▼‐01
ついに、なんて言ったら野蛮な期待をしていたと思われちゃうかもしれない。
それでも、ついに起きてしまったんだ。
殺人が。殺人事件が。生徒一人が刺殺されてしまうという、殺人事件が。
カメラマン根性というやつがここぞとばかりに働いている。
手元のカメラを通して、映しだされた世界を、真実を切り取ろうと。
例えば、机の上に置かれた紙束だったり、それを囲んでいる友人たちの姿だったり、
なんの変哲もない教室の姿だったり。
ぱしゃりと一つ。その瞬間、目を細めた彼女たちの視線は、一斉にこちらへ向く。
フラッシュが彼女たちの目には眩しかったみたいだ。
「ああ、ごめんね、眩しかった?」
「それもそうなんだけど、どうして写真なんか」
「これも思い出でしょ?」
「殺人事件だっていうのに……」
和ちゃんは呆れたようにこちらを見たあと、
少し疲れた顔をして、少しずれた眼鏡の位置を直した。
「持ってきたのは姫子だとしても巻き込んだのはちずるなんだから、
少しは協力してくれないと」
「ごめんごめん」
「それで、書き上がってるのはここまでなのね?」
声をかけられた相手は紙束を手に取り、めくって、目を走らせた。
茶髪ロングの一見チャラチャラしていそうなその子の姿勢は、
それでいながら規律あるたたずまいだった。
紙面の文字を最後まで追いかけた後、
その子は――夏祭りで偶然会って遊んだことのある茶髪ロング少女、
姫子ちゃんは、紙束を閉じた。
「間違いなく、ここまでだね」
「正直解けるかどうか、かなり怪しいわね……それでもいいの?」
「初めから覚悟はできてるよ。
でも後輩のためだし、できることはしてあげたい」
「そう言うのなら、自分の力だけでなんとかして欲しいものね」
「とか言って。断れるなら、もっと前から断ってるでしょ」
和ちゃんは姫子ちゃんの持つ紙束――脚本を受け取った。
そして先程起きた殺人事件のあらましを、初めから読み直していた。
世にも恐ろしい殺人事件、それは、
今年の学祭で一年生が演じるはずの、劇中で起きるものだった。
「それはそうなんだけど、未完成とは聞いてなかったわ」
「でも和ちゃんなら大丈夫だよ!」
唯ちゃんは大きく手を挙げた。
横で溜め息を吐いている和ちゃんと並べて見ると、
なんだかバランスの取れたコンビという感じがする。
この劇は姫子ちゃんの部活の後輩、つまりソフトボール部一年のクラスが演じる予定のもの。
そんな大切なものをわたしたちがどうして先に演じているかといえば、
要は、その後輩ちゃん自身が姫子ちゃんに頼んだからだ。
この劇のジャンルはミステリー。殺人事件は解決されなければならない。
でも、解決される前に作者が筆を投げてしまったら。
これが実際に起きてしまったわけだ。
困り果てて姫子ちゃんに相談した後輩ちゃん。
後輩ちゃんを助けたいものの、一人じゃ解けそうもないとわたしに相談する姫子ちゃん。
やっぱ頭のいい人に手伝ってもらおうと、一度お世話になった和ちゃんに相談するわたし。
ついでに巻き込んでおいた、しずか。
大体こんな感じで、いまの人たちは集まっている。
「わたしは大丈夫なんて一言も言ってないんだけど……?」
「今更言っても暇だってことバレバレだよ?」
「うぐっ」
ところで、この劇には登場人物が全部で八人いる。
ここまでで集まったのは五人。一人はすぐ死んじゃうとしても、少しだけ足りていない。
まあ、実際に演じなくても頭で考えればいいか――と思っていた矢先、
意外な助っ人が現れてくれたのだ。
演劇部所属の松本美冬ちゃんと、その友達、野島ちかちゃんだ。
「わたしたちは好きで参加してるから、気にしないでいいよ」
「そそ。なにより面白そうじゃん?」
「ちかもこう言ってるし」
まさか演劇部部長の力が借りられるなんて。
ちなみに演劇部は三年生の年代がぽっかり空いており、
二年生の美冬ちゃんが部長の座を射止めている。
「わたしたちもやっぱり劇するんだけどさ、こういったジャンルはやってなくてね。
たまには別の空気にも触れてみた方がいいと思うのよ」
「努力家なんだね」
「作る側として当然のことよ」
美冬ちゃんは和ちゃんの開く脚本に目を映し、指差した。
「ここ、もう一度演じてみない?」
「え、また演じるの?」
「実際にやってみた方がわかることも多いと思うわ」
「よっし、じゃあ配役はさっきと同じねー」
ちかちゃんもやる気に溢れているようだ。
一方のわたしはというと、配役が同じということを聞いて、早速やる気がなくなっている。
「じゃあちずるは、あっちで横になっててね」
珍しくしずかがくすくす笑って、わたしをおちょくってくる。
そう、美冬ちゃんの示したシーンでは、既にわたしは死んでしまっているのだ。
さらにわたしは二役任されているけど、その二役目の人物も、ここでは出ない。
▼‐02
わたしは既に何者かにやられてしまった死体になりきりつつ、
後輩ちゃんのクラスで起きた出来事を思い出していった。
まず一つ目に、完成しなかった脚本のこと。
これについて正確に言えば、“まだ”完成していない脚本だ。
