「次は軽音楽部によるバンド演奏です」


講堂に放送の声が響くと、唯さん達は各々に自らの楽器の場所に陣取った。
キャサリンさんが用意してくれたゴスロリ的(……かな?)な衣装に身を包んで、
初めてのライブなのにとても楽しそうな表情を浮かべながら。
唯さんも律さんも紬さんもとっても楽しそう。
肝が据わってる……って今まで何度も考えてたけど、それはちょっと違ったのかも。
唯さん達だって緊張してるはず。
でも、それ以上に初めてのライブを楽しみたいんだ。
そして、今の皆さんなら楽しめるんだと思う。
一人じゃないから。
一緒に練習を重ねてきた仲間が居るから。

私達は舞台袖の生徒会役員の和さんの隣で、そんな軽音楽部の皆さんの姿を見ている。
ライブが始まる前だって言うのに、皆さんの姿はとても輝いて見えた。
楽しそうな皆さんを羨ましくも思えた。
でも、羨ましいって思うだけじゃ駄目なのも分かってる。
誰かを羨むだけじゃなくて、自分でもそうなろうと努力しなきゃきっと意味が無い。
私には音楽の才能がそんなに無い。
どんなに努力したって、天才の前ではきっと拙い演奏でしかない。
だけど、それでも……。

緞帳が上がる。
観客の拍手に軽音楽部の皆さんが迎えられる。
高鳴る私の鼓動。
緊張した面持ちの憂ちゃんと和さん。


「何あれ?」


「可愛いー」


軽音楽部の皆さんの衣装を見た観客席から軽い歓声が上がる。
これが軽音楽部の衣装でいいのかな……。
って最初は思わなくもなかったけど、インパクト的にはこの衣装でよかったんだろう。
軽音楽部的に正しいのかどうかはともかく、私も衣装自体は素敵だと思うしね。
流石はキャサリンさんって言う所なのかな?

爽やかな表情で拍手が止むのを待つ軽音楽部の皆さん。
もうすぐ……。
本当にもうすぐ、拍手が止んだら、軽音楽部の演奏が遂に始まる。
私が見届けたかった皆さんのライブを見る事が出来るんだ。

だけど……。
爽やかな表情の皆さんの中で、一人だけ緊張した表情の人が居た。
全身を震わせて、目の端には涙まで浮かべて、
その場から逃げ出さないようにするのが精一杯って様子の人が……。
勿論、それは澪さんだった。
舞台の中央に居るだけあってその様子が目立つ。
目立つ場所に居るだけに余計に目立ってしまっている。
さっきMCの練習をする事で少しは落ち着けたんだろうけど、
でもきっと初めてのライブの重圧を目前にして押し潰されそうになっちゃってるんだ……。

分かる……。
私にも分かるよ、澪さん……。
私はそんなに大きな場所で演奏した事はほとんど無いもん。
ギターを聴かせるのも、家族かあの子か限られた人達の前だけだった。
学校の講堂とは言え、こんなに大きな会場で演奏した事なんて無かった。
将来、音楽関係の職業に就きたいと考えながらも、多分、私は逃げちゃってたんだ。
将来の事を考えるなら、才能の有無に関わらずどんどんライブをするべきだったのに。
場数をこなしておくべきだったのに。
私は目立つ場所で演奏する事から逃げてた。
それはきっと、誰かに評価される事から逃げるためだった。
自分の限界を思い知らされたくなかったから。
だから、私は結局、最終的には自分とあの子を追い詰めてしまう結末を迎えたんだよね……。

そんな私がこんな事を考えるのは変かもしれない。
でも、考えずにはいられなかった。
胸の前で手を組んで、私は必死に考えてた。


澪さん、頑張って。


って。
澪さんの緊張は分かるし、逃げ出したい気持ちも共感出来る。
でも、逃げないでほしかった。
澪さんの精一杯の演奏を見せてほしかった。
今日まで私は澪さんや軽音楽部の皆さん、
和さんにキャサリンさん、それに憂ちゃんの様子をずっと傍で見て来た。
皆、素敵な人達だった。
軽音楽部の皆さんは素敵な仲間達だった。
部員全員が皆の事を考える憧れのクラブだった。
澪さんが緊張と戦いながら努力して来た事も知ってる。
今日、朝からずっと澪さんが部室で歌の練習をしてたのだって知ってるんだもん。
出来る事なら、それを澪さんに伝えてあげたい。
澪さんはずっと努力してたって事を。私達はそれを知ってるって事を。

