澪「はい……?」

「すいません、もう夜遅いので、もう少し静かにしてもらえませんか?」

訪れたのは、少しショートカット気味の黒髪の人だった。女の人……かな? 多分合ってるはずだ。

澪「す、すいません!」

紬「ごめんなさい!」

慌ててムギと一緒に頭を下げた。

「あ、いえ。そこまで謝らなくてもいいですよ」

そう言われて頭を上げると、後ろにもう二人立っていることに気づいた。
一人は律と同じくらいの身長で、髪にパーマをあてている。もう一人は私より背が高く、髪が長かった。
今の声はパーマの人かな?

澪「本当にすいませんでした」

「はい、おやすみなさい」

澪「おやすみなさい」

バタン

澪「はあ〜……」

ドアが閉まると同時に大きく息をはいた。全身の力が抜けてしまった。
すると、ムギが心配そうに私の肩に手を置いてくれた。

紬「澪ちゃん、だいじょうぶ?」

澪「うん、力が抜けたよ……」

律「どうだった?」

唯「怒ってた?」

澪「少し怖そうな人だったけど、謝ったら許してもらえたよ。それに来たのは女の人たちだった」

唯「よかったー……」

梓「これからは気をつけないといけませんね」

澪「うん。今日はもう遅いから寝よう。ムギもありがとう」

紬「また何かあったら何でも言ってね!」

頼りになる仲間を持ってよかった。
……この年で注意されるとは思わなかったけど。

澪「それじゃあ消すぞ」

唯律紬「はーい」

梓「はい」

紐を引っ張って消灯。オレンジ色の豆電球が小さく光っている。

唯「え、豆電球つけたままなの?」

澪「え、消した方がいいかな?」

唯「私は消して寝るよ」

梓「私も消して寝てます」

律「私は真っ暗な方が熟睡できる気がするな」

紬「私も消して寝ているわ」

私以外、満場一致の意見だった。紐を握りしめたままの私に視線が集まる。
思わずため息をついた。

澪「わかった、消すよ……」

カチリ

部屋は真っ暗になった。手探りで枕の位置を確認して布団に入った。
小さい頃に真っ暗な部屋が怖かったので、そのまま豆電球をつけたまま寝ていた。それが今に至るまで習慣になった……とは恥ずかしくて言えそうにないな。

唯「おやすみ〜」

律「おやすみ」

紬「おやすみ」

梓「おやすみなさい」

澪「おやすみ」

久しぶりのこの暗さ。さすがにもう怖くはない。
律の言う通り、今日はぐっすりと眠れそうだ。何かいい夢でも見られるかもしれない。旅行はまだ長い。ゆっくりと休もう。


鳥のさえずりが聞こえてきた。
どうやら朝になったらしい。夢も見ないくらいの深い眠りだったみたいだ。

澪「ふう……」

仕事を始めてからというもの、たいして疲れているわけでもないのにため息をつくことが多くなったように思える。
悪い癖だ。直さないといけない。
起きたからには朝ご飯を食べたい。けど、まだみんなは寝ている。少しロビーでも見て回ろう。
音を立てないように部屋を出た。


少しうろついてからロビーに着くと、誰もいなかった。自動販売機が稼働している音と掛け時計の音だけが鳴っている。そこにあったソファに腰を下ろすと、どこからか味噌汁の匂いがしてきた。
一日の始まりを感じさせるいい匂いだ。

