「部屋に入る方法はベランダの窓か、廊下に続くドアか。
そのどちらも開いていない上に、鍵がそこにあることから――なるほど、密室殺人ね」
「これだけを聞いていればね」
美冬ちゃんはすかさずページを戻した。
「でもここで、外にはあると思うって言われてる」
「完全な密室とは言いきれない、ってことだ」
後輩の劇を演じ、また行く先を探す姫子ちゃんの顔は、少しゆるんでいた。
手元のカメラで一枚。
「え、なに、どうしたのちずる?」
「なんか楽しそうだったからね、顔がさ」
「ははあ……それでも、いきなり撮るのは勘弁してほしいかな」
「ちずるはマイペースなんだから……」
「こらしずか、聞こえてるよ。
それにわたし、予告なしで撮影するのが好きだから」
「どうして?」
「一瞬の偶然を所有できる数少ない道具なんだよ、これは」
なんて。ちょっとそれっぽく語ったけれど、実はこれは先輩からの受け売りだ。
でも少しだけアレンジを加えてあるし、わたしの言葉だって言っても、罰は当たらないはず。
先輩――。
わざわざ自分から墓穴掘りに行くことないのにと、こっそり自嘲する。
必死に押しやったモノが、また、頭を埋め尽くしてしまった。
こうなってしまったら仕方ない、少しずつ、少しずつ解かして、
頭の中をすっきりさせてしまおう。
まず、このことは今目の前にある問題と一切関係ない。
それは間違いない。
だって先輩が、あのA先輩が巻き込まれた事件は、作り話なんかじゃない、
現実に起きてしまったことなんだから。
わたしも詳しいことは知らない。
ただ、暴力事件に巻き込まれたそうなのだ。
一緒に歩いていた友人の子が、ガラの悪い人たちとぶつかってしまい、
色々あって殴られそうになったところを、かばった。
すぐに警察が呼ばれ、現行犯は取り押さえられたものの、
A先輩は傷が酷く、そのまま病院へと送られてしまったのだ。
おそらく、拳は一発や二発ではなかった。許せない。
回数の問題ではない。暴力自体が許せないのは勿論だ。
ただそれ以上にわたしは、A先輩から写真を奪ったことが許せない。
見たわけじゃない。噂だ。
だけど、先輩が部活に顔を出さないこと、コンクールを諦めるということから、
これが全く間違った噂とは言い切れないのだと、嫌なほど思い知らされる。
眼球への打撲。
これを知ったのは、夏休みに入る前のことだった。
それからまあ、何故かわたしがショックから立ち直れなくて、
それで友だちにあっちこっちに連れて行ってもらって、慰められた。
今でも時折思い出して嫌な思いになることがあるけど、
今みたいに少しずつ、それを解かしていくことができるようになった。
その度にわたしは思い知らされるのだ。
本当にわたしは、恵まれてる。
「よし」
乾いた音が聞こえ、靄のかかった意識がはっとなった。
見れば、ちかちゃんが手を合わせていた。
「もう何度か読んだからわかってるけど、ここからは現場検証と、各人への聞き取り調査だね。
うん、この流れは原作、オリエント急行と一致してる」
合わせた手を唇の前に持っていく。台本の上で目を動かしている。
そういえば、と美冬ちゃんが切り出した。
「原作の登場人物と、劇の登場人物に共通点はあるの?
