▼‐01
私立の学校ともなると、どっかの空き教室を使うとかじゃなくて、
いくつかの部活には専用の部屋が分け与えられたりする。
それってよくよく考えると、贅沢ことなんじゃないかって。
わたしは眼鏡越しに、部屋の隅に積み上がった椅子と机をぼうっと見ながら、
そんなことをぼんやりと考えていた。
「なにしてんの?」
「あ、いや、なにもしてません」
部長のS先輩がけらけら笑う。そうすると現れるえくぼは、先輩のチャームポイントだ。
「あはは、なにそれ。ちずるって、結構マイペースだよね」
そうかもしれないなあと頭に思い浮かべながら、わたしも笑みを返す。
わたしは島ちずる。二年一組、写真部所属。将来の夢はプロカメラマン。
ちょっと意外に思われるかもしれない。
でも、この写真部に入っている人たちにとっては、特別珍しいことではない。
そう、ここの部員たちは、揃いも揃って将来の夢を写真に見ている連中なのだ。
「つーか夏休みにまでお前らの顔見るとは思わなかったわ」
「いやそれわたしのセリフだし~」
「お前ら……」
三人の先輩たちが部室の真ん中で、軽口を叩きあっている。
こういうのってすごくいい。右手の重みに気がつく。
そして、青春の一ページを切り取るかのように、
相棒のデジカメを使って一枚ぱしゃりとシャッターを切った。
「え、今の撮った?」
「撮りましたよ」
「ちょっと消して~! やだ、恥ずかしい~!」
先輩は顔を真っ赤にして、わたしのカメラに手を伸ばす。
わたしはそれを同学年の部活仲間であるTちゃんに手渡しでパス。
Tちゃんは頷くと、部室にあるパソコンとデジカメを繋ぎ、素早くコピー&ペーストした。
「うわあ、やめてー! デジタル機器はわかんないからー!」
「コピペしてるだけなのに!?」
このN先輩は完璧なアナログ人間なのだ。
なんと携帯も持っておらず、どんなに単純化されたデジタル機器だろうと、
操作の一つもできないという徹底ぶり。
さらに、弟が大きくなったら教えてもらうんだと言って、自分からはなにもしていないという頑固強さ。
いつも手にしているのはフィルムカメラだ。
しかしながら写真の実力は本物で、実はわたしもそんな先輩のファンである。
「ほら、これ見て落ち着きなって」
そう言って、部長のS先輩がN先輩の前に一冊の本を差し出す。
写真集だ。N先輩はそれを一瞥だけして、すぐに首を振った。
「これ見て落ち着くのはあんただけだよー……」
「いや大体のやつは落ち着くだろ」
差し出されたのは、S先輩が毎日持ち歩いている犬猫の写真集だ。
S先輩は動物が好きで、自分が撮影する写真のほとんどに動物をテーマとして取り上げている。
一方で、N先輩は動物があまり好きでなく、
多くの女子高生たちが癒されるだろう犬猫の写真を見ても、全く癒されないらしい。
ちょっと損してると思う。
ところで二人の傍で呆れかえっているのは、A先輩。
一人っ子なのに、長女のN先輩よりしっかりしていると、よく言われている。
別名、影の指揮者。
この三人はいずれも相当な力の持ち主だけど、
特にこのA先輩は去年コンクールで賞を貰うほどの実力だ。
「わたしとしては犬とか猫よりトカゲの方が可愛いかと」
「えぇー、それはわからないわ」
三人は、こうしているとわからないが、写真に対して人一倍真摯で、
少しの遊び心を含めて撮った写真だろうと、必ずぶれない芯を一本持っている。
そういうのはとてもかっこいい姿勢だし、わたしも見習いたいところだ。
「あ、わたしはトカゲ可愛いと思います。なんだか、目がつぶらなんですよね」
いつの間にかTちゃんが会話の輪に飛び込んでいた。
わたしも、トカゲの目は可愛いと思う。
あのつぶらな黒い目を見ていると、頭をちょこんと触りたくなってしまう。
▼‐02
夏の日差しが肌の表面をじりじり焼き付ける。
