『人は一人きりで生まれ、一人きりで死んでいく』


そんな言葉を、漫画やドラマで何度か見たり聞いたりした事がある。
実際、それが事実なのかどうかは分からない。
生まれて来た時の事なんて憶えてないし、自分が死ぬ時の事だって想像出来ない。
誰かと話した事は無いけど、誰だってそうなんだろうと私は思う。

まあ、正直に言わせてもらうと、そんな事は別にどうでもよかった。
難しい事は無理して考えちゃ駄目なんだ。
下手に悩んだって、ろくな答えが出ない事くらい、勉強が苦手な私にだって分かる。
どうしても分からない事は分からないままでいい。
それが私の人生哲学だし、それで今まで何の問題も無く生きて来られた。
だから、そのままの私でこれからも生きていけるんだろうな、って何となく思ってた。

でも、私は知らなかった。
どうしても分からない事は分からないままでいいけれど、
どうやったって分からない事を、真剣に考えなきゃいけない事態に直面する事があるんだって事を。
どんな奇想天外で無茶苦茶な状況でも、頭を捻って答えを出さなきゃいけない事があるんだって事を。
例えそれがとても褒められた出来じゃない頭の悪い答えだとしても。
何が何でも自分なりの答えを出さなきゃ事態に直面する事があるって事を。
それを私は知らなかった。

ぶっちゃけ、一人きりだと途方に暮れたままだっただろうと思う。
こう言うのも何だけど、私は一人ぼっちに慣れてない。
私は友達と遊ぶのが好きだし、何をするのも友達と一緒だった。
そんな大切な仲間が居るから、私は高校生活も楽しく過ごす事が出来たんだよな。
一人じゃ不安で寂しくて、ひょっとすると大声で泣き出してしまっていたかもしれない。
一人きりで隅で震えてるだけだったかもしれない。
情けない限りだけど、もし一人きりだったらそうなっちゃってた自信がある。



だけど……。
私は苦笑して、私の肩にもたれ掛かって眠るこいつに視線を向けた。
この何日かの間で今まで知らなかった顔や想いを私に見せてくれたこいつ。
突然の災難に途方に暮れそうだった時、私の傍には何故かこいつが居た。
あいつ自身もその理由が分かってないみたいだったけど、とにかくこいつが傍に居てくれた。
それだけで、私は安心して『どうやったって分からない何か』に目を向ける事が出来たんだ。
まあ、その分、こいつに色んな事で振り回される事になっちゃったんだけどな。
でも、それはそれでご愛嬌ってやつになんのかな?
おかげで退屈しなくて済んだしな。

だから、私はこいつに感謝してる。
私と同じくらい背が低くて、髪が短くて、意外とお洒落で、
一緒に居ると面白くて、安心出来て、でも、不思議とまだ短い付き合いのこいつに。
起こさないように髪を撫でて、少しだけ感謝の気持ちを示す。
そういや、こいつとこんな事になった時も、こうやって頭を撫でた事があったっけ。

そうして、私は想いを馳せる。
こいつと過ごした奇妙で不思議で悲惨で、
それでも、楽しくて笑えて面白かった数週間の事を。
始まりは本当に突然だった。
何の前触れも無かったもんな……。
でも、こいつは不思議と平気そうな顔をしていて……。




「あー、もう! 何だよ、これー!」


地べたに座り込んで、私は今日何度目になるか分からない叫び声を上げた。
そりゃ叫びたくもなるってもんだよ。
気が付いたら、前触れも無くこんな状況だったんだ。
まったく、勘弁してほしいよな……。


「まあまあ、りっちゃん、そんなにイライラしないで。
何度も言ってるけど、叫んでたって疲れるだけだって。
ほらほら、落ち着いて座ってようよ。
りっちゃんだって、無駄に疲れるのは嫌でしょ?」


知り合ってまだ半年も経ってないのに、
私の扱いを知ってるみたいにこの小さな同級生は言ってくれる。
さっきから思ってたけど、どうしてこいつはこんなに落ち着いてるんだよ……。
呆れた感じに笑ってるしさ……。
むー……、何かムカつく。
私は頬を膨らませてから、パーマの当てられたそいつの髪を少し弄ってやる。
まあ、綺麗なパーマを乱すのも悪いから、ちょっとだけだけど。


