あれはしぶとく居座る残暑が最後の力を振り絞り、
真夏にも引けを取らない熱気を降り注いでいた週明けのこと。
私たちの学校の、私たちの部室の中で起きた。
純のベースが盗まれた。
もう少し正確に言うと、純のベースの“ケース”が盗まれた。
事件当日のことを話そう。
あの日は文化祭の準備等で、机をあちらこちらへ動かすようなことになっていた。
ゆえに、荷物の多い人は自然、邪魔者扱いされてしまう。
だからなのか純は登校してからすぐに、
「ちょっと邪魔になるだろうし、これ部室に置いてくるわ」
などと、珍しい気の利かせ方をし、ベースを持って教室を出た。
私と憂は、あの純にも珍しいことがあるものだなあ、などと話し合っていた。
今年の文化祭は、私たち三年生にとって高校最後のお祭り騒ぎできるイベント。
だからクラスの出し物にも勝手に力が入ってくるし、
準備だけでもてんやわんやで、訳が段々わからなくなってくる。
もちろん、その空回りしそうな意気込みは、
自分たちのライブに関しても同様に向けられていて、
私は日々の努力や気持ちを音に乗せ、お客さんたちに届けようと、
実際に言葉を出しているほどであった。
こんな具合で語ると純はいつも、肩を竦めてみせた。
「今からそんな力いれなくてもいいんじゃない?」
「そんなこと言ってると、本番で失敗するよ」
「実は私、本番には強いタイプなんだよねー」
おちゃらけた様子で言いつつ、純は音楽準備室の扉を開ける。
「憂を見てごらんよ。まさに真面目な憂ですら、今の段階ではリラックスして構えてるよ?」
「わ、私だって少しは緊張してるんだよ? 初めてのライブなんだから」
「またまたー……」
言葉に詰まる純。顔がみるみるうちに真っ青に染まる。
どうしたのだろうと、純の見つめる先に目を向けた。
そこには純のベースがあった。そう、ベース“だけ”があった。
きょろきょろと辺りを忙しく見回し、ケースを探す。
どこにもない。青かった純の顔が、今度は白みを帯びてくる。
私たちも協力して部室中を探した。
あとから来た菫と直にも事情を話し、捜索に付き合ってもらう。
しかし時間が経つに連れ、事実がありありと私たちの眼前に突き付けられてしまっていた。
やはり純のベースケース“のみ”が盗まれてしまったのだ。
「今日は、帰るわ……」
ふらりと立ち上がった純は、生気を失った一言を呟くと、
おぼつかない足取りで部室をあとにした。その日はそれにて解散となってしまった。
ベースそのものになんの被害もなかったことが、唯一の救いだった。
翌日には、さわ子先生が持っていたというケースを代わりに使い、
その後は事件のことなんてどこ吹く風で、
純を含め、私たちはなんの問題もなく、クラスと部活を忙しく走り回っていった。
ところが事件のあった一週間後、事件は大きく進展する。
その日登校してきた私は、既に登校していた多くの生徒の間から覗いた先に、
純の“ベースケース”を見つけたのだ。
いやあ驚いちゃったよね。まさか梓が犯人だったなんてさ。
えっ、違うの? だって、梓の机の上に置いてあったでしょ?
……いやごめん、前言撤回どころか全言撤回するから、梓には言わないで。
なにされるかわかんない。先週の席替えで梓が不機嫌なんだから。
隣の席になっただけかよ! って。
そういえば憂は窓側の席なんでしょ、いいなー。
私も、前の席はそうだったんだけどね。
よほど私も恋しかったのか、昨日は間違えて前の席に座っちゃったよ。
ほら、席替えしてすぐ、土日挟んだじゃん? 間違えても仕方ないじゃん?
はあ窓側って羨ましい。しかも窓側の後ろでしょ。最高だよ。
憂みたいな真面目な子はいいんだけどさ、いっつも寝てるような人には厳禁の席だよね。
はい、そこで黙って鏡出すのはやめてもらおうか。
鏡といえば、隣のクラスの出し物知ってる?
そうそう、「白雪姫とシンデレラと時々赤頭巾」。
世界で一番可愛い子は誰なのかって、真実の鏡に聞いたら、三人の娘が出てきちゃって。
最近の可愛いは多様化していて云々という訳。で、そこからは三人の心理戦。
白雪姫は毒リンゴを、シンデレラはガラスの靴の破片を、赤頭巾は狼を駆使して戦うんだって。
あれ、これ心理戦じゃないや。
ん、なになに? 事件のお話?
