◇夏休み◇
梓「こんにちはー」
紬「こんにちは中野さん。今日もよろしくお願いします」
梓「よろしくお願いします」
紬「ふふ」
梓「どうしました? なんだか嬉しそうですけど」
紬「夏休みの間は毎日中野さんに会えて嬉しいな―って」
梓「私も友達と会えて嬉しいです」
紬「じゃあ今日も張り切って働きましょう!」
梓「はいっ!」
◇◇◇
紬「ふぅ……やっと終わった」
梓「空調は効いてるのに、なんだか疲れました」
紬「気温差のせいかしら。エアコンが入っててもつかれるのよねー夏は」
紬「あっ、今日はアイスミルクティーでいいかな?」
梓「はい」
梓「……」
梓(……そういえばアレ)
梓(アレって……アレだよね)
紬「はい、お待ちどうさま」
梓「あの……アレって」
紬「ええ、ピアノよ」
梓「やっぱり……弾かないんですか?」
紬「中学卒業するまでは弾いてたんだけどね、今ではさっぱり」
梓「ちょっとだけ弾いてもらえませんか?」
紬「えー」
梓「お願いします」
紬「うーん」
梓「友だちからのお願いです」
紬「中野さんの意地悪」
梓「そ、そんな……」
紬「ふふ、冗談よ。ちょっと待ってて」
梓(琴吹さんはカバーを外し、ピアノの前に腰掛けた)
梓(ピント伸びた背筋、やわらかな手つき、とても様になっている)
梓(つむがれた曲は、トルコ行進曲)
梓(明るくて軽快な曲)
梓(琴吹さんが弾くと、どこか懐かしい感じがする)
梓(確かに何度かミスをしたけど、きっとこの人は)
梓(……)
紬「どうかしら?」
パチパチパチパチパチパチ
梓「とっても素敵でした」
紬「ふふ。お世辞でも嬉しいわ」
梓「でもこんなに弾けるのに勿体無いです」
紬「実はね、最近ちょっとだけ音楽に触れる機会があったから」
梓「?」
紬「この前澪さんが家に泊りにきたの。作曲について教えて欲しいって」
梓「えっ、澪先輩が」
紬「うん。突然だからびっくりしちゃった」
紬「でも、すっごく楽しかった。お菓子を買い込んで、夜までずっと音楽の話をしたんだよ」
紬「澪さんってすごいイイ子よね。真面目で優しくて綺麗で……」
梓「ま、まぁいいです」
紬「……?」
梓「それにしても琴吹さん、作曲なんてできるんですか?」
紬「ええ、中学校の頃は、合唱コンクールにオリジナル曲で参加したのよ」
梓「それはすごいです」
紬「うん。テレビ局の取材もきたのよー」
梓「へぇ」
紬「でも、人に教えるのは難しいわ。結局澪ちゃんも修得できなかったし」
梓「ねぇ琴吹さん。今度文化祭があるんですが」
紬「ライブをやるのよね?」
梓「はいっ、それでオリジナル曲をやりたいなって話になってるんです」
紬「ええ、それで澪ちゃんがきたのよね」
梓「いっそのこと琴吹さんが作曲やりませんか?」
紬「部外者がやってもいいのかしら?」
梓「問題ないと思います」
梓「先輩たちにも相談しないといけませんが……」
紬「中野さん」
梓「なんですか?」
紬「中野さんは、私が作った曲で演りたい?」
梓「はいっ!」
紬「……なら、みんなと相談ね」
◇◇◇
梓(相談の結果、作曲琴吹さん、作詞澪先輩でオリジナル曲を作ることになった)
梓(しばらくは閉店後、お店に楽器を持ち寄って曲を作る日々が続いた)
梓(ギター、私と唯先輩)
梓(ドラム、律先輩)
梓(ベース、澪先輩)
梓(ピアノ、琴吹さん)
梓(このメンバーでバンドが出来たら、きっと楽しいと思う)
梓(もちろん無理だとはわかっているけど)
梓(でも、この時間だけは)
梓(文化祭までの短い時間だけは)
梓(この5人で音楽をやっていられる)
梓(そんな、夢のような時間でした)
◇文化祭当日◇
紬「……」ニコニコ
梓(あっ、琴吹さんだ。来てくれたんだ)
唯「あずにゃんいよいよだね」
澪「あぁ、つむぎさんも来てるみたいだし、オリジナル曲を含めて3曲全部」
律「ばっちり決めてやろうぜ」
梓「はいです」
