☆
私は言葉を失った。
ムギはニコニコと笑っているが、決して冗談を言っているようには見えない。
頭いっぱい夢気分、脅威のファンシーポエマー
秋山澪でさえ、この現実を受け入れるのは難しいらしく、呆然としている。
けれどここで私までぼけっとしてるわけにはいかない。
ここがけいおん部設立のための正念場だ。
ちょっと冷静になれ、私。
「なあムギ」
「はい?」
「…本当にムギが女神様だったとして…
クラス名簿に名前があったってことは、この学校の生徒で間違いないってことか?」
「ええ。桜高の生徒でないとけいおん部に入れないのでしょう?
入部できなければ、律さんの願いを叶えることができませんから」
そう言ってムギは生徒手帳を見せてくれた。
なるほど。どうやったのかは知らないが、どうやらウチの生徒であるらしい。
「…便宜上は転校生、ということにしておきました」
「なんでもあり、なんだな」
「まぁ女神ですから〜♪」
「じゃあ、あと1人の部員も女神の力でなんとかしてくれるのか…?」
「もう手は打ってあります。楽しみにしていてください♪」
ホントかよ…この時点では私も澪もそんな力のことなんて、信じていなかった。
けれど、期限最終日の放課後、入部希望者がやってきたのである。
今まで何をしたって1人も集まらなかったのに、ムギが入部した途端あっという間に…これは偶然か、それともやはり女神の力なのか…。
私は少しづつ信じ始めていた。ムギが女神である、という事実を。
☆
せっかく高校生になったんだし、何かクラブに入ってみようかな。
、と思っているうちに今日は4月30日。入部申請書の提出期限日です。
「…で、アンタ。結局どこのクラブにも入らないつもりなの?」
「う〜ん、どこに入ればいいのかわかんなくって…」
「やりたいこととか、興味あることとかなかったの…?」
「…よくわかんない」
「ハァ…ものの見事にニートになっちゃったわね…」
「いいよ〜ニートで〜
だって授業終わったらすぐに帰れるし、おうちでたくさんゴロゴロできるんだよ〜」
私がそう言うと、幼馴染の和ちゃんは呆れたようにため息をつきました。
「ま、それも唯らしくていいかもしれないわね」
そうです。大事なのは自分らしさなのです。
無理して興味のないクラブに入部するくらいなら、どこにも入らない。それも選択です。
そう、私のやりたいことは、家でゴロゴロすることです。
いろいろ考えた結果、自分がやりたいことを見つけられたのだから、私はこれでよかったと思っています。
「ゴロゴロもいいけど、授業はちゃんと聞いてなさいよ」
「わかってるよぉ」
そうこう言ってる間に先生がやってきて、朝のHRのはじまりです。
あと数日すれば大型連休。楽しみだなぁ!HRの先生の言葉も、和ちゃんの注意も、すっかり忘れて上の空でした。
「…そうだ、平沢さん。ちょっといい?」
(ほーげー)
「平沢さん?」
(ほーーげーーー)
「平沢さーん!」
「……はひっ!?」
ボケーッとしてるうちに、HRが終わっていました。
どんな連休を過ごそうか(結局ゴロゴロするんだけど)、ぼんやり妄想していたせいで、先生に声をかけられたことに気づいていませんでした。
「はい、なんですか?」
「入部申請用紙の件でちょっと話があるから、昼休み職員室に来てくれる?」
「え…?あ、はい…」
…なんだろう。私は申請用紙を提出していない。だって、どこのクラブにも入らないし。
この学校は、絶対どこかのクラブに入らなきゃいけないわけじゃないはず。
入らない場合でも提出しなきゃいけなかったっけ?
普段人の話を半分も聞いていない私には確信が持てませんでした。
ま、いいか。提出しろと言われたら「帰宅部」と書けばいいんだし。
☆
「今朝、机の上に置いてあったけど、これ、間違いないわよね?」
そう言って先生が私に見せたのは、入部申請用紙。
なに?これ…
「今日が申請書の提出期限だったから、ギリギリセーフね」
「いえ…私、こんなの書いてません…」
「え?これ平沢さんが書いたんじゃないの?」
全く身に覚えがない。
誰がこんなタチの悪いいたずらを…でも申請書に書かれた文字は、私の字にそっくり。
一瞬、寝ぼけてこんなことをしてしまったのかも…と自分を疑ってしまうくらいでした。
「私、“けいおんがくぶ”なんて何をするクラブかも、どういう字を書くのかも知らないくらいです…」
「じゃあ、本当にこれを書いたのはあなたじゃないのね」
「はい…取り消し、できますか?」
「それは…まあ、できるんだけど。
ん〜、でも困ったわね」
「なにか?」
「いや、ね。今朝、これを見たものだから、てっきり入部希望者だって思うじゃない?
