第二章《死の証明》
そぼ降る小雨は一向に止む気配が無かった。
広い斎場は多数の列席者で溢れ、ムッとする人いきれが10月の肌寒さを忘れさせる程だ。
平沢唯の告別式。
そこには本当に大勢の人間が集まった。
澪、紬、梓の放課後ティータイム元メンバー、唯の所属事務所関係者、生前親しかった多くの芸能人。
業界人ばかりではない。高校時代の担任である
山中さわ子、幼馴染の
真鍋和を始めとした
学生時代のクラスメイト等、一人の人間としての唯と繋がりを持っていた人々も多い。
また、会場の外には数百人のファンがおり、時折涙声で唯の名を絶叫している。
皆が唯の死を悲しみ、嘆き、悼んでいた。
紬「もうすぐ出棺ね。これで本当にお別れなんて……」
澪「それにしても律の奴、人に『必ず来い』なんて言っておいて、自分は来てないじゃないか。
まったく」
梓「澪先輩のとこにも来たんですか? 律先輩」
澪「うん。おかしなカッコでおかしな事を言って帰っていったよ。ああ、思い出すだけで、
もう……!」
紬「私のところにもね。唯ちゃんはストーカーに殺されたわけじゃない、って」
梓「そうですか…… あ、あの、お二人は見ましたか? 律先輩の、あの眼……」
澪「眼? いや、見てないな。サングラス掛けてたし」
紬「私も見てないわ。りっちゃんの眼がどうかしたの?」
梓「いえ、別に……」
紬「じゃあ、そろそろ行きましょう。出棺の時間よ。澪ちゃんもね。色々、思うところは
あるかもしれないけど……」
澪「棺は持たせてもらうよ。あんな奴でも友達だったからな」
梓(あんな奴? だった? よくもそんな……)
出棺前に行われる筈だった最後の対面は、遺体の頭部の損傷が激しい為、省略された。
棺は親戚の男性四名に、澪、紬、梓、和の四名を加えた、計八名で運ばれた。
その後ろには位牌を持った唯の父と、遺影を持った妹の
平沢憂が続く。
憂の憔悴ぶりは、それだけでも周囲の涙を誘う程に痛々しいものだった。
充血とくまが目立つ眼と真っ青な顔色。視線は虚ろで定まらず、口は僅かに開いている。
“幽鬼のような”という表現も決して大袈裟ではない。
両親の言葉にも、親友である梓の言葉にも、幼馴染である和の言葉にも、一切反応しない。
ただ、時折、消え入りそうなか細い声で「お姉ちゃん」と呟くだけ。
そして。
秋山澪、琴吹紬、
中野梓。
棺を支える彼女ら三人の脳裏には、唯と共に過ごした日々の思い出が去来していた。
紬が振り返っていたのは、放課後ティータイムのメジャーデビュー記念パーティ。
あれは2011年4月11日。
唯『せーの……』
全員『ハッピー・メジャー・デビュー!!』
唯『いぇーい! あはははははは!』
社長『いやあ、五人共、本当におめでとう。本日発売のシングル『Cagayake! GIRLS』を
以て放課後ティータイムのデビューとなる訳だが、君達は日本一のバンドになると
私は確信しているよ。これからが楽しみだ』
唯澪律紬梓『ありがとうございます!』
社長『いやいや、今日は堅苦しい事は抜きにして大いに盛り上がってくれたまえ。それじゃ、
私は次の予定があるからこの辺で……』
唯『じゃあねー、社長ー』
澪『こら、唯! お前、社長に向かって……!』
マネージャー『まあまあ、澪ちゃん。唯ちゃんのキャラクターは社長も理解してるから』
さわ子『それにしても、あなた達がプロになっちゃうなんてねー。高校時代を思い返すと、
感慨深いものがあるわ』
律『ププッ。さわちゃん、オバサンくせー』
さわ子『あん?』ギン
律『何でもありません……』
和『でも、山中先生が言う事もわかるような気がするわ。自分の知っている人が、まさか
テレビの向こう側の人間になるなんて――』
純『ああ、梓が手の届かない存在になっていく~。私の事、忘れないで――』
梓『何言ってんの――』
憂『はい、お姉ちゃん。お料理取ってきたよ――』
唯『わーい! ありがとう――』
澪『シングル売れるといいな――』
律『心配すん――』
さわ子『そういえば――』
律『――』
梓『――』
『――』
『――』
紬『……』
唯『あれぇ~? ムギちゃん、ど~したのぉ? 元気無いよぉ~』
紬『あ、唯ちゃん。ううん、何でも―― ってお酒臭い! ダメよ、お酒なんか飲んじゃ!
