学校帰り、商店街。
今日は楽器屋さんに来てみました。
一階はCD売り場。地下一階が楽器売り場。
私みたいな音楽のことを全然知らない高校生が、楽器売り場にひとりで入るのはちょっとした勇気が必要だった。
けれど、なんだか新しい世界に足を踏み入れるようでドキドキした。
ギターがいっぱい並んでいる。
どれがいいかなんてちっともわからない。
ただただぼうっと眺めていると、一つのギターに目が止まった。
あ、これ可愛い!
値段は……じゅ、じゅうごまんえん………
ギターって高いんだなあ…毎月のお小遣いとお年玉を貯めているから買えなくはないけれど…弾くあてもないのに買ってみても、ね。
それでもやっぱりそのギターが気になってしまい、ぼんやりと悩みながら、フロアをぐるぐると回っていた。
しばらくして私は、店内に自分も同じ制服を着た人たちがいることに気がついた。
ジャズ研の人たちだろうか?
3人のうち1人は髪の毛をまっきんきんの金髪に染めていた。
ロックだなあ…でも校則、大丈夫なのかな?もしかしてハーフのひと?
金髪の人がこちらを振り向いて、視線がぶつかった。
ニコリと笑いかけられる。
やさしそうな人だった。
金髪だけど不良には見えないな。
バンドをやる人って、派手な格好をしてる怖い人が多いイメージがあるけれど、この人はそうじゃないみたい。ロックにもいろいろとあるのかな?
私もニコッと笑顔を返す。
「桜高…だよね?一年生?ジャズ研の子?」
「え?あ、はい…いえ…」
「音楽好きなのー?楽器何弾くの?好きなバンドは?」
いつの間にか近くまできていたカチューシャをした人が勢い良く話かけてくる。
「コラ律!初対面の人にそんなにドンドン質問したら失礼だろ!」
勢いに押されてしどろもどろになっていると、もう一人がカチューシャの人の襟首をグイッとひっぱって止めに入る。
「ごめんね、急に」と申し訳なさそうに頭を下げる。
綺麗なひとだった。
長い黒髪に整った顔立ち。
目尻がきゅっと吊り上がって凛々しい。
かっこいいひとだなあ。たぶん女子にモテるんだろうな。
「ぐぐぐ苦しい!離して!わかったから離して!」
「ああ、ゴメンゴメン」
黒髪の人がパッと手を離すと、カチューシャの人は勢い余って前につんのめる。
「ぜぇぜぇ…やりすぎだよ…もう」
「元はといえば律が悪いんだろ」
「なにをー!」
「まあまあまあ…」
漫才のような二人のやりとりをにこにこと見守りながらタイミングをみて止めに入る金髪の人。
たのしそうな人たちだなあ…。
*
「ジャズ研に入ってるわけじゃないんだ」
「はい、ちょっと興味があって覗きにきただけなんです。楽器も弾けませんし」
「でも音楽が好きなんでしょ?」
「特別好きってわけじゃないんですけど…好きなバンドなんかも特にないですし…」
3人は桜高の二年生。
カチューシャの人が
田井中律さん。
黒髪の美人が
秋山澪さん。
金髪の人が
琴吹紬さん。
3人は軽音楽同好会に所属してるみたいです。
部、じゃなくて同好会なのは、部の設立の条件である部員四名に満たないから。
「去年なんとか4人集めたかったんだけど、集まんなくてさ」
「3人でジャズ研に入ろうかとも思ったんだけど…」
「なんだかそれも違う気がして…」
今年もなんとか部に昇格するために部員勧誘を頑張ったらしいんだけど、無理だったみたい。
「バンドに興味がある子はみーんなジャズ研に入っちゃうんだよな」
「私の友達もひとりジャズ研の子がいます」
「やっぱなー」
「でもその子もはじめは軽音部に入ろうとしてたんですよ?ただクラブ紹介の冊子に名前が載ってなかったから…」
「いや載ってはいるんだけど…後ろの方にちょっとだけ」
澪さんが小さな声で言う。
「え、ご、ごめんなさい…気がつかなくて…」
「気にしないで、仕方ないわよ」
やさしく微笑む紬さん。
「しっかし…正式な部じゃないってのはつくづく不利だよなあ…」
ガクッと肩を落とす律さん。
「それでも冊子に載せてもらえただけでもありがたいじゃないか」
「はじめは名前すら載らないはずだったものね」
「ま、そこは和に感謝だなー!」
突然、知っている名前が飛び出してドキッとするが、それを気にしている暇もなく話しかけられる。
「ねえねえ、平沢さんは何かクラブとか入ってるの?」
「私…ですか?いえ、特にどこにも」
「だったらさ、よかったらなんだけど…け、見学に、来てみない…?」
澪さんがおずおずと私を誘う。
「毎日放課後にね、音楽準備室で練習してるの…」
「他に使うクラブがないからさ、同好会なのに音楽準備室一人占めできるんだぜーっ!」
「へー、すごいですね」
「美味しいお茶を用意して待ってるからね♪」
「お茶?」
「琴吹家自慢の紅茶よ〜」
「ケーキもあるんだぞ〜!」
軽音楽同好会…のはずじゃ…?
