◇◇◇
梓(それからも私は週3回のペースで琴吹さんのお店に通い続けた)
梓(部活がない日は4時頃に店に行ってケーキセットを注文する)
梓(そして本を読みながら紅茶一杯で2時間粘る)
梓(部活がある日は部活が終わってから6時頃に行く)
梓(琴吹さんがお店を閉めたあと、ミルクティーを飲みながら、ふたりでおしゃべりする)
梓(琴吹さん、紅茶の知識はすごいけど意外と世間知らずな人だ)
梓(優しい人だけど、ちょっと変わったところもある)
梓(特に笑いのツボがずれている気がする)
梓(部活の方はあまり変わってない)
梓(唯先輩は相変わらずギターがないので練習に参加できない)
梓(私たちの演奏を子守唄にソファーで寝ていることが多い)
梓(……あの騒音の中でよく眠れると感心する)
梓(澪先輩は特に練習熱心で、最近メキメキ上達してる)
梓(律先輩は相変わらずあんまり上手くない)
梓(それでも以前よりはだいぶマシになった)
梓(でも、そんな状況も少しずつ変わりはじめていたんです)
◇◇◇
梓「こんにちはー」
唯「あっ、あずにゃんだー」
律「おっ、きたか」
澪「あぁ、さっそく練習するか」
唯「ねぇ、あずにゃん。ちょっとお願いがあるんだけど」
梓「なんですか、唯先輩」
唯「あずにゃんのギターちょっと貸してくれない?」
梓「え……」
梓(……唯先輩も私達に触発されて練習したくなったのかな)
梓(うん。これはいい傾向かも)
梓「はい、いいですよ」
◇◇◇
律「今日はこれくらいにしておくか」
唯「あずにゃんありがとー」
梓「いいですけど、そろそろ唯先輩も自分のギター買ったらどうですか?」
唯「うーん。でも雇ってくれるところが見つからなくて」
澪「そろそろ本気で考えないとまずいな」
律「あぁ」
梓「……じゃあ私は先に帰ります。さようなら」
唯「いっちゃった……」
律「なぁ、梓って部活終わるとすぐに帰るけど、何か用事でもあるのかな」
澪「馴れ合いたくないだけじゃないのか?」
唯「でもあずにゃん楽しそうに出てったね」
律「……!」ピコーン
◇◇◇
紬「そう。唯ちゃんがやる気を出したんだ」
梓「はい。でもバイトが見つからないって。琴吹さんはどう思いますか?」
紬「う~ん。そうねぇ、唯ちゃんってどんな子?」
梓「ちょっと変わった人です。すぐに抱きついてくるし」
紬「もしかしたら中野さんのことが好きなのかしら?」
梓「それはないと思います。私以外にも抱きつきますし」
紬「そうなんだ……。あら」
梓「どうしました?」
紬「軽音部の先輩って3人よね」
梓「そうですが……それが?」
紬「ふふふ。あれ」
梓「えっ、先輩達!?」
◇◇◇
唯「なるほどなるほど。あずにゃんはこっそりこの店員さんと密会してたわけだねー」
紬「あずにゃん?」
梓「き、気にしないでください!」
紬「え、ええ」
澪「ごめんなさい店員さん。こいつがどうしても追いかけたいって言うから」
律「澪も乗り気だったじゃないか」
澪「だって……気になるじゃないか」
紬「ううん。いいのよ。どうぞ、みんなの分のミルクティー」
唯「……なにこれ、おいしー」
律「あぁ、美味いな」
澪「うん……うん……美味しいですね」
紬「ありがとうございます」
唯「それであずにゃんと店員さんはどんな関係なの?」
梓「それは……」
紬「よくぞ聞いてくれました!」
唯「店員さん?」
紬「私と中野さんは友達なのよー」
唯「ほうほう」
律「へぇ~梓がねぇ……」
梓「むっ……どういう意味ですか」
律「わるい。あんまり外で友達作るタイプには見えなかったから」
紬「実は、私が友達になってほしいってお願いしたの」
澪「そうなんですか?」
紬「ええ、中野さんがお客さんとしてお店にきてくれたときお願いしたんだ」
