第四話【人間の証明】
異形の変身が解けても、澪は地面にへたり込み、動けずにいた。
軽音部の面々が、親友が、改造人間となって自分の前に立つ。
澪が一番、目にしたくなかった光景のはずだった。
それなのに。それなのに――
桜高を訪れた際に、もっとみんなの無事を確かめておけばよかった。
すぐに研究所へ引き返して、他に連れていかれた子がいたら助け出せばよかった。
そんな詮無き懊悩に身悶えする澪の顔を、唯が覗き込んだ。
唯「その感じだと、まだ脳改造は受けてないみたいだね。安心安心」
二コリと微笑む唯。
いつもの口調。いつもの仕草。いつもの笑顔。
自分と同じユニフォームに身を包んだ姿と、改造人間二人を一度に蹴り飛ばす力を見ても、
いまだに澪は信じられなかった。
だって。
こんなにも唯なのに。
やっとの思いで口に出来たのは、すでに嫌と言うほどわかりきっている事実だった。
澪「唯…… お前まで改造人間にされたのか……?」
唯「うん。他の実験体が逃げ出した騒ぎにまぎれて私も逃げたんだけど、それが澪ちゃん
だとは思わなかったよ。びっくりしちゃった」
その言葉にはのん気な響きもあったが、表情には幾分影が差している。
視線を澪から外すと、唯は一人ごちるように呟いた。
唯「私、いなくなっちゃったんだね。お父さんからも、お母さんからも、憂からも、軽音部の
みんなからも、クラスのお友達からも」
澪はゆっくりと立ち上がった。全身の痛みは消えていなかったが、何とか立ち上がれるほど
には再生、回復してきている。
今はただ“仲間”となってしまった唯に寄り添ってやりたかった。
すべてを奪われ、自分なのに自分でなくされた、奇妙で悲しい“仲間”。
澪「……」
何か言葉をかけてやりたい澪であったが、我が身を鑑みてみれば何も言えない。
それでも、伝えたかった。お前はこの世に一人じゃない、と。
手を伸ばし、身を寄せ、軽く抱きしめる。
一方、唯は抱擁されるがまま、何の反応も無く、立ち尽くすだけだった。
しばらくの間、無言で身を寄せ合う二人。
そうしているうちに少々照れが勝ってきたのか、澪は身体を離すと赤面しつつ唯に尋ねた。
澪「な、なあ。唯は、これからどうしようと思ってるんだ?」
唯「澪ちゃんは? こんな風になっちゃったことについて何か調べた?」
澪が振り向き、横倒しのサイクロプスを指す。
澪「ああ、一緒に逃げだしたバイクのサイクロプスがショッカーの…… あ、ええと、
私達をこんなにした組織のコンピュータに侵入して情報を引き出してくれたんだ」
サイクロプス「ハジメマシテ。マスターのご学友デスネ? 私の名はサイクロプス。今後とも
ヨロシク」
世にも珍しいしゃべるバイク。しかも、流暢かつ饒舌なサイクロプスの応答に、唯は目を
輝かせた。
唯「はじめましてー! 私は
平沢唯! よろしくね! ――澪ちゃん、しゃべるオートバイ
なんてすごいね! あ、私もね、いろいろ調べたんだよ。あの中を逃げてる時にね、
けんきゅーいんって人がいたから捕まえて、コンピュータをいっぱいいじってもらってね」
澪「そうなんだ。それなら、もしかして私より知ってることは多いかもな」
唯「そうそう! 澪ちゃん、聞いて聞いて! 私達、すごいんだよ! えーっと、あの、
なんとかかんとか計画で…… あれ? なんて言ったっけ」
澪「超人兵士計画か?」
唯「そう! それそれ! 私達、超人兵士計画でたった二体しかいない完成体の超人兵士
なんだって! ごちゃごちゃしててわかりづらかったけど画面にそう書いてあったの!
すごいよね!?」
その言葉に澪は眉を曇らせた。
超人兵士計画のせいで自分達はこんな目に遭っているというのに。
改造人間にされたおかげで自分達はすべてを奪われたというのに。
何故、すごいなどとはしゃいでいられるのか。
言いようの無い違和感が、澪の心の片隅に生じた。
澪「すごいとは思わないけど…… まあ、貴重な情報だな……」
唯「A+判定とB判定なんだよ! んん? でも、どっちがどっちなのかな?」
澪は振り返り、追跡者の死体へ目を遣った。
単純な疑問である。自分と唯が完成体の超人兵士としよう。では“彼女”は?