「おい!そんな誘い方したら真面目に練習してないみたいに思われるだろ!」
「練習?最近したっけ?」
「してるだろ!」
「まあまあ澪ちゃん、落ち着いて」
ふふ…本当におもしろい人たち!
…次の日。
音楽準備室を訪れた私は、同好会に入会することを決めた。
三人の先輩たちが演奏してくれた「翼をください」は、ジャズ研で聴いた演奏よりずっと拙かったけれど、とてもあったかで楽しそうで、私もこの人たちと演奏してみたい、と心から思えたから…。
十五万円のギターも買っちゃった。
軽音楽同好会は、私の加入によってめでたく部に昇格。けいおん部になりました。
季節は梅雨。ジメジメとした天気が続く毎日だったけど、私はワクワクしていた。新しい世界に踏み出す、ワクワク。
ありがとう、お姉ちゃんのおかげだよ。お姉ちゃんのおかげで、毎日がたのしくなりそうだよ。
お姉ちゃん。私もけいおん部に入ってみたよ!
ギターも買っちゃった。
先輩たちもみんな面白い人たちばっかりなんだ。
これからがとっても楽しみ!
拝啓、平沢憂様
入部おめでとう!
憂がけいおん部に入ってくれてうれしいよ。
私も負けないようにギター頑張らなくちゃなあ…
平沢唯
*
「どう?けいおん部はたのしい?」
「うん、毎日とってもたのしいよ」
あれから、私にとって放課後の居場所は、音楽準備室になった。
先輩たちと笑って、お茶して、演奏して。
家に帰ってギターの練習して…そのことを手紙に書いて、お姉ちゃんに送った。
「最近澪はあなたの話ばっかりよ。後輩ができたのがよっぽどうれしいのね」
「照れちゃうなあ…」
「私も嬉しいわ。澪たち、ずっと4人目の部員を探していたから。私も協力していろいろ当たってみたりもしたんだけど…ずっとうまくいかなくて…」
「…やっと入ってくれた子が憂だった、なんてね。なんだか不思議よ」
澪さんと和ちゃんは同じクラス。
一年生のとき、なんとか同好会を部に昇格できないか、先輩たち三人は頻繁に生徒会を訪れて相談することが多かったらしく、和ちゃんとはそこで仲良くなったそうだ。
桜高では基本的に同好会は認められていない。
それが例外のような形で存続できたのは、先輩たちの度重なる陳情はもちろん、その情熱を汲んでくれた和ちゃんの口添えあってのことみたい。
たまたま音楽準備室を使うクラブがなかった、と言う運のよさもあるけれど。
澪さんとは特に馬が合うらしく、クラスが一緒になったこともあって、一番仲がいい。
けいおん部には入っていないけれど、一年生の頃から4人で遊んだり、クリスマス会をしたり、何かと一緒に行動してるそうだ。
和ちゃんが先輩たちと一緒にいる理由もわかる気がする。
最近、毎日が本当にたのしくて仕方がない。こんなキラキラした毎日が訪れるなんて、想いもしなかった。これも先輩たちのおかげ。
「よかったわ。私、心配してたのよ。憂のこと」
「え、」
「ほら、あのときから憂、ずっと元気がなかったじゃない?」
「…」
「高校に入って環境が変わったら、少しは吹っ切れて元気になるかな、と思ってたんだけど…まだ忘れないみたいだったから」
「……簡単には忘れられるわけないよ」
「私だってそうよ。でもね…そんなの…あの子が一番望まないでしょ」
わかってるよ。
「ゴメンね、和ちゃん。心配かけて」
「ううん。私の方こそエラそうなこと言ってゴメン。それにあなたはもっとひとに心配かけるくらいでちょうどいいわ」
「そうかな?」
「そうよ。もっと頼ってくれていいのよ」
「頼ってるよ、和ちゃんのこと」
「なら、いいんだけど。あなたは我慢しちゃうタイプだから…心配なのよ」
「ありがと。心配してくれて。でも大丈夫。私は一人じゃないから」
「そうね。澪たちもいるしね」
「うん。お姉ちゃんだって…側にいるよ」
「憂…」
毎日が、たのしい。でもまだ私はお姉ちゃんから一人立ちできてない。
一人は無理。一人は無理だよ…お姉ちゃん。お願い側にいてね。ずっと、側にいてね。
拝啓、平沢憂様
けいおん部、すっごくたのしんでるみたいだね。
憂がたのしいと、私もすごくたのしいです。
憂の演奏、聴いてみたいな。
平沢唯
*
2学期がやってきた。
今年の夏は忘れられない思い出がたくさんできて、手紙の文字数がどんどん増えていった。
夏合宿。
紬さんの別荘、凄かったな。
昼間は海で思いっきり遊んで、夜は花火にバーベキューに肝試し。(もちろん練習もしたよ!)