だけど、私にはそれが出来ない。
澪さんは私の事なんか全然知らないし、声を掛けた所で聞こえない。
こんな状態だから澪さんの事をよく知れたのに、
こんな状態だからこそ私は澪さんにこの想いを伝える事が出来ないんだ……。
何て……、何てもどかしいんだろう……。

遂に舞台上の澪さんが目を閉じる。
今にも膝を着いて泣き出してしまいそう。
私には何も出来ない。
澪さんに対して何も……。

でも、その瞬間。


「澪ちゃん」


舞台上に声が響いた。
優しい、温かさを持った、嗄れた声。
唯さんの声だった。
澪さんは目を開き、唯さんの方に視線と身体を向ける。


「皆、澪ちゃんが頑張って練習してたの、知ってるから!」


唯さんが素敵な笑顔を澪さんに見せる。
傍から見てる私達の緊張まで解かす様な笑顔。


「そうだよ、澪」


「澪ちゃん」


続いて律さんと紬さんが微笑んで頷く。
軽音楽部の仲間の中にだけある絆を感じさせられる。
そう……。
そうだよね……。
澪さんの頑張りを知ってるのは私と憂ちゃんだけじゃない。
私達なんかより唯さん達の方が澪さんの事をよく知ってるんだ……。
私には澪さんに何もしてあげられない……。
ううん、何もしなくてよかったんだよね。
その方がよかったんだ。
澪さんにはこんな素敵な仲間達が居る。
見ててくれる人達が居る。
そんな中で私が何か言っても、単なる大きなお世話になっちゃうよね。


「絶対大丈夫だよ、頑張ろ!」


澪さんが不安気に観客席に視線を戻したのを見届けた後、唯さんが最後に言った。
澪さんの表情から不安は消えてない。
不安を完全に消し去るのなんて、絶対に不可能だと思う、誰にだって。
それでも、澪さんの全身の震えは止まっていた。
もう逃げ出そうとしたりなんてしない。
大切な仲間達が見てくれてる事が分かったから。


「ワン・ツー・スリー・フォー・ワン・ツー・スリー!」


律さんがドラムのスティック同士を叩いてリズムを取った。
唯さんのギターの演奏が始まり、澪さんと紬さんがそれに手拍子を合わせる。
軽音楽部の皆さんのライブ……、
『ふわふわ時間(タイム)』の演奏が遂に始まる。
私と憂ちゃんとキャサリンさん和さんと……、
誰よりも軽音楽部の皆さんが望んでた最高の演奏の時間が……!


「君を見てるといつもハートDOKI☆DOKI」


澪さんが旋律に歌声を乗せていく。
ちょっと気恥ずかしくなっちゃう歌詞。
澪さん自身が作詞した甘々な想いの丈。
朗読するだけなら相当恥ずかしい気もする。
でも、音楽に乗せて歌うとなると話は変わって来る。
甘々な歌詞に似つかわしくなく思える疾走感溢れるそのメロディー。
合わせると不思議と旋律と歌詞が合致して、歌詞の意味がそのまま耳と頭に届く。

特訓してたって言ってただけあって、唯さんのギターの腕前は見事だった。
高校生になってからギターを始めたなんて思えないくらい。
その意味では唯さんも私よりよっぽど音楽の才能があるって言える。
でも、もう悔しくない。
唯さんはきっと自分の音楽の才能なんてどうでもいいって考えてる。
そんな事より、ただ音楽と仲間とのセッションを楽しもうって考えてる。
唯さんの表情を見てると、それがよく分かる。
私にはそんな唯さんの姿がただただ眩しい。

律さんと紬さんの演奏も唯さんのギターに華を添える。
紬さんのキーボードのメロディーは優しかったし、
ついこの前まで走り気味だったはずの律さんのドラムは走ってなかった。
ただ唯さんのギターと澪さんの歌声を支えてる。
何だか律さんと紬さんの軽音楽部の中での立ち位置みたい。
信頼し合って、支えてるお二人の姿。


