ねえ、私。

あの頃の私。


心配しなくていいよ。
すぐに見つかるから。

私にもできることが。
夢中になれることが。

大切な、大切な場所が。


いつかめぐり逢えるから。
あなたを必要としてくれる、大切な人に。


いつか、きっと……


『いい子』 を演じる私は、
いつだってひとりぼっちだった。


留守がちだった両親の愛情に飢えていたわけではない。
幼い頃から一人でやらざるを得なかった家事にも不満はなかった。

仲のいい友人がいないわけでも、
クラスの中で孤立していたわけでもなかった。

勉強についていけないわけでも、
運動が苦手なわけでもなかった。

誰かを好きになることも、
特別な好意を寄せられることもなかった。


他人と一定の距離を置いて接することが、
最も傷つかない方法だと知っていた。

もし自分が突然いなくなったとしても、
世の中は何も変わらず回り続けるのだろうと信じた。

ただ死んでいないだけの毎日なのだから。


作り笑いだけが得意な子供は、どんな大人になるのだろう。
形の見えない未来を、他人事のように考えた。

将来の夢、といった類の作文に書き並べた
小奇麗な絵空事にため息をつく、そんな子供だった。


中学校を卒業して、幼なじみに合わせて選んだ高校。
部員が足りないという軽音部に誘われて、私はギターを始める。

同じことの繰り返しのような日々の中、
音楽を奏でることだけは夢中になれた。

抱え込んでいた気持ちや、
言葉にできない感情がギターから溢れ出る。

ギターを弾いている時だけ、表情が緩む。
重ね合わせた音に、ほんの少しだけ笑顔がこぼれる。

脇目もふらず練習に打ち込む部活だったとは言えないが、
部室の雰囲気は不思議と心地よかった。


目標は武道館、などと言いながら始まった軽音部。

ギターを買うためにアルバイトをしたり、他愛のない話をしたり、
学園祭を目指して合宿をしたり、顧問の先生や新入部員を探したり。

何気ない毎日を書き連ねた、拙い歌詞を持ち寄って。
何度も練習した曲が、不器用だけどひとつに重なって。


いくつもの音とともに積み重ねた時間は、
やがて彼女たちが大人になった時、特別な思い出になるのだろう。

たとえ、そこに私が居なかったとしても。
4 名前: いえーい!名無しだよん! Mail: 投稿日: 2015/08/10(月) 23:34:58 ID: nqbMCAvA0


