第四章《この世で一番悲しい音》


監督「よし! オッケー!」

男性の声がスタジオ内にこだますると、澪は疲れ切った表情で、大きく息を吐いた。
監督、ヘアメイク担当のスタッフやマネージャーが、照明に照らされた彼女の元に歩み
寄って来る。

監督「いやあ、澪ちゃん、良かったよ! 澪ちゃんの存在で、映像に締まりっていうかさ、
   緊迫感が出せたよ。無理言ってすまなかったね」

澪「いえ、そんな…… むしろ、カメオ出演とはいえ、私なんかが監督の映画に出演して
  ご迷惑掛けたりしないかなって……」

監督「なぁに言ってんの! ホント、謙虚だねえ。澪ちゃんは」

澪「そ、そんな事…… じゃあ、私はこれで失礼します。ありがとうございました」ペコリ

監督「いやいやいや、こちらこそありがとう! お疲れさん!」パチパチパチパチ

有名俳優「よっ!」パチパチパチパチ

スタッフ「お疲れ様でしたァ!」パチパチパチパチ

監督の率先した拍手につられ、他の共演者やスタッフも大きな拍手を響かせる。
歓声と拍手の渦の中、冷汗三斗の澪はマネージャーと共にスタジオを後にした。



駐車場までの道すがら、連れ立って歩く年下の男性マネージャーは、仕事柄なのか元々の
性格なのか、やや疎ましいくらい積極的に澪へ話し掛けていた。

マネージャー「“主人公に仕事を依頼しに来る女性要人”って割には、出演は三分くらいの
       ものでしたね。もっと目立つ役だったら良かったのに」

澪「私にはその三分が二時間くらいに思えたよ。はあ、疲れた……」ゲッソリ

マネージャー「でも、こう言っては失礼ですけど、秋山さん、意外と演技上手いですね。
       前にお芝居の仕事をされた事があるんですか?」

澪「いや、全然。高校の学園祭でロミオを演っただけ」

マネージャー「それであの演技力ですか。やっぱこういうのは才能なんですねえ。僕なんか
       学校の演劇と言えば、木の役くらいで…… アハハハハ」

澪「……」

急にむっつりと口を閉ざす澪。
事務所の社員達の間では、彼女の扱いづらさは最早伝説になっていると言っても過言では
無かった。
高い実力に反比例するかのようなメンタルの弱さ。
そこから来る浮き沈みの激しい性格。
礼儀正しさや謙虚さの裏に隠された嫉妬深さ。
病理の域に達する、異常なまでの音楽へのこだわり。
そして、いくつかのNGワード。
特に『平沢唯』の話題は絶対的禁忌と皆が認識していた。
この年若いマネージャーは、何か地雷を踏んでしまったのだろうかと内心恐れを抱きながら、
無言の澪の一歩後ろで小さくなっていた。

澪「今日は、一人で帰るから……」

車まで数mのところで、リモコンキーのボタンを押しながら澪が呟いた。

マネージャー「え? いや、それはちょっと…… ここ最近、物騒ですし」

澪「別に気を遣わないでハッキリ言ってくれていいよ。『唯が殺されて、ムギが襲われたから』
  ってさ。でも、犯人はおととい、逮捕されただろ?」

マネージャー「とは言っても……」

澪「いいから。一人になりたいんだ」

彼の返事を待たず、澪はさっさと運転席に乗り込んでしまった。

マネージャー「あ、ちょ、ちょっと、秋山さん!」オロオロ

慌てるマネージャーを尻目に、クラクションがひとつ鳴らされ、澪の乗る黒のジャガーXJは
颯爽と駐車場を飛び出した。






数十分の後。
とあるマンションの地下駐車場に車が停められ、中から仏頂面の澪が出て来た。
澪の自宅。それは都内一等地の高級マンションであり、彼女の他にも大物タレントやスポーツ
選手、実業家が居を構えるセレブリティ・パレスだった。
しかし、華やかな高層宮殿とは対照的に、地下駐車場は暗く、冷たく、どこか物寂しい。
その無機質な雰囲気に包まれ、幾度と無く溜息を吐きつつ歩く澪。
そして、後方より近づく、ひとつの影。

