アットウィキロゴ
子供の頃からパーティーやコンクールなどで大人の前に立つことが多かった。
大人達は私に、ただニコニコと笑っていることを求めた。
幸か不幸か、私は彼らの要求に応えることができてしまった。

不機嫌なときもでも、泣きたいときでも、パーティーはあった。
そういうときでもニコニコ笑わなければならない。
私はいつしか、余計な感情を心の底に閉じ込める術を覚えた。
いつでもニコニコと笑っていられるように。

それが理由かは定かではないが、私はしばしば自分の本当の気持ちに気付けないことがある。
今回もそうだった。



夏休みに入る少し前のこと、私は失恋した。
気づいた時には、既に失恋していたのだ。


六月も終わりに近づいたある日のこと。
唯ちゃんから呼び出された。
内容は恋愛相談。
相手は、りっちゃん。

私は澪ちゃんに探りを入れて、りっちゃんも澪ちゃんに恋愛相談していることを突き止めた。
後は唯ちゃんに「両想いらしいよ」と伝えて、私の仕事はおわり。
唯ちゃんはりっちゃんに告白し、無事結ばれた。

二人が付き合っても、特に変わったことはなかった。
二人とも軽音部では相変わらずだったし、澪ちゃんのほうも特別何も変わらなかった。

私は昔、唯ちゃんには澪ちゃんがお似合いだと思っていた。
でも、付き合っているのを実際に目にすると、りっちゃんともお似合いだなと思った。
二人は一緒にいると、本当に楽しそうなやり取りをしていて、こっちまで笑顔になってしまう。


夏休みに入る前日、部活が終わった後のこと。
部室にノートを忘れていたことに気づいた。
明日から夏休みなので取りに戻ることにした。

階段を昇ると部室から物音が聞こえたので、私はこっそり覗きこんだ。

中にはりっちゃんと唯ちゃんがいた。
二人はしばらく何か話した後、キスをした。

女の子同士のキスを見るのははじめてだった。
ずっと見てみたいと思っていたから、とても興奮した。

唇をくっつけるだけの軽いキス。
でも、ふたりとも幸せそうだった。

十分堪能した後、私は踵を返した。
ノートのことは既に忘れていた。

階段を降りている途中、頬が濡れていることに気づいた。

最初、意味がわからなかった。

手で涙を拭っているうちに、わかってしまった。

私は自分でも気づかないうちに唯ちゃんに恋をして、失恋していたのだ。

いつ始まった恋なのか。そんなの全然わからなかった。

ただ、流れ落ちる涙が、失恋したという確かな事実を示していた。

家に帰っても、涙が枯れることはなかった。

「私は唯ちゃんのことが好き」

言葉にするとしっくりきた。

それからまた涙が流れた。

理解してしまうと、もう悲しい気持ちでいっぱいだった。
唯ちゃんの一番大事な人に自分は絶対になれないと思うと、涙が留めなく流れた。
私の目の前には薄いモヤがかかり、それは決して晴れることがないように思えた。


