車中では妙に気まずい沈黙の時が流れていた。
五藤組事務所のある雑居ビルから走り去って数分が経っていたが、梓が一向に口を開こうとしない。
梓と行動を共にするようになってからは何かと気を遣うせいか、どうにも律はやりづらい。
何かフォローを、と横目で梓を観察しながら渋々切り出した。
律「……やり過ぎって思うかもしれないけどさ。あれが一番手っ取り早かったんだよ」
梓「……え? あ、ああ、ごめんなさい。それはもう大丈夫です。少し考え事をしてただけ
なんです」
律「何を考えてたんだ?」
梓「ムギ先輩に協力を頼めないかな、って」
律「ムギに?」
梓「ええ。理由はいくつかあるんですけど…… まず、シャイニングプロダクションについて、
同じ芸能事務所の経営者であるムギ先輩なら色々と詳しいかと思うんです」
律「なるほどな」
梓「それと、警察が当てにならない上に、相手は暴力団と繋がりを持つどころか、暴力団を
簡単に使い捨てに出来る程の大きな力を持っています。それなら……」
躊躇うように言葉を切る梓の後を律が引き受ける。
律「負けないくらい大きな力を持っている琴吹グループの庇護があれば、そいつらと戦うのも
楽になる、か? あまり好きな考え方じゃないな。私は」
梓「でも……!」
律「まあ、待てよ。反対だとは言ってないだろ? いずれにしても、ムギの暗殺未遂と唯や
鈴木の殺しを繋げる線はこの一本しか残ってないんだ。それを繋ぎ止めておけるのなら、
ムギに協力してもらうのもアリだろ」
梓「じゃあ……?」
律「ああ、行き先はコトブキ・エンターテインメントだ」
カーナビに素早く目的地が打ち込まれ、車のスピードが幾分か速まる。
今後の戦略は明確なものとなった。
おそらく最大の戦力になるであろう紬を仲間に加え、ようやく姿を現し始めた黒幕に挑み
かかるのだ。
しかし、梓はいまだに俯き加減で思考を巡らせている様子だった。
律「まだ何かあるのか?」
梓「あ、いえ…… ただ、何と無くというか、漠然としてて…… 何か重要な事を見落として
いるような気がするんです。何かを……」
律「考え過ぎ、とは言わないけどな。私が思いつけない事でも梓なら、って場合もあるし」
梓「律先輩みたいな行動力と腕っぷしは、私にはありませんからね。サポートに徹しますよ」
その言葉を受け、わざとらしいしかめ面を前方に向けたまま、眼だけで梓を睨みつける律。
律「遠回しにバカって言ってるだろ。私の事」ジロッ
梓「いーえ。まさか」クスクス
律「フフッ」
二人の口から笑い声が漏れる。お互い、今日初めて浮かべる笑顔。
時計の針は正午をとうに過ぎていた。
車は尚も走り続ける。
コトブキ・エンターテインメント本社ビル。
ガラス張りの正面玄関の向こうは、広々とした欧州モチーフのエントランスホール。中央には
総合案内があり、二人の受付嬢が笑みを絶やさず座っている。
そして、その前にも女性が二人。どちらも割合に背が低く、然程若くもない。
一人は、オーバーオール・ジーンズにクリーム色のパーカーを羽織った、ロングストレートの
黒髪。
もう一人は、スリムなトレンチコートと気味の悪い模様のニット帽を身にまとい、ひどく
不潔感を漂わせている。
受付嬢「ですから、先程から申し上げております通り、琴吹社長はアポイントメントの無い
お客様とはお会いになりません」
律「こっちもさっきから言ってるだろ。緊急を要する用件なんだよ。それに私達はムギの
友達だ。昔からの。だから四の五の言わずに、さっさとムギに取りつげよ」
受付嬢「私もお二人の事は存じ上げております。有名な方ですから。しかし、それでも例外には
当たりません」
苛立つ律はカウンターの向こうへ手を伸ばすと、応対していた受付嬢の胸倉を掴んだ。
律「おい」
受付嬢「ひっ……! け、警察を呼びますよ……!」
梓「ちょ、ちょっと、律先輩! 乱暴はダメです!」
片割れの受付嬢が電話の受話器に手を伸ばし、梓は慌てて律にしがみつく。
