◆  ◆  ◆

 これはいわば神様に向けた供述調書で、現実には何の意味もなさない。

 先に引っかかって転んだのは私だった。
 昔から変わらない。
 前もって転んで、誰かに叱られて、
 あいつが気をつけてくれりゃそれでいい。
 嘘だ、そんな小難しいこと考えちゃいない。
 わかるだろ、
 いつも澪があきれる通り、
 田井中律は不注意でそそっかしいだけなんだ。

 だからあのときも、澪が叱ってくれると思って、
 熱にうかされた頭で浮かんでは消えたいくつもの選択肢から
 ひときわ毒々しく輝くのを掴んで、
 思い切り間違ってみせた。

 二週間ほど前、大雨で帰れなくなった蒸し暑い放課後、
 私から澪にキスをした。


 軽はずみで大好きな人とそうしたのをすぐ後悔した。
 あれは、想像した以上だった。
 直に伝わる息や唇の濡れ方で頭の奥が焼き切れて、
 真っ暗にも真っ白にも感じた。

 制服のシャツ越しに近づける限り近づきたくて
 必死で澪の背中にしがみついて柔らかい熱を重ね合わせた。
 どうせもう二度とこんなことできないんだからって
 一生分の想いで
 澪に近づこうとした。

 だからあいつの細い腕も私の背中へ回ったとき、
 たとえその瞬間の錯覚だったとしても
 うれしさが身体の奥からあふれて、
 羽根が生えて空に飛んでいけるような、
 足下がおぼつかないほどのめまいに包まれて、
 息が続かないほど
 熱く唇を押しつけ合った。
 もう嫌われていい、絶交されていい、って言い聞かせながら。

 私のことを一度引き離した澪は、泣きそうな顔で目を腫らしていて、
 私の汚い唾液を垂らしたままで、
 一瞬あいつが世界の果てまで遠ざかってしまった気がして
 思わず自分の舌の肉を噛んだとき、
 澪がこの唇に
 もう一度吸い付いた。
 クーラーで冷えた背中の汗を熱い腕が覆って
 涙がにじみ出るのを感じた。

 澪が、私の方に降りてきてしまった。

 距離感が完全に変わってしまった。

 教室でこちらと目があってくすりと頬をゆるめる澪の表情が、
 昨日までと全然違う意味に映った。
 おどけていつも通り澪をちゃかしたりして、
 いつもと同じように澪の膝に腰掛けて見せたりしたけど、
 全部逆効果で、
 私の歯車がキチキチ引っかかって変な笑いでごまかしてばかりだった。

 ムギが首を傾げるたび、
 唯が含み笑いをするたび、
 咎められる気がして必要以上に澪に絡んだ。
 教室の床じゅうに私のかけらが散らばっていく気がして
 本当に転びかけた。


 あの日、進路調査票を握りしめた澪は確かに寂しいと言った。
 実感したら怖くなる、
 みんなと離れたくない、このままでいたい、ってそんな泣き言をもらしてた。

 だけど私は確実に方法を間違えた。

 恋愛感情じゃなくて、あくまで一番の友達として、
 大好きな人の不安を埋めればよかったんだ。
 卒業しても友達だよだとか、
 またメールしようね遊ぼうねだとか、
 中学の卒業式で聞き飽きた例のアレ。そっちを使うべきだったんだ。
 でも、
 そんな100円ショップでも買えそうな言葉で、
 誰が救えるっていうんだ?

 ……私は、澪を「救いたい」だなんて思ってたのか?


