最近みんなに会えてない。
大学を卒業してから父のすすめで、実家の関連会社に就職した。
会社の名前は琴吹ペットライフ。
ペット関連の商品を企画・販売している会社で、収益の柱はペットフード。
私はこの会社で事業部長をやっている。
入ったときは平社員だったが、2年で係長、それから1年で課長。1年で部長とスピード出世した。
勿論、実績をあげたから出世したわけではない。
親会社の意向。つまり私の親の意向により、部長に据えられた。
あと数年もすれば社長になり、やがては父の会社の重役として働くことになるだろう。
父に感謝していないわけではない。
この不況下では、まともに職を持てない人もたくさんいる。
私は恵まれていると言えるだろう。
でも、会社の居心地は決してよくない。
大企業の関連子会社には親会社で問題を起こしたり、出世コースから外れた人たちが落ちてくる。
そういう人たちが管理職に就いたりするわけで、子会社の社員はモチベーションの維持が難しい。
真面目に働いて結果を残しても、出世できるかは親会社の人事次第なのだ。
そのせいもあり、社内では倦怠感を伴う僻み感情が溢れている。
男性社員であろうと、女性社員であろうと、数人集まれば陰口大会がはじまるのだ。
とは言え、私に対する風当たりが特別強いわけではない。
不平不満を言ってもどうしようもないと分かっているようで、ある意味諦められているから辛くはあたってこないのかもしれない。
むしろ腫れ物を扱うように優しくしてくれる。
そんな日々に私は倦んでいた。
ただ、嫌なことばかりでもない。
家に帰ると、玄関にお出迎えしてくれる子がいる。
私が靴を脱いで部屋に上がると、その子は黙ってついてくる。
砂糖たっぷりのミルクティーを作って、ソファに座り込むと、その子は私の膝にのる。
この子は猫。真っ黒な黒猫。
元々は捨て子だった。
とある晴れた日のこと。
『捨て猫』と油性マジックで書かれたバケツの中にこの子が入ってるのを見つけた。
脱水症状になりかけていたらしく、私が覗きこむと、弱々しい目でこちらをみた。
その表情に負けて、私は彼女を連れ帰ることにした。
水で薄めた牛乳を与えると、美味しそうに飲んで、そのまま眠った。
私はすぐにペット可のマンションを探した。
不動産屋に行って聞いてみると、会社から近くて、すぐに移れるところは3LDKしかなかった。
家賃は2倍に跳ね上がってしまうが、お金は余っていたので即決した。
それ以来、私はこの黒猫と暮らしている。
1人と1匹には少し広すぎる部屋だけど後悔はしていない。
部屋に帰ってこの子がいるだけで、全然違うからだ。
幸いにも黒猫は私になついてくれて、私を癒してくれる。
もちろんいいことばかりではない。
お気に入りの服を駄目にされたこともあるし、ひっかかれたこともある。
昔はおしっこの始末も大変だった。
今はトイレでしてくれるようになったけれど。
この子がきてから、家にいる時間は楽しいものになった。
そのせいか、逆に会社での時間はつまらないものになった。
◇
そんな私に転機が訪れたのは一ヶ月ほど前のこと。
私の部署に派遣社員がきた。
名前を聞いたときまさかと思っていたけど、出会って確信に変わった。
以前のように特徴的なツインテールはしていないけど、彼女は梓ちゃんだ。
梓ちゃんは朝に一度だけ挨拶にきたけど、そのときはほとんど話せなかった。
仕事中も話す機会はまったくなかった。
流石に社員の目があると、自由におしゃべりするわけにはいかない。
私は梓ちゃんに仕事が終わった後、飲みにいこうとメールした。
◇
梓「お久しぶりです……」
紬「ええ、久しぶりね。
梓ちゃんがうちの会社に入ってくるなんて」
梓「私も驚きました。
ムギ部長が勤めていることは知っていましたが、まさか部長をやっているなんて」
紬「その、部長っていうのやめない?
