『9回裏ワンナウトランナー満塁、第3球を投げたボール、アウトコースストレート!』


窓の外から聞こえる蝉の声が、ミンミンミンミンうるさい。

TVの画面のむこうから、興奮したアナウンサーの声が聞こえてくる。

誰もが知っている野球名門高校と、甲子園初出場の公立高校の対決。
ソファーに寝転がってなんとなーくTVを付けていたら見入ってしまった。

判官びいきというか、気持ちとしては初出場の高校が勝つと面白いなあ、と思っていたら同点の9回表に3点を追加。
9回裏も難なくツーアウトまでこぎつけて、勝利は確定的に思えたんだけど…そこからの連打連打で満塁に。試合展開はわからなくなった。

私の隣りには、手に汗を握りながら少し前のめりになって画面にかぶりつくように見入る友人秋山澪と弟聡。


「うわぁ…力んでるな。落ち着け…落ち着けよ…」
「だだだ大丈夫だ!自分を信じるんだ…普段通り投げれば…切り抜けられる!」


『いやあここは落ち着いて投げてほしいですね。普段通り』
『そうですね。ピッチャーにもバッターにも大きなプレッシャーがかかる場面ですから、落ち着いて普段の力を発揮した方が勝つでしょうね』


『カウントはツーエンドツー、セットポジションから…投げたスライダー、打った大きい!伸びる!伸びる!伸びる!入るか!入るか!入るか!レフト見送った!入った!入ったぁぁぁぁぁ!!!レフトへ!入った!逆転満塁ホームラァン!!!』


「あああああ…」
「や、やられた…」


『ギャクテーン!!!』…というアナウンサーのけたたましい叫び声。

ホームランを打った選手が飛び跳ねて全身で喜びを爆発させている。


あとストライクひとつ取れれば勝てたのに…。


「最後のスライダーがすっぽ抜けなければなぁ…ピッチャーを変えるべきだったのかなぁ」

「でも控えになるとガクッとレベル下がるからな。続投は間違いなかったと思う。
 むしろ変化球を要求したキャッチャーに問題があるんじゃないか」

「確かにピッチャーはストレートで勝負したかったかもな…でも。明らかに球威は落ちてきてたし抑えられたかどうか…」

「うーん…」



一球。

たったの一球で天国と地獄。

つい今さっきまでほとんど手の内にあったはずの栄光はするりと滑り落ち、気がつけば暗い暗い穴の底に落ちていた。


最後の一球。


…スライダーのキレが鋭ければ。
…思い切ってストレートを投げていれば。
…監督がピッチャーを交代させる決断を下していれば。
…安心して交代できる控えのピッチャーを育てておけば。


…もしも。


バットとボールの距離があと数センチズレていれば、スタンドまで届くことはなかったろう。
風が強く吹いていれば、押し返されたボールはスタンドまで届くことはなかったろう。


