第二話【めまい】


ショッカー・エンタープライズ・ラボラトリーからの脱出劇より、きっかり1時間15分後。
澪は幼い頃から見慣れた住宅地へとたどり着いていた。いくつもの家が建ち並ぶ中、やがて、
そのうちの一軒の前で、澪のまたがる大型バイク、サイクロプスが停車した。
生まれ育った我が家へと、澪は帰ってきたのだ。

サイクロプス「マスター、目的地に到着シマシタ」

しかし、何かがおかしい。
誰かが住んでいるという生活感が、家から、いや敷地内からまるで感じない。
窓に目を移せば、違和感はますます強くなった。外出時には閉めてあるはずのカーテンが
取り去られており、窓の外から見えるはずの家具家電がまったく見当たらない。
澪はヘルメットを外し、サイクロプスから降りると、玄関前へ駆けよった。

澪「え……?」

どういう訳か、玄関のドアには一枚の張り紙が貼られていた。
張り紙には――

 売却物件
 ご用命は下記電話番号まで
 (株)北白川不動産
 ○○‐□□□□‐△△△△

――とだけ書かれている。

澪「ど、どうして……!?」

あまりにも予想し得ない状況に、澪は慌ててドアノブを引っ掴んだ。
無論、ドアは施錠されており、身体ひとつで逃げ出してきた澪は鍵など持っていない。
とはいえ、そこに頭が回るほど、今の澪に余裕は無かった。一刻も早く家の中へ入らなければ
ならない。その焦燥がドアノブを握る手、ひいては腕全体に無意識の怪力を加えさせた。
結果、ドアは当り前のように開いたものの、ドアノブは変形し、錠は何の抵抗も無く壊れ、
蝶番からもネジがいくつか弾け飛んだ。

澪「パパ! ママ! 私、帰ったよ!」

無い。何も無い。
玄関、廊下、リビング、ダイニング、自室、両親の部屋。
生活に必要なあらゆる家具家電の類はひとつも無く、まさに売り出し中の空き家の様相だ。
そして、人の気配も一切感じられない。
仕事に行っているであろう父はともかく、日中は家事に勤しんでいるはずの母の姿も無い。

澪「パパぁ!! ママぁ!!」

ともかく、何が起きたのかはわからないが、この家には誰ひとりとして住んでいない。
今ここにいる澪ですら。

澪「そんな…… どこに、どこにいっちゃったの……?」

いつの間にか収容されていた謎の研究所。我が身に起きた異変。自分を殺そうと迫る者達。
人語を話すバイク。空き家となった自宅。消えた両親。
すべてが日常から、現実から乖離していく。もしや違う世界に迷い込んでしまったのか。
疑問が、不安が、恐れが、寂しさが、ひどく澪の心を波立たせる。頭がどうにかなって
しまいそうだ。潰される。狂ってしまう。

澪「何が、どうなってるんだ…… 一体、私は…… パパとママは……――」

瞬間、世界が反転したような感覚に包まれた。

澪「――……そうだ」

すると、吹き荒れる嵐が過ぎ去ったかの如く、澪の心は落ち着きを取り戻していた。
何故かはわからない。ただ、波立つ心の中で、“疑問”だけが浮かび上がり、それに対する
“思考”が他のすべての感情を沈静させたのだ。
澪は足早に、外で停車中のサイクロプスの元へ急いだ。

澪「サイクロプス!」

サイクロプス「ハイ、マスター」

門を出て駆け寄り、冷たく硬いボディに手を置き、問い掛ける。

澪「パパやママについて何かわからないか? お前のコンピュータに情報とかは入ってないの?」

サイクロプス「私のハードディスク内には、マスターのご両親の情報は入力されてオリマセン。
     シカシ、SHOCKER ENTERPRISEのメインフレームに侵入することで、何らかの
     情報を得られる可能性はアリマス」

澪「じゃあ、早速頼むよ! パパとママの居所を調べてくれ!」

サイクロプス「その方法はお勧め出来マセン」

澪「ど、どうして!?」

サイクロプス「現況として、マスターは私と共にSHOCKER ENTERPRISEから逃走中デス。
     私がメインフレームに侵入すれば、現在位置を探知され、すぐに追跡者がやって
     来るデショウ」

澪「そんな……」

一縷の望みは機械ならではの冷静さによって却下された。期待が大きく、また可能性が提示
されただけに、澪の落胆は激しい。
だが、その落胆は一瞬のものだった。時を刻む秒針にも似た、途切れを知らぬ澪の思考は
すぐに次の解決方法を探し出そうとしている。
メンタルの弱さが欠点だった彼女にしては不自然すぎるほどの切り替えの早さだ。

