律「一体どういうことなんだ……」
紬「どうやら、あの調味料の効果は確かだったようね」
唯「調味料?」
紬「今、琴吹グループでは面白い効果の調味料を研究してるの」
紬「そのうちの一つをちょこっと借りてきたんだけれど」
梓「要は研究途中の調味料をちょろまかしたってことですよね」
紬「そうとも言えるわ~」
律「そうとしか言えねえよ!」
紬「ごめんなさい、まさかここまでなるなんて……」
梓「琴吹グループは一体どんなオーバーテクノロジー扱ってるんですか。
ノーベル賞がいくつあっても足りませんよ」
唯「……あれ、澪ちゃんは?」
澪「……」
唯「小さくなった澪ちゃんがさらに小さく縮こまってる……」
律「気持ちは痛いほどわかる、放っておいてやれ……」
* * *
ここまでの経緯を振り返ってみることにする。
まずわたしが部室に足を踏み入れると、
すぐさまいくつものぱぁんっという破裂音が近くで起きた。
頭上から舞い落ちる紙テープと、
いつも世話になってる窓際の机と椅子とを見て、
大体のことを察することができた。
誕生日おめでとう!
四人の声は見事に揃っていた。
そのまま腕を引っ張られ、特別に作ったというホールケーキの前に座らせられる。
灯されたロウソク。一時的に照明を落とした部室。
窓の外から聞こえる運動部員の声がアンバランスだったけれど、
わたしは喜んで十八つの火を吹き消した。
さあ、あとはいつもの軽音部だ。
わたしの誕生日ケーキとはいえ、独り占めするものじゃない。
ムギが切り分け、五人の前にカットされたケーキが並ぶ。
身体の前で掌を合わせて、一斉に唱える。いただきます。
ああ、ここまでは良かった。ここまでは。
ここまでは。
次に意識を取り戻したとき。
わたしは広大な、茶色の床に寝そべっていた。
ひんやりとしている。暑さにうだった身体には、非常に気持ちいい。
だがここが一体どこなのか、皆目見当がつかない。
部室にしては広すぎるし、なにより床の材質がこんなものではなかったはずだ。
そして今まで座っていた椅子も、ケーキを並べていた机も見当たらない。
と、すぐ背後に巨大な崖が現れていることに気がつく。
部室の中にこんな崖が出来るなんて、只事じゃない。
なにが起きたのか余計にわからなくなった。
そしてそれ以上に、背後の崖があまりにも深かったことが、
わたしを恐怖に駆っていた。
ここから離れるため、一目散に崖近くから逃げ出す。
すると突如、目の前に巨大なナニカが現れた。
白い円形のものに乗っているそれは、黄色と白の層がいくつも重なっており、
頂上部分はもはや視界の端にあるため、ぼやけて見えない。
いや、視界の端というよりは、理解の外といったほうが適切かもしれない。
ただわたしには、その白く巨大な山が、
なにか懐かしい香りを醸し出しているように思えて、仕方なかった。
しばらく白い山をぼうっと眺めていると、
わたしを呼ぶ声が、遥か遠方から聞こえてきた。
その声は一人、二人、三人……いや、四人。
紛れもなく、一緒に机を囲んでいたあの四人の声だ。
白い山に気を惹かれながらも、声のする方へ駆け出す。
すぐに澪を発見し、その近くにいた唯、ムギ、梓とも合流する。
そしてこの摩訶不思議な現象について話し合い、
わたしたちは一つの結論を導き出した。
――わたしたちは、小さくなってしまったようだ。
* * *
律「どうすれば元に戻れるんだ?」
紬「確か調味料の容器には、時間経過でどうとか」
律「時間を潰す以外の手は無しか……」
梓「研究途中なのに容器は出来上がってるんですね」
紬「そうねぇ」
紬「調味料の名前も書いてあって、“世界が広がるお砂糖”だったわ」
梓「確かに小さくなったせいで、広くは見えますけれど……」
澪「で、でも時間経過で治るなら安心だな!」
律「おっ、やっと復活したか」
律「……今度は唯が見当たらないわけだけど」
澪「唯ならそこの白い山にふらっと歩いて行ったぞ」
梓「あれ、もしかしなくてもケーキですよね。人を小さくする」
律「……唯を止めろおおお!!」
* * *
唯を羽交い絞めにした後、わたしたちは今後どうするかを話し合った。
端的に言えば、冒険したい派とこのまま待機派に分かれていた。
あらゆる過程を素っ飛ばして結論。
三対二で冒険派が勝利。
お嬢様の探求心を味方につけたわたしと唯に敵などいなかった。
まず現在位置が机の上だということを確認。
とりあえず机から下りようと、ずうっと先に見える、
机の端っこを目指すことにした。
ところが、これからだというときにアクシデントが発生する。
扉を開け、部室に入り込んできた者がいたのだ。
顔は見えない。
しかし、見えてる範囲から想定するに、さわちゃんだ。