「お気に入りのうさちゃん抱いて」


澪さんが少しずつ笑顔を浮かべながら、歌い続ける。
唯さんのコーラスに支えられて、ちょっと苦笑に似た感じの笑顔で。
ベースの腕前は勿論だったけど、澪さんの歌声は講堂の中に一際印象的に響いてる。
何だ……。
やっぱり澪さんの歌、すっごく上手いじゃない……。
自分の歌に自信が無い私には羨ましい限りだけど、澪さんにとっては別問題なんだろう。
悩み事は人それぞれ。
小さく思える澪さんの悩みだって、本人にとっては大きい物。
私の中で凄く大きく思えてた悩みだって、きっと傍から見ると小さな悩みなんだよね。
だから、私も真正面から向き合おう。
それから、打ち克ちたい。
今の澪さんみたいに、私だって。


「ふわふわ時間……!」


澪さんの歌声が終わり、演奏も終了する。
私の見たかった軽音楽部の皆さんの演奏。
私が本当に手に入れたかったもの……。
聴けて……、見れてよかった。
心の底からそう思う。
私のお願いもこれで決まった。
だけど、その前に私には最後に一つだけやりたい事が出来た。
それは……。


「梓ちゃん……!」


不意に感極まった表情で憂ちゃんが言った。
今にも泣き出してしまいそうなくらい、感激した表情。
気が付けば私も目尻に温かい物を感じていた。
泣き出したりまではしなかったけれど、でも、いつの間にか涙ぐんではいた。
軽音楽部の皆さんの演奏が素敵だったのは確かだけど、
でも、それ以上に今感激出来てるのは、隣に憂ちゃんが居る事と無関係じゃない。
一緒に居てくれて、よかった……。
一緒に居てくれて、本当にありがとう、憂ちゃん……!

私達の表情を皮切りに……ってはずはないけど、
でも、ほとんど同じタイミングで観客席から大きな拍手が上がり始める。
お愛想やお世辞の拍手なんかじゃない大きな拍手に、軽音楽部の皆さんが包まれる。
唯さん、律さん、紬さんが清々しい笑顔を浮かべる。
そして、澪さんが戸惑ったように観客席を見渡すと……。


「皆……、ありがとおおおおおおっ!」


澪さんらしからぬ大声で感謝の言葉を叫んだ。
最高のライブに出来たんだ、観客の人達にとっても、澪さんにとっても。
また更に大きな拍手に包まれ、軽音楽部の皆さんが一礼する。
私にとっても夢の様な時間だった。
でも、夢じゃない。
夢にしてちゃいけない。
私の現実にしなきゃいけないんだ……。

澪さん達が舞台袖に下がろうと歩き始めた。
最高のライブの余韻を感じながら、未来に向かって歩いて行く。
私も未来と将来に向かって進まないといけないよね。

……と。


「あっ」


私は思わず呻くみたいに呟いていた。
帰り際、澪さんがベースとアンプを繋げたコードに足を引っ掛けた事に気付いたからだ。
呟いた所で澪さんには聞こえなかったし、もう遅かった。


「ふわっ?」


大きな音を立てて正面から見事に澪さんが転倒した。
うわあ……、すっごく痛そう……。


「澪ちゃんっ?」


唯さんから心配した声が上がり、
澪さんが痛そうに四つん這いにって顔を上げる。
痛そうなのは確かなんだけど、それより……。
倒れた衝撃で澪さんのスカートが捲り上がってて、それが観客席の方に……。


「いやああああああああああああああああああっ!」


水色の縞々パンツを観客席に見せてしまってる事に気付いた澪さんが、
今日一番の大きな叫び声を講堂中に響かせた。
澪さん、こんなに大きな声も出せるんだ……。
って、水色の縞々パンツ穿いてるんだね、澪さん……。


「ねえ、梓ちゃん……」


澪さんの叫び声に苦笑してしまってる憂ちゃんが、不意に私に訊ねた。
何故か手にポケットティッシュを持ちながら。
私は首を傾げながら憂ちゃんに訊ねてみる。


「どうしたの、憂ちゃん?」


「鼻血出てるよ、大丈夫?」


「あっ……」


言われて初めて、私は自分が鼻血を出している事に気が付いた。
ひょっとして、澪さんの水色縞々パンツを見ちゃったから……?
いやいやいやいや。
これはそう……、素敵なライブの余韻に興奮が冷めなかったから……。
そういう事なんだ。
そういう事なんだ……よね?