澪「はぁ……あっ」

思わず手で口を押さえた。またため息をついてしまった。
そんなことをしていると、後ろから足音が聞こえてきた。現れたのはムギだった。

紬「あ、ここにいたんだ」

澪「あ、ムギ」

浴衣姿のムギはなんとなく新鮮だった。ムギはそのまま私の所へと来た。

紬「こんな所でどうしたの?」

澪「ああ、みんなが起きるまで時間をつぶそうと思って」

紬「そっか。私も座ってもいい?」

澪「いいよ」

ムギは礼の言葉を述べて私の隣に座った。ムギの髪の毛からシャンプーのいい匂いがする。

紬「澪ちゃん、最近はどう?」

澪「最近? 何が?」

紬「仕事のこと」

澪「ああ……」

良くはない。ただ、決して悪くもない。
今の探偵事務所は私にとっては居心地のいい場所だ。それだけは間違いない。

澪「悪くないよ」

紬「そうなの?」

澪「うん。そりゃあ仕事はあまりないけど、毎日楽しいよ」

私がそう言うと、ムギは花が咲いたように笑顔になった。その顔を見ると、私まで笑顔になった。

紬「よかった!」

澪「……ただ、ずっとこのままじゃいけないとも思う。もっと知名度を上げて、仕事の依頼が来るようにしないと!」

紬「何か良い案はあるの?」

そう言われると弱い。何しろ、具体的な案はほとんど浮かんでいない。案なのか希望なのかが自分でもよくわからない曖昧なものばかりだ。
私は思わず腕を組んだ。

澪「うーん……ビラ配りはまたやるとして、今は事務所のホームページを作ろうと思ってる」

紬「ホームページ?」

澪「うん、有名な探偵事務所はやっぱりホームページも作ってるんだ。ネットでも名前を知ってもらえるようにさ。私の尊敬してる人もそうしてるんだ」

紬「尊敬してる人も……じゃあ、私たちも作らないと! けど、ただのホームページじゃおもしろくないかも……」

澪「え?」

紬「ただの探偵事務所の紹介だと読み流されてしまうかもしれないわ。何か目立つポイントを作らないと!」

ムギは人差し指を空に突き立て、私の方を向いた。ポイントか……。
私の尊敬している人のホームページは事務所の実績・依頼内容紹介だけでなく、ブログも公開してあってオープンな感じがする。顔写真まで掲載してあり、その親しみやすさは参考にした方がいいのかもしれない。

澪「そうだな……」

ボーン

時計が鳴った。
部屋を出てから思ったよりも時間が経過していたようだ。そろそろ唯たちも起きているだろう。

澪「みんなを起こしに行こう」

紬「うん、そうだね」

私たちはロビーを後にして、部屋に戻った。
部屋に入ると三人とも起きていて、布団をたたんでいた。

律「おっ、二人ともどこに行ってたんだ?」

澪「みんな寝てたから、ちょっとロビーに行ってた」

唯「お腹空いた〜……」

梓「大広間に行きましょうか」

紬「朝ご飯、もうできてるみたいだよ」

唯「たのしみ〜♪」

大広間の中に入ると、既に数組の人が朝ご飯を食べていた。おいしそうな鮭が見える。
私たちが座布団に座ると、すぐに女中さんがやって来た。

「何号室にお泊りですか?」

澪「七合室です」

「ありがとうございます。こちら、お茶です。すぐに朝食を準備しますので、少々お待ちください」

澪「あ、はい」

私が返事をするなり、女中さんは頭を下げてから大広間を後にした。

律「朝から大変だなぁ……」

梓「本当に丁寧ですよね」

澪「そうだな」

事務所の知名度だけでなく、私たち一人一人が意識改革を試みればより高度なものへと昇華するかもしれない。そういう意味では接客マナーも考え直してみようと思った。
湯飲みを手に温かいお茶を飲んでいると、三人の女性が大広間に入ってきたのが見えた。その顔をはっきりと認識した瞬間、喉が機能を麻痺させた。

澪「うっ! ゲホッ、ゲホッ!」

唯「澪ちゃん!?」

紬「澪ちゃん大丈夫!?」

澪「だ、だいじょうぶ……」

律「いきなりどうしたんだよ……」

咳き込んだせいでお茶が少しこぼれてしまった。何か拭く物を探さないと……。
そうして私が慌てていると、

「あっ」

澪「え?」

顔を上げてみて思わずぎょっとした。
見間違いじゃなかった。現れたのは、昨晩私たちの部屋に来た三人組だった。ムギを見ると、目を丸くしていた。
ここは誠意を見せないといけない。

澪「あっ、あの! 昨晩は夜遅くにうるさくしてすいませんでした!」

「ああ、いえいえ。あの後は静かだったので、そこまで気にしなくても」

ショートカットの人、小柄でパーマの人、背が高くて髪が長い人。
落ち着いて顔を見ると、私たちと年が近いように思えた。

律「この人たちが隣の……?」

紬「うん」

唯は口をぽかんと開けながら三人組を見上げていた。どうしてそんなに見つめているんだろう。

「私たちも座ろうよ」

「そうだな」

パーマの人が座ると、後の二人もそれに続いた。私たちのすぐ隣に座ったようだ。
私には怖くてそんなことできない。 ……さっき言われたように気にしすぎかな。
するとタイミングよく、女中さんが朝ご飯を持って来てくれた。