自分が殺してしまった、自分一人では決して勝ち得なかった、あの追跡者は何者なのだ?
澪「じゃあ、さっきの改造人間は一体……」
唯「知らない。ただの失敗作なんじゃない?」
澪の呟きを受けて、唯が言い放った一言。
失敗作。
ただの失敗作。
私が死力を尽くして戦い、殺してしまった彼女が。
無神経も甚だしい言葉に澪は思わず頭に血を上らせた。
澪「失敗作、って…… あの改造人間も元は私達と同じ桜高の生徒なんだぞ! もしかして
知ってる子かもしれないのに!」
唯「あ、そういえばそうだね。せっかく超人兵士に選ばれたのに、こんなとこで死んじゃう
なんて残念かも」
澪「……」
何かがおかしい。
二人の間に大きなずれが生じているようだ。気にするところはそこではないはずだ。
まさか唯は状況が飲み込めてないのか。
ショッカーや超人兵士計画のことを、世界を救うヒーローとでも勘違いしているのか。
肥大化していく違和感は澪から言葉を奪った。
唯は特に澪の様子を気にすること無く、彼女に話しかける。
唯「ねえ、澪ちゃん。これからなんだけどね?」
澪「あ、ああ」
唯「私ね、ショッカーをやっつけちゃおうと思ってるの。もう、私達みたいな超人兵士を
これ以上増やさない為にも」
唯の決意を聞き、澪の顔はまるで陽が差したかのごとく明るいものとなった。
つい今し方の違和感はどこへやら。まるで百万の援軍、千万の友を得た気分だ。
同じ境遇、同じ身体、そして同じ思いを持つ、この世にたった二人の仲間同士。
唯がいてくれればこれからも頑張れる。戦える。
澪は唯の両手を、同じく両手で強く握り締めた。
澪「うん! そうだよな! あんな計画、許しちゃいけないよ! ああ、良かった……
唯がいてくれて、本当に良かった……」
唯「えへへ~、でしょでしょ? だってさ、こんなすごい力を持つ生き物は私達だけで充分
だもんね!」
澪「……え?」
唯「まずはショッカーの悪い人をぜーんぶやっつけてー。研究所は壊しちゃってー。あっ、
それから実験体候補もみんな片付けなきゃ。いてもしょうがないもんね、あんなの」
澪「!?」
何を言っているんだ。自分が何を言っているのか、わかっているのか。
ショッカーを倒す。勿論だ。それが悲願なんだ。
研究所を壊す。ああ、必要なことだ。これ以上、改造人間を増やさない為に。
だが――
澪「……っ」
――実験体候補を片付ける、だと? いてもしょうがない、だと?
唯「人間を超えた私達がこの地球で一番えらいの! 澪ちゃんはー、ロミオやってたから、
王子様かな。私は王女様!」
ショックで打ちのめされた澪に気づいていないのか、唯は多分に子供っぽい例えを用いて、
一人はしゃいでいる。
澪はといえば、一人沈黙に包まれていた。
一言も発することが出来ず、唯の話す声もテレビをミュートにしたように耳に入ってこない。
ただ、警報が聞こえる。あの警報が。
研究所で目覚めてすぐ、何度も澪に危難を報せてくれた、あの心の警報が。
頭蓋の中をこれまでに無い大音量でがなり立てている。
「目の前の、こいつは、危険だ」と。
澪「なあ、唯…… ちょっと聞いていいか……?」
唯「ん? なぁに?」
澪「お前がさっき言ってた、情報を聞き出す為に捕まえた研究員だけど…… その人は
どうしたんだ?」
唯「殺しちゃったよ? もう用事は無くなっちゃったし、逃げようとしたから」
澪「……!」
ダメだ。ダメだダメだダメだ。
それ以上、聞くな。それ以上、言うな。
お前は、お前は平沢唯なんだ。
私のクラスメイトで、同じ軽音部員で、大切な友達なんだ。
お前は、平沢唯なのに。
澪「……実験体候補が桜高の生徒ってことは知ってるよな。軽音部のみんなやクラスの
みんなのことだって」
唯「うん、知ってるよ? それがどうかしたの?」
奥歯を噛み締め、両の拳をきつく握り締めた澪。
唯の目を見ていられず、地面に視線を落としながら、ゆっくりと後ずさりをする。
澪「もう、唯じゃない……」
唯「え? 何が?」
握り締めた拳を胸の前に持っていき、眼差しを唯の顔へ戻す。
これは何に当たるのか。今から言う、これは。
決意? 別れの言葉? それとも、宣戦布告?
