♪‐06
砂原さんは一年生の頃のライブを見ていたらしい。
そういうことで、わたしは“縞々の人”で固定化。
いますぐその固定観念を取り除くべく、アプローチを図るべきだ。
「なんで縞々の人?」
「縞々のを履いてたから」
「縞々の……?」
早急に図るべきだ。
「青と白の――」
「……あ、そういうことか」
遅かった。この様子だと、立花さんも少なからず事情は知っているらしい。
というかどこまで広まってしまったんだ、わたしの縞々事情。
今すぐ持って帰って海の底に沈めてしまいたい。一緒に沈むのもまたよし。
「うん、思い出した。わたしも去年のライブは見ていたよ」
「わたしとしては見てほしくなかったかなあ……ははは……」
「素敵だったのに」
立花さんはそう言って肩を竦めてみせた。
大人の余裕。そんな言葉が脳裏をかすめた。
「そうそう、素敵だったよ……ぶふっ」
隣の子には思い出し笑いされたんですけど。
砂原さんからは大人のものとは違う、独特の余裕が感じ取れる。
「あなたも軽音部でしょう? ライブでキーボード演奏してたもんね」
「うん。軽音部のみんなでここに来てるの」
「それなら、あのギターの子もいるのかな?」
「ギター……一年生の頃のライブだから、唯ちゃんかしら」
「そうそう、
平沢唯さん。わたし一目見て気に入っちゃったんだ」
気になったとは、一体どういう意味で。
なんて、聞けるわけもなかった。
「それはどういう意味で!?」
寸分の間隙なく、ムギが質問を繰り出してしまったのだから。
案の定、質問の矛先が向けられた立花さんは、ムギの意外な積極性に少したじろいでいた。
だが、そこは流石大人の余裕というやつか、すぐに持ち直し、さらりと答える。
「なんとなく、面倒見てあげなくちゃなーって。
同じクラスになったら、身の回りの世話とかやっちゃうかも」
なるほど。すっごいわかるぞ。
立花さんと心の中で握手。
「そう思わない、秋山さんも?」
「思う!」
突然のことで、自制心を忘れていたようだ。
周りの歩行者たちの視線が集まっているのを、肌で感じる。
膨らんだ一瞬の感情が、しゅるしゅると萎んでいった。
「――か、汗顔の至り」
「なぜそんな言い回しを」
ツッコミをいれてくれた砂原さん。
傍目から見てもわかる、笑いを堪えていると。
もういっそのこと笑ってくれ。
その後見事なまでに笑い飛ばしてくれた砂原さんは、
立花さん曰く少し変わったツボをお持ちのようで、
つまり、その、かえって恥ずかしくなってしまったというわけだ。
やっぱり笑わないで。
「この子、本当面白いんだよ。基本一人が好きな子なんだけど、
人を楽しませることもできるんだ」
「まあ」
「自分から話すことは殆ど無いけどね。
だからわたしから、こうやって誘っているってわけ」
立花さんは爆笑真っ最中の砂原さんの肩を掴み、自分の方へ抱き寄せた。
ムギの表情が一段と輝いたのは言うまでもない。
「ちょ、ちょっとやめてよ姫子」
「面倒見なくちゃなーって思ってるのは、よしみも同じだからね」
「なんでさ。わたし、別にそーいうのいいから」
「素直じゃないんだから」
ぷいと顔を逸らしている砂原さんの頭を、
立花さんはがしがしと撫で始める。無抵抗に頭が左右へ揺れている。
もし、わたしと唯がこんな関係になれたのなら――
「あ、そうそう。唯ちゃんにはもう和ちゃんっていう保護者がいるのよ」
「なに、もう先客いるの?」
既にそういう関係になっている人がいた。
しかも、それが同じクラスの一番の友達だなんて。
これってもしやライバル。一人の女の子を取り合う三角形。
よく聞くやつだ。三角形の中身が全員女の子だけど。
三つの角度が等しい正三角形。正三角形ラブ。
お、なにか歌詞が浮かびそう。
「姫子、いい加減にしないと――あれ」