「何だよ、菖ー。
そりゃ私だって疲れるのとかめんどいのは嫌いだよ。
でも、そんな事言ってる場合じゃないだろ。
一大事だぞ、こりゃ……」


「一大事なのは私も分かってるよ。
こんなの普通じゃないもんね。
でもさ、焦ったって意味無くない?
あんなに調べて分からなかったんだから、今は落ち着く時なんだって、きっと」


私に髪型を乱されたのを気にする素振りも見せず、
またそいつ――吉田菖――は小さく苦笑いを浮かべた。
知り合って半年経ってない私が言うのも何だけど、こんなに変わった奴だとは思わなかった。
そりゃ学部も同じで下手すりゃ澪達よりも一緒に居るけど、こんな一面は予想外にも程があった。
菖は友達が多くて小さいけど明るくて元気で、
私と同じくバンドのドラマーで、一緒に遊んでると凄く楽しい奴だ。
でも、そんな菖だって、表に出さないだけで不安や恐怖って感情は当然あると思ってた。
それが普通なんだし、怖い時や不安な時はそんな姿を私にも見せてほしい。

だけどなあ……、と私は菖の頭に手を置いたままで、大きな溜息を吐いてしまう。
緊急事態にこそ人の本性を見る事が出来る、
ってのはよく聞く言葉だけど、まさか菖にこんな一面があるとは思わなかった。
ん? 正確には一面じゃないのか?
こんな緊急事態にも何も変わらないって一面だから、いつものままとも言えるしな……。
とにかく、菖がこんな奴だとは思ってなかったんだ。
いや、恐怖で心がどうにかなって、暴れられたり泣かれたりするよりはずっといいんだけどさ。
でも……、なあ……。

言っても無駄かもなあ、と思いながら、
私は何度か菖に言った言葉をもう一度繰り返す事にした。


「落ち着かなきゃいけない時だってのは分かってるよ、菖。
十分落ち着いてるつもりでもあるしな。
でもさ、焦らなきゃいけない時がある、って事も分かってるだろ?
私は今がそうだって思ってるわけなんだよ。

だって、そうだろ?
こんなのどう見たって普通じゃないどころか異常事態だよ。
さっきは何の手掛かりも見つからなかったけどさ、
もしかしたら何か見落としがあるかもしれないじゃんか。
じっとしてなんかいられないっての」


「りっちゃんの言う事も分かるけどさ……」


菖が少し溜息を吐いて首を振って辺りを見回す。
それに釣られるみたいに、私も菖と一緒に周りの様子に目をやる。
二人してゆっくり辺りを見回した後、妙に重苦しい口調で菖が続けた。


「これ、どうにかなると思う?」


これ、と言うのは、周りの真っ白い壁の事だった。
いや、壁だけじゃない。
私と菖が今居るこの場所は、壁も床も天井も真っ白だった。
真っ白って言う表現が生温いくらいの純白の場所。

場所……ってより、空間か?
そう言った方が正しいかもしれない。
何せ座っているからどうにか床と壁の存在が分かるくらいなんだ。
真ん中辺りに立つと、何処から床で何処から壁で何処から天井なのかも分からない。
しかも、特殊な光源を使ってるのか、私にも菖にも影すら出来やしなかった。
広さは大体二十畳くらい。
床と壁は直角に接合されてる。
天井の高さは影が無いせいで分からない。
窓どころか突起物も埃も汚れも無くて、何より出口が何処にも見当たらない。
つまり、完全に私と菖はこの部屋に閉じ込められてるってわけだ。
いいや、こんなの部屋と呼べるかどうかすら怪しい。
こんな異常な場所、部屋って言うか単なる怪しい空間じゃないか。

「どうにかなるかは私にも分からないよ。
でもさ、どうにかしなきゃいけないだろ、こんなの。
このままでいいはずないじゃんか。
菖だって早く寮に戻って、晶達に会いたいだろ?」


呟くみたいに言ってから、私は菖が背もたれにしている純白の壁を右の拳で軽く叩いてみる。
特殊な防音の材質を使っているらしく、壁からは何の音もしなかった。
さっきから何度も試してみてた事ではあるけど、奇妙な感覚にやっぱちょっと落ち込む。
叩いてみても、私の拳がちょっと痛くなっただけだしな……。