唯「ひとめぼれ?」
紬「うんっ!」
梓「ち、違う意味に聞こえるからやめてください」
紬「っ……ごめんなさい……」
梓「お、お落ち込まないでください」
紬「……うん」
梓「それで先輩方は何をしにきたんですか?」
律「何をしにきたって言っても……なぁ……」
澪「あぁ……梓を追いかけてきただけだよ」
紬「そうなんだ」
唯「うん。そうだよー。あずにゃんに想い人でもいるんじゃないかって思って」
梓「」ブブーッ
紬「な、中野さん、大丈夫」フキフキ
梓「な、なんとか……」
紬「口元も汚れてるわ」フキフキ
梓「ありがとうございます」
紬「うふふ。でも残念ね。想い人じゃなくてただの友達で」
唯「そうなのかなぁ……」
紬「……?」
澪「なぁ、律」
律「あぁ」
紬「どうしました?」
澪「いえ、そろそろ帰ろうかと」
紬「もう遅い時間だからね」
唯「店員さん。今日はご馳走様」
澪「ご馳走様でした」
律「ご馳走様」
紬「いいえ、どうしまして……」
紬「……」
梓「……」
梓(琴吹さんはきっと「またきて欲しい」と言いたい)
梓(でも私が「隠れ家みたいに思ってる」と言ったのを気にして、言い出せないんだ)
梓(……琴吹さんは友達を作りたがってる)
梓(だったら……)
梓「あのっ!」
律「どうした、梓?」
梓「また、みんなで来ませんか?」
紬「な、中野さん?」
梓「琴吹さんは迷惑ですか?」
紬「ううん。全然そんなことないけど」
梓「なら……」
律「あぁ、そうだな」
澪「またお邪魔させてもらいます」
唯「うん。それじゃあ店員さん、ばいばーい」
紬「あ、さようなら……」
◇◇◇
律「なぁ、梓。なんでみんなでまた来ようって言ったんだ?」
澪「うん。迷惑じゃないって言ってたけど、実際は……」
梓「琴吹さん、私に友達になってほしいっていったんです」
唯「どういうこと?」
梓「琴吹さん16歳なのにお店をひらいてて……きっともっと友達を作って遊びたいのに……」
澪「なるほど……」
唯「あずにゃんは優しいんだね」
梓「先輩たちにお願いです。できれば琴吹さんの友達になってあげて欲しいんです」
梓「無理にとは言いませんが……」
澪「そういうことなら大歓迎だ。なぁ、律」
律「あぁ、ミルクティー美味しかったし」
唯「うんうん。ケーキもとっても美味しかったし」
律・澪・梓「えっ」
唯「あっ、そうだ。私忘れたことがあるから、ちょっとお店に戻るよ」
唯「ばいばい、りっちゃん、みおちゃん、あずにゃん」
律「なんだったんだ?」
澪「さぁ?」
梓(次の日、部活に行くと唯先輩がニコニコ顔で迎えてくれました)
梓(「バイトが決まったよあずにゃん」って)
梓(そしてバイト先は……琴吹さんのお店でした)
梓(……)
梓(バイト募集中なら、私にやらせてくれればよかったのに……)
◇1ヶ月後◇
梓「こんにちはー」
唯「あっ、あずにゃんだー」ダキッ
梓「まったくもー唯先輩は」
紬「あら、いらっしゃい、中野さん」
梓「こんにちは、琴吹さん」
唯「ムギちゃんお仕事終わったの?」
紬「ええ、食器も洗ったし、後はミルクティーを入れるだけ」
唯「ムギちゃんもぎゅー」ダキッ
紬「あらあら」
梓「な、なっ……」
唯「ムギちゃんはねー、抱きつくととってもいい匂いがするんだよ」
紬「紅茶の匂いかしらねー」
唯「どうだろうねー」
◇◇◇
紬「はい、ミルクティーと抹茶のスフレ」
唯「ありがとー」
梓「ありがとうございます」
紬「あっ、唯ちゃん。今、給与明細渡しちゃっていいかな」
唯「うん」
紬「はい、これ。お金は銀行に振り込んであるから」
唯「えーっと……こんなにいいの?」
紬「ええ、唯ちゃんには一杯助けてもらっちゃったから」