澪「……学校だ。学校に行ってみよう。学校に行けば律や唯達がいる。さわ子先生も。きっと
  力になってくれるはずだ」

導き出された次の手段。それを胸に、澪はヘルメットを被り、サイクロプスにまたがった。

澪「私の学校に行ってくれ。私立桜が丘女子高等学校だ」

サイクロプス「……住所検索を完了。目的地へ向カイマス」





私立桜が丘女子高等学校。
澪が通うごく普通の女子校だ。特徴と言えば、進学率が平均よりやや高いという程度の、
痛ましいくらいに普通の学校である。
現在、時刻は正午を少し回ったところ。校舎内では生徒達が昼食や雑談等、昼休みを謳歌
している最中であろう。
その桜高の正門前にサイクロプスが停車し、澪が降り立った。

澪「お前はここで待っててくれ」

サイクロプス「了解シマシタ」

ヘルメットをシート下のトランクに収めると、澪は生徒玄関へと駈け出した。
ここには幼馴染みで親友の律がいる。同じ軽音部の唯やムギや梓がいる。頼りになるクラス
メイトの和がいる。担任のさわ子先生もいる。理不尽で不可解な世界に迷い込んだ自分の
力になってくれる。
澪はそう信じてやまなかった。
我が家がそうならばここもそうなのではないか、という悪い予感を懸命に押し殺しつつも。

澪「あ、あれ? 私の靴箱が……」

まず、早くも玄関で予感が的中した。
毎日の動作の中で当たり前になっていたはずの場所に、自分の名前が無い。
プランBの準備は? 待っているのは決して期待通りのものではないぞ?
深層から誰かがそう語りかけてくる。その声は己の声ではなかったか。
澪は頭を振って、自分に言い聞かせる。

澪「ここには律達がいる。きっと私の力になってくれるんだ」

上靴が無いなどという些末なことにつまずいてはいられない。澪は急いでブーツを脱ぎ、
裸足のままで廊下を走る。
途中、何人かの生徒とすれ違い、その度に怪訝な視線を浴びたが、そんなことは意識の外だ。
廊下を走り、階段を上がり、自分のクラスへ。自分が過ごしてきた教室へ。3年2組へ。
やがて、廊下側の窓を通して澪の目に入ってきたのは、教室内で向かい合って昼食を食べる
田井中律琴吹紬の姿だった。

澪「律! ムギ!」

教室へ入ると同時に、澪は大声で二人の名を呼び、そのまま中へと入っていった。

澪「大変なんだ! 助けてくれ!」

突然の大声に律と紬が、いや、その他のクラスメイト達も何事かと一斉に澪の方へ振り返った。
それに構わず、澪は二人の元へ駆け寄る。

澪「その、私、勝手にどこかの研究所に閉じ込められて、それで、身体がおかしなことに
  なって、それから、その、家は空っぽになってて、パパもママも…… とにかくもう
  何が何だかさっぱりなんだよ!」

律「え……?」

つっかえつつも早口でまくし立てる澪を前にして、律は驚きの表情のまま、あんぐりと口を
開けていた。隣の紬も同様である。

澪「り、律……?」

二人の自分を見る視線がおかしい。そんな違和感に澪がようやく気づいた時、律が信じがたい
言葉を発した。

律「いや、あの…… どちらさん?」

予想もしていなかった一言に、驚くよりも先に腹が立った。
一体、律は何を言っているんだ? 悪い冗談なのか?
しかし、澪は理解しかけていた。二人の態度。律の言葉。あの研究所から逃げ出して以来、
鋭敏に働き続ける思考が、あり得ない事態が起きていることを理解し始めている。
そんなのは嫌だ、と抗う澪を置き去りにして。