と。
不意に菖が壁を叩いた私の右手を掴んで擦った。
私の右手を優しく擦る菖は、こんな状況になってから初めて見る心配そうな表情をしていた。


「駄目だってば、りっちゃん。
そんな事をしてもりっちゃんの手が痛くなるだけだってば。
今はもっと落ち着いて考えようよ。
ここから出る方法じゃなくて、まずはここが何処なのかって事から。
そういう積み重ねから、何かが見つかるかもよ?」


積み重ね、と来たか。
ちょっと菖に似合わない言葉の気がしたけど、何となく私は納得してしまっていた。
普段は私と同じで細かい事を気にしないように見えて、菖は意外と積み重ねを大切にする奴なんだ。
菖達のバンドの『恩那組』の演奏を聴いてると、それがよく分かる。
結成時期は私達とほとんど変わらないはずなのに、『恩那組』の演奏は私達よりずっと上手かった。
いや、違うか。
バンドそのものと言うより、菖のドラムが私よりもずっと上手かったんだ。
私もドラマーの端くれだから分かる。
菖は私よりもずっと努力して、小さな努力を積み重ねて今の実力を手に入れたんだって。
そんな菖が積み重ねって言うんなら、
私ももう少し何かをちゃんと考えなきゃいけないのかもしれない。
何をどう考えたらいいのか、見当も付かないけどな……。

そうやって、私が首を捻って唸っているのを見かねたんだろう。
菖が私の両肩に手を置いて、私の瞳をまっすぐに見つめた。
私も菖もくっ付き魔な方だけど、こんな距離で見つめ合った事はほとんど無い。
私はちょっと緊張する気分になったけど、菖の表情が真剣だったから私は何も言わなかった。
しばらく後、菖が少しだけ重い口振りで続けた。

「私、さっきから考えてたんだけど、
りっちゃんはここに来る前の事ってさ、憶えてる?」


私は思わず息を呑んだ。
菖に言われなくても分かっていた事だけど、再確認されるとやっぱり現実に直面させられる。
そう。憶えてないんだ、この真っ白い空間に来る前の事を。
どうやってこの空間に来たのか、
どんな理由でこの空間に来る事になったのか、私は何も憶えてない。

この空間に来る前の最後の記憶は、確か大学の学園祭の直後だった……はずだ。
軽音部のバンド対決が終わって、唯とムギ達が焼きそばを食べに行くのを見送って、
澪と幸がお茶をしに行って、残された私と菖が二人で出店を回る約束をして……。
そこから先の記憶がはっきりしない。
何店か出店を回った気もするし、着替えに寮に戻った気もする。
気がするだけで、違っているのかもしれないし、本当にそうしたのかもしれない。
とにかく、そのはっきりしない記憶の後、
気が付けば、バンド対決の時と同じ服装のままで、私と菖はこの空間に辿り着いていた。
結局の所、何も憶えてないも同然って事だ。

自分のはっきりしない記憶を情けなく思いながら、
それでも、私の記憶のそのままを伝えると、菖は自分の頭を軽く掻いて苦笑した。


「そんな顔しないで、りっちゃん。
実は私もりっちゃんと同じなんだよね。
私も学園祭でりっちゃん達とバンド対決した事は憶えてる。
晶がまた振られちゃった事も憶えてるよ。
でもね、やっぱり私もそこから先が思い出せないんだ。
もしかしたら、私達が二人きりになった後で何かがあったのかもね」


「そっか……、菖も憶えてないか……」


私が残念に思って呟くと、菖がまた今の状況に似つかわしくない笑顔を浮かべた。
やっぱり、何か変わった奴だ。
放課後ティータイムの仲間の中には居ないタイプだよな。
こんな状況になったら、澪は泣くだろうし、ムギもきっと怖がるだろう。
梓は強がるだろうけどその肩は震えてるんだろうし、唯も唯でホラーは結構苦手な奴だもんな。
私だって、本当は不安で今にもまた叫び出しちゃいたいくらいだ。
でも、菖は微笑んでる。
こんな空間なんて何でも無い、って言い出しそうなくらい平気そうに。