学園祭を終え、クリスマスが過ぎ、年が明けて間もない冬の日。
真っ白なため息が浮かんでは消えていく、雪が降る日のことだった。

信号待ちをしていると、向かい側の道路から見覚えのある猫が
私を見つけて駆け寄ってきた。

通学路でよく見かける、人懐っこい野良猫。
すぐ傍で爆発したように響く車のブレーキ音。

危ない、と思うより早く猫を助けようとした自分の行動に、
私は驚いていた。

重い衝撃とともに宙に浮いた私は、
目まぐるしく変わる景色をスローモーションで眺めていた。

時間が止まったかのような浮遊感は不意に終わり、
私は冷たい地面に頭から叩き付けられていた。

誰かの叫び声と、遠くから聞こえるサイレンの音。
凍ったアスファルトに擦れる感触。 ガラスの破片が舞い散る音。 
他人事みたいに響く、耳障りな雑音。

身体のあちこちが痛み、手足は麻痺したように動かない。
胸に抱いた猫だけが、ただ暖かかった。

強く抱きしめてしまったけれど、怪我はなかっただろうか。
私の血で汚れたりしなかっただろうか。

仰向けに倒れた私は、ずっと空を見ていた。
降りしきる雪を眺めて、空に浮いていくような錯覚を感じながら。


最期に見た景色は、空いっぱいに舞う雪の白。
赤く汚れた私に降り積もって、すべてを覆い隠してくれればいい。

ためらうことなく目を閉じて、私は死んだ。


どこか遠くから聞こえる旋律に、
私は意識を委ねていた。


か細く途切れながら響く、心地良いメロディ。
記憶の奥底に消えていく、儚い歌声。

追いかけるほど遠ざかっていく、微かな音色。
懐かしくて、なぜか泣きたくなるような。


わずかな音を頼りに光を見つけて、
私はゆっくり目を開けた。


最初は、悪い夢だと思っていた。

うっすらとぼやけて見える景色の中で、歓声を上げる大人たち。
産まれたばかりの子供になっている夢。

泣きそうな顔で私を覗き込む父と、
幸せそうな顔で私を優しく抱きしめる母の感触。

夢や走馬灯にしては、あまりにも現実的な温もり。

肺の中に空気が入り込み、
私は泣き叫ぶように産声を上げていた。


これが夢なら早く覚めて欲しいと願いながら。

どうしてあのまま死ねなかったのだろうと思いながら。


再び繰り返されようとしている人生を、
私は受け入れられずにいた。

新聞やテレビで日付を確認すると、
やはり十数年ほど時間が遡っている。

最後に会った時より少しだけ若い両親。
住み慣れた家と、見慣れた景色。

やがて留守がちになる両親と一緒に過ごせるのも
今のうちだけだと思うと複雑だったが、
無邪気に甘える子供を装うには、私の精神は成長し過ぎていた。

ある程度自由に動けるほどに成長する頃には、
私は異常に手のかからない子供と認識されていた。


また始まってしまった人生は、
何もかもが今までと同じというわけではなかった。

数か月ほど誕生日がずれていたこと。
今までの私と同じ名前で呼ばれる姉がいたこと。
記憶と違う名前で呼ばれる私。


生まれ変わった私は、平沢憂と名付けられていた。


生まれ変わりという超常的な現象よりも困惑したのは、
幼い頃の自分が姉として存在しているという状況だった。

手のかからない 『いい子』 を演じながら、
私は姉との生活に戸惑っていた。

ぎこちない手つきでの食事や、異常に時間のかかる着替え。
簡単なことにいちいち手間取る幼い 『私』 の姿に、小さくため息を漏らす。

しっかり者の妹と、だらしない姉という構図が出来るまで、
そう時間はかからなかった。

何かと姉の世話を焼いてしまうのは、
幼い自分のだらしない姿を客観的に見たくないだけのことだった。
両親に余計な手間をかけさせたくないだけのことだった。

私が面倒を見すぎたせいか、彼女が依存しすぎたせいなのか、
平沢唯』 はすっかりゆるやかで呑気な性格に育ってしまうのだった。


優等生を演じることには慣れていたものの、
既に見知った事をなぞるだけの学校は退屈でしかなかった。

昔の自分でさえよく知らない世代のクラスメイトとの接し方はぎこちなく、
かつての幼なじみや友人と再会しても、彼女たちは当然ながら今の私を知らない。
年上の人間、姉の友人として対応しなければならなかった。

孤独に感じるのは当然のことなのだと自分に言い聞かせる。
私の事情を知りえる人間など何処にもいないのだから。

誰にも言えない疎外感を抱えながら、
永遠とも思える通学路を歩いていくのだろうと考えた。

きっと私とは違う人生を歩むだろう、かつての自分と肩を並べながら。
まっすぐに見れば目を突き刺すように輝く笑顔の影で。


彼女の無邪気な笑顔を見るたびに、私は考える。

人生の何かがほんの少しだけ違っただけで、
私にもあんな屈託のない笑い方ができたのだろうか。

家事や勉強が得意じゃなくたって、愛想笑いなんかしなくたって、
自然と人を惹きつけるような魅力が、私の中にもあったのだろうか。

私は、顔つきだけがそっくりな彼女を、
いまだに 『お姉ちゃん』 と呼ぶことができずにいた。


かつての私と同じ高校を選んだ彼女は、
相変わらず廃部寸前となっていた軽音部に入ったそうだ。

希望に胸を膨らませて。
自分にもできる何かを始めたい、という意志を持って。
私とはまったく違う理由で。

ギターを買うためにアルバイトを始め、
拙い手つきで覚えたてのコードを爪弾く姿に、遠い昔の自分を重ねる。

買ったばかりのギターを抱えて毎晩遅くまではしゃいでいた彼女は、
案の定中間テストで赤点を取り、追試を受けることになった。


テスト勉強が一向にはかどらない彼女を見かねて、
軽音部の仲間たちが家に訪ねてきた。

何年も同じバンドで演奏した彼女たちに再会し、初めましてと挨拶する。
気心の知れていた仲間たちに、平沢唯の妹だと自分を紹介する。

彼女たちを 『さん』 付けで呼ぶことにしたのは、
先輩、と呼ぶことにどうしても馴染めそうになかったからだった。
自分の置かれた状況に対する、ささやかな抵抗でもあった。