さらに、黒くごつごつしたコンクリートからの反射熱で、上下の挟み撃ちだ。
右手に提げた鞄の中からハンカチを取り出し、浮き出る汗を拭く。
ハンカチを戻す際、ふと思いついた。
この鞄の中にはわたしの相棒ともいえるカメラが、学校だろうとお出かけだろうと常に入っている。
そのカメラで、隣の友人を一枚ぱしゃり。
撮った写真を見ながら、しみじみと思ったことを口にする。
「しかし本当に成長してないね」
「余計なお世話だよ!」
途端に怒りだしてしまった。
怒ってはいるものの、正直あまり怖くない――といえば、さらに怒ってしまう。
これでは悪循環だ。どうしたものか。思いついた。
「しずか。わたしたちの先祖は、良い言葉を残してくれてるよ」
「えっ?」
「“千里の道も一歩から”。身長を伸ばすためには一つ一つの小さな努力が必要ってこと。
そんなにかりかり怒ってちゃあ、伸びるもんも伸びないよ?」
「そ、そうだったんだ……」
うん、素直な子ってわたし大好き。
友人の木下しずかを適当に丸め込んだところで、映画館に向かう。
そこでは、前々から応援している漫画原作の映画を観ることになっている。
映画の制作決定が知らされたのが去年の十二月で、今日が七月。
半年以上も楽しみにしてたってわけだ。
ところで、しずかは原作の漫画を読んでいない。
それなのについて来てくれたのには、勿論理由があった。
「この作品はね、奥が深いんだ。例えばこのセリフは現代への痛烈な批判になっていて――」
「へえ……」
といった具合に、わたしの主観をふんだんに含めたあらすじを聞かせると、
すぐに興味を持ってくれたためだ。
罪深いことをしたかもしれないけど、好きなもののためなら仕方ない。
「漫画と展開が違うところもあるのかな?」
「二時間じゃ、全部は収まらないだろうなあ」
期待と不安を半分ずつ持ちながら、シアターの席に着く。
あの物語をどのようにまとめてくるか。そこに注目だ。
ちょうど真ん中に位置する席からは、スクリーンの全体がよく見渡せる。
スクリーンには映画の宣伝が映されていた。
逃げ惑う男が爆風で吹き飛ばされていたり、男女が抱き合ってキスを交わしていたり、
フリフリの衣装を着た女の子たちが戦っていたりと、統一感のない映像がだらだらと流れている。
「あ、わたし好きなんだよね、これ」
しずかは、頭をビデオカメラにした男たちが、
奇妙でキレのある踊りを披露していている映像を指差した。
今度は赤いパトランプの頭の男が、それらを捕まえる。
勧善懲悪。良かった良かった。
ところで、この映像が流されたということは、本編が始まるまでもう少しということだ。
さて、映画は途中まで、漫画と同様の展開を見せていた。
初めはイメージにそぐわないかなと思う役者がいたものの、
実際に演じているところを見ると、これはこれで良い味が出ていると感じることもあった。
しかしながら、二時間という尺の短さがそうさせたのか、
終盤を急展開でまとめてしまったのは、致命的だと言わざるを得なかった。
「どうだった、しずか?」
映画を観終わった後、しずかに尋ねる。
しずかは少し悩んだ様子を見せて、
「んー……。微妙だったかな」
「はは、わたしも」
二人して苦笑いを見せ合った。
しずかの小さく開いた口から、ちょこんと白い歯が覗いた。
「ま、実写で、時間に限りがあるとこんなもんか。
気分を取り直して、どっかでお昼でも食べに行こうか」
「ちずるは食べたいものとかある?」
「んー……今の気分はイタリアンな気分かな」
「わかった。ちょっと待ってね」
しずかは携帯を取り出し、近場にあるイタリアンのお店を探し始めた。
すぐそこにそれが見えることは、しばらく黙っておこう。
▼‐03
しずかが発見したということになっている、すぐそこに見えていたレストランの扉を開く。
