1、


 ここ桜が丘に、近所ではそれなりに名の知れた女子校がある。
 その名を私立桜が丘女子高等学校。
 桜高としばしば略されるその学校には、今日も多くの生徒が通い、
 勉学に励み、また部活に勤しんでいた。中野梓もその一人である。

 今年入学したばかりの梓は軽音楽部という部活の扉を開け、
 そこにいた四人の少女の輪へと自然に入っていった。
 実にアットホームな環境である軽音部に彼女が馴染めたのは、
 本人こそ意識していないが、順応性の高さに所以しているといっても相違ないだろう。
 また言い方を変えれば、染まりやすい、ということなのかもしれない。

 ところで、この軽音部には秘密がある。

 彼女たちは放課後になると楽器の演奏を放り投げ、お茶を嗜む。
 そのため既に、彼女たちは軽音部ではなく、お茶部である。

 などという秘密ではない。もっと重大なものだ。

 さらに言えばこの秘密は、新参者の梓も知らされていないことなのだ。
 それもそうであろう。いくら順応していようとも、秘密は軽く共有されるものではない。
 しかし梓は意識せず、その核心に触れることになってしまう。


 「そういえば、ムギ先輩のお家はどんなことをしているんですか?」


 彼女の素朴で当然の疑問が、柔らかな空気を硬直させてしまう。
 突然のことであったが、梓はその空気を敏感に感じ取った。しかし肝心な対処法が思いつかない。
 他の先輩たちを見回し、助けを求めてみる。
 ところが硬直したのは空気だけではなく、また質問された紬だけでもなく、
 四人ともが全く同様の状態であったのだ。

 梓は疑問に思う。これは一体、どうしたことなのか。
 ムギ先輩の家のことを、三人の先輩は知っている。
 だというのに、私にそれを教えることは出来ないようだ。

 そこで梓は朝に見た、家のカレンダーを思い出す。今月は六月。
 秘密を共有するには、少し短すぎる期間じゃないだろうか。
 この硬直した空気の中で梓はそう判断した。


 「あ、あの、無理に聞こうとか、そういうんじゃないんで。
  もし話しにくかったら、話さなくても結構ですから……」


 紬の顔色を窺いながら、梓はしどろもどろに言う。
 ところがその硬くなった表情に、いつもの柔らかな笑顔が戻ることはなかった。

 この空気を変えたのは、不意の来訪者であった。


 「ちょっといいかしら」


 真鍋和。生徒会役員の一人で、やや鈍感なところはあるが、機転のきく性格。
 通常、緊迫状態における外部からの来訪者は歓迎されるものでない。
 ところが今回に限っては、彼女の微妙な空気の読めなさが功を奏した。


 「あら、またお茶してるの?」


 開けっ放しの扉から吹き込む空気と混じり合い、
 部屋を支配していた重みが流れ出していく。
 初めに笑顔を取り戻したのは彼女の幼馴染、唯であった。


 「いつも通りの活動中だよー」

 「そうね。書類の提出忘れについても、いつも通りなんだけど。ねえ、律?」


 和が睨んだ先には、視線を逸らす律がいた。
 律の頭上から鉄槌と怒号が落ちるのは、当然時間の問題であった。


 「お前はいつもいつも……!」


 澪はまるで和の代弁者のごとく、律を叱り付ける。
 すっかり萎れてしまった律を、今度は和が生徒会まで引っ張っていく。
 こんなの自業自得だ。律は姿を消す直前、そう叫んでいた。もっともである。


 「あれ、なんて言いたかったんですかね」

 「わからないけど、絶対言いたいことと違うことを言ってたよな」


 いつもの光景の中、梓は自然と澪に問い掛けていた。
 澪も自然と返答している。どうやら杞憂だったようだ。
 そう安心したのも束の間、一人いつもの空気に馴染めていない者の方を、梓はちらりと見やる。
 紬の表情から硬さは抜けていたが、今度はなにかを考え込んでいる様子であった。


   2、


 ここは琴吹家邸。いわば紬の家であった。
 その庭の一角に備え付けられた白色の椅子に、四人は腰掛けていた。
 四人が取り囲む丸テーブルの上には、いつものティーセットが置かれている。
 神妙そうな表情で紅茶を一口啜った澪は、沈黙を破るように口を開く。