「お待たせいたしました」

澪「ありがとうございます」

白いご飯、鮭にお味噌と海苔。卵焼きまである!
普段から食べてはいるけど、今日はいつもより輝いて見える。これも旅行のおかげだ。
唯の顔を見ると、子どものように目を輝かせていた。梓や律やムギも期待を胸に抱いているようだ。
私が手を合わせると、みんなも後に続いた。

澪梓紬「いただきます」

唯律「いただきまーす!」

さて、どれから食べようか。目に留まった卵焼きに箸を伸ばそうと思ったその時、

「わあっ! おいしそ〜! 見てよ晶、幸!」

晶「おっ、本当だ」

幸「おいしそうだね」

ショートカットの人が晶、髪の長い人が幸……だと勝手に想像した。
さっきの三人が私たちの朝ご飯に興味の視線を送ってきている。
私たちに直接話しかけているわけではないけど、少し気になる。早くあの人たちにも朝ご飯来ないかなあ……。

唯「おいし〜この卵焼き!」

律「おおっ! ほんとだ!」

「そんなにおいしいの?」

唯「うん、おいしいよ!」

いつの間にか、パーマの人が唯と律の背後まで近づいていた。唯みたいに子どものように愛想のいい笑顔だ。
唯と律はしあわせだと言わんばかりにおいしそうにぱくぱくと食べていた。作ってくれた人がこの様子を見ればきっと感無量だろう。

「おい菖、そんなに近づいたら迷惑だろ」

菖「晶も楽しみにしてるくせに〜」

改めて……『晶』さんか。
男の人にも女の人にもいる名前だ。あの人はぱっと見ただけでは判断しづらいだろうと思う。
失礼しましたー、と言って菖さんはすぐに自分の席へと戻った。
これで落ち着いて朝ご飯が食べられる。不快だったわけじゃないけど、朝から神経を擦り減らす必要もない。

間違いない。この三人組は音楽に関わっている。
趣味で始めたバンドとはいえ、音楽に関する話題は少し敏感に反応するようになっていた。

唯「あの」

菖「はい?」

いつの間にか、今度は唯が菖さんの側に近づいていた。

唯「もしかして、音楽やってるんですか?」

菖「はい。私たち三人でバンド組んでまーす!」

唯「おおっ!」

推測通り、この三人は音楽をしていた。同じ事を楽しんでいることがわかると、急に親近感が湧いてきた。

菖「それがどうかしたんですか?」

梓「私たちもこの五人でバンドを組んでるんです!」

菖「えっ、そうなの!?」

三人は目を少し見開いて驚きの表情を浮かべた。

晶「意外だな……」

晶さんが小さい声でそう言うのが聞こえた。

菖「どのくらい音楽やってるの?」

律「澪と唯は始めてからまだ一年経ってないよな?」

紬「うん、まだだと思う」

菖「えっ、始めたばかりなんだ!」

梓「休みの日とかにみんなで集まったりして練習しています」

菖「そっか……趣味か……」

唯「どうかしたの?」

菖「……実は私たち、プロのミュージシャンを目指してるんだ!」

ミュージシャン!
音楽は趣味程度には楽しめてはいる。
けど、それだけで食べていこうとはとても思えない。今の仕事も達成できればやりがいがある。
たまに集まって練習するのが私たちに合っているんだと思う。

唯「すごーい!」

律「マジか!」

幸「やっぱり珍しいよね」

晶「だろうなあ……」

菖「この旅館の近くにあるスタジオを借りて練習してるんだ!」

なるほど、クラブ活動の合宿みたいだ。いつもと違う場所だとモチベーションも変わるかもしれない。
何かに全力で打ち込む姿はなんだかとても尊敬する。

唯「三人の演奏見てみたいな〜!」

唯がそう言うと、三人は虚を衝かれたかのように面食らった。
が、すぐに晶さんは咳払いして立ち直った。

晶「まあ、練習してからならいいよ」

唯「やった!」

なんだかよくわからないうちに、すごいことになってしまった。
昨日迷惑をかけてしまった人たちの生演奏を聞かせてもらえるだなんて。しかも、ミュージシャンを目指している人たちの演奏だ。また迷惑にならないか心配だ。