二学期も始まったばかりで、一応は学祭まで多少の時間がある。
この時点で完成していないのはだいぶまずいけど。
完成していない要因は、夏休み初頭から続く、脚本家の急な長期欠席だ。
脚本家の友人である後輩ちゃんは、脚本家の家に足しげく通っているそう。
そんな後輩ちゃんでも、長期欠席の理由はわからないというのだから、タチが悪い。
いくら考えても仕方ないので、長期欠席の理由は後回しにしよう。
そもそもこの脚本に完成への道筋があるのかどうかと言われれば、
答えは既に出ている。ある、――らしい。
後輩ちゃんが通った中で脚本家から得られた一番大きな情報はそれに違いない。
脚本家はこう言ったそうだ。
「一応、最後の結末まで考えてから書き始めた。
だから完成しないことはないはず、もう少しだけ待ってほしい」
だけれど最初に休み始めたときから、
夏休みに行われる練習には一度も顔を見せず、ついに二学期が訪れてしまった。
始めは楽観的だった現場も大慌て、こちらで書き足すか、
むしろ新たな脚本を用意するかで、てんやわんやだという。
そんな中、後輩ちゃんは友達の脚本をせめて生かしてやりたいと思い、
頼れる先輩である姫子ちゃんにすがったわけだ。
姫子ちゃんが聞いたところによれば、元々その脚本家も乗り気ではなかったらしい。
人の死ぬ話なんて、わたしは大嫌いだ、と。
この劇にも当然反対した。まして脚本など、断りの言葉をひたすら重ねたという。
しかしクラスの多数決は無情にも、彼女を脚本家とした劇を作ると決定してしまい、
逃げ場を失った脚本家は、それを作らざるを得なくなってしまったのである。
ちなみに後輩ちゃんは、そんな脚本家の思いを知っており、
それを決める多数決でも明確に反対したらしい。
そんなわけで、二人の互いに対する信頼はとても厚い。
「……はい、ここまで。新しくわかったことはある?」
「わたしは特にないかなー……唯は?」
「ありません!」
「ははっ、自信満々だね」
どうやら劇は一段落した様子。
身体を起こして、二つ目の出来事について考える。
後輩ちゃんのクラスで起きたことその二。
それは、役者の怪我だ。
しかも劇に出ることができなくなってしまうほどの、大きな怪我だという。
これも夏休み初頭に起きたことのようで、
不意に飛び出してきた自転車に激突されてしまったとのこと。
命に関わるようなことではなかったものの、
ステージ上でなにかを演じるのはもはや絶望的だった。
それと、当然代役が立てられたわけだけど、その代役があの後輩ちゃんなのだとか。
劇に反対していた後輩ちゃんだけど、他の出演者たちは劇に賛成した、
積極的な参加者たちだというので、どうも少し肩身が狭いらしい。
なんでそんな人に任せたのか。多分、あまり考えてないんだろうけど。
この役者の怪我と、脚本家の欠席に関係があるかどうかは、今のところ不明。
それはわたしたちより二人に近い、クラスメイトたちに聞いても同じだ。
二つの時期は近く、怪我の方が早いため、関係ないとも言い切れない。
「なんで未完成の脚本を渡すんだろうね。
普通だったら、完成してから渡すもんじゃない?」
「色々と急かされたらしいよ。だから、書き上がった部分だけがこうして来てるってわけ」
脚本家の不満も積もりつもってそうだ。
「ねえ、ところでこの劇って元ネタの作品あるよね?」
「どういうこと、ちか?」
ちかちゃんの提案に、和ちゃんが賛同した。
「そうね、タイトルや登場人物の名前から、間違いないでしょう」
「元ネタはそんな有名な作品なの?」
「そうなんだよ、しずかちゃん。読んだことなくても、名前は聞いたことあるんじゃないかな」
半ば忘れられてる感じのわたしも、耳を傾ける。
なんとなく、頭の片隅でぼんやり思っていた言葉が、耳にそのまま舞い込んできた。
「“オリエント急行の殺人”」
▼‐03
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【タイトル】
「織園戸高校の殺人」
【登場人物】
加瀬田いずる (かせた いずる) …… お山の大将になりきれない女子高生。裏がある。右利き。
蛭田舞 (ひるた まい) …… はりきりで空回りの多い女子高生。一応いずるの友人。左利き。
江戸川あすた (えどがわ あすた) …… ロッククライムが好きな人一倍の力持ち女子高生。一応いずるの友人。右利き。
阿部なすみ (あべ なすみ) …… コテージの持ち主でありながら嫌味のないお嬢様女子高生。えなと仲が良い。右利き。
水阿利えな (みあり えな) …… 相手との距離感を慎重に測りがちな女子高生。なすみと仲が良い。右利き。
龍野こごみ (たつの こごみ) …… 無駄にプライドの高い女子高生。いずるのことをあまり好いていない。右利き。
安藤れん (あんどう れん) …… 言いたいことを言い出せずもじもじする女子高生。るきに面倒を見られている。右利き。
穂和呂るき (ほわろ るき) …… 頭の回転が速く信頼もあるが頼りない女子高生。れんの面倒を見ている。右利き。