 お互いの部屋で澪とキスするようになってからはサイコーだった。

 見つからないようにと鼓膜の神経をとがらせながら、
 すべすべしたあいつの髪を指で透かして、
 耳たぶから頬骨や顎へ続く肌をなぞっては舌を吸い合った。
 そうしている間だけは、自分の選択を誇っていられた。
 澪は私と違って面倒な嘘はつけないから、
 自分が求められてることだけは信じていられた。

 進路調査票も白紙にしたままなのに、
 こんな時がいつまでも続くと思ってたし、
 そこから一歩も動かずに
 クローゼットの中で咲いた花をただ静かに愛でていればいいと、
 嘘でもそう思いこもうとした。

 四日前の水曜日、澪が私大の推薦を蹴った。


 私と一緒の大学を目指すことにしたらしい。
 あいつはどうだと言わんばかりに身を寄せて、
 髪に伸ばす手や口づけをせがんだ。

 翌日、
 ご両親にこっぴどく叱られた秋山さんが私の部屋へ逃げ込んできた。
 で、それを聡に見られた。
 あはは。 もうだめだ。
 りったんみおたんいちゃいちゃライフ、これにておしまい。
 残念でした、とっぴんぱらりのぷう。
 あはは。  澪が泣きだした。最悪だ。
 このままお互い引き離されるなら
 いっそ死んだ方がいい 的なこと言い出した。
 お前が死ねよ田井中律。
 ああもう何も 考えたくない 考えろ 考えろ 考えろ 。

 私はしがみつかれて、涙と鼻水をすりつけられて、
 ぐるぐるぐるぐる
 頭の中をかき回して、
 結局
 いつも通り転んでみせることしか思いつかなかった。


「なあ澪、
  すげえこと考えちゃった。
  今からちょっと、

  二人で どっか遠いとこ行こうよ」


 ばーか。

 あいつの目がそう言った、
 ように聞こえた。


 そこからしばらく記憶がぐるぐる早回しになってろくに覚えちゃいない。
 とにかく逃げようと思った。

 通学カバンの中身を床にぶちまけて
  財布 ケータイ 充電器 プレイヤー 制汗剤 アクエリアス
 あと化粧ポーチを手当たり次第バッグに詰め込んだ。
 私のベッドでまだフリーズしてる澪の両肩を掴んで
 名前を呼ぶ みお だいじょうぶだ 私がついてるから 。
 このまま母さんがパートから帰る前に事を済ませなきゃならない。
 クローゼットから適当なアウターを引っ張り出して
 澪の肩にかぶせて
 手を引いた。

 すれ違いざまに聡に
 「家まで見送りがてらちょっと 寄り道 してくる」
 とだけ言い残して 何も言わせずに澪を家から引っ張り出した。
 視界に一瞬映った 星の光と
 玄関の明るさが 眼を突き刺しそうになって
 手が震えだしたのを悟らせないように
 理由はないけど
 バス停まで澪を引っ張って走った。


 急行上り列車の終点 に降り立って
 閉まりかけのデパートのまばゆい光 から身を隠すようにして
 ロータリーに出ると
 ネオンライトが 着色料まみれのガムみたいな下品な 光を放っていて
 私はふらつく澪を引っ張って
 逃げ込む先を探した、
  居酒屋の呼び込みがうるさい、
   信号待ちで騒ぐ茶髪たち、
  酒臭いサラリーマンがふらつく、
    瞼を腫らしたままの澪の指が冷たい――あった。
  うちの近所にもあるチェーン店。

 とりあえず、晩ごはん食べようよ。
  おなかすいたでしょ。
 って言い訳に澪がぎこちなく笑った。
 ほっとすると、服に染み込んだ汗が急に冷えだした。


 ガストを出て
 カラ館で私の膝にしがみついて薄く眠ってた澪 を起こす頃には
 終電が終わっていて、
 ネカフェも身分証を求められて逃げ出す始末で、
 あの胃にむかつくほど甘ったるくてカラフルな 看板の群れから
 距離をとりたくて、駅前からはずれたコンビニに逃げ込んだ。

 そしたらレジで
 ブレザーに男物のジャケットを羽織っただけの女の子が
 生ビールを二、三本と
 つまみを平気な顔で買っていて、
 店員もやる気なさそうな顔で成人確認をスルーしてるのが
 見えちゃったんだ。

 酔っぱらった父さんに一口飲まされたチューハイの味を舌の中で思い出す。
  これはテストだ、というアイデアがひらめいた。
 大人になるから酒が飲めるんじゃない、
 酒が飲めたら、それを許されたら大人なんだ。

