「りっちゃんはさ、ここって何だと思う?」


私の決心を知ってか知らずか、菖が急に話題を変えた。
何だと思う、か。
何なのかは私にも分からない。
推測はしているけど、それがあってるかどうかは自信が無い。
でも、一つの答えは確かに私の胸の中にある。
私がその答えを言葉にするより先に、菖が自分の推測を声に乗せていた。


「私が最初考えたのはね、殺し合いのゲームなんだよね。
よくあるでしょ?
何処かから誘拐した二人を密室で殺し合わせて、生き残った一人だけを解放するってゲーム。
最初はそういうあれかなって思ってたんだ」


「いきなり物騒な事を考えてるな、菖は……。
まあ、可能性としてはありうるけどさ」


「でしょー?
でも、すぐにそうじゃないって思ったんだ。
殺し合うにしても武器も置いてないし、黒幕の指令みたいなのも無いじゃん?
よくある映画とかだと、私達が目覚めた後に殺し合いの指令を出すのがお約束でしょ?
それで、これはそういうゲームとは違うんだな、ってすぐ思ったわけ。
ま、それで助かったけどね。
私、りっちゃんと殺し合いなんてしたくないもん」


「私だってしたくねーよ。
でも、そういう変なゲームじゃなかっただけ、不幸中の幸いって所だよな」

「だねー。
でね、次に思ったのがこの部屋が何なのかって事なんだよね。
こんな影も出来ない、天井の高さも分からない部屋が普通の部屋なわけないよね?」


「そういや、菖はここが宇宙船の中じゃないかって疑ってたよな。
ぶっちゃけ、こんな部屋を地球人が作ったって考えるより、
宇宙人が建造した宇宙船の中だって考えた方がリアリティがあるもんな。
今の人類の技術じゃ作れないだろ、こんな部屋。
でもさ……」


私は口ごもる。
ここがもし宇宙船の中だったとしても、私的にはそれで構わない。
むしろ宇宙船の中であってくれた方がすっきりするし、かなり助かる。
宇宙人が私達を監視してても、気分はそんなによくないけど別にいい。

そう考えてしまうのは、私の中の想像がそれよりも最悪な物だからだ。
私だけじゃなくて、多分、菖の想像も私と同じだと思う。
菖はそれについてどう考えてるんだろうか。
それを菖に訊ねるのは正直怖い。
でも、訊かないままで居るのも怖い。
だったら、訊いた方がずっとマシじゃないか。
私は意を決して、高鳴る心臓を抑え、それを菖に訊ねる。


「ここが宇宙船の中だって考えるのはいいけど、
それだと一つどうしても説明出来ない事があるよな?

……うん、私達の身体の事だよ。
私達、ここで目を覚ましてから何も食べてないだろ?
水だって一口も飲んでない。
なのに、全然腹減ってないし、喉だって渇いてない。
トイレにも行ってないし、汗だって一滴も出てないんだよ、あんなに動き回ったのに。
こんなの宇宙船の中でだってありえるか?
そういう生理現象無しで活動出来るくらい、宇宙船ってのは便利に出来てるのか?
いや、いくら何でも、どんなに科学力が進んでてもそれは無理だろ?
だとしたら、私達の身体は……」


「死んでる……のかもね」


菖が何でも無い事みたいに簡単にそう言った。
まったく……、何でこいつはそんな言いにくい事を簡単に言えるんだ。
私と一緒に居て安心出来てるからって言ってたけど、そんなに安心出来るもんなのか?
でも、菖の言葉は私の考えていた事でもあった。
持って回った言い回しをしたって意味が無いし、菖のやり方は別に間違ってない。
怖いと思っちゃうのは、単に私がちょっと臆病だからだろう。

大きく深呼吸。
震え始めた指を握り締め、拳を作る。
出来る限り表情を落ち着けてから、菖の髪を軽く弄って言ってやる。


「そんな言いにくい事をあっさり言うなよ、菖。
言うのに躊躇っちゃってた私がヘタレみたいじゃんか」


「でも、そう思ったから、
りっちゃんにちゃんと言っとかなきゃと思って」


「分かってるよ。
うん、怖がって目を逸らしてても仕方が無いよな。
多分、菖の言う通りだよ。
飲まず食わずで四日間も平気で居られるはずないもんな。
私達の身体がそういう生理現象を必要としなくなってるんだよ、多分。
例えばもう死んでるとか……。

そう考えれば、この空間の説明も出来るかもしれないよな。
この空間は宇宙船の中なんかじゃなくて、
死後の世界の魂かなんかが集まる場所で、私達はそこに閉じ込められてる。
何でここに閉じ込められてるのかは分かんないけど、
もしかしたら閻魔様の裁判の順番待ちの空間だったりとかしてな。
宇宙船の中だって考えるより、そう考えた方がよっぽど現実的だしな」