「どうした?」
「うん、ここに入れたと思ったんだけど、水鉄砲」
「さっきそこのベンチに置いてなかった?」
「あー……かもしんない」
「水鉄砲を置き忘れたの?」
「うん。折角買ったのに」
まさかこの年齢になって水鉄砲を買う人がいるとは。
「姫子の背中に水を流し込むために」
「そんなことのために!?」
仲良いなあ。
「もうそこに無いってことは、誰かが忘れ物と思ったのかも……。
あそこの事務所で遺失物集めてるらしいし、一応聞いてくる?」
「うん」
解放された砂原さんは、小走りで事務所に向かった。
じゃ、またあとで会ったら、と立花さんもそれに続く。
二人と入れ替わりのように、唯たち三人がやってきた。
ここで起きたことを一通りムギの口から聞いたのち、
同じように水鉄砲が消えた梓に、唯が提案した。
「あずにゃんのも届けられてるかもよ。行ってみない?」
「いやいや、あれは盗まれたわけですし。焼きそばと一緒に」
「焼きそばと水鉄砲かー……」
そういえば、これで焼きそばと水鉄砲の盗難は二回ずつ(うち一回は盗難か不明)起きたことになる。
単なる偶然だろうか。
「ね、行ってみるだけ行ってみようよ」
「まあ行くだけならいいですけど、わたしは名乗りませんからね。
唯先輩のものだってことにしてくださいよ」
「どうして?」
「は、恥ずかしいからに決まってるじゃないですか!」
そりゃまあ、そこらで普通に買える通常サイズの水鉄砲が
盗まれたとかで騒ぐというのは、高校生として少し恥ずかしいかもしれない。
それを自主的に実行した人がさっきまでいたことは、
梓も話を聞いて知ってるはずだけど。
事務所に行くと、砂原さんたちと再び対面することになった。
水鉄砲は一つも届けられていないという。
つまり梓のものもここにない、ということになる。
そして同時に、興味深い話を聞くことができた。
なんでも他にヨーヨー、たこ焼き、綿菓子、
その他多くのお祭りで定番な品々が、
わたしたちのいるエリア付近で多数盗まれているという。
また、実際に盗んでいる場面を見たという人が言うことには、なんと、
「“狐のお面”、か」
「そうなんだよ」
それを被った人物が盗みを働いていたという。
狐のお面。この言葉、わたしたちには聞き覚えがある。
「なあ、澪。確か迷子になった子供って」
「ああ。お気に入りの、狐のお面をずっとつけているって言ってたな」
とはいえ、必ずしも迷子が犯人だとは限らない。
さらに言えば、盗まれたエリア以外でも広く、狐面が目撃されたという情報もある。
それが手作りの狐面なのかはわからない。
その上で、迷子捜しと並行して犯人捜しをするか、
あるいは子供の悪戯だと片づけて、自分たちのことに集中するか。
「ねえ、こんなものが落ちてたんだけれど」
逡巡していると、ムギが訝しげになにかを持ってきた。
場の空気が一瞬にして凍り付く。
それは紛れもなく“手作りの狐面”であった。
途端に頭の中に散らばっていた情報が整理される。
数はさほど多くなく、整理そのものは至って簡単に済んだ。
しかし、全てを突き止めたわけではない。
今の時点でわたしが想定したシナリオは“二つ”ある。
そして、その一つが、わたしの心を酷くざわつかせていた。
最悪のシナリオ。
この可能性を潰さないことには、とてもじゃないが安眠もできない。
それほどに醜悪で、精神に穴をあける。
わたしはすぐに決心した。
♪‐07
後で合流することを約束し、わたしは一人その迷子を捜すことにした。
――はずだったのだが、意外な人物がわたしの後ろをつけていた。
「な、なんで砂原さんが……?」
「興味あるし」
そういえば砂原さんも被害者の一人(多分)。
わたしが突然その事件と関連のありそうな迷子を捜すなんて言えば、
