◇◇◇

◇side-K

前兆はいくつかありました。

吸血鬼騒動の犯人が憂ちゃんであるという前兆。

例えば豚の血です。

あの頼み方は憂ちゃんにしては不自然過ぎました。

確かに憂ちゃんはお姉ちゃんが大好きです。

でも、ねだられてもいないのに、血のソーセージを作ったりするでしょうか?

ううん。しないはずです。

それだけじゃありません。

私に頼むことで、自分が怪しまれることを憂ちゃんはすっかり忘れていました。

つまり、憂ちゃんは冷静な判断能力を欠いていたんです。

それくらい余裕のない状況だったのでしょう。

あの時点で、私は、唯ちゃんか憂ちゃん、もしくはその両方が騒動の犯人だと予想していました。

だけど、そのどれであるかの確証までは持てませんでした。

◇◇◇

和「一緒にお弁当を食べようだなんて、珍しいわね、ムギ」

紬「ええ、和ちゃんとちょっとお話したくて」

和「そうなんだ」

紬「あっ、和ちゃん。その玉子焼き、私の秋刀魚と交換しない?」

和「秋刀魚って……旬でもないのにお弁当に入れるものかしら」

和「まぁ、いいわよ」

紬「やった♪」

和「あら、この秋刀魚美味しいわね」

紬「和ちゃんの玉子焼きも美味しいわ」

和「そう」

紬「それで本題なんだけど。吸血鬼騒動の犯人は唯ちゃん? それとも憂ちゃん?」

和「ごふっ」

紬「の、和ちゃん? 秋刀魚が鳶魚みたいに飛んでったけど」

和「い、いったいいきなり何を言い出すの!」

紬「違うの?」

和「し、知らないわよ。第一あの子たちが騒動を起こす理由がどこにあるって言うの?」

紬「唯ちゃんと憂ちゃんは吸血鬼。違うかしら?」

和「吸血鬼って……ムギはそんなオカルト信じないと思ってたけど」

紬「なんの目的もなく、吸血鬼っぽい歯型を残して去っていく愉快犯のほうが、よほどオカルトだと思うわ」

和「……根拠はあるの?」

紬「私ね、先生に聞いたんだ。唯ちゃんの中学校がどこなのか」

紬「それから唯ちゃんと同じ中学校学の子に卒業アルバムを見せてもらったの」

和「……」

紬「そこに唯ちゃんの名前なんてなかったし、和ちゃんの名前もなかった」

紬「どうやったのかわからないけど、情報が改ざんされてるのは確かだと思う」

和「そう……」

紬「……教えては、くれないの?」

和「仮に私が何か知っているとして、ムギはどうしたいの?」

紬「わからない。でも、力になれるならなってあげたい」

和「どうして? 相手は人を傷つける吸血鬼かもしれないのよ」

紬「約束したから」

和「約束?」

紬「そう、約束。憂ちゃんの恋のお手伝いをするって約束したから」

和「それはまたコメントし辛い理由ね」

紬「それにね。私、唯ちゃんと憂ちゃんのこと大好きだから」

和「……ねぇ、ムギ」

紬「なぁに?」

和「たぶん、あなたが力になれることはないわ」

紬「そっか」

和「私は本当の犯人を知ってるけど、それでも力にはなれないもの」

紬「この騒動を止めることも無理なの?」

和「ええ、ムギには無理だわ。そして私にも……」

紬「それなら仕方ないね」

和「ごめんなさい」

紬「なんで和ちゃんが謝るの?」

和「力になってくれるって言ってくれたのに……」

紬「仕方ないんでしょ?」

和「えぇ」

紬「でもね、私に出来ることがあったらなんでも言って」

和「そうね。なら、撫でてもらおうかしら」

紬「えっ」

和「ちょっと待ってて……」





紬「これが……和ちゃんの本当の姿?」

和「ええ」

紬「和ちゃんってワンちゃんだったんだ!!」

和「ニホンオオカミよ!!」

紬「ご、ごめんなさい」

和「別にいいわ。それで撫でるの? 撫でないの?」

紬「なでますっ!!」

◇◇◇

狼になった和ちゃんの首筋をこしょがすように撫でると、気持ちよさそうにくーんと鳴いた。

それから全身をワシャワシャ撫でて、和ちゃんをたっぷり堪能した。

後から教えてくれたことだけど、和ちゃんがこれを許したのは唯ちゃん憂ちゃん以外では、私が初めてらしい。