自分で言ってて、何だか嫌な気分になって来た。
だって、そうじゃんか。
何が嫌で自分達の死を認めるような事をしなきゃいけないってんだよ。
勿論、そうと決まったわけじゃない。
他の理由でこの空間に閉じ込められてるって可能性も勿論あった。
例えば私達の身体がいつの間にかサイボーグに改造されてて、
それで飲まず食わずで平気で活動出来てるとか、それとも、何もかも仮想現実だったとか。
どっちにしてもろくな考えじゃないし、両方とも死ぬのと同じくらい嫌な事だ。


「かもねー。
でも、閻魔様の裁判の順番待ちってのは考えてなかったよ。
私はもしかしたら自分が死んでるのかも、って考えてただけだったもん。
何だか本当にそんな気がして来たな。
もしかしたら、本当にりっちゃんの考えがあってるのかも」


輝く金髪を靡かせて、菖がまっすぐな視線を私に向けて言った。
その瞳には純粋な感心の色しか感じられなかった。
菖はやっぱりここで目を覚ました当初から変わらない。
自分が死んでるかもしれないって事が怖くないんだろうか?
私がそれを訊ねると、菖は軽く苦笑して自分の想いを口に出してくれた。


「失敬な。
私だって勿論怖いよ、りっちゃん。
まだまだやり残した事があるし、晶や幸とも遊び足りてない。
りっちゃんや唯ちゃん達とももっともっと遊びたいし、もっともっと仲良くなりたいよ。
冬物のファッションもチェックするつもりだったし、そろそろパーマも当て直しておきたいしね。

でもね、よく言うでしょ?
『人は一人きりで生まれ、一人きりで死んでいく』って。
私もよく分からないんだけど、その言葉が正しかったら、
人間は一人で生まれて一人で死んでいくものだって事になるでしょ?

だから、思ったんだよね。
私だって死ぬのは嫌だし、もう死んでるなんて考えたくないよ?
でも、私の隣にはりっちゃんが一緒に居てくれて、笑ってもくれてる。
だったら、私はまだ一人で死ぬしかなかった人生よりは幸せだったんじゃないかな、って。
ううん、私は幸せなんだよね、りっちゃんが傍に居てくれて。
こんな事言われても、りっちゃんは迷惑かもしれないけど……。

勿論、まだここから脱け出すのを諦めたわけじゃないよ。
まだやりたい事も多いし、りっちゃんと澪ちゃんを再会させてあげたいから!」


最後には力強い言葉で菖が宣言してくれてたけど、私は別の事を考えてしまっていた。
そうなんだろうか……。
私も菖と一緒に居る事で、どうにか混乱せずに平静を保ててるつもりだ。
今まで以上に菖の色んな一面を見れた事も嬉しい。
私はこれを幸せと感じていいんだろうか。
最期の時、一人でない事を喜ぶべきなんだろうか。
私は本当に一人で生まれ、一人で死んでいく人生を送るはずだったんだろうか……。

それはまだ、
分からない。




多分、五日目。
私も菖も口数は多い方だと思うけど、
流石に連続で五日間も二人きりで喋り続けていると、話す事が無くなってきた。
どちらともなく口数が減って、いつの間にか二人でしばらくぼんやりしていた。
そろそろ本気で自分達のこれからを考えなきゃいけないのかな。
この空間での永住の可能性を考えるべきか、それとも……。
そう私が思い始めた時、不意に菖が真っ白い床を軽く叩いた。
一度だけじゃなくて、二度、三度と両手でリズミカルに叩き続ける。
自分達の現状に苛立ったとか、何も出来ない自分自身に悔しくなったとか、
そういうある意味当然の感情で、菖がそうしたわけじゃないのはすぐに分かった。


「ちぇー……」


十何度か床を叩き終わった後、菖が残念そうに口先を尖らせた。
私だって口の先を尖らせたかったし、菖のその気持ちはよく分かった。
菖が残念そうな表情をしている理由……。
それはとても単純な理由だった。
床を叩いても何の音も出ないからだ。
特殊な素材だからなのか他の理由からなのか、
とにかく叩いても殴っても飛び跳ねても、床からも壁からも何の音も聞こえないんだよな。
正直、これは私達にとってかなりの大問題だ。
自分達の奏でるリズムを耳で確認出来ないなんて、ドラマーとしてはかなりの拷問だよ。