 「やっぱり梓を軽音部に勧誘したのは、リスクが高すぎたんだと思う」


 それはまるで誰かを咎めるかのような語調であった。
 咄嗟に反応したのは、唯と律であった。


 「澪ちゃんだって、最終的に賛成したじゃん」

 「そうだぞ。新規の人員が確保できるかもって」


 澪はその意見をさらりと受け流した。ここで喧嘩することに、意味を見出していない。
 無駄であることを次に受け入れた唯は、溜め息を一つ吐く。


 「ムギちゃん、どうする? あずにゃんは本当に協力してくれると思う?」


 一応断っておくと、軽音部の部長は律である。
 しかし当の律は、最後の意志決定権を紬が持っているかのような発言に対し、なにも異議を唱えない。
 これはつまり、ここにいる四人が“表の軽音部”ではないことを意味している。
 紬はすっと立ち上がり、空を見据えた。
 彼女の目にはどこまでも広がる青い空と、そこを無限に翔ける雲が映っていた。


 「もう実行に移すしか、ないと思う」


 そこにいる誰もが彼女の発言に度肝を抜かれた。
 目は飛び出そうなほど見開かれ、彼女に向けられる。
 三人の視線が集まっていることを感じつつ、彼女は続ける。


 「そうでしょ。もう一年間も準備はしてきた。だったら一つの不安要素でくよくよして、
  一年の準備を無駄にするより、もう実行して、全てを巻き込んだ方がいいと思わない?」


 三人にとって、初めそれは意外性を伴った発言に思えていたが、
 話を聞くにつれて現実性を帯びたものに思えてきていた。
 そう感じるや否や、彼女たちは心でも通じ合ったかのように、ほぼ同時に立ち上がった。
 次に各々が特徴的、またどこか煽情的なポーズになる。そして口を揃えて、こう言い放った。




  3、


 帰り道、梓は親友の憂と純と並んで歩いていた。
 二人の親友のうち憂は、唯の妹。梓は憂に、先輩たちの隠し事について尋ねた。
 軽音部の秘密についてなにか知っているのではないかと、
 淡い期待を寄せてしまうのも無理は無い。
 しかし憂が首を振ったことで、淡い期待は呆気なく泡沫へと消え、
 そのまま諦めと入れ換えられてしまう。


 「そういえばお姉ちゃんって、ムギさんのお家の話をしたことないんだよねえ。
  行ったことは何度もあるみたいなんだけど」

 「えっ、そうなの?」

 「おやおや、梓だけハブられてるのかなー?」


 純が、その髪に似てお調子者らしく、梓をからかう。
 しかし梓は、同じ部活の後輩だから全てを教えてもらえるというのも、
 少し違うのではないかという気もしていた。

 私はまだ入って二ヶ月ほどしか経っていない。これが半年なら変わっていたかもしれない。
 そうだ、私には時間が決定的に足りないのだ。こればかりは努力で埋められない。
 いかに軽音部の色に染まった私でさえ、時間の壁を越えることはできない。きっとそうだ。
 特に明確な答えを出さない考えが、梓の頭をぐるぐる回る。

 ところで、純のからかいは完全にスルーされていた。


 「大丈夫だよ、梓ちゃん。お姉ちゃんも隠し事は上手いほうじゃないから。
  きっと時間が経てば、わかってくることもあるよ」

 「うんうん。私を見習って、どっしり構えてるといいよ」


 憂の言葉に励まされた梓は、一度考えることをやめた。
 あっちへこっちへ傾いていた心は、真っ直ぐに立て直される。
 純の発言は真っ先に無視されている。


 「そうだね、時間、時間だよ。ありがと、憂」

 「どういたしまして」

 「あれれ、私にお礼の言葉はないの?」


 特になかったという。


   4、


 六月が終わりを迎えようとした日の、お昼休み。
 突然それは学校中に響き渡り、ある者は心酔し、またある者は耳を疑った。
 梓は後者の人間であったが、それも人一倍のことであったことは容易に想像できる。
 教室のスピーカーから流れる音声は、紛れも無く、軽音部の先輩のものだった。