?「秋山澪さん」

澪「誰!?」ビクン

恐怖の入り混じった驚きが、澪を振り向かせた。
少し離れた車の陰に、さえない風体の男が一人立っている。

?「ああ、こりゃ失礼。驚かせてすみません。私、フリーのルポライターをやってる
  もんでして」

澪「ここは住人以外、入れない筈でしょう! 何をしてるんですか!」

ルポライター「そうそう、そうなんですよ。いやあ、入るのに苦労した苦労した。まったく
       因果な商売ですよ。ハハッ」

澪「すぐに出て行ってください。警察を呼びますよ」

ルポライター「ふむ。では、パトカーが来るまでの数分でいいんで、ちょっと取材させて
       頂きたいんですがね」

澪「話す事なんて何もありません! 早く出て行って!」

ルポライター「まま、そう言わずに。実は先週の平沢唯さん殺害に関して聞きたいんですよ」

のれんに腕押し。糠に釘。柳に風。
澪の警告も罵声も、ルポライターはのらりくらりと受け流す。

澪「知りません!」

ルポライター「おととい17日に犯人が逮捕されたのはご存じでしょう? しかしねえ、どうにも
       妙な点があってですねえ。怪しい臭いがプンプンなんですわ」

澪「……」クルリ ツカツカツカ

澪はルポライターを無視し、エレベーターの方向へと歩き出した。
だが、こういった自称ジャーナリストの手合いが、そんな事にめげる筈も無い。
彼女の後を追いかけ、自分勝手に話を進める。

ルポライター「まず、犯人の素性が全然報道されないんですよ。名前と、部屋が漫画やアニメ
       DVDだらけのキモいオタク野郎って発表くらいで、他の情報がさっぱりでね。
       報道規制でも敷かれてんのかってなもんです」

澪「……」ツカツカツカ

ルポライター「この隠し方からいくと、もしかして在日某国人か某新興宗教関係者かとも
       思ったんですが、それもどうやら違うみたいでして。犯人像ってヤツですか?
       それが全然わからんちん。もう、お手上げ」

澪「……」ツカツカツカ

ルポライター「……秋山さんと平沢さん、かなり不仲でしたよね。これは業界じゃ何故か
       アンタッチャブルですが」

澪「……!」ピタッ

ルポライター「秋山さん、もしかしたら何かご存じなんじゃないんですか? 他の連中にゃ
       わからない、あなた達の間の何かを」

澪「……!」プルプル

ルポライター「まあ、誰にでも殺したいくらい憎い人間ってのはいますからねえ。『金がすべて』
       なんて言葉があるけど、金さえありゃあ大抵の事は片が付いちゃう世の中ですし。
       ああ、『可愛さ余って憎さ百倍』なんて言葉も――」

澪「うるさい! お前に私と唯の何がわかるんだ!!」クルリ

ルポライター「そうそう、それそれ。そういうのを是非聞かせて頂きたいんですよ」ニヤニヤ

澪「うるさぁあああい!! もう放っておいてくれ! 一人にしてくれ!」ダッ




駐車場に響き渡る金切り声。
反響が消える間も無く、澪はルポライターに背中を向け、エレベーターへ走り出した。
ルポライターは頭を掻き掻き、その背中を見送る。

ルポライター「あちゃー、手綱の操り方を間違っちまったかな。どうも勘が鈍っていけねえや」ヘラヘラ

小憎らしいニヤケ面に僅かな陰が差す。

ルポライター「妙ちくりんなとこばっかの事件だわ、仕事のイロハを仕込んでやった後輩が
       自殺するわ、そりゃ勘も鈍るか……」カーッ ペッ



自身の部屋に、息を切らせて駆け込んだ澪。
バッグを投げ捨て、着替えもせず、ベッドに倒れ込む。
せっかく平静を保てていたのに。せっかく平安を取り戻したのに。
何故、皆はあいつの影を私に見るのか。
何故、あいつは死んでまで私を自由にさせてくれないのか。
頭蓋の中では、唯の笑顔、唯の泣き顔、唯の陰鬱な顔がグルグルと渦を巻いている。
やがて、それは己の半生の記憶と混じり合い、赤茶けた不毛の大地に広大な記憶の宮殿を
形成していった。
止まる事を知らないかのように、癌細胞が広がるが如く、宮殿は大きさを増していく。
その宮殿の廊下を、澪は一人歩く。
廊下の左右には、無限とも思える数の扉があり、それぞれ年月日が刻印されたプレートが
取り付けられていた。
澪は数ある扉のひとつに近づき、ノブにそっと手を掛けた。