私の居ない軽音部で、
彼女たちは合宿やライブを経て絆を深めていくのだろう。

いくつもの曲と思い出を作りながら、
青春と呼ばれる時間を過ごすのだろう。

楽しそうに話す彼女たちの姿を眺めながら、
私は軽音部に入らずに済む口実を探さなければならない、と考えていた。

そこはきっと、私が過ごした場所ではなくなっているのだから。
私ではなく、今の平沢唯が過ごすべき場所なのだから。
13 名前: いえーい!名無しだよん! Mail: 投稿日: 2015/08/10(月) 23:43:48 ID: nqbMCAvA0


翌年、一年遅れで姉と同じ高校に入った私は、
家事を理由に軽音部への入部を断っていた。

同学年の子をクラブ見学や新歓ライブに誘ってみたものの、
新入部員は結局一人に留まったらしい。

私がいた頃の軽音部でも新入部員が一人だけだったのは、
偶然の一致に過ぎないのだろうか。

人生を何回も繰り返したとしても、
自分の意志で変えることのできない運命があるのだろうか、と私は考える。

些細な行動で変えられる事と、そうでない事があるのだろうか。

以前の私になついてくれた野良猫に再び会うことができなかったのは、
些細な行動のすれ違いがいくつも重なった結果なのだろうか。


出会うことがないのなら、それでいいと私は思う。
私に出会いさえしなければ、きっとあの事故に巻き込まれずに済むのだろう。

あの子たちもまた、私の知らないどこかで今を生きているのだろうか。
それとも、あの事故とは違う形で死を迎えたのだろうか。

私が救おうとした小さな命は、
結果的になんの意味もなかったのだろうか。


変えられない運命というものがあるのなら、
私が生まれたことにも何か意味があるのだろうか。


軽音部に入らないことを選んだ高校生活。
部活を離れたことで空いた時間の大半は、姉のことばかり考えた。

私たちは、どんな姉妹に見えているのだろう。

未来を夢見てありのままに笑う姉。
生きる意味を見出せず、愛想笑いばかりの妹。

相変わらず彼女の世話を焼きながらも、
私はどこか彼女のことを避けていた。

自分が失った輝きを見せつけられているようで。
幸せに生きていた場合の自分を見せつけられているようで。

見かねた私が何かと手助けするたびに、
彼女は悲しそうな目でありがとう、と笑って見せる。

彼女の笑顔が消えるたび、
私の胸は理由もわからずチクリと痛む。

できることなら、今からでも普通の姉妹のように接したい。
そんな勝手なことを考える自分が苛立たしかった。

『私』 を遠ざけたのは私のほうなのに。
不安なのは、きっと私だけじゃないのに。

私は姉からどう思われているのだろう。
理不尽で身勝手な嫉妬を、姉はどう受け止めているのだろう。

答えの出ない物思いに耽る私は、
まるで片想いをしている少女のようだった。


姉のギターをときどき借りては、あの音色を追いかけた。
かつて私が死んだ場所を歩くたび、いつもあの曲を思い返す。

生と死の狭間で聞いた旋律。
途切れそうな、触れたら壊れてしまいそうな響き。

不安や恐怖の全てを和らげてくれた、優しい音の連なり。
霧のようにおぼろげで、恋のように掴みきれないもどかしさ。

パズルのピースを探すように、記憶の中で音の断片を探し集める。

思えば、私はずっと前からあの曲を追いかけていたのかもしれない。
それが音楽に夢中になれた理由だったのかもしれない。


少しずつ冷たくなってきた風に吹かれ、
私の死んだ季節がまた近づいてきたことに気づく。

珍しく風邪をひいてしまったのは、
こんな場所で考え込んでしまったからかもしれない。


熱を出して寝込んでしまった私は、
あたふたしながら看病をしてくれる彼女を眺めながら、
いつしか眠りに落ちていた。

高熱の中で見た夢は、
私たちがまだ幼い頃の記憶だった。


私を喜ばせたい一心で、新品のクッションを破ってまで