 私はそばで目を伏せて震えているこいつのために大人にならなきゃいけない 。


そうだテストだ  私は大人なんだ 澪を守れる 何があっても
 一緒に暮らしていくための 試験だこれに 受かれば私たち  どこにでも
  行ける行ってみせる  だから はい はい すいません
   TSUTAYAカードは持ってないです
  はい あっ パスモで支払いお願い しますはい あのやっぱ
 レシートください  試験終了。

 350mlの「合格通知」を数本と
 軽いおやつを入れたコンビニ袋を 反対の手に提げて、
 澪を暗いとこへ引き込んだ。

 私より澪の方が手を強く握っていて、
 心臓をそのまま握られたみたいに熱くて、
 首の動脈にどくどくと血流が流し込まれるのを感じた。


 もう私は大人なんだ、
 オトナならカノジョをカッコよくリードしないとね、って
 頭の中の冗談に笑った勢いを利用して
 壁に囲われた紫色のエキゾチックな入り口に逃げ込んだ。
 私はもう大人だ、だから
 こんな時間に補導なんてされるわけにはいかない。

 受付でルームキーと一緒に
 割引券と称した架空の会社の名刺を受け取って、
 薄暗い部屋に入るなり 荷物を放って
 ベッドに 自分の身を投げた。
 まだ澪の手が離れないままで、呼吸や血圧が元に戻るまでしばらく
 天井の低さが目に迫るのを
 眺めてた。


 耳元すこし離れたとこで
 澪の生温かい息が聞こえてた。
 首を向ける気力も起きなくて、かわりに指の力をつっと締めた。
  締め返された。
 それだけで何か熱いものが染みて流れ出す気がして、
  クーラーつけよっか、とつぶやいたら、

 澪が急に全身でごろんとこちらに転がして
 仰向けでだらしなく広がってた私の身体を押しつぶした。

 私の薄い胸、
 たぶん心臓から
 しぶきが流れる音まで 聞こえてたと思う。


 そこに小さな頭を寄せて、
  りっちゃん、
  りっちゃん、って
 涙声を押しつけた。

 あばら骨の辺りに
 澪のおっきな胸が押しつけられてて、必死でしがみついて
 一緒になろうとして
 澪の脚が私にからみついてて、
 冷えた足首がぶつかってすべすべした肌をすり抜けた時、
 私は澪を落とさないように反対の腕を使って
 自分へ引き寄せた。

 私の服がぐしゃぐしゃになるのが
 たまらなくうれしくて、なぜだか分からないけど、いきなり
 「私は勝った!」
 と思ったんだ。


 私たち、世界をだましきった。大人になれた。
 もう大丈夫だ、
 どこまでも逃げてみせる。
 澪、あいしてる。

 全く根拠のないキャッチフレーズに酔いしれて、
 いい気分になって、
 ハッピーエンドを迎えた気になってしまった。
 私の場所はここだ って
 叫びたいぐらいで、とにかく頭をなでながら
 澪の名前ばっか呼んでた、
 と思う。


 二段飛ばしで大人の階段を駆け上って二人でお風呂に入った。

 なんかもう離れたくなくって、
 はだかだと澪と並んでたら
 急に自分がちんちくりんの子供にみえて、
 鏡に見られるのがいやだったけど、
 そんなことしたら澪の居場所がなくなってしまうから
 テンション高い振りをした。

 澪はまだぽーっとしていて、
 自分の身体を洗うことも知らない子供みたいだったから、
 私がボディソープをまぶして
 澪を洗った。


 目をつむって 首を少し前に垂れていて、
 でもさっきみたいに 眉も口元もゆがんでいなくって、
 柔らかく膨らんだ頬が かわいらしかった。
 そんな澪が
  りっちゃん、だいすき って
 ときどき夢うつつで口にするから、
 小さい頃に戻ったみたいだって思った。