憂ちゃんに手渡されたポケットティッシュで鼻血を拭った後、
私と憂ちゃんは軽音楽部の部室が入っている校舎の屋上に座り込んでいた。
少し肌寒さを感じる時期のはずなのに、屋上に吹く強い風は全然冷たくなかった。
胸と心が温かくて、むしろ熱さまで感じるくらい。
素敵な学園祭だった。素敵なライブだった。
それくらい……、とっても素敵な演奏だったんだと思う。


「お姉ちゃん達、すっごくカッコよかったね、梓ちゃん……」


私と肩を並べて座っている憂ちゃんが頬を紅潮させて呟く。
やっぱり唯さんの事ばかり見てたのかな、
って一瞬考えはしたけど、私はすぐにその考えを振り払った。
憂ちゃんはお姉さんの事が大切で、唯さんの事が大好きだけど……、
でも、憂ちゃんはそれだけの子じゃないんだもんね。
唯さんと同じくらい……、ってのは言い過ぎかもしれないけど、
でも、憂ちゃんには唯さん以外にもたくさんの大切なものがあるんだよね。
桜高軽音楽部の皆さんやキャサリンさん……、
自意識過剰かもしれないけど、私の事だって大切に思ってくれてるはず。

そう考えていると、憂ちゃんは私の思った通りの言葉をまた呟いてくれた。
心の底から溢れ出る笑顔を隠せない様子で、呟いてくれた。

「お姉ちゃん、カッコよかった……。
あんな大勢のお客さんの前で演奏出来るくらいの腕前があって、
澪さんや律さんや紬さん……、皆さんの事を勇気付けられる優しさもあったなんて……。
私はお姉ちゃんの妹だからそんな事分かってたけど……、
分かってたつもりだったけど……、でも、全然分かってなかったんだ……!
私ね……、それが……、それがすっごく嬉しいの、梓ちゃん……!
私の知らないお姉ちゃんのいい所を見られて……、すっごく……!」


「うん……、いい演奏だったよね、本当に……」


「でもね、梓ちゃん……。
今日はそれよりも、もっとよかった、って思ってる事があるんだよね。

それはね……、お姉ちゃんの大切な友達の事を知れた事なんだよ。
律さん、澪さん、紬さん、和ちゃんにクラスの人達やキャサリンさん……、
皆さん……、お姉ちゃんの事を見ててくれてて、大切に思ってくれてて、
お姉ちゃんも同じくらい皆さんの事を大切に思ってるのがよく分かって……。
だから、あんな素敵なライブになって……!
私ね、それが……、その事がとってもとっても嬉しいんだ……!」


ほら、と私も溢れ出る笑顔を隠せなくなった。
憂ちゃんは色んな事を見ている子なんだよね、私の事も含めて。
お姉さんの唯さんの事が大切だからこそ、
唯さんが大切な全ての人達の事も大切に思ってて……。
それで憂ちゃんはこんな素敵な優しさを持てるようになったんだと思う。

顔を見合わせて、二人で笑う。
吸い込まれそうな憂ちゃんの笑顔に、私はちょっと心臓を高鳴らせてしまった。
さっきから見てたはずなのに、いざ憂ちゃんの笑顔を間近に見ちゃうと何だか照れちゃうな……。
私は軽く咳払いをして、頬のくすぐったさを誤魔化すために軽口を叩く事にした。


「ねえ、憂ちゃん?
素敵なライブだったのは確かだと思うよ。
でも……」


「何?」


「唯さんのコーラス、すっごく嗄れた声だったよね」


「それは……、うん……」


私の言葉に、憂ちゃんが困った感じの苦笑を浮かべる。
反論しなかったのは、憂ちゃん自身もそう感じていたからだと思う。
今日のライブはとっても素敵なライブだった。
でも、完璧なライブだったわけじゃない。
澪さんがこけてしまったトラブルは仕方が無いにしても、
唯さんの嗄れた声のコーラスだけは言い訳出来ないくらい浮いていた。
『ふわふわ時間(タイム)』の旋律が甘くて爽やかなだけに特に際立って……。
完璧なライブと呼ぶには程遠い唯さん達の初ライブ。
成功ではあったけど、細かい所では失敗しちゃってる初ライブだったんだよね。