「うおりゃっ!」


菖に倣って、私も勢いよく自分の手を床に振り下ろしてみる。
かなりの速度で振り下ろしたはずだ。
だけど、床からはやっぱり何の音も出なかった。
それどころか、私の手のひらにも何の痛みも感じる事が無かった。
柔らかい素材じゃないはずなのに、痛さどころかろくな感触すら感じない。
前にテレビで観た衝撃緩和材の映像を思い出しちゃったくらいだ。
試そうとは思わないけど、ひょっとしたら頭を思い切りぶつけても無傷で居られるかもしれない。
ったく、全くわけが分からない。
とにかく、分かっちゃいた事だけど、結局、この空間は何でもありなんだな。


「勘弁してほしいよねー」


苦笑いを浮かべて、菖が私に視線を向けた。
私も苦笑しながら、肩を竦めてそれに応じる。

「だよなー……。
スティックが無いのは仕方が無いにしてもさ、
手で叩いたら床からくらい何か音出してくれてもいいじゃんかよー。
これじゃストレスが溜まっちゃうっつーの」


「うんうん、ドラマー泣かせだよね、この部屋。
ドラマー心を何も分かってないよ!
ドラマーはドラムを叩いてない時でも、リズムを感じて生きてるんだもんね!
リズムを取らずにはいられない生き物なんだから!」


「いや、そこまでは言ってないんだが……」


「あれっ?
でも、りっちゃんも分かるでしょ、この気持ち?」


「分かるけど、何つーか……」


そこまで言ってから、私はちょっとだけ笑う。
苦笑じゃなくて、普通の笑顔になって、吹き出してしまう。
その私の笑顔を不思議に思ったらしく、菖が首を傾げて私に訊いた。


「私、何か面白い事言っちゃった?」


「いやいや、そうじゃなくてさ、
何つーか、菖もドラマーなんだなー、って思っちゃってさ。
そういや、私達ってドラマーなのに、二人で居る時はあんまドラムの話をしなかっただろ?
面と向かって改まって話すのが変な感じがしたから、ってのもあるけどな。

だから、新鮮なんだよな、菖とドラムの話をするって事が。
照れ臭い気もするし、妙な気分だけど、何だか嬉しいんだよな。
当たり前の事だけど、菖もドラムが大好きなんだよな」


「勿論だよ、りっちゃん。
私だって伊達や酔狂でドラムをやってるわけじゃないんだよ?
晶と一緒に演奏したくて続けてきたドラムだけどね、
でも、晶の事を抜きにしてもドラムの事は大好きだもん。
私が思いっ切り全身で動いて演奏のリズムをキープして、
それに晶のギターと幸のベースが合わせて音階を奏でてくれて……。
何て言うか、それがすっごく気持ちいいんだよね!
だから、私はドラムが大好きなんだ」


嬉しくなってくるくらい明快な言葉だった。
考えてみりゃ、私よりずっと上手いドラム捌きを見せる奴なんだ。
それが当然なのかもな。
私も菖に負けないくらい、いいドラマーになってみせたいな……。
どんどん上手くなる澪やムギと、
まあ、一応、唯も含めてやって、皆の足手纏いにならないように。
まだまだ皆と演奏し続けたいからな。

と。
不意に菖が私の肩に腕を回して笑った。


「りっちゃんだって、ドラムの事が大好きなんでしょ?
分かるよ、りっちゃんのドラム、すっごく楽しそうだもん。
私もりっちゃんみたいに思い切り自由に叩いてみたいなー」


褒められてるのか貶されてるのか分からない言い方だったけど、
菖の今の表情から考えると、本気でそう思ってくれてるんだろう。
まだまだ未熟な私だけど、菖にそう言ってはもらえるくらいの演奏は出来てるのか……。
勿論、腕の差ははっきりしてるけど、何だかとっても嬉しかった。
私も照れ隠しに菖の方に腕を回して、肩を組んでから笑ってみせた。


「褒めるな褒めるな。
そりゃドラム大好きで仲間思いの律さんだし?
自由に楽しく演奏出来るのは当然って言うか?