キリッとしていてかっこいい澪さんが、あんなに恐がりだなんて知らなかった。思わぬギャップに、親しみが湧いた。
夏フェス。
顧問のさわ子先生に連れて行ってもらった。
澪さん、はしゃいでたな。いつもと立場が逆転したみたいに律さんがブレーキ役になっていた。やっぱりこの二人はいいコンビ。
ちゃんと音楽の話で盛り上がってけいおん部っぽいかんじにもなった。
会場は山の中で、見上げた夜空には満点の星空が輝いていた。
それは見たことのない景色だった。先輩たちと出会えなかったら見れなかった景色。
先輩たちが見せてくれた、見たことのない景色。
花火大会。
大輪の花火はあまりにも綺麗で、まるで夢みたいに…現実離れして見えた。
こんなに楽しいんだから本当に夢かもね。
打ち上げ花火を見ていたら、続きがしたくなって、帰り道に立ち寄ったコンビニで花火を買いこんだ。
最初から最後まで花火に夢中だったのは紬さん。
いつもおっとりとお姉さんのようなのに、まるで子供みたいに花火をしてたんだもんね。年上なのにまるで妹みたいに可愛らしかった。
夏のイベントはいつも三人の先輩たち、そして私と和ちゃんの五人。(ときどきさわ子先生も)
また、来年も来たいな。先輩たちと。もちろん和ちゃんも一緒にね!
夏の思い出はみんなみんな手紙に書いて、お姉ちゃんに送った。
ただ、私がお姉ちゃんに書く手紙の文字数が多くなるにつれて、お姉ちゃんの手紙の文字数が少なくなってきたのは気がかりだった。
そして返信も少しづつ遅くなっていった。
夏が終わる頃、一週間に一度、届くかどうかになっていた。
*
気になっていたことがある。
私が入ったけいおん部の雰囲気と、お姉ちゃんが手紙に書いてくれたけいおん部の雰囲気が、あまりに似通っているのだ。
文通を始めたばかりの頃、お姉ちゃんはけいおん部のことをたくさん書いて教えてくれた。
部員は三人。
元気いっぱい。冗談を言ったり、ちょっとふざけてみたりして、クラブを盛り上げる部長さん。
いい加減そうに見えて、実は誰よりみんなのことを気遣ってくれてる。面白くて、頼りになる人。
その部長さんの幼馴染さん。
真面目でキリッとして大人っぽい美人さんなんだそう。
この人がいるおかげできちんと練習が成り立ってるみたい。
でも見た目に反して恐がりだったり、メルヘンチックな歌詞を書いたり、可愛いところもあるって書いてあった。
そしてもう一人。
いつも美味しいお茶を淹れてくれて、お菓子を持ってきてくれる人。
おうちがお金持ちらしくって、おっとりぽわぽわしてるお嬢様だけど、どんなことにも興味津々で、何をやるときでも目をキラキラさせてる好奇心旺盛なところもあるって。
音楽の話より、みんなでお茶した話やどこかへ出掛けた話。
けいおん部っぽくない話の方が多かったけれど、それはとても楽しそうな内容だった。
お姉ちゃんがあんなに楽しそうにけいおん部のことを書いていなかったら、私は音楽に興味を持たなかっただろうし、けいおん部に入ることもなかったと思う。
だからお姉ちゃんにはとっても感謝している。
でも、あまりにも似ている。似すぎている。
部員の名前までは書いてないけれど、私の入ったけいおん部の先輩たちにそっくりだ。
けいおん部に慣れ親しんでいくにつれて、疑念はだんだんと深まっていった。
お姉ちゃんの手紙に登場する話だって、先輩たちがいかにもやりそうな、いいそうなことばかり。
