「Louie louie」
「Louie louie」 Richard BERRY
月の光の透明な粒が波間に静かに揺れていくのを見ていると、誰かの気配を感じた
唯「和ちゃん」
和「唯?」
顔をほんのり赤くさせて、少しおぼつかない足取りで唯が私の隣にやってきた
和「だいぶ飲んでるみたいね」
唯「そんなに飲んでないよ。私、お酒ってあんまり好きじゃないし」
和「そのわりには結構ふらふらみたいだけれど」
唯「弱いんだよー。だから、ちょっとだけ外の風に当たろうと思ってね」
ふう、と息をつくと、唯は欄干にもたれかかる
唯「さわちゃんもりっちゃんも、よくあんなに飲めるもんだよね」
和「やっぱり嬉しいのよ。最後の夜くらい、ハメ外してもいいんじゃない?」
そう言うと、唯が少し目を丸くして私を見た
唯「あの真面目な和ちゃんがそんなこと言うなんて、ちょっと意外だね」
和「私も少し浮かれてるのかもね」
私は遠くの風景に目を向けた
幾千の月明かりが揺れる波の、そのもっと遠く
小さいけれどたしかに、明かりが灯っていた
和「まあ、あなたたちは騒いでていいわ。今夜の見張りは私だから」
唯「和ちゃん、飲まないの?」
和「お酒は苦手なの。だから大丈夫」
そしてしばらく、私たちは黙って波を眺めていた
船は順調に進んでいる
風も穏やかで、進路に障害物も無し
灯台の明かりを目指してまっすぐ進む
唯「到着は何時頃かな?」
和「予定では明日のお昼ね。風が良いから、ちょっと早く着きそうだけれど」
唯「そっか」
唯が小さく呟いた
唯「長かったね。一年」
和「そうね」
唯「でも、明日には会えるんだよ。あずにゃんに」
遠く灯台の明かりを眺めながら、唯はやわらかく微笑んでいた
唯「新婚早々にお仕事で、一年もほったらかしちゃったから。怒られちゃうかな」
和「仕方ないわよ。最後の大仕事。この航海が終われば、もう離れなくてすむもの」
唯「そうだよね。明日になれば、あとはずっとあずにゃんと一緒に暮らせるんだよね」
えへへ、と唯は笑う
唯「でも。怒っててもいいから、あずにゃんの声が聞きたいよ」
和「そうね」
唯「憂も怒ってると思う?」
和「……どうかしら。怒ってるかもしれないし、怒ってないかもしれない」
でも、と私は言う
和「たしかに、怒っててもいいから声が聞きたいわね。憂の」
唯「憂と同じ声だったら私出せるよ?」
和「私が聞き間違えるわけないじゃないの」
だよね、と唯が笑う
唯「まあ、明日までの我慢だね。お互いに」
和「そうね」
唯「帰ったら、何をするか考えてる?」
和「とりあえず、もうこれからは陸の仕事になるからね」
和「タイプライターの打ち方くらいは覚えておこうって思ってるわ」
唯「もう!お仕事じゃなくて!むぎちゃんが私たちにはしばらくお休みくれるって言ってたじゃない!」
和「ああ、そうね。……とりあえず一ヶ月くらいはのんびりしようかなって」
唯「旅行とか行く?」
和「正直、憂と二人で家でのんびりいちゃいちゃしてたいわ」
唯「そっか。私はね、もう長く家を空けることもなくなったから、子供作ろうかなって」
和「あら、いいわね」
唯「うん。えへへ、あずにゃんにもまだ話してないんだけどねー。そろそろかなーって」
和「そう。私と憂もそろそろ考えようかな。……だったら、明日帰ったら頑張らないとね」
唯「え、あっちの方を?」
和「ご機嫌取りよ。一年も会えなくてごめんなさいって」
唯「あはは。そうだね。まずはご機嫌取らないとね」
そう言って笑うと、唯はもたれかかっていた欄干から身を起こした
唯「私、もう寝るよ。やっぱりお酒って苦手だなぁ。すぐ眠くなっちゃう」
和「ちょうどいいじゃない。お酒でも入ってなければ、楽しみで眠れないんだろうし」