光栄だと思うけど、少しさみしいとも思う。

和ちゃんは、ずっと秘密を隠して生きて来なくちゃいけなかったんだ。

たとえ親しい人であってもずっと隠し事をしたままで……。

きっと辛かったと思う。

きっと寂しかったと思う。

そしてそれは唯ちゃんと憂ちゃんも同じなんだ。

◇◇◇

唯「おはよう、ムギちゃん」

紬「あっ、おはよう唯ちゃん。通学路で会うなんて珍しいね」

唯「えへへー、ムギちゃんのこと待ってたから」

紬「そうなんだ」

唯「うん!」

紬「なにかお話かな?」

唯「うん。ちょっとね……」

紬「話しにくいこと?」

唯「うん。ちょっとだけ」

紬「そうなんだ」

唯「うん。そうなんです」

紬「あのことだよね?」

唯「えっ、ムギちゃんわかるの」

紬「なんとなく」

唯「そっかぁ、ムギちゃんはすごいね」

紬「えっへん!」

唯「あんまり多くは言えないんだけどね、あずにゃんのこと守ってあげて欲しい」

紬「えっと……」

唯「あずにゃんはね、その、狙われやすいと思うんだ」

紬「それは、どういうこと?」

唯「あずにゃんはね、そのかわいいっていうか、美味しそうなんだ。だから」

紬「……なるほど」

唯「ムギちゃん……?」

紬「うん、わかったわ」

唯「ありがとうムギちゃん」

紬「ううん。お礼を言われるようなことじゃないから」

紬「むしろお礼を言うのは私のほう」

紬「いつも私と仲良くしてくれてありがとう、唯ちゃん」

唯「友達だもん。あたりまえだよー」

紬「うふふ、そうねぇー」

唯「そうだよー」

◇◇◇

梓ちゃんとはついこの前付き合い始めたばかりです。

私が告白して、後日OKをもらいました。

最初、梓ちゃんに会った時、こんな関係になるとは思っていませんでした。

憧れの澪ちゃんと、少し照れくさそうに話してる梓ちゃん。

唯ちゃんに抱きつかれて、まんざらでもなさそうな梓ちゃん。

本当はりっちゃんのこと信頼してるのに、ついついつっかかってしまう梓ちゃん。

そんな梓ちゃんを見てるだけで、十分だと思ってました。

でも、梓ちゃんはするりと私の心の中に入ってきてしまったんです。

休日、私を遊びに誘ってきてくれた梓ちゃん。

私に紅茶のいれかたを教えて欲しいと言ってくれた梓ちゃん。

私のためにお弁当を作ってきてくれた梓ちゃん。

私のことをいつも気にかけてくれた梓ちゃん。

いつの間にか、梓ちゃんの相手は自分であって欲しいと思うようになってしまって……。

どうしようもない思いが溢れて……。

私は梓ちゃんに告白しました。

だから、唯ちゃんに警告されたとき、私は絶対に梓ちゃんを守ろうと思いました。

でも、そう簡単にはいかなかったんです。

あの日。憂ちゃんに誘われて豚さんのソーセージを食べた帰り道のこと。

梓ちゃんを家に送り届ける帰り道のことです。

◇◇◇

梓「わざわざ送ってもらっていいんですか?」

紬「ええ、本当は車で送りたかったんだけど、斎藤の都合が悪いみたいなの」

梓「そんな……そこまでしてもらうのは悪いです」

紬「だって、あの騒動……」

梓「確かにちょっと怖いですね」

紬「梓ちゃん。夜遅くに出歩いちゃ駄目よ」

梓「はい。出かけませんよ」

紬「それならいいんだけど……」

梓「でも、あの騒動にちょっと感謝です」

紬「……?」

梓「おかげでこうやってムギ先輩と手を繋いで帰られるですから」

紬「うふふ。なら私も感謝しないと」

紬「こうやって手を繋いで帰る口実を作ってくれた人に」

梓「はい」

紬「今日は楽しかったね」

梓「憂ってほんとに料理上手でしょ」

紬「あら、誇らしそうに言うんだね」

梓「憂は自慢の友達ですから」

紬「純ちゃんは?」

梓「自慢じゃないけど、友達です」

紬「あら、酷い」

紬「……!」

梓「どうしました?」

◇◇◇

うしろから、何かが近づいてくる気配を感じたんです。

振り向くと、そこには誰もいませんでした。

横を向くと、梓ちゃんがいませんでした?