喋り方とか、性格とか、関係とか……」
「それはないんじゃないかしら」
和ちゃんがすかさず答える。
「なんといっても大前提が原作と大きく違うわ。
人数とか、名前とかそれ以前に……そうね、関係性が大きく違うのよ」
「関係性?」
「劇の登場人物は全員、“はじめから”同じ女子高の生徒ということになっている。
つまり、“はじめから”全員は繋がりのある人物だとわかっている」
「え、じゃあ、原作は全く関係のない人たちの集まりなの?」
「それが最大のミソだったわけよ。この大前提にむしろ挑み、問いかけ、覆し、真実を見つける。
これが“オリエント急行の殺人”が誇る、面白さの一つでしょうね」
ちかちゃんが和ちゃんの言葉に敏感に反応した。
敏感に、とは言ったけれど動きはゆっくりで、少しずつ息を吐きながら、手を解いていく。
「わたしも同感だね。その面白さの一つを完全に無くしてることが、
この劇の最大の特徴なんじゃない?」
読んでいないのでわからないけど、きっととんでもなくネタバレなんだろう。
まあ、ネタバレを恐れる時期はとっくに過ぎている。
劇中の彼女たちはその場で現場検証を始めた。
まず遺体はというと、傷が六ヶ所にも及んでいた。
さらにその傷たちは、深いものから浅いもの、
左手で凶器をもって刺したと思われる角度や、逆に右手の角度のものといったように、
様々な特徴を持っていた。
しかし出血のひどい傷は二ヶ所のみで、特に胸の下部がひどい。
ここへの一撃が致命傷になったと思われ、またその二ヶ所ともが他の傷に比べて非常に深い。
一般的な体系の女性が、凶器の上に体重を乗せたりすればなんとか、といった程度らしい。
そして、この二つの傷は似通った特徴を持っている。
逆を言えば、残り四つはバラバラの特徴を持っている。
次に被害者の部屋になにか残っていないか、探偵役自らが探索する。
残念なことにめぼしい証拠は一つも見つからなかったが、
被害者の鞄を調べてみると、予想だにしないものが発見された。
安藤れんの財布である。安藤れんの財布が、加瀬田いずるの鞄から発見されたのだ。
つまり、加瀬田いずるは被害者である一方、れっきとした窃盗犯でもあった。
さて、これから一人ずつの尋問が始まる。
▼‐07
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【居間。るきとれんのみ】
るき『じゃあ聴取を始めるよ』
れん『うん……』
るき『……財布の話はあとで聞くよ。まずは今までに見たことを、話してもらえる?』
れん『なにも話せることなんて無いよ……』
るき『なんでもいいんだよ。昨日、いずるが部屋に戻ってから、
今までに見たことを、思い出せる限り話してみて』
れん『……いずるちゃんが部屋に戻った後、だよね。
まず覚えてるのは、舞ちゃんが鍵のことで慌てて部屋を飛び出したことかな』
るき『わたしも一緒に見てたね。で、すぐに戻ってきて、締まってたことを伝えた』
れん『その後、るきちゃんとなすみちゃんを連れて、また行ったんだよね』
るき『居間の様子は?』
れん『あすたちゃんがお皿を洗うためにキッチンに行って、
そのあとえなちゃんがトイレに行った』
るき『うんうん』
れん『あとなすなちゃんが、部屋の鍵を取りに来てたよ。
あ、こごみちゃんが少し経ってからトイレに行ってた気がする』
るき『時間は覚えてる?』
れん『うーん、そこまでは……』
るき『じゃあ続けて』
れん『えっと、それからるきちゃんたちが戻ってきて、あすたちゃんがキッチンから居間に戻ったでしょ。
そうしたら、なすみちゃんが部屋を出て行って。
二人が戻ってきたら、今度は舞ちゃんがトイレに行って。
今度の今度は、怒った様子のこごみちゃんが居間に戻ってきて……』
るき『……って、ほとんどわたしが見たものと同じか』
れん『そうなっちゃうね。そして、こごみちゃんが舞ちゃんのいるトイレに行って、
悪戯を仕返す。この時は、誰も居間から出なかったよ』
るき『あとは全員揃って部屋に戻った、ってわけか……うん、ありがと。
寝てる間に気づいたことは? 物音がしたとか、誰かが外に出て行ったとか』
れん『るきちゃん、ドアのすぐ側に寝てたからわかるでしょ?
誰かが外に出て行ったり、そういうことは全然なかったよ。物音もわからない』
るき『……眠そうだね?』
れん『昨日、ちょっと眠れなくって……。枕が変わると、寝られないんだ』
るき『そういう人もいるみたいだね。じゃあ最後に、いずるが殺された理由はなんだと思う?』
れん『……』
るき『……わかった。じゃあ舞を呼んできてもらえる?
