第2話「ストロベリー オンザ パフェ」
全身がぐらぐらと揺れている。
静かな息遣いと、足音。
時折聞こえる車の音。
喧騒。
あれ…わたしどうしたんだろう。
目を開けると黒髪に白い肌の横顔があった。
「あ、起きた?」
「えっ、あれっ、なに?わたし?いま、どこ?」
「あっ!ちょ、そんなに動くと…!」
急に動いたせいで体重が後ろに片寄り、わたしは背中からころげおちてひっくりかえり、続いて澪ちゃんも後ろ向きにわたしの上に倒れこんだ。
「……痛い」
「いたた…あ!ムギ!大丈夫か!頭打ったりしてないか!?」
「え…、あ。うん…大丈夫…澪ちゃんこそ大丈夫?」
「うん…わたしも大丈夫……ムギが柔らかかったから……って、ごめん!
わたしムギを下敷きにしちゃってた!重くなかったか?ごめん!」
「ううん。大丈夫よ。ホントに」
「そっか…ならいいんだけど」
「誰かにぶつからなくてよかったね。結構派手に転んだみたいだし」
「はは…そうだな」
澪ちゃんは立ち上がってジーパンの膝を軽く払うと、わたしに向けて左手を伸ばした。
「ありがと」
差し出された左手を掴み、ぎゅっと引き上げてくれる力に合わせて立ち上がる。
「大丈夫か?まだ気持ち悪かったりしないか?」
「えっと…わたし…」
学生御用達の安いチェーン店のアルコールは、たくさん飲むものじゃない。
今までこんなことは一度もなかったのに。
「珍しいよな。ムギが潰れるなんて」
「ごめんね…迷惑かけて」
「そんな。大したことないよ。わたしだってムギに介抱してもらったこと、あるしな」
「ありがと」
ちっとも気持ち悪くなんかない。
むしろちょっと眠ったおかげですっきりしたくらい。
わたしはゆっくり思い出す。
ああ、そうだ。
5つだったか6つだったか。複数の大学の軽音部同士が集まって行われた飲み会。
くじ引きで決まった席はみんなと離れ離れ。
大学の垣根を越えて初めて会う人たちとの交流はそれなりに楽しかったけれど、中頃には少しダレて、わたしは退屈していた。
みんなの姿を探したけれど、人が多すぎてわからない。
わたしは外の風に当たりたくなって席を立った。
会場を出て、エレベーターのスイッチを押した。
下から上がってくるはずのエレベーターが、なかなかやってこない。
フロアを表示する数字は「1」のままだ。
わたしは待ちきれなくなって、会場に戻ることにした。
入り口から眺めると、わたしが座っていた席に、すでに別の誰かがいるのが見えた。
別のところに目を向けると、唯ちゃんと梓ちゃんが楽しそうにじゃれているのが見えた。
澪ちゃんとりっちゃんはどこに行ったんだろう。
退屈だな。
ふと気がつくとすぐ目の前のテーブルには誰もいない。
ああ、前の方で騒いでるグループがいる。あの人たちの席かしら。
周囲の賑やかさがやけに遠くに聞こえる。
誰もいないなら、わたしが座ってもいいよね。
ついでにこれもいただきます。
1/3くらい残ってるピッチャーを掴んで勢いのまま一気飲みすると、
テーブルにうつぶせになって…記憶はそこで途切れている。
「吐き気とか…ないか?薬買ってこようか?」
「大丈夫…ありがとう。心配しないで」
澪ちゃんが心配そうにわたしの顔をのぞき込んでいる。
わたしが本当に酔いつぶれたと思ってるんだ。
ちょっと寝てたくらいなのに。
「…そういえば唯ちゃんたちは?」
「梓もつぶれちゃってな。唯と律はその介抱。わたしはムギの担当」
「そっか。ごめんね。二次会…行けなくなっちゃったね」
「いいよ。わたし…こういうの苦手だし」
「じゃあむしろ、わたしに感謝してるくらい?」
「…そんな軽口言えるくらいなら、本当にもう大丈夫そうだな」
澪ちゃんは安心したように笑うと、左手でわたしの頭を撫でてくれた。
「…顔はまだ赤いな」
「…気のせいよ」
風が吹いて柳が揺れた。
すぐそこに小さな川が流れている。
歓楽街の賑やかなネオンの光が、川に映ってキラキラと輝いて綺麗。
今、何時なんだろう。
明るく賑やかな街が時間の感覚を麻痺させていた。
「歩けそう?」
「あ、うん」
「もうちょっと行ったところにバス停があるから…行こうか」
