-梓
ファーストインプレッションは、もったいない先輩…でした。
出るところは出ていて、顔のパーツも整っていて、筆舌しがたいほど綺麗な髪で--。
それなのに太い眉毛のせいで、ちょっと野暮ったい。
他の先輩たちとのやり取りから、優しくて丁寧な人だとは感じていましたが、その程度で。
特に良い印象も悪い印象もありませんでした。
そんなムギ先輩のイメージが変わったのは、軽音部に入ってしばらくしてからのこと。
ある昼休みのことです。
お昼ごはんを済ませた私は、中庭にいました。
憂が唯先輩のところは行ってしまい、手持無沙汰だったし、学校を探索することにしたのです。
花壇に目をやりながら歩いていると、ふと金髪の後ろ姿が目に入りました。
ひと目でわかりました。ムギ先輩です。
ムギ先輩は座りこんで何かしているようでした。
何をしているか気になり近づくと、先輩はこちらに気づきました。
「あれ…中野さん」
「こんにちは。琴吹先輩……あ、その子」
「ええ、迷いこんだみたいなの」
「猫さん…」
「ふふふっ」
「?」
「猫さんだなんて、随分かわいらしい言い方だなって」
「う…」
「気にしないで、褒めてるんだから」
なんだか出鼻を挫かれた気分です。
先輩はそんな私のことなど気に留める様子もなく、猫を撫でています。
喉元を撫でられたその子は、気持ちよさそうに、ニャァと…。
「私も撫でていいですか?」
「ええ、もちろんよ!」
「おいでー」
猫は素直に近寄ってきて、顔を差し出しました。
まるで撫でてくれと言わんばかりに。
「ふふ、素直な猫さんねぇ…」
「はいです」
「そういえば中野さんはどうしてこんなところに?」
「ちょっと学校探索です」
「ふぅん…この学校広いからわかりにくいでしょう?」
「はい。でも、最近はだいぶ慣れてきました」
「そっか。ねぇ、よかったら私が案内しよう…」
「ん?」
「…探索は自分でやるから楽しいんだよね。ごめん、忘れて」
探索は自分でやるから楽しい、というムギ先輩の発想は面白く感じました。
私は何度か校内探索に出ていましたが、それは所詮暇つぶしで。
面白いかどうかなんて考えたこともなかったのです。
でも振り返ってみれば、結構探索を楽しんでいたかも…。
「あの、琴吹先輩」
「なぁに?」
「やっぱり案内をお願いできませんか?
1人での探索ならいつでもできるので」
「ふふ、そっか。
じゃあ、この子とはお別れね。バイバイ」
猫は名残惜しそうにムギ先輩が離れていくのを見ていました。
「さて、どこか案内して欲しいところはある?」
「えっと…」
「特にないんだ?」
「ごめんなさい…」
「中野さんが謝ることないわ。順に見て回りましょう」
中庭、特別教室、部室練、会議室…特にあてもなく、私達は歩きました。
ムギ先輩は施設が見えるたび熱心に説明してくれたので、軽い気持ちで案内を頼んだのが申し訳なく思えました。
「…と、これくらいかしら。もういい時間だし」
「そうですね」
「じゃあ、またね」
「あの…」
「どうしたの?」
「今日はありがとうございました。
それから…ごめんなさい!」
「どうして中野さんが謝るの?」
猫と戯れている先輩を邪魔してしまったこと。
軽い気持ちで案内を頼んでしまったこと。
私の中では「申し訳ない」ことなのだけど、うまく説明できそうにありませんでした。
「…中野さん」
「…はい」
「ふふ、唯ちゃんが中野さんに抱きつく理由がわかったかも」
「え…」
先輩は戸惑っている私に近づき、そっと頭を撫でてくれました。
「先輩が、先輩風を吹かせるのに理由なんていらないのよ
少しでも後輩の役に立ちたくて、先輩は必死なんだから」
語りながら、優しく髪を撫でてくれる。
「ふふ、中野さんの髪はさらさらね」
「先輩の髪だって…」
「触ってみる?」
「いいんですか?」
「もちろん」
☆
私は恐る恐る、手を伸ばした。
…あの時のことは、今でも覚えている。
ただ先輩の髪を触るというだけなのに。
ほんの数十センチ手を伸ばすだけなのに。
それがひどく特別なことに思えて。
どうしようもなく、心臓がざわついて。
あぁ、これが「ときめく」ってことなんだと----
☆
ムギ先輩の髪はさらさらで。それから--
--とてもいい匂いがした。
私が「もったいない先輩」を好きになったきっかけは、その一件なのだけれども。
そのきっかけが「好き」という言葉に昇華されるまでには時間がかかった。
他の先輩に気づかれないようにこっそり目で追って。
ムギ先輩と目が合うとサッと逸らして。
そんなとりとめのない、それなりに楽しい時間を過ごしてきた。
そんな私の変化に他の先輩たちもムギ先輩も気づいていない…と思っていた。
でも、それは大きな間違いでした。
とある夏の日。
澪先輩が夏風邪気味なため、部活はお休みだというメールが来た日。
私は部室に行きました。
特に理由はありません。
強いて言うなら、誰もいない部室を探索してみたかったから…かもしれません。
部室にはムギ先輩がいました。
「あら、梓ちゃん」
「ムギ先輩? 今日部室は休みだって」
「あー…そうなんだけど。ちょっと氷を処分したかったから」
「氷…あ、お茶のですか?」
「うん。部活で出すお茶に入れてる氷なんだけど」
部活が突然休みになることはしばしばある。
その度にムギ先輩はこの作業をしているのだろう…。
「梓ちゃん?」
「?」
「何か考えこんでたみたいだけど」
「な、なんでもないです。
あ、そうだ!