いや、たぶん、それら全部なのだろう。それはそういうことだ。
澪「私は…… 私は桜高のみんなを助ける」
唯「助ける? それ、どういうこと? 意味わかんないよ」
澪「いいか、唯…… ショッカーを倒すことには賛成だ。だけど…… もし、桜高のみんなに
手を出してみろ。私はお前を許さない!」
唯「……」
澪「律も、ムギも、梓も、和も、クラスの子達も、私にとって今でも大切な友達なんだ……
みんなは私が守る……!」
その言葉を聞き、唯は押し黙ってしまった。澪に対し、何か反論しようという様子も無い。
ただ、再会からずっと豊かだった表情は一切失われ、能面のような顔を地面に向けていた。
唯「……」
澪「……」
二人の距離を沈黙の時が支配していた。
唯は無言のまま。
澪は唯の反応を待つ。
しばらくの間、静寂の対峙が続いた後、ふと唯が一言呟いた。
澪に聞こえるか、聞こえないか、ごく小さな声で。
唯「失敗作……」
澪「な、何――」
突如、重く鋭い衝撃が澪の鳩尾を襲った。
悲鳴を上げる暇も無く、はるか後方に吹き飛ばされ、地面を転がる。
澪「う、ぐぅっ……」
ゆっくり唯が歩みを進める。
今はもう傲然と顔を上げ、倒れ伏す苦悶の表情の澪を見下ろしていた。
そのまま優雅とも言える歩調で澪へ近づいていく。
唯「私、わかっちゃった。A+が私で、Bが澪ちゃんなんだよ。絶対に」
唯の目。地面に転がる澪を見る、あの目。
それはもうかつての親友を見る眼差しではなかった。
己に劣る下等な生物を見る目つき。虫ケラを見る目つきだ。
唯「澪ちゃんは超人になり切れなかったB判定の失敗作…… 私だけなんだ。人間を超えた
すごい生物は、この世に私だけ……」
澪「ええいっ!」
ヘッドスプリングで一気に跳ね起きる澪。そこから、すぐに後方へ飛びのいて距離を作り、
臨戦態勢に構えた。すでに変身は済んでいる。
出来れば戦いたくはない。
相手が唯という意味でも。完全に回復していない状況での連戦という意味でも。
しかし、そんな澪の思惑などお構い無しに、唯はどんどん間合いを詰めていく。
可愛げに満ちた少女の顔から、バッタに似た異形の顔貌へと変身を遂げながら。
唯「……!」
不意に、唯の右足が不自然かつ凄まじい速度で動いた。
澪には見えた。そして、わかった。
先程、自分を吹き飛ばした謎の衝撃の正体。
今度は身をかがめ、両腕を交差して、しっかりと防御する。
唯「ありゃりゃ。失敗」
それは、ノーモーションで放たれた強烈な前蹴りだった。
股関節、膝関節、足関節だけの動きの為、動作が非常にわかりづらい。
また、速さは勿論だが、重さも相当なものだ。完全に防いだはずなのに、澪の身体が数cm
宙に浮いたほどなのだから。
澪「二度も同じ技を食らうか!」
唯「フフッ。やるじゃん、澪ちゃん。じゃあ、これは?」
そう言って唯が繰り出したのは、またも同様の前蹴り。確かにとんでもない速度ではあるが、
見られ過ぎた技だ。
馬鹿にしているのか、と澪が防御の体勢に入った。
だが――
蹴り足が澪の身体に到達する直前、膝を支点に軌道がグニャリと大きく曲がり、ハイキックと
なって側頭部に炸裂した。速さはほぼ損なわれること無く。
澪「ぐっ……!?」
膝から先だけの動きにも関わらず、澪の意識を数瞬奪い、地べたに這わせる威力だった。
唯「すごいでしょ? でも、まだまだいっくよー!」
澪が立ち直るのと同時に、唯が身体を旋回させた。
右の上段後ろ回し蹴り。澪がスウェーバックで避ける。
回転は止まること無く、連続して左のハイキック。これも澪はバックステップで避ける。
唯はさらに回転をして、今度は右中段後ろ回し蹴り。さすがに避け切れなくなった澪は、
多少のダメージを覚悟し、腹筋と両手を使って蹴り足を受け止めた。
ボディに鈍く痛みが残るも、唯の右足は澪の両手に捕らえられている。
澪「つ、捕まえたぞ! ごほっ……」
唯「じゃんじゃん!」