ふたり、歩き出した。
わたしはもう、ちっとも気持ち悪くなかったけれど(最初っからね)、
澪ちゃんはたぶんわたしに気を遣ってるんだろう、いつもゆっくりと歩いてくれた。
「ねぇ…澪ちゃん」
「なに」
「あの…ね。お願いがあるんだけど」
「いいよ。どうかした?」
「………手、繋いでもらってもいい…かな」
「………うん。いいよ」
左側を歩く澪ちゃんの右手を、左手でそっと掴んだ。
澪ちゃんがきゅっとわたしの左手を握り返した。
澪ちゃんの手はいつもみたいにちょっとだけ冷たい。
この手が、すこしでもあったかくなるように、気持ちを込めて手を握る。
澪ちゃんが痛くならないように、でも、
思いだけはいっぱいに。
ゆっくりと歩きすぎたせいだろうか。
終バスはとっくになくなっていた。
「…ごめんね。わたしのせいで」
「いいって。気にするなよ。いいじゃないかこういうのも。たまにはさ。
大学生っぽくて」
「タクシーつかまえようか。わたしお金出すから」
「いいっていいって。それよりさ…」
「深夜喫茶にでも入って朝まで時間潰さないか?」
「なにそれ!たのしそう!」
「だよな?なんか大学生っぽいよな?」
「うん!大学生っぽい!ふたりだけの二次会ね!」
「そうだな、ふたりだけの二次会だな」
お酒のせいなのかどうなのか、澪ちゃんは妙にハイテンションで、わたしもなんだかハイテンションで、笑ってはしゃいでバス停を後にした。
キラキラと明るい店内の2階、いちばん端の窓際にわたしたちは座った。
10人くらいの大学生のグループが賑やかだった1階に比べ、2階はしんと静かだった。
「一度こういう喫茶店で徹夜してみたかったんだよ」なんてまるでわたしが言いそうな台詞を言っていた澪ちゃんだけど、
メニュー表を見てちょっと引きつった顔になっていた。
わたしはそれを見て我慢できずに吹き出した。
「わたしがおごろうか?」
たしかにちょっと、高いけどね。
「い、いいよ…。わたしが誘ったんだし…わたしの分はわたしが出す」
こういう変に意地っ張りなところがかわいくて、わたしはずっとニヤニヤしてた。
「…決めた」
「なに頼むの?」
「…アメリカン」
「…チョコバナナパフェ、美味しそうだよ?」
「…ダメだろ。こんな時間に食べちゃ」
「いいじゃない。今日くらい。だって、二次会よ。お酒の代わりだと思えば」
「う~…ムギがそんなこと言うと迷っちゃうじゃないか」
それから澪ちゃんが注文を決めようとするたびにわたしが面白半分に茶々を入れて、
そうするとまた澪ちゃんが迷いだして…
……お店に入ってからかれこれ15分くらい経った頃、店員さんが様子を見にやって来た。
すこしイライラした様子の女性の店員さんに慌てた澪ちゃんがしどろもどろになっていたものだから、
代わったわたしが注文を叫んだ。
「デラックスいちごパフェふたつお願いします!」
……
…………
………………トン。
「わぁ~!おいしそう~~♪」
「……………」
「澪ちゃん、食べないの?」
「…ムギは平気なのか。つぶれた後なのに」
「うん。全然平気」
「…体重」
「……明日からジョギング始めるから」
「……でも」
「澪ちゃん。『据え膳食わぬは男の恥』、よ」
「………男じゃないし」
「そんなこと言ってるといちご食べちゃいますよ!」フンス!
「あっダメ!わたしのいちご!」
澪ちゃんはフォークでいちごを刺してパクリと口に入れると、そのままの勢いでパフェを食べだした。
モグモグ……あぁ~いちごパフェおいしいわぁ~♪しあわせ~□
こんなにおいしいパフェを食べるのは初めてかもしれない。
とまらなくなっちゃうわね……⭐︎
…
「…はぁ」
「…ふぅ」
「…おいしかったね」
「…ああ。おいしかった」
「…いちごパフェが止まらなかったね」クス
「…ああ。止まらなかった」クス
「わたし、しあわせー!」パタパタ
「…わたしも。あれ。ムギ、いちご、食べないのか?」
「え、あ、うん。なんだかもったいなくて」
「そっか。なんだかわかる気がするよ」
「いの一番に食べた澪ちゃんには言われたくないな」
「……っ!