先輩たちの口からも、お姉ちゃんの手紙に書いてあったことと同じような話題が出ることもある。
もしかして、お姉ちゃんの書くけいおん部の同級生は、現実にいる私の先輩たちと同一人物なんじゃ…。
だとしたら。もし、それが事実だとしたら。
手紙の主は、けいおん部の先輩たちのことをよく知っている人。
そして、お姉ちゃんのこともまるで本人のことのようによく知っている人……
それは…
けれど、私はそのことをあまり考えないようにしていた。
大切なことは今、私の高校生活が楽しいものであること。そして、文通によって、お姉ちゃんを間近に感じられること。
どんなかたちでも、もしそれがウソだったとしても、お姉ちゃんと繋がっていたい。私の想いはただそれだけだった。
でも、その想いとは裏腹に、とうとうお姉ちゃんからの返信は途絶えてしまった。
*
2学期といえば、学園祭。学園祭といえばライブ。
そう、私たちけいおん部のはじめてのライブ。
「憂ちゃん、ボーカルやってみない?」
「……え、私ですか?私が??」
「いやいやいやいやいやボーカルはういちゃんがいいようんそれがいいそれがいい」
「ボーカルはギターの憂ちゃんかベースの澪がいいと思うんだけど…ほら、こんな調子だからさ……」
恥ずかしがり屋の澪さんは、メインボーカルがどうしても無理みたい。
せっかく歌、上手いのに。
「でもせっかくけいおん部として初舞台ですよ?後輩の私より先輩の澪さんの方が…」
「そんなことはけっしてないぞひういちゃんがやるべきだうんそれがいいそれがいい」
「オイコラ澪。ちょっと落ち着け」
一年間、部に昇格するため、なんとか頑張ってきたのは先輩たちだ。
せっかくの晴れ舞台。やっぱり主役は先輩でいてほしい。
「確かに憂ちゃんは後輩よ。でも同じけいおん部一年生じゃない?」
「私、うまく歌えるでしょうか……?」
「憂ちゃんなら絶対ダイジョーブ!!私が保証するっ!」
どうしよう…。でも澪さんが無理なら…。
私を見つめる先輩達の瞳。
大好きな先輩達をがっかりさせたくない…。
「…わかりました。私、頑張ってみます」
「おおっー!ありがと憂ちゃん!」
「フフ、憂ちゃんのボーカル楽しみね♪」
「よかったよかったばんじかいけつこれにていっけんらくちゃくだ」
「おーい、みおー。かえってこーい…」
ボーカルが決まって先輩たちは喜んでくれたけど、やっぱり不安だった。
今までずっと先輩たちに引っ張ってもらわなきゃ、私はここまで来れなかった。
そんな私が、ボーカルでライブの中心になるなんて…。
もし、私が失敗したら…先輩達の初舞台を汚すことになる。…こわい。
私、うまくできるかな…不安だよ、お姉ちゃん。
拝啓、平沢唯様
お姉ちゃん、私、今度の学園祭でボーカルをやることになったよ。
お姉ちゃんにも私の歌、聴いてもらえるといいな。
でもね。ちょっと不安なんだ。私、うまく歌えるかな?
お姉ちゃんといっしょなら、きっとうまく歌えると思うんだけどな。
平沢憂
待っても待っても返事はやってこなかったけれど、私は一方的に手紙を書き続けた。
それでもやっぱり、返事はこない。
ただ、私の出した手紙がそのまま戻ってくることもなかった。
届いて…いるのかな?読んで…くれてるのかな?
ねぇお姉ちゃん、なんで手紙のお返事くれないの?
私まだ…一人じゃダメだよ。お姉ちゃんがいないと、ダメなんだよ…
おねがいお姉ちゃん。私をひとりに、しないでよ…
最終更新:2014年02月22日 08:26