わかれ道って本を読んでいた。
ため息が出る。
澪は死んでいるんだ…
河原で寝ていた私に澪はイタズラをしたんだ。
寝ている私のカチューシャをはずしたのは澪だ。
それを、隠して私を驚かせようとしたみたいだ。
私が寝ている間にカチューシャは飛ばされたのか、
澪は必死になって探していた。
勝手にとれたんじゃない。
澪がとったんだ。
そんなくだらないイタズラで自分を殺した澪…
「…馬鹿澪。」
「本当に馬鹿なのは私だったな…」
「馬鹿!」
「水に呑まれるのは苦しかった…」
「…」
「水に体を激しく叩かれて、口に水が入ってきた。
肺らへんに水が入ってきた時はたまらなかった。
痛いし、早く死にたいと思った。」
「…やめろよ。」
「律は人殺しじゃない!」
「…澪。」
「お前は悪くないんだよ…」
なんて言えば澪は救われるんだろう。
そこで、私はある可能性に思い当たった。
それは恐ろしいことだった。
慌てて澪の顔を見る。
涙をこぼした情けない澪だった。
そんな澪に縋るように尋ねた。
「澪は本当にいるのか…?」
その質問に戸惑う澪の顔を見つつ、
…私はひたすらに恐れた。
もしかすると、この幽霊と言い張る澪は…
私の自己満足のための幻じゃないか?
澪が死んで寂しくなった私の心を埋める幻。
澪の顔を疑う。
そして、その顔に触れた。
うるうるした目。
綺麗な髪。
鼻も口も顎も手も肩も足も…
その顔も…
ぎゅっと澪を抱きしめた。
…温かい。
それでも、
澪が信じられなくて。
自分の正気を疑った。
嫌だ。
疑いたくないよ…
私は狂っているの?
何が正しいの?
澪は実在しているの?
何を信じればいいの?
ああ、そうだ。わかったよ。
ふいに悟った。
狂ってしまった方が楽なんだ。
私と澪は今までみたいな生活を送る。
それは間違いなのか?
正しいのか?
何も知らない方がいいのか?
いつの間にか、仲直りした梓は言った。
「澪先輩はあれで幸せなの?」
梓の言葉に私の何かが切れた。
「お前に何が分かるんだよっ!?」
「…分かりますよ。」
「私は澪と何年も一緒にいたんだ…!
私が澪のことを分かってやれんだよ…」
「最近の律先輩はおかしいですよ?
一人で抱え込まないでよ…」
「はは、私はおかしいんだな…」
「…やめて下さい。」
私は狂ってる。
くだらない喧嘩をして、
仲直りできたのに…
「…私の馬鹿。」
澪からもらった岩屋の鍵も使い方が分からないんだ。
「…馬鹿野郎。」
澪が死んだって分かった時。
すでに私は狂っていたかもしれない。
泣き叫ぶ。
喚き、嘆く。
最後は泣き叫ぶ。
澪に会いたくて、でも会えなくて。
最初に澪の部屋に依存した。
澪みたいに本をたくさん読んだ。
一応、勉強だってした。
澪の気持ちが知りたくて、
澪になりきろうとしてた。
そしたら軽音部に梓が来た。
澪と入れ替わるように。
梓は澪みたいだった。
真面目で、少し厳しくて、
だけど優しくて、愛らしくて…
梓に夢中だった。
いつの間にか、
私の中で「恋」が芽生えた。
「…律。」
その声で目を覚ます。
「何?」
澪の部屋は真っ暗だ。
窓の外もあの時みたいに大雨が降っている。
嫌な感じだ。
「私の心残りを聞いてくれないか?」
「…聞きたくない。」
「そうか、なら私はもうダメかもしれないな…」
「私、本当に死ぬかもしれない。」
「澪、何も考えるな…」
「もう、いいよ…」
澪は部屋から出た。
「今のままでいいよ。こうして、ずっと過ごそうよ。」
声が少し震えた。
「いや、駄目だ。そんなの間違ってる。」
ドアの向こうから聞こえた声は掠れていた。
「だけど、私は楽しかった。
それでいいだろ?
澪が幽霊だってかまわないよ。」
いくらか沈黙が続く。
ドアを開くと涙目の澪が悲しそうな顔で私を見ていた。
「律。」
「なに。」
「私はもう死んでいるんだ。生きているわけじゃない。幽霊なんだ。」
「幽霊でも澪は変わらないじゃん。」
「変わるよ。私はいつ消えるか分からない。
ただ私がこうして存在するのは難しいんだよ。
律を永遠に見守れないんだ。
本当はね、律の一生を見守りたかったよ。
律が大切だから。
でも、それが出来ないんだよ…」
「そんなの分かりたくない。」
「私は死んだんだ。もう、いいだろ…」
すると、澪は走り出した。
大雨の中を…
私も追いかける。
靴もはかず裸足で。
澪が走った先はあの河原。
「澪、死なないでよ…」
「私はもう死んでるだろ…」
雷が鳴る。
河原の水が溢れ出す。
澪は最後に言った。
幸せそうな笑顔で。
まるで天使のような微笑みで。
「律には梓がいるじゃないか。
梓を愛しているんだろ?
律は追いかける人を間違ってるぞ!
あれ…もう時間だな。
最後に伝えたいことがある。」
澪は私を抱きしめながら耳元で呟いた。
「律のことが本当に好きだった。誰よりも愛していたよ。」
気がつくと、私は河原で座り込んでいた。
すぐ目の前を水が勢いよく流れている。
私と澪が立っていた場所は水に呑まれていた。
どうして安全な場所に移れたのか、私には理解できなかった。
きっと澪の手引きだ。
その澪はどこにいるんだ…?
「澪。」
叫んだ。
喉が張り裂けるくらいに。
「澪!」
雨の音で声はかき消される。
もう、知ってるよ。
澪はこの世にいないって。
だけど、
最後に耳元で呟かれた時の澪の吐息の温もりがまだあるんだ…
信じたくなくても、信じなきゃいけない。
「大丈夫ですか!?」
やがて、大きな声がした。
振り向くと、そこに梓が立っていた。
梓は私を急に抱きしめた。
「ごめんなさい、律先輩。」
「え…?」
「律先輩をこんなに追いつめていたなんて、気づかなかった…」
少し戸惑った。
私が自殺でもするのかと誤解したのか。
私は梓に抱きつき、大声を出して泣いた。
私は誰かの胸を必要としていた。
あれほど溜めていた涙がいきなり溢れてきた。
澪は本当に去ってしまったのだ。
第八話「わかれ道」 おわり
最終更新:2012年10月16日 19:32