「憶えてない事はどうしようもないって」


微笑みを崩さずに、菖が言った。

「憶えてない事より、分かってる事から考えちゃわない?
そっちの方がずっと建設的だって。
まずさ、私とりっちゃんは学園祭が終わった時の事までは憶えてるでしょ。
それなら誘拐って可能性は消えるって感じがしない?」


「どうしていきなり誘拐の可能性が消えるんだ?」


「えっ? だって、そうじゃん?
だって、いきなり記憶が途切れちゃってるんだよ?
いくら何でも、そんな誘拐なんて無理でしょ。
いきなり睡眠薬のクロロホルムが染みたハンカチを嗅がされたって可能性もあるけど、
実はクロロホルムって十分は嗅がないと気絶しない、って前にテレビで言ってたんだよね。
だからね、もしも本当にそんな誘拐をされたとしても、何も憶えてないのは変でしょ?」


「それはまあ……、そうだな……」


「それにね、ただの誘拐ならこんな変な部屋に閉じ込めたりしないと思わない?
大体、何なのさ、この変な部屋。
部屋中真っ白だし、入口も見当たらないし……」


言いながら、菖が綺麗なパーマを当てた短い髪を弄る。
それにしても、やっぱり菖は色んな事を考えてたんだな……。
考えた結果、菖は焦らない事を決めたんだ。
多分、誘拐でない以上、即座に命の危険があるわけじゃない。
それなら、落ち着いて事態の把握に努めた方がいい、ってそう考えたんだろうな。
きっと菖の方が利口だし、正しいんだろうと思う。
だけど、私は立ち上がって菖から離れてから、すぐに地面に這い蹲った。
今度こそ驚いた口振りで菖が私に訊ねた。


「な、何してるの、りっちゃんっ?」


「誘拐じゃない可能性が高いってのは安心出来たよ。
でもさ、結局は何も解決してないじゃん?
だったら、もう少し何か手がかりを探した方がいいと思ってさ。
さっきは壁を調べたから、今度は床を調べてみるわ。
もしかしたら、一つくらい何かの手掛かりがあるかもしれないし。
壁に出口が無かったわけだから、ひょっとしたら床に出口があったり……なんてな」


「そんなの……」


「無駄だって思うか?
無駄だって思うんなら、菖は座って待っててもいいぞ。
駄目で元々だし、私がそうしなきゃ気が済まないってだけなんだしな」

私がそう言いながら床を指で探っていると、不意に小さな笑い声が聞こえた。
他に誰も居ないわけだし、勿論、それは菖の笑い声だった。
馬鹿にされたのかと思ったけど、そうじゃない事はすぐ後の菖の行動で分かった。


「私もやるよ、りっちゃん」


菖が私の隣に肩を並べて、這う姿勢になった。
「いいのか?」と私が訊くと、菖はまた楽しそうに笑った。


「私だってここから出たいのは一緒だからね。
何も見つからないかもしれなくても、
りっちゃんだけに何かをさせるのなんて気持ちが悪いじゃん?
休む時は一緒に休むけど、頑張る時は一緒に頑張るってね!」


「ありがとさん。
でも、変な奴だな、菖は……」


「えー、変じゃないよ。
りっちゃんが澪ちゃんにまた会えるためにも、私が頑張らないとね」


「どうしてそこで澪が出て来るんだよ」


「だって、幼馴染みなんでしょ?
ずっと一緒に居る幼馴染みの再会の手助けをする私!
……なーんて、何かカッコよくない?」


「何じゃそりゃ」


変わらない菖の様子にちょっと呆れたけど、
何はともあれ、手助けをしてもらえるのはありがたい事だよな。
私は菖の頭に軽く手を置いて、ありがとな、と心の中だけで呟いた。
菖はしばらく私のその手を見つめていたけど、
ふと何かを思い付いたのか、嫌そうな表情を浮かべて言った。


「ねえ、りっちゃん、私ちょっと思ったんだけど……」


「何を?」


「ここって宇宙人の宇宙船の中とかじゃないよね……?
だって、こんな真っ白い部屋なんて、今の人類の技術で作れるかどうか分からないじゃん?
こんなに明るいのに、何か私達の影も出来ないし……。
って事は、私達、地球人じゃなくて、宇宙人に誘拐されたのかも……。
宇宙人なら私達の記憶を消して、この部屋に連れて来れるかもしれないでしょ?」