それなんだけどねー、私にも皆目見当つかんのですよ。
いくら事件の全貌がいくら単純なものでもさ、当事者にはそれが見えないっていうか。
新聞なんかに載ってる事件もさ、解決したものを見ると、
あー、そうだよなー、やっぱりこの人犯人だよなーって思うわけじゃん。
でもそれが当事者になると浮かばないっていうか。
そもそも私そんなに新聞読まないっていうか。
あっ、バカにしたね? ふふん、ところが私でも、たまには新聞を読むんだよ。
この前読んだ新聞で気になったのはねー、盗品を売りさばく中学生のことかな。
盗んだCDとかをゲオとかに売っちゃうんだって。悪質だよね。
悪質といえば、この近くに無許可で危険なペットを飼ってた人が捕まったとかなんとか。
怖くない? もう一寸先は闇っていうか、隣の家は闇ってやつだよ。
あとこれも近くでなんだけど、お年寄りを狙ったひったくり事件。
バイクでそーっと近づいて、荷物を奪ったらアクセル全開。酷い話だよね、全く。
あれ、どの事件も知らないの?
まだまだ情報収集が足りてないなあ。私に遅れをとっちゃいけないよ。
私は、まず地元紙から、ローカルな情報を集めているんだからね。
んっ? グローバルな情報? そんなもの理解できるわけないじゃん。
なんで笑うの。
まあローカルっぷりでいえば、私のケース盗難事件は最大級のローカルだよね。
モスト・ローカルってやつ。それともローカレストなのかな。
さわ子先生からケースは借りたから支障ないし、別に良かったんだけどさ。
どうせ返してくれるなら、もっと早くに返してよね。
あるいはさ、この日にちまで借ります、っていう書置きが欲しかった。
犯人になにを望むんだって話だけどね。
私が気づいたことかー……うーん、それがあったらもう全員に話してるよね。
だって被害者が私だし。むしろ色々教えてほしい側だし!
うん、あの日部室にベースを置いたのは、一限が始まる前。朝だね。
それから部活まで、部室に訪れたことはないよ。二人もそうなんでしょ。
ふむふむ。ということは、犯行時刻はあまり絞り切れないねえ……。
……え、今の私が名探偵っぽいって? でしょでしょ!
なんで笑ってるのかな。
にしても、なんでケースだけなんかねー。
不幸中の幸いってやつではあるけどさ。
でもなんだ、どうせ私のものが欲しいなら、直接言ってくれればいいのに。
そしたら直筆のサインぐらい、ささっと書いてあげたよ。
惜しいことしたよね、犯人も。
……だからなんで笑うの!
秋風の心地よい季節となりました。
先輩にとってはご多忙の毎日のことかと存じます。
例の事件について、私にお話を聞きたいということでしたが、
私のクラスの出し物が非常に凝ったもので、その時間が割けるとは思えませんので、
お手紙という形でお伝えすることになってしまいました。
私自身の見たもの、聞いたものを文字として書き起こすことは大変不慣れなもので、
見苦しい個所も多々あるかと思いますが、ご容赦ください。
まず書くにあたって私は、一体なにから書けばいいのかと非常に悩みました。
しばらく悩み続けてから、このままでは筆が一向に進まないと確信した私は、
それを時間に逆らわず、順番に書いてみることにしました。
そのために少々、わかりにくい点があるかもしれませんし、
そもそもこれが先輩の役に立つのか、甚だ疑問ではありますが、
少しばかりでも手助けが出来れば幸いです。
さてあの日、私は直ちゃんと合流し、部室へ向かっていました。
三階へ上る階段のところで、私たちは階上を見つめる生徒を見かけました。
リボンの色から、恐らく二年生であったかと思います。
階段を上り、部室へ入るとケースを探している先輩たちがいました。
事情を聞いた私たちも、先輩たちと一緒になりました。
しばらく、といってもあれは恐らく三、四十分ほどだったと思います、
それぐらい経つと不意に、純先輩が力なく呟きました。
「もういいかな……」と。そして「今日は帰るわ……」と。
肩を落として、純先輩は部室を出て行ってしまいました。
残された四人は、誰も動くことができませんでした。
そのあと、梓先輩の言葉で、もう少し探してみることにしたんですが、
それでも見つけることは出来ませんでした。
盗まれたんだと、はっきりわかりました。
私たちはそれで帰ったのですが、外に出てから振り返って校舎を見上げてみると、
部室に人影があったことに気づきました。それが誰だったのかは、今でもわかりません。
何人いたのかもわかりませんが、見える限りでは一人でした。
それから純先輩がさわ子先生からケースを貸してもらい、
何事もなく部活は行われていました。
誰も特別な行動を起こすようなことなく、平凡に毎日が重ねられていました。
それは一緒にお菓子や紅茶を楽しんでいた先輩なら、
よくわかってることだろうと思います。
あとは一週間ぐらい経った頃、部室に自分のケースを持った純先輩が入ってきたぐらいです。
私にとっての空白時間については、先輩のほうがよくご存知でしょう。
せいぜい知っているのは、第一発見者が梓先輩であるということだけです。
以上のことが事件前後で見たか聞いたかした、私の全てになります。
ここからは私一人の意見になってしまいますが、
あの日階上を見つめる人と、帰り際部室にあった人影は、同一人物なんじゃないでしょうか。
そして、その人がなにかを知っている。そんな気がします。
ただ、純先輩が友達は多くとも、恨みを買うような人じゃないと思うので、
その人がどういった関係の人なのか、全くわかりません。
長くなってしまいましたが、これが少しでも先輩の力になればと、切に願います。
それでは。
■四人目‐奥田直の証言
≪奥田直さんがチャットルームを作成しました≫
≪平沢憂さんがチャットに招待されました≫
平沢憂:欠けてる?
