(芸者小屋“桜が丘”、勝手口
唯たち芸者衆3人と、姫子たち奉公人3人と向かい合う、澪と信代)
信代「……見つからなかった」
姫子「……そっか」
信代「ごめん」
しずか「…どうして謝るの?」
信代「…アタシのせいで、大騒ぎになっちまったんだろ?」
いちご「…!」
(いちご、澪に非難めいた視線を送る)
いちご「澪」
澪「……」
(澪は首を振り、信代が苦笑する)
信代「皆を見れば分かるよ
大方、堀込様あたりに見つかって、探させられたんだろう?
アタシ、自分の事で手いっぱいで、そこまで考えられなかった
皆に迷惑をかけて、本当にごめんなさい」
(信代、頭を下げる)
紬「……顔を上げて信代ちゃん
それぐらい大事な物を失くしたっていう事でしょう?
何を失くしたのか、差支えなければ教えてくれないかしら」
信代「……」(頭を上げる)
信代「…お父ちゃんから貰った、初めてのお小遣いだよ」
唯「…お小遣い…?」
信代「ほんの一文銭ぽっきりだったんだけどさ
そのとき掛けてくれた言葉が凄く嬉しくて、お守りにして肌身離さず持っていたんだ
穴に組紐を通して、もう十何年ずっと、ここに」
(微笑みながら胸元に手を当てる)
信代「りっぱな商人になるって意気込んで“桜が丘(ここ)”に来たのは良いけれど、
入りたての頃は、夜が来るたびに、実家が恋しくなって泣きそうになってた
でも、あのお守りに触れていると、まるで父ちゃんが近くにいるように感じられて、安心して眠れたんだ」
唯(信代ちゃん…)
(唯、うつむく)
律(……信代…)
律「…私もその気持ち、よく分かるよ」
信代「律…?」
(律、前髪の簪を抜き取り、信代に見せる)
律「…この簪、私の弟が作ったんだ
“飾り職人の田井中”って、聞いたことないか?」
(桜の枝葉を模した金色の装飾が、月光に光る
澪たちの表情に薄い緊張が漂うが、信代たちは気付いていない)
澪「…おい律。それは…」
(律、澪を微笑みで制す)
律「平気だよ、澪。“大丈夫”
…私と弟はさ、“ちょっとした事情”があって、離れ離れになっちまったんだ
んで、私は“こんな”水商売に転がり込んで、向こうは由緒正しき飾り職人のお家だろ?
気軽に会うことが出来なくなっちまった」
澪(律…)
澪「……」グッ
律「そしたらアイツ、定期的に簪をこの芸者小屋に送ってくるようになったんだ
私宛じゃなくて、あくまで芸者小屋との取引としてね
ここの芸者が挿す簪は、すべてアイツの作品なのさ、だから私宛だとは誰も気づかない
でも、私には分かってしまう
送ってきたうちの何本かに必ず、私が好きだった花や“意匠”の簪が送られてくるからだ」
しずか「…それって、もしかして…」
いちご「…律宛の、私信…?」
律「…私は、そうなんじゃないか、と思ってる
いずれにせよ、これは私と弟を繋ぐ、たった一本の架け橋なんだ
これを身に着けていると、私は独りぼっちじゃないって、安心できる
……だから私には、お守りを失くして焦る信代の気持ちが、痛いほど分かるんだ」
信代「…律」
(信代に簪を握らせ、自分の両手で掴む)
律「信代は、間違ってないよ
大切なものを失くして、平気でいられる奴なんかいないって
そういう時ぐらい、皆に迷惑をかけたって良いんだ」
しずか「そうだよ!
私たちだって、みんな親元から離れて此処に来ているんだよ?
信代ちゃんだけ辛い想いをするとか、逆にずるいよ!」
いちご「…堀込様には、私たちも謝りに行く
私たちにだって、責任の一端はあるもの」
信代「……みんな…」ウルッ
(信代、嬉しそうに笑う)
信代「……ありがとう」
律「……へへっ」
紬「……ふふっ」
唯「あ、あの~、良い雰囲気のところ、大変申し訳ありません…」モジモジ
律「あん?」
姫子「どうしたの、唯?」
唯「わたくし、実は信代ちゃんが落としたとされる“お守り”にですね、
多少、少~しばかり心当たりが御座いましてぇぇ」指ツンツン
信代「! 本当かい唯!?
少しでも手がかりになるなら何だっていいよ、教えてくれ」ガシッ
唯「ええっと、あの、ひょっとすると…
その一文銭には、紅白の組紐が通してあったりして…」
信代「…! そうそう!!
どこかで見かけたのかい? どこで!?」
唯「見かけたと言いますか、えぇっと…
これなんですけど…」オズオズ
(唯、小銭入れから一文銭と組紐を取り出して信代に渡す)
信代「…あぁっー!! これだ! この組紐と一文銭の傷、間違いない!
私のお守りだ!!」
一同「…ぇええええっー!!」
澪「ちょ、ちょっと唯! なんでお前が持ってるんだよ!!」
唯「ち、ちがうんだよ澪ちゃん!