唯「さっ、あずにゃん、りっちゃん、みおちゃん、幕があがるよ!」
律・澪・梓「……」
ワー
ワー
ワー
…………
……
…
◇文化祭後◇
みんな「カンパーイ」
澪「よかったんですか?」
紬「もちろん。打ち上げにお店を使ってもらえるなんて嬉しいわ」
紬「クラスメイトの人も、こんなに沢山連れてきてくれて……」
紬「でも良かったのかしら? 打ち上げっぽいものはあんまり出せないんだけど」
澪「ジュースだけで十分だよ」
紬「お酒とかは?」
澪「新聞を飾ることになっちゃう」
紬「そう。でも今回は楽しかったわ」
澪「うん。私も」
紬「澪さんも?」
澪「私、ずっと作詞がやりたかったんだ」
紬「そうなんだ」
澪「でも作曲をやってくれる人がいなかったから、今までできなかったんだ」
澪「本当につむぎさんには感謝してるよ」
紬「それはよかった」
澪「ねぇ、つむぎさん。またオリジナル曲を作ろうと思ってるんだけど、どうかな」
紬「うーん。どうしようかな」
澪「か、快諾してくれないの」
紬「ごめんなさい。でもお願いがあるんだ」
澪「なに?」
紬「澪さんって友達を呼ぶ時、基本的に呼び捨てよね」
紬「唯、律、梓って」
澪「うん」
紬「私のことも呼び捨てにして欲しいの」
澪「そっか……じゃあムギ」
紬「ありがとう澪さん」
澪「だめ!」
紬「えっ」
澪「ムギも私のこと呼び捨てにしてよ。友達でしょ?」
紬「う~ん、それじゃあ澪ちゃんでどう?」
澪「うんうん」
澪「じゃあ交渉成立ってことで」
紬「うふふ。でも嬉しいわ。私もみんなと一緒に音楽ができて」
澪「ああ、私もムギと音楽が出来て楽しいよ」
澪「それにさ……」
唯「はいはいちゅーもーく」
紬「あら」
澪「ふふふ」
唯「今から軽音部主催でスペシャルライブを開催しまーす」
パチパチパチパチ
唯「せーだいな拍手をお願いしまーす」
アハハ
ガンバッテーオネエチャーン
ユイ‐ガンバリナサイヨ‐
パチパチパチパチ
梓「よろしくお願いします」
ガンバッテアズサチャーン
アズサガンバレ‐
パチパチパチパチ
唯「次は軽音部の良心、美人の澪ちゃんこと、
秋山澪」
澪「な、なんだその紹介は!! ……よろしく頼むよ」
キャーキャーミオチャーン
ミオチャーンケッコンシテ‐
パチパチパチパチ
律「私だけ手抜きじゃないか? まぁ、いっか」
リッチャンガンバッテ
パチパチパチパチパチパチパチ
唯「そして最後に……軽音部名誉部員、ムギちゃんこと
琴吹紬」
紬「えっ」
唯「ほら、ムギちゃん、おいでよ!」
梓「きてください、琴吹さん!」
紬「わ、私?」
唯「うん。みんなで決めたんだ。琴吹さんに名誉部員になってもらおうって」
紬「私なんかでいいの?」
梓「琴吹さんじゃないと駄目なんです。だから――」
紬「……えーっと、先ほど紹介してもらいました軽音部名誉部員の琴吹紬です」
紬「よろしくお願いします!」
パチパチパチパチパチパチパチパチ
唯「では聞いてください」
唯「作詞秋山澪、作曲琴吹紬で紅茶はごはん」
ワーワー
ワーワー
ワーワー
ワーワー
ワーワー
ワーワー
パチパチパチパチ
パチパチパチパチ
◇◇◇
紬「終わったね」
梓「はい」
紬「とっても楽しかったわ」
梓「私もです」
紬「また来年も、こうやって盛り上がれるといいね」
梓「もちろんです。だって」
紬「私も名誉部員にされちゃったからね」
梓「はい。もう逃がしません」
紬「でもね……」
梓「はい……」
紬「ひどい演奏だったね」
梓「はい。あんな酷い演奏になるとは思ってもいませんでした」
紬「個々の演奏はそんなに悪くないんだけど、音がバラバラ」
梓「よくブーイングされなかったものです」
紬「そこはほら、唯ちゃん達の友達だから」
梓「来年はちゃんと練習できるといいです」
紬「ええ、それは大丈夫。店の経営も安定してきたし」
梓「本当ですか?」
紬「ええ、桜ヶ丘の生徒を通して口コミで広がってるみたい」