だけど、憂ちゃんは私の見たかった……、
私の大好きなとびきりの笑顔になって続けてくれた。


「でも、お姉ちゃん達、すっごく楽しそうだったよね!」


それは唯さん達の弁護のためでも、
私への誤魔化しのためでもないまっすぐな言葉。
憂ちゃん自身が本気でそう思ってる、って事がよく分かる言葉だった。

うん、そうだよね。
照れ隠しに憂ちゃんにちょっと意地悪しちゃったけど、本当は私だってそう思ってた。
そう思ってたからこそ、私は憂ちゃんと同じに笑顔を隠し切れなくなっちゃうんだよね。
溢れ出す笑顔をまた止められなくなる。
だから、私はまた笑顔になって、憂ちゃんに向けて力強く頷いた。
もう胸の高鳴りを無理に沈めようともしなかったし、したくなかった。


「楽しそうだったよね、唯さん達……」


呟きながら、まだ余韻の残るさっきのライブの事を思い出す。
今日の学園祭を唯さん達は心から楽しんでた。
初ライブだけじゃなくて、多分、演奏するまでの全ての事を。
お化け屋敷の準備、焼きそばの出店、荷物運び、
キャサリンさんが用意した衣装でのコスプレ、MCの練習……。
初めての学園祭を楽しみ切ろうって様子で、たくさんの事を全力で。
だから、皆さんはあんなに楽しそうだったんだよね。
固さと緊張こそ解けなかったけど、あの澪さんまで最後には少し楽しそうに見えたくらいに。

ああ、そうなんだよね……。
もうはっきりと自覚出来るよ。
私が本当に欲しかったものはやっぱりこれだったんだって。
私は一緒に笑い合えて楽しみ合える仲間が欲しかったんだ。
例え色んな失敗をしちゃったって、今日の唯さん達みたいに全てを楽しめる仲間が。
そのために必要なのが音楽の才能なんだって、私は勝手に思い込んでた。
才能が無い、周りから認められない音楽を続けてたって意味が無い。
大した実力も無しに音楽を楽しむなんて、やっちゃいけない事なんだって。

今考えてみると、私はただ、将来に誰からも認められなくなるのが怖かったんだと思う。
私は自分の性格にそんなに自信が無い。
あの子とだって親友になるまで長い時間が掛かった。
面倒で可愛げの無い性格だって自分でも思う。
だから、音楽の才能っていう、別のものを求めちゃってたのかもしれない。
音楽の才能があれば、私の性格に難点があっても、皆が付いて来てくれるかもしれないから。
どんな事があっても、皆と音楽を続けられるかもしれないから。

本当はそういう事じゃないのに。
皆と……、あの子と音楽を続けたいんだったら、
どんなに才能が無くても、あの子と話し合うべきだったのに……。
それが私の犯しちゃった失敗なんだよね……。

自分の心臓の鼓動が早まっていくのを感じる。
勿論、それはあの子との事を考えて、辛い気持ちが湧き上がって来るから。
後悔と悲しさが湧き上がってくるから。
だけど……、でも……。
私にはそれ以上に心臓が早く動いちゃう理由があるんだ。

今、この時、私の目の前にいる女の子。
私と同い年なのに、同学年なのに、私よりずっとしっかりしてて、
可愛くて、優しくて、私の事を大切にしてくれる、私に前に進む勇気をくれた女の子。
憂ちゃんが傍に居てくれたから。
傍で笑っていてくれたから。
私は勇気を出して我侭を言わないといけない。
もうすぐ来る、別れの前に。


「ねえ、憂ちゃん……?」


喉がカラカラに渇いて、泣き出しそうなくらい緊張するのを感じながら声を出す。
大した事を言うつもりじゃないのに、胸が痛いくらいに心臓の動悸が激しくなる。
「何、梓ちゃん?」と憂ちゃんが笑顔で首を傾げる。
優しい憂ちゃんの笑顔が私を包む。
その笑顔がまた私の気持ちを一歩進めてくれた。


「『一生に一度のお願い』の日までにね……、私、やりたい事があるんだ」


「やりたい事……?」


「うん、実はね、私……」


大きく深呼吸。
本当は怖い。
憂ちゃんにそれが断られる事がじゃなくて、自分の無力を思い知らされる事が。
才能が全てじゃないって分かり掛けては来たけど、それでも、やっぱり……。
弱くて悩んでばかりの私がそれを受け止められるのかって。

だけど、もう私達には時間が残されてなかったし、それ以上に私は変わりたかった。
憂ちゃんとのこの一週間はもうすぐ終わる。
システムのルール通りなら、きっと今日まで起こった全ての事は記憶に残らない。
何もかも忘れ去ってしまうはずだ。
だったら、これから私がしようとしてる事には何の意味も無い……?