実は夕べお客さんから――」
ホワンホワンホワン…
・
・
・
(唯、回想)
老人「早いものじゃの、じゃあ唯奴や、また来るからの」
唯「はい、ありがとうございました!!」
老人(元気で可愛ええ)ウン
老人「…そうだ。唯ちゃんに、これをあげよう」スッ
唯「……へ?」
(唯、老人から組紐の通された一文銭を受け取る)
とみ「おやまぁ、お小遣いですか」
老人「紅白の組紐が通してあって、何やら縁起が良かったのでな
道端に落ちていたのを、つい拾ってしもうての」
とみ「ネコババはおやめなさいとあれ程…
唯奴や、そういう汚いお金は受け取るんじゃないよ
悪銭は身に付かぬもの、手にしない方がええ」
老人「ははは、確かに悪銭はすぐに消えてしまう
だがな、それはまた別の人の手に移った、という事じゃ
“金は天下の回り物”、“縁と浮世は末を待て”
巡り巡っていつかは、必ず、それを必要とする者へと渡るものじゃ」
とみ「また適当な事を…
唯奴や、この男の言う事は、あまり信用せんほうがええよ?
瓦版を売る為には嘘八百出鱈目も辞さない商売人なんだから」
老人「真実『も』書くがの。だから説得力も増して売れるんじゃないか
…その組紐、表面が擦り切れて随分と草臥れておるが、汚れらしい汚れが見当たらんじゃろ?
長い事、大切に大切に手入れされてきた証拠じゃ」
唯「…うん、
紐は切れちゃっているけど、とても綺麗だよね」
老人「じゃろ?
我身の如く大切にしているようにも窺える
長年に渡り小銭1枚を有り難がるなんざ、ただ事じゃない
おそらく、お守りのようなもんじゃないかと、儂は睨んどる」
(老人、愉快そうに指を立てる)
老人「儂ゃ伊達にウン十年も瓦版を書いている訳じゃ無い、見る目は確かじゃ
唯奴は良い娘じゃ、良き女子は良き縁を引き寄せる
“儂ら”にとっては“悪銭”でも、すぐに“必要”とする持ち主に巡り合うはずじゃ」
唯「……」ギュッ
とみ「…また尤もらしい事言ってその気にさせて…
だからといって、アンタがネコババした事が正当化されるわけじゃないですよ
その持ち主が見つけていたかも知れないじゃないですか」
老人「かっかっか、とみさんには敵わんわい!
まぁ所詮は爺の戯言じゃ、客を喜ばした報酬として、受け取ってくれい!」
・
・
・
ホワンホワンホワン…
(回想終了)
唯「――ってことがあって、何か受け取った方が良いような気がしちゃったんだもん!」
律「んじゃぁさっさと言えよ!」
唯「小銭落としたのさっき知ったんだからショウガナイじゃん!」
澪「…もしかして、さっきまでずっと俯いていたのは、」
唯「……はい。
何か雰囲気的に言い辛かったんです
ゴメンね信代ちゃん!!」ガバッ!
信代「ちょっと良いよ唯!
唯が受け取ったから、アタシの所に戻ってきたんだろう? …だから、もう良いんだ
ありがとう、唯」
(信代、お守りを抱きしめる)
姫子「…信代」
信代「…ありがとう……」
堀込「――話はまとまったか?」
一同「!?」
(勝手口の中から堀込、さわ子登場)
さわ子「信代ちゃん、今すぐ沖山様の所へ行きなさい
貴方がしていた“副業”について、洗いざらい話してもらうわ」
姫子(副業…?)
信代「――!!」
堀込「……それと、お前の今後についても、だ」
(信代、顔を青くして震えだす)
澪「信代…?」
・
・
・
(同時刻、中島家の外)
???「――中島さん」
(信代父、振り返る)
信代父「…服部さんじゃないか」
服部「こんな時間にどうしたね
夜九つ半(午前1時)はとうに過ぎたぞ」
信代父「…少しばかり、眠れなくてな
……服部さんこそ、大荷物抱えて、何処に行くんだい」
服部の妻「……」
服部の娘「……」
服部「……」
(服部夫妻、信代父を見て申し訳なさそうな表情を浮かべる)
信代父「……そうか。服部さんとこも、かい」
服部「…すまねぇ
隣りで一緒に暮らしてきたアンタ方を置き去りにするのは、正直気が引けるんだが…」
信代父「…仕方ねえさ
服部さんとこには、嫁さんと子供がいるもんな
夜逃げしたって、俺に恨む権利なんかねぇよ」
服部「…アンタんとこにだって子供がいるじゃねぇか」
(信代父、遮るように手をかざす)
信代父「そんな事より、アテはあるのか?」
服部「江戸の方に商いをやっている親戚がいてな
しばらくはそこに厄介になるつもりだ
……もっとも、暮れに金子を催促する手紙を出したんだが、返事も寄越してこねぇザマだからな、
相手にされねぇかも知れねえが、仕方ない
もう此処には居られねえんだからな」
信代父「…吉良の旦那が何か言ったのかい?」
服部「旦那の“右腕”、さ
昨日の夕方、急に押し掛けてきたと思ったら、
『“今日の昼”までに借金を全額返せ、返さなければ嫁さんと娘と土地を全て取り上げさせてもらう』
とか のたまいやがってよ」
信代父「……なんだと?」
服部「その帰りに、アンタの様子も窺っていたようだ
桜の木の下に潜んで、アンタらの農作業を調べていた感じだったな
…いや、どちらかといえば、田んぼに関心があるようだったが」
信代父「……」
ガシッ
服部「…おそらく、次はアンタだよ、中島さん
悪いことは言わねぇ、今すぐ荷物を纏めて此処を出るんだ」
信代父「……」
服部「この村の農家は、みんな借金や夜逃げで居なくなっちまったじゃねえか!