2007年8月。私は合宿に来ている。唯と律とムギの三人も。
唯は無邪気にギターをかき鳴らしている。たくさんの噴出花火をバックに。
とても綺麗だ。花火がじゃない。唯が。とても綺麗だ。
私はまるで魂を吸い取られたかのように、身動きひとつ取れなかった。
眼を奪われ、言葉を出せず、胸が高鳴っている。
魅せられていた。
そうだ。この時、確かに私は唯に魅せられていたんだ。



2014年12月31日。一流ホテルのパーティホール。その控え室。
10分後に、唯の放課後ティータイム脱退記者会見が始まる。
ここにいるのは私、唯、律、梓の四人。
誰も言葉を交わそうとはしない。視線を上げようとはしない。
重苦しい粘性の空気が、私達を覆い包み、呼吸さえも容易ではない。
やがてADが会場入りを促し、私達は立ち上がり、部屋を出ようとする。
最初に律が控え室を出て、その後に梓が続いた。
私の前には唯がいる。
その唯が、部屋を出る直前、私の方へ振り向いた。オドオドとした気弱そうな笑顔で。

唯『あの、澪ちゃん…… 私ね、澪ちゃんに出会えて良かったよ。高校生の時、軽音部に
  入って、それから、今までずっと――』

澪『どいてよ』ドンッ

唯『あうっ……!』ドテッ

私は唯を突き飛ばし、唯は床に尻餅を突いた。
そんなに強く力を込めたつもりは無かったのだが、彼女の卑屈な笑顔や綺麗事ばかりの言葉に
苛立ってしまったのかもしれない。
唯は床にへたり込んだまま、潤んだ目で私を見上げている。

唯『澪ちゃん……! どうして!? どうして私の事が嫌いになったの!? どうして私達は
  こうなっちゃったの!? 私には…… 私にはわからないよ!』

澪『……』

私は何も答えず、無言で控え室を出る。背中で唯の泣き声を聞きながら。

唯『うぇえええええん! お願いだよぉ! 教えてよ、澪ちゃん! うわぁあああああん!』

この時、私は唯に答えてやるべきだったのだろうか。
喉元まで出かかって、飲み込んだ言葉。

澪(それは、私が秋山澪で、お前が平沢唯だからだよ……)






2011年5月初め。いつものレコーディングスタジオ。いつもの五人。いつものティータイム。
私達は、7月22日発売予定の1stアルバム“放課後ティータイム”のミーティングをしている。
プロになってからも、こうしてムギの用意してくれたお茶とお菓子を囲む事になるとは思わなかった。

唯『絶対、“ふわふわ時間”は入れるべきだよ! それも一曲目!』

律『いや、でもさ、シングルの“Cagayake! GIRLS”や他のアルバムナンバーとちょっと
  感じが違くないか? 違和感出ちゃうような気がするんだけどな』

澪『うん…… それに、か、歌詞がな…… 今、見ると……』

唯『でもでもっ! 放課後ティータイムを結成したのは今じゃなくて高校生の時でしょ?
  あの頃から聴いてくれてる人達の為にも、新しいファンに私達の原点を知って貰うためにも、
  やっぱりこの曲は外せないよ』

律『うーん…… 梓はどう思う?』

梓『えっ!? わ、私は、ええと、やっぱりアルバム全体のイメージを考えると、その曲は
  無い方が……』アセアセ

唯『そんなぁ~、あずにゃんまでぇ~』ギュッ

梓『唯先輩! 抱きつかないでください!』

和気藹々とした雰囲気だったけど、この時の唯はいつになく強情だった。
自分を変えた放課後ティータイムというバンドへの思い入れは、高校時代のものも含まれて
いたんだと思う。
ここで、ニコニコ笑っているだけで沈黙を守っていたムギが口を開いた。