夏休み、フィンランドに帰省する父と母と菫達を見送った後、私は自分の部屋に閉じこもるようになった。

家の者には宿題をやっていると嘘をついた。
私の嘘を咎める者はいない。

部屋の中でじっとしていると、仄暗い闇の中にいるようだった。

少しずつ自分が駄目になっていく自覚はあった。
その自覚が心地よかった。
怠惰に溺れていく自分に浸っているのが心地よかったのだ。

平沢憂を名乗る少女からメールが送られてきたのはそんなときのことだ。

『どこか遠くへ行きませんか』


唯ちゃんに妹がいるのは知っていた。
しっかりした妹だというのもりっちゃんや澪ちゃんから聞いていた。

以前唯ちゃんが赤点をとってしまったことがある。
その時、みんなで唯ちゃんの家に行き、勉強会をしたそうだ。
その時りっちゃんと澪ちゃんは憂ちゃんに会ったらしい。

ちなみに、私は家の用事があったので行けなかった。

姉や妹がうっかりものだと、もう一方はしっかり者になる。
その感覚は判るつもりだ。
私にも菫がいる。

だから私が憂ちゃんに出会った時、一番に驚いたいのは、そのしっかりした性格ではなかった。

平沢憂から唐突なメールをもらった後、四、五のメールをやり取りして、一度会うことになった。
場所は最近できた大衆向けの喫茶店。

アイスコーヒーを飲みながら待っていると、やけに周りの声が大きく聞こえた。
それぞれどんなことをしゃべっているのかは聞き取れない。
けど、みんな必死にしゃべっている。
よく見てみると、私と同じぐらいの年齢の人もいた。

急に怖くなった。
唯ちゃんの妹はどうして私にメールを贈ってきたんだろう。
私は何を言われるんだろう。

思案に耽っていた私は、彼女の接近に気づくことができなかった。
気配を気づいた時には、既に目の前に彼女が立っていた。

「ことぶきつむぎさんですよね?」

私は絶句した。
彼女の顔は唯ちゃんそのものだったから。

彼女は驚いている私を見て、続けた。

「平沢憂です。いつもお姉ちゃんがお世話になっています」

そう言って彼女はにっこり笑い、頭を下げてから、向かい側の席に座った。

私はもう心臓がバクバクいってどうしようもなかった。
憂と名乗る少女は唯ちゃんにしか見えなかった。
やわらかな髪、まゆげの形、目、鼻、そのどれをとっても唯ちゃんだった。
笑い方は少し違うけど、それも「唯ちゃんの新しい一面」にしか見えなくて。
私はどうしようもなく興奮していた。
心臓の音が五月蝿い。
まるで目の前の少女に恋してしまったみたいに、彼女から目を離せなかった。

頭ではわかってる。
私が好きなのは唯ちゃんで、目の前の少女は唯ちゃんに似てるだけだと。
でも心は、目の前の彼女を唯ちゃんそのものとして感じている。

彼女が不思議そうな顔でこっちを見ている。
そうだ、はやく何か話さないと。
私は自分の心をなんとか閉じ込めることにした。
……パーティーのときみたいに。
私はできるだけ自然にニコニコと笑いながら、彼女に話しかけた。

「はじめまして、ことぶきつむぎです。
 あなたが憂ちゃん?」

「はい」

「そう。よろしく。
 それで、さっそく本題に入ってもいいかしら?」

「あ、はい。
 私と遠くに行って欲しいんです」

「遠くって……例えば?」

「どこでも」

「どこでもって、北海道とか沖縄とか?」

「はい」

「それは旅行にいこうってお誘いなのかな?」

「そうです」

「どうして私と?
 憂ちゃんと会うのは今日がはじめてよね」

「ことぶきさんのことはよく知っているつもりです。
 お姉ちゃんがいつもことぶきさんの送ってくるメールを見せてくれましたから」

「そうなんだ。
 けど、知ってるからって、一緒に旅行に行く理由にはならないと思うのだけど」

「その……。
 仲良くなりたいと思ったからじゃ駄目ですか?」

私の言葉に、少し不安そうに顔を曇らせた彼女。
閉じ込めていた感情がドアを叩く。
こんなのズルい。
唯ちゃんと同じ顔で、こんな表情をされたら、私に断れるわけない。

顔が綻ぶのを必死にこらえながら、手帳を取り出した。

「いつ頃がいいかな?」

私の言葉を聞いて、憂ちゃんはにっこり笑った。


家に帰って、ベッドの上に横になる。
私は自分のことがわからなくなってしまった。
私が好きだったのは、唯ちゃんの容姿だったのだろうか?
ううん。そんなわけない。

登校するとき、私の手をとって歩いてくれた唯ちゃん。

私のお茶とお菓子を本当に喜んで美味しいと言ってくれた唯ちゃん。

ムギちゃんはあったかいねと言って私に抱きついた唯ちゃん。

そんな唯ちゃんだから私は恋をしたのだ。

ケータイを取り出す。
待受には唯ちゃんと私のツー・ショット。
この写真を見ていると、心が沈むと同時に、胸の高鳴りを感じる。
きっと彼女はこの写真と同じなんだ。

唯ちゃんと同じ姿形をしているから、唯ちゃんと同じものだと錯覚してしまうだけ。
彼女――憂ちゃんは私の手をひいてはくれないし、私に抱きついたりもしない。
笑い方だって全然違う。