周囲の人間も足を止め、眼を遣り、エントランスホールが騒然となりつつある、その時。
早足でこちらへ近づくスーツ姿の女性が、
律と梓に声を掛けた。
外見はどう見ても金髪の白人女性なのだが、彼女の口から発せられた言葉は流暢な日本語だった。
スリットの入ったタイトスカートから伸びる肉感的な両脚が、無意味に律の苛立ちを助長させる。
律「誰だよ、あんた」
菫「コトブキ・エンターテインメント社長室長の斎藤菫です。お電話では幾度か」
律「ああ、あんたが……」
受付嬢の胸元から手を離すと、律は菫の方へと向き直った。
菫「社長は只今、休暇をお取りになり、別荘で静養中でございます。よろしければ私がお話を
承り、後日社長にお伝え致しますが」
律「ああ?」
何故、この手合いは自分を苛立たせる事に長けているのか。そんな身勝手な疑問を頭蓋の中に
浮かべつつ、律は眼光をギラつかせて菫に歩み寄った。
梓はどういう訳か、律を止めもせずに無言で俯いている。
律「ひとつ、今すぐムギの居場所を教えれば死なない程度に殴ってやる。ふたつ、教えない
のなら死ぬまで殴る。みっつ、嘘を教えたら戻ってきて殺すつもりで殴る。さあ、どれか
選べ」
菫「申し訳ございませんが、直ちにお引き取りをお願い致します」
必要以上に顔を近づけて凄む律。
不動の笑顔で受けて立つ菫。
数名の屈強な警備員が律と梓を包囲しつつあり、受付嬢がいつの間にか警察と通話を始めている
という状況に至り、突如として梓が行動を起こした。
梓「行きましょう。律先輩……」グッ
両手で律の腕を掴んでいる。彼女には似つかわしくない強い力と、若干の震え。
律「あ? 何言ってんだ、梓。こいつら――」
梓「いいから行きましょう!」グイッ
激しい剣幕で律を引っ張り、遂には二人共、正面玄関よりご退散という形になってしまった。
無論、律の本意ではない。
玄関前の石段を降りながら、梓から顔を背けてまくし立てる。
律「クソッ! ここでスゴスゴ引き下がってどうすんだよ! もう他に方法が無いってのに!」
梓「私達は馬鹿です……」ボソッ
律「ああ、そうだよ! 馬鹿だよ! 所詮、私達は歌って踊るだけのこの世のクズだよ!
だからこうやって妥協せずに戦い続けてるんだろ!」
梓「私達は馬鹿です、私達は馬鹿です……」ブツブツ
律「お前なァ!」
また後ろ向きのマイナス思考か。もうウンザリだ。糞でも喰らえ。
これまでに無い梓への怒りを込めて、律は彼女の方へ顔を向けた。
だが、そこにあったのは冷静かつ真剣な眼差しでこちらを見つめる梓だった。
梓「私達は馬鹿です。こんな簡単な事、もっと早くに気づくべきだったんです。律先輩が
私を訪ねてきた、あの夜に……」
律「ど、どういう事だよ」
梓「唯先輩は犯人に殺される直前、律先輩に電話をしたんですよね? どうして律先輩に
電話をしたか、わかりますか?」
律「どうして、って…… 私が友達だからだろ……? 助けを求めて……」
梓「違います。それは不自然です」
梓は一刀両断に切り捨てた。そして、少しも視線を外す事無く、律を見つめる。
むしろ律の方が動揺を隠せていない。
梓「どうして不審者に部屋を荒らされて身の危険を感じているという状況で、何の迷いも無く
真っ先に律先輩に連絡するんですか? 普通はすぐ警察に通報しますよね? もしくは
契約している警備会社でもいい筈です。親友とはいえ、どうして一般市民の律先輩に?」
律「それは……」
梓「一階には管理人が常駐していますから、部屋を飛び出して助けを求めても良かった。
芸能人という立場上、事を大きくしたくないのならば事務所のマネージャーに連絡しても
良かった。なのに何故、律先輩に?」
律「……」
梓「おそらく、おそらくですけど…… 唯先輩は助けを求める為じゃなくて、犯人が誰かを
教える為に律先輩に電話したんです」
律「犯人が……」