冒険派の三人は震えあがり、残り二人は顔をぱあっと輝かせた。
もしさわちゃんがわたしたちを発見すれば、
危険だからとその場での待機を命じることだろう。
澪はさわちゃんに向かって、
今までに聞いたことがないほどの大きな声を発した。
梓は、小さくなった身体一杯に腕を広げ、
自分の存在をさわちゃんに知らせようとしていた。
そんな姿に唯はきゅんとなっていた。お前はどっちの味方なんだ。
さわちゃんはわたしたちのすぐ前まで来る。
ああ終わりだ。
わたしたちの冒険はこれからだ、ということになる前に完結。
こんなつまらない終わりがあっていいのかと思いながらも、
わたしはがっくり肩を落として、現実を受け容れることにしたのだった。
……おや。
さわちゃんの手はわたしたちの頭上を越え、ケーキに向かっていた。
そして、どれも食べかけであることを確認すると、
少し不服そうな顔をして、部室から退出してしまった。
おかしい。
わたしたちの身長は、
確かに高さ約七センチのケーキが巨大な物体に見えるほどだが、
少なくともミリ単位の世界にいるわけじゃない。
せいぜい一センチから一・五センチの高さはあるはずだ。
この小人たちをさわちゃんは見過ごしてしまったのだろうか。
仮に、これぐらいの虫が机の上にいれば、
わたしたちは普段それを見逃すだろうか。
見つけるかもしれないし、見逃すかもしれない。
だが今回は澪と梓が、声と身振りで存在をアピールしていた。
まさか気づかないなんてこと、本当にあり得るのだろうか。
しかし実際にわたしたちは見つけられなかった。
あるいは、無かったものとされた。
とはいえ今回に限っては全く好都合。
存分に探検を続けることができるのだから。
澪と梓が表情をどんより曇らせて帰ってくる。
二人には悪いけれど、わたしはこの機会を思いきり楽しんでしまおう。
そう、これは誕生日に訪れた、今までにない経験の一つ。
こんな誕生日プレゼントは生まれて初めてだ。
一方で、ムギは静かな面持ちでなにか考えている様子だった。
冒険に賛同してくれた、あの好奇心丸出しの表情とは違う。
どうしたのだろうと見ていると、わたしの視線に気づき、
すぐに表情を柔和にした。
冒険はすぐに再開された。
* * *
澪「うう、結局こうなるのか……」
梓「気を落とさないでください、澪先輩。
わたしたちは小さくなっちゃったんです、気づかれなくても不思議じゃないですよ」
紬「あっ! あれ机の端っこじゃない?」
律「おお、ついに……長かったな……」
唯「でもどうやって降りるの?」
律「……飛び降りる?」
梓「死んじゃいますよ!」
紬「でもアリとかは、身長の何倍もの高さから落ちても死なないっていうよ。
つまり、今のわたしたちなら大丈夫なんじゃない?」
梓「そもそもの身体の構造が違います!」
唯「ねえねえ、これ使えないかな?」
澪「なんだそれ……布っぽいけど?」
梓「……あっ、それ多分わたしのハンカチです」
唯「これをみんなで持ってさ、パラシュートみたいにするの」
梓「なっ!?」
律「はあ……唯、お前ってやつはー……」
梓「そうですよ唯先輩、そんなことしたら」
律「天才だな!」
梓「まじか」
梓「いやいやいや、それで上手くいく保障はどこにもないんですよ?
律先輩だって、誕生日が命日になるのは嫌でしょう?」
律「ここでチャレンジしなければ、
田井中律という人間は死んだも同然」
梓「まじか」
紬「わたしもやってみたい!」
梓「うっ、この流れは……」
澪「……わたしはもう、皆について行くことにしたよ」
梓「多数決なんてクソくらえですね、こんちくしょう」
唯「あずにゃんが荒んでおられる……」
* * *
だいぶ、とぅー、すかい!(地上約七十センチ)
五人がそれぞれ端っこを掴んだハンカチは、
空気を掴んでみるみるうちに膨らんでいく、
ほら見たことか、全然大丈夫じゃ――ん?
少し待ってほしい。
ハンカチは通常、正方形のはず。
それを四人で掴むのなら、バランスよく落下してくれるだろう。
ところが五人だ。そう、五人なのだ。
五人なんだよー、五人なんだよー……、五人なんだよー…………。
バランスを失ったパラシュートは、空気を捉えることができず、
そのまま急降下を始めた。
五人の甲高い叫び声と笑い声が入り混じったまま、
わたしたちは奈落の底(約七十センチ)へと真っ逆さまに吸い込まれていく。
地上が徐々にその姿を見せてくると、目まぐるしく変わる景色がコマ送りを始めた。
そうして次第に、
地上は、
わたしの、
目前へと、
近づき、
そして、
そのまま、
___べしゃり___
「けいおんぶの、みくろしゃかい」‐FIN‐
最終更新:2014年08月21日 07:07