ううん、そうじゃない。
そうじゃないって信じる。
もうすぐ忘れてしまうとしても、今この時に勇気を出そうと思えた事だけは真実だと思いたいから。
信じたいから。
私は精一杯の勇気を出して、想いを言葉にするんだ。


「憂ちゃんと……、セッションしてみたいんだよね。
二人でギターで、『ふわふわ時間(タイム)』の……」


「えっ……?」


私の言葉を聞いて、憂ちゃんが驚いた表情を浮かべる。
それはそうだと思う。
憂ちゃんには凄い才能があるけれど、憂ちゃん自身はそれにまだ気付いてないはずだもん。
そんな状態でセッションだなんて言われても、戸惑って当然だよね。
それは分かってるけど、私は憂ちゃんのギターの本当の腕前を知りたかったし、
それよりも何よりも、二人で『ふわふわ時間(タイム)』をセッションしてみたかった。
私と憂ちゃんを繋いでくれた軽音楽部の皆さんの曲。
私に大切なものを見つけさせてくれた『ふわふわ時間(タイム)』を。

残された時間で完璧な演奏が出来るなんて考えてない。
きっと出来の悪い演奏になっちゃうはずだと思う。
それでもいいんだ。
残された時間、私は憂ちゃんとそうして過ごしたいと思ったんだもん。

私は戸惑った表情の憂ちゃんの両肩に手を置いて、真剣な眼差しを向ける。
完全に私の単なる我侭だけど、それでも憂ちゃんと一緒だから、
憂ちゃん相手だからこそ、言いたくなった我侭だって事を分かってもらうために。


「いきなりこんな事を言われても困っちゃうのは分かるよ、憂ちゃん。
自分でも変な我侭だって思うよ、正直……。
でも……、でもね……、私、憂ちゃんと演奏してみたいの。
分からない所があったら私が精一杯教えるから……!
だからね……!」


「あの……、えっと……」


「と言っても、私にも耳コピは無理なんだよね。
だからね、今から私、軽音楽部の部室に行ってくるよ。
勝手にだけど、楽譜をコピーさせてもらって、それを見ながら憂ちゃんと練習したい。
『一生に一度のお願い』を願うその寸前までそうしたい。
もしも……、もしも憂ちゃんが……よければだけど……」


私の言葉はそれで終わった。
これ以上の言葉は無理強い過ぎたし、無理に憂ちゃんに付き合ってもらっても辛かった。
これで憂ちゃんが嫌だと言うなら、それも仕方無かった。
それは憂ちゃんが悪いわけじゃなくて、私が憂ちゃんに迷惑しか掛けなかったって事だもんね……。
とても悲しい事だけど、それはそれで私の一つの結果なんだと思うもん……。

憂ちゃんはまだ戸惑った表情を浮かべてる。
私の申し出を断る言葉でも考えてるのかな……?
そう思って胸の痛みを強く感じていると、不意に憂ちゃんが静かに口を開いた。


「楽譜のコピーなんて……、行かなくてもいいよ、梓ちゃん」


「そう……なんだ……」


辛うじてそう言葉には出来たけど、本当は泣き出してしまいそうだった。
自業自得なのは分かってる。
憂ちゃんと出会って、私は憂ちゃんに迷惑ばかり掛けちゃってたもんね。
最後の最後まで憂ちゃんの優しさに頼るなんて、いくら何でも憂ちゃんに失礼だよ……。
辛いけど……、本当に辛いけど……、断ってくれた憂ちゃんに感謝するべきなんだよね。
勇気を最後に出せただけ……、それだけでよかったと思えなきゃ……。


「ごめん……ね、憂ちゃん……。
私、変な事、言っちゃって……」


私は掠れた言葉で呻くみたいに呟いた。
言葉に出せた事が奇跡的なくらい、自分でもその声が掠れてるって分かった。
憂ちゃんは私のその声色に驚いた表情を浮かべてた。
まさか私がこんなに悲しそうな顔をするなんて思ってなかったのかな……?
憂ちゃんは優しい子だから、私の事を思って、
申し出を受け入れてくれる気になってくれたのかもしれない。
でも、そんなのは嫌だ……。
もう憂ちゃんの優しさに頼るだけの私じゃ居たくないよ……。