…もし。そうであったなら。

今、喜びを爆発させているのは、公立高校の選手達だったのかもしれない。


目の前のどうしようもない現実を受け入れきれないとき、もしも…あのとき…ああしていれば…と、私たちは後悔をする。


もしも…あのとき…ああしていれば…


うなだれる高校球児たちを見ながら、私は大きくため息をついた。


「さて、と。何ボーッとしてるんだ律。ほら、試合終わったし、そろそろ宿題やるぞ。明日の登校日に提出しなきゃいけない課題、まだやってないんだろ」


なんで登校日の前日まで宿題をやらなかったんだろう…少しづつでもこなしていれば、今日苦労することはなかったのに…
私は過去の自分を恨み、後悔をした。


相も変わらず朝早くからミンミンと威勢良く響く蝉の声。
ただ今朝は少し曇っていて、日差しが幾分かマシだ。おかげで少しだけ涼しい。


「夏ももう、終わりなのかねぇ」

「何言ってんだ、律」

「ゆーうつだー………せーっかくの残り少ない夏休みなのにさぁーなぁんで登校日なんてあるんだよ。夏休みなんだから休ませてくれりゃいーのに…」ファ~ア

「眠そうだな。一日一日コツコツ宿題済ませておかないからこういうことになるんだよ」


澪は随分遅く23時頃まで私の宿題に付き合ってくれて、その後ウチの母親が車で家まで送っていった。

澪が帰った後、ちょろっとだけ気分転換にマンガ読もー…って思って気がついたら時計の針は深夜2時。


それから、泣きたい気持ちをこらえ、睡魔に負けないようコーヒーをがぶ飲み。気合いを入れなおして宿題を終わらせた。


「いーじゃんカタイことゆーなよ。宿題ちゃんとやったんだから」

「まったく…そういういい加減なことしてると、いつか後悔することになるぞ」

「わーかってるって。ってことで次もよろしく!」

「まったくわかってないじゃないか!」ゴツン

「…今ので目が覚めました」イタイ

「おはようございます、律先輩、澪先輩」
「りっちゃん、澪ちゃんおはよう」

「おームギ、梓、おっはよん」
「おはよ」


信号待ちの交差点で、後ろからやってきたムギと梓の二人と合流した。
挨拶もそこそこに、梓はキョロキョロと周囲を見回す。


「あの…唯先輩は?」

「ん?今朝はまだ見てないけど」

「唯先輩…登校日覚えてますよね??」

「さすがに大丈夫だろ…一応昨日メールしといたし」

「私もメールした」
「私も〜」


…みんな考えることは一緒か。


「あ、メールなら私も…大丈夫ですよね?憂もいますし、ね」

「そうね。憂ちゃんがいるから安心ね」

「そうそう。それに別に登校日くらい忘れたって、死ぬわけじゃないし」

「死ぬことはないけど、理由もなく学校サボっちゃダメだろ」


ただでさえ唯のことだから、うっかり忘れてる〜とか、二度寝しちゃった〜とかありそうでコワイ。
一応私たちは、揃って唯にメールしておいた。


『今日の登校日だぞ!ちゃんと学校に来いよ!』


学校に着くまでの間、誰にも返事は来なかったけれど、「もしかして今のメールで起きたのかもしれませんし…」「どうせいつもみたいに遅刻ギリギリで駆け込んでくるだろ」なんて軽口を叩きながら校門をくぐった。