菖「練習もしたいから、そうだなあ……。十一時くらいに来てくれれば!」

澪「あっ、あの!」

晶菖幸「?」

澪「ありがとうございます! 昨日迷惑かけた上に、こんなわがまままで聞いてもらって……」

菖「ううん、それはもう終わったことだから気にしないで! 気になることがあるとせれば……敬語かな。私たち、多分同じくらいの年でしょ!」

社交的でオープンな態度に少し面食らってしまった。
たしかに同じくらいの年だとは思う。だけど、やっている職業や性格上どうしても遠慮して敬語になってしまいそうだ。

律「それもそうだな」

唯「わかったー!」

ただ、この二人は順応しすぎだとは思う。

紬「楽しみだね〜♪」

梓「はい!」

せっかくの旅行だ。
これを機にいろんな人との交流も悪くない。普段味わえないようなことも楽しもう。


三人が演奏しているスタジオは旅館から歩いて五分程度の場所だった。その近くにはお土産などが買える店が立ち並んでいる。

唯「楽しみだね」

梓「はい、どんな演奏をするんでしょうね!」

音楽経験の長い梓。
遠慮してるのかあまり表情には出さないけど、私たちの中では一番楽しみにしているようだった。興奮している様子はいつもよりももっと子どものように見える。そんな梓が少しかわいらしい。

律「ここだな」

ご飯の後に教えられた部屋番号のドアの前で立ち止まった。
中から音は聞こえない。いや、防音室だからか。本当に音を遮断できるものなのかな?
もしかすると、この部屋は完全防音で今も演奏中なのかもしれない。そうなると迷惑になってしまうかもしれない……。

紬「澪ちゃん、どうしたの?」

澪「あ、いや……何でもないよ」

私は些細なことを気にしすぎなのかもしれない。時には大胆にならないといけない。
けど、生来の性格が私をためらわせる。
そんな私を尻目に、律がドアをノックした。すると、数秒後にドアが開いた。
出てきたのは菖さんだった。

菖「やっほー! 来てくれてありがとね!」

澪「今回は招いてくれてありがとうございます」

晶「さっきも菖が言ってたけど、敬語なんて使わなくていいよ」

菖「そうそう! 気にしない気にしない」

それでもやっぱり気が引けてしまう。私も少しずつ敬語なしでしゃべるようにしよう。

晶「じゃあ演奏しようか」

菖「だね」

幸「なんだか緊張する……」

菖「リラックスリラックス」

私まで緊張してきた。唯、ムギ、律、梓の四人も息を呑んで静かに見守っている。
三人が所定の位置についた。
ベースは幸さん! 同じ楽器の人にはどうしても親近感が湧く。
すると唯が晶さんを、正確にはギターを指差した。

唯「あーっ! わたしのギー太と色違いだ!」

晶「……なにその名前?」

唯「わたしのギターの名前! かわいいでしょ?」

晶「なんか弱そうな名前だな……。私のは『ロザリー』っていうんだ!」

名前付けてたのか、と心の中でツッコミ。

菖「じゃあいくよ。ワン、ツー、スリー、フォー!」

演奏が始まった。
私はベースを始めて一年も経っていない。音楽も、好きな歌手は何人かはいるけど、音楽好きを自称するほどまでは聴いていなかった。音楽素人同然の私がここに来て迷惑にならないかが心配だった。
けど、この三人の演奏に私は聴き入っていた。これがプロを目指すバンドの演奏なのか、と思った。
梓を横目で見ると、呆然としていた。頬が少し紅いように思える。じっと、瞬きを忘れたかのように見つめていた。
時間は流れるように過ぎていった。


ジャーン!

菖「……どうだった?」


唯紬「すごーい!」

梓「すごかったです! 三人の息がぴったりと合っていて完璧でした!」

律「やっぱ目指すものが違うと全然違うな……」

そう。
私たちはしょせん、休日や仕事のない日に集まるバンドだ。プロを志すこの三人にはまったく及ばない。そもそも比べる事がおかしい。

幸「よかった」

菖「本当にね」

晶「終盤に私が少しもたついたから、もっと練習しなきゃな」

幸「あ、私も」

自分にも厳しい。演奏以外にも見習うべき点はありそうだ。

紬「あのー、訊きたいことがあるんだけどいいかな?」

菖「どうしたの?」

紬「三人のバンド名は何ていうの?」

律「言われてみれば、まだきいてなかったな」

菖「まだ言ってなかったっけ?」

幸「自己紹介もまだだね」

幸さんがそう言うと、菖さんは照れ臭そうに頭をかいた。

菖「いや〜ごめん! 自己紹介もまだだったね。私たちのバンド名は『恩那組』っていうんだ!」

ん?

梓「えっ?」

唯「『オンナグミ』……?」

菖「うん。恩恵の“恩”に、那覇の“那”」

紬「すごい名前ね……」

律「なぜか体がくすぐったい……」


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最終更新:2014年03月13日 07:59