店内から人々の話し声が溢れ出てきた。
時間帯と場所が良いのだろう、六人掛けの席がほとんど埋まっているほどの盛況ぶりだった。
わたしたちは奥の二人掛けの席に案内された。
ひし形模様を並べたクリーム色の壁に、ちょうどその模様と同じ形をした窓がある。
店は二階の高さにあり、白い映画館の建物とそこを出入りする人たちが、
わたしたちの席からも見下ろせた。
「これからあの映画見る人もいるんだろうね」
「つまんないですよーって忠告してくれば?」
「それって捕まらないかな」
「なんの罪に問われるんだろ」
「営業妨害罪?」
多分、ちょっと違うんじゃないだろうか。
テーブルの上に立ててあったメニューを手に取り、目の前に広げる。
ページをめくっていくと、あるものを発見した。
小さいお皿に乗ったオムライスと、その上に建てられた国旗が目印のお子様ランチだ。
思わずにやりとする。
「なにニヤニヤしてんの」
「別にー?」
しずかは怪訝そうな顔を、こちらに向けてきている。
その顔つきのままメニューに目を走らせると、あるところで固まった。
表情はすぐに激情を表した。
「ちずる!」
気づかれてしまったようだ。でもいい顔をしている。
しずかは、笑った顔は勿論、怒った顔も、
ついつい写真に収めたくなってしまうほど可愛いのだ。
適当にしずかをなだめつつ、鞄の中から手探りでカメラを探す。
「あれ」
いくら手を動かしても、カメラに触れた感覚がなかった。
今度は目視で鞄の中を探す。無い。
さらに一つ一つの小物をテーブルの上に出し、ついに鞄の中を空っぽにする。
「どうしたの?」
さっきまで怒っていたしずかも、さすがに心配そうにしていた。
立ち上がり、焦りながらズボンのポケットへ手を突っ込む。
突っ込んだ手を中でしきりに動かす。しかし、ポケットの裏地の手触りしかない。
「カメラ、落としたかも……」
「えっ」
それが理解された瞬間、わたしはお腹にぽっかりと穴が開けられてしまったようだった。
膝から崩れ落ちる。なんてことだ。
毎日一緒に過ごしてきた相棒を、どこかに落としてしまうなんて。
わたしはこの店にいる間、後で頼んだパスタはおろか、水さえ喉を通すことができなかった。
▼‐04
しずかに協力してもらい、今まで来た道を戻りながらカメラを探す。
映画館。落とし物として拾われていれば、然るべき場所に届けられているはずだ。
次に、そこに行くまでに利用したバス。その停留所近くの事務所に連絡を入れる。
しかし、いずれの場所でもカメラは見つからなかった。
「どうしよう……」
自分でもみっともないぐらい肩を落とす。
視界は足元に落ちていった。ぐわんぐわんと世界が揺れる。
耳にサイレンの音が飛び込んできた。
はっとなって音の鳴っている方向を見ると、パトカーが近くに停車していた。
少し冷静になって、それがわたしに関係あるはずもないと、また視線を落とす。
「ちずる、まだ探してないところは一杯あるよ」
「でも、でも、でも……」
「諦めないで。まだ見つからないって、決まったわけじゃない」
しずかはわたしの手を包み込み、わたしの目を真っ直ぐに射抜いた。
力強い目だ。いつも、小さい小さいと馬鹿にしていたその子が、
その時なによりも頼もしく思えたのは、決して気のせいじゃない。
結局、夕方になるまでカメラ探しは続いたものの、芳しい成果は得られなかった。
とはいえ、しずかに励まされたおかげか、思ったほどに落ち込んでもいなかった。
「まあ、まだ全部の場所に回ったわけでもないし。
見つからなかったら、その時はその時だよね」
「ごめんね、力及ばずで」
「ううん、協力してくれてありがとう。こっちこそ、迷惑かけてごめんね」
この日はそこでしずかと別れ、寄り道することもなく帰宅した。
意味もなく家のなかのポストを漁ったり、
