紬(あれ、あそこにいるのは…?)


大学が春休み中のある日のこと。
帰郷していた紬が街をブラついていると、見覚えのある二人の後姿を見かけた。


紬「唯ちゃん、澪ちゃん?」

唯「え? あ、ムギちゃんだ! やっほーい!」


唯が振り返り、紬の姿を確認し、挨拶もほどほどに飛びつく。この間約3秒。早業である。


澪「おはよう、ムギ。珍しいな、長期休暇にこっちで会うなんて」

紬「おはよう、唯ちゃん澪ちゃん。せっかくこっちに帰ってきたんだから足を運んでおきたくて」

澪「ああ、確かに、久しぶりな感じするよな」

紬「うん。それとちょっとした買出しね。二人は何をしてたの?」

唯「へっへーん、これですよ、これ!」


紬の身体から離れると同時に唯が掲げたのはデジタルカメラ。大学生になってからバイト代を貯めて買った例のアレだ。
その隣では澪も高校時代からの愛用のデジカメを手にしている。


唯「澪ちゃんに教えてもらいながらいろいろ写真に撮っておこうって思ってね」

澪「まあ、そんなに教えられるほどのことはないんだけど」

唯「またまた〜謙遜しちゃってもーこの子ったらー」ツンツン

澪「ひゃっ!? つつくな!」ビクン

紬「確かに、私達の中で一番デジカメ使いこなしてるの澪ちゃんだもんね〜」ツンツン

澪「ムギまでぇぇえ!?」ビクビクン

紬「ねえねえ、見せてもらってもいい?」

唯「うん、いいよー。まだあんまり撮ってないけど。ほい」

紬「ありがと。ええっと……」

澪「………そこのボタン押して一覧表示、これで選択して拡大、そしてこっちで次の写真に」


二人の切り替えの早さに振り回されつつも振り切られずついていくあたり、澪も慣れたものである。


紬「ありがとうございます、先生!」

澪「先生って」

唯「デジカメ師匠!」

澪「師匠って」


ピッピッ

紬「一枚目は……唯ちゃんの家?」


デジカメの画面には、陽も登る前の薄暗い明かりの中に建つ平沢家が写っていた。
薄暗いとはいえ見難いわけではなく、早朝だと一目でわかる風情のあるものである。


唯「へっへーん、上手く撮れてるでしょ?」

紬「うん、すごいわ!」

澪「それ、テイク10くらいだけどな」

紬「あら……」

唯「師匠の力です!」ペコリ

澪「……でも、唯のセンス、私は好きだよ」

唯「し、師匠ッ!!!」ヒシッ

紬「美しき師弟愛!」

澪「そ、そんなんじゃない!」


実際のところ、他にもカメラを持っている友人はいるにも関わらず唯が澪を選んだのは前述の理由以外にも似通ったセンスをしていることを直感で感じ取っているからかもしれない。
澪もまた、そんな唯に自分の知識を貸すことを厭わない。そうすればもっと素晴らしいものを唯は自分に見せてくれる。それを同じように直感で感じ取っているから、かもしれない。


ピッ

紬「二枚目は……うーん?」


そこには山の端から顔を覗かせる美しい朝日が写っていた。
これまた朝の空気の湿り気まで伝わって来そうな、山の木々に滴る朝露まで見えるのではないかと錯覚しそうなセンスあふれるものではあるが、あまりにも場所を特定できる要素が無い。


唯「さぁ、どこだかわかるかなー?」

紬「あっ! これ、二年の時に初日の出を見に行った場所!」

唯「おおっ、よくわかったねぇムギちゃん」

澪「さすがムギ」

紬「唯ちゃんが穴場って言うだけあってすっごく綺麗だったから。忘れたくても忘れられない思い出とでも言うのかな」

唯「でへへ。でしょでしょ?」

紬「それにしても、ずいぶん朝早くから写真撮ってるんだね? 唯ちゃん起きれたの?」

唯「もー、ムギちゃん、私だってもう大学生なんだよ?」

紬「…でも大学寮でもいっつも晶ちゃんに起こしてもらってるじゃない」

唯「ばりたか」

澪「……私が起こしたんだよ」

紬「やっぱり。じゃあ澪ちゃんはだいぶ早起きだったのね、お疲れ様」

澪「あ、うーんと……」

唯「私の部屋に泊まったからそんなに私と変わらないよ?」

澪「あっ」

紬「あらー……あららー……」

澪「さ、先に言っとくけど何もヘンなことは無いからな!? 唯がどうしてもって言うから!」

紬「うん。うんうん。大丈夫、わかってるから」

澪「その笑顔は絶対わかってないだろ!?」

紬「本当に何もなかったの?」

澪「なかったよ!」

紬「…そう」


紬は一切余計なことは言わず、視線を手元のデジカメに戻した。
字面だけ見るとそっけなく映るかもしれないが、少なくとも今のやりとりに彼女は失望の意思は込めなかった。
ムキになって否定する澪に、それを察する余裕があったかは定かではないが。