澪「な、何言ってるんだ! からかうのはやめろよ!」

律「そっちこそ急に入ってきてワケわかんないこと言うなよ。誰なんだよ、あんた」

紬「あの、このクラスにお知り合いでも? それともご家族の方ですか?」

事を荒立てないよう注意を払った、かつ警戒心を忘れていない、この言葉。
律に続き、紬も目の前にいる友人を友人として認識していなかった。

澪「私だよ! 澪だよ! こんな恰好してるからわからないのか!?」

律「だから澪って誰だよ。あんたなんか会ったこともないんだけど」

和「すみません。あなた、どちら様ですか? これ以上騒ぐようなら先生を呼びますよ」

間に割って入った和すら同じである。むしろ、こちらは生徒会長という役割上、二人よりも
さらに厳しい態度だった。

澪「の、和まで…… どうして……?」

あからさまに怪しいものを見る三人の視線が、澪を後ずらせる。
知らない。忘れている。みんなの中に私が存在していない。
何故かはわからないが、私はこの学校に、いや、この世にいなかったことになっているんだ。
絶望と恐怖と悲しみが澪の心を揺さぶる。だが、それと同時に澪の精神はこの事実を躊躇
無く受け止め、混乱を鎮めようと思考をフル回転させている。
と、その時であった。

エリ「先生! 早く早く!」

山中さわ子が瀧エリにせかされ、教室に入ってきた。
担任教師の登場に、律も、紬も、和も、クラスの誰もが安堵の表情を浮かべている。

エリ「あの人です! さっきから―― きゃっ!」

澪はエリを押しのけ、文字通りさわ子にすがりついた。

澪「さわ子先生! 私です! 秋山澪です!」

さわ子「秋山、さん……? ここの卒業生?」

澪「……っ!」

やはり、である。
やはり澪を知る者はいない。誰一人として。

さわ子「部外者は校舎内立ち入り禁止となっています。すぐにお引き取り下さい」

澪「……はい」

澪はもうそれ以上食い下がろうとはしなかった。
この異常な状況を受け入れた訳ではない。自分の存在を思い出してもらうことを諦めた訳
ではない。未練なら山ほどある。
ただ、もうここにいるだけ無駄、と冷静な判断を下しただけだった。

澪「お騒がせしました。失礼します……」

さわ子の脇をすり抜け、廊下に出る。
クラスメイトの視線が痛いほど突き刺さる。ついこの前まで同じクラスで高校生活を過ごす
仲間だったはずなのに、まるで不審者を見るような目ばかりである。
そして、それは彼女らだけではない。律や紬、さわ子も。律さえも。親友の律さえもだ。
階段を下りる。手すりの亀を触りながら。
どうしてだろう。こんなに辛いのに、こんなに苦しいのに、涙ひとつ流れない。
悲しくない訳ではない。学校にいるすべての人間が自分のことを忘れてしまっている、と
確信した時には胸が張り裂けんばかりの思いだった。
けれど、その時も涙は流れなかった。しかも、その辛さ、その苦しさも、こうして廊下を
一歩歩くごとに薄まり、冷静な心が戻ってきている。
悲しくない訳ではない。
悲しくない訳では……
悲しい? そもそも“悲しい”とは――

サイクロプス「いかがデシタカ?」

ふと気づけば、いつの間にか正門を出て、サイクロプスの前に立っていた。

澪「みんな、私のことを忘れてた…… 私なんかいなかったことになってる……」

溜息を吐き、マシンのボディに軽くもたれかかる。

澪「なんで……? どうしてなんだ……」

疑問。そう、疑問だ。悲観的でも、後ろ向きでもない、純粋な疑問。
それと、答え。疑問を解き明かし、答えを得る為にはどうすればよいのか。

澪「サイクロプス」

サイクロプス「ハイ、マスター」

どうすればよいのかはわかりきっていた。それしか方法が無いことも。

澪「やっぱり、その、何だっけ、ショッカーだったか……? そこのコンピュータに侵入
  してくれ。走りながら、なるべく短時間で」

不慣れながらもマスターとして指示を出す澪。
彼女がまたがるのを確認すると、サイクロプスがエンジンをかけた。

サイクロプス「了解シマシタ。まず安全を確保出来る地点まで移動シマス」

澪「私の身に何が起きたのか…… ショッカーはどんな組織なのか…… 出来るだけ多くの
  情報を……」

マシンはマスターを乗せて走り出す。
桜高を離れ、よく知る街を離れ、馴染みの無い風景が流れていく。
そのうちに建物も他の車両も少なくなり、ついには走行を阻む信号すらも見当たらなくなった
辺りで、サイクロプスが言った。

サイクロプス「SHOCKER ENTERPRISE本社メインフレームへの侵入を開始シマス」

澪「うん、頼むよ」

緊張のあまり胸が高鳴るのを感じる。澪は右手をハンドルから離し、そっと胸へ当てた。
落ち着け、落ち着け。そう自分に言い聞かせるだけで、簡単に緊張は治まってしまった。
まるで別人のような己のメンタリティに苦笑しているところへ、サイクロプスが報告する。