紬『私は…… 唯ちゃんに賛成かな』

唯『さっすがムギちゃん! 大好き!』

律『おいおい、ムギ』

紬『こう考えたらいいと思うの。この1stアルバムは私達の新たなスタート。一曲目というよりも、
  序章、ううん、エピソード・ゼロという位置付けにしたらどうかな、って。勿論、なるべく
  違和感が無いようにアレンジをしてね』

唯『そうそう! それそれ! 私、それが言いたかったんだよ!』

梓『なるほど…… ナンバリングを“0”にするのは洒落てますね』

律『そっかぁ。まあ、アリっちゃアリかな』

紬『澪ちゃんはどう? 作曲は私だけど、作詞したのは澪ちゃん。生みの親としての意見は?』

澪『で、でもさ、その歌詞がさ……』

紬『澪ちゃんの作った歌を、唯ちゃんはこんなにも大事にしてくれてるのよ』

正直、嬉しかった。曲そのものもそうだし、自分の書いた歌詞に唯がこれだけの愛着を持って
くれている。
放課後ティータイムや“ふわふわ時間”を通して、私と唯の繋がりを感じられる。あの頃と
変わらない繋がりを。

澪『……うん、わかった。じゃあ、アルバム構成は唯が好きにやってみてよ』

唯『やったぁ! ありがとう、澪ちゃん! 愛してる!』ダキッ

澪『お、おいおい』ドキドキ

唯『じゃあねぇ~、No.0が“ふわふわ時間”で、No.1が“Cagayake! GIRLS”、No.2が
  “Sunday Siesta”でしょ。それから――』

オモチャを与えられた子供みたいにはしゃぐ唯。
見ているだけで私も幸せな気分になれる。そして、これが放課後ティータイムなんだ。

唯『――最後のNo.11が今月の20日に出す2ndシングルの“Don’t say lazy”で決まり!
  あ、“ふわふわ時間”は澪ちゃんのボーカルね!』

澪『それだけは勘弁してくれ!』






2015年2月。いつものレコーディングスタジオ。私と律と梓の三人。お茶もお喋りも無い。
私達は、次作の5thアルバムのミーティングをしている。
笑う理由も見当たらないので、三人共、特に笑顔は無い。
仕事の話をするのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。
私はノートに眼を落としつつ、必要な事を話す。

澪『次のアルバムの発売予定日は5月20日、先行シングルが4月19日。アレが抜けたから
  いくつか録り直しが必要だけど、まあ、曲目とか基本的なところは変更無しだから』