さっきまで歩いていたずっと前のほうに、ふたりの人影。

片方は梓ちゃん。

遠くからでも怯えてるのがわかりました。

もう片方は憂ちゃん。

とっても楽しそうな顔をしていました。

私は自分の判断が甘かったことを後悔しながら、必死に2人に走り寄ります。

けどとても間に合う距離ではなくて。

憂ちゃんが口を大きく開きました。

もう駄目だ。

そう思ったとき、奇跡がおきました。

駆けつけてくれた唯ちゃんが憂ちゃんの頬を叩いたんです。

もう一度血を吸おうとした憂ちゃんに、唯ちゃんはキスをしました。

2人の唇からは赤いものが垂れていました。

あれはきっと血。

唯ちゃんは憂ちゃんに口移しで血を飲ませていたんです。

そのとき、私の中で全てが繋がりました。

それと同時に、2つの不安が浮かびました。

これを機に2人が消えてしまうのではないか。

そして梓ちゃんはこの事実をどんな風に受け止めるのか。



◇◇◇

和「来たわね、ムギ」

紬「うん……」

和「話を、聞きにきたんでしょ」

紬「ええ……」

和「いいわ。もうムギも当事者みたいなものだから」

紬「そう……」

和「流石に元気がないわね。梓ちゃんは無事だったんでしょ」

紬「ええ、梓ちゃんは無事。もっと心配なのは」

和「あの2人のことね」

紬「うん。この街から出て行ったり、しないよね?」

和「残念ながら、ムギが予想してるとおりよ」

紬「どうにもならないの?」

和「梓ちゃんの件は関係ないわ」

和「その前の日に重傷の子が出てしまった時点で決まってたの」

和「3日後に、私たちは消えるわ」

紬「和ちゃんも?」

和「ええ、私はあの2人をずっと見守り続けると決めているから」

紬「……」

和「ムギ? 泣いてるの?」

紬「……」

和「仕方ないことなのよ」

紬「……」

和「……ねぇ、ムギ」

和「吸血鬼ってね、人間コミュニティでしか生きていけないの」

和「人間の血を吸わなくちゃいけないから」

和「でもね、血を吸えば吸うほど、そのコミュニティは壊れていく」

和「人々が疑心暗鬼に陥って、コミュニティそのものが壊れることもある」

和「犯人探しが加速すれば、吸血鬼が殺されることもある」

和「吸血鬼は、人間と対立する運命にありながら、人間のコミュニティで生きていかなければならない」

和「そういう矛盾した生き物なのよ」

紬「……」

和「あの2人は、今までどんな人生を送ってきたと思う?」

紬「想像も、つかない」

和「なら無理に想像することはないわ」

和「ただ、この学校での生活は、あなたたちと過ごす日々は、2人にとって特別だったわ」

和「あの2人があんなに楽しそうにしているのをみたの、生まれてこの方はじめてだもの」

紬「……うん」

和「だから、本当は唯も憂もこの街から離れたくないと思ってる」

和「あなた達と一緒にいたいと思ってる」

和「それでも、別れる必要があると2人は考えたのよ」

和「この意味を、ムギにはちゃんと考えて欲しいの」

紬「……」

和「そんなに悲しそうな顔をしないで、ムギ」

紬「……私にできることって、本当に何もないのかな」

和「それはわからないわ」

紬「和ちゃんでもわからないの?」

和「だって私、ニホンオオカミだもの」

紬「そういえば和ちゃんは血を吸わないの?」

和「吸うわよ」

紬「えっ」

和「そこらへんのペットのワンちゃんから血を貰ってるわ」

和「毛の下から吸ってるから、滅多なことでは発覚しないんだけど……」

紬「そうなんだ……」

和「話が逸れたわね」

和「3日後、たぶんこの街に私の遠吠えが鳴り響くと思うわ」

紬「遠吠え?」

和「ええ、遠吠え。私の遠吠えは特別なの」

紬「特別?」