奇妙な掛け声から一瞬遅れて、澪の顎が痛烈にかち上げられた。
唯が左足で地を蹴り、後方宙返りをしながら、同じ左足で澪の顎を蹴り上げたのだ。
しかも、それだけでは終わらず、縦回転の勢いそのままに、澪の胸目がけて両足をドロップ
キックのように打ち出す。
澪「ぐえっ!」
胸板を回転蹴りで打ち抜かれた澪は、再度後方へ大きく身体を飛ばされ、サイクロプスの
近くへと倒れ込んだ。
澪「つ、強い…… 唯の奴、なんて強さだ……」
サイクロプス「マスター、お取り込み中のところ申し訳無いのデスガ、私を起こして頂ケマセンカ?」
澪「今、それどころじゃないっ……!」
のん気なサイクロプスの声を聞き流し、澪が立ち上がる。
澪(スピードは私なんか問題にならないくらい速い。パワーもさっきの改造人間ほどじゃ
ないにしろ、私よりずっと上だ……)
唯「フンス! どう? 澪ちゃん。私ってすっごく強いでしょ! 澪ちゃんなんかよりも
ずっとずっとずーっと!」
まるで澪の心を読んだかのように誇らしく笑う唯。
澪は荒い息を吐き、返事もままならない。
澪(パワーやスピードだけじゃない。技が多彩過ぎるんだ。同じ時期に、同じような改造を
されたのに…… これがサイクロプスの言ってた『自分が強いと知る』ってことなのかな。
唯がA+判定で私がB判定ってのも、あながち間違いじゃないかも……)
持ち前のネガティヴ思考。自虐的な性格。
しかし、今そんなものは必要無い。
必要なのは兵士の精神だ。
秋山澪を黒く塗り潰せ。
この場で唯に倒されないように戦わなければ。
澪(倒されないように……? ち、違う! 唯を倒さなきゃダメなんだ! そうじゃないと
こっちがやられてしまう! で、でも……)
唯「ボーっとしてちゃノノノン! まだまだこれからだよっ!」
嬉しげに、楽しげに、澪へと襲いかかる唯。
右のハイキック。速度がさらに増している。
澪は避けられず、両腕で防御するも、ガードの上からでも脳を揺らす威力だ。
そして、またしても膝関節の動きで蹴り足を操る。今度はつま先で顎を蹴り上げ、すぐさま
踵で胸を蹴り下ろした。
唯「よっ! ほっ! ほいっ! ほいなっ!」
蹴り足はまったく下ろされること無く、変幻自在の軌道で澪を上下左右から打ち据えていく。
フェイントでボディを蹴ると見せかけ、踵で引っかけるように横っ面を蹴る。
両腕の内側から左右に蹴りを振って防御を弾き、正面から顔面を蹴り抜く。
ハイキックから軌道を変えて大腿を蹴り下ろし、改めてハイキックで側頭部を蹴り飛ばす。
右脚から繰り出される連続の蹴撃に、澪は為す術が無い。
さらに驚くべきは、軸足の左脚で身体を支えるだけでなく、移動までこなしている点だった。
足首の動きで行う摺り足と小刻みな跳躍で、器用に立つ位置を変え、決して澪を逃さない。
澪「ふ、防ぎ切れない……! 右脚しか使ってないのに……!」
片脚のみにしては手数が多すぎ、膝から下の動きのみにしては威力が強すぎる。
そんな蹴りを数十発は受け続けているのだ。痛みと痺れと重さが全身に蓄積されていくのは
当然だった。
特に頭部のダメージは深刻であり、遠くなりかけている意識の為に戦いへの集中力を欠き
始めていた。
両腕のガードが徐々に下がっていく。フットワークは鈍り、棒立ちに近くなっていく。
唯「とうっ!」
澪の大きな隙を唯は見逃さなかった。
掛け声と共に宙空高く跳び上がると、澪の胸部を五連続で蹴り抜いた。一瞬で両足交互に
五連撃である。
澪「がはあっ!」
唯の着地と澪が地面に転がるタイミングは、ほぼ同時だった。
澪は再びサイクロプスが倒れている地点まで蹴り飛ばされていた。
大の字の澪に向かって、唯が緊張感の無い声を張り上げる。
唯「今のは“むえーきゃく”って言うんだよ! 効いた!? ねえ、効いた!?」
澪「き、効いたよ…… 肋骨がグシャグシャだ…… げぼっ……!」