あ、でもれんは戻ってきてね。一応、隣で話を聞いていてほしいんだ』
【暗転】
【るきと舞が立って向き合っている。れんはるきの側に】
【尋問シーンで、れんは常にるきの側にいる】
舞『知ってることを全部言えって?』
るき『どの情報が必要になるかはこっちで判断するからね』
舞『と言ってもなあ。ほとんど知ってるでしょ?』
るき『舞はまず自分の部屋に行ったよね。
その時、鍵が締まってるかの確認以外のことはなにもしなかった?』
舞『なにもしてないよ』
るき『わたしたちと部屋を確認してから、しばらくして、こごみのいるトイレを強奪したよね』
舞『強奪って……急いでもらっただけだよ』
るき『いずるは誰に殺されたと思う?』
舞『外の事務所にあるっていう鍵を持って行った人だね。
合い鍵は部屋の中にあったでしょ?』
るき『そうだね。でも外の雪を見たかな?』
舞『雪? 昨日から散々見てるけど……』
【舞、窓から外を眺める】
るき『見ての通り、足跡とか、そういう痕跡が一つも残ってないんだ』
舞『え、えっと……じゃあ、それって……』
るき『犯人はこの中にいる可能性が高い、かもしれないってこと』
舞『ちょちょちょっと待って。もしかしてわたしも疑われてる?』
るき『そのわたしを含めて、全員が疑われてるね』
舞『そんな……』
るき『その上で、舞。いずるが殺されるような理由、なにか知らない?』
【舞、目を逸らす】
るき『知ってるんだね。話してみて』
舞『……わたしのことだけを疑わないでよ。
いずるの悪事なんて、数えたらキリがない』
るき『どういうこと?』
舞『いずるはいじめられた側の味方をしながらさ、
裏でいじめの首謀者をやるようなやつなんだ』
るき『本当のことなの?』
舞『間違いない。……ここでも、既になにかしてたんでしょ?』
るき『それは……その話はあとしようよ。皆が寝静まってから、なにかあった?』
舞『なにかあっても寝てたからわからないよ。
実はあの後三時ぐらいまでずっと騒いでたんだ……あとはぐっすりだったけど』
るき『本当に? 全然聞こえなかったよ』
舞『断熱だけじゃなくて防音も凄いんだね、ここ』
るき『最後に。こごみとの喧嘩はもう収まった?』
舞『こんなことが起きちゃったから、もう有耶無耶だよ』
るき『それもそうか。ありがとう、次はあすたを呼んでくれる?』
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「ここでわかるように、やはり加瀬田いずるは、恨まれて当然の理由を持っていた」
和ちゃんは、大した驚きすら見せることなく、淡々と語った。
「これは原作のカセッティと同じ。
そしてカセッティは、その恨まれて当然なことのために、殺されてしまった」
「加瀬田いずるが殺された動機も、恐らくはこれなのね」
「でしょうね。原作と同じく、初めは隠されていた被害者の本性。
それをきっかけとする殺人。一人ひとり順番にされる尋問」
「あとは形式をどこまでなぞっているのか、ってことね」
美冬ちゃんはそう言いながら、ページをめくった。
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【暗転】
【るきとあすたが座って向き合っている】
るき『あすたの昨日の行動を覚えてる限り教えて』
あすた『るきが二階に行ってから、わたしはキッチンに皿洗いをしに行った。
そのとき部屋にいたのは、れん、こごみ、えなだったかな』
るき『お皿洗い、任せきりにしちゃってごめんね』
あすた『わたしからするって言ったんだ、これぐらいいいよ』
るき『お皿洗いしてる最中にキッチンに入ってきた人は?』
あすた『いや、誰もいなかった』
るき『居間に戻ってきたら誰がいた?』
あすた『それは、るきもよく知ってる通りだよ』
るき『つまり、わたしが居間に戻ってきた後の、あの場面が、
初めてキッチンから出てきたところってことで間違いはないんだね』