和「そう。私の遠吠えを聞いた人は、私たちのことを忘れてしまうの」

紬「……」

和「それじゃあ私もう行くから」

和「今までありがとう、ムギ」

紬「和ちゃん……」

和「あっ、最後にムギに聞いておきたいことがあったんだった」

紬「え、あ、うん。なにかしら?」

和「ねぇ、澪は本当の姿の私を見たらどんなリアクションを取るかしら」

紬「えっと……最初は逃げ腰になると思うよ。澪ちゃん、吠えられるの苦手だから」

和「そう……」

紬「でも、本当は澪ちゃん、犬好きなんだよ」

紬「だから、人懐っこい犬だと分かれば、ワシャワシャ撫でるんじゃないかしら」

和「でも私、ニホンオオカミよ」

紬「和ちゃんは自分が思ってるよりずっとワンちゃんだから」

和「そうなの?」

紬「ええ」

◇◇◇

和ちゃんのおかげでおおよそのことはわかった。

それから唯ちゃんとも話をして、全部はっきりした。

でも、私はまだ諦めていない。

2人と1匹のことを。

だから、私は梓ちゃんに教えてあげることにした。

真実を。

◇◇◇

梓「正気ですか、ムギ先輩」

紬「うん」

梓「信じられません。憂と唯先輩が吸血鬼だなんて」

紬「信じられなくても、事実よ」

梓「……」

紬「……」

梓「それじゃあ、私は……」

紬「梓ちゃんの血はトクベツ美味しそうなんだって」

梓「えっ」

紬「唯ちゃんがいつも梓ちゃんに抱きついてたのは、血の匂いに惹かれてのことらしいわ」

梓「……」

紬「でもね、唯ちゃんは決して友達の血を吸おうとはしなかった」

紬「それがいいことかわるいことかは別にして、無縁の人を襲って血を分けてもらってたの」

梓「……」

紬「しかも唯ちゃんは、ほとんど相手にバレないように吸ってたらしいわ」

梓「えっ、じゃあ、最近の事件は?」

紬「それは憂ちゃんが起こしてたみたい」

梓「憂が?」

紬「ええ、憂ちゃんに自覚はなかったみたいだけど」

梓「……どういうことですか?」

紬「どうも憂ちゃんは無意識に人を襲ってたみたいなの」

紬「憂ちゃん自身は、犯人は唯ちゃんだと推測していたみたい」

紬「唯ちゃんはそんな憂ちゃんのことに気づいてたけど、真実を伝えなかった」

紬「そのかわり、自分が吸った血を、口移しで憂ちゃんに渡してたみたい」

紬「憂ちゃんにその記憶はなかったみたいだけど……」

梓「……」

紬「憂ちゃんは唯ちゃんがとても大切だった」

紬「だから自分は絶対に血を吸わなくて大丈夫だと信じたかった」

紬「血を吸い続ける吸血鬼が、人間社会に溶けこむのは難しいから……」

紬「でも吸血鬼が血を求めるのは本能なんだって」

紬「本能と理性の板挟みにあった憂ちゃんは、無意識にさまよい人を襲うようになってしまったの」

梓「それが公になって今に至る……というわけですか」

紬「ええ」

梓「これから2人は?」

紬「3日後に出て行くって唯ちゃんは言ってた」

梓「そんな……」

紬「この街ではもう血を吸うことが難しくなっちゃったから」

紬「警察がこんなに歩きまわってる状況では、もう生きていけないから」

紬「だから出て行くんだって」

梓「……」

紬「梓ちゃんはどう?」

紬「憂ちゃんと唯ちゃんがいなくなっても平気?」

梓「確かに憂は私を襲おうとしたけど」

梓「でも、違うんです」

紬「うん」

梓「憂はその……私の相談にも乗ってくれたし」

梓「いつも仲良くしてくれたし」

梓「それに……」

紬「うん。私もね、憂ちゃんにはいなくなってほしくない。もちろん唯ちゃんにも」

紬「だからね、説得しよ」

梓「説得?」

紬「うんっ! 説得」


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最終更新:2013年07月13日 14:38