口から大量に血を吐き、息も絶え絶えの澪。
唯は満面の笑みで、スキップを踏むように軽やかな足取りで澪へ近づく。
その時、またもサイクロプスが澪に話しかけた。
サイクロプス「マスター、私を起こして頂けないデショウカ」
澪「そ、それどころじゃないって言ってるだろ……! 見てわからないのか……?」
サイクロプス「ハイ、理解シテイマス。デスノデ、私を起こしてクダサイ」
澪「……?」
サイクロプスのボディをジッと見つめる。
瞬間、澪の脳裏にショッカー・エンタープライズ・ラボラトリーで演じた大脱走の光景が
甦った。
澪「……そうか!」
持てる力を振り絞って澪が立ちあがった。
急いで横倒しのサイクロプスを起こし、唯の方へと向ける。
サイクロプス「ドウモ」
くだけた調子の声と同時に、ヘッドライトの両脇から大口径の機銃が二つ、ニュッと突き出た。
サイクロプス「12.7mm徹甲榴弾、発射」
凄まじい射撃音を轟かせ、機銃が雨あられと銃弾を発射した。
唯「うああああっ!」
予想だにしなかった兵器での不意討ちが、唯の反応を遅らせた。徹甲弾は彼女の身体に次々と
穴を開け、肉を削り取っていく。
しかし、機銃はすぐにその動きを止めてしまった。もとより残弾数が少なかったのだろうか。
サイクロプス「装填されている弾丸はすべて射出されマシタガ、標的の脳を破壊出来マセンデシタ」
硝煙の向こう側で、血にまみれた唯が怒りに燃える目でこちらを睨みつけている。
ガクガクと震わせる身体には無数の銃創が刻まれ、立っているのもやっとといった風情だ。
むしろ倒れていないことに脅威を感じなければいけない。
唯「ぐっ…… ううっ…… 私を、撃ったね、澪ちゃん……」
澪「ゆ、唯……」
サイクロプス「徒手による攻撃で、標的を完全に沈黙させることをお勧めシマス」
澪「私が…… 唯を……?」
とどめを刺せ。つまりはそういうことだ。
戦力に大きな開きがあるとはいえ、身体に負ったダメージは今や唯の方が深い。
今ならば殺せる。殺すならば今しかない。
サイクロプス「お急ぎクダサイ。マスター」
澪「で、出来ない…… 私には、出来ないよ……」
躊躇し、煩悶する澪。
また殺すのか? 守るべきはずだった仲間を。救うべきはずだった友達を。この手で。
誓ったのではなかったのか? 桜高のみんなを助けると。
唯はもう危険で強力な改造人間だ。でも、まだ間に合うかもしれない。でも、桜高のみんなを
殺そうとしている。でも、今も大切な友達には違いないんだ。でも、あれはもう唯じゃない。
でも。でも。でも。でも。
――どうすればいい。
澪はそんなことを考えていた。
他方、唯はふらつき、よろめきながら、ボロ雑巾のような身体を引きずって後退している。
唯「許さない…… 失敗作のくせに、超人のこの私を…… 絶対に許さない……!」
怒りと痛みに打ち震え、緩慢な動きで後退していた唯であったが、ある地点でピタリと足を
止めた。
その足元にはマンホールがある。
唯「許さないんだからぁあああああ!!」
唯は激高と共に片足を振り上げ、地団太を踏むように力強くマンホールの蓋を踏みつけた。
激しい金属音を立てて、蓋が真っ二つに割れる。
そのまま一歩踏み出すと、唯の身体はマンホールの中へ吸い込まれ、消えた。
澪「唯っ!」
サイクロプス「反応が離れてイキマス。標的は退却を選択シマシタ」
澪「……」
サイクロプス「我々もここを離レマショウ。複数の警察車両がこちらに近づいてイマス。ソレト、
マスターも重要な臓器をいくつか損傷シテイマス。再生まで休息が必要デス」
澪「うん……―― あっ……」
何かに気づいた澪は、少し離れた場所にあった、ある物を拾い上げた。
それはバッタの顔を模した全頭型の仮面。唯が被っていた物だ。
澪「いざという時に顔を隠す物がいるだろ……?」
仮面をシート下のトランクに収める。
サイレンの音が近づいてくる中、澪のまたがったサイクロプスが急発進した。