唯「そうかな? 私、あんまり役にたたなかったとおもうけど」
梓「バイトなんて雇って、お店のほうは大丈夫なんですか?」
紬「ええ、大丈夫よ。バイト代を差し引いても利益は増えたんだから」
梓「本当ですか?」
紬「唯ちゃんが桜ヶ丘の生徒さんに宣伝してくれたおかげで、高校生のお客さんも来てくれるようになったし」
紬「唯ちゃん目当てだと思われる男性客もぽつぽつ出てきたから」
梓「なるほど……」
唯「これでやっとギー太を買えるよ」
紬「ギー太?」
唯「うん。私の楽器の名前だよ」
梓「買う前から名前を決めてたんですか?」
唯「うんっ!」
紬「そう。じゃあもうバイト辞めちゃうのかしら?」
唯「う~ん。どうしようかな」
梓「どうしようかな、じゃないです。バイトやってたら部活に出れないじゃないですか」
唯「あ、そっかぁ」
梓「そっかぁじゃありません。ここ一ヶ月ほどずっと休んでたんですから」
梓「これからは真面目に部活に出てください」
紬「中野さんは唯ちゃんがいなくて寂しかったんだね」
梓「そ、そんなんじゃありません」
唯「もう、あずにゃんってば」ダキッ
梓「う、うぐっ…」
紬「じゃあやっぱりバイトは今日までかしら」
唯「う~ん。ねぇ、週1日だけ働くのは駄目?」
紬「週1? あっ、火曜日は部活がないんだっけ?」
唯「うん」
梓「そ、それなら!」
梓「私も働かせてください!」
紬「中野さん? えーっと……うーん……」
梓「あっ、迷惑ですよね。そうですよね。火曜日だけ3人もいても……」
紬「ううん。中野さん目当てで来てくれるお客さんも出てくると思うから、それはいいんだけど」
紬「週1回の2時間労働だと、月給1万円行かないぐらいだけど、それでもいいの?」
梓「全然いいです!」
紬「唯ちゃんは?」
唯「1万円でもあるとないとじゃ大違いだよー」
紬「そう。なら、お願いしちゃおうかしら」
紬「中野さん、来週の火曜日までに振込用の銀行口座と履歴書持ってきてね」
梓「ありがとうございます」
紬「うふふ。中野さんと一緒に働く日がくるなんて」
梓「あの、本当に迷惑じゃなかったですか?」
紬「ええ、そのかわり、友達を沢山連れてきてね」
梓「たくさん……ですか」
紬「ご、ごめんさい。無理ならいいのよ」
梓「いいえ、任せてください」
梓「不肖、
中野梓。全身全霊で友達を連れてきますから」
唯「でもあずにゃんの友達って憂とじゅ――むぐむぐ」
梓「唯先輩は黙っててください!」
紬「うふふ。賑やかになりそうねー」
◇◇◇
梓(こうして唯先輩は無事に楽器を手に入れました)
梓(ギターを手に入れた唯先輩は、毎晩夜遅くまで練習しているそうです)
梓(憂がうれしそうに話してくれました)
梓(メキメキ上達していく唯先輩に触発されたのか、律先輩と澪先輩も熱心に練習するようになりました)
梓(以前は雑談7割だった軽音部)
梓(今では雑談3割、練習7割になってしまった)
梓(この調子なら文化祭では素晴らしい演奏ができそうです)
梓(バイトのほうはあまり堅調とは言えません)
梓(自分で言うのもなんですが、私はあまり器用じゃないです)
梓(そのせいで琴吹さんと唯先輩にかなり迷惑をかけています)
梓(琴吹さんは、週一だから馴れるのに時間がかかるのよ、とフォローしてくれました)
梓(だけど、私は肩身が狭かった)
梓(笑顔で接客できない)
梓(食器を洗うペースも、後片付けのペースも遅い)
梓(こんなんじゃ、友だちとして琴吹さんを支えてあげられない)
梓(そう考えた私は……)
◇◇◇
紬「2人だけでお話をしたいって聞いたけど、どんなご用事かしら」
梓「あの……私、役立ってます?」
紬「バイトのお話?」
梓「はい」
紬「ええ、中野さんのおかげで来てくれる固定客さんも増えてきたし」