良かったら、ちょっとお話しませんか?」
「ふふ、名案ね!
氷さんもそのほうが浮かばれるでしょうし」
氷さん。
その響きがおかしくて笑いを堪えていると、あっという間にアイスティーが出てきた。
冷たいお茶を飲みながら、部室でしばし談笑。
話したのは、休日の過ごし方、友達のこと、律先輩のオデコのこと。
ふと、話題が途切れる。
ムギ先輩はグラスに口をつけ、コクコクとアイスティーを飲みはじめた。
ふたりきりだったからか。それとも夏の日だったからか。
私はムギ先輩の唇から目が離せなくなってしまった。
アイスティーを飲み終えた先輩は、こちらを向くと、悪戯っ子みたいに笑った。
それから私の方へ歩いてきて、唇を重ねた。
そっと触れる程度のキスの後、すぐ唇を離した先輩は「勘違いじゃないよね」と呟いた。
「勘違いなわけないです」と返すと、舌で私の唇を抉じ開けた。
突然のことで頭が真っ白になった私のことなどお構いなしで、ムギ先輩は私を愛しはじめた。
舌は生き物のように私の口内で暴れまわり、涎が2人の口から滴り落ちる。
キスを続けたまま、先輩は器用に私の服を脱がせて、胸を愛撫しはじめた。
トクン
トクン
突然だったけど--
突然過ぎたけど--
ムギ先輩と愛し合うんだって実感が湧いてくる。
私も懸命に舌を絡めて、快楽を貪った。
ムギ先輩は乳首を暫く攻めた後、私の大事なところを攻め立てた。
私が十分に濡れたのを見計らい、先輩は唇を離した。
2人の息は荒い。
十分な酸素を補給した後、今度は私のほうからキスをした。
再び舌を絡めながら、ムギ先輩の指で…私は達した。
「ムギ先輩」
「なぁに」
「ファースト・キスですか?」
「ええ」
「どんな味がしました?」
「えっと…」
「ムギ先輩も?」
「うん…」
「衝撃的すぎて、味わう余裕なんてありませんでした」
「私も。アイスティーの味なんだろうけど、その直後に梓ちゃんの味を知ってしまったから」
「…」
「どうしたの?」
徐ろにキスをして、舌を入れた。
「ムギ先輩の味を覚えておきたくて」
「ふふふ」
愛の告白も、高校生らしい葛藤もないまま、私とムギ先輩の関係がはじまった。
と言っても、特に何か変わったわけではない。
たまに2人で遊びに行くようになった程度である。
学校生活でも、部活でも、身の振り方を変えるようなことはしなかった。
ただ、それでも先輩たちは2人の変化に気づいたみたいだ。
その上で何も言わないでくれたのは、とても有り難かった。
一番変わったことは…定期的に愛し合うようになったことだ。
私はあの日から…正確に言うとあの日以前から、ムギ先輩を性的な目で見てきた。
あの日以降、私はムギ先輩を見ると、どうしようもなく発情してしまうようのだ。
男子高校生なんて猿みたいなものだなんて言うけど、女子高校生は猿以下かもしれない。
そう思えるくらい、どうしようもなくムギ先輩を求めてしまう。
部室で、ラブホテルで、先輩の家で。
何度も何度も愛しあった。
2人でインターネットを見ながら研究もした。
その成果もあり、二人同時に達することもできるようになった。
爛れた日々。
でも幸せな日々。
そんな日々が永遠…とまではいかずとも、しばらくは続くと思っていた。
けれども、私は気づいてしまったのだ。
一緒にいるうちに、どんどん先輩について理解していった。
ムギ先輩は、誰かを助けることに喜びを感じる。
それは例えばお茶を入れることだったり。
あるいは唯先輩の面倒を見ることだったり。
とにかく、誰かを助けて喜んでもらうことに、最上の喜びを感じる。
もちろんムギ先輩自身の願望(例えば食欲)もあるけれど、
それ以上に、ムギ先輩の根っこに「奉仕による喜び」がある。
最初は小さな違和感に過ぎなかった。
ムギ先輩の「赤い顔」を見たことがない、という小さな違和感。
でも、ムギ先輩について知っていくうちに、
ムギ先輩について理解していくうちに、
違和感は疑念へと変わっていきました。
もしかしたら、ムギ先輩は----
ある日。
私達はホテルにいた。
お互いに下着姿になった後、私はムギ先輩を押し倒した。
先輩はニコニコしている。
いつもはムギ先輩が終始リードしてくれる。
きっと先輩は「今日は梓ちゃんがリードしてくれるのかしら」とでも思っているのだろう。
私はムギ先輩の目を覗き込む。
ムギ先輩は目を逸らさない。
覚悟を決めて、私はその問を発した--
「ムギ先輩は私のこと好きですか?」
言ってから、少し後悔した。