ホワイトクリスマスをプレゼントしてくれた、幼い姉。

嬉しい以上に驚いて、
上手く笑顔を返せなかった、不器用な妹。

二人で静かに雪を眺めた、いつかのクリスマス。

大人になってもずっと一緒にいたいね、と言ってくれた姉に、
私は曖昧に笑って目をそらす。

そんな未来が本当にあるのなら、どんなに幸せだろう。
私たちの時間は、あとどれくらい残されているのだろう。


どこにでもいる姉妹のように寄り添って暮らす二人。

ささいなことで言い争っては仲直りしたり、
ふざけあったり、やきもちを焼いたり。

やがて大人になった私たちが、
毎日を幸せそうに笑いながら過ごしている夢を見た。

きっと叶うことのない夢を。


目を覚ますと、机に伏せて寝息を立てる彼女がいた。
傍らには、おかゆをつくったから食べてね、という書き置き。

彼女が眠りに落ちる寸前まで、
何かを書き綴っていたらしいノートに目が留まる。

U&I、とタイトルのつけられた詩。

あなたと私。 唯と憂。
詩の中に込められた彼女の想いに、私は見入っていた。

いつの間にか目を覚ましていた彼女が、
困惑しながらそっと歩み寄り、私を抱きしめた。

理由もわからないまま、涙が溢れて止まらなかった。


憂の為に作った歌なんだよ。
泣き止んだ私に、彼女がそっと語りかける。

歌詞と一緒にちょっとだけ作ってみたというメロディを爪弾きながら、
彼女がゆっくりと歌い始める。

途切れ途切れに、まだぎこちない手つきで。
世界中の誰よりも優しい歌声で。


   キミがいないと何もできないよ
   キミのご飯が食べたいよ

   もしキミが帰ってきたら
   とびきりの笑顔で抱きつくよ


ああ、あの歌だ。

私がずっと追いかけた音。
死の恐怖を何度も忘れさせてくれたメロディ。

丁寧に書き連ねられた、優しい言葉のひとつひとつが、
私の心の中に入り込んでいく。

こんなに大切に思ってくれていたなんて。
こんなにも必要とされていたなんて。

私は、彼女の笑顔を奪っているだけだと思っていた。
姉の威厳を奪い去り、疎まれているのだと思い込んでいた。

彼女より何年も多く生きているはずなのに、
なんて稚拙な思い込みだったんだろう。


   キミがいないと謝れないよ
   キミの声が聞きたいよ

   キミの笑顔が見れれば
   それだけでいいんだよ


もし神様がいるのなら、
どうしてこんな残酷な奇跡を起こしたのだろう。

一度きりの人生だからこそ、人は幸せを求めて懸命に生きるのに。
先の見えない道だからこそ、未来を夢見て笑顔を見せるのに。

人生の何もかもが、私にとっては無意味なことだった。
きっと私は閉ざされた世界を永遠に繰り返し生き続けるのだろう。

これからもずっと。
どんなに歩き続けても。

幾度となく死んでは生まれ変わってを繰り返し、
私が最初に生まれてから500年以上の年月が経っていた。


   キミがそばにいるだけで
   いつも勇気もらってた

   いつまででも一緒にいたい
   この気持ちを伝えたいよ


抗えない運命があるのなら、私はもう生きていたくない。
それだけを願って、誰も寄せ付けまいと強張らせていた心の壁が、
音を立てて崩れ始める。

涙と一緒にボロボロとこぼれ落ちていく、強がりの欠片。
堅く閉ざされていた扉の奥に、柔らかな光が差し込む。

眩しすぎて目をそらした先には、
悲しい目で私を見つめる、もう一人の自分がいた。


   雨の日にも 晴れの日も
   キミはそばにいてくれた

   目を閉じれば
   キミの笑顔 輝いてる


彼女は、光だった。

閉じた世界を生き続ける私が出逢った、
未来を照らすまばゆい光。

私は明るい場所を避けて暗がりを歩き続けていただけだった。
目をそらしていたのは、心の奥に閉じ込めていた自分だった。



2
最終更新:2015年08月12日 05:30