 『えーえー、マイクのテスト中。オッケーかな、唯ちゃん?』

 『オッケーだよ、ムギちゃん!』


 あの人たちはなにをしているんだ。不安と呆れと、少しの恥じらいが梓を襲う。


 『……私はムギエイラ! 学園征服組織ツムギュダーの総帥である!』


 恥じらいが数倍に膨れ上がる。
 やけに楽しげな声が、それをより一層強めていた。
 教室の隅で、純は笑いを必死に堪えていた。


 『我らツムギュダーの光に従いなさい! 従う者には、永遠の救いが約束されるのよ!
  でも、従わない者には罰を与えるわ!』


 その、悪の組織のボスになりきれていない紬の声が、
 今の梓にとっては最大の凶器となっていた。
 それが耳に入るたび、恥ずかしさで身悶えてしまう。
 しかし幸いにも、この声が軽音部員のものであると気付いている人はいないようだった。
 なお純にとっては、笑いの意味で最大の凶器であった。
 勿論声の主が誰であるかなど知らないのだが、そんなことは純にとってどうでもよかった。

 止めるなら、早いほうがいい。

 梓はそう心の中で数回呟いてから、教室を飛び出した。
 一年二組の教室から放送室は近い。職員室、生徒会室の次が放送室である。
 しかしそう、勢いよく走らなくても良かったのだ。

 ちょうど生徒会室前を通り過ぎようとした瞬間、そこから人影が現れる。
 視界にそれが飛び込む。頭では反応こそしたものの、身体が間に合わなかった。
 勢いよく衝突したお互いの身体は、宙を舞う。

 身体が廊下に叩き付けられる。咄嗟に目を瞑った梓は、
 その倒れたままの体制で、思考を巡らせていた。
 まず目覚めたら、相手に謝ろう。その後に放送室に突入しよう。
 相変わらず耳に入り込んでくる悶絶ものの放送を遮りつつ、
 考えを一段落つけた梓は、ゆっくりと目を開けていった。

 仮面舞踏会でつけるような、白いマスクで目元を隠した女性が、
 こちらを見下ろしているのが見えた。白いマントに、白い衣装。一応の統一感はあった。
 ところで正確には、この者が女性であるかどうか現時点ではわからないのだが、
 この時の梓にとって男女の差など、大した問題ではなかった。
 目の前のその存在自体が問題だったのだ。当たり前である。


 「大丈夫ですか? 私はホワイトウイン。正義の味方です」


 ひどい頭痛に襲われる。放送とマスク女子によって、聴覚と視覚を支配されていた梓は、
 追い討ちをかけられた感覚に陥っていた。ぐにゃりと世界が歪んでいくようだ。
 だが、そうなるのも尤もである。恐る恐る梓は目の前の白マスクに尋ねる。


 「ねえ、なにしてるの憂」


 発せられた声は紛れもなく、親友のものだったのだ。
 こればかりは疑いようもない。間違えようもない。
 よくよく見れば、髪は黄色いリボンで後ろにまとめられているではないか。


 「私はホワイトウイン。その正体を明かすことは出来ません」


 梓は諦めた。現時点で正常なのは、客観的に見れば梓の方であった。
 一方ホワイトウインは、生徒会室の方へ振り向いている。
 もしかしてと悪い予感が頭の中で浮かぶと、案の定同じような者がもう一人出てきてしまった。
 今度も見覚えのある、ショートカットの女性である。


 「どうしたのホワイトウイン」

 「実は梓ちゃんとぶつかっちゃって……」

 「梓ちゃんも急いでいたのね。悪の組織から、ここを守るために」


 声は、あの赤縁メガネの生徒会役員のものだった。
 唖然とし続けている梓に気付いたもう一人の正義の味方は、
 まだ廊下に座り込んだままのこちらに手を差し延べる。


 「ごめんなさい。私はホワイトノードカット」


 やや発音しづらい名前である。
 キットカットの方が発音のしやすさで優れていると梓は思った。
 とりあえず、正義の味方らしい人の手を借りて立ち上がる。
 ありがとうございますと短く礼を言うと、ノードカットは微笑みを浮かべた。
 ああ、外見はこれでも中身はまともだ。梓は少しだけ安堵し、ため息を吐いた。