唯「……?」


会話に一切ついていけていない者も約一名いたが。


ピッ

紬「三枚目は…憂ちゃん?」

唯「朝ご飯の時のだねー」

紬「あ、ホントだ。次のには朝ご飯が写ってる」ピッ

澪「食べものブログに乗せる写真みたいだな」

唯「桜が丘…の私の家ではこんな素敵なご飯が出ますよー、って伝わるじゃん!」

紬「次は……あっ、ここの風景だ」ピッ


写真はそれ以上は撮られていない。


澪「早起きが響いたのか、唯がさっきまで寝ちゃってて。朝ご飯のすぐ後に」

唯「澪ちゃんも寝てたじゃん」

澪「唯が起きてないと意味ないんだから仕方ないだろ……」


桜が丘、とわざわざ口にした唯と、唯が撮らないと意味が無いとでも言いたげな澪の言葉。
それを取っ掛かりに、紬はそもそもの疑問をぶつける。


紬「そういえば、そもそもなんで写真を撮っておこうって思ったの?」


故郷を大事にする気持ちや懐かしむ気持ち、そして遠ざかっている時に無性に見たくなるあの寂しさのような気持ちを紬が理解できていないわけではない。
ただ、唯の行動はいつも突飛に見えて大なり小なり必ず何かしらの契機がある、それをよく知っているだけのこと。


唯「うんとね、休みのうちに晶ちゃん達を呼ぼうと思ったんだよね、桜が丘に。さすがに急すぎて断られちゃったけど、でも考えとくって言ってくれたから」

紬「うんうん」

唯「だから、丁度デジカメ買ったし桜が丘がどんな感じか伝わるように写真撮っておこうかなぁって。興味持ってくれるように」

紬「いいわね! 素敵だと思う!」

唯「あとはまあ、自分用なのもあるけどね。例えば憂のご飯が恋しい時にご飯の写真を見れば……」

澪「余計恋しくなるだろ」

唯「そうかもね……」

紬「ま、まぁまぁ。でもそういうのホントに素敵だと思うから!」

唯「写真っていいよねぇ」

紬「うん!」

唯「私も、デジカメ買ったの澪ちゃんの影響だしね。澪ちゃんの写真趣味、いいなぁって思ってたんだ、ずっと」

澪「そ、そう……」


気の利いた言葉を脳から引っ張り出す前に、頬が熱くなるのを自覚して顔を逸らしてしまう。
そんな澪を、唯は出会った時から変わらず可愛いと思っている。もちろん紬も、この場にいない幼馴染の律も。


紬「それじゃあ、これからも撮って回るの?」

唯「うん! とりあえず澪ちゃんの家とかりっちゃんの家とか、思い出の場所とか、景色が綺麗なところとか」

澪「あ、律の一家は今日いないから勝手に撮らない方がいいかも」

唯「え、そうなの?」

澪「うん。この時期はいつもいないんだ」

唯「そうなんだ〜。詳しいですねぇ幼馴染さん?」

澪「な、なんだよその言い方……」

紬「ねえねえ、私も一緒に行っていい?」

澪「え? でもムギ、買出しとか言ってなかった?」

紬「Just a moment please」

唯「へ?」

紬「ちょっと電話して断るね!」サッ

唯「う、うん」

澪「……なんか、似たようなやり取りを律から聞かされたことがあるような」


その後、背中を向けた紬女史が電話を終えるまで5秒。


紬「行きましょう!!!」

唯「お、お〜!」

澪(いいのかな……)


3人パーティーがまず足を運んだのは、やはり全ての始まりの場所だった。
もっとも、そこに辿りつくまでにも唯が目を奪われた景色や可愛い動物達などに何度かシャッターが切られているのはご愛嬌。