律の唇から、かすれたように低く小さな声が漏れ出て、途切れた。
かろうじて能面の無表情を保ってはいるが、顔面は蒼白となっている。
もう既に、梓が何を言わんとしているかはわかっていた。
だが、梓の口を塞ぐ事も出来なければ、自分が答えを引き受ける事も出来ない。
只々冷たい絶望が身体中に染み渡り、身動きが取れない。
梓「唯先輩は知っていたんじゃないでしょうか。自分の身に危険が迫っているのも、危険を
及ぼそうとしている人物が誰なのかも。そして、自分が殺されるであろう事も。だから、
律先輩に電話をする、という行為が、そのまますぐに犯人の正体に繋がるように……
つまり、その…… “同じ”放課後ティータイムのメンバーである律先輩に――」
そこまで言うと、梓は口をつぐんでしまった。
律の眼。氷のような、青白い炎のような、人間の負をすべて凝縮させたかのような、あの眼。
梓が幸いに思ったのは、それが自分ではなく、アスファルトの舗道に向けられていた事だ。
一時の沈黙を挟み、やがて再び梓が律に声を掛ける。
梓「……私の事を最初に調べてください」
その言葉に、律がハッと顔を上げる。
梓「律先輩に疑われるなんて絶対に嫌です……」
泣きそうな顔に無理矢理笑顔を浮かべようとする梓。
いたたまれぬ律はすぐに梓から視線を外すと、彼女の肩に手を置きながら言った。
律「馬鹿だな」
そして、外した視線を、今度はコトブキ・エンターテインメント本社ビルへ向ける。
律「また来よう。もう少し、暗くなってから」
深夜。
時計の針は12時をとうに回り、日付は10月21日へと変わっていた。
すべての照明が落とされ、暗闇となったこの一室。コトブキ・エンターテインメント本社ビルの
社長室。
琴吹紬が腰を据え、命令を下す本陣だ。
その社長室のドアが小さな音を立て、ゆっくりと開いた。
続いて、二つの人影がソロリソロリと部屋の中へと歩みを進める。
律「ここが社長室だ。前に来た事がある」
用心深く周囲を見回す律の後ろで、疲れ切った梓が溜息交じりに両膝へ手を突いていた。
梓「はぁ…… ここへたどり着くまでに、何回も心臓が止まりそうになりましたよ……
絶対、寿命が縮みました……」
律「良かったじゃないか。長生きしてもろくな事が無いからな」
梓のボヤキを軽く受け流すと、律は懐中電灯のスイッチを入れた。
しかし、接触不良なのか、電池切れなのか、光を発する気配が無い。
律が二度、三度と手で軽く懐中電灯を叩くと、不意に壁が丸く照らされた。
懐中電灯をあまり上に向けないよう注意深く照らしながら、二人は紬のデスクへ近づく。
デスクの上は几帳面に整頓されており、乗っている物といえば、パソコン、電話、予定表
くらいだ。
律が予定表を手に取り、懐中電灯を向ける。
律「昨日、今日の予定は……」
日付が変わる前、10月20日のスペースには短く『思い出の地へ』とだけ書かれている。
それ以外はすべて業務関係の予定ばかり。
律「別荘…… 思い出の地……」
口元に手を遣り思考を巡らせる律の横では、梓がデスクの引き出しに収められた書類に入念な
様子で眼を通していた。
書類は業務提携先の海外企業関連のものがほとんどだ。ヴェイト社、スターク・インダストリーズ、
ウェイン・エンタープライズ、ウェイランド湯谷、オムニ社、サイバーダイン・システムズ。
どれも超一流と呼ばれる巨大企業ばかり。しかし、内容自体は特に眼を惹くものではない。
梓「あとは、パソコンか……」
デスクトップタイプのパソコンを起動させると、やはりというべきか、当然というべきか、
画面には『パスワードを入力してください』というメッセージが表示された。
梓「ムギ先輩なら、やっぱりこれしかないよね……」
梓は独り言を呟きながら、手早くキーボードを叩く。
HOUKAGOTEATIME
しかし、不快な電子音と共に『パスワードが違います』とのメッセージに切り替わる。
梓は頬を膨らませ、顔をしかめた。