サイクロプス「侵入完了。ダウンロード開始。すでに侵入を感知サレテイマス」

澪「よし! 頑張っ――」

サイクロプス「回線を遮断シマス」

澪「ええ!? もう!? 早すぎるだろ!」

時間にしてわずか二、三秒といったところか。さすがに澪も不満の声を上げざるを得ない。
対してサイクロプスは機械らしく冷静に報告を続ける。

サイクロプス「メインフレームのSecurity programがこちらの現在位置の探知を開始すると同時に、
     私をハッキングし、AIを書き換えようとシテキマシタ」

澪「そ、それって危ないとこだったってこと……?」

サイクロプス「ハイ」

澪「それじゃあ何も情報は掴めなかったか……」

サイクロプス「イイエ。情報量は多くはなく、断片的ではアリマスガ、重要度が高いと思われる
     データをいくつかダウンロード出来マシタ。私が持っているデータと合わせて報告
     シマス」

澪「そうなのか!? よかったぁ……」

走行を続けたまま減速することなく、むしろ速度を徐々に上げつつ、サイクロプスは報告を
始めた。

サイクロプス「まずマスターの身に何が起きたかデス。マスターはSHOCKER ENTERPRISEの
     生物化学技術開発部門によって改造人間にサレマシタ」

澪「なっ……! か、改造人間……!? 何なの、それ……」

驚きよりも、まず困惑が先に立った。
今まで使ったことも聞いたこともない言葉だ。
いや、もしかしたら幼稚園児か小学校低学年の頃に、男子が昨日観た特撮番組について話す
会話の中でなら聞いたことがあるかもしれない。
何にせよ、自分の身体に起きたことではあるが、まるで現実味を持てない。

サイクロプス「改造人間とは、人間に他の生物の遺伝子を組み込むことによって、あらゆる身体
     機能や動作能力を飛躍的に向上させたものデス。マスターにはバッタの遺伝子が
     組み込マレテイマス」

澪「うっ……」

途端に澪は強い生理的嫌悪感に襲われた。
バッタの遺伝子。バッタ。虫だ。大嫌いな虫だ。
何割かは知らないが、自分の身体にバッタが混じっている。自分は人間であると同時に、
バッタでもあるのだ。
微塵の遠慮も無く突きつけられた、吐き気を催す事実。
澪は落ち着きを取り戻そうと先程と同じく胸へ手を遣る。
今までより多少時間はかかったが、嫌悪感や吐き気が少しずつ治まっていく。
この時ばかりは今の自分の立ち直りの早さに感謝したかった。
それと、ようやく理解出来た。異形の身体への変身も、人間離れした身体能力も、すべては
バッタの遺伝子によるものだったのだ。

澪「どうして……? 一体、何の為に……?」

サイクロプス「Program SUPER SOLDIER、つまり“超人兵士計画”デス」

澪「超人兵士計画?」

サイクロプス「1941年、アメリカ合衆国陸軍において行われた実験を、日本国防衛省がアメリカ
     合衆国の援助の下、SHOCKER ENTERPRISEを通じて改良、再現したものデス。
     遺伝子操作により文字通り超人的な能力を有した兵士を量産し、日本国及びアメリカ
     合衆国の戦力とする計画デス」

アメリカ? 防衛省? 超人的な兵士を量産?
まるでハリウッド映画か何かのような壮大な話だ。それでなければネット上でたまに見かける
幼稚な陰謀論としか思えない。
しかし、何故そんなものに平凡な一市民である自分が巻き込まれなければいけないのか。

澪「でも、どうして私なんかが!? ただの、普通の、女子高生なのに……」

サイクロプス「イイエ、その認識は間違ッテイマス」

澪「間違っている? ど、どういうこと?」

サイクロプス「私立桜が丘女子高等学校は防衛省が出資し、SHOCKER ENTERPRISEが管理
     する実験施設であり、同校に所属するすべての生徒は遺伝子操作を容易にする因子を
     持った実験体候補デス。先程、ご学友がマスターに関する記憶を失っていたのも、
     一斉に記憶を改竄されたものと推測サレマス」

澪「す、すべての生徒……!? じゃあ、私だけじゃなくて、律も、唯も、みんな……」

悪夢のような事実だった。到底、受け入れられるものではない。
正体のわからない組織と、日本政府と、アメリカ軍と――
自分も、自分の友達も、ずっと前から恐るべき陰謀の実験材料だった――
打ちのめされた澪を置き去りにするように、サイクロプスはさらに走行速度を上げていく。