あすた『うん』
るき『いずるを殺めてしまう動機はなんだと思う?』
【あすた、黙り込む】
るき『例えば、金銭関係の恨み。人間関係のこじれ。
あるいは……悪事の限りを働く、裏の顔があったとか』
あすた『知ってるんじゃん』
るき『なにを? わたしは、例を挙げてるだけよ』
あすた『……わたしを疑ってるの?』
るき『わたしは全員を疑ってるの』
あすた『はあ。まあそう、いずるには恨まれても仕方ない理由があった。
それだけは言っておくよ』
るき『ありがとう。あすた自身、いずるになにかされたことはある?』
あすた『……正直に言うと、あいつと仲良くしてるってのは表面上なんだ。
今でもわたしは砕けてしまいそうだよ』
るき『そんなに……ごめん』
あすた『いいんだよ。舞も、強い味方だったし』
るき『舞もいじめられていたの?』
あすた『ああ。そしてあいつに助けられた。首謀者があいつとは知らずにね。
それを知ったときの、あいつの顔を……見せたくはないかな』
るき『……あすた、皆が寝静まった頃のことで、なにか気づいたことはある?』
あすた『特になにもないかな』
るき『なるほどね。ありがとう。じゃあ、次の人を呼んできてくれる?』
【暗転】
【こごみ、るきと向き合って】
こごみ『そうね、あすたがキッチンに行った後、えながトイレへ。
なすみが自分の部屋の鍵を取りに来たわ。
そのあと、わたしもトイレに向かったら、えながまだ出ていなかったわ』
るき『そこにわたしたちが遭遇した?』
こごみ『まさに』
るき『わたしたちが居間に戻ったあと、なすみがまた来たと思うけど、
なにがあったんだと思う?』
こごみ『えなに用事があったんでしょう。出るまで、わたしと雑談してたわ。
えなが出てきたら、わたしはすぐさまトイレに入ったものだから、
それ以降のことは知らないの』
るき『なるほど。そして舞がやってきた』
こごみ『最悪の気分だったわ。でも今はもう、そんなことどうでもいいのだけれど』
るき『あんなことが起きちゃね……。心当たりはある?』
こごみ『なんの心当たりかしら?』
るき『犯人。例えばいずるが、人から恨みを買うような人だったとして、
そのことを知っているなら犯人にも心当たりあるんじゃないかなって』
こごみ『性格は最悪の限りといっても間違いなかったわ。
まあ、わたしは正面から戦ってみせたのだけれど』
るき『こごみもいじめを……?』
こごみ『いじめ、それの対象は他にいたようね。
わたしが受けていたのは、もっと露骨な嫌がらせよ』
るき『そう……それじゃ、最後に。
全員が寝静まったあと、なにか気づいたことある?』
こごみ『あいにく熟睡しちゃったの。
……ねえ、るき。あなたは誰が犯人だと思ってるの?』
るき『まだわからない。でも、最後は絶対見つけ出してみせる』
こごみ『厚い信頼を得られるだけあって、自信はあるのね。
いえ、その自信が、信頼を集められる根拠かしら?』
るき『そんな大したものじゃないよ』
こごみ『この事件、きっとあなたなら解決してくれるわ』
るき『ありがとう。それじゃあ、次の人を呼んでくれる?』
【暗転】
【なすみ、窓の外を見ている】
なすみ『昨日の雪、凄かったね』
るき『止んでよかったよ。わたしたちがベランダに出たときぐらいには、
もう止んでたよね』
なすみ『そうね』
るき『それから降ってきてないし……うん、助かった』
なすみ『それで、わたしには何を聞くの?』
るき『なすみがわたしと離れたとき……そうだね、えなのところへ行ったとき。
それからのことを、覚えてる限り教えて』
なすみ『えなを待っている間は、こごみと話してたよ。
そうそうこごみね、えなが出てきたら、凄い形相でトイレに駆けこんでたね』
るき『こごみがトイレに入ってから、えなとはなにをしてたの?』
なすみ『いずるのことを、ちょっと話してた』
るき『その間に誰か部屋を出てきたり、移動してたりした?