私達、まだ誕生日が来るまでは未成年なんだから!』
唯『だってぇ~、ジュースみたいで美味しいんだも~ん』
紬『いけません。これは没収』
唯『ちぇ~』ブーブー
紬『唯ちゃんの誕生日が来たら、一緒に飲みましょう。11月だよね?』
唯『うん! 約束だよ! ……ところで、どうしたの? せっかくのパーティなのに元気無いね?』
紬『……何だかね、物語が終わっちゃうみたいで寂しいの』
唯『終わっちゃう?』
紬『うん…… 私、高校生の時に軽音部に入部して、みんなのおかげで色々な事をいっぱい
体験出来た。憧れてた事も、夢だった事も、いっぱい』
唯『いろんな事があった三年間だったもんね~』
紬『叶えたかった事は全部と言っていい程叶えて…… そして、最高の親友と組んでいた
バンドでプロデビュー…… それで私の物語は終わり』
唯『終わりだなんて! 今日が私達のデビューの日なのに!』
紬『嫌な言い方になったらごめんね。例えば、放課後ティータイムの成功によって手に入る
富や名誉、名声。そんなの私にとっては虚しいだけ。私の家は…… ね?』
唯『……』
紬『どんなに成功を重ねても、この先、高校生の頃や今日以上の喜びはもう無いんだ、って
思うとすごく寂しいの』
唯『……そんな事無いよ!』
紬『……?』
唯『例えば、例えばだよ? 放課後ティータイムが全然売れなかったら、全然人気が出なかったら、
そんなの嫌だけど…… でも、もしそうなった時に、みんなで力を合わせて頑張っていったり、
励まし合ったり、そんな事で手に入る幸せや喜びもあると思う!』
唯『嬉しさも苦しさも五人みんなで分け合うのが幸せなんだよ! お金が儲かるとか、有名に
なれるとか、そんなの関係無い!』
唯『これから何が起こるかわかんないけど…… これから何が起こるか、私はすごく楽しみ。
だって、私達は五人なんだもん! ワクワクは五種類! 嬉しさは五倍! 苦しさは
五分の一!』
紬『唯ちゃん……』
唯『あ…… ご、ごめんね。なんか私ばかり喋っちゃって。だんだん自分が何言ってるか、
わかんなくなってきちゃったし』
紬『Life goes on...』
唯『え? らい…… 何?』
紬『Life goes on。“人生は続く”って意味よ』
唯『そう、それそれ! らいふ・ごーず・おん! まだまだ続くんだよ! 人生も、放課後
ティータイムも、まだまだ続く!』
紬『そうね。放課後ティータイムはまだまだ続く。もっともっと頑張って、バンドを成長
させなくちゃ…… 気づかせてくれて、ありがとう。唯ちゃん』
唯『いやいや~、どういたしまして~』
紬『本当にすごいなぁ、唯ちゃんは……』
澪が振り返っていたのは、紬のバンド脱退直後。
あれは2014年7月頃。
唯『それでね、サビはこんな感じになるの。今、弾いてみるね』ジャジャジャジャジャジャジャジャーン
律『んー、いいんじゃない? ノリやすいし』
梓『そうですね。自然と身体が横に揺れちゃうリズムです』
澪『……ちょっと待てよ、唯。そのサビのメロディ、ただのドレミファソラシドじゃないのか?』
唯『ん? そーだよ?』
澪『そうだよ、って…… 真面目にやれよ! 私達はプロなんだぞ! そんな手抜きして
どうするんだ!』
唯『て、手抜きじゃないよぅ! このメロディの方が楽しいし、入って来やすいし、一生懸命
考えたんだよ!』
律『澪、それは言い過ぎだろ! 唯だって真面目に――』
澪『律は黙ってろ! 大体、この前作った曲だって、一曲の中で無駄に何回も転調してて
ワケわかんなかったじゃないか! やる気あるのか!』
唯『あれは……! 回想とか夢から覚めた現実とかを表現したくて……』
澪『作詞作曲編曲を二人の共作にしよう、って言い出したのはお前なんだぞ! こんなんじゃ
まともな曲なんか出来っこない! どうしてもっとちゃんとした曲が作れないんだ!』
唯『ちゃんとした曲……』
澪『やりたい事をやるのはいいよ! でもな、私達はプロなんだ! 売れる曲を作るのが
前提なんだ! その上で自分のやりたい事をやれ!』
梓『……』
律『もう、よせよ…… 澪……』
唯『ご、ごめんなさい……』
澪『……いや、私も少し言い過ぎた。……ごめん』
律『あ、んじゃさ、とりあえずこっちの出来てる曲のアレンジに入ろうぜ』
澪『ああ……』
唯『う、うん。じゃあ、これ聴いてみて。Aメロの静かな寂しい感じを強調するのにね、ドラムの
シンバルを逆回転にしてみたの』
澪『……』
律『へ、へえ……』
梓『……』
唯『でねでね、間奏なんだけど、ムギちゃんの残してくれたピアノソロを使おうと思ってね。
リズムが全然違うんだけど、倍速再生させたら、ホラ! 曲調と合ってて、すごくいい感じ!』