紬「ケーキは微妙だけど、紅茶はとっても美味いお店だって」
梓「なるほど」
梓「あの、琴吹さん」
紬「なぁに」
梓「さっき澪先輩と『ムギ』『澪ちゃん』って呼び合ってましたよね」
紬「ええ、澪ちゃんにお願いしたの」
梓「琴吹さんからでしたか……」
紬「うん。なにかまずかったかしら」
梓「そうじゃないんです。でも……」
紬「……?」
梓「どうして私には言ってくれないんですか、そういうこと」
紬「あっ……それは……」
梓「はい」
紬「なんだか『中野さん』って呼ぶのが気に入っちゃったの」
梓「気に入っちゃいましたか」
紬「うん」
梓「けど私はそろそろ……友達なんですから」
紬「そうよね。中野さんとは友達。なら」
梓「……」
紬「あずさちゃん」
梓「……あずさちゃん」
紬「うん。どうかな」
梓「あ、はい。いいと思います」
紬「うん。あずさちゃん。うん。いい響きかも」
梓「……」
梓「……つむぎさん」
紬「さん付けなんだ」
梓「……つむぎさん」
紬「はぁい」
梓「……つむぎさん……つむぎさん……つむぎさん」
◇◇◇
律「なんだ梓、こんなところに呼び出して」
梓「律先輩、来てくれましたか」
律「もしかして愛の告白とか?」
梓「近からず遠からずってところです」
律「えっ……いやいや、ちょっと待て。梓が私に?」
梓「いえ、律先輩にじゃなくて……」
律「あぁ、ひょっとしてムギのことか?」
梓「えっ?」
律「見てればわかるよ。そんな感じはしてたし」
梓「そうですか?」
律「ううん。恋愛感情があるのかはわからなかった」
律「でも梓が恋愛感情を抱くとしたらムギかなって」
梓「意外と鋭いんですね。律先輩って」
律「他の奴らに聞いても同じこと言うと思うけど」
律「でもなんで私に相談するんだ?」
梓「口が堅そうでしたから」
律「ふむふむ。それでなんの相談なんだ?」
梓「はい。最近私、つむぎさんって呼ぶようにしたんです」
律「前までなんて呼んでたっけ?」
梓「琴吹さんです」
律「あー、そういやそうだったな」
梓「はい。で、つむぎさんって呼ぶようになってから……」
梓「まともに顔を見られなくなっちゃったんです」
律「ふむ」
梓「とっても優しくて、あったかい、あの笑顔を見ると、もうどうしようもなく顔が真っ赤になっちゃって」
律「それは恋だな」
梓「やっぱりそうですか?」
律「うん。間違いない」
梓「でも、どうすればいいんでしょう。つむぎさん、引かないかな?」
律「あぁ、ムギは女子校じゃないもんな」
梓「はい。女子校は結構そういうことに理解のある人が多いですけど」
梓「つむぎさんは違うので」
律「正直、私にはっきりしたことは言えない」
梓「そうですか……」
律「でも、梓の思うようにやってみればいいんじゃないか」
律「そんなに悪いことにならない……とは保証できないけど」
律「悪いことになったら、軽音部全員で全力でフォローするからさ」
梓「律先輩……」
律「なんだ?」
梓「やっぱり律先輩は腐っても軽音部の部長ですね」
律「腐ってもは余計だ」
梓「あはは」
◇◇◇
紬「梓ちゃん」
紬「梓ちゃんってば」
梓「……」ハッ
紬「あっ、気づいた?」
梓「はい、琴吹さん」
紬「琴吹さんじゃなくてつむぎさんでしょ」
梓「……つむぎさん」
紬「うんうん。それでどうしたの」
梓「……」
紬「……」
梓「……」
紬「ふふ、ねぇ、梓ちゃん」
梓「あ、へっ?」
紬「私ね、最近想像するんだ。もし私が桜ヶ丘高校に入ってたらどうなったんだろうって」
梓「あっ、あのっ!」
紬「どうしたの?」
梓「私も想像します。その……つむぎさんが桜ヶ丘高校の先輩だったらどうなってたんだろうって」
紬「梓ちゃんも? ……それは嬉しいわ」
梓「はい。そしたら軽音部でもっと……」
紬「でも梓ちゃん。私が軽音部部員だったらこのお茶は飲めないわよ」
梓「そこは、ほら……つむぎさんって御嬢様っぽいじゃないですか?」