サイクロプス「強い適性を持つ生徒は実験体として選別され、改造手術を受ケマス。また、同校
     教職員や実験体候補の両親もSHOCKER ENTERPRISEの被雇用者であり、実験体
     候補の生活を管理、記録、報告する任務を負っているようデス」

澪「そんな…… そんなのって……」

サイクロプス「これは私も初めて知る情報デス。結果論にナリマスガ、メインフレームへの侵入
     よりも、私立桜が丘女子高等学校を訪ねることがはるかに危険度の高い行動デシタ」

先程からの急な加速は桜高と接触を持ってしまったが故のものだった。
ショッカー・エンタープライズの構成員であるさわ子は、澪の出現を確実にしかるべき部署へ
報告するだろう。うかうかしていたら追っ手がやってくることは明白だ。
ここは澪の失策が判明した時点で最大限修正しようと適切な行動を取ったサイクロプスを
褒めるべきである。
だが、澪はガックリとうなだれて、マシンのタンクの辺りに目を落としたままでいる。
自分だけではなく、友の、恩師の、そして両親の真の姿。何もかもが露わとなった真実は、
澪の心を粉々に打ち砕いていた。

澪「パパとママが…… パパとママは……」

サイクロプス「マスターのご両親に関しては『任務終了』となっており、特別賞与が支払わ――」

澪「うるさい! もうやめろ! やめてくれ!」

サイクロプス「了解シマシタ。報告を終了シマス」

あくまで機械は忠実かつ正確だ。これまでの人生を覆す悲劇的な情報を容赦無く報告し、
感情のままに求められた制止に即応する。
では、一方の澪は。うなだれたきりの澪は。
機械ではない、心を持ち、肉体を有する、生物という不完全な存在である澪は。

澪(私は…… 私は最初から…… 実験動物として生まれてきたのか……)

澪(私を育ててくれたパパとママも…… 愛情なんかじゃなく、仕事として……)

澪(律も私と同じ…… 唯もムギも梓も…… クラスのみんなも……)

澪(私達の出逢い…… 軽音部…… 3年2組…… すべては仕組まれていた……)

澪(みんな、嘘だった…… みんな、全部、何もかもが嘘だったんだ……)

澪(みんな、何もかも……)

澪(じゃあ、どうする? これからどうやって生きていく? みんな、何もかもが嘘だった
  からといって、私が今ここにいるのは確かなんだ。私という存在だけは本当なんだ)

澪(もう死んでしまおうか…… 生きててもしょうがないよ……)

澪(何もかもを失って死ぬのもひとつだ。でも、生きていく方法だってあるんじゃないか?)

澪(帰る場所も無い…… 頼れる人もいない…… それに、秋山澪はもうこの世にいない
  のに……?)

澪(サイクロプスがいる。こいつがいればどこにだって行けるし、助言だってしてくれるよ)

澪(そこまでして、生き続けて何の意味があるの……?)

澪(待てよ。私は生き続けることも死ぬことも選択出来るのかもしれない。じゃあ、律は?
  唯は? ムギは? 梓は? 和は? クラスのみんなは? 桜高の生徒は?)

澪(そうだよ。このままだといずれ他のみんなも改造人間にされるぞ。私みたいな身体に
  されて、友達も家族も何もかもうばわれて失ってしまう)

澪(嫌だ! そんなの嫌だ! みんなが私みたいな目に遭うなんて死んでも嫌だ!)

澪(みんなを改造人間にさせる訳にはいかない。そんなのは私だけで充分だ)

澪(その為には…… その為にはどうしたらいい?)

改造人間となり、超人兵士となった澪の心。その心が生み出す思考。そして、その思考は
“生存”を選択した。
あるひとつの“任務”の為の生存。
それは、桜高の生徒達を救うこと。
澪は敢然と顔を上げた。

澪「なあ、サイクロプス」

サイクロプス「ハイ、マスター」

澪「律達を、桜高のみんなを助ける為にはどうしたらいい?」

サイクロプス「『助ける』とは? 質問の意味が理解出来マセン」

澪「みんなが改造人間にされないようにするってことだ! そんなのもわからないのか!」

サイクロプス「理解シマシタ。お答えシマス。短期目標として可能と予測されるのは、SHOCKER
     ENTERPRISE LABORATORYの破壊、そして特定のエンジニア及び本社幹部の
     消去デス。これらの達成によって超人兵士計画の継続は困難となり、再開に長い
     期間を要することとナリマス」

