う。
憂ちゃんがいつも一生懸命だから、笑顔で受け容れてくれるんだよ、きっと。
だからね、私も……」


私も憂ちゃんの事を信じられるんだよ。
流石にそれは口に出しては伝えられなかった。
今はそれを伝えるべき時じゃないと思ったから。
でも、心の中では強くそう思ってた。
憂ちゃんはいつも一生懸命だった。
お姉さんのためにも、私のためにも、一生懸命になってくれた。
だから、私は憂ちゃんが大好きな唯さんの事を信じられるんだ。
唯さんも憂ちゃんの事が大好きなんだって。
だからこそ……。


「大丈夫だよ」


不意に教室の中に優しい言葉が響いた。
私の言葉じゃないし、憂ちゃんの言葉でもなかった。
声がした方向を確かめるまでもない。
もう聞き慣れ始めた掠れたハスキーボイス……、唯さんの声だった。
私と憂ちゃんはちょっと驚いて唯さんの横顔を見つめる。
ひょっとして私達の存在が見えているのかも、って思えたから。
でも、勿論、そんな事があるはずも無かった。


「大丈夫だからね、澪ちゃん」


もう一度、唯さんが優しく呟く。
その呟きは私達じゃなくて、澪さんに向けたものだったらしい。
気が付くと澪さんはいつの間にか教室の中から居なくなっていた。
きっと律さんか紬さんを練習の誘いに行ったんだろう。
つまり、唯さんの呟きはここに居ない澪さんに向けられた呟きだったんだ。

他の誰にも届かないはずの唯さんの呟き……。
でも、そう呟いた唯さんの横顔は優しくて、胸が詰まりそうになるくらいに優しくて……。
いつの間にか憂ちゃんは笑顔になっていた。
私もきっと今まで以上の笑顔になった。
澪さんの不安は分かる。
分かり過ぎるくらいに分かる。
でも、不安を抱えながらでも、澪さんにも分かってほしい。
澪さんを想ってくれている人がここに確かに居るって事を。
私が信じる憂ちゃんが大好きな唯さんが、
澪さんをこんなにも大切に思ってるんだって事を……。

憂ちゃんと視線を合わせる。
憂ちゃんはもう瞳を潤ませてはいなかった。
私だってこの学園祭が終わるまでは泣かないでいよう。




何処かで悲鳴が聞こえた気がした。
……のは気のせいだったのかな。
ブレーカーが復旧した後、しばらくクラスの人達が焼きそばを作る様子を見ていると、
教室に見知った眼鏡の人が足を踏み入れ、唯さんがそれに気付いて嬉しそうな声を上げた。


「和ちゃーん!」


「唯、その声、大丈夫なの?」


「部活で練習し過ぎちゃっただけだから大丈夫だよー」


答えながら、唯さんが首のマフラーを楽しそうに回す。
幼馴染みと顔を合わせられた事が嬉しかったんだろう。
唯さんの言葉通り、教室に入って来たのは生徒会役員の和さんだった。
警察帽(みたいな帽子)を被って、『実行委員』と書かれた腕章をしてる。
凄い……。
物凄い似合いっぷりだなあ……。
堂に入っていて、とても一歳だけ年上だなんて思えない。
道端で擦れ違ったら本物の警察官と見間違える気がする……。
こんなしっかりした人と唯さんが幼馴染みだって言うんだから、世の中は不思議だよね。
……それとも、逆にこれくらい違ってた方が長続きするのかな?


「今日が初ステージでしょ?
三時からだっけ?」


心配そうな表情で和さんが続けると、「うん」と唯さんが笑顔で応じた。
幼馴染みの和さんの前でも、唯さんの落ち着いた笑顔は崩れない。
何処までも唯さんは唯さんみたい。


「じゃあ、まだ結構時間あるし、練習しておきたいんじゃないの?」


「うん、この担当が終わったらするつもり」


「そっか。なら、もうそっち行ってもいいわよ。
誰か他の人に頼んでみるから」


「えっ、でも……」


「いいっていいって。後は任せて」


和さんの申し出には流石の唯さんも戸惑った表情を浮かべた。
唯さんの本当の気持ちが推し量れるほど、私は唯さんの事をよく知らない。
でも、気持ちの想像は出来る。
きっと唯さんは澪さんを早く傍で応援してあげたい気持ちと、
クラスの皆のために担当を頑張りたいって二つの気持ちを持ってるんだと思う。
初めての学園祭をどうすれば精一杯皆で楽しめるかを真剣に考えてるんだと思う。
これまでずっと見学させてもらって出来た、私の中の唯さん像はそういう人だった。