「ははっ、そんな馬鹿な事……は、有り得るな……」


「でしょー?」


菖が嫌そうに何度も頷き、今度は私がそれに苦笑する事で応じた。
こんな異常な状況、宇宙人が関係してるって考えた方が逆に自然だからな……。
しかし、参ったな。
私、グレイの外見、あんまり好きじゃないんだけどな……。
いや、グレイ型宇宙人かどうかは知らんが。
まあ、宇宙人じゃなくても、そういう普通じゃない事が起こってる事だけは間違いない。
私達を取り巻く今の状況は、きっとそういう状況なんだ。
どっちにしろ、私と菖に出来るのは、この真っ白い空間を探る事だけなんだけどさ。

それから、約一時間くらい床を探っていたけど、
結局、私と菖はこの真っ白い床に何かを見つける事は出来なかった。
この真っ白い空間には何もないって事が分かっただけだった。
結構悔しかったけど、まあ、宇宙人が出て来なかっただけでよしとしよう。
そうとでも思わなきゃ、やってけないじゃんか。




この真っ白い空間に閉じ込められて、多分、二日目。
多分、って言うのは、時間の感覚が全く無いからだ。
時計も持ってないし、この真っ白い空間の明るさも一定のままで全然変わらなかった。
これで時間の感覚を持てって方が無理ってもんだ。
それで、昨日(?)はとりあえず菖と二人で雑魚寝したから、
ひとまず寝て起きたら日を越した事にすると菖と二人で決めたわけだ。


「ねえ、りっちゃん」


音の出ない壁を二人で肩を並べて軽く叩いていると、不意に菖が呟くみたいに言った。
二人で壁を叩いている事に深い理由は無い。
単に昔やったアドベンチャーゲームを思い出しただけだ。
壁を叩いてみて、音が違う場所があったらそこにアイテムが隠されている。
……なんて、ありがちな設定だと思うけど、今の私達はそんなありがちに頼るしかなかった。
今の所、当然だけど、音が出る壁は見つけられていない。
見つけた所でどうすればいいのかも分かんないんだけどさ。

勿論、そんな当てのない単調な作業を、私達が長く続けられるはずもない。
私も菖もこの作業にかなり飽き始めていた。
菖が私に退屈そうに声を掛けるのも仕方が無い事だろう。
て言うか、菖が喋り出さなきゃ、どっちにしろ私が話し掛けてただろうしな。
私は壁を叩く作業を中断してその場に座り込むと、菖の顔を見上げて訊ねた。


「どうしたんだ、菖?
あ、菖も休んじゃえよ。休む時は一緒に休むんだろ?」


「うん」と頷くと、菖は私の隣に座って身体を向ける。
私も菖の方に身体を向けると、間近で見つめ合うような体勢になった。
ちょっと近過ぎたかなと思ったけど、今更離れるのも不自然だしな。
折角だしそのままの体勢で次の言葉を待っていると、菖は私の予想もしていなかった事を言った。

「りっちゃんって澪ちゃんと付き合ってるの?」


「はあっ?」


思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
いきなり振る話題にしては、ぶっ飛んだ話題じゃないか?


「そんなわけないだろ?
何言ってんだよ、いきなり」


「えっ、そうなのっ?」


菖が心底驚いたって表情で、甲高い声を上げる。
そんなに驚くような事なのかよ……。
私が納得のいかない表情を浮かべると、菖が驚きの表情を崩さずに続けた。


「いやあ、びっくりしたよ。
りっちゃんって絶対澪ちゃんと付き合ってるって思ってたもん」


「何でそうなる」


「だって、りっちゃん、講義の時も澪ちゃんの話ばかりしてるじゃん。
たまに私と二人で遊びに行った時も、澪ちゃんに定期的にメールしてるみたいだしさ。
これは二人のただ事ではない関係性を疑ってしまうわけですよ、この菖さんとしては」


「澪は単なる腐れ縁の幼馴染みだよ。
そりゃ、あいつが何やってるのかは習慣で気になるけどさ。
澪とよくメールしてるのはそれだけの理由だよ。
つーか、私達女同士なんだけど」