 そういえば小さい頃も一緒にお風呂入ったっけ、
 ああそうだ、
 公園で澪をからかったらおもらししちゃって
 めちゃくちゃ泣いちゃって
 家でお風呂浴びて帰ったとか うわー私変態じゃん、
 ってなこと考えると
 またさっきみたいになるからって、
 私は無心で澪の大人びた身体を洗っていった。

 そうすると、
 不思議と私も子どもに戻っていくような気がしたんだ。


 ずいぶん重くなった胸を下から持ち上げたりして、
 んぅって やらしい息が漏れたのを聞いても、
 えろいことしようって気にはならなくて、
 二の腕の細さや天使の羽根みたいな肩胛骨をなぞったり、
 上品な首飾りのように美しい鎖骨の曲線を傷つけないように
 泡を滑らせたりして、
 澪を隔てている薄い油膜を溶かして一緒にしてしまおうとした。

 中学校の制服のスカートが最初はイヤだった、
 なんて急に思い出す。

 あのときも澪は女の子の制服を着こなしていて、
 私はあんまり履きたくなかったスカートで居心地わるくて、
 小5くらいから澪の胸が大きくなったり生理が始まったりして、
 私を置いて
 どんどん女の子になってしまうのが怖かったんだ。

 制服がいけなかった、なんて思いついた。

 そのまま私の身体も制服に合うように大きくなってしまって、
 今ではもうスカートのことなんて忘れてた、
 はずなのに。

 目を閉じたまま膝を寄せてこちらを見上げている顔の幼さが、
 あれ母性本能っていうのかな、
 くらくらするほどいとおしかったから、
 思わずまた口づけしてしまった。


 泡を流して、
 ほどいた髪を洗う前につむじにキスするつもりで
 ほんのすこし口に含んでみたら、
 ざらざらと涎にまみれて広がるのが すごかった。

 あれだけ大人になるっていきまいてたくせに、
 自分を子どもに戻していった夜に
 人生で最高の幸せを手に入れた気がした。

 あの夜だけは、
 本当にそう思えた。


 それからもう一度シャワーを浴びる羽目になったけど、
 そのまま泥の汗まみれで私たちは寝込んだ。

 布団の外に出しっぱなしの方の腕を
 クーラーが皮膚ごと削ぐように冷やしてったせいで、
 何かすごく不吉な夢をみた。

 気付けば澪は
 シャワーを浴び終えていて、
 枕元のデジタル時計は午前五時だと言っていて、
  律、おはよう、って
 私の頭を膝に乗せてほほえんでいた。

 下から見上げる澪がやけに大きく感じて、
 相対的に自分が小さく感じた。
 備え付けの白いバスローブをまとった澪は
 私なんかより全然大人に見えて、また置いてかれる、って
 思う 自分の子どもっぽさがイヤになった。

 心のひだに垢や脂のようなものが溜まって、腐っていく。

 急に夢から突き落とされた気がして、でも
 それを澪に伝えたってどうしようもないから、
  おはよう、みおちゃん、って
 うまいこと笑ってみせた。と思う、きっと。


 明るんだ空から後ろめたい心を隠すようにして
 駅の騒がしい方へと駆け込んでも、ちっとも気持ちは晴れやしない。
 ラブホ街を抜けると
 スーツ姿の男女や知らない高校の制服が目立ちはじめて、
 歩道のタイルの目地を必死で睨みつけながらホームを目指した。

 とりあえず電車に乗って、うんと遠いところ。

 昨日の釣り銭で生じた五千円札と
 ATMから下ろしたての一万円札をパスモに食わせて
 昼までに使い切るつもりで
 ひたすら本州のはじっこを目指した。


 知らないうちに
 澪は吹っ切れたようにはしゃいでいて、
 窓から海が見えたとか、
 車両のトイレが意外ときれいだったとか、もうすぐ何県だとか、
 時刻表を開いて
 次は何分発に乗るから駅弁と ついでに服も買おうとか、
 そんな風にずっと騒いでいた。

 あーこいつかわいいなあ、って思うたびに、
 心に溜まった老廃物が恨むように膿んでは痛み出す。
 午後を過ぎるころには、
 自分がどこにも逃げられないことに気付いていた。
 そりゃそうだ、
 逃げたかったのは澪の両親からでも、将来の問題や唯たちでもなく、
 自分自身だったんだから。