でも、私だって菖のドラムが好きだぞ。
上手いし、あの晶と幸を引っ張れてるじゃん。
ぶっちゃけた話さ、いつも凄いなーって思ってんだよな。
うん、ある意味で目標だよ、菖のドラムはさ。
私も菖に負けないように頑張らなきゃな」


すぐに菖の調子に乗った突っ込みが来るだろうな、って私は思ってた。
『そんなに褒めても何も出ないよ、りっちゃん!』なんて軽く叩かれるはずだって。
でも、どれだけ待っても、私の予想してた菖の突っ込みは来なかった。
何かあったのかな、と思って肩を放して、菖の表情を確認してみた私は驚いた。
菖が顔を真っ赤にして、私を見つめていたからだ。


「あの……、菖さん……?」


私が何か変な事を言ってしまったんだろうか?
不安になって訊いてみると、菖がはっとした顔で早口に捲し立てた。


「もも……、もう!
りっちゃん、いきなり褒めるからびっくりしちゃったじゃん!
そ、そりゃ私だって頑張ってるし、それなりに叩けるようになって来たと思うけどね。
でも、でもでもね、やめてよね、もう!
私って、あんまり褒められるの慣れてないんだから!」


言い終わった後、菖は私から顔を逸らして口を閉じた。
でも、顔を逸らしていても、菖の頬がまだ赤く染まっているのは分かった。
何だかよく分からない内に叱られてしまったみたいだけど、
菖が何を言いたいのかは私にも何となく分かった。

菖はきっと本当に褒められ慣れてないんだろう。
晶は素直じゃないから、人を褒めるようなタイプじゃない。
幸は菖の事を褒めてくれるだろうけど、
優しくて控え目な幸だからそう言ってくれてる、って考えてしまっていたのかもしれない。
褒められる事に慣れてないんだ。
菖はいつも元気だけど、何となくそういう所がある気がする。
胸がAカップだって事も気にしてるみたいだし、
ファッションや髪型にこだわるのも、ひょっとしたら自分に少し自信が無いからかもしれなかった。
だからこそ、褒められると戸惑う事もあるんだろう。

私にはそれが分かる気がする。
多分、私もそうだから。
私も人から褒められる事に慣れてない。
澪がたまに褒めてくれても、恥ずかしくなって本気で取り合えない。
どんどん上達する皆の演奏を聴いてて落ち込む事も、最近になってよくあった。
自分にあんまり自信が無いんだと思う、私も。
多分、菖と同じで。

でも、それが分かったからと言って、二人で慰め合うのは何だか違う気がした。
私はそんなの求めてないし、菖だってそんな事を求めちゃいないだろう。
私達が求めているのはもっともっと違う事だ。
瞬間、私は不意に一つだけいい事を思い付いた。
慰め合うんじゃなくて、気休めの言葉を掛け合うわけでもない。
でも、今の私達にぴったりの、元気になれる方法。
それは……。

私は一人で頷くと、学園祭の時からずっと着たままの衣装のシャツを脱ぎ始める。


「ちょ……っ! 何やってんの、りっちゃん!」


多分、さっきまでと違う理由で顔を赤くして、菖が私に動揺の言葉を掛ける
私はそれを無視して、次は衣装のズボンも脱いで下着姿になった。
思った通り、服を脱いでも暑くも寒くもなかった。
だったら、何も問題無い。
私は脱いだ衣装を畳んで、真っ白い床に重ねた。
強く、二回叩いてみる。


トン、トン。


ちょっと間の抜けた音だけど、贅沢は言ってられない。
私は菖に出来る限りの笑顔を向けると、言ってやった。


「よっし、準備完了!」


「じゅ、準備って何の……?」


「ドラムだよ、即席ドラム。
床から音が出ないんじゃ、他の物を叩いて音を出すしかないもんな。
自分の足を叩いてもいいけど、それは何か違う気がするし。

しかし、服を重ねる事で、私はこうして即席ドラムを完成させた!
誰の仕業かは知らんが、こうして私のドラマー殺しのこの空間に打ち勝ってやったのだ!
ははっ、ざまーみろ!」


私の言葉が終わった後、菖はしばらく呆然とした表情で私を見ていた。
うっ……、流石に馬鹿っぽかったかな……?
結構、いい方法だと思ったんだけどな……。
ちょっと不安になったけど、私は菖の横顔を見ながら次の言葉を待つ事にした。
これが私の空回りだったとしたら仕方が無い。
その時はちゃんと菖に謝らないと……。
そう思い始めた時、菖がその服を重ねただけの即席ドラムの前に陣取った。

トントントトントントントトントン。


菖がスティック無しで軽快なリズムを叩く。
音こそ間抜けだけど、床自体を叩くよりは何倍もよかった。
私の顔を見て一息吐いてから、菖が不敵に笑った。


「うん、床を叩くよりずっといいじゃん。
私、こんなの思い付かなかったなー、やるじゃん、りっちゃん!
ありがとね、これで少しはドラムを叩けないストレスが無くなりそう!」


「どういたしまして」と頭を掻きながら、私も即席ドラムの空いたスペースを叩いた。
音は間抜けで、スティックも無くて、叩きにくいったらありゃしない。
我ながら酷い即席ドラムだ。