痛み、大量出血、疲労。すべてが戦いを終えた澪の身体にドッとのしかかる。そのせいか、
澪は車体に身体を預けると言ってもいいほどの前傾姿勢となっていた。
満身創痍のマスターを乗せ、マシンは闘争の場を後にした。
それから数時間後。
太陽はとっくの昔に地平へ姿を隠し、漆黒の空には星が瞬いていた。
澪達が身を落ち着けたのは、当初の目的地である街外れの森林公園に併設されたキャンプ場。
街の明かりとは無縁な環境だからか、いつもより星がよく見えるようだった。普通の女子
高生として過ごした日々よりも。
澪は青々と茂る草の上に腰をおろし、木の幹に背を預けている。
周りに人気は無い。というよりも、現在地がキャンプ場のテントスペースからさらに奥へと
入った原生林地帯の為、人気どころか文明を感じさせるものは一切見当たらない。
回復を待ちながら、ただ漫然と星を眺めていた澪が、ふと気づいたようにサイクロプスへ
声を掛けた。
澪「サイクロプス、ちょっといいか?」
サイクロプス「ハイ、マスター」
澪「唯のことなんだけど……」
サイクロプス「先程交戦した、実験体番号3-2-30平沢唯デスネ」
澪「唯は脳まで改造されちゃったのかな…… あいつが私に言ってたように……」
以前と変わらぬ笑顔の唯。
友人達の命を何とも思わない唯。
嬉々として襲いかかってきた唯。
怒りに燃えて逃げていった唯。
浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
サイクロプス「イイエ、その可能性は皆無デス。モシ、脳改造が施されていたら、改造前の記憶は
失われているデショウシ、あそこまで豊かな感情は持ち得マセン」
澪「記憶…… 感情…… じゃあ、どうして唯はあんなことを……」
サイクロプス「推測の域を出マセンガ、遺伝子操作の影響による精神構造の変化が挙ゲラレマス。
これはマスターにも生じているものではアリマスガ、その程度の大小に関しては
『個体差』としか言エマセン。シカシ……――」
澪「しかし?」
サイクロプス「――同種間で他の個体を攻撃的に排除する習性は、生物界においてさほど珍しい
ことではアリマセン。特に昆虫ではその傾向が強く見ラレマス」
期待して損をした、と言わんばかりに澪が口をへの字に曲げ、溜息を吐く。
澪「あのな…… 昆虫と一緒にするなよ。私も唯もまだ人間だぞ……」
サイクロプス「デスガ、マスター。平沢唯はこれまでマスターが教えてクダサッタ人間の定義から
大きく外レテイマス。人間とは、個体間の繋がりを重んじ、同種他種問わず生命を
尊重し、自己の安全や利益を度外視してでも他の個体の存在を防衛スルモノ、と
私は理解シテイマス。また、人間にとって平和な日常生活は何物にも代え難く、
その権利を侵害することは如何なる理由を以てしても許サレナイ、とも」
澪「……」
サイクロプスの反論に言葉が出てこない。
しかし、それは“論破された”という思いから生まれたものではない。
反論自体にうなづける点はあっても、何かが違う。でも、上手く言葉に出来ない。
そんな気持ちだ。
サイクロプス「以上の定義を鑑みれば、平沢唯はもう人間ではアリマセン」
澪「お前…… あと少しなのにな……」
サイクロプス「『あと少し』とは? 発言の意味を理解出来マセン」
我ながら意地が悪い、と思わなくもない。相手は機械なのだ。
澪「ちょっと疲れた…… 眠い……」
サイクロプス「私が歩哨に立チマス。マスターは睡眠をお取りクダサイ」
澪「ありがとう…… おやすみ……」
サイクロプスのボディを一撫でして、腕枕で横臥する。
目を閉じるとすぐに意識が揺らいできた。
急速に眠りへ引き込まれていく感覚。安心するようでもあり、怖くもある。
サイクロプス「おやすみなさいませ。マスター」
[続]
最終更新:2015年04月16日 08:13