梓「じゃあ、これ……! 今度こそ……」
暗闇と静寂の中を、再び叩打音が控えめに響き渡る。
AFTERSCHOOLTEATIME
短いメロディが鳴り、画面には『ようこそTSUMUGIさん』という文字が映し出される。
梓「やった……!」
次々と表示されるフォルダとファイル。
梓は喜びと達成感に彩られた微笑を浮かべる。
しかし、それも束の間、梓の顔は見る見るうちに驚愕に歪んでいった。
梓「り、律先輩……! 律先輩!」
息も絶え絶えという表現がピッタリの梓の声に、律は思考を一時中断し、急いで彼女の方へと
顔を向けた。
律「どうした。何か見つけたのか?」
梓「ええ、とんでもないものを……」
律は梓に倣ってパソコンのディスプレイを覗き込む。
梓がマウスを操ると、まず画面には唯の姿が現れた。道を歩く唯、スタジオでギターを弾く唯、
他者と話す唯、控えめな照明の店内で酒を飲む唯、そして自宅でくつろぐ唯。誰がどう見ても
盗撮以外の何物でも無い。
更には、数々のテキストデータだ。株式会社シャイニングプロダクション、指定暴力団五藤組、
警視庁刑事部捜査第一課、数々のマスコミ各社。それらの組織に関して詳細に記録されている。
梓は両肘をデスクに突き、頭を抱えてしまった。両眼は固くつむられている。
梓「黒幕は、ムギ先輩です……」
律はマウスを引き継ぐと、素早くファイル群を調べる。しかし、調べれば調べる程に予想も
していなかった事実ばかりが浮かび上がってきた。
律「シャイニングプロダクションは、実際はムギの経営だったのか。社長に一見無関係の
人間を据えて、指示や命令はすべてムギが飛ばしてたんだな。この様子だと」
梓「こんな…… こんな事が……」
律「旭日新聞、詠売新聞、産協新聞、経日新聞…… 何だよ、大手がこぞってムギにご機嫌
伺いしてるぜ。テレビ局も、ムジテレビにテレビ旭日…… どこも似たようなもんだ」
梓「あ、ここ! シャイニングから五藤組への送金の記録もありますよ。あと、これは……」
律「盗聴記録だ」
数あるフォルダの中に音声データばかりが収められたものがあった。
その中の『会話記録』を開く。データのタイトルはどれも名前と日時。
律は『JUN SUZUKI 2022.10.7 18:05』にカーソルを合わせ、ダブルクリックした。
純『――自伝、ですか……』
唯『うん、そうなの。だからね、純ちゃんにも協力してほしいの。音楽界の歴史とか、当時の
資料とか、そういうのをね』
純『はあ…… 私は構いませんけど……』
唯『ありがとう! 良かった…… ごめんね。お仕事が忙しいのに迷惑掛けちゃって』
純『いえ、それはいいんですけど…… でも、どうしてこのタイミングで自伝なんか?』
唯『……』
純『それに、事務所関連の出版社さんには頼まないんですか? ていうか、唯さん個人で
そんな大事な仕事を進めちゃったら、事務所に怒られるんじゃ……』
唯『……』
純『唯さん?』
唯『……』
純『あ、あの……』
唯『うっ…… ううっ、うぇえええええん!』ポロポロ
純『ゆ、唯さん……!?』
唯『うぇええええええええん! ごめんなさい、ごめんなさい……!』ポロポロ
純『謝られても…… 困ったなぁ……』
唯『ごめんなさい、みんな…… 許して……』ポロポロ
今は亡き二人の声が、反射的に梓の瞳から涙をこぼれ落ちさせた。
梓「唯先輩…… 純…… ううっ、ぐすっ……」ポロポロ
唯の泣き声と梓の泣き声がまるでユニゾンのようだ。
律は梓の背中をポンポンと優しく叩く一方で、今度は『通話記録』のフォルダを開いた。
適当にカーソルを『JUN SUZUKI 2022.10.8 12:33』に合わせる。
純『――もしもし。原稿の方、届きましたか?』
編集者『あ、どーもー、鈴木さん。さっきメールを確認しました。ちゃんと届いてますよ。
大丈夫でーす。ん……?』
純『どうかしましたか?』
編集者『鈴木さん、おもいっきり盗聴されてません?』