会社以外では」
梓「え、えっと。ムギ先輩……って呼んでもいいんですか?」
紬「ふふ、懐かしい響きだわ」
梓「なんだか大学時代に戻ったみたいです」
紬「そうね」
梓「ムギ先輩は変わりませんね」
紬「梓ちゃんはツインテールやめたんだ?」
梓「……」
紬「梓ちゃん?」
梓「……ちょっと、嫌なことを思い出してしまって」
紬「ツインテールで?」
梓「……はい」
紬「色々あったんだね」
梓「……素面じゃ話せないので、そろそろ注文しましょう」
紬「うん。好きなもの頼んでいいよ。
今日は奢るから」
梓「そんな……悪いです」
紬「梓ちゃん……部長と平社員なら部長さんが奢るのは当たり前よ」
梓「私は派遣です」
紬「それでもよ……」
◇
梓「ツインテールの何がわるいんですか。
どいつもこいつも『そんな髪型で社会人になる自覚あるの』とか言いやがるんです」
紬「あ、うん」
梓「そのせいで一般企業は全滅。
本当にツインテールの良さのわからん馬鹿ばっかりです。
……それでもなんとかとあるパン屋さんに店員として雇ってもらったんですよ」
紬「うん」
梓「でもそのパン屋さんも2年前に潰れて……女将さんいい人だったんですが……。
それから1年ぐらいニートをやっていましたが貯金がなくなって……。
で、ネットカフェをまわりながら派遣の仕事を探す毎日……って聞いてます!?」
紬「うんうん」
梓「ムギ先輩!!」
紬「うん?」
梓「駄目だ……ムギ先輩ってお酒を飲むとうったりしちゃうんですね
知りませんでした」
紬「う~ん。聞いてたわよ~。
梓ちゃんがパン屋さんに勤めて、今はネットカフェに泊まってるのよね」
梓「はい、そうです。
俗にいうネカフェ難民ってやつです」
紬「ネットカフェで暮らすって大変じゃない?」
梓「そうでもないです。月3万ぐらいで寝る場所が確保できて、シャワーも浴びれますし。
充電もできるし、ネットもやりほうだいですし……」
紬「ふぅん……」
梓「なんて興味なさそうな」
紬「ルームシェアしない?」
梓「え?」
紬「月2万でいいわよ~」
梓「酔ってます?」
紬「えへへ~。梓ちゃんと会うの久しぶりだったから、たくさん飲んじゃった」
梓「はぁ……でもルームシェアですか。
本気ですか?」
紬「ほんきほんき」
梓「確かに楽になりますが……。
……酔がさめてからお話したほうが良さそうですね」
紬「zzz」
梓「え、ムギ先輩」
紬「zzz」
梓「ムギ先輩、起きてください、ムギ先輩!!」
紬「zzz」
梓「どうしよう……私は家なんてないし。
ネカフェに連れてくわけにもいかなし。
紬「zzz」
梓「……仕方ないので鞄を見せてもらいますね……」
梓「……」
梓「……」
梓「あ、これ懐かしい
……と、今は住所を調べないと」
梓「……」
梓「免許を見つけた。あ、鍵も
……店員さんにタクシーを呼んでもらおうか」
梓「……ふぅ」
梓「なにもかも、懐かしいな」
◇
梓「……ここだ」ガチャ
紬「zzz」
梓「こんばんはー、って誰もいませんよね」
?「みゃー?」
梓「……え?」
黒猫「フシャー!!」
梓「……猫さんだ。ムギ先輩、猫を飼ってるんだ」
黒猫「フシャ―!!」
梓「大丈夫。ご主人様を連れてきてあげただけだから」
黒猫「みゃ~?」
梓「お、通じた?