でも、無いよりはずっとマシだったし、気持ちもかなり楽になった。
あんまり自分に自信が無い私。
褒められ慣れずに、色んなコンプレックスを抱えてる菖。
それを乗り越えるために必要なのは、多分、慰めの言葉や傷の舐め合いじゃない。
どんな形でも少しずつ前に進んでるって思える事。
こんな形でしかなくても、ドラムの練習を続けられる事。
自分の好きな事を努力し続ける事。
それしかないんだと思う。
その先に何も無くたって、私はこんな自分と一緒に前に進みたい。

不安に満ちたこの空間。
もう死んでるかもしれない私達。
だけど、今だけは前に進めて笑顔になれた。
それだけで今は十分だった。
とにもかくにも、私には仲間が居るんだって事が分かったから。

それから、多分三時間以上、
私と菖は間抜けなドラムを笑顔で叩き続けた。




不意に、私は目を覚ました。
何だか長い夢を見てた気がする。
夢の中では私はまだ高校生で、梓を含めた五人でライブをしてた。
それ以上の事は思い出せなかったけど、結構楽しい夢だった感覚だけは残ってる。
楽しかっただけに、振り返るとちょっと辛い。
どんなに望んでも、私があの時間に戻れる事はもう無いんだ。
当たり前の事だけど、今はそれが辛かった。
梓は勿論、私はもう澪達とも再会出来ないかもしれない。
こんな真っ白い空間にずっと閉じ込められ続けるかもしれないんだから。

大きく溜息を吐いて身体を起こすと、
私の隣で寝息を立てている菖の顔が目に入った。
綺麗な金髪を輝かせる菖は、その目の端も輝いていて……。
瞬間、私は動揺してしまった。
菖の目の端を輝かせてるのが涙だって事に気付いたからだ。
いや、欠伸かもしれない、と考えて、すぐに首を横に振る。

菖の目の端を濡らしている涙の量は、欠伸なんかで出てくる量じゃなかったからだ。
大粒って程じゃないけど、それなりの量の涙が溢れて、たまにこぼれ出している。
どんな夢を見ているのか分からないけど、とにかく何か悲しい夢を見ているんだろう。
それとも、私の前では我慢してた涙が、眠っている時に溢れ出しているのか。
とにかく。
泣いているんだ、菖は。
こんなにも、いっぱいの涙を流して……。

考えてみれば当然だった。
こんな異常事態が平気な人間なんて、そう居るもんじゃない。
ずっと明るく振る舞ってたから、気付かなかった。
いや、気付かない振りをしてたんだと思う。
菖が元気だから私も元気になろう、って無理矢理に自分に言い聞かせてただけだ。
菖が元気で居てくれないと、自分も元気で居られそうでなくて怖かったんだ。
菖のおかげで、無理して元気を出せてたんだ。
そんなはずないってのに……。

私は胸に痛みを感じて、頭を抱える
駄目だ、やっぱり……。
こんなに菖に頼り切ったままじゃ……。
もう見て見ぬふりなんて出来ない。
考えなきゃいけないんだ。
もう元の生活に戻れないかもしれないって可能性を。


「晶……、幸……、ごめ……ん……」


消え入りそうな声が聞こえて、驚いた私はもう一度菖の顔に視線を戻した。
菖の目蓋はさっきと変わらず閉じたままだった。
どうやら寝言だったらしい。
どうも晶と幸の夢を見ているみたいだ。
何が『ごめん』なのかは分からない。
もう二度と会えないかもしれない事の謝罪なのか、
それとももっと他の理由からの二人への謝罪なのか。
それは私には分からなかったし、もしかしたら菖自身にも分かってないのかもしれなかった。

そして。


「ごめん……、澪ちゃん……」


その言葉を最後に、菖の寝言は聞こえなくなった。
夢も見ないくらいの深い眠りに入ったんだろう。
多分、それでよかった。
私の勝手な願いだけど、今だけは菖に苦しまずに眠っていてほしい。

それにしても、澪の名前が出て来るとは思わなかった。
寮ではあんまり絡みがあるようには思えなかったけど、
ここに来てから妙に気にしてたみたいだし、澪に対しては何か思う所があるんだろう。
ひょっとして、好き……とか?
何となく複雑な気分だけど、菖が澪の事を好きだってんなら私も応援してやりたい。
きっとそれがこの空間で菖に救われ続けた私に出来る事だろう。
でも、その前に私達は話し合わなきゃいけない。
これからの私達が選ぶべき道を。
それがどんなに残酷で辛い道だとしても。


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最終更新:2012年12月20日 23:45