 しかしそれも束の間のことだった。白い二人組の背後から、声が聞こえる。
 それはスピーカーを通して聞こえてきたものと、同じ声だった。


 「来たわね、ホワイトガールズ!」


 ホワイトガールズと呼ばれた二人が身を翻す。
 梓も背伸びし、その向こうにいる者の姿を確認しようとした。
 再び梓は愕然としてしまう。

 人数は四人。全員それぞれ奇怪な格好をしているが、顔を隠していることは共通している。
 三人が仮装用の黒いアイマスクで目元を隠し、一人はガスマスクで顔全体を覆っていた。
 服装は制服ではない。それぞれコートやマントやパーカー、全身タイツなどの違いはあるが、
 総じて黒で統一されているようだった。

 ああ、先輩たち。全員お揃いでしたか。

 消え入るような声で発せられた言葉は、当然誰にも届かない。
 届いたところで意に介さないのはわかっていたから、それ以上声を出そうともしない。
 金髪の女性がリーダーのようだということは、なんとなく立ち位置から推測できた。
 これもムギ先輩のお遊びの一つなんだろうか。

 金髪の女性は言葉を続ける。


 「我らツムギュダーの光を、妨げようというのね?」

 「はい、そのつもりです!」

 「下がっていてください、ムギエイラ様。ここは私、ミオーミャが相手をします」


 そういって出てきたのは、黒髪の美しい女性であった。
 梓の中で何かが音を立てて崩れた。なにせこの先輩、ノリノリなのである。


 「気をつけて、ウイン中尉。彼女の戦闘能力は確かなものよ」


 ノードカットがそう警告する。しかしウインは怯む様子を見せない。
 そう、彼女たちもノリノリなのである。


 「待って、ミオーニャ。ここで戦う必要はないわ」

 「しかしこの二人は、早く始末しておいた方が……」

 「私は無駄な戦いなんて嫌いよ。彼女たちも説得すればいい」

 「……ムギエイラ様がそうおっしゃるのなら」


 下がったミオーニャの代わりに、今度はムギエイラが一歩踏み出す。
 さっきは少しも怯みを見せなかったウインも、敵の主将相手には気圧されていた。
 彼女の力はそれほど強大なものであったのだ。


 「ホワイトウイン。ノードカット。あなたたちが誰なのか、私にはわからない」


 梓には一目瞭然であった。


 「私もそれは同じよ、ムギエイラ」


 同上。


 「そう、私には、あなたが善人か悪人かわからないの。
  だから最後にチャンスをあげる。ツムギュダーと共に、学校を征服したくない?」

 「お断りね」

 「残念。それなら、あれを起動しちゃって、リーツ教授」

 「合点だ!」


 リーツ教授と呼ばれたカチューシャの少女は、
 懐に隠してあったリモコンを取り出し、ボタンを押す。
 次の瞬間、あらゆる教室、また廊下の至る所の天井に大穴が空いた。
 そこから白い煙が学校中に流れ込んでいく。白煙は学校中を掌握すると、すぐに色を失った。

 なにも起こらないじゃないか。

 そう思った次の瞬間、梓は辺りに甘い香りが漂っていることに気が付く。
 甘い香りは一瞬で学校中を包み込んでいた。
 この、人の心身に癒しを与える上品な香りは、まるで紅茶のものだった。


 「なにをしたの、ツムギュダー!」

 「これは紅茶式人間洗脳煙幕……。
  わかりやすく言えば、紅茶のような甘い香りで、人の心を掴んでしまうのだ!」

 「くっ、なんて卑劣な……!」


 張り詰める空気と心落ち着く香りの中、梓はふと疑問に思っていた。
 私はなんともないのだけれど。これ失敗してないか、と。
 だが先程まで騒がしかった教室が、異様なほど静かになっていることに、
 梓は少し違和感を抱いていた。答えはすぐに示される。


 「結果報告!」

 「やっぱり全員に聞くもんじゃないですけど、
  学校内にいる八割の人間に洗脳効果を確認しましたっ!」

 「ご苦労さま。一年を要した甲斐があったわね」


 自分は二割の人間だったようだ。
 とはいえ八割の人間が洗脳されたのだとすれば、充分征服成功といえるのではないか。
 だがツムギュダーの主将ムギエイラは、それを良しとしなかった。
 それを察したリーツ教授は次なる仕掛けを起動していた。
 先程まで恥ずかしい放送を発していたスピーカーから、今度は違う音が鳴り出す。