梓『……』

律『……作詞、作曲、ボーカル、全部お前ってのも変更無しか?』

澪『ああ。何だよ、曲作りやボーカルやりたいのか?』

律『そうは言わないけどさ。一応、バンドだろ? 私ら』

澪『ここまで来て、アレがいた頃まで話を蒸し返すのか? 何ならキチンと理由を説明するぞ』

律『いや、もういいよ……』

澪『理由その1。お前らに作曲能力が無い』

律『はいはい、そうだな』

澪『理由その2。梓、お前は歌が絶望的に下手過ぎて、ボーカルを担当させられない』

梓『……!』ピクッ

澪『理由その3。ドラム叩きながら歌うって、何の冗談だよ。C-C-Bみたいなのは御免だぞ』

律『お前、それC-C-Bに失礼だろ。それにドン・ヘンリー、ディスってんのか』

澪『いいか。私にリーダーシップを委ねて本当のトップバンドになるか、アイドル人気の
  ガールズバンドのままでいたいか、どちらか選べ。話はそれからだ』

律『それに関しちゃ、もういいって言ってんだろ』

梓『……』

澪『よし。じゃあ、再収録のスケジュールとしては――』

律『ただ、さ』

澪『何だよ!』イラッ

律『先行シングルの発売日が4月19日って、唯のソロデビューシングルと被ってんじゃん。
  これはどういう事だ』

澪『知らないよ、そんなの。事務所とプロデューサーとレコード会社に文句言えよ』

律『お前、そこまでして唯を叩き潰したいのか? 元の仲間だし、脱退はしたけど同じ事務所
  なんだぞ』

澪『知らないって言ってるだろ!』ガタン

律『じゃあ発売時期をずらすくらいはしろよ! それくらいの気も遣えないのか!』バァン

梓『あ、あの……』オロオロ

澪『何でこっちがそんな事しなきゃいけないんだよ! いちいちアレの都合に合わせてられるか!』

律『唯をアレ呼ばわりするな! いい加減にしろ!』ガシッ

澪『私の勝手だろ! 何だよ、この手は! 離せよ!』

梓『二人共、もうやめてください…… ぐすっ……』ポロポロ

激昂する私と律。怯えて涙を流す梓。
思えば、この頃からだった。こんな光景がお決まりになったのは。
この頃から、三人になった放課後ティータイムの終焉まで。






2012年3月中旬。レコーディングスタジオの廊下。
私の少し離れた前方には唯の背中がある。スタジオに入った時から探していた背中。
今日はシングル“GO! GO! MANIAC”収録の日だ。
私は小走りで唯に追いつく。

澪『唯! ちょっといいか!』

唯『およ。澪ちゃん、おっはよ~』

澪『あ、ごめん、おはよう。あのさ、収録の前に話したい事があって…… その、二人だけで……』

唯『なぁに? もしかして、愛の告白?』

澪『そ、そんなワケ無いだろ!』ドキッ

唯『えへへ~、残念! んじゃあ、なになに?』

澪『……今回の曲、“GO! GO! MANIAC”だけどさ』

唯『うんうん』

澪『何て言うか、これまでのシングルの売れ行きとか、プロデューサーの期待とか、その、
  私、舞い上がっちゃってっていうか、張り切り過ぎたっていうか……』

唯『楽しい歌詞だよね。歌うのが楽しみだなぁ』

澪『で、でも、あの、詰め込み過ぎみたいな…… ムギの曲も考えずに…… もしかしたら
  唯、すごく歌いづらいんじゃないかって……』

唯『あー、確かに最初聴いた時、私には歌えないかもって思っちゃったかな』

澪『や、やっぱり…… そうだよな……』ズーン

唯『でもね』

澪『ん……?』

唯『放課後ティータイムの私なら歌えると思う』

澪『ど、どういう事?』

唯『あのね、お風呂場とかカラオケとか、素の私だったら、たぶん歌えないと思うんだ。
  すごくキーが高いし、息継ぎ出来ないくらい早口になるし』

澪『うん……』

唯『でも、澪ちゃんとムギちゃんが作った曲、それを放課後ティータイムのボーカルをしてる
  私が歌うって思うと、出ないキーも出るような気がするし、早口の歌詞でも口が回るような
  気がするんだ』

澪『そんなものなのか……?』

唯『うん! たぶん、放課後ティータイムっていうバンドとメンバーのみんなが、私の背中を
  押して、助けてくれるんだよ!』

澪『そ、そっか……』

唯『そうだよ! さあさあ、澪ちゃんの悩みが解決したところで、いざ収録にしゅっぱぁ~つ!』グイグイ ダダダッ

澪『わわっ! こら、唯! 押すなって!』

唯はそう言ったが、私は不安だった。
そんな精神論で解決出来れば、世界中のシンガーがセラピーから解放されるだろう。
しかも、唯が収録直前に言い放った提案は、その不安を更に増大させた。
録り直し無しの一発収録。それもオケではなく五人の演奏で。
律やムギはノリノリだったが、私は申し訳無さと緊張で、誇張じゃなく嘔気を催していた。

律『ワンツッスリッフォッ!』カンカンカンカン

前奏が始まった。
失敗しないように。私も、唯も。




唯『やばい 止まれない 止まらない♪
  昼に夜に朝に singing so loud♪
  好きなことしているだけだよ girls go maniac♪
  あんなメロディ こんなリリック♪
  探していきたいんだ もっともっと♪
  みんな一緒にね♪
  chance chance 願いを jump jump 掲げて♪
  fun fun 想いを shout shout 伝えよう♪
  ミスったらリハって事にしてもっかい!♪』

すごい。完璧だ。
顔色ひとつ変えず口を回している。どこで息継ぎをしているか、私にもわからないくらい。
楽しそうに、活き活きと、この難曲を歌いこなしている。
唯は私への慰めや自己暗示なんかじゃなく、本気で放課後ティータイムの自分なら歌えると
言っていたんだ。