:あ、違う。書けてる?
奥田直:書けてはいますが、欠けてはいません
平沢憂:まだ慣れないなあ。
奥田直:それで事件のことについて聞きたいことがあるというお話でしたが
平沢憂:あ、それなんだけどね。
:いくつか質問させてほしいんだ。
:まず、あの日部室に初めて行ったのは?
奥田直:はい
:先輩たちより後です
:菫と一緒に行きました
平沢憂:その際、変わったことは?
奥田直:部室の方を見つめている人がいました
平沢憂:知ってる人?
奥田直:知りません
:リボンの色から、二年生だったと思います
平沢憂:二年生なんだ。誰なんだろう、軽音部のファンなのかな。
:その人はそれ以降見た?
奥田直:いえ
:先輩たちも知らないのですか?
平沢憂:私たちも心当たりないんだよね。じゃあ部室入ってから変わったことは?
奥田直:変わったことしかありませんでした
:純先輩が泣きそうな顔なんですもん
平沢憂:泣きそうな純ちゃんも可愛いよね?
奥田直:先輩、なにを言ってるんですか?
平沢憂:可愛いと思うんだけどなー。犯人に心当たりは?
奥田直:泣きそうな顔を見たくなった憂先輩が筆頭候補です
平沢憂:直ちゃんひどいよー!
奥田直:ひどい趣味なのはどっちですか
平沢憂:あ、ケースの捜索中に気づいたことは?
奥田直:それが盗まれたこと以外、全部普段通りだなあと思いました
:菫がなにかを見たと言っていましたが
:私は振り返って見てないので、なんとも……
平沢憂:じゃあ逆に、行きの道で気づいたことは?
奥田直:そういえば部室の窓が開いていた気がします
平沢憂:どのぐらい?
奥田直:全開というわけではないです
:空気の入れ替えでもしてるのかな、と思いました
平沢憂:さわ子先生かな?
奥田直:そうだと思います
平沢憂:お掃除すると気持ちいいもんね!
奥田直:憂先輩らしいお言葉です
平沢憂:さわ子先生はなにか知らないのかな?
奥田直:さあ……
:特に私たちからなにか伝えたとか、そういうことはありませんし
:でもケースを純先輩に貸してたので、どこからか聞いたのかもですね
平沢憂:梓ちゃんあたりが気を遣ってくれたのかも。
奥田直:不器用な優しさですね
平沢憂:そこが可愛いよね!
奥田直:憂先輩の周りは可愛いもので一杯ですね
平沢憂:直ちゃんも可愛いよ?
奥田直:ありがとうございまs
:ありがとうございます
平沢憂:直ちゃんでも打ち間違えることあるんだね〜。
:他に事件に関連して気になったこととかある?
奥田直:特にこれといって
:まあ事件といえば、近所に全国指名手配犯が潜伏していたらしい、というニュースは驚きましたけど
平沢憂:それ私も聞いたよ!
:特になにもしないで町を去って行ったらしいけどね
奥田直:純先輩には悪いですけど、こっちの事件の方が関心あります
平沢憂:それじゃここでもう一回聞くけど、犯人に心当たりは?
奥田直:あいかわらず憂先輩です
平沢憂:直ちゃん?
奥田直:すみません眠くなってきました
:寝ますね
平沢憂:あ、うん、わかったよ。おやすみー。
奥田直:おやすみなさい
≪平沢憂さんが退室しました≫
≪奥田直さんが退室しました≫
(以上、三名の証言は、ベースケースが返ってきた翌日に聞いたものです)
(ここで一息。“犯人”とその“犯行理由”を推理してください)
最終更新:2014年05月20日 22:05