唯「だねー。……ねえ、本当に一人で見張りしてもらっていいの?」
和「いいわよ。元々当番なんだし」
和「私のことはいいから、もう寝ちゃいなさい。また明日ね」
唯「うん。また明日。おやすみなさい」
和「おやすみ」
船は順調に海を渡っていた
夏の夜風は静かに吹いている
夜空には三日月が輝いていて、その光が波間に砕け散っていた
憂「和ちゃん」
振り向くと憂がいた
ポニーテールをかすかに揺らせて、微笑んでいた
和「憂」
憂を抱きしめる
腰に手を回して、首すじに顔を埋めて
彼女の髪からは懐かしいバラの香りがした
憂「会いたかった?」
和「会いたかったに決まってるじゃない。昼も夜もずっとあなたを想ってた」
憂が私の腰に手をまわす
優しく抱きしめてくれる
憂「私だってずっと想ってたよ。元気にしてるかなって。怪我とかしてないかなって」
和「大丈夫よ。どこも悪くない。あなたは?」
憂「元気だよ。……ちょっとだけ、寂しかったけどね」
和「ごめんなさいね」
和「でも、もう大丈夫。航海は明日で終わり。明日にはあなたに会える」
和「ずっとあなたと一緒にいるわ。昼も夜も。一緒に起きて、朝食を作って」
和「お昼を食べたあとは、二人でお昼寝するの。その後で買い物に行って」
和「夕暮れの海辺を二人で散歩するの。ゆっくりと。同じ歩幅で」
その日にあったことを話したり
澪や唯や紬達と夕食を取る日もあるかもしれない
律とさわ子先生が大騒ぎして、梓ちゃんは唯にべったり抱きつかれてて
和「そして、楽しかった一日を思いながら二人で眠るの。きっといい夢を見る」
そしてまた新しい日が始まる。憂と一緒に迎える新しい日がやってくる
和「そんな日々が始まるの。だからあと少しだけ、待っててね」
憂「うん。待ってる」
そっと、憂が私の胸から顔を上げた
憂「和ちゃん、もう寝ちゃう?」
私は首を振った
和「今夜は眠れないの。見張りの当番だから。唯はもう寝ちゃったわ」
憂「そっか。……じゃあ、和ちゃん、一人ぼっちなんだね」
憂がじっと私を見上げてきた
彼女のその視線の意味がわかる人間はたぶん私だけだ
憂が何かをねだる相手はそう多くない
和「うん。だから。あなたの夢に付き合うわ、憂」
和「一人で夜空を眺めるのに、少し飽き飽きしていたの」
憂「えへへ」
ふたたび憂が抱きついてきた
私の胸に顔を埋めて、幸せそうに息をついた
純「え、なにこれ」
私がキッチンに入って目に飛び込んできたのは、テーブルの上に隙間なく置かれた料理の数々だった
憂「あ、純ちゃん。いらっしゃい」
オーブンの前で屈みこんでいた憂が、顔を上げて微笑む
純「お邪魔します。あ、これお土産のドーナツ。……で、この料理はどうしたの?」
何人分あるのだろう。今日は何かのパーティーだろうか
憂「あ、これ?えっとね」
ありがとうと憂は私からドーナツの入った紙袋を受け取ると、テーブルの隅の方にそれを置いた
揺れるポニーテールに少し触ってから、彼女は恥ずかしそうに言う
憂「……なんか、予感があって」
純「予感?」
憂「うん。和ちゃんが今日帰ってくるような気がするの」
ああ、そういうことね
純「まあ確かにそろそろ一年だっけ?予定では帰ってきてもおかしくないけどさ」
私はあらためてテーブルの上に目をやる
ステーキに魚にサラダにパンにワイン
香草焼きからマリネ、カルパッチョにパスタに……
純「帰って来たとしても、和さんと憂の二人でこの量食べられるの?」
憂「ちょ、ちょっとだけ作りすぎちゃったかな」
えへへ、と笑う憂
憂「船の上だとあまり良いもの食べてなかっただろうし、そう考えるとついね」
愛されてるなぁ、和さん
憂「でも、もし今日も帰ってこなかったら、お料理食べてくれる?」
純「もちろんだよ。澪先輩達も呼んでみんなで昼食にしよう」