もう、中島さんとこしか残ってないんだ
逃げたって、誰も責めやしねえよ」
信代父「……それはできない」
服部「な……!!
ここに残った所で、旦那に何もかもを奪い取られるだけだ!
借金も返せねえのに、何言ってんだ!!」
(信代父、自宅に視線を向ける)
信代父「信代の…娘の帰る場所は、ここだからだ」
服部「…中島さん、アンタ…」
(信代父、向き直る)
信代父「娘が奉公先から帰ってきたとき、寂しい想いをさせたくねぇんだ
旦那には拝み倒して、もう少し伸ばしてもらうさ
旦那はあれで、優しいところもあったじゃないか」
服部「昔はな、今はまるで別人じゃないか
…気持ちは分かるが無理なんだよ中島さん
拝み倒すのは俺もやったんだ
だがね、知らぬ顔で『今までの利息を含めて55両を返しとくれ』だとよ」
信代父「……」
服部「55両なんて大金、とても払えやしねぇ、
そう言ったら、
『明日の分の利息は免除してやるから、ありがたく思え』
だとよ!
吉良の旦那には、大昔から世話になりっぱなしだったから黙っていたけどよ、
もう我慢ならねぇ!
吉良の旦那は俺たちから奪い取れるだけ奪うつもりなんだ!
金も、家も、家族でさえも!!」
(信代父、服部の妻と娘を見る)
服部「中島さん。
信代ちゃんの帰る場所は、あの家じゃねぇ、アンタたち家族だ
帰ってきた時に信代ちゃんが悲しむのは、アンタたちが居なくなっちまった時なんだよ!」
信代父「……分かった」
服部「…中島さん」
信代父「服部さんが居なくなったと知ったら、すぐに俺達にまで手が回っちまうな
すぐに支度をするよ
…ありがとう
俺は何か、大事な事を忘れていたのかもしれない」
服部「…へっ
夜逃げするような裏切り者に、感謝される資格なんかねぇよ」
信代父「何、これから中島家も同じ穴のムジナだ
気にされるだけの資格など無いさ」
服部「ははは、違いねぇ
…んじゃ――」
ゴソゴソ
服部「――こいつは、俺からの餞別だ
腹が減ったら、家族で分けな」
(信代父、おにぎりが入った包みを受け取る)
服部の妻「それ、アンタの弁当じゃないか」
信代父「…良いのか?」
服部「もう俺には、これぐらいの事しか力になれねえんだ
受け取ってくれ」
信代父「恩に着る
…服部さんも、達者でな」
服部「……ああ
今後会う事も無いだろうが、縁があったら、またよろしく頼む」
(服部、振り返る)
服部「ほらお前たち、そろそろ行くぞ」
(妻と娘、信代父に会釈してから立ち去る)
信代父「…さて。
子供らを起こすのは気が引けるが、急いで支度せねばなるまい」
(家に向かって歩き出す)
信代父「…落ち着いたら必ず連絡するからな、信代
もう、お前が、俺たちを背負う必要なんか、無いんだ
そのためなら、裏切り者にだってなってやるさ」
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(闇の中から、男1登場)
男1「……」ニタリ
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(同時刻)
(芸者小屋”桜が丘”当主、沖山陽二の自室に繋がる廊下)
コソッ
姫子「…澪」
澪「…信代」
澪・姫子(しーっ)
澪「(姫子も、抜け出してきたのか)」ヒソヒソ
姫子「(さわ子さんが言っていた“副業”ってヤツが気になってさ
信代の様子もおかしかったし
みんなは?)」ボソボソ
澪「(さわ子さんに促されて部屋に戻った後、みんな寝てしまったみたい
…無理もないよ、朝から晩まで働きづめで、その上この騒ぎだもん、みんな疲れているんだよ
私は昨日、休みだったから、まだ大丈夫なんだ)」
姫子「(ウチらも、同じような感じかな
行きたがっていたんだけど、みんな目に見えて疲れていたから、私が代表して様子を見に来たの
騒ぎの言いだしっぺは、私だしね)」
澪「(そっか
…それで、信代たちは)」
姫子「(丁度今、沖山さまの部屋へ入った所
…部屋の前で聞き耳立てても、バレないよね?)」
澪「(たぶんね
慎重にいこう)」
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最終更新:2014年03月24日 07:57