トイレから出てきたりとか』
なすみ『いいや。こごみはトイレに入ったきりだったけど』
るき『なるほど。で、いずるのことってさっき言ってたけど、具体的には?』
なすみ『もう既に聞いているんでしょう? いずるが、どんな悪党か』
るき『聞いただけだけれどね』
なすみ『ふーん……』
【なすみ、視線を右往左往させる】
なすみ『白状すると、いずるがどうして鍵を持って行ったのか、それを話してたの』
るき『というと?』
なすみ『あいつのことだから、部屋の中で悪事を働いてるはずだってね』
るき『……それじゃ今度は、全員が寝静まった時間。
三時ぐらいまで騒いでたって聞いたけど、そのことを話してもらえる?』
なすみ『そうね……一人も部屋から出たりはせず、ただ三人で話し込んでたよ。
初めに寝たのが舞で、そのあとにわたし。その間は三十分ぐらい空いてたと思う』
るき『えなはいつ寝たか、わかる?』
なすみ『さあ。でもあの子、なかなか寝つけなかったみたいだけど』
るき『うん、ありがとう。じゃあ次は例の話し相手、えなを連れてきて』
なすみ『その前に一つ、いいかな』
るき『どうしたの?』
なすみ『いずるが悪事を働いていた……それを今さっき初めて知ったということは、
実際に彼女がなにをしたのか、知らないということでいいの?』
るき『まあ、そうなるね』
なすみ『そう……。ねえ、わたしね、一つ思うんだ。
ここでは殺人が起きてしまったけど、もっと前から、殺人はありふれてるんじゃないかって』
るき『なにを言っているの?』
なすみ『罰せられるべき殺人はありふれてるんだよ。
……ごめんなさい、えなを呼んでくるね』
【暗転】
【えな、るきと向き合って座る】
えな『なすみからどんなことを聞かれるのか、聞きましたよ』
るき『話が早い。それじゃあまず、昨日の行動から』
えな『あなたたちがベランダに行った後、あすたがキッチンに入りました。
わたしは急な腹痛があったので、急いでトイレへ向かったの。
確かこごみが、扉をしつこくノックしていた記憶がありますね』
るき『トイレから出て、待っていたなすみと話したよね。
あの子となにを話したの?』
えな『可能性の話ね。例えば、舞やあすたの持ち物を盗む可能性。
部屋が閉じられていれば、偽装工作もたやすいでしょう』
るき『ごもっとも。そのことについて話す意味は、果たしてあった?』
えな『そこから考えたことはありません』
るき『ううん、違う。いまこの場で、わたしたちにこの話をする必要はあったのか、って話』
えな『……それは、るき自らが決めることでしょう?』
るき『なるほどね。うん、ありがとう。
皆が部屋に戻ったあと、寝てるとき、なにか気づいたことは?』
えな『実はわたし、寝ることができなかったんです。
だから一晩中、本を読んで過ごしました』
るき『えっ』
えな『こんなこと普段から慣れっこですから、気にしないでください。
苦しいものは苦しいですが、他人から心配されるほどじゃないです』
るき『うん……』
えな『そう、それでもなにか不審な音とか、そういうのは聞きませんでしたから。
でもここの壁って、断熱効果は確かなものでしょう? 防音も凄いんじゃないでしょうか』
るき『ありがとう。そう、それと、なすみのことなんだけど、
さっき突然不思議な話をしだして……なんのことだかわかる?』
えな『あの子は正義感が強いから、いずるのしてきたことに対して、つい熱くなってしまったんですね。
でも、だからって犯人と決め付けるには早計ですよ』
るき『……だね』
【暗転】
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最後の暗転の文字を過ぎた頃、ぴんと張り詰めた空気が緩んでいくのを感じた。
弛んだ糸みたいな空気が床に横たわったと思えば、
狙いすましていたみたいな溜め息がほぼ同時に溢れだしてくる。
「で、終わっちゃったわけだけど」