部屋中の整理整頓を始めたりもしたりしていたけれど、
しずかに向けた言葉は本心から出たものだ。
「夜中にうるさいよ、ちずる!」
お母さんには怒られてしまったけれど。
「だってカメラが……」
「カメラ?」
「カメラなんだよ……」
「訳わかんないけど、夜中に大掃除はやめなさい」
翌朝、わたしは毎日の習慣として、早い時間から家のポストを確認した。
朝日が起き掛けの目には眩しい。
ポストの蓋を開け、半分ほど開いた瞼の隙間から、中身を確認する。
はっとした。朝刊のすぐ横に置かれている、見覚えのあるもの。
眠気は一瞬のうちに霧散してしまった。
傷つけないように“それ”を取り出す。――ああ、間違いない。
これはわたしのカメラだ。
▼‐05
喜びの余り、わたしはすぐさましずかに電話をかけた。
「ねえしずか、聞いて! カメラが返ってきたんだよ!」
『ごめん、まだ眠いからその話はまた後でね……』
切られた。昨日の友情譚はなんだったのか。
気を取り直して、そのカメラを隅々まで観察する。
カメラは家のポストの中に入れられていた。
外側を観察する限りでは、傷をつけられたとか、パーツが取り替えられたとか、
そういうことはない様子だ。今度は中のデータを確認する。
何枚か、新しい写真が入っていた。
散らかった部屋や二階建ての家の外観、木の肌、アスファルトの道路、踏切と電車、猫、
アスファルトの道路、電柱にとまったセミ、近所にある本屋等々。
どれも雑多で、正直あまり上手いとは言えない。考えなしに撮られている。
例えば家を撮った写真は、生垣だと思われるもので下半分が占められてしまっている。
あまりにバランスが悪い。猫の写真は少々過ぎるほど近い距離から撮られている。
こんなに近づけるものかと、ある意味で感心してしまう。
一方、電車の写真は少し迫力があるかもしれない。なんとなくだけれど。
「あっ」
さらに遡ってみると、わたしの今までに撮った写真が現れた。
どの写真にも、わたし自身は写っていない。
不思議だ。ならばどうして、“これがわたしのカメラだとわかったのだろう”。
そしてどうして、それを家のポストに入れたのだろう。
嬉しい反面、どこか怖いイメージがふつふつと湧き上がってきた。
しばらくしてから、しずかに再び電話をかける。
今度はちゃんと応対してくれたため、今朝の出来事を伝えた。
『確かに不思議だね』
電話越しだけど、しずかが難しそうな顔をしているのが伝わる。
『ちずるの知り合いなのかな』
「んー、そういうことになるよね」
『ちずるの撮っていた写真が残ってたんでしょ?
それなら、そこからちずるのカメラだってわかるんじゃない?』
「でもわたしが写っている写真は一枚もないんだよ」
『えー……じゃあわかんないや』
「もう、なんでなんだろ! 気になる!」
わたしが叫ぶと、しずかは小さく吹き出した。
「え、なにしずか?」
『今のちずる、子供みたいだね』
そう言われた途端、わたしは羞恥心に取り囲まれてしまった。
顔全体が真っ赤に染まっているのがわかる。
でも童心を忘れないことや、探求の意欲を持ち続けることは悪いことじゃない。
そう、なにより恥ずかしいのは、
「しずかに子供って言われた……」
『そこなの!?』
そこなのだ。電話の向こうから、ぷんすかと怒った声が聞こえる。
けれどやっぱり、しずかのそれは全然怖くない。
ふと、電源のついていたテレビに目をやると、暴行事件を取り上げたニュースが流れていた。
「あ、これ昨日行った場所だ」
あの日、パトカーが来ていたことをすぐに思い出す。
被害者は頭部を強く殴打され、重傷を負ってしまったという。
わたしには関係ないと冷淡な感情を向けていたが、
今更ながらとんでもないことだと、改めて自分を恥じた。
最終更新:2014年07月05日 20:10