教室の扉を開くと、予想に反して目に飛び込んできたのは唯の姿だった。
窓際の自分の席から、ぼうっと外の方を眺めている。


「おはよう唯。なんだよ。来てたんならメールの返事くらい返せよな」

「みんなおはよう。…メール?あ、ごめん。見てなかった」

「おいおい…まぁいいか。遅刻しなかったんだし」

「しっかし、今日はどうしたんだ?早いじゃん。まーた目覚ましを1時間早くセットしてたのか?お約束か?」

「違うよ。今日はちょっと用があって早く来てたの」

「どうかしたの?唯ちゃん」

「ううん。大したことじゃないから」


そういって笑う唯は、不思議と少しだけ大人びて見えた。




「ふぅ…久しぶりの部室は落ち着くね〜」



久しぶりの部室、久しぶりのティータイム。
いつも通りのけいおん部。


「そうだな。私もやっぱりここが好きだな」

「私は時々トンちゃんの様子を見に来てましたから…」

「梓ちゃんは本当にトンちゃんが好きなのね〜」

「あ、いやその…まぁ…モゴモゴ…そういえば唯先輩、今日憂が学校に来てませんでしたけど、どうかしたんですか?」

「うん。憂は今、お父さんたちのとこに行ってるんだ」

「お父さんたちのところ?…ってどこなの?」


ムギが首を傾げる。


「お父さんたちのところはお父さんたちのところだよ〜。ちょっと遠いとこ」

「旅行にでも行ってるんですか?」

「まぁそんなところかな。今夜には一旦帰ってくるんだけどね。それまで私はひとりでお留守番」

「はぁ…」


梓は眉を八の字にして、納得したようなしてないような表情で曖昧に頷く。

平沢家の両親はよくいろんなところに出掛けている。
だからたまには娘である唯や憂ちゃんも一緒についていくこともあるんだろう。

そう、思った。


「さ・て・と…無事課題も出し終えたことだし。後は残りの夏休みを満喫するだけだな!」

「…まだ休み明けに提出しなきゃいけない宿題が残ってるだろ」

「それはそれとして置いといて〜…さて…今日の花火大会だが…」

「えっ?そんな予定あったっけ?」

「行くんですか?」

「あったり前だろ!夏の一大イベントにいかいでか!」

「わたし行きたーい!屋台でケバブ食べたいの〜」

「ケバブですか…」

「そう!ケバブ!今回は真っ先にケバブの屋台を探すわ!」フンス

「おいおい…メインは花火だぞ?」

「私、今度はゼッタイ後悔したくないの!焼きそばのときみたいに後悔したくないからまずはケバブ!ケバブの屋台を探すの!」フンスフンス


まぁいいだろう。屋台を探しながらでも花火は見られるだろうし。


「でも律。今日、夕方から天気が崩れるって天気予報で言ってたぞ…」

「少しくらいの雨なら決行するんじゃないでしょうか?」

「そうそう。曇ってるけどなんとか持ちそうだし…それに降ったら降った、そのときに考えようぜ!」

「相変わらず無計画だな…」

「だぁいじょぶだって!じゃあ17時くらいに集合して会場にいくかー」

「さんせーい!(ケバブたのしみだわー)」ワクワク

「わかりました(浴衣着ていこうかなぁ…)」ワクワク

「まぁせっかくの花火大会だしな」ワクワク

「唯もオッケー?」


話を聞いているのかいないのか、唯はぼうっと天井を眺めていた。


「…唯?話聞いてたか?」

「え、あ、うん。聞いてたよ!そだね…りょーかいです!りっちゃん隊長!」

「よっしゃー!そうと決まったら早速帰ろう!」

「待ってください!せっかくみんな集まったんだから一回だけでも音合わせしましょう!」

「いやいや梓、あんまり無理して練習すると夏バテしちゃうし今日のところは…」

「練習 したいな」








「え?」

「練習、しようよ。久しぶりに集まったんだし。花火大会までまだ時間あるでしょ?」

「ど、どうしたんですか唯先輩!ひょっとして夏風邪ですか!」

「違うよあずにゃん。私は元気だよ」

「も、もしかして唯じゃなくて憂ちゃんなんじゃ…?!」

「違うってば澪ちゃん。私は唯だよ」

「唯ちゃん、今日はやる気マンマンね。もしかしてケバブ食べた?」

「食べてないよムギちゃん。今日の朝ご飯はご飯とお味噌汁と焼き魚だよ」

「唯…一体どーしちゃったんだ?」

「どうもしてないってば。いやだなぁ、久しぶりの部室だからみんなと演奏したくなったの。ただそれだけのことだよ」


そういって笑う唯は、やっぱり少しだけ大人びて見えた。






久しぶりの練習はキツかった。


「疲れた…」

「ちょっと律先輩!リズムキープめちゃくちゃだったじゃないですかっ!夏休みの間、ちゃんと自主練してたんですか!?サボってるのバレバレですよ!」プンスカ

「わーかったわーかったって。二学期始まるまでには勘を取り戻しておくから…」


ここのところ暑い日が続いて自主練サボってたからなぁ…


「どうせ暑いからってヘバってたんでしょう?ダメですよ!普段から毎日練習しないと、いざ本番のライブのときに痛い目見ますよ!」


そのまま真実をつかれてドキッとする。
大丈夫大丈夫。私は本番に強いタイプだからな!