 夕方の日差しはどこでも同じように私の目を焼いて、
 澪をひたすら輝かせて、
 しれっと沈んでいく。


 私の精神が私から離れていくに従って、
 時の経つスピードが加速していった気がする。

 ぼんやりしているうちに澪は笑って
 何かを差し出して、つられて私も笑ったりしていて、
 ろくに選んだ覚えもない服や化粧を買い込んで、
  どう、大人っぽい?って
 聞いた澪のセンスに絶句したりして、

 いろんなことが私の外側で急速に動いていくのを感じていた。

 最初のうちは私の方が澪を引っ張って遊び歩いてみせたくせに、
 今や澪に引きずられていて、
 何も知らずに全力で楽しんでるあいつがうらやましく思えて、
 そんな自分がますます嫌いになっていく。


 支払いをほとんど澪に任せるようになってから
 レシートが溜まらなくなって、どこに行って何を食べたとか
 ほとんど思い出せない。
 目も耳もぼんやりしていて、
 知らない街の灯は
 路上で水浸しになったチラシみたいにぼやけていた。

 二日目の夜、
 澪はためらいもなく私を暗いとこへと引きずり込んでみせた。
 その目は どうせ
 コーヒーシロップのようにどろりと甘く濁っていて、
 私はそんな澪を見たくなくって
 ずっとエレベーターの汚い文字盤ばかり見つめていた。

 312号室。
 なんでそんなことばっか頭に残るんだろう。


 浮かされた頭を慣れないアルコール漬けにして
 ごまかそうとしたって、
 部屋の隅か心の隅でずっと私が私を見てた。

 私が澪にしたように、
  飛びつくように唇を吸って、舌を迎え入れて、
  湿っぽいシャツの中に長い指先が伸びてくのをゆるした。
 私が澪にしたように、
  薄い布一枚隔てたまま汗が蒸発していく熱い肌を
  塗りつけあって肌着の意味をなくしていった。
 私が澪にしたように、
  首から胸にかけて唇からあふれた液で舌をすべらせては
  身体じゅうのあらゆる柔らかい場所に残さず吸い痕をつけて
  聞きたくもない声を 何度も上げさせた。
 そして、
 私が澪にしたように、
  柔らかい肌に押しつぶされながら、
  背中に爪を立ててシーツを握りしめて、
  名前を呼び合いながら 二人の奥深くで
  互いの指を交換して、声を上げて
  一番深いとこで 強く
  にぎりしめあった。


 歪んだエレキギターのようなサイレンが頭の中でずっと鳴っていて、
 軽蔑する数週間前の私の冷たい視線から、
 せめて澪の白い肌だけで隠そうと、
 足りない長さの腕で引き寄せて閉じこめようとしたけど、
 思わず声を上げて絡め合ってしまう自分の太股と
 身体に失望するだけだった。

 本当、どうしてこんなことばっか、頭に焼き付くんだろう。


 ふたりで意識を放り投げてから、なにか長い夢を見ていた気がする。
 ああそうだあのとき一度思い出したんだ小5の縄跳び大会の帰り道。
 駅前通りから外れた誰もいない遊歩道を抜けたとこ。

 遅生まれで年下の澪がまぶしい笑顔を向ける。

  『あのね、……だいすきっ!』

 ……ああっ、くそ!
 よりにもよって、さっきシーツの中で聞いたようなことを言いやがって。

  10歳の澪、17歳の澪、あらゆる時代の澪が
  頭の中で重なっては消えていく。
  大切な記憶が体液にまみれて溺れてしまう。

 あの遊歩道にいる資格のない私は、
 夢から飛び降り自殺するようにして、
 現実のかたい地面に叩きつけられるようにして、
 目覚めたときすでに午前四時を過ぎていて、
 澪は、
 現実の澪は、
 そのとき私の腕から消えていた澪は 浴室のドアを開けて――



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最終更新:2014年08月31日 11:22