それでけいおん部の子に言っちゃったのよ。『入部希望者が来たわよ』って。
そしたら喜んじゃってねえ…その子」
「はぁ…」
「…ちょっと悪いことしちゃったわね」
ぬか喜びさせちゃった、ってことかぁ。
「…私、放課後謝りに行ってきます」
「あなたが謝る必要なんてないわよ」
「でも…」
「…私も一緒について行くわ。1人じゃ行きづらいでしょ?」
「先生…ありがとうございます」
こうしてその日の放課後、私と先生は一緒に音楽室へ行きました。
入部申請書の間違いを伝えるために。
それなのになぜか、どういうわけか。
私はけいおん部に入ることになってしまったのです。
☆
「一体、何をしたんだ?魔法か?」
「えっと、ですね…一応女神なので『神通力』と言った方が正しいですが、『魔法』と呼んでくださってもいいですよ」
殺風景な音楽準備室に並んだ素敵なティーセット。
飲んだこともないような華やかな香りの紅茶。
とろけるように甘く、けれども甘すぎず、上品な味わいのケーキ。
「ごめんなさい、女神は力を保つために毎日のお茶とお菓子が欠かせないんです。
1人で食べるのも何ですし…みなさんとご一緒できれば」
「いいよいいよ全然オッケー!こんな美味しいもの毎日飲み食いできるなんて夢みたいだぜー!」
「ありがとうございます。喜んでもらえて私も嬉しいです♪」
無邪気にはしゃぐ律。
おい、バンドやるためにけいおん部作るんだろ!お茶飲んでおしゃべりするためじゃないぞ!
「まあまあ…澪さんもお一ついかが?」
…おいしい。
「う〜ん、今日のケーキもおいしいねぇ♪」
もぐもぐとケーキを頬張りながら至福の表情を見せる唯。4人目のけいおん部員。
入部を取り消すためにやってきたはずが、お茶を飲んでケーキを食べて私たちの演奏を聴いて…心に響くものがあったようで、部に入ると言ってくれた。
ついでを言うと、付き添いで一緒にやってきた山中先生は顧問をしてくれることになった。
「…本当に女神…なんだな?」
「ええ♪」
「唯が入部したのも女神の力なのか?」
「いえ…唯ちゃんが入部したのは、唯ちゃんの意志です。
私はあくまできっかけを作ったに過ぎません。
女神と言っても人の心を操ることはできないんです」
お茶とお菓子を使って操ってるんじゃ…
私はそう思ったけれど、黙っておくことにした。
「ほえー、ムギちゃんって女神様なんだー、すごいね!」
…この超現実をすぐに受け入れることができる唯も凄いよ…。
「モグモグ…じゃあ例えばどんなことができるんだ?」
「律、ものを口に入れながら喋るんじゃない。品がないぞ」
「空飛んだりできる!?」
「けいおん部を維持するために必要、と認識されたことでしたらどんなことでも
あ、空は飛べますよ。でもびっくりさせちゃうからやめておきますね」
『認識』っていうことは、ムギの行為を監視・管理して、力の行使を許可する存在がいるってことだな。
「そういえば、私、楽器まだ持ってないや」
「お、じゃあムギ!唯の楽器を用意してくれぃ!」
「わかりました〜♪」
…とムギが言うやいなや、まるでずっとそこにあったかのように、唯の机の横にはギターが置かれていた。
「おわわっ!ぎ、ぎたーが…」
「す、すげぇ…」
「お安い御用です♪」
いや…安くないぞ。これめちゃくちゃいいギターだ…
「だ、ダメだよムギちゃん」
「え?」
「こんな高いものもらえないよ…」
「いいのよ、唯ちゃん。気にしないで。けいおん部のためなんだから」
「大丈夫!私、バイトしてお金貯めるから!」
「よぉし!じゃあみんなでバイトだぁ!」
「え?え?…バイト?」
「アルバイト…楽しそう!私アルバイトするのが夢だったんです!」
どんな女神だ。
ともかく私たちはアルバイトをすることになった。
………さて。
私たちが選んだのはティッシュ配りのアルバイト。
時給ではなく、決められた量を配布したらその分バイト代が貰える。
簡単そうに見えて難しい仕事らしいのだけど…
通常の10倍以上のスピードでノルマをこなしてしまった。
もちろんそれはムギの…女神の力。
そしてさらに追加で配る、配る、配る…。
人見知りの私にとって、ティッシュ配りのバイトはハードルが高いものだった。
けれど、いくら女神の力を使っているとはいえ、こうもテンポよく仕事が進むと気持ちがいい。
なんだか少しだけ、人見知りを改善できた気がした。少しだけ、だけど。
休日2日間をティッシュ配りに費やした結果、唯のギター代はあっという間に貯められたのだった。
☆
夏だ!海だ!空だ!