「まあ、それはそうなんだけどね。
でも、りっちゃんって女子高の桜高出身でしょ?
女子高ならそういうのも結構あるのかなって思って」


「おまえは女子高を何だと思ってるんだよ……。
大体、自分だって共学出身とは言え、女子大生のくせして……」


そう言いながら、私は妙に納得してしまってもいた。
正直な話、私も共学に通ってる子達は結構遊んでるイメージがあったし、
男子高の男子達は付き合ってるカップルも何組か居るんじゃないかって思ってた。
私の偏見を考えると、菖が女子高に対して変なイメージを持っててもおかしくない。
私は苦笑しながら、女子高出身者の代表としてそのイメージをぶち壊してやる事にした。

「残念だけどな、菖。
女子高って言っても、生徒全員が女子ってだけで、他の高校とほとんど変わらないと思うぞ。
そりゃ私の知らない所では付き合ってる子達も居たのかもしれないけど、そういうのは少数だよ。
共学だって男女全員がカップル成立してるわけじゃないだろ?
そういう事だよ」


「そう言われると弱いんだけどね、私も高校時代彼氏居なかったし……。
でもさ、本当に少数なの?
澪ちゃんやムギちゃんや唯ちゃんも違うの?」


「確かめた事は無いけど、多分な。
澪は恋に恋してる奴だし、ムギも青春に憧れてるし、唯は……どうだろう……。
まあ、どっちでもいいけどさ。
でも、とにかく、澪と私はそういう関係じゃないぞ。
菖には残念かもしれないけどさ」


イメージをぶち壊してやったから、菖は不機嫌な顔を見せると思ってた。
頬を膨らませて、睨みつけて来るんじゃないかって思ってた。
でも、菖はそうはせずに、また楽しそうに微笑んで私に返した。


「それでも、りっちゃんは澪ちゃんの事が好きでしょ?」


「いや、だから……」


「恋する相手ってわけじゃなくて、幼馴染みとしてって事だって。
澪ちゃんの事、好きなんだよね?」

菖の奴、何か妙に澪の事を気にしてるな……。
ひょっとすると、菖の方こそ澪の事が好きなんじゃないか?
前に澪のファッションを弄るのが楽しかったみたいだし、ひょっとしたらひょっとするか?
でも、そうやってからかう事は出来なかった。
菖が真剣な表情で私の目を見つめていたからだ。
真剣そのものだった。
だったら、私も変に誤魔化すわけにはいかないじゃないか。
私は大きく息を吸ってから、菖に負けないような真剣な表情を浮かべて言った。


「ああ、澪の事は好きだよ。
好きじゃなきゃ、長い事幼馴染みなんかやってないって。
勿論、恋する相手じゃないけどさ、でも、あいつの事はこれからも大事にしたいよ」


私の言葉が終わった途端、菖は急に私の手を握って笑った。
とても真剣な、心のこもった笑顔だった。


「だったら、この変な部屋から絶対に出ないとね!
まだ何も分かってないけど、いつか絶対に出てやろうね!」


心強い言葉だった。
嬉しかったし、頼り甲斐のあったけど、
その菖の言葉には若干の迷いが感じられたのは気のせいだろうか。
いや、きっと気のせいじゃない。
迷ってるのは菖だけじゃなく、私も同じだったからそれが分かった。

二日目(?)になって、私も菖も一つの事に気付いていた。
気付いていて、言葉には出せなかったんだ。
私達の身体に起こってる異変……。
いや、違う、逆だ。
何も起こらない事がおかしいんだ。
私達がこの真っ白い空間に閉じ込められて、多分、約一日。
その間、私のお腹が空く事は無かったし、トイレに行きたいと感じる事も無かった。
言葉にはしていないけど、菖も私と同じだって事は傍から様子を見るだけで分かった。
これが意味する事は、一体何なんだろう……。

ひょっとしたら、私達の身体は……。
それを考えるだけで、激しい動悸を感じて息苦しくなる。
不安で動き出せなくなってしまいそうになる。
だからこそ、私達は進むしかない。
どんなに不安でも、この真っ白い空間から脱け出すために。



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