とりあえずベッドまで運ぼう」テケテケ
黒猫「……」テケテケ
紬「zzz」ゴロン
黒猫「……」ゴロン
梓「ムギ先輩に寄り添って寝てる。
よほど懐いてるんだね」
梓「それにしても真っ黒な猫さん。
以前純から預かった子より黒いなぁ。
ふふっ……幸せそうな寝顔してる」
梓「私は……。
今日はここで寝かせてもらってもいいかな。
ソファーを借りよう」
梓「……おやすみなさい、ムギ先輩」
紬「zzz」
黒猫「zzz」
梓「zzz」
◇
梓「zzz」
梓「zzz」
梓「zzz……ん」
梓「んーん……」
紬「……」ニコニコ
梓「……んッ!?」
紬「おはようございます」
梓「む、むぎ先輩?」
紬「ふふ、寝顔を見ちゃった」
梓「もう、起こしてくれれば良かったのに」
紬「まだ早い時間だから、ね」
梓「まだ6時前……ムギ先輩お寝坊は治ったんですか」
紬「ん~、完全には治ってないけど、早く寝れば早く起きれるわ」
梓「大学時代は毎日起こしてあげたのに」
紬「あー、懐かしいわね」
梓「はい。あの頃のムギ先輩は、本当にお寝坊さんで」
紬「菫に頼まれてたのよね。
『お姉ちゃんを起こしてください』って」
梓「はい」
紬「でも、本当は唯ちゃんのことを起こしたかったんじゃないの?
あっちは晶ちゃんと憂ちゃんが争奪戦してたから混ざれなかったみたいだけど」
梓「そうでもないです。
ムギ先輩を起こすともれなく美味しい朝食がついてきましたから」
紬「あら、食いしん坊さん。
トーストとヨーグルトを用意してあるから食べましょう」
梓「はい」
紬「……」モグモグ
梓「……」モグモグ
紬「それで、考えてくれたかしら?」
梓「え?」
紬「ルームシェアの話」
梓「あれ、本気だったんですか」
紬「うん」
梓「……ここの家賃いくらですか」
紬「13万」
梓「た、高ッッ!」
紬「うん。一人で住むにはちょっと高いよね」
梓「そんな、月2万で住ませてもらうわけには」
紬「ルームシェアしてくれたら月11万になるんだけど」
梓「……確かにいい条件です。けど、流石にそんな値段で住まわせてもらうわけには……。
そうだ。月4万出します。それなら……」
紬「+2万はつらいでしょう。今の給料じゃ……。
そうねぇ、もっと出したいというなら、お金じゃなくて体で払ってもらいましょうか」
梓「な、なななっ!」
紬「というわけで、月曜のゴミ出しを担当してもらうね。
月水金のご飯も担当。
あと、この子の餌やりも負担してもらいましょうか」
梓「え、あっ、そういう。
でも、ご飯なんて私……」
紬「大丈夫。下手でも我慢するから」
梓「むむむ……」
紬「ね」
黒猫「みゃー」
梓「仕方ないです、この子に免じて、ここに住んであげます」ナデナデ
黒猫「みゅ~みゅ~」
紬「あら、この子が人に懐くなんて珍しいわね」
梓「え、そうなんですか?」
紬「……」
梓「ムギ先輩?」
紬「……って一度言ってみたかったの~。
ほとんど誰とも会わせたことがないから、人懐っこい子かどうかは分からないんだけど」
梓「ムギ先輩って……部長さんになってもムギ先輩ですね」
紬「……不思議ね、私が部長なんて。
りっちゃんじゃないのに」
梓「律先輩……今頃何してるんでしょう」
紬「オリエンタルランドで中の人をやってるらしいわよ」
梓「えっ」
家をでる前に、梓ちゃんに合鍵を渡した。
梓ちゃんは以前より感情を表に出さなくなっていて、
喜んでいるのか戸惑っているのか私には分からない。
少し強引だったかなとも思う。
ただ、ほうってはおけなかった。
女の子がネカフェ難民をするのは危険だと、以前テレビで見たことがある。
梓ちゃんのような可愛い子なら尚更だろう。
危険なだけじゃなく、疲れもとれないし、きっと食生活だって偏っていたはずだ。
でも、本当は、私が寂しかったから誘ったのかもしれない。
あの子には申し訳ないけど、猫は猫だ。
ちゃんとお話できる人間とは違う。
最終更新:2013年08月19日 01:58