私たちけいおん部は、ただいま絶賛夏合宿中です。
ムギちゃんの力はすごい。本当にすごい。
毎日、この世のものとは思えないおいしいお茶とお菓子を用意してくれたり、全く勉強せずに臨んだ私のテストの点数を、全科目赤点より1点上に調整してくれたり(あとで澪ちゃんに怒られて勉強合宿しました)…
学校から帰るときもすごい。
「じゃあね」って言って視線を外すともういなくなってる。まるで神隠しみたい。…そりゃあ女神様だしね。空飛ぶとこ、見たかったなぁ。
演奏技術もすごい。
ムギちゃんの担当楽器はキーボード。
それは素人の私にだってわかるくらいうまい。私たちの中でダントツにうまい。
それなのにキーボードを触ったのは初めてだっていうのだ。
これも女神の力かぁー・・・。
夏合宿だって、高校生でお金のない私たちのために、プラベートビーチ付きの豪華別荘に連れてきてくれたんです。(本当はお忍び下界観光用の、神様の保養地らしいです。)
「そうだ、2学期になると学園祭があるんだけど…」
「喫茶店やりたい!」
「お化け屋敷やりたい!」
「私たちはけいおん部だろ!ライブ!ライブをやるの!」
最初の頃、りっちゃんに流されてけいおん部に入ったはずの澪ちゃんですが、今や部でいちばん練習熱心。
「…それで、できれば…
オリジナルの曲作って演奏できないかなって…」
やる気もまんまんです。
「おー、いいじゃんそれ!」
「でも自分たちで曲を作るって、できるの?難しいんじゃない?」
「まぁ、確かに唯の言う通りだ…
でさ、ムギ。なんとかならないかな?」
「わかりました。じゃあ、2学期が始まるまでに用意しておきますね」
「あんまり難しすぎない曲にしてね」
「ええ♪でも唯ちゃんならきっと大丈夫よ。すっごく上達してるんだもの」
「ドラムがカッコいい曲にしてくれよなっ!」
「…律。いくら曲がよくても、お前がヘタだったら何の意味もないんだからな」
「澪しゃんしどい…」
「フフ…」
「アハハ…」
私たち4人はけいおん部を楽しんでいました。
2学期の目標も決まり、やる気もいっぱい!何の不安もないはずでした。
ただ…この頃までは、どこかムギちゃんに対して遠慮があったような気がします。
だってムギちゃんは女神様。私たち3人は人間です。
そのくせに…。
私たちはムギちゃんの力に慣れすぎてしまっていたのです。
どんな困ったことが起こっても、ムギちゃんがいれば大丈夫。だって女神様なんだから。
そんな風に都合のいいことを考えていました。
神様の力に頼りきっていた私たちは、そのことで1人の大切な友人を追いつめることになるなんて、全く思ってもいなかったのでした。
☆
「紬様、紬お嬢様」
「何?斎藤」
「お嬢様はいつになったらこちらに戻ってこられるのですか?」
「…毎日帰ってきているじゃない?」
「いえ、そうではなく…毎日高校に通っておられるでしょう。
こんな生活をいつまで続けるおつもりですか?」
斎藤が小難しい顔をして、私に問いかける。
通常、願いを叶え終えた女神は直ちに天界に戻ってくる。
願いの性質によって時間がかかることはあるけれど、今の私のように長々と下界に通い続ける例は数少ないはずだ。
女神としての初仕事が、こんなイレギュラーな形になってしまったことを、斎藤はあまりよく思っていないようだ。
「…けいおん部を作りたい、その願いを叶えるために行動しているのだけど?」
「確かに。
田井中律様の願いは『軽音楽部の設立』です。
それはもう叶ったではありませんか?」
「私が抜けたら部員が足らなくなるわ」
「でしたら他の部員をお探しになられては?」
「…2学期直前のこんな時期に、そんな生徒はなかなかいないでしょう」
「それはそうですね。ではもう1つ」
「なによ…」
いつまでたっても子供扱い。
心配してくれているのはわかるけれど、少しは私のことも信じて欲しい。
「力の濫用が目立ちます。本来、1人の人間に対し、1つの願いしか叶えてはならないはずが、お嬢様はそれを大きく逸脱しておられます」
「だからそれは、『けいおん部を作る』ために必要なことだから…!」
「多少のことなら、当局も目を瞑ってくれます。
なにせ琴吹の家は天界でも由緒正しい名家です。
あちら様も琴吹家とあまりもめ事は起こしたくないはずです。
ですが」
「言いたいことがあるならはっきり言いなさい」
「では遠慮なく。
期日の問題があってお嬢様自らがけいおん部に入られたことは理解できます。