澪「破壊、消去……」

ショッカーの研究所を破壊し、そして、要人達を…… 殺す。
自分に出来るのだろうか。そんなことが。殺人などという真似が。
だが、やらなければ、桜高の生徒達が自分と同じ目に遭う。すべてを奪われる。
やらなければいけない。やらなければ。やらなければ。やらなければ――

澪「……走りながらでいい。ショッカーに関してのすべてを教えてくれ」

サイクロプス「了解シマシタ」

風景はどんどん寂しいものとなり、道は幾分か傾斜となってきている。
峠に差し掛かろうとしているのだろう。
すれ違う車も無い中、さらにスピードを上げながら、サイクロプスは話し出した。

サイクロプス「SHOCKER ENTERPRISEは科学技術や製薬を中心とした日本有数の大企業デス。
     シカシ、それは表向きであり――」

ショッカーの情報を頭に叩き込みつつも、これからのプランを練ろうとする澪。
プラン。果たして、そう呼んで良いものだろうか。
自分にあるのは、人語を話すスーパーコンピューターのごときバイク、超人的な能力を有した
異形の身体。
それだけである。たったのそれだけなのである。
身を落ち着ける場所も、強大な装備も、頼れる仲間もいない。そもそも己自身がもうこの世に
存在しない人間だ。
超一流の大企業であるショッカー・エンタープライズ。そして、その背後にいる日本国防衛省。
アメリカ合衆国陸軍。
そんな巨大な怪物共に立ち向かえるというのか。ちっぽけな自分が。
澪は自問自答を繰り返す。自分の“任務”を果たす為の方法を手探りで求める。

――そこへ不意にサイクロプスが話しかけた。

サイクロプス「マスター。私に新たな疑問が発生シマシタ」

澪「何だよ。急に」

サイクロプス「マスターは先程、超人兵士計画の阻止を『みんなを助ける』と表現シマシタ。何故、
     そのような不適切な表現をサレタノカ、私には理解出来マセン。解決すべき疑問デス」

澪「不適切って……」

むしろ、こちらが理解出来ない。“彼”は何を言っているのか。
サイクロプスの不可解な言葉と、そこから生じる違和感に胸をざわつかせつつ、澪は耳を
傾ける。

サイクロプス「私立桜が丘女子高等学校の生徒は超人兵士計画の下、改造人間になるべく生まれ、
     育てられてきた者達デス。候補者として、実験体として、与えられた役割を平和裡に
     果タシテイマス。それを阻害することが何故『助ける』という表現になるのデショウ」

澪「な、何だと……!?」

聞き終わるよりも早く怒りが湧いていた。
ここまで人間の尊厳を無視した話があるか。ここまで自分や友達の人生を踏みつけにした
発言があるか。

澪「私達は普通の女子高生だったんだ! 学校も部活も楽しくて、仲のいい友達がいて……!
  それが急にこんな…… こんなのがお前の言う『適切』だっていうのか!?」

サイクロプス「ハイ、適切な方法デス。平均的な日常生活を送らせ、一般市民に偽装することも
     計画の一環デスカラ。シカシ、SHOCKER ENTERPRISEにダメージを与え、計画の
     継続が不可能になれば、その日常すら崩れる可能性が大きいデショウ」

澪「だ、大体、普通の人間を改造して軍隊を作ることが良いことなのか!? そんな計画が
  許されていいのか!?」

サイクロプス「超人兵士計画が許されざる悪という根拠がアリマセン」

澪「……もういい。人間の言葉をしゃべるから、お前が機械だってことを忘れてた。もう
  黙ってろ」

サイクロプス「了解シマシタ」

“それ”はやはり忠実にマスターの命令に応える。気分を害することも無く、口答えをする
こともなく。
一方の澪は怒りと不快感を拭えずにいたが、同時に相手が機械であるが故の諦めもあった。
改造人間として得た“冷静な兵士の精神”の賜物であろう。
しかし、それでも心には暗い影が落ちる。
サイクロプスの疑問に明確な答えを出さず、その主張に論理的な反論が出来なかった。
それは自分が人間だからなのか。あるいは超人兵士だからなのか。
正しいのは自分なのか。自分が戻りたいあの世界なのか。それとも、自分を捨てたこの世界
なのか。
この思いは秋山澪のものなのか。実験体番号3-2-1とやらのものなのか。

私はまだ私なのだろうか。



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最終更新:2015年04月16日 08:12