 「な、なにこの音は……!」


 それは非常に甘ったるく、聞いているだけで痒みが止まらないポエムだった。


 「ふふ、味方ながら強烈だなあ、ミオーニャのポエムは」


 梓も今回は他人との差もなく、同じく音が聞こえていたのだが、
 この甘さに対しては耐性があったので多くの影響を受けずに済んでいた。
 一方でミオーニャは今すぐ逃げ出したい気持ちに駆られていた。


 「でもこの音がなんだっていうんですか。
  私たちより、そちらの味方の方がダメージ大きいと思いますけど」

 「わかってないなあ。このポエムはただ甘ったるいだけじゃない。
  それこそ信じるやつらにとっちゃ、強烈な催眠でもあるんだぜ?」

 「どういうことですか……?」


 ウインは辺りに注意を払った。ふと、後方から聞こえる轟音に気付く。
 猛獣に追われているバッファローの群れの如く、それは力強い。
 さらにその音はこちらに近づいている。場の緊張感が増していった。
 ノードカットは冷静に、その音源を突き止めていた。

 人だ。人の群れであった。

 それも一般の生徒なのであるが、
 ノードカットはその先頭に立っている人間を見て、愕然としていた。
 一年生から三年生までの幅広い世代の生徒をで率いているのは他でもない、
 あの曽我部恵。この学校の生徒会長なのである。


 「何故先輩が……。いや、考えるのは後。ここは一旦退くべきね。ウイン!」

 「わかりました。さあ、梓ちゃんも一緒に」


 呆気にとられていた梓は了解も得られず、ウインに手を取られる。
 あ、私、この人たちに連れさらわれてるんだ。
 そう気付いたのは、湿った外気が肌の上を滑り出した頃のことであった。


   5、


 梓が連れてこられたのは、真鍋和の自宅だった。
 まさかこの白い格好のまま二人は家に入るのかと思っていたが、
 ノードカットはそのまま正面から入ろうとせず、裏手へと向かう。
 庭に生い茂る雑草を掻き分け、隠されていた取っ手を引くと、地下に続く階段が姿を現した。
 不覚ながら、まるで秘密基地のようだと、梓は心が躍っていた。

 階段を下りた先は薄暗く、明かりが足りていないようだった。
 梓の目が暗さに慣れると、部屋の全貌が見えてくる。
 畳と真ん中に置かれたちゃぶ台と、そこに置かれた急須と湯呑み。
 その空間は近未来的な秘密基地とは程遠く、梓は少し落胆していた。


 「普段飲んでる紅茶と比べると、物足りないかもしれないけど」


 肩を落とす梓を気にせず、ノードカットは湯呑みにお茶を注いでいった。
 衣装は相変わらず脱がない。まずは気持ちを落ち着かせようと、梓はお茶を口に含む。
 紅茶とは違い、緑茶特有の苦みが舌にへばりつく。
 苦々しい顔のまま、梓は二人に問いただした。


 「一体なにが起きたのか、説明してください」

 「そうよね、いきなりのことだものね。ちゃんと説明するわ」

 「その格好のままで、ですか?」

 「私たちは正体を明かしてはいけないの」


 ここが和の家であることを、梓は今にも言い出したくなった。
 だがそれを言って何になる。事態は何一つ好転しない。
 次の瞬間、梓はそれを諦めていた。


 「じゃあ、そのままでいいです」

 「そう。助かるわ」

 「どれから話せばいいかな?」


 ウインの問いかけに、梓は戸惑った。
 どれから聞けばいいのかすら、梓には決められないでいた。


 「……じゃあ、あの四人について話すね」


 梓を見かねたウインが自分から話を切り出す。


 「あの四人は学園征服組織ツムギュダー……。
  世界征服組織として有名な“琴吹グループ”と関係の深い組織だよ」


 今、梓には重要な情報がさらっと流れていた気がしてならなかった。
 さすがにこれは聞き逃せないと思い、その琴吹グループについて尋ねる。
 しかしウインの答えは非常に簡素なものだった。

 つまり琴吹グループは、表向きには多種の事業を展開する企業グループだが、
 裏では世界征服を企んでいる組織なのだそうだ。
 ツムギュダーはそれの兄弟的組織で、どういう繋がりなのかは一切不明。