憂ちゃんがただの似せものだとわかると、私の心は軽くなった。
憂ちゃんが仲良くなりたいというなら友達になろう。
旅行だって普通に楽しんでやろう。

素直にではないけれど、かろうじでそう思えるぐらいには、私は前向きになれた。


青春十八切符というものがあると彼女から教えてもらった。
五枚綴りで一万千五百円。
一枚で普通列車などに一日乗り放題。

私達はこの切符を使って旅行することにした。
目的地は私の家が管理している別荘。
別荘といってもロッジと呼んだほうがいいような小さなところ。
大きなところや立地のいいところは人気があって無理だった。
比較的小さなここだけは最後まで残っていた。


私たちは駅前で待ち合わせ、列車に乗った。
乗り換えは二回の予定だ。

列車の中では、憂ちゃんの話を聴いた。
中学校生活のこと、いつも両親がいなくて家事をしていること。

彼女はとても話し上手で、会話が途切れることはなかった。
唯ちゃんからも聞いていたことだが、憂ちゃんは本当に出来過ぎた中学生のようだ。
炊事洗濯掃除ゴミ出し。
家のほとんど全部を切り盛りしているのに、それを自慢気に語ろうとはしない。
それらの作業は彼女にとってあたりまえのことで、大変だという意識がそもそもないようだった。

そして気になったことがもう一つ。
憂ちゃんは唯ちゃんのことをほとんど話さなかった。

もしかしたらと思っていたけど、彼女は私が唯ちゃんを好きだったと知っているようだ。
失恋した私を慰めてくれるために、今回の旅行を計画してくれたのかもしれない。

そう思うと、憂ちゃんが大きな存在に思えた。
姉へ恋して恋敗れた者へのアフターフォローをする妹。
ちょっと出来過ぎたこの妹は私に何をもたらしてくれるのだろうか?

一頻り話した後、一回目の乗り換え駅に着いた。
乗り換えはスムーズにすすみ、次の電車でも席に座ることができた。
席を確保した後、「少し時間があるので、飲み物を買ってきます」と言って憂ちゃんは出て行った。

帰ってきた彼女は緑茶のペットボトルとアイスを2つ持っていた。
1つ私に渡し、彼女はアイスを舐めはじめた。

楽しそうにアイスを舐める憂ちゃん。
無邪気な笑顔は唯ちゃんのそれよりもあどけなくて、私はどぎまぎしてしまう。
急に憂ちゃんと目が合い、私は慌ててアイスの袋を開けてごまかす。


アイスはひんやりしていて、甘かった。


この旅はなんだか不思議な感じだ。

この前まで会ったこともなかった友だちの妹と旅行に行き、横に座って二人でアイスを食べている。

でも、決して悪い心地はしない。
憂ちゃんといると、暗い気持ちはどこかにいってしまう。
彼女に対応するのに精一杯で、暗いことを考える余裕がなくなってしまうのかもしれない。

私は少しだけ彼女に感謝した。


列車が出発してしばらくすると、憂ちゃん眠ってしまった。
眠っているときの彼女は、本当に唯ちゃんと同じに見える。

こちらに少しだけ寄りかかる形で眠る憂ちゃん。
肩から伝わる体温が心地よい。

ふと、思い出してしまった。
以前にもこんなことがあったなって。

部室のソファに唯ちゃんと2人で腰掛けてお話していて。
たくさんおしゃべりしていると、唯ちゃんがうつらうつらしてきて。
そのまま唯ちゃんは私に肩を預けて眠ってしまった。
……懐かしい、想い出。