唯『誰ももってるハートって言う名の小宇宙♪
  ギュッと詰まっているよ喜怒哀楽や愛♪
  シュンてなったり ワクワクしたりbusy♪
  カオス満載な日々歌にしちゃおう ぶちまけ合っちゃおう♪
  授業中も無意識に 研究する musicianship♪
  エアでOK雰囲気大事 不意に刻むリズム♪
  通じ合っちゃう ビート マインド 自由にエンジョイ♪
  楽しんだもんが勝ち!♪』

高音も出しきっている。唯がここまで高い声を出せるなんて。
もしかして、ムギは最初から確信していたのだろうか。唯がここまで完璧に歌えると。
私はムギに信頼されているだろうか。今の唯みたいに。
私は唯みたいに歌えるだろうか。こんな完璧に。
これが才能なのか。これが才能の差なのか。私と唯の。
唯は音楽の神に愛されている。神の賜物だ。センスもテクニックもカリスマも。
私は唯に魅せられるだけ? 私は唯を羨むだけ?
私は……

唯『ごめん 譲れない 譲らない♪
  縦・横・斜め swinging around♪
  好きな音 出してるだけだよ girls go maniac♪
  あんなグルーヴ こんなリバーヴ♪
  試していきたいんだ ずっとずっと♪
  息合わせてね♪
  chance chance 明日を break break 夢見て♪
  faith faith 強気で shake shake 盛り上がろう♪
  浴びたら忘れらんないっしょ 喝采!♪』



2016年8月14日。私と律と梓はステージの上にいる。放課後ティータイム6thアルバムツアー、
札幌ドーム2DAYSの二日目だ。
開演から二時間近くが経ち、コンサートは佳境を迎え、盛り上がりは最高潮に達している。
私達三人の声、一挙手一投足すべてに観客が反応し、歓声を上げる。

澪『じゃあ、最後の曲です』チラリ

私は左側にいる梓の方を見遣り、次に後ろに展開されているオーケストラに眼を向ける。
アイコンタクトの後、梓のアコースティックギターがスローに掻き鳴らされた。
やがて、ギターにストリングスの音色が重ねられる。いいぞ、完璧だ。
そして、律のドラムが…… お、おい、ちょっと待て。早いって。入るのが早いよ、律。
私が律の方を向いて大きく首を振っているのに、彼女は気づかない。

澪『ストップ、ストップ! ちょっと止めろ!』

律も梓もオーケストラも怪訝な表情で演奏を止める。
客席はざわめき半分、歓声半分。

澪『律、入るのが早い!』

律『はあ!? それくらいフォローしてくれてもいいだろ!』

澪『お前がそれだと後からおかしくなってくるんだよ! 何年ドラムやってんだ!』

律『うるせえ! 死ね!』

澪『なっ……! お前が死ね!』

観客『フゥウウウウウ!』パチパチパチパチ

観客『イェエエエエエエエエ!』パチパチパチパチ




突然ステージ上で始まった私と律のケンカに、何故か観客は大盛り上がりだ。
最近では番組や雑誌インタビューで公然と言い争う姿を幾度と無く見せ続けてきた。
そのせいでファンも名物姉妹ケンカという感覚に陥っているのだろう。
少なくとも二人は本気で罵り合っているのだが。

澪『……』チラリ

私は再度、梓に視線を送る。
梓がアコースティックギターを、オーケストラがストリングスを弾き始め、先程の流れが
再現される。
しかし、またもやおかしい。今度は律のドラムが一切聴こえて来ない。

澪『!?』クルッ

後ろへ振り替えると、ドラムチェアから降りた律がドラムセットの前で座り込んで煙草を
ふかしている。
かと思うと、舞台袖のローディに身振り手振りで何か指示している。小走りのローディが
律に手渡したのは缶ビールだ。
その律の姿が舞台上部の大型スクリーンに映し出されると、観客はこの日最高の盛り上がりを
見せた。

澪(こんのォ……!)ビキビキ

結局、この日のステージはこれ以上ドラムが叩かれる事は無く、私はずっと律の方を睨みつけたまま歌うのだった。



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