それにしても、と思う
純「それにしてもさ、憂。今回の予感って、もしかしてなにか根拠があるの?」
この一年というもの、梓もそうだけれど突然「今日帰ってくるかも」と言い出すことは多々あった。
もちろんその全てが気のせいであり、そんなことを繰り返しながらたどり着いた今日だった
でも今回はこんなに料理まで作ってるんだし、なにか手紙でも届いたのだろうか
しかし憂は首を振って、恥ずかしそうに笑った
憂「いや、根拠っていうかね。……夢を見たの」
純「夢?」
憂「船の上でね。和ちゃんに一晩中抱きしめられてる夢」
憂「もうすぐ帰るからもうちょっと待ってて、って言っててね」
憂「それだけなんだけど。でも、目が覚めたあとも実感があったの。和ちゃんの余韻っていうかね」
まあ気のせいかもしれないけれど、と憂が静かに呟いた
純「へえ」
不思議なこともあるもんだ
純「いや、私ね。ここに来るまえに梓の家に寄ったんだ」
憂「梓ちゃんの?」
純「うん。今から憂の家に遊びに行くから、梓もどうかなってさ」
純「そしたらさ、梓、家中を掃除してるの。結構本格的に」
憂「大掃除の時期じゃないよね。真夏だし」
純「でしょ?だから聞いてみたの。何かあったのって。そしたらさ」
純「夢を見た、っていうの」
月明かりの差し込む船の一室で、唯先輩と一晩中抱き合ってたって
明日帰るから、もうちょっとだけ我慢しててねって
純「あと子供作りたいって夢の中で言われたらしい」
憂「こ、子供!?」
純「うん。そんなわけで掃除してるから先行っててって言われたの」
純「まあ私も信じてなかったんだけどね。いつものあれが始まったかー、みたいなノリでさ」
でも
それでも
純「それでも、ほとんど同じ夢を憂も見てるんなら、もしかしたらって可能性はあるよね」
憂「わ、私は子供作るなんて和ちゃんから言われてないけど……」
真っ赤な顔で俯く憂
一体何を想像してるんだろうね
純「……まあ、子供云々は和さんが帰ってきてから考えればいいけどさ」
ちらっとテーブルの上の料理に目をやる
これだけの量と手のかかりようだ
仕込みから何から逆算して、きっと陽の上がりきらないうちから取り掛かっていたんだろう
いくら憂は料理が好きとはいえ、このテーブルの上の料理と、それにかけた手間と時間は、全部和さんへの想いだ
純「帰ってくるなら、この料理が冷めないうちに帰ってきて欲しいよね」
キッチンのオーブンがベルを鳴らしたのと、澪先輩が部屋に飛び込んで来るのはほとんど同時だった
澪「お、お邪魔します!」
憂「え、澪先輩?どうしたんですか、そんな慌てて」
澪「ご、ごめんね、勝手に上がっちゃって」
憂「い、いえ。大丈夫ですけど」
走ってきたのだろう。澪先輩は息も絶え絶えに、しばらく下を向いて息を整えようとしていた
でも、整え切っていないうちから顔を上げて、
澪「り、律達の船が帰ってきたって!今、港に入ったって!」
瞬間、憂が後ろ手でエプロンを外し始める
玄関に向かって、足早に歩き出す
ふと、何かを思い出したように振り向いて私を見た
純「わかってるよ。今から私が梓に伝えに行く。だから港に行っておいでよ。澪先輩と一緒に」
憂「あ、ありがとう純ちゃん!」
澪先輩と憂が家を飛び出していく
窓から、港へ向けて走っていく二人の背中が見えた
純「さて、このビッグニュースを梓に伝えに行くか」
ここの鍵はどうしよう。鍵の場所とか知らないし
……まあいいか。梓を見送ったらそのままここに帰って留守番していよう
五分くらいなら鍵を開けっぱなしでも問題ないだろうし
私が玄関を抜けた時、汽笛が鳴った
その音はちょうど一年前の夏に、この町の港で聞いたものと同じだった
最終更新:2015年03月25日 07:47