平沢唯様の入部に力を使ったことも必要性がありました。
しかしそれ以後は」
斎藤は続けた。
「ギターを買う資金を貯めるのに力を使う必要はありません。時間がかかっても個人でお金を貯めればよいことです。ギターがないからといって部がなくなることはありません。
次に…赤点をとれば部活動停止になる、とはいえ、ズルをしたことはあまり誉められたことではありません。平沢様ご本人のためにもなりません。
夏合宿は必ずしなくてはならないことですか?部の存続とは無関係でしょう。そのために天界の保養所を使うのは越権行為です。
さらに」
私は何も言い返せなかった。斎藤の言うことは正論だ。
「オリジナル曲を作るのは構いません。
ですが自分たちの力ではなく、ハナから神通力をアテにしていることは感心できません。
自分たちは何の努力もせずに、女神の力に頼るなど…神への冒涜、言語道断です」
「言い過ぎよ!みんな、頑張って練習してるもの!」
「…失礼致しました。
けれどもお嬢様の力の濫用は目に余るものがあります。
お父様もお母様もご心配されていますよ。少し、お控えください」」
私は毎日が楽しかった。だからりっちゃんの願いを叶えること以上に、みんなの喜ぶ顔が見たくて、つい力を使い過ぎていた。それは自分でもわかっていた。
だけど怖かった。力のなくなった私なんて、みんなから必要とされなくなっちゃうんじゃないかって。
「願いの性質上、お嬢様がしばらくの間下界に通わなくてはならないのは、仕方のないことです」
「わかってくれるのね」
「はい。但し願いは『けいおん部の設立・維持』、このためだけにしか使用できないように制限をかけさせていただきます」
「それはどういうこと?」
「申し上げた言葉通りの意味です」
「…わかったわ」
とにかく、桜高に通うこと自体は認めてもらえた。私はそれだけでほっとしていた。
これから大きな問題が自分に降り掛かってくることに気づくこともなく。
☆
指が全く動かない。
メロディが全く思い浮かばない。
2学期が始まってもう1週間が経つと言うのに、曲作りは全く進んでいなかった。
「ムギ、どう?曲作りの方は?」
「え?あ、うん…まあまあ…かな…」
「ま、ムギにできないことなんてないからなーなんてたって女神様だし!」
「ムギちゃ〜ん!今日のお菓子なぁに〜♪」
「唯ちゃん…今日はマドレーヌよ」
『けいおん部の設立・維持』以外の用途で力を使うことができない。
学園祭ライブで演奏する曲は、オリジナルである必要はない。
演奏してライブを行ったという実績さえ残れば、廃部になることはないだろう。
「オイ!今日こそ練習するぞ!」
「え〜いいじゃぁん。夏合宿頑張ったしぃ」
「だからってサボってたら、上達しないだろっ!」
「じゃあ、あと5分!5分だけお茶させて!」
「お前はいつもそれだな…」
「まぁまぁ澪ちゃん、まだムギちゃんの曲もできてないんだし。
今日のところはのんびりしようよ〜」
「むぅぅ…」
「ごめんね澪ちゃん。まだ曲、できてなくて…」
「あ、いいんだムギ。ゆっくり曲作りしてくれれば。
それに曲ができてなくたって、練習はできるだろ!
ほらほら!もうお茶はたくさん飲んだだろ!練習するぞ!練習!」
曲ができないならできないと早く伝えなくてはならない。
ライブに合わせてそろそろ本番の練習を始めないと、オリジナルであれコピーであれ、間に合わなくなる。
ライブで演奏できなくなってしまうのが、最悪のシナリオだ。
「今日は…今日のところは…今日だけは勘弁してくだせえ…!」
「おねえげえですだお代官さまぁ!」
「…お前達…そんなに練習したくないのか…まったくもう。
なあ、ムギからもなんと言ってやってくれよ」
「え?」
「どうしたムギ?ぼーっとして」
「な、なんでもないわ!澪ちゃん!」
「…そうか?
とにかくムギからも言ってやってくれよ。練習しようって」
困ったことはもう1つ。
キーボードが弾けなくなった。
これについてもさっきの原則が影響しているのだろう。
部員でありさえすれば、音楽経験者である必要はない。
今さら言えない。演奏できなくなったことを悟られてはならない。
「きょ、今日はいいんじゃない…かな?」
「え!ム、ムギ…」
「よーし決まりっ!今日はお茶の日!」
「やったー!練習は休みだぁ!」
「うう…今日のところは仕方ないか…
でも明日!明日はゼッタイ練習するんだからな!」
ごめんね澪ちゃん。ごめん。ごめんなさい。
最終更新:2014年04月07日 22:58