気になってしまうものだろう。
「今日も縞々なのか」
「そっちかっ!」
とても落ち着いた雰囲気の人なのに、やることはまるで律のようだ。
だからといって、律のように周りを巻き込む勢いがあるわけでもなく、
先程の立花さんとの関係から、むしろわたしみたいな気質もあって。
実にミステリアスな子である。
そのミステリアスな雰囲気のおかげかはわからないけれど、
次第に会話のペースを掴んだわたしは、
この特殊極まりない、まるで宇宙に二人きりで放り出されたかのような場面にも、
意外とすんなり溶け込んでいた。
常に下着に刺さる視線には、多大なる警戒を払わなくてはいけないが、
会話はかなり円滑なように感じる。
わたしの内から、言葉が程よく引き出されているようだ。
ところで。
「その狐のお面、持ってきてるんだ」
「なにか参考になるかなって思って。さっき聞いた特徴と一応同じみたいだし」
砂原さんは狐面に腕を通し、くるりと一回転させた。
お面は基本的に画用紙で出来ており、
狐の顔と、その左右につけられた長方形が画用紙の部分にあたる。
そして左右の長方形を頭の横に沿うよう曲げていき、
後頭部にあたる部分で輪ゴムを使い、二つの長方形を繋げる。
後ろの輪ゴムのおかげで、多少の伸縮性はあるようだ。
しかし、砂原さんには小さかったようで、腕に通すしかなかった様子。
無理に被ろうとすれば左右の画用紙が破れてしまうだろう。
元々子供が自分のために作ったお面なので、まあ当然ともいえる。
それにしたって、随分と細めだと思うけど。
細い子が作ったものなのかもしれない。
「どうして手作りにしたんだろうね。それも、よりによって狐なんて」
今まではそこに疑問を抱いてなかったので、上手く言葉が出てこなかった。
砂原さんは構わず続ける。
「うーん、手作りなのはまだいいんだけど。狐はどうかなって」
「ああ……確かに化けて出たり、狡賢かったりで、悪者って印象強いしなあ……」
「そういう意味じゃ、この狐のお面はやっぱり本人のものなんじゃない」
虚を衝かれた。砂原さんはこちらの眼を真っ直ぐ見据えている。
自然に発せられた言葉ではあったが、少し確信めいたものを感じた。
そう、それは可能性として残しておきたかったものを、
真っ先に排除しにかかっているようでもあった。
「そうじゃない可能性だってある」
「意固地なんだね」
「そういう砂原さんこそ」
「……姫子は適当なこと言ってるだけだし」
砂原さんは、空咳を一つ挟み、
「それで、それだけ意固地になってるってことは、そういうことなんだ」
確信した。砂原さんは確信している。
「これが迷子のものだったら、どういうことになるのか。
さっき聞いた通りだと、その迷子はこのお面を随分と気に入っていたんだよね」
押し黙っていると、それが肯定に受け取られたようだ。
「ならこのお面を手放したのには、“それなりの理由”がある」
それなりの理由。
「そして相次ぐ窃盗事件の現場で目撃されている、“狐のお面”」
狐のお面。
「さらに盗まれた品々から見え隠れするのは、そう――」
「子供、だ」
言下に言葉を差し込む。
目を丸くしている砂原さんのことなど意にも介さず、
わたしは次々に言葉を繋げていく。
「オモチャばかりが盗まれ、財布等は一切手つかずだから。
そしてこの子供というのは、実行が一人だったとしても、裏に複数人いるはずだ。
オモチャの数も根拠の一つだけど、なにより焼きそばが少なくとも二つ以上盗まれていて、
他にもたこ焼きに綿菓子――わかっている限りで、これほどだな。
どれだけ食欲旺盛な子でも、一人で食べるような量じゃない」
「とんでもなく、想像を遥かに超えた食欲を持った子なのかも」
「もし、犯人が食欲旺盛な子だったとしても、