純『ええっ!?』
編集者『いやね、一定のリズムで通話がブツブツ切れるんですよ。あと、ザーッっていう
独特の雑音も。たぶん、鈴木さんの方は何ともなってないんでしょうけど。典型的な
盗聴器による通話障害なんですよね』
純『で、でも…… 何で、盗聴なんて……』
編集者『何かヤバい事件にでも首突っ込んでんじゃないんですか?w』
純『私はただの音楽ライターですよ!? そんなのとは無縁です!』
編集者『冗談ですよw まあ、もしアレでしたら専門の業者を紹介しますけど――』
盗聴のフォルダが閉じられ、律は溜息を吐く。
律「鈴木が言ってたのは、この事だったのか……」
そして、傍らの梓を静かに見守る。
むせび泣く梓が落ち着くまでにはある程度の時間を要したが、それでも律が考えていたより
ずっと短い時間だった。
立ち上がった梓は袖で涙をグイと拭うと、強い語調で律に言った。
梓「データはすべてプリントアウトしましょう。音声記録は携帯電話にコピーします」
律「ああ、そうしてくれ。長いドライブになりそうだからな。読み物と音楽が必要だ」
律の言葉にピクリと反応する梓。
ああ、やはり。ならば、そして。
梓「……やはり、行くんですね?」
律「ムギに会わなければならない。すべてを明らかにするんだ」
梓「信じられない…… 信じたくない…… どうして……?」
律「秘書の言っていた“別荘”。それとこの予定表に書いてある“思い出の地”。おそらく、
ムギが今いるのは――」
梓「高校二年の夏合宿で使った別荘……」
もはや、そこは愛しい思い出の地ではない。もはや、そこは恋しい記憶の地ではない。
いまや、そこは恐るべき敵の待ち受ける場所となってしまった。
身を震わせて、襲い来る感傷と戦う梓。
それを尻目に律は、音声データのコピー状況を確認しながら、プリントアウトされたデータを
せわしく掻き集める。
ここに至り、律にとって解明すべき謎は“黒幕である紬は何故、唯を殺したのか”という
最終局面に到達していた。
また、それと同時に果たすべき目的である“復讐”の時も間近に迫っている。
だが、しかし、その二つを為す事は本当に可能なのだろうか。
律「さあ、行くぞ。どれだけ時間が掛かるかわからないが、急がないと」
梓「はい……」
室内が侵入前と同じ状態になるよう整頓を済ませると、律と梓は懐中電灯のスイッチを切り、
静かにゆっくりと社長室を後にした。
『日誌 田井中律、記 2022年10月21日
これが最後になるだろうか?
午前2時過ぎにコトブキ・エンターテインメントを出た。
私はムギがすべての黒幕と確信している。
これから奴のいる別荘に向かうつもりだ。
ムギか……
思いつく限りで最悪の敵だ。
こうなった以上、勝てると信じて行くしかないが……
私達はこのまま、思い出の地で人知れず果てるのかもしれない。
五人の青春が詰まった思い出の地で。
ムギの持つ権力は私達の想像を絶している。
その気になれば、蟻を踏みつぶすより簡単に私達を社会から消し去れるだろう。
生きて帰れる見込みは少ない。
今からこの日誌をビンに詰めて海へ流そうと思う。
あの電子の海なら必ず誰かが拾い上げ、私に代わって白日の下に晒してくれる。
もうマスコミは信用出来ない。テレビ局も、新聞社も、雑誌社も。
これを読む者は、私の生死にかかわらず真実を知る事になるだろう。
詳細は不明だが、陰謀の黒幕はムギだ。
なるべくわかりやすく書いたつもりだ。
この中に事件の謎が明らかになっている。
私自身に悔いは無い。
妥協を許さず、唯の死の謎を追い続けたのだから……
喜んで影に足を踏み入れるとしよう。
田井中律
2022年10月21日2時31分』
君がメフィストフェレスじゃないにせよ
魂胆は奴と同じだ
僕が君の教えに耳を傾ければ
君の企みは達成される
僕は君の手の上で踊らされるんだ
――ザ・ポリス
最終更新:2014年04月26日 20:21