「唯」


不意に唯さんと一緒に焼きそばを焼いていたクラスメイトの人が笑う。


「行っておいでよ」


「頑張って」


全然困った表情の混じってない純粋な笑顔で、
唯さんのクラスメイトの人の二人は優しい声を上げた。
心から唯さんの活躍を願っている笑顔……。
その笑顔で唯さんの決心も固まったみたいだった。
初めての学園祭、クラスメイトや軽音楽部の皆さんや観客の人達や、
そんな多くの人達を一番楽しませてあげられる方法が、今から練習を頑張る事だって。
出来る精一杯のライブを皆に見せてあげる事なんだって。


「ありがとー! 行ってくる!」


言うが早いか、瞬く間に準備を終えて、唯さんがギターを持って駆け出して行く。
気持ち良いくらいの笑顔を浮かべて、軽音楽部の皆さんの下へ。
和さんやクラスメイトの皆さんも嬉しそうに唯さんを見送っていた。

私達も追い掛けなきゃ……。
そう思って憂ちゃんの方を見た瞬間、私はちょっと驚いた。
憂ちゃんなら私よりも先に唯さんを追い掛けて行くんじゃないか、
って思っていたのに、意外にも憂ちゃんは予想外の場所に視線を向けたまま動いてなかったから。
何を見てるんだろう、と私は憂ちゃんの視線を辿ってみる。
視線の先には唯さんが最後に作り置いた焼きそばがあった。


「……食べたいの?」


「えっ、えっとね……!
別にそんなんじゃなくて……!
折角、お姉ちゃんが作った焼きそばなのに、冷めたら勿体無いな……って」


私が訊ねると、胸の前で激しく手を振って憂ちゃんが動揺する。
たまにしか見られない憂ちゃんの動揺した姿だから、何だか新鮮だなあ。
と言うか、やっぱり憂ちゃんは唯さんの作った焼きそばが食べたいんだ……。
でも、姿が誰にも見られない私達だから、
クラスの人達に頼んで譲ってもらう事も出来ないし……。
空腹で死にそうになってもお店から食べ物を貰えなかった憂ちゃんだもん。
そういう事には躊躇いがあるんだよね……。
だったら、ここは私が憂ちゃんのために一肌脱がなきゃ。

私は念の為持って来ていた財布を取り出すと、
ホットプレートの置かれたテーブルの更に奥の方、売上金の入っている箱の中に焼きそばの代金を入れた。
そのまま唯さんの作り置いていた焼きそばと箸を取って、憂ちゃんに差し出す。


「ほら、憂ちゃん。食べちゃおうよ」


「で、でも……」


「お金はちゃんと入れてるんだし、誰も困らないって。
大体、今の私達の状態は神様の変な設定で困らせられてるだけだもん。
これくらいしたって、神様がフォローしてくれると思うよ」


「そ、そうかなあ……」


「お客さんが少ない時間帯だから、このまま放っておいたら冷めると思うし。
それは流石に勿体無いでしょ?
ね? だから、食べちゃおうよ、憂ちゃん」


「あっ……、えっと……」


「何?」


「ありがとう、梓ちゃん……」


「いいって」


照れた様子で憂ちゃんが微笑み、私も釣られて微笑んだ。
あんまり褒められた事じゃないけど、
憂ちゃんへのせめてものお礼って事で今だけは見逃してね、神様。
これで私が『一生に一度のお願い』を叶える資格を失くす事になっても構わないから。
今はもう憂ちゃんが笑顔で居てくれる事の方が大事に思えるから……。


「お姉ちゃんの焼きそば、美味しいね」


憂ちゃんに半分分けてもらった焼きそばは、憂ちゃんの言う通り意外と美味しかった。
意外と、って言うのも失礼かもしれない。
だけど、それくらい凄く美味しかったんだよね。

それはきっと。
満面の笑顔の憂ちゃんが隣に居てくれた事と、無関係じゃないと思う。


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最終更新:2013年03月23日 21:40