“そのお面を被ることが出来るの”?」
オブラートに包んだ言い方をすれば、ぽっちゃりした体型の子が、
その狐のお面を被ることは物理的に不可能だということ。
裏にぽっちゃりした子がいたとしても、それは複数犯であることの証明に過ぎない。
故に、単独犯ということはほぼ考えられない。
あの女性に子供の体型を聞いておくべきだったと、今になって悔やむ。
「まあこれも、この狐面が犯人のものであるという前提が必要だ。
だから、今から確認しにいくよ」
「狐面を目撃したって人に、聞きに行くんだね」
この狐面は子供の絵本に出るような可愛らしい狐ではなく、
白をベースにしたあの和風な狐面だ。
日本語がやや怪しいが、金色の白目に、黒い瞳。
赤い模様が左右対称に走って、不気味さを増している。
その上特徴的なのは、その顔の右上に色塗りを間違えたのか、
ここもまた金色に塗りつぶされた部分があった。
これだけ目立つ特徴があれば、他と間違えることはないだろう。
案の定、目撃情報の多くには金色の塗りつぶしが含まれており、
この狐面が実行犯のものだと確証を得るに至った。
進展した反面、そうなるとさらに憂鬱な気分になるのだけれど。
「迷子が実は辺りで盗みを働いていた……?
いや、だったらわざわざお気に入りのお面をしなくてもいいはず……」
母公認のお気に入りの仮面をわざわざ被って、犯行に及ぶ。
挙句、それを捨ててしまう。――まさかそんなこと。
あるいは、実際にはそのお面がお気に入りでなく、
ただカモフラージュのために使われた。
つまり、母親を騙していた。――あまり考えたくない。
これは少し感情的すぎるだろうか。
可能性には含めた方がいいのかもしれない。
いや第一、大人でさえミスをするというのに、
子供が必ず最善の行動をとっていると考えること自体、
見直す必要があるようにも思えてしまう。
右に行っても左に行っても、わたしに絡まる糸が解ける様子はない。
ではもう一つ、最も単純な可能性を考えよう。
否応なく狐面を被っていた――“被らされていた”という可能性。
今回の犯行には、複数人の関与が疑われている。
なら、被らされていたということも、
他二つに比べれば十分にあり得るのではないだろうか。
だけれど、それは。
「秋山さん、顔色悪いよ?」
事実、胃の中のものが逆流しそうだった。
「……砂原さんも、少しはわかってるんじゃないかなって、思うんだけど」
「そうでもないかもしれない」
どっちなんだろう。
「でも顔色を治す方法なら、少しわかってるけど」
「えっ」
「ねえ、一つ賭けをしてみない?」
そういうと、砂原さんは不敵に笑った。ちょっと怖い。
「そろそろ――あと十分以内に、“二度目の”迷子アナウンスがあったら、
わたしの勝ち。わたしの策に協力してくれる?」
「え、いや、なに勝手に……」
「じゃあここで吐くの?」
砂原さんは、先程から続くわたしの気分をずばり言い当ててくる。
素直に驚かされた。
この鋭さには賭け金を置いても、存外いい勝負になるのかもしれない。
わたしは砂原さんの言葉を多く信頼し、
胃の中のものの代わりに、自分の考えを吐露することにした。
「……わたしは“その迷子が他の人物に嫌々協力させられて、
狐面を被り犯行に及んだ”と見ている。
それなら、お気に入りの狐面を捨てたことにも頷けるから」
「それは最悪だ」
「高圧的な態度で接せられて、手を汚されて、
お気に入りのものを捨てざるを得なくなる。
こんなのあんまりだ!」
だけれど。確実でないにしろ、一縷の望みがそこに残されているのなら。
いくら泥臭く見られようともそれに縋り付く。
迷子アナウンスが聞こえたのは、気持ちを固めた直後のことだった。
最終更新:2014年09月28日 10:44