わかりきったことを、と言いたげなのは姫子ちゃんだった。
「これでわかると本当に思う?」
「一応は依頼人のあなたが、そんなこと言っちゃだめよ」
「とはいってもねえ」
和ちゃんは窘めているものの、半分くらいは姫子ちゃんに同情しているようだった。
まあ、こんな無理難題に挑むことになっちゃったんだから。
「もう三回も読んじゃったよ。ちかはどう、改めて気づいたことはある?」
「うーん……証拠が出揃ってるかどうかもわからないんじゃ……」
協力してくれた美冬ちゃんとちかちゃんも、頭を悩ませるばかり。
隣りのしずかにいたっては、どこから手をつければいいのやらで、ちんぷんかんぷんだ。
「大丈夫? パンクしてない?」
「うん、パンクしてる……ちずるは整理ついた?」
「うーん……もうちょっと考えさせて」
考えてるうちに、もう一人の協力者に目を移してみる。
思った通りに悩んでいて、その目はぎゅっと閉じられて――いなかった。
一直線に先を貫こうかという視線で、なにかを見ていた。
次の瞬間に彼女は、唯ちゃんは、今日一番の大声で相手を呼んだ。
「さわちゃーん!」
さわちゃん、
山中さわ子先生は、唯ちゃんの声に当然気づいた。
そんな呼び方してるんだ。うん、軽音部では定番の呼び方だよ。
なるほど、さわ子先生は軽音部の顧問でもあった。
「どうしたのみんなして、集まって」
「ちょっとした謎解きなのです」
「謎解き?」
楽しそうに話してる唯ちゃんの横に出て、和ちゃんが説明する。
途中までは興味深げに聞いていた先生も、段々と頭が追い付かなくなったのか、
最後には上の空になっていた。
「あの、山中先生?」
「あ、うん? ……ごめんなさい、わたしじゃ力になれないみたい」
「そうですか……」
途中からそれは察してました、とは言わないだけ優しい。
「さわちゃんはなにしてたの?」
「なにって、仕事の合間の気分転換よ」
「あっ、さぼりだね!」
唯ちゃんのやわらかそうな両頬を、さわ子先生ががっちりと掴んだ。
そしてそれをそのまま、縦々横々へと、引っ張ったり縮めたりしだす。
「生意気なこと言ってんのはこの口か~!」
「ひえええごめんなさいいい」
「山中先生って、こういう人だったんだ……」
「意外……」
「はっ!?」
周りからの冷たい視線に気づいた先生は、その手をすぐに引っ込める。
既にカメラに収めちゃってることは、黙っておこう。
一つ空咳を挟んで、先生はにこやかに言った。
「これは生徒とのスキンシップの一環なのよ?」
先生、それは無理があると思います。
唯ちゃんははっとして、自分の両頬をこねるように触った。
「とれてないよね……?」
「とれるわけないでしょう……」
和ちゃんから保証をもらい、安堵の息を漏らす。
次いで先生のほうへ向き、
「顔の形が変わったら大変だったよ! 責任問題だよっ!」
「変わりないから大丈夫よ」
「もし変わってたら、一生責任とってもらうところだったよ!」
それってつまり、どういうことなんだろうね。
しずかが隣で聞いてきた。
「しずかはいいから謎のことだけを考えていて」
「えー」
「はい、文句言わない」
和ちゃんはやれやれといった具合で、また溜め息を吐いていた。
なにかと気苦労の多そうな和ちゃん。
唯ちゃんとクラスは違っても一緒にいることが多く、
なにか知っていそうな気がする。
「これ以上は先生に迷惑だから、やめなさい唯。
先生、わざわざお付き合いいただいて、ありがとうございました」
「いいのよ。わたしも息抜きが出来たし」
「また明日ね~」
「はいはい、また明日」
教室から足を踏み出そうとした、その時。
「あ、そうそう」
振り返って、先生は言った。
「本当に困ってることなら、間違っていそうだとしても、力ずくに決めてしまう……それも手よ。
それで傷ついてしまっても、あなたたちならすぐ立ち直れる」
最終更新:2015年04月02日 22:46