唯「やっぱりここは外せないよねー」パシャッ

澪「そうだなぁ。ずいぶんと密度の濃い3年間だった気がするよ」

紬「2人とも〜」タッタッ

澪「ん?」

紬「今日は校内の撮影はダメな日だって」

唯「え〜、残念……」

澪「まあ、最近はいろいろ厳しいらしいし仕方ないよ。「今日は」ってことはタイミングが悪かっただけかもしれないけど」

唯「ぶーぶー」

澪「……また今度一緒に来てあげるから」

唯「……それならいっか」

紬「私は?」

澪「も、もちろんムギも都合が合えば!」

唯「当たり前だよムギちゃん!」

紬「うふふ、次に行こっか」


校舎の写真を一枚だけ撮り、一向は次の場所へと向かう。


唯「あ、ムギちゃんがバイトしてたハンバーガー屋さんだ」パシャリ

澪「これはそういう説明をつけないと写真だけじゃわかりづらいな……」

唯「いっそここの制服のムギちゃんを撮ったほうがいいかもね」

紬「ごめんなさい、あの制服レンタル制で……」

唯「そっか……」シュン

澪「……いや、しんみりしてるけどそもそも本来は桜が丘の景色を撮るのが目的だからな?」


ここでも遠目に外観の写真を一枚撮り、次へ。


唯「楽器屋さんに到着!」

澪「ここは撮影どうなんだろう? 撮れれば晶達に効果的だろうけど」

紬「聞いてくるね!」ダッ

澪「あっ、待って、ムギが行ったら……」

唯「行っちゃったね」

澪「……ムギが行ったら断ろうにも断れないじゃん、店員さんも……」

唯「まあ、私達も顔覚えられてるかもしれないから誰が行っても一緒かもよ?」

澪「そうかな……」


実際のところ、唯は悪い意味寄りで顔を覚えられているのだが、知らぬが仏である。


紬「澪ちゃん、オッケーだって!」

澪(……店員さん、すみません)


楽器店の写真を(店員に気を配りながら)沢山撮った後、そのまま流れで商店街の写真も撮って回る。


澪「ここの商店街はまだまだ活気があるな」

唯「写真からでも伝わりそうで助かるよ〜」パシャ

紬「近くに大型ショッピングモールが出来て寂れる、っていうのもよく聞く話だからね。そうならないように頑張らないと」

澪「……ムギが頑張るのか?」

唯「あっちこっちに手回しして桜が丘にジャ○コが進出できないように!?」

紬「……なんちゃって」

澪(……冗談か本気かわからないんだよな、ムギの言う事は……)


それからも3人はいろいろなところを撮影して回った——


唯「これがこのお店のオススメメニューです!」パシャ

澪「本当にブログに載せる用の写真みたいだな」

紬「そういうのに理解あるお店でよかったわね」

唯「だねぇ〜」

澪「まあ、こういうのはシンプルにアピールに繋がるからじゃないかな。晶達だって「うまそう」くらいは言ってくれるだろうし」

唯「ところでそろそろ食べていいよね!?」

澪「いや、撮ったなら早く食べろよ……」

唯「やった! いっただっきまーす!」

澪(あ……)

唯「んー! おいちー!」

紬(あっ……)

唯「…ん? 2人ともどうしたの?」

澪「ああ、いや……」

紬「なんでもないのよ、なんでも……」

唯「……?」

澪(言っていいのかな、食べ物の写真そのものよりも)

紬(唯ちゃんが食べてる顔のほうが美味しさが伝わって来そう、っていうのは)


——喫茶店やライブハウス、神社などの地図に名前が載りそうな所から——


唯「ここは夕陽が綺麗なんだよねぇ」

澪「じゃあもうちょっと後に来ようか」

唯「だねぇ」

紬「あ、唯ちゃん、あれなんてどうかな!? 駄菓子屋さん!」

唯「もー、ムギちゃんはしゃぎすぎだよー。今行くー!」

澪(……人のこと言えないけどな、唯も)


——演芸大会の行われた場所やその練習をした河川敷、果てはマラソンで走ったコースなどの細かな思い出の地まで色々なところを。
彼女達は時間を忘れて歩き回った。だから、というのも変な話だが、気づいた頃にはもう陽がほとんど沈みかけていた。冬の夜は早い。


唯「こうして振り返ってみるといろいろあるんだねぇ。忘れてるところもまだまだあるんだろうけど」

澪「ま、3年間の思い出を1日で回ろうって言うだけでもよくよく考えれば無茶だよな。それに加えて唯個人の感性に任せていろんな写真も撮ったし」

唯「えへへ、面目ない」

紬「ううん、悪いことじゃないわよ」

澪「うん。そういうつもりで言ったわけじゃないから」

唯「ありがと。でも……」


ちょっとだけ言い淀み、紬のほうを見る唯。


紬「どうしたの?」

唯「できればムギちゃんだけが知ってるところとかも教えて欲しかったなぁって。せっかくたまたま会えたんだから」

澪「あ、それは確かに。こんな機会、滅多になさそうだし」

紬「…今から別荘まで行く?」

唯「そ、それはさすがに……」

澪「時間的にはギリギリいけるかもしれないけど、さすがに暗くなりつつあるからなぁ……写真に撮って映えるかどうか」

紬「……あ、そうだ!」


ひらめいた!といわんばかりに両手を合わせる。
直後、2人と出会ってすぐの時のように振り返ってどこかに電話をかけ、再び5秒後に満面の笑みを見せる。


紬「いい場所があるの!」

唯「え、ホント?」

紬「うん。というわけで2人とも——私のお家に来てみない?」


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最終更新:2014年04月07日 22:24