そ、それはムギがわたしのいちごをとろうとするから!」
「…フフ。ごめんごめん。冗談よ。そうね。はやく食べなきゃ、
誰かに取られちゃうかもしれないものね」
「…そうだな」
「…」
「…」
広くて華やかな店内。
2階にあがってくる客は相変わらず誰もいなくて、
わたしはお店の経営状況がちょっと心配になった。
追加で何か注文しようかと、わたしはホットコーヒーを頼むことにした。
澪ちゃんはアイスコーヒーを頼んだ。
普段上等な紅茶を飲み慣れているせいか、外で紅茶を飲むとどうしても不満に感じてしまうので、わたしはコーヒーを注文することが多い。
パフェはおいしかったけれどさすがに結構甘くって、どうせなら最初っから飲み物を頼むべきだったかなと後悔した。
お客が少ないわりに、コーヒーが運ばれてくるまでには時間がかかった。
「きっと豆から挽いてるんだよ」と澪ちゃんは言っていたけどどうだろう。
しばらくして運ばれてきたコーヒーは言われてみれば香り高い気がした。
でも、この季節にホットはちょっと熱すぎたかしら、一口だけしか飲めなくて味はよくわからない。
「…」
「…」
「…あのさ」
「…なぁに」
澪ちゃんが左手に持ったストローをぐるぐると回し、
「…今日、ちょっとつらいことがあって」
「…うん」
それにつれて、アイスコーヒーの中身もぐるぐると回り、
「ひとりでいたくなかったんだ」
「…うん」
グラスの中の氷が鳴らすからからという音が店内に響いた。
「でもみんなと一緒なのもつらくて」
「……うん」
ストローを回す手を止めても氷はコーヒーの中を泳ぎ続け、
「……だから帰りたくなかったんだ」
だんだんと動きは緩やかになっていき、
「ムギがいてくれてよかった。ありがと」
「…介抱してくれたひとが、つぶれて介抱されたひとにいう台詞じゃないね」
しばらくして動きを止めた。
「…ハハ。そうだな」
「…フフ。そうよ」
桃色をした澪ちゃんの唇が、ストローに触れた。
本来の目的に立ち返ったストローは、
ちゅうちゅうと吸い上げたアイスコーヒーを澪ちゃんの口に運んでいく。
ミルクも砂糖も入れてないブラックのまんま。
黒い液体がストローを通って、桃色の唇に流れていく。
「…いちご。早く食べないと取られちゃうぞ」
「…いいよ。澪ちゃんにあげる」
「…いい」
「…そう」
「…早く、食べたほうがいいよ」
「…ううん。いいの」
「…早く食べないとダメなんだよ」
「…どうして。いちごは急になくなったりしないわ」
「…なくなるよ」
『…わたしのいちご。もうとられちゃったんだ』
店内には流れているクラシックが、突然大きくなったように聴こえた。
「…ごめん、ムギ。わたし、なんだか眠くなってきちゃった」
からっぽになったグラスの中の氷が、ふちに当たってからんと音を立てる。
「寝ていいよ。どうせ朝までまだ時間はあるんだし」
「ごめんな…。じゃあちょっとだけ」
「……うん。おやすみなさい」
そのまま澪ちゃんはうつ伏せになった。
わたしは冷めてしまっておいしいのかまずいのかよくわからなくなったブラックコーヒーをゆっくりゆっくり飲みながら、窓の外をぼうっと眺めていた。
闇夜のなか、眩しく、煌々と照る月。
釣り針のように細い月は、鋭く光を放ちながら夜空に浮かんでいる。
わぁ。
今夜はこんなにお月さまがきれいだったのね。
さっきまで外を歩いていたのに、そんなこと気づきもしなかった。
月も星も、その美しさは人の心を捉えて離さない。けれど。
月はきっと、澪ちゃんやわたしの心の内なんて知りもしないだろう。
この世界は人の営みや気持ちとは関わりもなく動いているんだと、思う。
流れ星、見れないかなー…って、
期待してみたけれど、あいにくひとつも見つけられない。
しばらくして、店内に流れるジムノペディに混じって寝息が聞こえてきた。
そっと振り向り、澪ちゃんの濡れた頬をハンカチでやさしく拭いた。
それからわたしのグラスに残ったいちごを、澪ちゃんのグラスに移す。
いちごはコトンと音を立てて、グラスの底に落ちていった。
『いちごを だれかに とられちゃうのと
いちごを だれにも たべてもらえないのは
いったい どっちが かなしいかしら』
どっちもおなじよ かなしいわ。
でもきっと、わたしの頬を撫でるひとは誰もいない。
滴は頬を伝い、グラスの底に落ちていく。
店の中の灯りが煌々として、妙に明るくて眩しく感じる。
わたしはうつ伏せになって、小さく細く息を吐きながら、
瞳を閉じた。
ー第2話 おわりー
最終更新:2015年01月15日 07:38