梓「そういうんじゃなくて、バイトの仕事としてです」
紬「それは……しょうがないわ。まだ慣れていないもの」
梓「でも役に立ちたいんです」
梓「琴吹さんの友だちとして……支えたいんです」
紬「中野さん……そんなふうに考えてくれてたんだ」
梓「……はい」
紬「中野さんが友達でいてくれるだけで、私はすごく嬉しいんだよ」
梓「でも、今では唯先輩だって友達ですし、律先輩は澪先輩だって……」
紬「確かに友達は増えたけど、みんな中野さんが連れてきてくれたんだよ」
紬「唯ちゃんと出会えたのも、律さんと出会えたのも、澪さんと出会えたのも」
紬「みんなみんな中野さんのおかげだから」
梓「私はきっかけを作っただけです」
梓「最近は琴吹さん、唯先輩とすごく仲いいですし」
紬「……」
梓「……」
紬「ねぇ、中野さん」
梓「……」
紬「私ね、最近すっごく楽しいの。友達も増えたし、お店も前より繁盛してるし」
梓「……」
紬「でもね、やっぱり中野さんと2人でいるときが一番好きなんだ」
紬「やっぱりね。中野さんは私にとって特別な友達だから」
紬「中野さんは傍にいてくれるだけで、私の特別だから」
紬「だからね、そんなに悩まないで欲しい」
紬「中野さんが辛そうにしてると……私もね……」
紬「なんだか……」グスッ
梓「な、泣かないでください」
紬「だ、だって……中野さんがそんなふうに考えてたなんて……」
梓「そんなに泣かれると、私まで泣きたくなってしまいます」
紬「中野さん……」
梓「琴吹さん……」
◇一時間後◇
紬「こんなに泣いたの2年ぶりかしら」
梓「2年ぶり?」
紬「ええ、御父様が亡くなった時以来」
梓「そうでしたか」
紬「うん」
紬「御父様が死んだとき、引き取ろうって話をしてくれた親戚は何人かいたんだ」
紬「でも、このお店を選んだ」
紬「私、好きだったんだ。このお店」
紬「お客さんがきて、おいしい紅茶を飲んで、のんびりしていくだけ」
紬「でもなんだかあったかいの」
紬「そういうお店を守りたかったんだ」
紬「だから中学を卒業すると同時に、このお店を引き継いだ」
紬「保証人とかは親戚の人がやってくれたんだけどね」
紬「幸い取引先は、御父様のツテでなんとかなってしまって」
紬「こうやってお店を開けたんだ」
梓「そうでしたか……」
紬「うん。でもお店を開くとき、全部諦めたつもりだった」
梓「諦めた?」
紬「友達を作ってその……高校生らしい楽しみ方をすること」
紬「でも中野さんのおかげで、私は両方手に入れてしまった」
紬「素敵なお店と、素敵な友達」
紬「だから、どこまでいっても中野さんは特別なんだよ」
紬「中野さんは、私にとって幸運の女神だから」
梓「女神なんかじゃないです」
紬「黒猫さんかしら?」
梓「黒猫でもないです」
紬「なら、なぁに?」
梓「私は人間です」
紬「人間?」
梓「はい。悩んでるだけのただの人間です」
梓「琴吹さんがどう考えていても、私は私の方法で支えたいんです」
紬「……そう」
梓「だから、お願いがあります」
紬「うん……」
梓「土日もシフトを入れたいんです!」
◇◇◇
梓(単純に労働時間を増やす。それが私の出した結論でした)
梓(慣れるのに時間がかかるなら、時間を増やせばいいんです)
梓(ちゃんと仕事が出来るようになれば、琴吹さんを支えられる)
梓(少し遠回りになってしまったけど、琴吹さんは快諾してくれました)
梓(でも遠回りしたおかげで、少しだけ琴吹さんの内側に触れられた気がします)
梓(私は琴吹さんにとって特別)
梓(その言葉を何度か反芻して、やっと気づきました)
梓(私にとっても琴吹さんは特別だって)
最終更新:2013年06月09日 10:25