澪『唯……』
唯『なぁに?』
澪『共作は今日限りで終わりだ。お前は自分の作りたい曲を好きなように作れ。私もそうする』
唯『え……? で、でも……』
澪『それと、明日からスタジオを使う時間は別々にしてくれ。収録の時だけ四人でやるから』
唯『そんな……』
律『……』
梓『……』
澪『私、先に帰るから。それじゃ』バタン
梓が振り返っていたのは、記者会見で唯の脱退を発表した夜。
あれは2014年12月31日。
唯『ごめんね~、あずにゃん。晩ご飯つき合わせちゃって~。私、もう放課後ティータイムの
メンバーじゃないのにさぁ~』フラフラ
梓『何、寂しい事言ってるんですか。怒りますよ? それより飲み過ぎですよ、唯先輩』
唯『だってぇ~。私、白ワイン好きなんだも~ん。飲みやすいし~』フラフラ
梓『まったく、もう…… ほら、掴まって下さい』
唯『……今日の記者会見、澪ちゃんは結局一言も喋ってくれなかったねぇ』
梓『……』
唯『どうしてこうなっちゃったのかなぁ。私は放課後ティータイムの為に一生懸命やってたのに。
うお、おっとっとぉ』
梓『……』
唯『あずにゃん。澪ちゃんとりっちゃんの事、よろしくねぇ。私はこれからもずっとずっと
三人を応援してるからねぇ。ひっく』
梓『……こうなるのを止められなかった私も悪いんです。唯先輩、ごめんなさ――』
唯『あー!!』
梓『ビックリしたぁ! 急にどうしたんですか!?』
唯『見て見て、あずにゃん! あれ!』
梓『ああ、男の子二人が路上ライブやってますね。あれがどうかしましたか?』
唯『私もやるー!』
梓『え、ちょ、ちょっと唯先輩……』
唯『やあやあ、青年達ぃ! ちょっとギター貸してよぉ~!』
梓『唯先輩! 素人さんに絡まないで! 帽子とサングラス取らないでぇ!』オロオロ
青年1『うわぁ! 平沢唯だ! 本物だ!』
青年2『こ、こんなギターで良ければどうぞ!』
唯『ありがと~! よぉ~し』
梓『ダメですって、唯先輩! ダメですってばぁ!』アセアセ
青年1『え!? じゃ、じゃあ、こっちのちっちゃいのは本物の中野梓!?』
梓『誰がちっちゃいのですか!』クワーッ
唯『平沢唯の年忘れカウントダウン路上ライブ、はっじまっるよぉ~!』
通行人1『ちょ、あれ、平沢唯じゃね?』
通行人2『うお、すげえ! マジだ!』
通行人3『なんかの番組か!?』
梓『ああああ大変な事にいいいいいい』グルグルグルグル
唯『キミを見てるといつもハートDOKI☆DOKI♪
揺れる思いはマシュマロみたいにふわ☆ふわ♪』
青年1『あ、あの、中野さん』
梓『なんですかっ!?』ギッ
青年1『どうぞ! このギター使ってください!』
梓『……』
唯『いつもがんばる君の横顔♪
ずっと見てても気づかないよね♪』
青年1『平沢さんと一緒に! 中野さんも!』
梓『……こうなりゃヤケです! やってやるです!』
唯『夢の中なら♪』
梓『夢の中なら♪』
唯梓『二人の距離♪』
唯『縮められるのにな♪』
通行人達『何? このすっげえ人混み』
通行人達『平沢唯と中野梓が路上ライブやってんだって』
通行人達『マジか!? 俺、唯ちゃん好きなんだよ! え、でも、今日の記者会見で放課後
ティータイムを脱退するって言ってなかったっけ』
唯梓『あぁ カミサマお願い♪
二人だけのDream Timeください☆♪
お気に入りのうさちゃん抱いて今夜もオヤスミ♪』
唯『ふわふわ時間♪』
梓&観客『ふわふわ時間♪』
唯『ふわふわ時間♪』
梓&観客『ふわふわ時間♪』
唯『ふわふわ時間♪』
梓&観客『ふわふわ時間♪』
唯『あはははははは! 何だか“ゆいあず”を思い出すねぇ~!』
梓『二度と…… もう二度と、こんな瞬間は無いんですよね…… ううっ、ぐすっ……』ポロポロ
唯『……もういっかぁ~い!』
観客『うおおおおおお!!』
唯『あぁ カミサマお願い♪
二人だけのDream Timeください――』
紬は神妙な面持ちで、澪は見様によっては憮然とした表情で、梓は顔を歪めて涙を流しつつ、
唯の眠る棺を運ぶ。
やがて、棺は霊柩車に乗せられた。
長い長いクラクションが鳴らされ、それは火葬場へ同行出来ない参列者やファンへの最後の
別れの挨拶となる。
そのクラクションを斎場から少し離れた場所で聞いていた人影が、二つ。
ひとつは、澪曰く「おかしなカッコ」をした
田井中律。
そして、律はもうひとつの人影をジッと凝視していた。
視線の先には、喪服としてのダークスーツを身にまとう、ウェーブ掛かった茶髪の女性。
年の頃は三十前後か。
女性は、走り出す霊柩車へ一礼すると、踵を返して歩き始めた。
律は静かに後を追う。
最終更新:2014年04月26日 20:19