紬「そう?」
梓「礼儀正しいですし、ちょっと世間知らずなところもありますし」
紬「私が御嬢様だったらかぁ……部室にティーセットとか持ち込んじゃうのかしら」
梓「はい。それで毎日美味しいお茶を振舞ってくれるんです」
紬「ふふ。お茶菓子も持っていかなきゃ。御嬢様ならもっと美味しいケーキを持っていけるわね」
梓「太っちゃいますね」
紬「そうね。私や澪ちゃんは苦労しそう」
梓「でも、桜ヶ丘高校の先輩だったとしたら、来年いなくなっちゃいますね」
紬「そうね。よく考えれば唯ちゃん達来年で卒業なのね」
梓「はい……」
紬「そしたら梓ちゃんはひとりだけかぁ、勧誘大丈夫かしら」
梓「どうでしょう」
紬「私が御嬢様だったら、こっそり召使の子を送り込んじゃうかしら」
紬「そして梓ちゃんをサポートさせるの。うん。きっとそうするわ!」
梓「ふふっ。ありがとうございます」
紬「……ひょっとしてそのこと? 来年唯ちゃんたちが卒業しちゃうから」
梓「いいえ、違います。あの、」
梓「私、」
梓「私は、」
梓「私は、好きになっちゃったみたいなんです」
梓「つむぎさんのこと!」
紬「それは、そういう意味で?」
梓「はい」
紬「うん」
紬「うん」
紬「うん」
紬「ごめんね。告白されたことなんてなかったから混乱してる」
梓「あっ、はい」
紬「……私、どうすればいいのかな」
梓「別に振ってくれても……」
紬「私ね、梓ちゃんのこと大好き」
紬「けど、恋愛感情として好きかはわからない」
紬「でもね、梓ちゃんに告白されて嫌な感じは全然しなかったの」
紬「むしろ嬉しかった」
梓「嬉しかった?」
紬「うん。梓ちゃんが私のことを好きでいてくれて嬉しかった」
梓「……」
紬「だからね、恋愛ってなんなのか、私にはわからないけど」
紬「それでもいいなら、私と付き合ってみる?」
梓「はいっ!」
紬「うふふ。彼女かー」
梓「彼女同士です」
紬「なんだか高校生やってるみたい。音楽やって恋をして」
紬「梓ちゃんって本当になんでも持ってきてくれるんだね」
梓「私は、ただ傍にいたいだけです」
紬「ねぇ、梓ちゃん」
梓「なんですか? つむぎさん」
紬「キス、してみない?」
梓「キスですか?」
紬「そしたら少しは恋についてわかるかもしれないから」
梓「そうですね。2人で恋について勉強して行きましょう」
紬「うん……」
チュ
紬「あっ……」
梓(私はつむぎさんのおデコにキスをした)
梓(口へのキスは、本当の恋になるまでおあずけ)
梓(私の顔は真っ赤だったと思う)
梓(つむぎさんの顔もほんのりピンク色だったと思う)
梓(私がそう望んだからかもしれないけど)
梓(確かに、ピンク色に見えたんです)
◇◇◇
梓(文化祭が終わり、私たちは日常に戻りました)
梓(週三回のバイトは続けています)
梓(唯先輩も週一でバイトは続けています)
梓(なんでも今のうちから労働に慣れておきたいらしいです)
梓(たまに家事を手伝ってくれるようになったと、憂が感動していたのが感慨深かった)
梓(冬はつむぎさんを含め5人で、ライブハウスでライブをしました)
梓(澪先輩とつむぎさんのコンビで作ったオリジナル曲は、なかなかの出来で)
梓(オーディエンスを大いに盛り上げたのでした)
梓(つむぎさんとの関係も順風満帆でした)
梓(まだ恋人関係とは呼べないかもしれないけれど、とてもあたたかい時間を過ごしていました)
梓(すべてが上手く行きすぎていて)
梓(私はあたりまえに、こんな時間が続くのだと思っていたんです)
梓(少なくとも唯先輩たちが卒業するまではずっと)
梓(ううん。唯先輩が卒業したって、私が桜ヶ丘にいる間は、こんな感じの日々が続くと思っていました)
梓(でも、それは違ったんです)
梓(思っているよりずっと簡単に日常は壊れてしまう)
梓(そのことを、私は知らなかったんです)
最終更新:2013年06月09日 10:26