 しかしツムギュダーの所在を、桜が丘高校まで絞った“正義の組織”が、
 この二人に正義の役目を与えたのだという。
 あの白い衣装は一見ふざけているように見えるが、
 着ている者の運動性を向上させる、れっきとした戦闘服である。
 二人に役目を与えた組織が支給したのだ。

 ここまで話を聞いて、内容こそ飲み込んだものの、未だ信じ切れていない梓であった。
 しかしあの学校での出来事は、決して“おふざけ”ではなかった。
 さらに思い出してみると、逃げる際にちらりと見えた教室の中はどこも異様で、
 それこそ“征服”されたようにも見えてしまっていた。
 信じる道以外になにがあるのか。梓は悩みながらも決心した。


 「大体話はわかりました……。二人の話は信じます」

 「そう。それなら、次の話に進めるわね」


 「次の話……?」

 「これを見て貰えるかしら」


 梓が渡されたのははがきサイズの厚紙であった。
 片面に文字が書かれており、そこにははっきりと、

 【私のお家に来てみない? by ムギエイラ】

 と、書かれていた。
 何故か筆で書かれており、やけに達筆だった。


 「これは私たちが逃げる際、投げ渡されたものよ」

 「挑発されてるんですか?」

 「そうね。挑発とも取れるし、話し合いに誘われてるのかもしれない」

 「でもツムギュダーに話し合いは通じないって、もうわかりましたから……」


 ウインがため息を吐くとともに俯く。和は同情するように首を振った。


 「私もそう思うわ。だからこれは、決着をつけようという意味合いなんでしょう。
  話し合いが無理なのだから、当然力の差で、ね」

 「だったら白い衣装でパワーアップしてる分、こっちが有利なんじゃ?」

 「あなたも見たでしょう。ツムギュダーの科学力を。
  あの黒い衣服にも、それなりの科学力が集結していると見ていいわ」


 梓は学校の征服に使われた煙とポエムを思い出し、
 次にあの黒い衣服を思い浮かべた。


 「まあ、モノは見た目に寄りませんからねえ……」

 「ねえノードカット。そういえば私たち、ムギエイラの家を知らないよね?」


 梓は言葉に詰まった。


 「そうね」


 同上。


 「あ、あの。本気で言っているんですか」


 恐る恐る梓は二人に尋ねた。二人の鋭く刺すような眼光が、マスク越しにでも伝わってくる。
 いかにも私たちは本気だと言っているようだ。空気がぴんと張り詰める。
 嫌な予感はしていたが、やはりこうなってしまったと、梓は後悔していた。


 「だって琴吹グループですよ? ツムギュダーですよ? ムギエイラですよ?
  もうそれって、ムギ先輩しかいないんじゃ……」


 梓の至極当然の答えに、二人は首を振った。


 「それはないよ、梓ちゃん」

 「どうして」

 「あの温厚な紬さんが、そんなことするわけないもん」


 ここに来て持ちだされたのは、感情論であった。
 それもそうなのだけど、どう見てもあの緩やかで美しい金色に染まった髪はムギ先輩だった。
 そう反論すると、今度はノードカットが言葉を挟む。


 「ムギエイラの正体は、まあいいわ。でも琴吹グループに直接乗り込むっていうのは、良い案ね。
  流石は三人目の正義の味方ってところかしら」


 ノードカットは感心した様子でそう言っていた。
 ウインにも異論はないようだった。唯一、梓だけが疑問を呈する。


 「三人目の味方って、どういう意味で言ってるんですか?」


 この流れは非常にまずい。梓の経験がそう語っていた。
 なんとしても流れをこちらに引き寄せようと、言葉を紡いでいく。
 ところがノードカットは常に冷静で、また微妙に空気が読めない。
 梓のなんとなく断りたいという空気も、読めないのは当然である。


 「梓ちゃん、あなたがこれを着るのよ」


 そう言って奥の箪笥から持ち出してきたのは、
 二人が来ているものと同じような衣装だった。
 案の定ではあったものの、梓は絶句せずにはいられなかった。

 確か、これを来てる人は正体を明かしちゃいけないんじゃ。
 でも私思い切り正体明かしているんですけど、そこら辺大丈夫なんですか。
 限りない数の疑問が梓にのしかかる。
 しかし既に正体がバレバレの二人のことを考えると、それもどうでもいいことのような気がしていた。



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最終更新:2014年04月07日 21:57