憂ちゃんを見ていると、確かに唯ちゃんの妹なんだと思う。
外見だけじゃなくて、もっと内側の部分でも唯ちゃんとつながった存在なんだって。

憂ちゃんが眠ってから30分ほど。
ちょっとしたトラブルがあった。

車内放送が流れ、しばらくの間電車が停止する旨を伝えたのだ。
にわかに騒がしくなる車内。
その喧騒で彼女も起きてしまった。

「ことぶきさん……?
 あ、私、寝てしまって……」

「おはよう、憂ちゃん」

「なんだか車内がざわついてるみたいですけど」

「事故でしばらく停車するんだって」

「そんな……。
 どうしよう」

「……?」

「乗り換えが……」

青ざめる憂ちゃん。
確かに電車が遅れると、乗り継ぐ予定だった電車には乗れなくなる。
でも……。

私は携帯を取り出し、乗り換え検索サイトを開いた。
今回の旅行を計画するときに使ったサイトだ。
画面を憂ちゃんに見せながら、

「えっとね、三十四分以内の遅れなら、この駅で降りて、この列車に……
 三十四分以上の遅れだったら、この駅で降りて、この線を使えばいいんじゃないかしら……
 これにも乗れないぐらい遅れちゃったら、その時また考えましょう」

憂ちゃんは目をこすって、液晶画面とにらめっこした。
それから、

「ことぶきさんって頼りになりますね」

と言ってくれました。

四十分ほど遅れて、予定とは違う、少し大きな駅で降りました。
少し大きいと言っても、売店が二つあるだけの寂れたところでしたが。

この駅で私たちは少し遅めの昼食をとることにしました。
私はおにぎりを2つ、憂ちゃんはパンを一つ買って、ベンチに座ります。

憂ちゃんは中にクリームの入った細長いパンをちぎりながら食べ始めました。
美味しそうに食べる憂ちゃん。
私がじっと見ていることに気づくと、彼女は私に一口ちぎって差し出してくれました。

私は手で受け取り、ぱくりと食べました。
ただの菓子パンだけど美味しかった。

私も自分のおにぎりに海苔を巻き、半分憂ちゃんにあげました。
彼女は両手でおにぎりをにぎって、口に運び「おいしい」と言ってくれました。

食べ終わったあと、彼女の口の周りに海苔がついていることに気づいたので、ハンカチで拭ってあげました。
何をされたかわからず、きょとんとする憂ちゃん。
「海苔がついていたよ」と教えてあげると、顔を赤らめました。

それから、私の顔を見て憂ちゃんは笑いました。
なぜ笑ったのか私がわからないでいると、彼女はハンカチを取り出し、私の口元を。
「ことぶきさんもです」と屈託なく笑う憂ちゃん。
顔が熱くなっていくのを感じて、私は拗ねたふりをしてそっぽを向きました。


このとき、私ははじめて憂ちゃん自身に触れた気がした。

唯ちゃんの影としての憂ちゃんではなく、憂ちゃんを憂ちゃんとしてはじめて感じた気がしたのだ。

お昼ごはんを食べてから、列車に乗り、目的地の駅で降りて、しばらく歩いた。
別荘に着いたのは夜八時。

夜ご飯は途中のスーパーで買ったソーメンを食べた。
長時間電車で揺られて二人共疲れてしまい、手のこんだものを作る余裕はなかった。

冷蔵庫の中には飲み物と氷が入っていたので、二人でキンキン冷えたソーメンを食べた。

少し早い時間だったけど、その日はそのまま眠った。
今回の旅は二泊三日。何も急ぐことはない。
……急ぐもなにも、なんの目的もない旅行だけど。


2
最終更新:2013年08月07日 03:51