憂ちゃんがきっと泣き出しそうにしてるんだろう私の表情を見ながら続ける。


「ご、ごめん、梓ちゃん。
私、びっくりして言い方を間違っちゃったみたいで……」


「う、ううん、気にしないで、憂ちゃん……。
はっきり断ってくれてありがとう……。
自分でも……、我侭だって分かってたから、だから……」


「そうじゃなくて……ね。
私はね、梓ちゃん、楽譜のコピーには行かなくていいんだよ、って。
それだけを梓ちゃんに伝えたかったんだよ。
言う順番を間違っちゃって、ごめんね……」


「どういう……事……?」


「実は……ね」


憂ちゃんがとても申し訳無さそうな顔になって、
スカートのポケットの中から綺麗に折り畳まれた紙を取り出した。
厚さからすると五枚くらいはあるだろうか。
憂ちゃんはその紙を開くと、私に静かに手渡してくれた。
その紙に記されていた言葉は……。


「君を見てるといつもハート……」


はっとして顔を上げると、憂ちゃんがとても真剣な表情で頷いていた。
それ以上読まなくても分かる。
憂ちゃんがポケットの中に入れてたのは、
『ふわふわ時間(タイム)』の楽譜のコピーだった。
びっくりした私は憂ちゃんにまた掠れた声で訊ねた。


「これ……、どうした……の?」


「昨日ね、トイレに行く振りをして、梓ちゃんに隠れてコピーさせてもらってたの。
私もね……、梓ちゃんとこの曲の練習がしてみたかったんだ……。
教えてもらいたかったんだ……。
でも、梓ちゃんは『一生に一度のお願い』の事を考えなきゃいけない時だし、
お姉ちゃん達のライブを見るまで集中して欲しかったら……、
ううん、断られたらどうしようって思うと、言い出せなかったんだよね……。

だから、梓ちゃんの方から言い出してくれた時、びっくりしちゃったの……。
梓ちゃんも同じ気持ちで居てくれたんだ、って。
嬉しい気持ちとびっくりした気持ちがごっちゃになって、
それで……、変な言い方になっちゃったみたい……。
本当にごめんね……。
だけど、梓ちゃんとこの曲の練習をしたいって言うのは、私の本心なんだ……」


「どう……して……?」


「梓ちゃん達が一生懸命だったから」


「私が……?」


「うん。
この一週間、梓ちゃん、すっごく一生懸命だったよ。
自分のお願いと夢を見付けるために凄く頑張ってた。
音楽の事、とっても真剣に考えてるみたいに見えたの。

だからね、梓ちゃんやお姉ちゃん……、
律さん達やキャサリンさんが一生懸命な音楽の事、もっとよく知りたくなったんだ。
残された時間じゃそんなに上達出来ないだろうし、
この曲を演奏するなんて無理かもしれないけど……、でも、私、ちょっとだけでいいの。
ちょっとだけでも梓ちゃんと音楽を経験してみたいんだ。
だって私、梓ちゃんの事、もっとよく知りたいんだもん。

私からもお願いさせて、梓ちゃん。
残り少ない時間だけど、何処まで出来るか分からないけど、
私、梓ちゃんと『ふわふわ時間(タイム)』の練習がしたいな……!
私の勝手な我侭だけど、引き受けてくれる……?」


言い終わって、憂ちゃんは柔らかい苦笑を浮かべる。
すれ違ってるみたいで同じ様な事を考えてた私達に対して苦笑いするみたいに。
釣られて私も少し苦笑。
これまで色んな事ですれ違ってた私達だけど、最後くらいはすれ違わずにいられたみたい。
私にはそれがとっても嬉しかった。
だから、私は信じよう、って思った。
私を大切にしてくれてる憂ちゃんの事を。
憂ちゃんが一生懸命だと言ってくれる私自身の事を。
まだ自信はあんまり持てないけど、私が私を信じないのは、憂ちゃんにとても失礼だと思うから。

私は涙を心の片隅に追いやって、自分に出来る精一杯の笑顔を浮かべる。
憂ちゃんの信じてくれる私の笑顔を見せて、口を開いて想いを言葉に乗せた。


「勿論だよ、憂ちゃん。
一緒に……、『ふわふわ時間(タイム)』の練習、しようね……!」


12
最終更新:2013年03月23日 21:42