「おい。練習もだけど、勉強もやれよ。二学期始まるまでには課題も済ませておくんだぞ。今度という今度はもう、助けてやらないからな」

「へーいへい」


今度はどうやって助けてもらおうか。泣きつく方法を考えておかなきゃ。


「でも今日のドラムも、りっちゃんらしくて、私は好きだな。私たちらしくてよかったじゃん」

「うん、私もりっちゃんのドラム好き〜。とっても元気が貰える気がするもの!」

「唯!ムギ!さっすがぁ〜わかってるぅ!」

「誉めるとすーぐ調子に乗るんだから…」

「そうです!甘えてちゃダメです!もっと上を目指さないと!」

「じゃあ梓ちゃんはりっちゃんのドラム、嫌いなの?」

「いやそのぅ…それとこれとは……」

「じゃあ好きなんだ」

「そ、それは…モゴモゴ…で、でももっと練習はしないとダメだと思います!」

「あずにゃんはいつも一生懸命だよね。きっとこれから、もっともっとギターがうまくなっていくんだろうね」

「…唯先輩?」

「うん。久しぶりにみんなと一緒に演奏したけど…やっぱりバンドって楽しいね!」

「なんだよ急に…でも久しぶりに演奏すると気持ちいいよね」

「そうね〜わたしも楽しかった!」

「はーいはい!みんなが私のドラムの大ファンだってことはよーくわかった。じゃあ今日はこのくらいにして帰ろっぜ〜」


(ちょっと誉め過ぎちゃったかしら…)
(ドラムは好きだけど、練習は本当にもっとしてほしいです…)
(ほぅら調子に乗った…)



「あ、あのさ…もう一回だけ。演奏しない?」

「唯…?」
「唯ちゃん…?」
「ゆ、唯先輩…?」
「どうしたんだ……唯が急にやる気を出すなんてっ!まさか天変地異の前触れかっ!?」

「もぅ!りっちゃんたら失礼だよ!私たちけいおん部だよ!バンドだよ!演奏するのが当たり前でしょ!」

「いや…それは…そうなんだけど…」

「当たり前の事実なのに唯が言うと当たり前に聞こえない…」

「澪ちゃんも失礼だよ!私だってやるときはやるんだから!」

「ご、ごめん唯…」

「私は嬉しいです!唯先輩、ついにやる気になってくれたんですねっ!さぁ律先輩もう一回練習しましょう!」

「え〜、もう今日はいいじゃん。もう練習したんだし、お腹空いたし、花火大会に向けて体力温存したいし…」

「確かにそうだな。唯がやる気になったのはいいことだけど、もうお昼過ぎだし、今日の練習はこのくらいにして切り上げてもいいんじゃないか」

「唯ちゃん、また二学期が始まったらいっぱい練習しよう?」

「…そっか。そうだ、ね」

結局その日は、これで練習を終えて、帰ることになった。








帰り際、階段の踊り場で唯が立ち止まった。

「あ、ゴメン。みんな先に帰ってて。私寄るところがあって」

「どうした唯、どこに行くんだ」

「えーっとね。さわちゃんのとこ。渡すものがあってね。でも大丈夫。ちゃんと待ち合わせの時間には間に合うように行くから」

「そっかわかった。集合の時間には遅れるなよ」

「ほ〜い」






昇降口を出ると、朝と同じように空は曇っていた。
なんとかこのまま雨が降らないでいてくれますよーに。


「そういえば、律。この前貸したCD、そろそろ返してほしいんだけど」

「あれ?そんなの借りてたっけ?」

「貸してただろ!お前が貸せっていうから、私が買った次の日に貸してやったんだぞ!」

「あ、そういえば…。わりーわりーまだiPodに落としてねーんだよ。落としたらすぐ返すからさ、も少し待って、ね?」

「ダメだ。前に貸したCDのときも、そう言ってぜんっぜん返さなかっただろ!お前の言うことを聞いてたらいつまでたっても埒があかない!」

「まぁまぁ澪しゃん落ち着いて…」

「もう待てない。この後、花火大会の準備したらすぐにお前の家に行く。今日返してもらうからな、CD」

「わかった…わかったよ……」

「りっちゃん澪ちゃん、相変わらずねぇ」

「まったく、律先輩は仕方がないですね」


そう言って笑いながら四人で肩を並べて通学路を歩いた。



不意にカバンの中で何かが震えたことに気がついてケータイを取り出す。
メールは………唯から…?
文面はたった一行。



『屋上に来てくれない? 一人で』



「悪い、みんな先に行ってて。後で追いつくから」

「どうしたんだよ?」

「ごめん、ちょっと忘れ物した」


私は来た道を後戻りする。
何があるのかわからないけれど、一人で来いと言っているあたり、もしかして何か理由があるのかもしれない。澪には黙っておいた方がいいかな、と思った。



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最終更新:2014年08月21日 06:25