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ちかちゃんは脚本の一ページ目を開き、タイトルと書かれた部分を指さした。
「このタイトルなんか“オリエント”ってもろ入っちゃってるしさ」
「え、これオリエントって読むんだ!?」
しずかはその突飛な読み方に、目を見張らせている。
「無理やりな当て字だよねー。
で、こっちの登場人物も恐らく無理やりな当て字が多い」
こっちはタイトルと違って読みが書いてある。
まあきっと、演じる側からもクレームが入ったんじゃないかな、とか考えてみた。
自分の役だけどなんて読むのかわかんないよ、みたいな。
ちかちゃんが懐から文庫本を一冊取り出した。
「で、これが図書室にあった“オリエント急行の殺人”ね。
登場人物欄を見てみよっか」
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登場人物
ラチェット …… アメリカの老人
ヘクター・マックィン …… ラチェットの秘書
エドワード・マスターマン …… ラチェットの召使
アーバスナット大佐 …… イギリス人
メアリー・デベナム …… イギリス人、家庭教師
ドラゴミロフ公爵夫人 …… ロシア人、亡命貴族
ヒルデガルデ・シュミット …… 公爵夫人のメイド
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アンドレニ伯爵夫妻 …… ハンガリーの外交官夫妻
サイラス・ハードマン …… アメリカ人、私立探偵
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エルキュール・ポワロ …… ベルギー人の探偵
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ああ、なるほどと唸った。
この場にいる他のみんなも、同じように思ったのだったらよかったのだけど、
なんとなく察してた通り、唯ちゃんは腕を組んで、身体を左右に揺らしていた。
「んー、外国の人の名前は難しいねー……」
「そういうことじゃなくて……ああ、でもそれでもういいわ」
和ちゃんが大きなため息を挟んで、説明を始める。
と、思ったところで、なにかに気づいたのか、すぐさま言葉を止めた。
「あ、ねえ唯、このまま続けると“オリエント急行の殺人”のネタバレを
しちゃうことになるけれど、それでもいいの?」
それは大切なことだ。
和ちゃんは他の人にもちらりと視線を送り、同じことを尋ねていた。
この中で何人が未読かわからないけど、出来ればまっさらな状態で読んでほしい。
なにかを知ったあとに読むのも面白いけど、それとは違う読み方。
この作品に関してはわたしも読んだことないけれど、その気持ちはよくわかる。
「うーん……わたしからは読まないんじゃないかなあ」
ただそれでも、この事件に対しての興味が、そんな気持ちよりも優っていた。
他の人についても概ね同じ思いだという返答ばかりだった。
「じゃあ続けるわね。この劇の人物の名前は、原作を元にしてるのよ」
「え、そうなの?」
「無理やりな部分が大半だけど、一応見比べてみて。
ヒルタマイとヘクターマックィン。響きがそこそこ似ているわ」
響きがそこそこ似ている、という表現に、わたしは苦笑いするしかなかった。
脚本家はよほど苦心したんだろうなあ。
「エドガワとエドワードは、あからさまね。
ドラゴミロフは、ドラゴの部分を龍に見立てたんだと思う」
「なるほど」
「あとの極めつけは名探偵ポワロと、こんな名前多分存在しないでしょう、ホワロ」
「ああ、ほんとだ!」
「オリエントにこんな当て字を使うんだもの、これぐらいの力技あってもおかしくないわ」
「え、でも待って」
姫子ちゃんが一番目の名前を指さした。
「このラチェットって名前と、加瀬田いずるって名前は、どこが一致してるの?」
「ああ、姫子は読んでないのね。このラチェットというのは本名じゃないの。
この男の本名は、カセッティ」
「そっか、カセッティと加瀬田ってわけね」
「じゃあ……まとめると、こんな具合?」
美冬ちゃんは別の紙に、それぞれの対応する人物を書き出した。
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加瀬田いずる ⇔ ラチェット(カセッティ)
蛭田舞 ⇔ ヘクター・マックィン
江戸川あすた ⇔ エドワード・マスターマン
阿部なすみ ⇔ アーバスナット大佐
水阿利えな ⇔ メアリー・デベナム
龍野こごみ ⇔ ドラゴミロフ侯爵夫人
安藤れん ⇔ アンドレニ外交官
穂和呂るき ⇔ エルキュール・ポワロ
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それぞれの名前に関連性があることはわかった。
とはいえ、それでなにかが一発でわかるほど、事態は甘くないようだ。
それならば。
「よし、ここでもう一回読んでみよ!」
最終更新:2015年04月02日 22:42